利用者‐会話:Evangelical

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ウィキペディア日本語版へようこそ!

こんにちは、Evangelicalさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!

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Evangelicalさんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。--ポピュラーポプラ 2007年9月25日 (火) 12:45 (UTC)[返信]

初めまして[編集]

第二次大覚醒に手を入れられたのを拝見いたしました。文中、天幕集会と書かれていますが、よろしければキャンプ・ミーティングノートを見ていただいて、訳語についてのご意見なりご示唆をいただけると幸いです。gogokoba 2007年11月15日 (木) 20:51 (UTC)[返信]


拝見しました[編集]

gogokoba様、メッセージをありがとうございます。

ノート拝見いたしました。資料を改めて確認し、ノートと本文に記入させていただきました。 2007年11月16日 金 23:02

ホーリネス、ペンテコステ関連の統合改名等の是非について[編集]

Evangelicalさん、はじめまして。聖霊派をはじめ福音派関連記事の執筆お疲れさまです。いまホーリネス教会ホーリネス運動の統合が暗礁に乗り上げています。ペンテコステ派ペンテコステ運動は重複する記述が多かったため、既存の教団、教派が現に存在していることを重視し、ペンテコステ派に統合しましたが、ホーリネスの場合は、統合の是非もさることながら、統合する場合、どちらに統合したらいいか、ホーリネス運動に統合する場合、ペンテコステ派もペンテコステ運動に移動したほうがいいのかという整合性の問題も出てきますのでご意見いただけたらとおもいます。議論はホーリネス教会ノートで行っています。よろしくお願いいたします。Siyajkak 2007年11月27日 (火) 15:25 (UTC)[返信]


こんばんわ。ノート:ホーリネス教会で指摘があったように聖霊派関係の記事を整理したいと考えて、聖霊派記事にコメントアウト<!-- -->部分の説明を加えましたがわかりづらかったようですみません。聖霊派に加筆をなさっておられますが、詳細な記述は、ペンテコステ派カリスマ運動聖霊の第三の波の記事本体に加筆いただき、聖霊派の記事のペンテコステ派の節カリスマ運動の節聖霊の第三の波の節に関しては定義などの概要的な記述にとどめていただけないでしょうか。詳細な内容を加筆されていることについて有意義には思っていますが、ペンテコステ派カリスマ運動聖霊の第三の波の記事本体にお書きになられたほうが記述が生きるとおもいますので少々残念に思います。このような内容をお願いするのは仮に私本人がEvangelicalさんが書いたものを聖霊派から削除し、似通った記述をペンテコステ派カリスマ運動聖霊の第三の波の記事本体にした場合に、Evangelicalさん自身に不愉快な想いをさせるだけでなく、履歴継承の問題が発生しややこしくなる可能性があるので、どうかご理解いただければ幸いです。
繰り返しになりますがノート:ホーリネス教会で指摘があったように聖霊派関係記事が今まで思い思いに加筆されてきたためにぐだぐだになっていたのを改善したいと考えていましたが、わたしがコメントアウトした<!-- -->部分の説明がかえって誤解を招いたことをお詫びいたします。
それからさっそく件のノートへご意見をいただきありがとうございます。拝読いたしました。Siyajkak 2007年11月30日 (金) 10:03 (UTC)--加筆修正Siyajkak 2007年11月30日 (金) 10:30 (UTC)[返信]

ペンテコステ派は教会、教団として目に見える形でありますが、カリスマ派と第三の波については、教派を横断する流れといったものです。カリスマ派は三人の神学者によってWCCに紹介され、フルゴスペルビジネスマン親交会を通してローマ・カトリックにも浸透しました。第一の波はホーリネスと、第二の波はエキュメニカル派と、第三の波は福音派と関係があります。それぞれ時期、強調点、神学的背景、影響が違っているのです。その流れがわかる程度の説明は必要だと思います。時期、概要、定義、差異、由来、影響についての記述は残し、記述をカットしてみました。あとその他の聖霊派についてはどうしましょうか。 --Evangelical 2007年11月30日 (金) 21:45 (UTC)[返信]

こんばんわ。記述を整理いただきありがとうございます。各節の「教理」「教会、団体」の項目は、各1~2行程度ですのでまとめて、何月何日という細かな日付や関連出版社などについては、ペンテコステ派カリスマ運動聖霊の第三の波の記事本体に記述することにさせていただこうと思います。
>カリスマ派は三人の神学者によってWCCに紹介され、フルゴスペルビジネスマン親交会を通してローマ・カトリックにも浸透しました。
これについては詳しい事情を、ペンテコステ派カリスマ運動聖霊の第三の波の記事本体に記述していただけたらすばらしいと思います。Evangelicalさんの知識やお考えが生きるのではないでしょうか。--Siyajkak 2007年12月4日 (火) 13:50 (UTC)[返信]

海獺と申します。[編集]

こんばんは。はじめまして。精力的な執筆活動お疲れ様です。さて、Evangelical さんに一度ご確認いただきたいことがあり、書き込みをさせていただきます。言語間リンクですとか、記事のスタイルについて、他の記事との統合性の意味からも「Wikipedia:レイアウトの指針」などの文書をチェックしていただけますでしょうか? 新規記事投稿の際にある程度体裁を整えていただきますと記事の発展もしやすいかと思います。よろしくお願いします。--海獺 2007年12月3日 (月) 14:00 (UTC)[返信]

メッセージをありがとうございます。ご紹介の文書を確認させていただきます。またお気づきの点ありましたら、ご指摘のほどよろしくお願いします。--Evangelical 2007年12月3日 (月) 14:06 (UTC)[返信]

キリル・ルカリスの記事について[編集]

すみません、事後の報告気味になってしまいますが、現状の箇条書きの情況はあまり宜しく無いと思われますので、推敲作業に入らせて頂きたく思います。ただ、日本での文献があまりに少なく(小生が持っていますのもブレスト合同前後についての彼の行動に関するものや、正教会関連の書籍に若干の記述があるもののみです)、外部リンクに出典の多くを頼らざるを得ないので貧弱なものになるのは止むを得ないのですが…もしお気付きの点があればご指摘・修正して下さい。とりあえず、無言で修正させて頂くのも気が引けましたので、お断りとお礼をと思い参上した次第です。

記事作成をありがとうございました。--Kliment A.K. 2007年12月11日 (火) 04:53 (UTC)[返信]

メッセージありがとうございます。記事を拝見しました。記事の加筆訂正ありがとうございました。--Evangelical 2007年12月11日 (火) 16:15 (UTC)

御返事をありがとうございます。今後とも宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2007年12月11日 (火) 18:53 (UTC)[返信]

改革派教会につき
ご教示を頂き、ありがとうございます。ただ、現状では「カルヴァン派」は2005年以来、「改革長老教会」へのリダイレクトになっているようですね…これは変更した方が宜しいのでしょうか?この分野にも熱心な執筆者と思われるLRさん辺りにも問い合わせて、合意形成をしておいた方がいいかもしれません。--Kliment A.K. 2008年3月28日 (金) 16:07 (UTC)[返信]

改革長老教会(w:Reformed Presbyterian Church (denominational group))があらわれるのは、1638年国民契約のカベナンター(w:Covenanter)以降なので、ルカリスが大陸を訪問した時まだ改革長老教会は存在していないことになります。厳密にはカベナンターをルーツとする、リチャード・キャメロン(w:Richard Cameron (Covenanter))(1648? - 1680年)の系統が改革長老教会と呼ばれます。記事、項目を拡充しつつ調整していきたいと考えています。

また日本ハリストス正教会の用語表記等についてご教示いただきましてありがとうございます。 --Evangelical 2008年3月29日 (土) 14:01 (UTC)

御返事をありがとうございます。出来ましたらで構いません、「カルヴァン派」の語義につき、カルヴァン主義の記事に加筆して頂けますと嬉しいです。そうすれば、カルヴァンの流れを汲む諸教会につき、いずれにリンクさせれば良いかをあまり迷わずに済むようになるかもしれませんので…--Kliment A.K. 2008年3月30日 (日) 20:14 (UTC)[返信]

メッセージありがとうございます。カルヴァン主義とその関連項目について順次取り掛かりたいと思います。--Evangelical 2008年3月31日 (月) 14:17 (UTC)[返信]

宜しくお願いしますm(_ _)m--Kliment A.K. 2008年4月2日 (水) 06:48 (UTC)[返信]

こんにちは[編集]

上記に紹介されている案内はおよみいただけましたか♪ さて、極端に短い記事の投稿はお控え願えますでしょうか・・・? ある程度、内容が整ってから投稿していただければ幸いです。ではでは♪--アイザール 2008年3月18日 (火) 14:43 (UTC)[返信]

了解しました。そのように致します。--Evangelical 2008年3月18日 (火) 14:45 (UTC)

守れ国体、葬れ邪教について[編集]

はじめまして。

守れ国体、葬れ邪教の記事なのですが、歌詞がそのまま記載されています。歌詞は、Wikipediaの方針で著作権に触れる投稿してはいけないものです。参照:Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意#投稿してはいけないもの

ただし、記事の内容を見ますと1933年作詞となってますので、著作権は作成者の死後50年間権利を保護するものである為、作詞者が亡くなって50年経っていれば問題ありません。この場合、作詞者です。団体など複数の場合、その解散+作詞者全員の死亡から50年が必要になります。

死後50年経ってなかったり、作詞者の没年が不明であったりするならば削除依頼にかけ、削除せねばなりません。

削除の場合、歌詞部分だけを後から消しても初版からの記載の為、削除することは避けられません。また、該当記事の状態ですと、歌詞しかなく記事としての特筆性が薄い為、これも削除の方針に適応されます。さらに、現時点では参照元となる文献などの記載も無い為、検証可能性も満たされていない為独自研究的でもあります。

これらのことを考慮して、存続できる判断されるならば検証可能性を埋め、かつ著作権に引っかからない記述であることを、公的な出展(文章になっている、または全作成者死亡50年を確認出来る資料)での明記を願います。

削除されるのが相当だと判断された場合ですと、現時点で貴方しか該当記事の編集者がいないため、貴方自身が白紙化を行い{{sd|初版投稿者による依頼}}を貼っていただければ即時削除の対象になり、すばやく削除が遂行されます。著作権に触れていて存続を望むならば、一度削除の後再作成しかないのであしからず。

対応の方、よろしくお願いします。--ぽーるべあー 2008年7月6日 (日) 10:27 (UTC)[返信]

メッセージありがとうございます。この歌詞は美濃大正新聞1933年8月8日号に興文会(旧興文小学校PTA)の名義で発表されています。さらに、同年12月8日発行の『神社参拝問題の真相』(一粒社)に収録されています。この復刊本が1992年に出ています。著作権法で、団体名義の保護期間は「公表後50年」であるために、問題がないと考えて投稿しました

http://law.braina.com/html/05_01_002000_004000_053000.html 「前項の規定は、法人その他の団体が著作の名義を有する著作物の著作者である個人が同項の期間内にその実名又は周知の変名を著作者名として表示してその著作物を公表したときは、適用しない。」 http://park2.wakwak.com/~willway-legal/keyword12.html --Evangelical 2008年7月6日 (日) 11:10 (UTC)[返信]

著作権の保護期間「法人その他団体が著作の名義を持っている著作物の著作権は、その著作物の公表後50年(著作物の創作後50年以内に公表されなかったときは創作後50年)を経過するまでの間、存続する(著作権法53条1項)。団体名義の著作物においては、著作者の死亡を認定できないため、公表時起算を例外的に適用した。」 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S45/S45HO048.html --Evangelical 2008年7月6日 (日) 12:06 (UTC)[返信]

プロジェクトへの参加のお願い[編集]

いつもお世話になっております。お願いがありまして参りました。

Wikipedia:ウィキプロジェクト キリスト教に参加して頂けないでしょうか?ウィキポータルその他で活躍して下さっているEvangelicalさんにも是非参加して頂きたく。参加者表示のためのユーザーボックスも用意して御座います。より一層のキリスト教関連記事全体の向上の場としてのプロジェクト活性化にご協力頂ければ幸甚です。宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2008年8月7日 (木) 16:09 (UTC)[返信]

こちらこそお世話になっております。ウィキポータルは新着記事の自己申告以外、あまりチェックしておりませんでしたが、ウィキプロジェクト キリスト教に、これから参加させていただこうと思います。--Evangelical 2008年8月8日 (金) 13:30 (UTC)[返信]

ありがとうございますm(_ _)m。参加いただけるようでしたら、Wikipedia:ウィキプロジェクト キリスト教#参加者への記入をお願いします。よろしくお願いします。--Kliment A.K. 2008年8月9日 (土) 08:05 (UTC)[返信]

参加をいただき、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。--Kliment A.K. 2008年8月9日 (土) 13:13 (UTC)[返信]

