下増田町
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下増田町 | |
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前橋市下増田運動場 | |
北緯36度20分50秒 東経139度9分33秒 / 北緯36.34722度 東経139.15917度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 群馬県 |
市町村 | 前橋市 |
面積 | |
• 合計 | 1.99 km2 |
人口 | |
• 合計 | 940人 |
• 密度 | 470人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
379-2113[2] |
市外局番 | 027[3] |
ナンバープレート | 前橋 |
下増田町(しもますだまち)は、群馬県前橋市の地名。郵便番号は379-2113[2]。2013年現在の面積は1.99km2[4]。
地理
[編集]前橋市の南東、広瀬川と荒砥川の合流地点の北側で、両側に挟まれて位置している。
河川
[編集]- 広瀬川
- 荒砥川
歴史
[編集]江戸時代頃からある地名である。はじめ前橋藩領、文化3年から下野佐野藩領だった。もとは上増田村(現:上増田町)と一村で「増田町」と称していた。
年表
[編集]- 天正18年(1590年) - 平岩親吉が前橋城主となり、下増田は前橋藩領となる[5]。
- 元禄15年(1702年) - 元禄郷帳に上増田村と下増田村が別に記述されている。寛文8年(1668年)の「上野国郷帳」では増田村として記述されるため、この間に分村されたとみられる[6]。
- 寛延2年(1749年) - 天領となる[7]。
- 文化3年(1806年) - 下野国佐野藩領となり、そのまま廃藩置県を迎える[7]。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行により、下増田村は天川大島村、上大島村、下大島村、女屋村、上長磯村、東上野村、野中村、下長磯村、小屋原村、笂井村、上増田村と合併し南勢多郡木瀬村が成立する。
- 明治27年(1896年)4月1日 - 南勢多郡と東群馬郡が統合し勢多郡となる。
- 昭和32年(1957年)1月20日 - 勢多郡木瀬村、荒砥村が合併し城南村が成立する。
- 昭和42年(1967年)5月1日 - 城南村が前橋市へ編入される。そのため前橋市下増田町となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
下増田町 | 352世帯 | 940人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 前橋市立駒形小学校 | 前橋市立木瀬中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]町内をJR東日本両毛線が通過する。かつて町内には下増田駅があったが、1968年に休止となった後、1987年に廃止された。
バス
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道路
[編集]施設
[編集]- 前橋市下増田運動場
- 蓮華院(前橋厄除大師)
- 今宮八幡宮 - 旧社格は村社[9]。
出典
[編集]- ^ a b “人口及び世帯数 - 町別住民基本台帳人口表”. 前橋市 (2017年9月5日). 2017年9月15日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 第2章 人口 - 前橋市 2016年07月21日閲覧。
- ^ 前橋市史編さん委員会 1973, p. 1039.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 58–61.
- ^ a b 前橋市史編さん委員会 1973, p. 1050.
- ^ “前橋市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則”. 前橋市 (2017年4月24日). 2017年9月16日閲覧。
- ^ 勢多郡誌編纂委員会 1958, p. 1232.
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年7月8日。ISBN 4-04-001100-7。
- 木瀬村誌編纂委員会『木瀬村誌』1995年9月20日(原著1995年9月20日)。doi:10.24484/sitereports.101883。 NCID BN1378655X 。
- 勢多郡誌編纂委員会『勢多郡誌』勢多郡誌編纂委員会、1958年3月30日。
- 前橋市史編さん委員会『前橋市史』 2巻、前橋市、1973年8月1日。