利用者‐会話:Yasumi/過去ログ平成二十三年度まで

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あいさつ[編集]

はじめまして、Yasumiさん。ようこそウィキペディアl。歓迎します--ようこそ 2006年3月13日 (月) 20:39 (UTC)[返信]

どうもお世話様です。よろしくお願いいたします。yasumi 2006年3月14日 (火) 11:00 (UTC)[返信]

所感[編集]

現状、英文ウィキペディアは事実と異なることが書かれ過ぎと思う。yasumi 2006年4月27日 (木) 03:39 (UTC)[返信]

 わざわざコメントどうもです。

 英語版は気にはなっているものの、編集合戦というのも面倒だし、英語力に自信もないし(笑)ということでとりあえず日本語版投稿を始めてみました。日本の国内でも書籍やらHPやらで韓国の言い分をそのまま鵜呑みにして書いているのが多すぎますし、まぁそれなりの意味はあるかな、と。

 ところで、タイトルは既にある例に則って、野戦は~の戦い、攻城戦は~攻防戦、海戦は~海戦と言うことでいいんでしょうか。

 では、こちらこそよろしくお願いします。Jinzuu 2006年6月19日 (月) 13:32 (UTC)[返信]

どうも、どうも、名称の統一感はどうなんでしょー?私にも分からないです。yasumi 2006年6月20日 (火) 23:56 (UTC)[返信]

はじめまして。もともと軍事史や朝鮮半島に興味があったのですが、たまたま「天軍」という韓国映画をDVDで見て、改めて朝鮮の役に興味を抱きました。それにしても英語版はひどい。「あの人たち」は「欧米の研究を引用しているから中立」だとか、妄言を吐いていますが、その欧米研究者たち、果たして一次資料をきちんと読み込んでいるか非常に疑問です(漢文に弱いのはしょうがないと言えなくもないですが)。鳴梁海戦の朝鮮側の犠牲は、おそらく「乱中日記」を根拠に「死亡2名、負傷3名」となっていますが、「乱中日記」で書かれているのは、あくまでも李舜臣の船に乗っていた将兵の死傷者についてではないでしょうか(それですら、李舜臣の船に乗っていた将兵の全死傷者かどうかわかりません)。自分も英作文には自信がないですが、根気よく「あの人たち」に一次資料の提示を求めていきます。isebito 2007年8月24日 (金) 21:22 (UTC)[返信]

どうも、Isebitoさん。よろしくお願いします。英語版は少し手を付けたのですが、語力も根気もないので放置しました。せめて日本側が管理保有していた動員定数の提示ぐらいはやりたかったのですが・・・このジャンルは国内のほうに大きな問題があるようです。yasumi 2007年8月25日 (土) 00:10 (UTC)[返信]
日本ではこのジャンルに関心のある人はあまりいないのでしょうか?史学会の事情には疎いのですが、最近の研究動向はどうなんでしょう。isebito 2007年8月25日 (土) 17:12 (UTC)[返信]
さあ、詳しくないですが侵略批判派にしてこの分野で一番幅をきかせているんじゃないかと思われる北島万次氏は随分韓国側に浸透されていているみたいですよ。権威として韓国側にお墨付きを与える役割もになっています。その後継候補は中野等氏でしょうか?政治的な策動などせずに学問に邁進して貰いたいものです。なお、コメントの末尾に「~」の小文字を4個並べると自動的に著名及びタイムスタンプが表示されますので、是非ご利用下さい。yasumi 2007年8月28日 (火) 07:51 (UTC)[返信]

韓国の人物[編集]

平仮名表記の日本語読, 私はあなたの意見と同意する。私はあなたの意見を支える。 Mr Tan 2006年7月17日 (月) 16:01 (UTC)[返信]

三城放棄案の件[編集]

yasumiさん、蔚山城の戦い後の三城放棄案の件、どうも有難うございます。これ(一月二六日付注進状)がそうですね。ソースが思い出せないのですが、たしか加藤嘉明もこの案には反対したと思います。私は文禄・慶長の役について色々と勉強しておりますので、また何か機会がありましたら宜しくお願いいたします。--Tokugawa 2009年1月15日 (木) 15:33 (UTC)[返信]

どうもお世話様です。私もまだまだ分からないことだらけです。よろしくお願いします。
朝鮮役は上に書き込みのあるJinzuuさんなんかも詳しいですよ。 あと加藤嘉明の態度については分かりません。それと「三城放棄案」ですが南海倭城の扱いが難しいので「戦線縮小案」などの呼び名の方が妥当かも知れません。yasumi 2009年1月16日 (金) 22:31 (UTC)[返信]

九州征伐および小田原の役の改名提案について[編集]

はじめまして。Yasumiさんは朝鮮の役を中心に執筆なさっているようですが、願わくばノート:九州征伐#九州の役への記事名変更を提案ノート:小田原の役#記事名についての議論についても、またご意見を執筆していただければと思っています。--蚯蚓 2009年2月1日 (日) 12:19 (UTC)[返信]

どうも、お世話様です。コメント付けてみました。 こちらは立花宗茂の編集でくたびれ果ててしまったところです。--yasumi 2009年2月2日 (月) 12:03 (UTC)[返信]

丙子胡乱[編集]

是非捏造を挿入しないでください. 討論掲示板を見れば分かるが捏造というのを確かに立証しました.Alertkeep 2009年2月14日 (土) 04:53 (UTC)[返信]

Alertkeepさん、真偽を述べる前にまずルールに従った編集をして下さい。yasumi 2009年2月14日 (土) 08:56 (UTC)[返信]

丙子胡乱

私の見解ではなくて, 嫌韓たちが作った捏造資料というのをノートに明らかにしました [1]

   * 1. 中国と韓国のオリジナル古文献歴史書にそんな記録がない.
   * 2. 1634年に公式的に中断したという確かな記録がある.

嫌韓たちが韓国に対する情報をほとんどすべての水準で惨めに描いて手広く捏造したいことは分かるが, 偽りは偽りで捏造は捏造だからウィキピデ−アに相応しい情報ではないです. 言い換えるが疑問があれば反論を討論してくださって, アメリカで運営する日本語版ウィキピデ−アは日本人専用空間ではないです. 嫌韓によって意図的に捏造された文章Alertkeep 2009年2月14日 (土) 09:45 (UTC)[返信]

残念、誰の見解であろうと間違っていようとyasumi 2009年2月14日 (土) 08:56 (UTC)へループです。必ずしも貴方の記事を排除する立場にありませんが、参加資格を得てから参加して下さい。yasumi 2009年2月14日 (土) 09:55 (UTC)[返信]
(追記)当然、貴方の進める編集手順と編集内容に妥当性があれば、その編集は妨げられません。言っている意味を理解して頂けましたでしょうか?--yasumi 2009年2月14日 (土) 22:07 (UTC)[返信]

ありがとうございました[編集]

お礼によいものを見つけたのでお知らせします。慶長の役や三跪九叩頭の礼などを荒らしまくっていたうちの2人が投稿禁止処分を受けています。[2] [3]の41番。--Chichiii 2009年2月18日 (水) 11:44 (UTC)[返信]

意見[編集]

あなたの文章も出典不明の記述だらけですね。個人の主観にたった独自研究はおやめください。他人に要求する以前に、自分が出典を明示すべきでは?--Sabkakusikaku 2009年3月1日 (日) 09:58 (UTC)[返信]

あなた、ノートで指摘もせずに、いきなりリバートしてますね。しかも出典の明示が不正確だったり、なかったり、あなたの主観を交えた独自研究だったり。--Sabkakusikaku 2009年3月1日 (日) 11:11 (UTC)[返信]

ああ、そうですか。具体的な指摘や改正点は各項目ノートで議論致しましょう。--yasumi 2009年3月1日 (日) 12:58 (UTC)[返信]

ノート:九州征伐での議論につきまして[編集]

どうも失礼します。いら立ちは分からないでもありませんが、あの言葉遣いはまずいです。乱暴な口調はyasumiさんが冷静でないのではないかと疑念を抱かしめるだけでなく、議論相手の方の冷静さをも奪いかねません。建設的に議論を進めるには、参加者双方が冷静に、互いに敬意を払うことが必要です。ご賢察を。--Arawodas 2009年3月2日 (月) 13:22 (UTC)[返信]

ご忠告痛み入ります。あちらもこちらも、どうも労に見合わない事ばかりで滅入ってしまいました。--yasumi 2009年3月2日 (月) 21:27 (UTC)[返信]

お礼[編集]

九州征伐(九州の役)の方でお世話になっております蚯蚓です。このたびは合意成立により記事の方移動いたしました。まだリンク元の修正ができていないのですが、まそれはこれから。一応移動無事行えましたのでご報告に参りました。この議論ではいろいろお世話になりました。ありがとうございました。

無礼ながら、現在征伐反対の議論がそこらで行われていますが、ノート:四国征伐など、そちらの方もご一見お願いします。--蚯蚓 2009年3月31日 (火) 12:25 (UTC)[返信]

いえいえ、こちらこそお世話になりました。移動、ご苦労様です。--yasumi 2009年4月1日 (水) 10:44 (UTC)[返信]