お招きいただきありがとうございました。ユーザーボックスも使わせていただきました。こちらこそよろしくお願いいたします。--Evangelical 2008年8月13日 (水) 13:37 (UTC)[返信]

記事「キリスト教音楽」における修正へのお礼[編集]

いつもお世話になっております。記事「キリスト教音楽」での各種加筆と、特に「ディエス・イレ」についての加筆修正、ありがとうございました。自分では「現在の典礼では」と打ったつもりだったのですが、どうやら入力し損ねていたようです。不得手な西方教会関連の項目ですが、引続き加筆を準備しております。お気付きの点がおありでしたらどしどし修正を頂ければと思います。宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2008年11月8日 (土) 11:43 (UTC)[返信]

こちらこそお世話になっております。記事作成、加筆訂正お疲れ様です。今後ともよろしくお願いいたします。--Evangelical 2008年11月9日 (日) 14:41 (UTC)[返信]

記事「聖マリアの無原罪教育宣教修道会」修正のお礼[編集]

私が起こした「聖マリアの無原罪教育宣教修道会」のスタブを直していただき、ありがとうございました。--124.96.174.111 2008年12月19日 (金) 11:41 (UTC)[返信]

どういたしまして。記事作成ありがとうございます。--Evangelical 2008年12月19日 (金) 12:52 (UTC)[返信]

カテゴリ説明文の修正、ありがとうございます。今年も宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2009年1月1日 (木) 11:20 (UTC)[返信]

いいえ。こちらこそいつもお世話になっております。カテゴリーの作業は膨大なものとなると思いますが、お疲れ様です。今年も宜しくお願いします。--Evangelical 2009年1月1日 (木) 14:30 (UTC)[返信]

改名提案につき報告[編集]

いつもお世話になっております。Category‐ノート:キリスト教の儀式に、改名提案をしました。御一読頂ければ幸甚です。--Kliment A.K. 2009年2月16日 (月) 06:45 (UTC)[返信]

こちらこそお世話になっております。改名提案とメッセージありがとうございます。改名には賛成ですので、ノートの方に書かせていただきます。--Evangelical 2009年2月21日 (土) 09:16 (UTC)[返信]

改悛」について提案をいたしました[編集]

ご作成のリダイレクト記事「改悛」について、私見と提案を該当ページのノートに記させて頂きましたのでお知らせいたします。該ノートにご意見を伺えれば幸いに存じます。--85.218.34.175 2009年3月14日 (土) 04:55 (UTC)[返信]

メッセージありがとうございます。ノートの方にコメントさせていただきますが、改悛、回心ともに、キリスト教関係でなくても使用されることがある語ですが、キリスト教用語として重要な語ですし、どちらかといえば改悛はカトリックのゆるしの秘跡のように、ローマ・カトリック教会の用語として使われることが多いかと思います。--Evangelical 2009年3月14日 (土) 12:48 (UTC)[返信]
返答ありがとうございす。いずれにせよ語義のそれぞれを区別することが必要に思います。以後、煩を避けるため議論の場を該当記事のノートに限定したいと思いますので、そちらをご覧くだされば幸いです。--85.218.34.175 2009年3月14日 (土) 17:15 (UTC)[返信]


教派別のキリスト教用語一覧について[編集]

教派別のキリスト教用語一覧での早速の修正加筆、ありがとうございました。今後とも加筆修正を是非ともお願いしたく存じます。どうしても小生は西方教会の術語に暗いので…--Kliment A.K. 2009年5月4日 (月) 06:33 (UTC)[返信]

いえ。いつもお世話になっております。全教派に関わりがある項目の作成お疲れ様です。今後ともよろしくお願い致します。--Evangelical 2009年5月4日 (月) 06:37 (UTC)[返信]

Translation request, please[編集]

こんにちは,

A-engでございます.

Could you kindly help me translate this English article into the Japanese language? Please.

The Japanese name of the article would be: 日本真イエス教会歴史

(In return, I can help you translate your favorite articles into the Chinese language).


Your help would be very appreciated very much, Thankyou. --A-eng 2009年5月27日 (水) 01:40 (UTC)[返信]

A-engさん、メッセージありがとうございます。ペンテコステ派の教会でしょうか。この教会については存じませんが、できるか見てみます。中国語がおできになると言うことなので、今思いつきませんが、その方面で期待します。--Evangelical 2009年5月30日 (土) 03:36 (UTC)[返信]

昨今の新規作成記事の傾向に対応するためのPJでの合意形成への協力のお願い[編集]

いつもお世話になっております。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト キリスト教#Portal:キリスト教/新着での新規作成カテゴリ報告についてにEvangelicalさんがご提案になっていた内容につき、真剣かつ早急に考えなければならない段階に来ていると思います。スタブ記事が大量に作られる傾向が昨今存在し、記事のチェックが間に合いません。リスト化の必要性もあるでしょう。

また、最近作られた記事には特筆性が疑われるものが少なくありません。作成者もかつて特筆性の問題につき同様の指摘を他編集者から受けていた人物のようです。西方教会の視点からEvangelicalさんにも最近の新着記事の特筆性を検証して頂きたく存じます。出典明記テンプレや特筆性テンプレを付与しましたのは以下の記事となります。

こちらこそお世話になっております。ウィキプロジェクトキリスト教の方にもコメントさせていただきます。リスト化に賛成です。ここに挙げていただいた新着記事について確認いたします。--Evangelical 2009年6月13日 (土) 12:42 (UTC)[返信]

「プロテスタントにおけるマリヤ観」での表記につき[編集]

いつもお世話になっております。記事プロテスタントにおけるマリヤ観にて、表記が全て「マリヤ」から「マリア」に変更された模様です。修正もしくは議論の必要がないかどうか、御確認を頂けますでしょうか。--Kliment A.K. 2009年7月14日 (火) 17:10 (UTC)[返信]

メッセージありがとうございます。確認します。日本のプロテスタントの表記は文語訳聖書口語訳聖書新改訳聖書と伝統的にマリヤでした。新共同訳聖書マリア表記ですが、これはカトリック教会に合わせたもので「新共同訳聖書は邦訳聖書の伝統に反して、文語訳、口語訳から引き継がれてきた地名等を簡単に変えてしまっているとの批判がある(例、口語訳「エペソ」新共同訳「エフェソス」)」ものです。--Evangelical 2009年7月21日 (火) 11:14 (UTC)[返信]
返信ありがとうございます。御確認をよろしくお願いします。議論参加の必要がありましたらいつでも当方会話ページにてお呼び下さい。--Kliment A.K. 2009年7月21日 (火) 13:03 (UTC)[返信]

Wikipedia:削除依頼/植村正久[編集]

はじめまして。まさふゆと申します。Wikipedia:削除依頼/植村正久について、青木高校生さんが提案されている方法で中抜き特定版削除すると変更履歴が破損してしまうため、問題発生版から最新版まで一旦削除が必要になると思われます。そこでなのですが、Evangelicalさんにはご自身の執筆部分を保存していただき、特定版削除後に再投稿していただけませんでしょうか?他の利用者の編集も入っているので削除依頼に提出された時点の版をそのまま投稿すると、履歴不継承によるGFDL違反が発生してしまいますが、自分の執筆部分を再投稿することは問題ありませんのでよろしくお願いします。--まさふゆ 2009年10月29日 (木) 11:59 (UTC)[返信]

はじめまして。メッセージありがとうございます。私が投稿した分は保存してありますので、再投稿は可能ですが、上記で議論されているように、全削除だと私以外の書いた部分が削除されてしまうので、残す方法があればと思います。--Evangelical 2009年11月1日 (日) 13:23 (UTC)[返信]

マンハッタン宣言の序文引用部分[編集]

こんにちは。目下ご編集中のマンハッタン宣言に加筆を考えているのですが、序文を翻訳されている部分について質問がありますので記します。

  • 著作権に関わる問題はないのか
  • 序文は宣言の主要な論点には触れていないように見受けられるが、敢えて転載する必要があるのか(この宣言の主眼は人工妊娠中絶・同性婚など現在進行中の具体的な論点について立場を明確にするとものと判断しておりますが、この点ではより適切な引用箇所があると考えます。)
  • 権利関係に問題がない場合は、序文全体を転載するのであれば Wikisource への投稿が適切ではないか

上記の疑問から、今のところ自分が加筆する際には転載部分はとりあえずコメントアウトさせていただこうかと考えております。お時間あればお答えいただけると幸甚です。--Gd1031 2009年11月24日 (火) 15:24 (UTC)[返信]

とりあえず加筆時にコメントアウトさせていただきました。ノートへ上記の点を記しておりますので、以後の議論・検討はノートでお願いできればと思います。--Gd1031 2009年11月24日 (火) 18:02 (UTC)[返信]
こんばんは。メッセージ、加筆ありがとうございます。コメントアウトの件了解しました。ノートに返答いたします。--Evangelical 2009年11月25日 (水) 12:41 (UTC)[返信]

Prewrathについて[編集]

いつも、キリスト教、福音派での御貢献を、拝見しております。同じ分野の書き手がご活躍されているのは、たいへん心強いです。今後とも、福音派のキリスト教の記事の充実のために、御活躍をお祈りします。 この度は、スコットランド、スウェーデン国教会についてのご教示感謝します。今後とも、よろしくお願います。これからも、良き記事の執筆のために、遠慮なくご指摘下さい。また、私のつたない投稿に修正を加えてくださり心より感謝します。その感謝も込めて、いつか、ごあいさつをしようと思っていました。

ところで、終末論でキリスト教終末論の相違点の翻訳中にPrewrathの訳語が見つからなくて困っています。何とか単語の意味はわかるのですが、ふさわしい日本語を訳語をご存知でしたら教えて下さい。--More blessing 2009年12月1日 (火) 05:28 (UTC)[返信]

御名をあがめます。メッセージありがとうございます。w:Church of Scotlandスコットランド教会でもいいと思います。en:Prewrathについて、調べてみましたが、ヘンリー・シーセン、アリスター・マクグラス教文館の『キリスト教大事典』あたりにも、この単語は載っていないようで、定訳が無いかもしれません。とりあえず意味で、神の御怒り前携挙神の御怒りの日前の携挙などと、翻訳したらどうでしょうか。この説のおもな主張者の翻訳書がもしあれば、訳があるかも知れませんが、w:Robert Van Kampenの本は、日本語には訳されていないようですね。--Evangelical 2009年12月2日 (水) 12:54 (UTC)[返信]
ありがとうございます。参考にさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。--More blessing 2009年12月24日 (木) 00:04 (UTC)[返信]

御意見をお願いします[編集]

この件につき、御意見を頂戴したく、お願い申し上げます。--Kinno Angel 2009年12月30日 (水) 19:20 (UTC)[返信]

メッセージありがとうございます。議論にあらためて目を通してからコメントします。--Evangelical 2010年1月1日 (金) 10:58 (UTC)[返信]
問題が拡大・拡散してしまいましたが、どこから手をつけてよいのか。地道にやります。--Evangelical 2010年2月5日 (金) 21:48 (UTC)[返信]

ブロック依頼でのご発言について[編集]

お疲れ様です。Kubouです。こちらのブロック依頼での私とKeysrapidさんの賛成票に対する「ありがとうございます」とのコメントですが、どのような意図でご発言なされたのでしょうか?仮に賛成票を入れた(=依頼者に同調した)ためのお礼であれば、自身の意見に賛同しているメンバーを増やして多数派となることを目的としているように見えてしまうことも考えられます(Evangelicalさんにその意図がなくても)し、ブロック依頼での投票は各個人に委ねられた権利であり、依頼者の方からお礼を言われるようなものではありません。少なくともあのコメントを見て私はそのような考えが少し頭をよぎりました。そもそもブロック依頼は審議の場であるため、審議内容についての補足(今回であれば同様の編集が繰り返されていることを追記)といったコメントは問題ありませんが、このようなお礼は不要と考えます。依頼の正当性に問題が出るようなことはないと思いますが、「議論相手を封殺するためのブロック依頼」と同種に見えてしまう可能性もありますので、多少留意いただければと思います。--Kubou 2010年1月23日 (土) 05:51 (UTC)[返信]

メッセージありがとうございます。ご指摘留意いたします。意図ですが、「具体的な理由の明示がありません。」とG-loveさんの指摘しておられたので、私にとっては最初のブロック依頼であり(いいわけにはしませんがまだ不慣れです)、具体理由が不十分であったのか考えていた所、Keysrapidさん、Kubouさんがリンクをつけ具体的な理由を挙げておられましたので、それにより審議がスムーズになるかと思い、その事に対するお礼です。「多数派工作」の意図はありません。--Evangelical 2010年1月23日 (土) 06:04 (UTC)[返信]
意図について納得しました。突然かつ不躾なコメントに対してご回答いただきありがとうございました。--Kubou 2010年1月23日 (土) 07:55 (UTC)[返信]

アタナシウス信条[編集]

