劉理
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劉理 | |
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蜀漢 安平王 | |
出生 |
生年不詳 幽州涿郡涿県 |
死去 | 延熙7年(244年)4月 |
拼音 | liú lǐ |
諡号 | 悼王 |
主君 | 劉備→劉禅 |
劉 理(りゅう り)は、中国三国時代の蜀漢の皇族。字は奉孝。父は劉備。異母兄は劉禅・劉永[1]。妻は馬超の娘[2]。本貫は幽州涿郡涿県[3]。
生涯
[編集]章武元年(221年)4月、父の劉備が蜀漢の皇帝として即位。6月に劉理は梁王に封じられる[3]。
劉禅の時代に当たる建興7年(229年)、蜀漢は呉と同盟を結ぶ。この時、劉理の封地である梁は呉の領域とされたため、建興8年(230年)に劉理は安平王に改封された[4]。
子孫
[編集]劉理の没後、子の哀王・劉胤が跡を継ぐが、延熙19年(256年)に死去。さらにその子の殤王・劉承が跡を継ぐが、彼も延熙20年(257年)に死去した。
景耀4年(261年)、劉禅はその家系が絶えたことを憂い、劉理の子の劉輯に王位を継がせた。
蜀漢の滅亡後の咸熙元年(264年)、劉輯は魏によって洛陽に移され、奉車都尉に任じられ、郷侯に封じられた。
出典
[編集]- 陳寿撰、裴松之注『三国志』蜀書 劉理伝 s:zh:三國志/卷34#先主子_理
脚注
[編集]- ^ 羅貫中の小説『三国志演義』第77回では母を穆皇后呉氏とし、劉永を同母兄とするが、史書上では劉永ともども母は不詳。
- ^ 『三国志』蜀書 馬超伝 s:zh:三國志/卷36#馬超
- ^ a b 『三国志』蜀書 先主伝 s:zh:三國志/卷32
- ^ a b 『三国志』蜀書 後主伝 s:zh:三國志/卷33