月間感謝賞より[編集]

Yasumiさんは、惜しくも受賞には至りませんでしたが、2009年3月の月間感謝賞に推薦されました。推薦時のコメントは次のようなものでした:

  • 蚯蚓 4ウィキ: 朝鮮史や戦国史などへの積極的な投稿や、ノートページでの先導的な存在に感謝して。ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。
— Wikipedia:月間感謝賞/投票/2009年3月履歴

また、Yasumiさんには、ウィキマネーが4ウィキ贈呈されています。

Yasumiさんはウィキバンクに口座をお持ちではないようですから、ウィキマネーとウィキバンクについて、簡単なご案内をいたします。ウィキマネーとは、ウィキペディアでの活動の相互扶助を促進するための仮想的な通貨です。また、ウィキバンクとは、そのウィキマネーの口座と残高を記録するシステムです。

ウィキマネーは、ログインしての活動が1か月以上かつ200回以上の編集をしていれば20ウィキ獲得でき、Yasumiさんはすでにこれを獲得されていますから、おそらく24ウィキの残高となろうかと思います。口座開設と残高の記録は、Wikipedia:ウィキバンクに「~~~:ψ24」という形式で、残高を記入するだけになります。

これからのますますのご活躍を祈念いたします。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年4月4日 (土) 11:46 (UTC)[返信]

朝貢に関して[編集]

最近積極的に中国の立場から編集されている利用者:红宝会話 / 投稿記録さんが日本が近世まで朝貢していたと述べているのですが[4]、お詳しいYasumiさんからご意見いただけないでしょうか?--Chichiii 2009年6月19日 (金) 14:05 (UTC)[返信]

ども、最近はノート:松江騒擾事件Wikipedia:井戸端/subj/記事に使う出典の優先度や制限とは?にかまけて朝鮮役関係で抜いています。なんか英語版から翻訳している人が居て>オランカイの記事がウリャンカイで作成されたり後々問題が残りそうです。それに記事の平仮名が韓国語読みになってる?(ウリャンカイ自体には問題はないようでした。ただ玉浦の戦いを「おくぽのたたかい」と日本語読みしていない記事とかありまして・・・)
さて、秀吉の封貢問題については、ネットでは三木聰「万暦封倭考 (その一) : 万暦二十二年五月の「封貢」中止をめぐって[5]2003年や「万暦封倭考 (その二) : 万暦二十四年五月の九卿・科道会議をめぐって[6]」2004年が詳しいと思います。但し肝心の冊封決定を考察するであろう (その三)はまだのようです。
明は小西の工作によって1596年の時点で日本に朝貢貿易(貢)を許さず、冊封(封)のみ許可して日本国王や家臣の官職を与え、秀吉と五大老クラスは明服を着て明使と対面したこともあったようです。この辺は論文では佐藤和夫「関ヶ原諸将の動向 -唐入り・朝鮮出兵の視点から-」や新宮学「十六世紀末の日本と中国・朝鮮との講和交渉 -米沢上杉神社所蔵の明朝冠服を手がかりに-」などが詳しく、明側としては順義王の例に倣って日本を冊封して朝鮮から撤兵させたかったようです。
一方、秀吉側は明服を着たりしていますが朝廷をないがしろにするような仕草はなく、秀吉側の設定した降伏条件が守られれば問題視しなかったようですが、どこかの時点で朝鮮王子が詫びに来なかったり明が朝貢を許さないなど、秀吉側の降伏形態が守られていなかったことが判明し、慶長の再出兵となっています。この辺の秀吉の設定した降伏条件が足されなかった故の交渉決裂のことは中野等「文禄・慶長の役」にも書かれています。
実態としては、明側の片思いの冊封と言って良いかも知れません。また先方の徳川時代の冊封については全然思い当たらないのですが、「清史稿」でも邦交六 日本に対して、属国一 朝鮮・琉球となっていて江戸時代は論外では?室町時代では形として足利義満が日本国王に任じられて勘合貿易をしたのは有名ですが、子供の代に反発を受けて廃止されています。またそれほど詳しくないのですが、冊封とは冊(中華の暦を採用)と封(中華の官職に任じられる)であって義満にしても勘合貿易の実を挙げるのは熱心でも朝鮮の様な冊封実態は伴っていないんじゃないかと思います。依然として冊封にそぐわぬ天皇が別に居て征夷大将軍を任じているわけですし。--Yasumi 2009年6月20日 (土) 11:18 (UTC)[返信]
いつも丁寧な説明ありがとうございます。この説明、利用者:红宝会話 / 投稿記録さんに伝えてもよろしいですか?--Chichiii 2009年6月20日 (土) 12:01 (UTC)[返信]
私の調査と所感のという前提の範囲でなら結構です。と言うかどこで話し合われているのかよく分かりませんでした。--Yasumi 2009年6月20日 (土) 12:55 (UTC)[返信]
红宝さんが近代までの日本は中国の属国であるとか沖縄は中国のものであるという傾向の編集を続けられていますので、適切さを欠いているとの説明のための知識をYasumiさんから分けていただいたわけです。大変感謝しております。--Chichiii 2009年6月21日 (日) 02:49 (UTC)[返信]
松江騒擾事件についてですが、議論中の記事についての編集はもう少し待って頂けないでしょうか?まずは月曜0時より一週間の期間でインクルードの解除と削除ログの復帰について投票に移ります。投票後に無条件降伏表記の議論が再開できると思っています。--Yasumi 2009年6月21日 (日) 10:40 (UTC)[返信]
関係ないところだと思っていました。すみません。差し戻しておきます。--Chichiii 2009年6月21日 (日) 10:52 (UTC)[返信]
ご対応、ありがとう御座いました。--Yasumi 2009年6月22日 (月) 11:41 (UTC)[返信]

ブロック依頼について[編集]

Yasumiさんの的を射たご意見に感謝しております。当件では、コメントや議論がなされる前に大量のブロック票が投じられ、私も当惑してしまいました。Yasumiさんのように見識のあるかたはWikipediaにとって本当に大切だと思います。--Chichiii 2009年7月5日 (日) 08:01 (UTC)[返信]

代案の出典[編集]

s:大東亞戰爭終結ノ詔書を出典に追加していただけないでしょうか?--Chichiii 2009年8月18日 (火) 12:52 (UTC)[返信]

ども、Chichiiiさん。玉音放送では無条件降伏と申し渡していないという根拠で議論はしましたが、記事としての「代案1全文」に対する出典とはまた違うような気がします。また単に「玉音放送」の出典でもないような・・・強いて言えば、例えば議論している分の次文中で「休戦の詔勅[7]」みたいな付け方が良いかも知れませんが、その辺は揉め事の種になりそうなので、今の話とは別途の議題にして欲しく思います。--Yasumi 2009年8月20日 (木) 12:43 (UTC)[返信]
共同宣言(条件は次のとおり、…と記載してあります)を受諾すると言っているわけですから、無条件降伏ではないとする出典として申し分ないと思います。なんならば、ポツダム宣言も出典に加えていただければ、分かりやすいと思います。--Chichiii 2009年8月20日 (木) 13:25 (UTC)[返信]
出典とは実際に表現された記事についての検証を可能とする為に必要な物であるので、「無条件降伏でない」という記事ではない該当文の出典としては相応しくないと思います。一方、該当文の次節の「休戦の詔勅」は終戦の詔勅の事なので参考としてソースを貼り付けるのは良いと思います。如何でしょうか?--Yasumi 2009年8月26日 (水) 11:49 (UTC)[返信]
おっしゃるとおりですね。賛成です。--Chichiii 2009年8月30日 (日) 08:22 (UTC)[返信]

ノート:松江騒擾事件‎の件[編集]

こんにちは。お返事いただきましてありがとうございます。R.Lucyです。枝葉の話になりそうだったので、こちらに書きます。

現在の主眼は「無条件」という表記を使用することが妥当かどうか、であって「無条件」という表記が問題かどうか、では無いと思います。何故妥当か、という問題に対し、ZEROさんは竹永の『島根県の歴史』を論拠としてそこに記載がある事を述べられており、他の出典などから竹永の表記の反証を一貫して求められています。Wikipedia:検証可能性にあるように、事実かどうか(今回で言うと問題かどうか)が重要なのではなく、検証可能かどうか(竹永以外の書籍ではどう記しているか)をまずは確認する必要があります。

今回私は、そうした出典として、鳥海の表記を挙げました。2009年5月3日 (日) 09:22 (UTC)版の項番4でYasumiさんもそうした検証をして頂いています。重要なのはこうした検証をもとにする記事文章の推敲のみであるはずなのに、お互いにいろいろな事を書き連ねたせいで様々な論点に飛び火してしまい収集がつかなくなったように思います。

まず、最初のステップを踏みませんか。検証可能なそれぞれの書籍に当時の時代背景の説明としてどのように記載されているか。次に、それを元にどれが妥当かを議論しませんか。無条件という表記が問題かどうかというお話はその段階ではじめて出てくるものだと思います。

以上、雑文失礼いたしました。--R.Lucy 2009年8月18日 (火) 14:13 (UTC)[返信]