こんにちはパウロ2003です。アタナシウス信条の立項ご苦労様です。あなたの記事は、90%以上が引用で占められています。引用の要件である主従関係が崩れています。あなたの言葉が『主』であり、引用が『従』でなければもはや引用とは言いません。著作権侵害が濃厚です。Wikipedia:引用のガイドライン/草案#引用の要件Wikipedia:著作権侵害への対処をお読みの上、立項早々ではありますが対処のほどお願いいたします。また、あなたが今までに立項された記事を精査させていただきますのでご容赦ください。(尚、編集対応では履歴に残るため問題があること附記しておきます)--パウロ2003 2010年2月4日 (木) 23:30 (UTC)[返信]

横からすみません。改革派の翻訳以外は、年号から、パブリックドメインである事は明らかだと思うのですが…--Kinno Angel 2010年2月5日 (金) 00:47 (UTC)[返信]
英語版から履歴継承をし、初版はKinno Angelさんが言われるとおり、パブリックドメインのみで構成してあります。日本聖公会の翻訳は1896年のもので『日本聖公会祈祷書』(2版 日本聖公会出版会社)国立国会図書館が公開しております。日本キリスト改革派1946年の創立宣言で「教会は古えより使徒信条、ニカヤ信条、アタナシウス信条、カルケドン信条なる四つの信条を教会の基本的、普遍的信条として共有し来れり。」と宣言していて、1946年に団体名義で発表されていれば著作権法をクリアしていますが、翻訳はこの教会の創立者岡田稔牧師の個人訳の可能性があるので初版には載せませんでした。改革派の訳は載せられるか確認します。聖公会訳に問題があるとすれば、著作権より神学的なものであって、これが古い訳であるので、the Catholicを聖公会と訳しており、「救われんと願う者は聖公会の信仰箇条を奉ずること最も肝要なり 」「これ聖公会の信仰箇条なり。まことに之を確信する者に非ざれば救わるることを得ず 」が、公同の教会、普遍の教会としてのthe Catholicではなく、教派としての聖公会と誤解されないとも限らないということです。そのため改革派の訳も2版から一部載せました。
他に問題があるとすれば「ケース G: ほとんどが日本語以外の言語で書かれている場合」WP:DEL#Gですが、初版には問題がないため、加筆で対応できると考えます。また、キリスト教史において、これほど重要な信条の項目が日本語版に無かったことが問題であるとすれば問題です。気になっていたのですが祈祷書の議論を見ていて聖公会訳のアタナシウス信条があったので項目を作成しました。信条は昔の偉大な神学者たちがつきつめて作成したもので、ギリシャ語の1字を間違うだけで異端になるものであり、翻訳を慎重にする必要があります。Wikipediaをよりよくするために記事の精査を歓迎します。--Evangelical 2010年2月5日 (金) 21:48 (UTC)[返信]

Evangelicalさんの会話ページに引用の件を書いたことすっかり忘れておりました。申し訳ありません。ご回答いただき感謝いたします。さて、引用に関しての、最初の発言は撤回させていただきます。ただ、この記事にはかなりの違和感を感じます。それは「アタナシウス信条」が短い冒頭文とアタナシウス信条の原文及び翻訳だけで構成されているからです。ただのデーターとしか読み取れません。「アタナシウス信条」が歴史的、宗教的にどのような影響を与えたのかまた、その信条が発行された背景など全くありません。さらに、Evangelicalさん自身の言葉によって構成されていないことに違和感を覚えます。翻訳なんだからいいのだといってしまえばそれまでですが・・。また方針ではありませんが「Wikipedia:引用のガイドライン#はじめに」や「Wikipedia:原典のコピーはしないなどを読むと、このままで良いのだろうかと思うのですがいかがでしょうか。原文と翻訳だけで構成される記事が必要なのか、どのように重要な信条であったとしても百科事典として相応しいものなのかが疑問です。さらには、このような引用による翻訳を主体としたEvangelicalさんの執筆姿勢に疑問を持ちます。たいへん失礼とは存じましたが、コメントさせていただきました。--パウロ2003 2010年3月24日 (水) 10:29 (UTC)[返信]

カルケドン信条も重要な信条ですが、同様の状態です。これはWikipedia:スタブと呼ばれる状態で、私が作成したものについてはスタブタグを貼り付けてありますので、加筆の協力者を求めます。--Evangelical 2010年3月24日 (水) 14:31 (UTC)[返信]
横から失礼します。確かに幾つかの記事の現状は最良とは言えないかもしれませんが、数少ない執筆者達が少しずつ執筆をしている現状、執筆者達はEvangelicalさんも含めて、誰も求めている訳でもなく評価もされない、大変な労力を執筆に割いています。超教派の百科事典を作成するというのは大変な事で、例えば私の執筆姿勢・信条内容は、Evangelicalさんはじめ多くの人と異なるものですが、皆、何とかその中で折り合いを付けつつ中立性を維持しようと奮闘している訳です。
アタナシウス信条やカルケドン信条など、その歴史経緯・宗教的影響など、簡単に中立的に書けるものならば謂われなくとも誰かがやっているでしょう。こうした重要な記事につき、最低限のところから取り敢えず出発していこうというEvangelicalさんの慎重な姿勢は、評価されこそすれ、批判されるような筋合いのものでは全くありません。
むしろ記事の成長に何ら寄与せず、叱責あるいは批判のみを繰り返される方の姿勢に疑問を覚えます。--Kinno Angel 2010年3月24日 (水) 14:46 (UTC)[返信]
何度申し上げて申し訳ありませんが、記事がキリスト教界にどんなに重要であってもWikipediaはデーター集ではありません。記事作成に当たっては、立稿者として最低限百科事典としてふさわしい体裁を整えていただきたいと存じます。Kinno Angelさんにおかれまして御指摘がありましたので、中立的な立場(百科事典での中立的な記載は、反対意見もであっても、正当性があれば出典を記載し記述することだと思います)を意識し、最低限百科事典にふさわしいと思われるような体裁を整えさせていただきました。また記事中に問題と思われる箇所がありましたので「ノート:アタナシオス信条」に書かせていただきましたので、ご意見加筆等お願いいたします。よろしくお願い申し上げます。--パウロ2003 2010年4月26日 (月) 00:29 (UTC)[返信]
努力いたしておりますが、スタブ記事を全く作らないよりも、発展を期待した方がよいものもあると考えております。重要な項目でまだ作成されていないものがいくらでもあります。英語版が最善だとも思いませんが、歴史と神学(あちらで発展したのだから当然ですが)についてかなり充実しているのは英語版であるといえるでしょう。日本のキリスト教関係の記事も最低限それなみのレベルには近づけたいと願っています。出典を付けずに書いてもいいならどれだけでも書ける記述もあるのですが、出典を思い出せず付けれないものや、自分の教界の見聞を書くのは避けています。--Evangelical 2010年4月26日 (月) 14:11 (UTC)[返信]
「スタブ記事を全く作らないよりも、発展を期待した方がよいものもあると考えております」と言われておりますが、初稿の段階では全く百科事典ではなく、ただのデーターにしか過ぎません。原典の丸写しも問題だと思います。原典の丸写しや翻訳の丸写しをされたいのでしたら、ウィキペディアではなくウィキソースなどで行ってくださるようお願いいたします。スタブ記事乱造するのはあまり良いとはいえません。誰かが何とかしてくれるだろうでは・・・・。もしも誰も関心を示さなければいつまでもスタブ記事のままです。どうか再考してくださるようお願いいたします。この件はKinno Angelさんからもご指摘いただいているとは存じますがウィキペディアは何であるのか良く考えて記事の作成をお願いいたします。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは単なる知識ベースではありませんWikipedia:原典のコピーはしないなども読んでいただきたいと思います。
再度申し上げますが、百科事典としての内容のない記事、原典と翻訳の丸写しはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』としてふさわしくありません。[ウィキソース]や[ウィキクォート]をご使用くだされば幸いです。また、記事を作成する場合は初心に戻ってWikipedia:記事投稿まえのチェックシートをご活用くだされば尚一層良い記事が書けるのではないでしょうか。今後共にEvangelicalさんの精力的なご活動を期待しております。--パウロ2003 2010年4月28日 (水) 09:59 (UTC)[返信]
ご意見は拝見しました。--Evangelical 2010年4月28日 (水) 11:26 (UTC)[返信]

名前の読み[編集]

初めまして。さて、好地由太郎関連の画像をアップロードされたようですが、どうも名前の読みが間違っているようです。国立国会図書館のページによると、好地由太郎は「こうち よしたろう」と読むようなので、画像ファイル名の「Yoshiti Yutaro」を「Kouchi Yoshitaro」に直した方がいいのではないでしょうか?--松茸 2010年3月20日 (土) 08:31 (UTC)[返信]

メッセージありがとうございます。訂正拝見しました。間違っているようですね。コモンズはページの移動ができないので、再アップするしかありません。--Evangelical 2010年3月20日 (土) 08:39 (UTC)[返信]

お願い[編集]

いつもお疲れ様です。この所、色々な記事で議論気味の状態が発生してしまっておりますが、それはあくまで内容についてのものであって、Evangelicalさんへ含むところは御座いません、何卒御容赦を賜りたく…。

本題ですが、この所、IPユーザーによる独自研究が目立つ記述が至るところでみられるようになりました。私が特に気になって大量に修正をかけましたのは、カトリックキリスト教徒フルドリッヒ・ツヴィングリですが、他にも複数あるかもしれません。西方教会にとんと暗い私では、対応に限界もあります。各種記事の変更経緯に御注意の上、どうかお力添えを頂きたく、お願い申し上げます。--Kinno Angel 2010年3月29日 (月) 14:49 (UTC)[返信]

さらに見つかりました。モリナ主義もそうです。PJにも注意喚起を行います。--Kinno Angel 2010年3月29日 (月) 14:52 (UTC)[返信]

修正お疲れ様です。そのIPユーザーさんは、ローマ・カトリックの立場プラス自分の考えを述べた執筆内容のように見受けられます。チェックしていきたいと思います。--Evangelical 2010年3月29日 (月) 15:14 (UTC)[返信]
どうやら変則的かつ独自研究的な「自己流ローマカトリック理解」と自己流意見との、混合されたもののようですね。御返事ありがとうございます、宜しくお願いします。--Kinno Angel 2010年3月29日 (月) 15:23 (UTC)[返信]

ご挨拶とお願い[編集]

いつもキリスト教関連の精力的な執筆、お疲れ様です。パスハのお慶びを申し上げます。ハリストス復活
いきなり本題に入らせて頂きます事、お許し下さい。ここのところ、様々な記事で、「中立的観点」などのタグをEvangelicalさんが作成された記事に貼り付けております事、心苦しく思っております。と申しますのは、私も記事自体には必要性を感じるものばかりであり、私が作成に躊躇しておりますものについて精力的に執筆して下さっている事には、大変感謝しておりますためです。
それでも、Evangelicalさんの記事につき、最近のものではノンクリスチャンアディアフォラに代表されますが(後者には後ほどタグを付けさせて頂きます…)、やはり所謂福音派のものに出典が偏り、内容も所謂福音派に偏っているのではないかと、残念ながらそう思わざるを得ません(「福音派」が何を指すのかは曖昧さを含みますが、ここでは「所謂」で大体イメージ出来るものと思って頂いて構わないかと存じます、ここから先、「所謂」を省きます)。
福音派のみに係る記事でしたら、それでも勿論構いません。私も正教のみに係る記事については、むしろ正教の出典をメインに据えています。
ですが「ノンクリスチャン」「アディアフォラ」といった、福音派に限定されない記事につき、マーティン・ロイドジョンズ尾山令仁といった人々による出典のみで記事を構成なさるのは、如何なものでしょうか。ノンクリスチャンについては、福音派によるターム説明記事としてならば、冒頭文に断り書きを付けて頂ければ殆ど現状を変えずに済むと思います、その旨の提案をしておりますのでノートにお返事を頂けますと幸甚です。
例えば、記事「聖霊」を、聖大ワシリイの名高い著作「聖神論(聖霊論)」のみを出典として書いたらどうでしょう。大半の教派で聖人として崇敬されているか、崇敬しないケースでも大変に重要な神学者と目されている人物を出典としても、それは百科事典として適当とは言えないのではないでしょうか。
限定された人数、一部教派の人物のみの著作を以て、超教派の事典を構成するのは不可能です。エキュメニズムに肯定的であるにせよ否定的であるにせよ、取り敢えず宗旨・教派を問わない人間が執筆し閲覧している以上、これは動かせません。
とは言え、当方、比較神学には絶望的に暗く、特に西方教会については素人も同然です。その点、Evangelicalさんには、福音派の見解について執筆を進めて頂ければと思っておりますし、頼りにさせて頂いてもおります。
しかしながら、正教会、カトリック教会における見解が書かれていないなど、中立的観点について疑問符が付く記事につきましては、やはりタグを貼るという手順は外せません…。
どうかその辺りを御賢察頂き、特に超教派に係る神学関連の記事において、特に中立的観点の維持に配慮を頂きます様、お願い申し上げる次第です。旧約聖書などについては逆の問題がありますので、そちらでも当方、出来る限りの協力は(全く非力では御座いますが)させて頂こうと考えております。--Kinno Angel 2010年4月9日 (金) 14:53 (UTC)[返信]
復活の主、イエス・キリストの御名をたたえます。アディアフォラの議論はルーテル派のものですが、これが他のプロテスタントや日本の福音派でも採用されたということであり、何がアディアフォラであるかについては、教派によって立場の違いがあるかと存じます。正教とローマ教会のアディアフォラについてはまったく資料がありません。ルーテル派と日本の福音派以外のアディアフォラの範囲について、どなたか加筆していただきたいと思います。いくつかノートの議論にまだお答えしておりませんが、議論を放棄しているのではなく、微妙な問題を含むため、確かな資料で確認してから回答したいと考えているため遅くなっています。緊急性のある議論について召還いただければ参ります。--Evangelical 2010年4月9日 (金) 15:14 (UTC)[返信]
聖霊について聖大ワシリイの著書が重要であり、三位一体についてはアウグスティヌスの著書が重要であるので、その著書の比重が多いことは中立性を損なわないはずです。アウグスティヌスの『神の国』の記事については問題を感じており、アウグスティヌスの『神の国』を重要な著書として多く採用するのは問題がないと考えますが、現状ではアウグスティヌスの神の国についてしか記述されていないのは問題です。
「特に超教派に係る神学関連の記事において、特に中立的観点の維持に配慮を頂きます様、お願い申し上げる次第です。」このご指摘については留意させていただきます。--Evangelical 2010年4月9日 (金) 15:29 (UTC)[返信]

