堀之下町
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堀之下町 | |
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北緯36度23分34秒 東経139度7分31秒 / 北緯36.39278度 東経139.12528度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 群馬県 |
市町村 | 前橋市 |
面積 | |
• 合計 | 0.61 km2 |
人口 | |
• 合計 | 859人 |
• 密度 | 1,400人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
371-0005[2] |
市外局番 | 027[3] |
ナンバープレート | 前橋 |
堀之下町(ほりのしたまち)は、群馬県前橋市の地名。郵便番号は371-0005[2]。2013年現在の面積は0.61km2[4]。
地理
[編集]赤城山の南麓、寺沢川流域に位置し、南北に細長い形をしている。
歴史
[編集]江戸時代ごろからある地名である。はじめは大胡城主牧野氏領、元和4年に前橋藩領、明和5年に幕府領、天明5年からは再び前橋藩領だった。
年表
[編集]- 天正18年(1590年)8月 - 牧野康成が大胡城主となり、堀之下村は大胡藩の領地となる[5]。
- 元和2年(1616年)7月 - 牧野氏が越後国長峰藩に転出し、堀之下村は前橋藩領となる[5]。
- 明和4年(1767年) - 天領となり代官支配を受ける[5]。
- 天明5年(1785年) - 以後廃藩置県まで前橋藩領となる[5]。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行により、堀之下村は上泉村、江木村、堤村、亀泉村、石関村、東片貝村、西片貝村、幸塚村、上沖之郷、下沖之郷、荻窪村、三俣村と合併し南勢多郡桂萱村が成立する。
- 明治27年(1896年)4月1日 - 郡統合(南勢多郡と東群馬郡の統合)により、桂萱村は勢多郡に所属する。
- 昭和29年(1954年)4月1日 - 桂萱村は周辺1町5村(上川淵村、下川淵村、芳賀村、東村、元総社村、総社町)とともに前橋市へ編入され、前橋市堀之下町となる。
地名の由来
[編集]世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
堀之下町 | 343世帯 | 859人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 前橋市立桂萱東小学校 | 前橋市立桂萱中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]鉄道駅はない。
バス
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道路
[編集]国道は通っておらず、県道は群馬県道76号前橋西久保線が通っている。
施設
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “人口及び世帯数 - 町別住民基本台帳人口表”. 前橋市 (2017年9月5日). 2017年9月15日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 第2章 人口 Archived 2016年5月13日, at the Wayback Machine. - 前橋市 2016年04月29日閲覧。
- ^ a b c d 桂萱地区自治会連合会 & 桂萱村誌刊行委員会 2006, p. 126.
- ^ 桂萱地区自治会連合会 & 桂萱村誌刊行委員会 2006, p. 552.
- ^ “前橋市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則”. 前橋市 (2017年4月24日). 2017年9月16日閲覧。
- ^ 桂萱地区自治会連合会 & 桂萱村誌刊行委員会 2006, pp. 568–569.
- ^ 桂萱地区自治会連合会 & 桂萱村誌刊行委員会 2006, pp. 51–57.
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年7月8日。ISBN 4-04-001100-7。
- 桂萱地区自治会連合会、桂萱村誌刊行委員会『桂萱村誌』2006年1月30日。
- 勢多郡誌編纂委員会『勢多郡誌』勢多郡誌編纂委員会、1958年3月30日。