どうもR.Lucyさん、よろしくお願いします。ええと、まさに議論の元にしているのはノート:松江騒擾事件#無条件降伏の表現を使う問題点で指摘した「無条件降伏」という表記では問題が生じているという点だと思っているのですが、その議論が後回しにされる理屈は何でしょうか?Wikipedia:検証可能性については、まずは「実際に表現された記事」が出典により検証可能であることが求められている物と思い、現状維持及び代案1、代案2でも満たしているではないかと思います。また、対立状態で様々な反駁をしているZERO氏に於いては、Wikipedia:井戸端/subj/記事に使う出典の優先度や制限とは?の発言を見ると、該当文が事実を解説しているという認識さえ共通のものとされているのか疑問です。ところで代案2には「日本の降伏」のリンクは不要なのでしょうか?--Yasumi 2009年8月20日 (木) 12:43 (UTC)[返信]
こんばんは。「問題がない」と思っている人がいる可能性がある事柄を「問題がある」という前提で話をすすめるとややこしくなります。松江騒擾事件という記事の大意に影響しない箇所だからどっちでもいいじゃないかという人もいれば、無条件と書くべきではないという人もいますし、その後の事件のいきさつから見ても無条件と表記するのは妥当であると考える人もいるかと思います。それはその人それぞれの主義思想の問題です。
今回の論争は、「無条件という表記を問題視する人」が問題提起をしたことから始まっています。ですので、議論参加者の間で「無条件という表記を問題視する人がいる」という事実はシェアされましたが、「無条件という表記が問題である」という事実はシェアされていません。
解決するためには「1.竹永の無条件という表記(あるいは松江騒擾事件における無条件という表記)に特筆性があるかどうか」「2.無条件という表記が問題であることを示す事実」「3.他の表現で言い換えることが可能かどうか」という少なくとも3つの確認事項が挙げられます。
「1.竹永の無条件という表記(あるいは松江騒擾事件における無条件という表記)に特筆性があるかどうか」は松江騒擾事件の資料を検証しないとわからない事柄です。「2.無条件という表記が問題であることを示す事実」は、日本史の歴史書誌からすぐに見出せる事実でしょう。「3.他の表現で言い換えることが可能かどうか」は文章を組み立ててもいいし、検証可能な資料から導き出してもいいでしょう。
問題あるかどうかという議論を後回しにする理由は、まさしく「1.竹永の無条件という表記(あるいは松江騒擾事件における無条件という表記)に特筆性があるかどうか」が検証されていないからで、これを先に確認する必要があるのではないかと申し上げました。特筆性があるのなら無条件降伏と書かなければいけません。特筆性が無いのなら(既に実施されていますが)「2.無条件という表記が問題であることを示す事実」を示し、記述内容の提案をすれば良かったと思います。執筆者であるZEROさんは特筆性があるとおっしゃっている様に見受けられました。ここのコンセンサスをまず得ないと、いくら問題があるという話をしても噛み合わないと思います。ですので、問題かどうかを後回しにしてまず検証をしませんか、ということです。
だらだらと長くなってしまってすみません。ちなみにリンクはどっちでもいいです。--R.Lucy 2009年8月20日 (木) 14:03 (UTC)[返信]
誤解されておらねば良いのですが念のため。間違っても私は「出典のない事実」を「出典のある事実」や「出典のある意見」に「優先編集させろなど主張しておりません」ので、よろしくご理解下さい。また、Wikipedia:検証可能性とは、まずは「実際に表現された記事」を見た読者が内容を出典元で検証可能であることが要求されている物と理解しています。そう言う点に於いて検証可能性を満たした記事というのはいくつも考えられると思いますが、それらの中からどのような「出典を選ぶ」か、どのような省略、意訳、入れ替え等を含む「内容をまとめた記事」を書くか、中立的な観点から併記、注記、言い換え、引用形態の選択を実施するか、それからおっしゃられる通りの特筆性によって優先順や削除を判断するかといった点は議論による物と思います。
さて、問題のあるなしの認識にしても最初の提議が問題ありとの観点である以上、問題なしとの認識であってもそれを議論をしないのは一種の対話拒否ではないでしょうか?特に今回で言うと、先方は検証可能性から来る手続きの正当性からくる主張とのみで「問題にならない」とも「問題はあるが記事を直す必要は無し」とも自己の意見を避けており、「無条件降伏を使用する弊害」についてはノート:松江騒擾事件#無条件降伏の表現を使う問題点で出来るだけ論争を踏まえて中立的に描写したつもりですあり、記事の修正に反映しないかどうかは別として「問題はある」との認識は広く共有できる物かと思いますが、ただそれさえも議論に向かい合って貰えていないように感じます。また、特筆性についての議論にしても「信頼性のある出典の竹永本が解説しているのだから、特筆性があると見なせる」という趣旨の主張をされているようであり、記事の必要性、つまり特筆性についての自己主張はされていないのではないでしょうか?概して、解釈を嫌って議論をしないように見えるのです。
少し付け加えるなら、問題点の弊害を上回る特筆性があるので有れば、引用形態を取って「無条件降伏」で表現することについては私の方からの提案でもありました。拒絶もされましたが、出典を確認しても私には問題点のデメリットを上回るような特筆性を見つけることは出来ませんでした。引用形態案の他に、併記案、注記案なども出ていますが先方は蹴飛ばしています。
なお、出典検証についてはノート:松江騒擾事件の議論の中で出典確認を--yasumi 2009年5月3日 (日) 09:22 (UTC) の『島根県の歴史 県史32』2005年山川出版社(近現代-竹永三男著)、『島根県の歴史 県史シリーズ32』1969年山川出版社(内藤正中著)、『島根県の百年 県民百年史32』1982年山川出版社(内藤正中著)、『『新修 島根県史』通史篇(三)現代』1967年臨川書店(島根県編)の4冊で書いていますが、その後に纏めきっていませんが--yasumi 2009年5月30日 (土) 14:15 (UTC)の最終行にあるとおり、主に先方が触れた出典を中心に確認済みの原稿を上げておきます。これはその時点のメモなのですが、それよりも提示している「問題の有り無し」についての議論に向き合わず、問題に対する対話を拒否されている状況が憂慮されるべきだと思います。
  • 『日本近代史事典』京都大学文学部国史研究室、1958年、東洋経済新報社
「松江騒擾事件」の項。「第2次世界大戦終戦反対運動の一つ.」
  • 『日本近代史事典』京都大学文学部国史研究室、1958年、東洋経済新報社
「松江騒擾事件」の項。「第2次世界大戦終戦反対運動の一つ.」。
「終戦反対運動」の項。「1945年(昭和20)8月終戦決定前後の一部軍人・右翼団体による無条件降伏反対運動。」他「降伏」「終戦」の語句で説明。
  • 『国史大辞典 第十三巻』国史大事典編集委員会、平成四年、吉川弘文館「松江騒擾事件」の項。『第二次世界大戦の敗戦直後、日本の降伏に反対する右翼団体が起こした騒擾事件。昭和二十年(一九四五)八月十五日、ポツダム宣言受諾による日本の降伏が国民に発表されると、・・・(鳥海靖)』説明文中「降伏反対」の語1あり。
  • 『島根県大百科事典 上巻』島根県大百科事典編集委員会、1982年、山陰中央新報
「島根県庁焼打ち事件」項「第2次世界大戦終戦直後、県内の一部青年グループが降伏に反対し・・・」の記載。他「岡崎らは、日本の無条件降伏は」「終戦」「降伏」「敗戦」の語で説明。
巻末年表、「ポツダム宣言を受諾して無条件降伏。」
  • 『最新 右翼辞典』堀幸雄2006年、柏書房。
「島根県庁焼打ち事件」項。「岡崎功ら四四人は無条件降伏に反対し、」
「岡崎功」項。「四五年八月敗戦に憤激し、」
巻末年表、「/15天皇、終戦の詔勅放送。」
  • 『右翼・民族派事典』社会問題研究会、1976年、国書刊行会。
「昭和二十年八月十五日の無条件降伏は、」「敗戦という歴史的な事実に対する精神的打撃」
「島根県庁焼打ち事件」項。「無条件降伏に反対して」引用文中に「今時終戦は」
巻末年表、「15天皇、終戦詔勅放送。」
  • 『戦後の右翼勢力』堀幸雄1983年、勁草書房
「敗戦」「終戦」を多く使って説明。児玉誉士夫の発言引用で無条件降伏の一語あり。
  • 『天皇の影法師 (日本の近代 猪瀬直樹著作集10)』「恩赦のいたずら」 猪瀬直樹、2002年、小学館。
「無条件降伏」「敗戦」「降伏」が各々多数。
最後に、前半で述べました議論や認識の確認については貴方ご自身が多少なりとも直接先方と話されて確認してみては如何でしょうか?あの該当文が「背景説明」であるとの解釈に先方は合意するでしょうか? 私は現状維持よりは代案2に賛成なのですが、先方の主張は「無条件降伏」を除去する理由はないとのことで、削除理由は表明する必要があるのではないかと思います。私にはあまり元気がないので。つまるところ修飾のために代名詞の「無条件降伏」を使うのであれば、Wikipedia:中立的な観点からの問題を生起することは免れないのでしょう。--Yasumi 2009年8月26日 (水) 11:49 (UTC)[返信]
こんにちは。丁寧なご回答ありがとうございます。私は当該記事における無条件かどうか、という表記に関して今回の議論を読むまではどちらでもいいという認識でした。また、既に投票が始まってしまっており表記内容については決着を見ようとしていますので、YasumiさんにもZEROさんにも今更感、徒労感が多分にあることかと思います。
「貴方ご自身が多少なりとも直接先方と話されて確認してみては如何でしょうか?」とのことですが、現状からZEROさんと私の間での認識の共通化を図ったとして、どのような記事の発展が見込めるか、私にはそのヴィジョンがありませんので、いまのところ私とZEROさんとの対話の必要性はないかな、と思っています。YasumiさんがZEROさんとの合意形成の必要性を感じていないという事であれば、本節は私の余計なお節介以外のなにものでもありません。--R.Lucy 2009年8月26日 (水) 14:30 (UTC)[返信]
考え方や提議内容及び実施した検証内容について問われたことをお答えしたつもりですが、最後の部分でおっしゃられていることが良く分からなくなりました。R.Lucyさんが私の会話ページへ問いかけをしている理由は何だったのでしょうか?そして私の提議を退けて「最初のステップ」を優先するように言われていましたが、私の調査は不足しているのでしょうか?私としては際限なく議論資格を吊り上げられて当初提議を避けられるよりも、提議した問題点が百科事典の記事に有意義であるかどうかの具体的な議論を優先して頂きたいのですが・・・
「合意形成の必要性を感じていないという事であれば」「余計なお節介」であったとのことですが、私は議論から代案1を提出するにあたって、先方の頷ける論理と頷けない論理を踏まえて合意に向けて極めて歩み寄っているつもりです。つまり、現状でも出典より省略されている「天皇の」が「玉音放送」に必然的に内包される概念であるように、「無条件降伏が」も「ポツダム宣言の受諾」を代名的に内包さているという解釈に基づけば省略できるのではないかと言うことです。しかし、派生したWikipedia:井戸端/subj/記事に使う出典の優先度や制限とは?での照会に於いても先方は言葉を濁して省略を是とした論理を表明することは有りませんでした。ここでも(独自研究を避ける意味であるのか、真意は分かりませんが)どの議題に於いて照会しても出典や記事の内容解釈を嫌っているように拝察してしまう由縁となっています。
もう一つ重要な点、今回終盤に至るまで先方の主張である「無条件降伏を削る理由がない」との反駁を受け、私は代案1を出すに至ってその弊害(問題点)を指摘しています。代案2は「降伏で説明するのがよい」というメリットは分かりますが、書き換えにより「無条件を削除する(あるいは優先させない)」事についての理由付けが表明されてないように思え、事前の議論を踏まえていないように思えます。私はそちらの案でも賛成なのですが、代案2を編集する際には必然的に「無条件」の削除が実施されるであろう事を念頭に、代案2の出典差し替えで実施される「削除根拠が何なのか」を表明していただけないでしょうか?--Yasumi 2009年8月31日 (月) 10:56 (UTC)[返信]
こんにちは。相手との認識の齟齬を感じたならばどうか結論を急がず、ワンステップずつ認識の共有化を図っていただけるようご協力お願いします。複数の論点を並列して並べ立てると、混乱してしまいます。
表記内容に関して投票を以って決着を見ようとしているノート:松江騒擾事件‎において、YasumiさんはZEROさんとの合意形成の必要性を現在も感じていますか?必要性を感じている場合、ZEROさんとの合意形成に至るステップにおいて、第三者の介入を必要としますか?--R.Lucy 2009年8月31日 (月) 12:42 (UTC)[返信]
ノート:松江騒擾事件については積極的な合意に至れずに残念ですが、投票による次善の決着がついたもの思います。以後、このコミュニティの意見を受けた一応の決着を覆す異議が申し立てられて議論が再発した場合には合意形成のための仲介をお願いしたいと思います。私としては4月以来の議論であり、決して急いだつもりはないのですが、当初から議論に向き合って頂けていないと言う感触があることに変わりはありません。
さて、これがR.Lucyさんのいうワンステップなのかどうか分かりませんが、上述されている内次の二つの質問つに答えていただけないでしょうか?
  • 私の問題提議であった「無条件降伏の語を使用することには問題があり改善すべき」に対して、R.Lucyさんが「問題有り、変更すべき」「問題有り、しかし変更する程ではない」「問題なし」など、どのような認識にあるのか。そして代案2を提案するにあたって、出典充分な「無条件降伏」を除去する理由・根拠。
  • R.Lucyさんの「まず検証をしませんか」について、文脈から「無条件降伏」の特筆性についてのとかなと思いますが、私の調査はノートとここに追記した通りですし。ノートでも特筆性はないと書きました。これらの検証実施に対して議論をするに不足であり編集するには更に調査が必要と思われているのでしょうか?それともまずは充分であると思われているのでしょうか?際限なく要求を吊り上げられる事で議論資格を足切りされては困ります。
以上2点についてお答えいただければと思います。
また、先方は「問題点は有るのか?」との照会に対して、有るとも無いとも答えていないように思いますし、特筆性についても意見として「ある」とは言っていないと思います。個人見解を避けて「竹永本で説明に採用されているという点で無条件降伏には特筆性がある」との間接的な趣旨での回答です。全てではありませんが「○○とも言える」「××の立場にも立てる」などの言葉が多く自身の意見を表明するとは僅かに思えます。更にWikipedia:井戸端/subj/記事に使う出典の優先度や制限とは?でも、「事実」に対して他の人と異なった認識で話されており、該当文をR.Lucyさんが仰られた「時代背景の説明」と認識しているかどうかも確認が取れませんでした。従前、先方は「無条件降伏には諸説がある」との認識に立ちながら、議論の流れから出てきた「並記案」「注記案」「引用表現案」などを却下し続けてきたという経緯もあります。
なぜ、R.Lucyさんが私にばかり話しかけてこられるのか分かりかねますが、R.Lucyさんが受け取っている先方の認識についても齟齬を感じざるを得ません。代弁を為されるので有ればこれらの経緯や理由については先方との確認を取っていただきたいと思います。--Yasumi 2009年9月4日 (金) 23:57 (UTC)[返信]
ご意見承りました。投票という手段ではありますが、コミュニティのコンセンサスが得られたという事で、とりあえずは決着、終了としたいと思います。長きに亘る議論の進行と各種史料の検証作業お疲れ様でした。
私に対して質問をされておりますが、決着を見た議題に対してさらに会話を続ける必要性はありますか?百科事典としての記事発展に寄与するということであれば、回答させて頂きますが。--R.Lucy 2009年9月5日 (土) 03:50 (UTC)[返信]
どうも、R.Lucyさん。落着なら良いのですが、再発した時の仲介を期待して起きますので、その折りはよろしくお願い致します。
さて、会話としては終了したいと思いますが、最後に二つの質問には答えていただきたいと思っています。すなわち、一つ目の質問は私が提議したファーストステップのファーストリアクションです。そして、何よりノートで先方から散々論駁された除去の根拠であり、本来で有れば代案2についても同じ論駁に晒されて、無条件降伏の除去根拠が有ってこその提案となっているはずだからです。二つ目はR.Lucyさんの「議論の前に検証しませんか」に対するこちらのファーストステップを提示したものですが、議論開始の条件をどのあたりに設定されていたのか確認しておきたい次第です。以上の答えがいただければひとまず終了と思っています。お先に失礼しますが、お付き合いいいただき、どうもありがとう御座いました。--Yasumi 2009年9月5日 (土) 08:41 (UTC)[返信]