超教派に係る神学系記事における出典、および文体につき[編集]

すみません、お願いがありましてまた参上しました。

  • 超教派に係る神学系記事において(福音派のみの概念の記事においてはこの限りではありません)、マクグラス師や尾山師といった福音派系学者を出典の中心とした記事構成は、どうかどうかお止め頂けないでしょうか。正教会、ローマカトリック教会で全く権威と看做されていない人物のみを出典とし、聖書を根拠とする記述は、NPOVに違反するでしょう。せめて「マクグラスによれば」「尾山によれば」「福音派においては」といった表現を加えて頂けないでしょうか。率直に申しまして、超教派NPOVへの修正に大変に手間が掛かっております。
  • 文体についてなのですが、教会内で使われる断言的な言い方は控えて頂けませんでしょうか。
    • 例えば私が記事「正教会」において、「正教会は初代教会からの伝統を引き継ぐ唯一の聖・公・使徒教会である(正教会の神学者による出典付き)」などと書いたら、それは百科事典として適切でしょうか。「聖書にかく書いてある」だけでは超教派の事典では出典足りえないのは、聖書釈義の現代における多様性を私より遥かに御存知でいらっしゃるであろうEvangelicalさんでしたら自明の事でしょう。
    • 教派だけでない問題も御座います。「イエス・キリストはこの世に救いをもたらした(出典付き)」とやっても、確かにこの事は全ての教派が認めるでしょうけれど、全宗教・無神論者まで認める訳ではありません。例えばこの文言は「キリスト教に於いては、イエス・キリストはこの世に救いをもたらしたと信じられている」と書き換えられますし、客観的事実の記述です。
  • 率直な物言いをお許し下さい。我々は様々な立場の人間が参画する場を「財団から借りて」、無料で「書かせてもらっている」のです。その事をどうかご記憶頂きたいと思います。--Kinno Angel 2010年4月19日 (月) 02:57 (UTC)[返信]

具体的事例とともに、客観的記述のお願いをしに参りました。どうか御賢察を賜りたく。

具体例
キリスト教においては、ナザレのイエスは死後復活したと信じられている。…(客観的記述
聖書の箇所を挙げつつ)イエス・キリストは復活された。…(キリスト教POV)--Kinno Angel 2010年4月22日 (木) 10:11 (UTC)[返信]

私が記事を書くようになって他のおもな執筆者によって書かれた記事を確認した所、LR氏は日本基督教団改革長老教会協議会の見解と思われるものを、注釈も出典もなしに、書く傾向がありました。また出典の付与に否定的な主張をしているように見受けられます。過去ログ[1]Aphaia氏は、ローマ・カトリック教会の見解を何の断りも出典もなしに書いています[2][3]

キリスト教の正典である聖書の各文書やキリスト教、神学関係の項目には、フリードリヒ・シュライアマハーからの自由主義神学、また文書仮説を唱えたユリウス・ヴェルハウゼン高等批評的な田川建三らの聖書学の系統の見解や、他にヨシュアが「カナンを侵略しカナーン人の大量虐殺を行った」とする類の記述がメインになっているものが多く、他の保守的であるとされる教派の立場や神学がまったく書かれていないものもあります。

アリスター・マクグラスの翻訳者はローマ・カトリックの学者高柳神父ですし、マクグラスに対する正教の見解は存じませんが、福音派以外では認められていないというわけではないはずです。尾山師は日本プロテスタント聖書信仰同盟の聖書観を明らかにするための著書を執筆するなど、広く福音派の指導者と認められる人物なので、これらの学者の見解を出典付きであげるのは、以前、出典なしに、ある一定の立場からのみ書かれた記事を両論併記にしていくためにも、必要なことだと考えておりました。

「「聖書にかく書いてある」だけでは超教派の事典では出典足りえないのは」同意しますが、聖書の記述が全く根拠のないかのようにみなす立場、たとえばイザヤ書の三人イザヤ説であるとか、ヨハネの黙示録の過去説・寓話的解釈のみが理解として認められるかのような記述よりは、キリスト教の正典である聖書の内容そのものが優先的に記述されるべきだと考えます。聖書の内容の紹介なしに、解釈についてのある説のみをとりあげるのは、明らかに中立性もバランスも欠いています。

ある聖書箇所が、ある教理や神学の根拠聖句としてあげられているということで、聖書をリンクする場合は、別の書籍を出典としてあげるようにしています。また語彙が聖書にある場合に、聖書に馴染みのない読者のことも考え、聖書の語句の出典箇所を何章何節と入れています。

また、ある教派の項目や、ある教派にとってより重要な項目について、それぞれの教派の理解が優先して書かれるのは中立性を損なうものではありません。WP:NPOV「争いのある主題についての長い記事」Q.「例えば進化論について書く時には、進化説と創造説(人間も他の動物も神が創造したとする説)の論争を全てのページで展開しなければならないわけではないですよね?」A.「もちろんそんな必要はありません。どんな主題について書くのであれ、誰かが反論の余地があると考えるような前提が必ず入ってしまうものです。これは進化生物学に限らず、哲学、歴史、物理学などについてもあてはまることです。」

LR氏らの記述についても、その立場について詳しい執筆者によるものとして出典付きで書かれ、他の立場についても両論併記になるならば、問題ないはずです。たとえば竹島については韓国人が、千島列島北方領土についてはロシア人が書くのはいいが日本人は書いてはならず、アルメニア大虐殺についてはトルコ人が書いてもいいが、アルメニア人が書いてはならないとすると、かえって中立性に問題が生ずることは高い可能性をもって予測できます。

いくつかの議論は順番に回答したいと思います。訂正にお手数をおかけしました。文体や中立性の確保についてはさらに留意します。--Evangelical 2010年4月22日 (木) 14:35 (UTC)[返信]

一般論として私が申したい事は上のキリストの復活の事例で大体9割がた言い尽くせてしまっております。聖書を出典としたからと言って「キリストは復活された」とは百科事典には書けません。客観的記述による両論併記が百科事典に不可欠なのだと言う事につき、さらに以下、具体例を申し上げます。
□□書○:○○、□□書○:○○、および□□書○:○○にキリストは復活したと書かれている。」となら書けます(客観的記述)。これに対し、「キリストは復活した(□□書○:○○)」とは書けないのです(非客観的記述)。
「不信者は地獄に定められる(□□書○:○○)」等とは書けない事も同様なのです(非客観的記述)。「□□書○:○○を根拠として不信者は地獄に定められるとする見解があるが、ここでいう不信者とは何を指すかについてはAによれば■■という見解があり、Bによれば■■という見解がある。」とは書けますが(客観的記述)。
なお、「他の保守的であるとされる教派の立場や神学がまったく書かれていない」聖書関連の記事についての御懸念は、全く私も等しくする所です。Wikipedia:ウィキプロジェクト キリスト教/中立的観点を作成しましたのも、本格的にこれらの補正に着手する腹積もりが出来た事によります(どこまで出来るかは自信がありませんが)。活動的な現執筆者がEvangelicalさんでいらっしゃるため新しい記事におけるこちらからの指摘がEvangelicalさんに集中してしまっている観があり、これについては心苦しく思っておりますが、今後、別の面からの記事改善にも出来る限り取り組んでいくつもりです。どうかご協力をお願い申し上げます。--Kinno Angel 2010年4月22日 (木) 15:34 (UTC)[返信]
これまでのご協力に感謝するとともに、両論併記の為に協力を惜しみません。例とあげられている点について理解しているつもりですが、ナザレのイエスで定義されている「イエス」が復活したとされているというのは無理があると思います。リンク先が反キリスト教POVです。バーナード・ジャン・ベッテルハイムの記事については、これほどでないにしてもやはり反キリスト教POVと見えます。--Evangelical 2010年4月23日 (金) 13:19 (UTC)[返信]
念のため補足しておきますが、自由主義神学や反キリスト教的な見解が書かれるべきではないと言っているのではなく、むしろ大いに記述されるべきとさえ思います。ただ、キリスト教の信仰的な理解とは項目で分割されるか、あるいは同じ項目の両論併記となるべきです。--Evangelical 2010年4月24日 (土) 12:58 (UTC)[返信]
ナザレのイエスで定義されている「イエス」が復活したとされているというのは無理があると思います。
そうかもしれません。上記例の「ナザレのイエス」を「イエス・キリスト」と替えて頂ければ話は通ります。
バーナード・ジャン・ベッテルハイムの記事については、これほどでないにしてもやはり反キリスト教POVと見えます。
すみませんが、私にはそうは思えません。現在問題にされている「民衆の態度」といった論点は、「異なる評価・見解における中立的観点の欠如」というよりは、「事実か否か」および「出典」の問題だと思います。「中立的観点」の問題を持ち出すよりは、まずは「出典付与」で加筆していくだけで、Evangelicalさんの目的は達成されるでしょうし、その方が解決策として対立も生みにくく、スマートでしょう。
念のため補足(引用後略)
私がお願いしておりますのは、「初版は福音派系の記事にして、後はバランスある加筆を他の人にお願いする」のではなく、「文体・節構成等に於いて、最初から一定程度の配慮をしておいて頂きたい」ということなのです。Evangelicalさんが複数論併記を否定していらっしゃらないのは誠に喜ばしいのですが(これがEvangelicalさんの作成記事に多く観点タグを貼りつつもコメント依頼などはしない最大の所以です)、…いくらスタブテンプレが貼られていたとしても、「初版が福音派系の概説になっている」記事を量産されますと、(私も含めた)他の人の負担が比例して増大します。私について言えば所謂自由主義神学にも所謂福音派にも全く得手ではないのであり、私が中立的観点の達成のために記事を改善するためには、文献を漁ってちょっとしたレポート作成の手間と同様のリソースを費やさなくてはなりません。私には大変有益な勉強ではありますが、リソースに限りがある以上、「勘弁して下さい、追いつかない…!」というのが正直な思いです。
まして私などよりもEvangelicalさんの方が、西方教会における見解の多様性については圧倒的にお詳しい筈ですし、文献量もEvangelicalさんの方が豊富な筈です(私が参考文献にしておりますものは殆どが図書館から借りているものです)。所謂福音派・リベラルにつき等量の記事本文の構成など、Evangelicalさんには造作もないのではありませんか。願わくは丸投げなさるのではなく、ご自身の知見を記事初版作成時から発揮して頂きたいのです。--Kinno Angel 2010年4月24日 (土) 13:59 (UTC)[返信]
お手数をかけました。ただこちらも自由主義神学系の立場の高価な書籍、事典やフェミニスト神学のような特殊な理解の立場の資料を多く所持しているわけでもなく、私もこれがあるところにまで行かなければなりません。ローマ・カトリックの文献はいくらかありますが、正教については用語を理解するところから始めなければなりません。マクグラスは聖公会あるいは福音派の立場が反映されているところもありますが、学者としては定評のある人物です。そもそも神学は正統か異端か、西方か東方か、ローマ・カトリックかプロテスタントか、プロテスタントの中ではリベラルか福音派かで相違があり、いずれかの立場からのもの以外にありません。特定の教派のみの項目の作成の方が楽なので、複数の教派に関わりがある超教派的な記事はそれほど作っておらず、むしろ避けていたかも知れません。福音派の項目だけでなく、ローマ・カトリックの項目も作成しています。全教派に関わりがある福音宣教の項目もカテゴリーだけ作って項目を作成しませんでした。その時から構想を持っていたのですが、作成したところ議論が提起されましたし、あらためて難しさを認識した次第です。多言語リンク多さや使用頻度からいえば、超教派記事の優先度は低くないはずですが、優先度の高い記事ほど難しいという性質があります。ベッテルハイムのような人物になると、異なる教派だけではなく、キリスト教以外の宗教をお持ちの方や、無宗教と自認される人々にもよく知られているために、他の視点も存在することになります。ご指摘留意します。--Evangelical 2010年4月24日 (土) 14:27 (UTC)[返信]

