二八会
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二八会は、当初は明治28年(1895年)に東京帝国大学を卒業した者たちの親睦を趣旨とする一般的な同窓会であり、毎月1回学士会館に集まる会であった[1]。主要メンバーは小野塚喜平次、浜口雄幸、幣原喜重郎、下岡忠治、上山満之進、高野岩三郎、田中清次郎、伊沢多喜男など[1]。
その後、会合は一時中断していたが大正2年(1913年)1月14日に内務省地方長官会議が開催された折に、メンバーの数人が上京したのを機に再開され、大正12年(1923年)までに9回ほど開催された[1]。二八会が再開されたのは第3次桂内閣期であり、会員より次官が誕生したころであり、特に下岡農商務次官、浜口逓信次官、伊沢警視総監は桂内閣の三羽烏と称され、公私にわたって緊密な関係を築いていた[1]。以後数次に渡ってメンバーの多くが政府の要職に就いたため、当初の親睦会的性格の二八会は次第に政治ネットワークに変質していった[2]。
特色
[編集]メンバー主流派は立憲同志会・憲政会・立憲民政党系統の政党と関係が深く、浜口、下岡、俵は党員となり、伊沢・久保田政周、西久保弘道・昌谷彰・幣原喜重郎・上山満之進・菅原通敬は党外人として高いポストで任用されることが多かった[3]。
二八会の会員
[編集]※『大正期の政治構造』149頁による。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 季武嘉也『大正期の政治構造』吉川弘文館、1999年。