(インデント戻ス)こちらこそよろしくお願い致します。私の個人的な見解という意味でご質問にお答え致します。まず1点目はコミュニティの合意が得られる記述内容であれば何でも構わないと考えていました。無条件という表記を伴わない表現をZEROさんが独自研究ではないかと危惧されていた([8])ため、そうではない事を示すために出典に基づく無条件という表記のない表現を代案として提示いたしました。無条件という表現の除去根拠ではなく、無条件という表現のない文言が問題の無いことの根拠を提示したつもりです。▼2点目、私がコメント依頼を経由して本記事に辿りついたのは2009年6月ごろですが、記事中に提示されている参考文献の検証が完了していなかったため議論への参加はしていません。議論へ参加するにあたり、事前に記事に提示されている検証をすることは当たり前だと思っています。中途ながら代案を以って参加したのは投票が開始されようとしたからという経緯があります。▼以上、同意いただく必要は全く無いですが、私の認識と見解からご質問へ回答いたしました。--R.Lucy 2009年9月5日 (土) 10:47 (UTC)[返信]

四国攻め改名関連[編集]

コメント依頼提出のお知らせ[編集]

Wikipedia:コメント依頼/Arawodas,Machine gun,Yasumiを提出しました。内容をご確認の上、必要なら訂正をお願いします。一読頂ければお分かりでしょうが、基本的に私の訊きたいことばかり書いているので、yasumiさんの解釈については一点しか取り上げていません。他の三点に関して、もし他の2名と違うyasumiさんご自身の解釈についても衆議に問うてみたいとお考えなら、依頼文に書き加えて頂いて構いません。あと、先走ったことはお詫びします。--Arawodas 2009年11月26日 (木) 04:14 (UTC)[返信]