英語版にもかなりの偏りがあり、英語版を理想としてキリスト教系の記事を書くのはPOVの元になります[編集]

上記での以下のコメントに、横からで恐縮ですが申し上げます。
>歴史と神学(あちらで発展したのだから当然ですが)についてかなり充実しているのは英語版であるといえるでしょう。日本のキリスト教関係の記事も最低限それなみのレベルには近づけたいと願っています。(2010年4月26日 (月) 14:11 (UTC)の御発言)
この認識がかなり間違っておいでです。おそらく私も含めた他の人と話が噛み合わないのは、この認識の誤りに由来するのではないかと思い、長いですが書かせて頂きます。おそらく私が「NPOVを考えて下さい」といった時のニュアンスが伝わっていない要因の一つに、これがあると思いますので。
英語版を目標にするのは大変危険です。英語版にしか項目が無いページが沢山ありますが、超教派の記事や神学の記事について言えば、世界の神学の潮流に於いて超教派の事典に書けるほどのレベルに達しているものはあまり無いという印象を受けます。
正直言って、「英語版は全体的に、プロテスタント聖公会寄りになっている」と感じます。それは歴史的経緯からむしろ当然であって驚くに値しませんが、「英語中心主義」に毒されがちな日本人は、「『世界共通語』たる英語を使えば、世界が分る」と思いがちです。ですがそれは間違いです。
例えば英語版でも、正教会につき結構出鱈目が書いてあります。正教会の教会機構については民族系教会毎の教会法に対する見解の差異から、各教会の地位につき対立する見解が複雑に絡み合っているのですが、そのような英語版の関連記事は編集合戦になっているか、もしくはその手前の段階になっているかというものが殆どであり、現状以上には日本語版では怖くて殆ど手が出せない状況です(日本語文献はほぼゼロですし、統一的な記述をするための権威の担保が皆無です)。
また、神学系の記事においても、正教会の神学についてはほぼ記述が皆無であり、書かれていたとしてもかなり偏った見解になっている事が多う御座います。
そういった理由で、私が英語版から翻訳をしていますのは、聖堂や、神学的に争いはあまり無い人物の記事などに限られているのです(神学者・哲学者は、よほどの人でなければ避けています)。例外的に私が作成しました神学者の記事の一つである、世界的に有名な正教の神学者パーヴェル・エフドキーモフの記事が英語版に無いのを見て驚いた事がありますが、彼はフランスを中心に活躍し西欧に影響力はあったものの、アメリカを含む英語圏ではそれほど重視されないということなのでしょう。
正教会についてそれなりに記述が豊富でそれなりに質もあるのはやはりロシア語版です。ウクライナに関連する見解の中立性については若干不安が残りますが、少なくとも記述量は他の追随を許していません。ギリシャ語版は母語人口がそれほど多くないからでしょうか、質は兎も角、記述量が残念ながら比較になりません(同じ東欧圏であってもウクライナ語版・ルーマニア語版の方が記述量が豊富な位です)。
西ヨーロッパにある正教会についても、ドイツ語版、フランス語版は頼りになりますが、英語版は全く頼りになりません。記事自体が全く存在しないケースが大変に多く、私の印象では英語版にある、西欧での正教関連の記事数は、よくてフランス語版・ドイツ語版の半分だろうと感じております。
神学系の記事でも、正教関連の記述が全くなされていなかったりするのは、このような事情から類推すればむしろ自然です。
「難しい問題ではあるが、他言語を鑑みるに、神学系の記事でどうしても必要なもの」と判断するのであれば、私ならば少なくとも5言語版以上、それも母語話者数が多くを数える言語で数えた上で判断するでしょう。「英語版を目指す」というのは、分量の面からも不可能ですし、英語版そのものに内在する歴史的背景が無視されていると言わざるを得ません。
英語圏の所謂福音派ないし所謂リベラルの議論が極めて濃厚に反映されたものが「キリスト教神学」として執筆されるのは、好ましい状況ではありません。--Kinno Angel 2010年4月27日 (火) 06:45 (UTC)[返信]
東西分裂であればフィリオクェ、宗教改革時代であればローマ教会とプロテスタントの対立軸(聖書、信仰義認、万人祭司、教会論)、19世紀以降ではプロテスタント内部でのリベラルと福音派の神学的対立軸があることを、記事作成時に無視することはできません。別の教派なのですから当然に理解は異なります。下の記事でご指摘されていますように、超教派記事を作成するにあたっても、私の知識ではローマ教会とプロテスタント、プロテスタント内ではリベラルと福音派の両論併記は何とかできても、正教関係までふれるのはやはり難しいと思います。それでも私のわかる範囲では正教用語も出来る限り尊重して書いていたつもりです。--Evangelical 2010年4月28日 (水) 11:34 (UTC)[返信]
用語についてご配慮下さっている事は前々から拝見して気付いており、この点については同感であると同時に本当に感謝してもおります。
ただ、私が申しておりますのは「用語」ではなく「内容」「文体」についてなのです。後の一般論についてはWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト キリスト教/百科事典としての適正性に書いておきましたのでご参照下さい。--Kinno Angel 2010年4月28日 (水) 15:18 (UTC)[返信]

スタブ記事の量産はやめて頂きたい[編集]

まず、記事「神化」作成内容に抗議します。別に正教会に関する記事を私が独占するつもりはありませんしそれは不可能ですが、それにしても正教会にとり最も大事なものの一つである概念につき、この量と質はあんまりではありませんか。改名提案を出しましたが、それと共に、無い知恵を振り絞って記事の改善に取り組みます…が、最近、こうした難解な概念に係る神学関連の記事につき、スタブ記事を量産される傾向がEvangelicalさんにはお有りですが、それぞれの修正にかかる(私など現在の人々のみならず将来の執筆者まで含めた)人々の苦労を考えた事はお有りですか?WP:STUBにはこうあります。「自分の作ったスタブに幾らかの責任を持つ」。なお、申し訳ありませんが、神化の記事には今のところ「責任を取る」事はしないで下さって結構です。当方で信用の出来る正教会関連の専門書の出典を付けて加筆します。--Kinno Angel 2010年4月28日 (水) 06:52 (UTC)[返信]

お手数をかけております。以前にもどこかのノートでも触れたことがあり興味はあったのですが、最近の議論を反映してある教派でしか使われない語あるいはある教派で特に重要な語が存在する例として作成しました。私とて何れの記事も使用される教派での理解が優先的に記述されるべきだと考えております。--Evangelical 2010年4月28日 (水) 11:24 (UTC)[返信]

キュリロスの改名について[編集]

こんにちは。ノート:キュリロスではお世話になっております。当該ページの改名or統合についてなのですが、Evangelicalさんの現段階の見解を詳しくお知らせいただければと思います。宜しくお願いいたします。--Hideokun 2010年4月19日 (月) 03:09 (UTC)[返信]

お問い合わせ[編集]

利用者:あああやめてです。私の地元を題材としたこれこの議論中のタイミングで作成した意図はなんですか?また日本でのキリスト教排斥の経過は日本キリスト教史で語られておりますが、作成された内容は当時日本全体で行われていた排斥事象の一部でしかなく、全体像を書かずにそれだけに注目した事には特筆性についても疑問を感じます。--あああやめて 2010年4月25日 (日) 11:51 (UTC)[返信]

メッセージありがとうございます。この地があなたさまの地元であるとはメッセージを頂くまで全く存じませんでした。「日本全体で行われていた排斥事象」の中で、奄美大島の迫害事件は特筆性のある事件の一つとしてキリスト教史の中で言及されます。出典も付けてありますので、関心をお持ちかあるいは加筆を考えておられるなら是非ご覧下さい。恐らくプロテスタントの私よりも、カトリックの信者さんのうちでより知られている事件ではないかと推測します。他の項目で議論中ですが、百科事典を作成するプロジェクトの共同作業者の一人として、これからもよろしくお願い致します。--Evangelical 2010年4月25日 (日) 12:00 (UTC)[返信]
本当にそうなんでしょうか?議論中にバーナード・ジャン・ベッテルハイムでの編集履歴を見たとの発言がありましたので私の過去履歴も確認されたと感じました。もちろん私も貴方の過去履歴を見ています。なお「~百科事典を作成するプロジェクトの共同作業者の一人として~」との発言には、貴方の過去の行動から、違和感を感じた事も申し上げておきます。--あああやめて 2010年4月25日 (日) 12:21 (UTC)[返信]
私は自分が専門知識を持たず関心のない分野の執筆者さんの履歴や項目を特に確認していませんが、これは私が新規作成したもので加筆を意識していたために、履歴を確認しておりました。自分の専門分野の他には手がまわりません。私の地元についてはwikiで語ろうとは思いませんが、誰でも自分の地元については思い入れがあるものだと思います。--Evangelical 2010年4月25日 (日) 12:27 (UTC)[返信]
申し訳ありませんが、Evangelicalさんの発言・書筆には第三者的視線を標榜しようとしておられますが、ある宗派に偏っているのはご自覚があるのでしょう。専門知識と仰るわりにも、該当記事内で「日本全体で行われていた排斥事象」に言及や関連性を指摘しないことにも、改めて違和感を感じます。--あああやめて 2010年4月25日 (日) 12:44 (UTC)[返信]
たとえば軍の拠点として重要であったということでしたら、軍事に詳しい人の領分だと思います。項目も別になるかも知れません。それにこの項目は私の教派の事件ではありませんが、キリスト教史に出てきます。「日本全体で行われていた排斥事象」や朝鮮にも関わる神社参拝問題でしたら、戸村政博著の『神社問題とキリスト教』(新教出版社)が主要文献を網羅していますし、他にも新教出版社から、特高資料を集めた『特高資料による戦時下のキリスト教運動』があります。最近のものでは21世紀ブックレットのシリーズに詳しいのですが、とにかく膨大な資料があります。--Evangelical 2010年4月25日 (日) 12:52 (UTC)[返信]
ここでは軍の関与のことは話していません、貴方の編集動機を疑問視しているのです。また「日本全体で行われていた排斥事象」を本で勉強しなさいと仰るのですか、それは興味のない人間には無意味な事です、全体を無視して一事例を一事件としてのみ取上げる事への理由になってません。--あああやめて 2010年4月25日 (日) 13:15 (UTC)[返信]
「日本全体で行われていた排斥事象」については、確かに私は興味があって資料も多く持っています。全体についても資料をさらに集めていつか書きたいとは思います。この事件は個別に項目が立てられた上智大生靖国神社参拝拒否事件とも関係があります。上智の事件も一事件ですが、項目が立っています。長崎と奄美はカトリック人口の比率が日本でもっとも多い場所で、そこで起こった迫害事件は特筆性が十分あります。出典も付けてあります。沖縄や北海道のキリスト教の歴史についてもいくらか資料があり、本土ではない地域でのキリスト教の特色があるので、長崎、奄美、沖縄、アイヌのキリスト教については、前から書きたいとは思っていました。--Evangelical 2010年4月25日 (日) 13:33 (UTC)[返信]
ベッテルハイムについても、本土と琉球・沖縄の問題と関わってきます。キリスト教界では、本土の150周年を期に日本宣教の起点をどこにおくかで議論が提起されています。--Evangelical 2010年4月25日 (日) 13:42 (UTC)[返信]
ホーリネス弾圧事件の項目もあります。--Evangelical 2010年4月25日 (日) 22:08 (UTC)[返信]
横から失礼します。
記事奄美カトリック迫害自体の存在については全く問題無いと考えます。作成お疲れ様です。作成意図への疑念については、それを証明する術が無い以上、残念ながらお二人の主張が平行線を辿るだけでしょう。「日本全体の記事」ではなく「個別記事」がなぜ作成されたのかという疑念についてはEvangelicalさん御指摘の通り、特筆される個別の事件についての記事は他にも沢山あります。
他方、Evangelicalさんの編集において、文献・出典・文体の偏向については私も御指摘申し上げておりますし、特に超教派に係る神学系の記事作成における執筆内容には、最近のものにはほぼ全てに対して(申し訳ない)観点タグを貼り付け、この手の記事には執筆にあたって慎重になり過ぎる事は無いということを御指摘申し上げてもおります。Evangelicalさんの編集については意図的か無意識にかは存じませんが、総じて福音派からの異教徒に対する視点を剥き出しになさる傾向があり、それは百科事典執筆には相応しくないのではという思いは私にもあります。
あああやめてさんに疑念が生じてしまった事は残念である一方、かかるEvangelicalさんの現状において、それなりに理由のある疑念であるとは感じますが、その動機の悪意について証明する手段はほぼありません(よほど奄美についての記事が連続しているなどの事が無ければ難しいでしょう)。
なお、私見を申しますと、これだけの迫害があった奄美において、なぜ正教徒である昇曙夢が復帰運動の指導者の一人たりえたのか、それに興味が湧きました。仮に奄美における迫害・弾圧が一時的なものであったのであれば、反証は幾らでも見つかるのではないかという印象を現時点では持っております。
何にせよ、日本における実力行使を伴ったキリスト教迫害(白眼視といったレベルでは日常茶飯事でしょうが)は、(死者も出ていますので軽率に過小評価したくはないのですが)東欧における共産主義国家におけるそれに比べれば期間も規模も相対的に小さいものなのですが、なぜか日本では、東欧におけるキリスト教弾圧についての関心はそれほど高くない一方で(国家の御用宗教であった正教会など弾圧されて当然と言い放つ牧師も居る位です・苦笑)、日本におけるキリスト教迫害についての関心は大変に高く、書籍も大量に出版されているのが現状であり、このような記事を作成するのに出典には事欠かない、そういう状況が日本にはあります(逆に東欧でのキリスト教、特に正教迫害について書く日本語出典には事欠きます)。
独りEvangelicalさんのみに、「迫害史」に対する関心があるのではないという事を御理解下さい。
あああやめてさんには、奄美についてお詳しいようですから、ぜひ奄美のキリスト教迫害が近現代史において一時的なものであった事を示すために、文化財等としても有名な教会についての記事を一つ、書いて頂ければ幸甚です。略年表のみのスタブ記事であっても、それだけであああやめてさんの志向は達成されるのではないかと予測します。--Kinno Angel 2010年4月25日 (日) 23:57 (UTC)[返信]