どうもお世話様です。そろそろ頃合いかと思いますので、コメント依頼については異存はありません。--Yasumi 2009年11月29日 (日) 00:00 (UTC)[返信]

お疲れ様です。前回、前々回と私が回答を横取りする形になって、Yasumiさんからすると意を尽くさない部分があったかもしれません。その点はお詫びします。本題は二点です。
中立性に関しては、私はもう基本的にかかわらないつもりです。その上で継続するも中断するもYasumiさんのお考えに任せます。これだけ説明しても秋田城之介さんは表面的な字句にこだわるばかりで、Yasumiさんの論旨はほとんど理解していないように、今回の発言から感じます。よほど読解力に難があるのか、分かった上でスルーして難癖をつけやすい部分にだけ噛みついているのかは断定できませんが、続けるなら相当噛み砕いて分かりやすく説明する必要があるように思います。
次にコメント依頼について。前回の利用者に関するコメント依頼の空振りを考えると、効果のほどは疑問ではありますが、合意形成のためのコメント依頼を考えるべきではないかと思います。依頼提出の可否、時期、依頼前に払うべき努力(事前に詰めておくべきやり取りなど)について、お考えを伺いたく思います。--Arawodas 2009年12月21日 (月) 09:54 (UTC)[返信]

どうにもこうにも建設に向かって貰えない感じですね。こちらは淡々と合意に向かってステップを踏めば良いのではないでしょうか?客観的に証明された「文題一致」に対し、かつてMachine gunさんが主張された「一般性の優越」を継承するのであれば、その論拠を明示させ、対立点を明確化(遅滞目当てに明確化させないという戦術なのかも知れませんが)させて最後はコミュニティの判断を仰ぐしかないと思います。(前段階に於いても「歴史的事件」と言う前提を忘却したうえで、「一般的に知られており」を意図的に解釈しているわけですし。「四国征伐」って言葉が普及しているとして、それは史学的戦争名(歴史的事件)として「一般的に」扱われている言葉なのでしょうか?)--Yasumi 2009年12月21日 (月) 12:25 (UTC)[返信]
追記します。秋田城之介さんの抱えているもう一つの議論であるWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 漫画雑誌/カテゴリ編成についてを一読して同じような状況に陥っていることに愕然としました。合意に至れないまでも、まずは対立点の明確化が肝要と思われます。それには、秋田城之介さん側の論理論拠を表明して貰う必要がありそうですが・・・--Yasumi 2009年12月22日 (火) 10:33 (UTC)[返信]
その件については把握しております。あちら側のお二人はかなり長期間氏につき合っているようですが、単に私たちより辛抱強いだけなのか、氏との議論にそれなりの意義を感じて続けているのか、ちょっと測りかねています。状況によってはそのうち連絡を取ってみようとは思っていましたが。--Arawodas 2009年12月22日 (火) 13:55 (UTC)[返信]
あちらはカテゴリが有用/無用だと「思う」「思わない」で膠着しているようですね。こちらは合意に向けて対立点の明確化を目指すべきかと思います。相互主張とその論理論拠、反論を整理してコメント依頼なり投票へ向かうため、次項のようなまとめが必要かと思いますが、如何でしょうか? なお、ガイドラインのWikipedia:記事名の付け方が22日に英語版よりの影響で「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」「首尾一貫している」が追記されており、議論に関係してきそうです。--Yasumi 2009年12月24日 (木) 20:48 (UTC)[返信]
WP:DRによると順序としてはまずコメント依頼(ステップ3)で、合意できなければ投票(ステップ4)でしょうね。まとめ草案を拝見しましたが、私たち3名が状況を理解するためのものなのか、コメント依頼などの第三者に説明するためのものなのか、目的をはっきりさせた方が書きやすいと思います。また、草案に書かれている合意事項や征伐支持側の論拠は、machine_gunさんとの議論時のもので、秋田城之介さんはこれを継承するとは明言していません。ここは書かない方がいいと思います。形式については、反論再反論がツリー形式で並ぶと錯綜して読みにくくなるので、改名賛成側と反対側で書く場所をはっきり分けた方が良いと思います。それから改名反対側の論拠は全部秋田城之介さんに書いてもらうべきです。きちんと整理して書ければそれでよし、書かない・書けない場合は氏の論理が他者に説明できるレベルにないことが露呈するだけの話です。わざわざ私たちが手伝ってやる必要はないと考えます。machine_gunさんの論理については、秋田城之介さんが自分で拾って来ないなら、とりあえず放っておいてよいと思います。訪れた第三者からリクエストがあれば、その時私たちの手で追記すれば十分でしょう。実は私も、こちらの草案を読む前にコメント依頼文の雛型を作っていました。とりあえず出してみます[9]。--Arawodas 2009年12月25日 (金) 12:28 (UTC)[返信]
Arawodasさんの案の方が良さそうですね。方針についても同意いたしますので進行をお願いします。--Yasumi 2009年12月26日 (土) 06:01 (UTC)[返信]

投票について、Yasumiさんのお手元であらかじめ文面など準備しておいて頂く分には問題ないし、やって頂けるならむしろお願いしたいです。あちらではああ書きましたが、決裂する可能性は低くないでしょうから。それから、前回の措置が「早すぎる」ことでケチがついたのが今回の発端ですから、同じ轍を踏まないよう気をつけたいです。--Arawodas 2010年1月11日 (月) 11:11 (UTC)[返信]

四国[編集]

投票継続については意見が割れてしまったわけですが。とりあえず、Chokorinさんの会話ページには反論なさらないように、私からお願いです。場外乱闘は回避してほしいです。「あなた方」には私も入っているでしょうし、腹は立ちますが、現在の状況を有効活用する方向で考えて頂けないでしょうか。--Arawodas 2010年2月20日 (土) 05:21 (UTC)[返信]

ご忠告、痛み入ります。ここに至っては、どちらが多数派を取ろうと、一番悪いのは決まったことを守らないことではないかと思います。なぜなら、今守られなければ今後は更に守られないのではないかと思うからです。投票的には狙いと違って色々駄目なところはありますが、撹乱に乗ぜられることなく、決まったことはきちんと終わらすことが今後も見据えて肝要なことかと思います。--Yasumi 2010年2月23日 (火) 21:32 (UTC)[返信]

苦言[編集]

ノート:四国征伐における投票ですが、締め切られてまだ丸一日もたっていません。投票結果について「確認をお願いします」と書いてまだ他の人が確認コメントを全く入れていない状況でページ移動を実行なさいましたね。これは他の人の「確認」をお待ちになったほうがよかったのではありませんか。差し戻しが必要とは思いませんが、自重していただきたかったと強く思います。

性急な移動は紛争のもとになりやすいので、今後はなさいませんように切にお願いします。--miya 2010年2月28日 (日) 10:07 (UTC)[返信]

(追記)Wikipedia:投票の指針が歴史的文書となり投票に正式なルールが無くなったからといって、何をやっても良くなったわけではありません。むしろ、ルールが無いからこそ、そのときそのときで何をなすべきかなさざるべきか、各人が知恵を振り絞って行動しなければならないのです。--miya 2010年2月28日 (日) 11:32 (UTC)[返信]

色々、ご足労頂いておりまして、ありがとうございます。実のところ下駄を預けたくて仕方がありません。今回についても、思いも寄らぬ別方向複数からの介入を受ける中で改名が性急か否か判断が付きかねています。一応の根拠としては事前の合意事項の実施であり、これを覆すのは今後の更なる合意であると認識しています。
1正面だったはずが、なぜか再三再四の介入を受けて3+1正面になってしまい、当惑かつ大消耗しております。軌道修正の必要があれば今後もご教示をお願いします。--Yasumi 2010年2月28日 (日) 12:32 (UTC)[返信]

ノート:四国攻めからの議論撤退について[編集]

こんにちは。影綱と申します。まず上記の件について、折角お声掛けを頂いたにも関わらず、お役に立つことが出来ず、むしろ意に反して混乱を招いてしまった事、率直に深くお詫び申し上げます。
撤退理由について説明が足らなかったかなと思い、蛇足ではありますが釈明させていただきたく参りました。
理由として、一つには『「毛利輝元の四国攻め」が造語であるかどうか』が僕にとってはどうでもいい事であり、その議論が延々と行われることが面倒になった点、今一つには、議論の中核として『信長による四国攻め(計画)と、秀吉の四国攻めは別の事象』である事が前提となっており、ここで「同一(一連)の事象じゃないのか?」と持論を挟む事でさらに混乱しかねない点、等があります。
「羨ましい」と仰られて、むしろ申し訳なく心苦しいのですが、資料を揃え、根拠を得るまでは迂闊な言動は差し控えたいと考え、身を引きたいと考えております。
改めて、今回の議論におけるご教示に感謝し、お礼とお詫びを申し上げます。--影綱 2010年3月27日 (土) 01:55 (UTC)(資料を当たった結果、信長と秀吉の戦役に直接の関連が無いことがわかったので該当部に打消し線を引きます。失礼いたしました。--影綱 2010年3月28日 (日) 23:44 (UTC)[返信]
どうも、影綱さん。お疲れ様です。こちらこそ、意に反して片棒を担いで混沌を呼び込んでしまい、申し訳なく思います。影綱さんの意見に全く同感で、私としては前段で一段落して冷却期間となり、輝元部分や信長部分の記事の独立化が問題なら有志で具体的にやればいいと思って居り、疲弊した私自身も議論参加するかどうか微妙な心情(どちらでも良いから)だったわけですが・・・現状はなんなんですかね?あまり建設的でない、妙な方向へ引っ張られているような気がしますし、不毛な感じ満々です。ともあれ、議論になればまたご助言をお願いします。--Yasumi 2010年3月27日 (土) 22:12 (UTC)[返信]