ドクムギの記事について[編集]

植物としてのドクムギについて加筆をいたしました。それに伴って、聖書に関係する部分について整理してみましたが、私はこの分野についてはほとんど分からないので、妥当かどうかの判断がつきません。ご意見を当該記事のノートにいただければ幸いです。--Pseudoanas 2010年5月3日 (月) 17:01 (UTC)[返信]

メッセージありがとうございます。誰か要出典をつけた人がいますが、全体の説明としてそれほどおかしいとは思えません。ただ擬態という表現は微妙かも知れません。ノートに行きます。--Evangelical 2010年5月4日 (火) 06:39 (UTC)[返信]
記事において"新約聖書中のマタイ書13:25に記述された「畑の毒麦のたとえ」中のζιζάνιονが「毒麦」と訳される。"の英語の部分をギリシャ語「ζιζάνιον」と修正されましたが、これはどの版からのものなのでしょうか。私の持っている『The Greek New Testament, ed .Kurt Aland and others. ( Stuttgart; United Bible Societies,1968 ) 』においては、マタイ書13:25の本文中には、ζιζανιαになっております。同じことばですが・・・・。他の版には本文中にζιζάνιονと表記されているものがあるのでしょうか?他のネストレ版など残念なことに持ち合わせがないのでご確認いたします。もし間違えがなければまったく問題はございません。--パウロ2003 2010年5月5日 (水) 05:59 (UTC)[返信]
マタイ13:25,27,29,30が中性名詞対格複数、マタイ13:26,38,40が中性名詞主格複数です。--Evangelical 2010年5月5日 (水) 06:25 (UTC)[返信]
回答ありがとうございます。質問に対しての回答が若干ずれています。ご理解いただけていないようなので、端的に申し上げますね。Evangelicalさんのご使用されているギリシャ語の聖書の写本は、どの版になりますか?検証させてください。--パウロ2003 2010年5月5日 (水) 11:24 (UTC)[返信]
これは写本による相違は無いと思いますが、文法上の問題です。--Evangelical 2010年5月5日 (水) 14:07 (UTC)[返信]
リンクを入れておきます。3.4: 第2変化:男性、中性名詞参考にしてください。--Evangelical 2010年5月5日 (水) 14:18 (UTC)[返信]

(インデント戻す)文法上の事を言ってるのではありません。Evangelicalさんが言われることは知っておりますので・・・。Evangelicalさんは、単数形でζιζάνιονとあえて書かれた理由がわかりませんでした。聖書には複数形ζιζάνιαとしか書かれていません。辞書では単数形にしなければ調べることはできないのは当然ですが。あえて単数形に直す必要は全くなく聖書通りに記述すれば良いと思いました。また何か特殊なギリシャ語聖書の版からの言葉なのかとも思い、どの版ですかと質問させていただきました。最初からそう言えよと言われればその通りなのですが・・・。わたしの癖といってはたいへん申し訳ないのですが、私の意見を整理するために小出しにして申し訳ありませんでした。ドクムギでは要約にその旨記載し編集しましたことご報告いたします。--パウロ2003 2010年5月9日 (日) 11:29 (UTC)[返信]

訂正ありがとうございます。私は聖句の項目で、聖書の形をそのまま項目の冒頭に併記して入れた所、単数主格だけでいいという意見があったので、それにならいました。でもドクムギでは文中の引用ということで複数でいいかも知れませんね。--Evangelical 2010年5月9日 (日) 11:39 (UTC)[返信]
横からすみません。多分聖句においての編集は私によるものかと存じますが、単語記事であれば単数主格のみでよい、特定箇所の引用であれば該当箇所にある通りの引用を基本にすべき、というのが私の考えです。--Kinno Angel 2010年5月10日 (月) 02:17 (UTC)[返信]
Kinno Angelさん。メッセージありがとうございます。私も今後その方針で行きます。--Evangelical 2010年5月10日 (月) 09:50 (UTC)[返信]
すみません、一つ失念しておりました(汗)。何の記事だったかすぐに思い出せないのですが、何かの記事で複数主格形を使っているところがあるかと思います。ものによっては(語義によっては複数形しか通例使われないもの等)、複数主格が適切な例外もあるかと存じます。たびたびお邪魔して恐縮ですが、御参考までに。--Kinno Angel 2010年5月10日 (月) 15:27 (UTC)[返信]

お願い[編集]

多方面でお世話になっております。いつも執筆お疲れ様です。

さて、今回のお願いなのですが、それほど強くはないお願いであり、「出来ればこうして頂きたい」という性質のものです。他言語表記にあたっては、Template:langを使って頂けませんでしょうか。これを使わないと、Firefoxなどではギリシャ文字は全角表記されてしまい、可読性が低下するためです。私も気付いた時に適宜補っていますが、出来れば初版からこれが使われていれば助かると思い、お願いにあがった次第です。--Kinno Angel 2010年5月7日 (金) 00:42 (UTC)[返信]

お知らせありがとうございます。英語版から持ってきたものやコピーした時には使っていましたが、その仕組みをよく把握しておらず、Firefoxの表示についても知りませんでした。読んで使うようにしてみます。議論提起がなされたノートは順次行きます。--Evangelical 2010年5月7日 (金) 09:53 (UTC)[返信]

コントラ・ファクトールについて[編集]

はじめまして。コントラ・ファクトールについて、Evangelicalさんが参考文献としてあげられた資料は見ておらず、キリスト教について詳しいわけでもないのですが、お書きになった記事を読んで、

  • ドイツ語版ではde:Kontrafaktur(1語)があります。この語をそのままドイツ語風に読むとコントラファクトゥ(ー)ルあるいはコントラファクトゥ(ー)アかと思います(手元の独和辞典ではuは長母音になっています)。
  • Googleで検索しても「"コントラ・ファクトール"」は他には見あたりませんが、「"コントラファクトゥール"」では他に記事が1件あり、「"コントラファクトゥーア"」「"コントラファクトゥア"」ではいくつか複数で見つかります。
  • 手元の音楽之友社『新音楽事典・楽語』(ISBN 4-276-00013-0)では、「コントラファクトゥム」(contrafactum(ラ)、Kontrafact, Kontrafactum(独))と、ラテン語読みの見出しになっています(意味内容はお書きになった記事とおおむね同じ)。ただ、音楽事典ですので宗教用語としての一般的な用法・用語とは異なるかもしれませんが。

従いまして、記事の名前としましては「コントラ・ファクトール」はやや不適切というか不正確ではないかと思った次第なのですが、ご意見を伺えますでしょうか。なお、記事についてはテンプレートと言語間リンクの追加はいたしました。--220.102.68.157 2010年5月12日 (水) 13:09 (UTC)[返信]

メッセージありがとうございます。教会音楽家の岳藤豪希氏はこのドイツ語がラテン語由来であることで区切ったのだと思いますが、確かにヴェルナー・フェリークスの『バッハ』も一語ですし、ドイツ語では一語のようです。ドイツ語にそった表記に移動したいと思います。またリンクもありがとうございます。--Evangelical 2010年5月12日 (水) 14:06 (UTC)[返信]

特筆性 (書籍)と漫画作品一覧との整合性[編集]

Evangelicalさんがノート:異端見分けハンドブックノート:キリスト教と天皇(制)でも挙げておられた「Wikipedia:特筆性 (書籍)日本の漫画作品一覧との整合性」についてトーク:ニューエイジムーブメントの危険に書いてみました。私個人としては「ニューエイジへの批判」を作成し、「ニューエイジムーブメントの危険」の項目もそこにまとめたほうが有用性も高まると考えます。他のクリスチャンの(過去・現在だけでなく将来行われる)ニューエイジ批判もそこで扱うことができるので、さらなる発展性も持たせられます。--波定 2010年5月24日 (月) 01:50 (UTC)[返信]

使用される文献についての偏向につき苦言を呈させて頂きます[編集]