第3項適用のCU依頼について[編集]

ご連絡有難う御座います。影綱です。
ご連絡いただきました、CU依頼についてですが、申し訳ありませんが、「現状では賛成しかねる」というお返事になってしまうことをお詫びします。理由等はコメント依頼にてコメントさせていただきます。
また、議論の中で対立してしまう可能性は、どちらに理があるにせよ、異なる立場での発言ですので、相違点がある分仕方がないか、とも思います。
ともあれ、改めてお声をかけていただいたことに感謝申し上げ、依頼での議論に尽力したいと思います。--影綱 2010年5月5日 (水) 05:26 (UTC)[返信]

過去ログ化について[編集]

Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Machine gun他にコメントいたしました。再度過去ログ化した版をよくご覧になっていただけますでしょうか。第6節まではおよそ1ヶ月以上追加コメントがなされていないことと、CUが実施されなかった時期にあたり適当であると判断しています。また単に過去ログ送りだと現在の議論を理解しづらいためページサイズの節約も兼ねて

{{Wikipedia:コメント依頼/Machine gun他/過去ログ1}}

としました。議論終結ではないので[Wikipedia:コメント依頼/Machine gun他/過去ログ1|過去ログ1]とはしませんでした。--Tiyoringo 2010年5月8日 (土) 06:49 (UTC)[返信]

「第6節まではおよそ1ヶ月以上追加コメントがなされていないこと」 >前提が間違っているので結論が伴っていませんでした。拡散するので意見はのWikipedia‐ノート:コメント依頼/Machine gun他方に書きました。なお、一つ前の版の編集には驚かされました。--Yasumi 2010年5月9日 (日) 07:32 (UTC)[返信]

チェックユーザー依頼への「謝辞」について[編集]

Wikipedia:チェックユーザー依頼/トーク:四国攻め/Log1#改名投票者でのコメントを拝見しました。事前の合意が取れていないのですから、依頼としては却下せざるをえません。仮に賛否表明を行ったところで、反対者が多数を占めている中、調査すべきとする結果が出るものでしょうか。それが明らかな中で賛否の調査を行う必要は無いでしょう。また、議論の中では「疑いは無いと考える」という意見が大勢を占めているようです。そろそろ「不正がある」という貴方の持論を再検討する時期ではありませんか。--Bellcricket 2010年6月13日 (日) 07:29 (UTC)[返信]

いわんとしているところは了解しているつもりですが、当方としても取り得る手段が限られているなか、苦しいところです。まあ、仕方がないかと。色々ご面倒をおかけして申し訳ありませんでした。問題そのものに向き合ってもらえずに、政治的な判断が優先されているような印象を持ちました。結果論として、健全な方向に進むことを祈らざるを得ません。--Yasumi 2010年6月13日 (日) 07:45 (UTC)[返信]

九州の役での参考投票について[編集]

それぞれ最も適したものだと思うところに票を入れてほしいです。その上で、「他の選択肢も本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成」とただし書きして頂ければいいかと思います。あのままだとさすがに見づらいです。--小判キング 2010年7月11日 (日) 06:57 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。調査投票の目的も効用もルールも明示がなかったためあのような投票となってしまいました。見づらいかも知れませんが、条件成立次第であれらの改名候補のいずれか優先されるべきと思っております。逆に、選択肢を狭めて議論から排除されることがないように、既存で使われていそうな改名候補に投票致しました。
既にノート:九州の役/過去ログ2#改名の提案根拠にて説明しましたが、議論前に結論を提示するよりも、論理論拠を明示して議論参加者の合意を得ることが優先課題ですから、改名優先がガイドラインに沿っていること、選抜の論理論拠のご説明をよろしくお願いします。--Yasumi 2010年7月11日 (日) 08:57 (UTC)[返信]

IonianWind氏関連[編集]

おーたと申します。IonianWind氏関連のソックパペット問題に関わった方々にお知らせしますが、現在多重アカウントの不正使用の再発が疑われています。よろしければWikipedia:コメント依頼/IonianWind 他#2010年8月以降のアカウントについてのCU提案でご意見、ご指摘いただければと思います。--おーた 2010年11月15日 (月) 15:27 (UTC)[返信]

たびたびお騒がせして申し訳ありません。検討の結果、いったん「多重アカウントの不正使用」疑惑から離れた上で、今一度IonianWind氏の問題点をまとめ直してコミュニティの意思を確認しておくことになりました。僭越ながらIonianWind氏の長期投稿ブロックも視野に入れて、独立したコメント依頼を提出しました。度々申し訳ありませんが、Wikipedia:コメント依頼/利用者:IonianWind20101201で御意見の表明をお願いできないでしょうか。よろしくお願いします。--おーた 2010年12月1日 (水) 13:47 (UTC)[返信]

Wikipedia:コメント依頼/Watchdog daemonの件[編集]

当該コメント依頼に関して、僭越ながらWikipedia:コメント依頼/Watchdog daemonを提出しました。「特に要求がない限り私からのコメントを差し控えたいと思います」とのことだったので、とりあえずご報告いたします。--uaa 2011年3月10日 (木) 18:40 (UTC)[返信]

お知らせ[編集]

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Wikipedia:コメント依頼/Watchdog daemon関連を提出いたしましたので、お知らせを差し上げます。--Watchdog daemon 2011年3月12日 (土) 06:13 (UTC)[返信]

不当ブロック解除にご協力を[編集]

利用者:Truesightさんに対して不当な無期限ブロックが行なわれました。問題利用者に対するコメント依頼を妨害するためのもので、管理者自らがウィキペディアの公平や中立に反するものであり、管理者への厳重な抗議を含めて解除にご協力ください。--115.248.114.214 2011年3月20日 (日) 07:21 (UTC)[返信]

お知らせ。

ああ、それから「質量とも最大」の出典も楽しみにしていますので、早めによろしく。あと、当方へのコメント依頼とかブロック依頼の周辺で貴殿への賛同者周りでブロックされた人が沢山出たり、オープンプロキシが出没したりしていることについても、納得のいく説明をお願いしたい。--Watchdog daemon 2011年3月30日 (水) 07:35 (UTC)[返信]

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Yasumi以後[編集]

Yasumiのブロック理由の内、無期限の事由がWikipedia:投稿ブロック依頼/Yasumiに於ける管理者KMTさんの2011年4月14日 (木) 22:34 (UTC)のコメント「Watchdog daemonさんの指摘しているライセンス不理解・不同意については許容できないものと考えます。これに関して被依頼者の見解を見つけることができませんでしたので、これに関しては無期限のブロックが必要であると考え、実施しました。(トークページ編集を許可しています。)」とのことですので、以下により説明を加えたいと思います。
実のところライセンスに関する深い理解の自信はありませんが、常識的にYasumiの発言が正しく引用される限りに於いて、転載されることは容認しています。そのような認識の上で、模様砂漠2さんはノート:取次 (豊臣政権)の議論用のYasumiコメントをWikipedia:コメント依頼/利用者:Yasumi 2回目 20110103#被依頼者コメントの欄に転載しました。
これを問題と思い「模様砂漠2さんのコメント依頼の被依頼者コメント用のものではないので該当項目への転載を許可しません。お手数ですが、善処願いします。[10]」と抗議しました(その後、転載文は転載者によって削除)。その理由は次の通りです。
  1. 単なる引用(例えば依頼者項目にYasumi発言を引用してコメントを募る等)なら良かったのですが、転載は「被依頼者コメント」欄であり、コメント依頼に対する被依頼者の抗弁用途であり、コメント用途が異なること。(転載内容はコメント依頼における被依頼者欄用に書いたコメントでなかったため)
  2. ほぼ二者により膠着していたノート:取次 (豊臣政権)の議論解決のため、コメント依頼は状況として第三者からの意見を募る場であり、当事者同士の論争を輸出して繰り返すことは適切でないと考えたため。
結果、模様砂漠2さんは執拗にコメント依頼の場での反論を求め続けておられましたが、コメント依頼は泥沼化することなく、かげろん氏の「新記事を書いてから統合を議論すべきだ(趣旨)」との意見をいただき、少なからず議論は建設的な方向へ進む手がかりを得たものと思います。
以上、説明し切れているのか分かりませんが、指摘を受けたYasumiの行為について説明しました。これがルール違反であるというのであれば、それに従ったブロックを受けたいと思いますし、指摘の場面に於ける正しい対処を教えていただけるのであれば、反省に加えたいと存じます。
なお、上記の認識もあり。元となる指摘を行ったのは、利用者を執拗に排除するための運動をしていたブロック済みの(禁止されているオープンプロキシを使用した不適切な多重)アカウントによるものであり、別途指摘があればこのような説明をするつもりでした(あまり一々反論するとそれを理由にブロックされかねないため)。しかし、その機会を与えられずに、無期限ブロックが実施され、然るべき後に弁明の機会が与えられたことは非常に残念に思います。
  • ブロック処置を受けた上は各種文書の熟読に励みたいと思います。しかし最後に、最期かも知れないので問いたいと思います。私は合意を重んじ、対立があるときは議論にて合意点を求めるために自己の編集の説明をし、対手の論理と論拠について付き合わせて合意または対立してきました。質問があれば説明をし、出典があれば手に入る範囲で調べています。また述べたように興味範囲の読書(一般書、研究書、学術論文、影印本などまで)のフィードバックに記事を書いてきました。
その中で、今回のように、記事に向き合わず、利用者のみに向き合って時にルール違反の手段まで行使されて排除を受ける状況でした。合意を重んじて議論を続ければ疲弊利用者(Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない)としてブロック依頼を受け、議論を投げれば対話拒否(Wikipedia:投稿ブロックの方針#8.1項 議論の拒否や妨害)でブロック依頼を受けたでしょう。それとも、対立があった場合はどっかの時点で「お負けしてあげれば良かった」のかもしれません。悪意を以て挟み撃ちを受けているような気がしてなりませんし、どちらに転んでもブロックならば正解とは何なのでしょうか?また従前の排除行為は今後も行使としうるものであるとの発言があり、暗然としております。議論前後に、「誰が記事を書き、誰が記事を書かなかったのか?」そして「誰が出典を調べ、誰が調べなかったのか?」これはログを辿れば客観的に分析可能なことです。
今回のことで間違いがあれば甘んじてブロック処置を受けましょう、しかし実際に何処でどうすれば間違わなかったと言えるのでしょうか?もとより自分でも考えますが、判断理由があるのでしょうから、せっかくの機会にそのような具体的な指摘が受けたいと思います。(干渉を受けたとはいえ、ノート:蔚山沖海戦などでは割とスムーズな議論展開となっていると思います)
取り急ぎ、乱筆乱文失礼致します。--Yasumi 2011年4月15日 (金) 11:57 (UTC)[返信]

あなたは無期限ブロックされました。 あなたは無期限ブロックされ、ウィキペディアの編集が制限されました。ブロックが自動的に解除されることはありませんのでご留意ください。今後の対話ならびに異議申し立てはメーリングリストで受け付けます。Wikipedia:Appealing a blockもご覧ください。ブロック中においても、あなたの会話ページでのみ、ウィキペディア内での投稿が可能な場合もあります(ヘルプ)。会話ページにおけるブロック解除の方法についてはWikipedia:ブロックへの異議申し立ての手引きをご覧ください。--220.100.69.148 2011年4月20日 (水) 07:16 (UTC)[返信]

「ライセンス不理解・不同意について」[編集]

{{Unblock|(まず第一段階)私はWikipedia:投稿ブロック依頼/Yasumiにて「ライセンス不理解・不同意・・・に関して被依頼者の見解を見つけることができません」との理由で無期限ブロックをうけ、「トークページ編集を許可」されました。このため、まず見解を利用者‐会話:Yasumi#Wikipedia:投稿ブロック依頼/Yasumi以後にて述べ、良し悪しの判定を仰いでおり、無期限ブロックも続いております。ルールは守るつもりですし、見解に過ちがあれば反省する準備はあるのですが、判定がないために次に何をすればよいのか困惑しています。状況不慣れなこともあり、ご指導よろしくお願いします。}}

承認
承認

あなたの依頼したブロックの解除は以下の理由により認められました

ライセンスへの不理解・不同意の解消を確認したので、ライセンスについての問題はなくなったと判断し、無期限は解除、それ以外の問題に対するブロック期間である一ヶ月に変更しました。

この依頼には次の管理者が対応しました: KMT 2011年4月27日 (水) 12:55 (UTC)[返信]

ブロックを解除する管理者へ: ブロックを解除した後に、この利用者に対して有効な自動ブロックがかかっていないか確認してください。
ライセンスに対する不理解・不同意が無期限ブロック理由ですが、関係するであろう各方針を読んだのですが、当方の趣旨が無期限ブロックをもたらしているのか?当方の言動が無期限ブロックをもたらしているのか?具体的には判然としませんでした。現在、どちらに向かって反省するべきか、戸惑っています。
問題になったノートの意見をコメント依頼の被依頼者コメント欄に転載することを「不許可」と発言しましたがこれが良くなかったのでしょうか?
発言趣旨としては、上述の「被依頼者欄は本人の意見表明の場であるため、1.転載文をその場のYasumiの反論と取られたくない。2.それによりコメント依頼をノートと同じ論争の場にしたくない」です。Wikipedia:クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植を読みますと著作者人格権「このライセンスによって影響されることは決してありません。」とのことで、転載によりコメント依頼に於ける被依頼者の意見として発信されることを回避する根拠になりえるのかな、と思いました。
目的と行動としては、「不許可」発言により模様砂漠2さんに自主的に転載を撤回してもらおうとおもい、当方は実力行使で削除をしませんでした。結果、同意いただけて自主的に撤回してもらいました。「不許可」発言が即無期限ブロックであり、もう少しソフトに「お願い」発言なら非ブロックであったとの指摘があるのなら、その通りであると思い反省したいと思います。
もちろん、当時はルール解釈よりは常識的な判断をしていたため、著作者人格権の解釈が間違いであり、ノート発言が転載により意図せぬ意見発信となることもルールのうちだというのであれば、そのルール解釈に従いたいと思います。
--Yasumi 2011年4月20日 (水) 12:33 (UTC)[返信]

こんにちは。不適切な状態について訂正を求める言葉が数多く有る中、「許可」という、*本来禁止されているものを認める*意味の言葉を使うことが、ライセンスの不理解・不同意を疑うに十分であると考えてブロックを行いました。不適切な状態の訂正を求めるという状態ですので、言葉の強い弱いは問題視しておりません。(もちろん限度はありますが・・・)なお、上記コメントで異議を述べておられますが、ライセンス不理解・不同意に対するブロックは即時で行うべき事項です。今回はブロック依頼の精査で初めて指摘されていることに気が付きましたが、管理者伝言板などにライセンス不理解・不同意として報告されていたら他の議論と一切関係なくその時点で即時ブロックが行われていた(or私が行っていた)と考えます。KMT 2011年4月24日 (日) 09:25 (UTC)[返信]

そうですか。まるで私に転載の許認可権が在るが如く「不許可」と言う言葉を使ったことに問題を感じ、まずは前言を取り下げます。次に転載によりその場の自分の意見として発信されることを厭いたいという希望事項を伝える手段として、言葉の選び方にについて反省したいと思います。たいへん申し訳ありませんでした。無期限ブロック隣るような疑われるべくして疑われるような発言を致しまして、御免なさい。--Yasumi 2011年4月24日 (日) 09:47 (UTC)[返信]

差し出がましい事を言うようですが、もう無期限ブロックを継続する理由が無いのではないでしょうか?彼のライセンスへの不理解が解消し、KMTさんにそう思わせたことに対する謝罪が得られたとしてよいならば。Yasumiさんが彼自身へのコメント依頼に参加しなかったことは責められるのでしょうが、不正な複数アカウントを含む執拗なつきまといをうけていた事は同情すべきです。疲弊ユーザーと言って良いのかはわかりませんが、際限なく論争を仕掛けられると対処が困難であることは私も実感しています。対応だけで時間や気力を消耗して日常生活との両立が困難になります。このような付き纏いや理解不足を理由にしたブロック依頼で相手を追い出すことが常套化するとWikipediaへの参加者はごく限られたものになってしまうでしょう。もしもライセンス不理解が他者の著作権を侵害したというようなケースならば重大な問題ですが、今回はWikipedia内部で収まる問題です。寛大な処分をお願いしたいです。もちろん無期限ブロックを継続すべしという意見を持つ方もおられるでしょう。しかし、それについての話し合いはコメント依頼の場で改めて行えば良いのではないでしょうか。それに参加することがYasumiさんの反省を示す事にもなるでしょう--Littlefox 2011年4月25日 (月) 10:38 (UTC)少加筆[返信]

すみません。Littlefoxさんの発言の意図がよくわかりません。ライセンスの問題であれば(繰り返されているのでしたらともかく)それが解消すれば解除されるのは当然のことです。そもそも、そうでなければわざわざブロック期間を分けた対処コメントはせず、他の案件同様**{{BL|対処}}ブロック。(ブロック期間)。~~~~で終わります。KMT 2011年4月27日 (水) 12:55 (UTC)[返信]
「ライセンスの不理解・不同意を疑」いにつき、「不適切な状態の訂正」を認めていただけて「無期限は解除」とのこと、ありがとうございます。それ以外の問題については思うところもありますが、むしろこれを奇貨として方針文書を熟読し、今後の時間投資における効率化資源として活かたいと思います。--Yasumi 2011年5月2日 (月) 22:56 (UTC)[返信]