ラトレイア」につき随分加筆しましたが、申し訳ないですが、初版作成者でいらっしゃるEvangelicalさんへ苦言を呈させて頂きます。
こうした事は以前にもありましたが、なぜ、正教会、ローマカトリック教会の文献を碌に調べずに、プロテスタントの文献のみ、もしくはプロテスタントの文献に主に拠るような形で、正教会、ローマカトリック教会関係の記事を作成されるのでしょうか?
例えば私が正教会の自派のアポロギアとしての比較神学の文献に主に拠って「聖書のみ」とか「全的堕落説」の記事を(当然両方に対して批判的な内容の濃いものとして)作成したらどうなるでしょう?それは適当と言えるでしょうか?
「逆」を考えればすぐ、こうした記事作成が妥当かどうかはお分かりになる筈です(それ以上の説明は当面不要と思います)。このような記事作成はどうか止めて頂きたく思います。当方もローマカトリック教会には全く暗く、リソースに限界があります。
正教関連の文献は少ないでしょうから、正教についてまで調べろといった無茶は申しませんが、せめてローマカトリック教会に係る記事を作るのであれば、ローマカトリック教会関係の文献位は精査して下さい。御利用になっている図書館にローマカトリック関連の文献位ある筈です。
また、ロイドジョンズ、マクグラス、尾山といった福音派系の人々のみを用いて記事を作成される傾向がお有りですが、これもやめて頂きたいと常々思っております。正教会では彼等は全く権威とは看做されていませんし、ローマカトリックにおいてもその事情は似通っている筈です。まして所謂リベラルと言われる次元においては反論すらされる場面も多いでしょう。勿論このお三方も権威ではありますが、それはあくまで福音派、もしくはそれに準ずる文脈においての有効性であり、超教派性・両論併記は担保されません。--Kinno Angel 2010年5月29日 (土) 14:53 (UTC)[返信]
追伸:トーク:プロテスタントに系統図改善につき具体的提案をしております。良案がお有りでしたら御提示をお願いしたく存じます。--Kinno Angel 2010年5月29日 (土) 14:57 (UTC)[返信]
アウグスティヌスは、プロテスタントも使う文献ですが、ローマ・カトリックや正教会にとっては、聖人であるはずです。私はアウグスティヌスとトマス・アクィナス、カトリック事典と英語版wikiを読んで妥当と思われる項目を作成しました。英語版ではかなりの分量がプロテスタントによる批判が占められていますが、批判はほとんどカットしています。逆の例をあげておられますが、逆の例は日本語版wikiに大量にあります。明らかに根拠のない誤りを訂正し、立場の違う点については両論併記しようとしたことが、私がwikiに書くようになったきっかけの一つです。またマクグラスの翻訳者はカトリック神父です。--Evangelical 2010年5月29日 (土) 15:04 (UTC)[返信]
アウグスティヌスは確かに正教会では聖人ではありますが、むしろ誤解を招きかねない表現を各所においてしているということで、それほど重要視されてはおりません。引用例もかなり少なく、西方におけるほど巨人としては扱われては居ません。驚かれるかもしれませんが「聖人として崇敬されているのであれば全てその言い分が正しいと思われている」訳ではないのです。この辺、西方での「聖人」についての捉え方と正教においてのそれは大いにズレがあります。
また、(西欧の影響が甚だしかった16世紀~18世紀の一部地域では兎も角、少なくとも中世、現代)正教会ではトマス・アクィナスは全く評価されていません。有体に申し上げて恐縮ですが、その辺の基礎知識は、おそらくEvangelicalさんは御自身の知識の欠落を自覚されていません。「アウグスティヌスは東西両教会で崇敬されている巨大な聖人」という認識そのものが、ラテン教父に相対的に重きを置くローマカトリック的認識です。Evangelicalさんは気付かない内に西方教会の枠内に於いて影響を受けられています。
それほど、東方と西方というのは認識が違うのです。その差は恐らくEvangelicalさんの想像を絶します。その事を是非ご記憶下さい。
ハッキリ言って、その辺の基礎知識が無いのにマニアックな著作ばかり翻訳して「私は東方神学を日本正教会の当事者よりも解って居る」と悦に入る西方教会関連の神学者が多過ぎます。それほどローマカトリック等と違いが大きくないと正教会が看做すところについては「東方はここが違う!」と差異が強調され、ローマカトリックと違いが極めて大きいと正教会が看做すところについては「それほど東西に違いが無い」と差異が矮小化される、そのようなケースは非常に多いのです。
また、「A教派が崇敬する過去の聖人がこう言っている」というのは、事典としてはかなり不適切な記述になります。複数の聖人が複数の説明を、様々な教理について述べている以上、どの聖人のどの説明を教派(正教会・カトリック教会)がメインのものとして採用しているかは、二次資料に当たらなければ判別出来ません。アウスグスティヌスよりも聖金口イオアンの方が重視されるケースの方が圧倒的に正教会では多いのですが、どの聖人の言葉が正教会のメインとして使われているか、原典からだけで判別するのは正教徒にも難しいのです。
マクグラスについてですが、翻訳者がカトリック教会の人だからと言って中立性は担保出来ません。カトリック教会の記事で、「聖グレゴリオス・パラマスの本はカトリック教会から出されているから、その聖霊論を使ってカトリック教会の聖霊論についても書いて良い」とはならない例を挙げれば自明でしょう。
まとめますが、
  • 「聖人がこう言っている」だけでは超教派性は担保出来ません(カトリック教会、正教会いずれについてもです)
  • 聖人の言葉といった一次資料だけでなく、正教会で権威と目される神学者、註解者などによる二次資料に必ず当たってください。一次資料だけでは独自研究になります。
  • 繰り返しますが、福音派系の神学者達だけを参考文献として超教派の記事を作るのはおやめ下さい。--Kinno Angel 2010年5月29日 (土) 15:21 (UTC)[返信]
いかにアウグスティヌスが正教において低い評価しかされていないかについて、全的堕落の記事が最も判り易い素材となるかと思い、加筆しておきました。御参照下さい。--Kinno Angel 2010年5月29日 (土) 16:08 (UTC)[返信]
教父アウグスティヌスの神学は、少なくとも西方では非常に重視されています。福音派とは一教派ではなく、その中にはルーテル派、改革派、ウェスレー派メソジスト、バプテストまで広い教派をカバーするものなので、本来のプロテスタントの教派というものが意味した範囲はカバーしています。マクグラス教授、尾山先生、ロイドジョンズ博士は、超教派で活躍した学者であり、単一教派や誰かの特殊な見解というものではありません。また私は少なくとも出典をつけていますが、リベラルな人たちは何の出典も注釈もなく「これが学問的定説である」と断言する記述をしてはばかりません。私はそんなことはしていません。宗教改革時代のローマ教会とプロテスタント、近年のリベラルと福音派の相違・対立を無視しては正確な記述は出来ないと考えますが、正教会と福音派については神学的接点がほとんどないので、対立構造がかかわってくるところについて、正教会にほとんどふれなくても記述としては可能です。プロテスタントの神学校レベルでも正教についてはわずかに触れる程度でしょう。それでも私は出来る限り用語や歴史的な部分など正教についても配慮するようにしていました。歴史的にローマとプロテスタント、リベラルと福音派は議論していますが、この議論に正教は入ってきていません。資料についてですが、近くの図書館程度でしたら、ローマ・カトリックの文献でも私の所持する本で図書館にないものは多くあります。加筆してくださった全的堕落について、確かに西方と東方はかなり違うようです。全的堕落の項目は私が肯定側の見解を加筆します。--Evangelical 2010年5月30日 (日) 12:47 (UTC)[返信]
全否定している訳ではありません
誤解されておいでだったら解いておきたいのですが、Evangelicalさんの姿勢を全否定している訳ではありません。少なくとも出典抜きに書かれていた従前の神学関係の記事、聖書関係の記事よりは状況は改善されているとは捉えています。もし全否定していたらコメント依頼か何かを出しています。その辺誤解なきようお願い申し上げます。また上から目線とは捉えて頂きたく無いのですが、私から不躾にも色々お願い・苦言を呈させて頂いている結果、確かに色々配慮して下さっているのは感じております。特に正教会用語について尊重して下さっている事には以前から感謝しております。
我々に出来る事は「両論併記」のみです
しかしながらノンクリスチャンにみられるように(この記事自体は現時点ではタグを外しましたが)、ある種の偏りが注意書き無く書かれているケースが結構あります。「聖書にかく書かれている」と言っても、その聖書についての解釈が信じられないほど多様性を示している事は、Evangelicalさんほどの知識をお持ちならよくお分かりの筈です。「これまでが酷すぎた」のは確かですが、逆をやり返してはなりません。ウィキペディアの公式方針上も、聖書の教える所に拠ってもです。
我々に出来る事は「両論併記」のみです。
超教派性の問題・文言
Evangelicalさんに対しては何とかに説法かもしれませんが、所謂「福音派」「リベラル」といった次元の議論(1)と、(2)「東方教会」「西方教会」、(3)「東方諸教会」「正教会」「カトリック教会」「聖公会」「プロテスタント」、(4)プロテスタント内における「聖公会(プロテスタントといえるか微妙ですが)」「ルーテル教会」「改革派」「アナバプテスト」といった教派の次元の議論は、当然区別されます。これまでEvangelicalさんの立てられた神学系記事においては、(4)の配慮は流石に御専門の知識を発揮されておいでですが、(2)については殆ど配慮されておらず、(3)においては正教会、カトリック教会についての記述が乏しく、(1)についてはリベラル側の観点が希薄です。
ここでも誤解されたくないのですが、Evangelicalさんを道義的に責めるつもりはありません。正教会関連の文献が乏しい以上(それでもカリストス・ウェアの邦訳著作は各地教会で手に入りますので、正教会神学の入門書としてはお奨めです)、記述が乏しくなるのは止むを得ません。
私が申し上げたい事は主に文言についてです。「キリスト教では○○とされている。」「聖書には○○とあり□□と解釈される」といった文言は、上記(1)~(4)の全ての観点で横断的に認められているような事柄以外には、使う事は不適切です。「福音主義においては□□と解釈される。」「リベラルにおいては××と解釈される。」「マクグラスによれば□□と解釈される」といった文言にしなければなりません。繰り返しますが、先に挙げたお三方を権威として認めない人々は大勢居るのです。アウグスティヌスですら大きな権威としては認めない教派があるのですから、どれほど多様な見解がキリスト教にあるのかはこれだけでも推して知るべしでしょう。
繰り返しますが、文言に特に気をつけて頂きたく思うのです。--Kinno Angel 2010年5月31日 (月) 01:54 (UTC)[返信]

「プロテスタントの記事は正教をほとんど無視しても書けるのです。」につき[編集]

ノート:胎児の人権プロテスタントの記事は正教をほとんど無視しても書けるのです。と仰いましたが、神の怒り異宗婚とキリスト教地獄 (キリスト教)が「プロテスタントの記事」なのでしょうか?--Kinno Angel 2010年6月11日 (金) 15:55 (UTC)[返信]

神の怒りの記事は、正教についてまったくわからないので書いていません。異宗婚も同様です。また異宗婚は微妙な問題でことさら書きたくないと言われましたので、それを尊重し、正教の資料を探すこともしませんでした。資料があったとしても正教について正確に書く自信はありません。地獄については正教についてはわからないので書いていませんが、他の教派の公式の立場を網羅したはずです。ローマ・カトリックの文献にもプロテスタントの文献にもオリゲネスを批判するものならありますが、オリゲネスの批判だけで東方の記述をしても問題があると考えたので最初から書きませんでした。昔のプロテスタントの文献には今日のものよりもさらに正教が出てきませんし、一昔前だと出てきても「怪僧ラスプーチン」やその類の記事が目に付きます。--Evangelical 2010年6月11日 (金) 16:11 (UTC)[返信]
そもそも「全く分からない」状態で「超教派」の記事を書かれる姿勢に疑問を感じております。--Kinno Angel 2010年6月12日 (土) 02:46 (UTC)[返信]
それなら英語版の記事は正教に関してわかっていないから無価値ということになりませんか。ローマ・カトリックとプロテスタント、リベラル派と福音派の相違についてずいぶん充実していると思いますが。正教については活躍しておられる方にお任せします。--Evangelical 2010年6月12日 (土) 02:55 (UTC)[返信]

コメント依頼を考える段階に来ております[編集]

それなら英語版の記事は正教に関してわかっていないから無価値ということになりませんか。
無価値とまでは申しませんが「疑問がある」とは再三述べております。繰り返します、英語版を基準にするのは止めて下さい。そもそも英語版にしかない記事からスタブを量産されている御活動に対しても、疑問を持っております。また「聖書のみ」に偏った姿勢にも疑問ですし(聖書だけ引用しても何も教理・教義の、比較・検証にはならないと、何度も申し上げている筈です)、正戦論胎児の人権についもキリスト教特に「リベラル」対「福音派」の論点に偏った編集を行っておいでのことと併せて、コメント依頼すら考える段階に来ております。申し訳ありませんが私一人のリソースにも限界があります。私もコメント依頼までしたくはありません。英語版スタブの量産、「聖書のみ」への偏向、「論点」の偏向、以上3点につき、どうか改善を頂きたく。--Kinno Angel 2010年6月12日 (土) 03:02 (UTC)[返信]
私は考えもなくスタブ記事を量産しているわけではなく、項目を書くときに内部リンクが生じるものを優先的に作っています。スタブであってもその項目の中に書くのではなく、他の項目を立てるしかないものがあります。英語版や多言語版にあることは、特筆性をより確認できる手段になるはずです。胎児の人権の項目が載っていた辞典は『フェミニズム歴史辞典』であって、まさかそれのみを出典にするわけにもいかないので、プロライフ側から両論併記にしたものです。聖書のみを出典にした記述は避け、他に出典をつけてきました。ただし、解釈よりも聖書の内容が優先的に紹介されるべきで、高等批評学の解説だけが書かれた記事は問題です。いまだにそのような記事は多くあります。福音派の人間として、また個人的理由から某国に対して好意をもつのが難しい人間としては、POVを出さないようにし、正教に対しても配慮してきたつもりです。たとえばKinno Angelさんはマクグラスをまったく評価なさらないようです。このマクグラスは広く多くの教派の神学を紹介しているものですが、こと正教に関してKinno Angelさんは世界的な神学者よりも高いレベルの記述を要求なさっているように見えます。それを要求できるのはwikiの利点であるのかも知れませんが。--Evangelical 2010年6月12日 (土) 06:34 (UTC)[返信]
ローマ・カトリックとプロテスタント、リベラル派と福音派に見解の相違や対立があるものについて、POVを避けるためには、まず両者の両論併記をするべきはずです。見解の相違は教派が違えば当然ありますが、正教以外の東方教会や、東方から発生した分派の見解についてはほとんどかかれていないようにみえます。しかし、正教以外の東方の見解がかかれていないからといって、超教派記事でないとする指摘は出ていません。それどころか「教派の一覧」の記事にはいわゆる異端と呼ばれる団体が多く載っているのにもかかわらず、キリスト教の有力な教派であるバプテストは一教派も載っていないという、とんでもない記事も発見しました。実態から見ればあの記事は教派の一覧などではありません。英語からのスタブが多いとの指摘もされますが、キリスト教徒の神学的意味を含んだ語旧約聖書で、イエスをメシアと認めないユダヤ教の聖書を呼ぶことについて、ずいぶん前に旧約聖書のノートで指摘があったにもかかわらず放置され、ユダヤのヘブライ語聖書に内部リンクされるべきところに、旧約聖書がリンクされていました。これはキリスト教POVです。ヘブライ語聖書も貧弱なスタブ記事であると言われればその通りかも知れませんが、スタブであるからといって記事を作成しないとPOVが続くことになります。--Evangelical 2010年6月12日 (土) 23:26 (UTC)[返信]
すみません、全然読解されていません。
  • 正教会については殆ど具体的には申し上げていません(そこまでの無茶は申しません、と何度か申し上げている筈です)。「福音派VSリベラルの論点整理のみにしないでくれ」とは申していますが、これについては現代のローマカトリックの見解を入れれば少なくとも是正される筈ですが、Evangelicalさんは殆ど考慮されていません。
  • 百科事典としての影響力を考えれば、幾らリンク先として有用な記事であっても、スタブを作る位ならば無い方がマシです。下手に誤解を与えるよりは、自分で調べて貰った方が読者の理解を妨げません。
  • 「他の記事も酷いから」では、御自分の正当化にはなりません。
  • マクグラスについて評価しないのは私だけではなく、東方教会全体です(別に否定的であるとかではなく、眼中にありませんし、「マクグラス?誰それ」というのが一般信徒における知名度です)。それと、ローマカトリック教会でもマクグラスは高く評価されているのですか?だとすれば初耳です。
  • 直近の話題ではありませんが、Evangelicalさんが良く記事作成の手法として採られているように、あるキリスト教の概念につき「まず聖句の引用」という事自体が一般百科事典的ではありません。どこの百科事典に「イエス・キリストはこのように教えられた、○○(引用句)」を冒頭に持ってくるスタイルがありますか?我々は教会内部で使う神学書を作っているのではありません。我々は百科事典を「無料で場をお借りして」作っているのです。寄附している人たちはそのつもりで寄附しているのです。それに対して「福音派の観点からすればこれが常道」云々は通用しません。信義の問題になります。自分でWEBサイトを立ち上げろという話になります。
  • 以上の状況が改善されない場合、コメント依頼を募ります。別にこれはブロックといった何らかの措置を具体的にお願いするといった話ではありません。私だけでは投入できるリソース(時間的体力的精神的)に限界が出て来ている為、他の方の助力をお願いするという意味です。改善のお約束が頂けない場合(現状で問題ない、という認識が変えられない場合)、コメント依頼を近日中に出させて頂くことになります。--Kinno Angel 2010年6月13日 (日) 16:28 (UTC)[返信]