井戸端の件[編集]

こんにちは。現在、Wikipedia:井戸端/subj/政権側が起こした戦役・事象の改名についての投票提案に対する意向(投票に移るべきかどうか、その他条件も)を募っています。議論にご協力おねがいいたします。--秋田城之介 2011年10月11日 (火) 03:11 (UTC)[返信]

お返事が遅くなりました。 主語がないため、何をお決めになるつもりか不明ですが、もし九州の役小田原の役の各個別記事についての改変を決定付けるのであれば、各記事のノートで合意する必要です。また、もし武田征伐紀州征伐長州征討のような記事群に対して一括改変を行うのであれば上位プロジェクトで合意をするべきでしょう。
いずれにしろ、井戸端は個別記事の改変を合意する場所として不適当ですし、秋田城之介さんが任意に選抜したメンバーのみで決定を行っても効力はありません。
対象記事を顕かとし、対象ノートにて開かれた告知と議論による合意を調整願います。
また投票決着を推進する一方で秋田城之介さんは議論を拡大し続けており、提案者として本当に合意に向けた調整を行っていただけるのか、非常に不審です。善処願います。--Yasumi 2011年10月25日 (火) 12:33 (UTC)[返信]
改名投票は「九州の役」(→九州攻め、九州征伐、九州の役)「小田原の役」(→小田原攻め、小田原征伐、小田原の役)についてです。「政権側が起こした戦役・事象の改名について」の議論は、そのページの冒頭にあるとおり、論点に対してのものであって、投票とはまた別です。私は「九州の役」「小田原の役」以外に付いて井戸端で「改名しましょう」とは一度も書いていません。もちろんYasumiさんのご指摘どおり、井戸端で決めることではありませんので、別途にコメント依頼『Wikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名について』を作りましたのでそこで最終的な合意を形成し、各候補の(改名理由の)論旨掲示と実際の投票はノート:九州の役ノート:小田原の役で行いたいと思います。--秋田城之介 2011年10月28日 (金) 16:52 (UTC)[返信]
コメント依頼もまた第三者からのコメントを求める場であって、改名を決める場ではありません。特定の誘導をなさらず、議論参加者を制限することもない様な対応を求めます。--Yasumi 2011年11月7日 (月) 12:00 (UTC)[返信]
コメント依頼はあくまで改名投票前の議論のためで、実際の改名投票場所は各ノートにするという方向です。特定の誘導や制限を設けたつもりはありませんが、その「制限している」という指摘は何を根拠にされているのでしょうか?--秋田城之介 2011年11月16日 (水) 01:25 (UTC)[返信]
まず、コメント依頼は議論をする場ではありません。次に、原則として記事の改変はそのノートでの合意が必要です。それに指摘済みですが、秋田城之介さんが個人的に選んだメンバーと場所で議論を進めることは問題行動です。--Yasumi 2011年11月16日 (水) 12:06 (UTC)[返信]
私はノートでの合意を得るプロセスとして他の場所でその準備ページを作成しましたが、投票場所(合意形成場所)はその項のノートです。また個人的に選んだメンバーとは誰を指していますか?--秋田城之介 2011年11月20日 (日) 16:36 (UTC)[返信]
ノートページの参加者を無視した投票準備は二度手間です。秋田城之介さんが個人的に選んだ場所とメンバーのみで議事を進められても困ります。決め事はルールに則り、公開された正しい場で実施ください。--Yasumi 2011年11月23日 (水) 20:10 (UTC)[返信]
ノートを無視していませんし、個人的に選んだメンバーとは誰なのかもわかりません。失礼ですが、事実認識が大きくズレています。--秋田城之介 2011年11月24日 (木) 16:02 (UTC)[返信]
実際にノートページの議論は長らく放置されました。無責任な議論の放置を行わず、改名提案者であるなら公正な議事進行とまとめをお願いしますし、しないのであれば議論を打ち切って執筆に注力すべきです。--Yasumi 2011年11月27日 (日) 00:56 (UTC)[返信]
私は公正な議事進行をしているつもりです。そうでないというのであれば、「秋田城之介が個人的に選んだメンバー」が誰なのか、明らかにしてください。明らかにできないということは、そもそもそんなメンバーは存在しないということになります。私もそんなメンバーを選んだ覚えはありません。--秋田城之介 2011年12月3日 (土) 16:05 (UTC)[返信]

(インデント戻す) Yasumiさんが書いた整備要件の中の「投票の結果に同意できるか否か」は、そもそも投票による合意形成に賛成された方に対しては改めて聞く必要が無いかと思います。「投票の結果が他記事に適用されるのか否か」という問いは、私は改名提案者として明確に否定しましたし、他の議論参加者も他記事へ適用すべきという意見はありませんでしたので、Yasumiさんが「他記事に反映したい」と思わないのであれば、これも改めて問う必要はないと思います。投票資格・期間はコメント依頼で提案しています。投票候補の追加に関してもTiyoringoさんの試案はありましたが、典拠提示を待っている段階です。唯一再提案の提出に関しては決めていませんので、再提案に制限をかけるべきか否かはこれから議論しましょう。--秋田城之介 2011年12月3日 (土) 16:05 (UTC)[返信]

はたして公正でしょうか?基本的に決議の場であるノートで調整を進めていないのですから、限定された場かつ限定されたメンバーによる議事進行といわれても仕方がありません。ノート:九州の役の議論は二ヶ月近く放置されました。進めるべき議事がノートのログから隠され、別所で進行されてはいませんか?なぜガイドライン通りにノートで議事を進めず、別所へ誘導されたメンバーのみで議事を進めるのか不審です。更に、一般的な問いかけをするような井戸端や、コメントを貰う場であるコメント依頼に誘導された一部のユーザーのみで議事を進めないでください。
大きく分けて議論による合意形成と投票による同意形成があると思います。議論による合意が優先されるため、新たに議論が起きれば対応せざるを得ず、実際に何度も議論が蒸し返されて堂々巡りをしていますよね。また現状のように投票による解決の合意がなければ、後から来た参加者に「私は投票結果に同意しない」と蹴られてお仕舞いでは?議論を進めるのか投票を進めるのかという大方針さえ決めずに議事が進むのでしょうか?秋田城之介さんの議事進行にはいろいろ疑問を感じます。--Yasumi 2011年12月8日 (木) 21:27 (UTC)[返信]
ノートページでも報告とリンクを貼ったコメント依頼と、同じく報告とリンクを貼ったWikipediaの井戸端という場所が限定された場で、なおかつそこでコメントされた方々が限定されたメンバーだというのは理解できません。誰によって選ばれ(限定され)、どんな基準に対して限定されたのか、またそれは何に支障をきたすのか説明してください。そして今は投票を進めるという方針のはずで、それはYasumiさんも含めみなさんの共通認識であり、結果をコミュニティの暫定的な決定とすべきでしょう。--秋田城之介 2011年12月9日 (金) 02:24 (UTC)[返信]
いくらリンクを張っても、ガイドライン通りにノートでしなければならない合意を他ページへ移すのであれば、ノートでの合意が必要です。
なぜ、ノートの履歴から決定過程を隠して密議をするのか不審です。記事の決定はノートの合意で決める事になっています。
目的通りにコメント依頼で意見を受けたなら、ノートに戻ってまとめを行い、議論を進めて下さい。--Yasumi 2011年12月11日 (日) 23:44 (UTC)[返信]

新しい節の投稿について[編集]

はじめまして。プロジェクト‐ノート:日本史に改名投票のお知らせを投稿されていますが、そのときの要約が「日本史のイベントにおける年号(年月日)表記」になっています。その時点での最後のセクションである日本史のイベントにおける年号(年月日)表記の「編集」リンクを開いて、"="で新しいセクションを作っていませんか? そうやって編集すると、要約欄に編集した時のセクション名がデフォルトになります。新しいセクションを作るときは、ページ上部にある'+'(デフォルトの表示だと、「編集」と「履歴」の間にあるはずです)をクリックして「新しい節」の編集とする方法がお勧めです。以上余計なお世話かと思いましたが、要約の内容を見てその節に追記部分が見当たらずに差分を見に行って初めて次の節が投稿されたことが判り、それまで私の記述内容がおかしかったのかと驚いてしまったので。--アルビレオ 2012年2月19日 (日) 01:01 (UTC)[返信]

失礼しました。善処したいと思います。--Yasumi 2012年2月19日 (日) 08:11 (UTC)[返信]

四国征伐のリダイレクト先について[編集]

こんにちは、四国征伐のリダイレクト先として四国攻めから四国平定に変更するべきではといった意見がノート:四国征伐に出ております。ご意見がいただければと思います。--Tiyoringo会話2012年4月21日 (土) 07:09 (UTC)[返信]

どうもこんにちは。昨年来の震災復旧で忙殺され続けです。特に、書き込み時間が取れないため、深入りはできませんがコメントしてみます。--Yasumi会話2012年4月29日 (日) 00:18 (UTC)[返信]