ご意見拝見しております。いまKinno Angelさんがタグをつけられた公同信条宗教改革マルティン・ルターによるプロテスタント用語であり、やりすぎです。お疲れらしいのは文章で推測いたします。--Evangelical 2010年6月13日 (日) 22:59 (UTC)[返信]

別に私は疲れていませんが、御心遣いをありがとうございます。ただし仮に疲れて居たとしても、それはEvangelicalさんの編集に対する苦言の内容評価には聊かも影響しませんし、公同信条についてたとえ仰る通りだったとしても、この記事一つで上の内容全てが否定される訳でもありません。そもそもこれまでのプロテスタントに偏った言動に対する疑問から、同記事についても疑念が拭えないのです。納得いく説明が当該記事においてなされれば、無論タグは外しますが、一点疑問を提示しておきましたので当該ページに御返事下さい。--Kinno Angel 2010年6月14日 (月) 10:58 (UTC)[返信]

長老 (キリスト教)の記事では、エホバの証人の記述が10行、長老派が4行、聖書の記述が0行となっています。どう考えても「聖書に見られる長老」が先に記述されるべきだったでしょう。英語版では聖書を引用している記事も多いですし、ウェブ上の聖書が充実しているので、そちらにリンクされているものもあります。私は英語版のスタイルを参考にしました。

神は我等と偕にすのように説明より祈祷文の比重が多い記事もありますが、内容の説明のために必要だと理解します。高等批評の人たちはともかく、本来聖書の本文はキリスト教の全教派にとって重要な文章であったはずです。正典の重要な記述の引用は、辞典としておかしいことではないはずです。むしろ今までの記事の問題は、聖書と正統教理に対する批評的な解釈ばかりが偏って載せられた記事が多くあることです。適切な引用は偏った説明より優れています。聖書関係ではむしろハリストス復活の記事のように、言語を参照するようにしたほうがよい記事もあるように思います。聖書もあらゆる言語に訳されており、ウィクリフ聖書協会は全言語に訳すべく活動しています。聖書の素養の無い人は批評家が批判している聖書個所や教理が何かさえもわからず、聖書の元記事についての何の知識もないまま、批評家の解説だけを目にすることになります。いずれの方向にせよ偏った記事は改善していく予定です。--Evangelical 2010年6月19日 (土) 02:25 (UTC)[返信]

聖書引用の可否についてこちらの主張を全く読解されていません[編集]

どうも誤解されているようです。私はEvangelicalさんが作られた訳ではない記事については、ここでは問題にしていません(そんな暇があれば自ら修正にかかっていますし、実際そのようにして修正した記事もあります)。私がここで問題にしておりますのは、Evangelicalさんが作られた記事のみです。他については、プロジェクトの方で問題提起しています。
もちろんEvangelicalさんが作られたのではない沢山の記事にも問題点がありますが、それについてはここでは問題にしていません。「他人がやっているから自分もやってよい」ではないのです。
正典の重要な記述の引用は、辞典としておかしいことではないはずです。
それがおかしいから問題にしております。超教派の辞典で「イエス・キリストはこのように言われた。『(別枠)』」というものがありますか?またさらに、一般の辞典でそのようになっていますか?そうはなっていないでしょう。それにはそれだけの理由があるということです。解釈の多様性辞典のスタイルといった事については、もう何度も申し上げていますので繰り返しません。注意深く読んで下さい。
それと、「聖書箇所の記事」「祈祷文の記事」と「神学理解系・教理系・社会問題系の記事」での聖書本文の扱いを完全に混同されておいでです。
  • イエス・キリストのたとえ話系の記事で、私は聖書引用を否定した事はない筈ですが?同様の事は祈祷書についても言えます。
  • 「聖書本文そのもの」「祈祷文そのもの」を扱う記事に、本文引用が必要なのは当たり前の事です。
  • 私が問題にしていますのは「神学理解系・教理系・社会問題系の記事」における聖書引用です。解釈の幅が広く出て来ること、辞典としてのスタイルに問題がある事、再三指摘しております。お分かり頂けますでしょうか。--Kinno Angel 2010年6月19日 (土) 06:54 (UTC)[返信]
上記につき端的に申します。「神学理解系・教理系・社会問題系の記事」において「イエス・キリストはかくかくしかじかと言われた」系の聖書引用はやめて下さい。理由は再三申し述べていますが「一版百科事典の体裁」「超教派・様々な立場における、聖書解釈・根拠聖句の多様性」です。--Kinno Angel 2010年6月19日 (土) 07:01 (UTC)[返信]

一気に記事が書けるとは考えてはおりませんし、スタブを作るなという極端な主張には同意しかねます。自由主義神学イエス・セミナーでは、聖書に出てくるイエス・キリストのことばの多くについて、実際にはイエス・キリストが語ったのではなく、除去されるべきものもあるとされていますが、キリスト教会においてイエス・キリストが語ったとみなされてきたものについては、文中に辞典としての体裁を妨げない範囲で、キリスト教神学における表現方法がとりいれられてよいはずです。それについて試行錯誤中です。他の学問分野や宗教でもその学問や宗教の表現方法がとりいれられています。またリベラルの中には聖書のイエス・キリストの教えと神学、聖書は無関係であるとする主張もありますが、キリスト教において神学、教理と聖書は無関係ではありません。社会問題系の記事とはどれについて言っているのか私にはわかりません。聖書引用方法は私が考え出したのではなくて、英語版を参考にしています。--Evangelical 2010年6月21日 (月) 17:25 (UTC)[返信]

文中に辞典としての体裁を妨げない範囲で…まさにその「辞典の体裁」を問題にしています。
教理と聖書は無関係だなどとも申しておりません。
私は自由主義神学の立場から申してはおりませんし、当然ながら自由主義神学の立場にある者でもありません(そもそも自由主義神学についても福音派についても、いずれも事典類で調べがつく程度の事以上には存じません)。
取り敢えず、一旦ウィキブレイクに入りますが、今週末には復帰します。--Kinno Angel 2010年6月21日 (月) 19:11 (UTC)[返信]

Portal新着項目更新へのお礼[編集]

いつもPortal:キリスト教/新着のキメ細かい更新、ありがとうございます。最近議論すること、異議を唱える事が多くなっておりますが、新着の更新については本当に感謝しております。--Kinno Angel 2010年6月25日 (金) 00:22 (UTC)[返信]

お知らせとご協力のお願い[編集]

普段から宗教やキリスト教に露骨な敵意を示している利用者: Was a bee会話 / 投稿記録 / 記録がよからぬことをやらかそうとしています。宗教や信仰にも理解があり記事にバランスをもたらしているウィキペディアンたち対して、Was a beeは執拗な攻撃を加え、さらに科学崇拝的で反キリスト教的な者を集めてよからぬ方向で議決をして、自分が気に入らないウィキペディアンたちに攻撃を加え、ウィキペディアで反宗教的で反キリスト教的なことをやらかそうとしているようです。(Wikipedia:コメント依頼/IonianWind_他)。このまま放置しておいてはウィキペディアでのバランスが崩れてしまうことでしょうし、あなた様の自由な投稿活動にも何らかの悪影響が出てしまう可能性があります。Was a beeの悪だくみを阻止すべく、反対の投票活動を行うなど、ご協力をお願い申し上げます。--Calling of light 2010年8月3日 (火) 12:33 (UTC)[返信]

メッセージありがとうございます。確認いたします。--Evangelical 2010年8月6日 (金) 22:58 (UTC)[返信]

機械的霊感説についての確認[編集]

記事機械的霊感説について確認させて頂きたい事が御座います。ノート:機械的霊感説に御教示を頂きたく、何卒宜しくお願い申し上げます。--Kinno Angel 2010年10月27日 (水) 15:27 (UTC)[返信]

折伏教典について[編集]

はじめまして。さて、Evangelical様が作成されました折伏教典につきまして、摘要欄に「折伏2010年3月30日 (火) 09:53 から一部転記」と書かれてありましたが、件の版[4]を確認しても、該当する文面を見つけることができませんでした。これは何らかの間違いなのでしょうか?--NOBU 2011年10月18日 (火) 17:19 (UTC)[返信]

リダイレクト削除審議のお知らせ 2011年11月[編集]

リダイレクト削除依頼からのお知らせです。Evangelicalさんが作成したリダイレクト(または作成後にリダイレクト化されたページ)に対して削除依頼が提出されております。つきましては、審議への参加をお願いいたします。対象リダイレクトの審議場所:Wikipedia:リダイレクトの削除依頼/2011年11月#RFDブルンナー

ご注意:※Evangelicalさん作成のリダイレクトのうち、複数が追加で依頼される場合があります。しかし当月分に関しては再び通知されることはありませんのでご注意ください。当月の審議ページを「ウォッチリストに追加」して、チェックすることを強く推奨します。※このお知らせを翌月7日までに過去ログ処置などで消去した場合、仕組み上、同じ文章が再度投稿されますのであらかじめご了承願います。※このお知らせはBotにより自動投稿されています。この下にメッセージを書き加えても、返答が付くことはありません。自動投稿に関する問い合わせは「Bot運用者の会話ページ」にお願いします。--Trvbot 2011年11月27日 (日) 21:10 (UTC)[返信]

アカウントについて[編集]

Evangelical さん、こんにちは。Evangelical さんは2010年10月のこの編集([5])で多重アカウントの使用を示唆されているのでしょうか? その後「Wikipedia:多重アカウント」のガイドラインは2011年4月26日に改訂されました。もし別のアカウント名を使った、あるいは使っているならば、ガイドラインに従って「主/副アカウント」を表明してくださるようお願い致します。私の推測にもとづくお願いで失礼とは思いましたが、どうかお許しください。--Yamanosora会話2015年1月10日 (土) 01:46 (UTC)[返信]

利用者ページの保護について[編集]

こんにちは。はじめまして。柏尾菓子と申します。

最近「故意に編集フィルター記録に多量の動作ログを残しログ監視を妨害する荒らし」が流行しており、その一環でEvangelicalさんの利用者ページも標的となりました。そのため、2023年6月16日 (金) 04:51(UTC)に半保護されています(Logid/6516944)。詳細な理由は利用者‐会話:えのきだたもつ#利用者ページに対する半保護をご確認いただけると幸いです。不明な点がある場合は、答えられない可能性もありますが、可能な範囲で説明するため、お問い合わせください。あるいは、保護しないでほしい場合もお問い合わせください(確実に気づくために、通知していただけるとありがたいです)。何もない場合はこれはお知らせのため、返信は不要です。よろしくお願いいたします。--柏尾菓子会話2023年6月18日 (日) 08:32 (UTC)[返信]