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南方軍 (日本軍)

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南方軍防疫給水部から転送)
南方軍
創設 1941年(昭和16年)11月6日
廃止 1945年(昭和20年)
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 総軍
所在地 仏印
通称号/略称
担当地域 東南アジア全域(南方方面)
最終位置 仏印 ダラット
戦歴 第二次世界大戦
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南方軍(なんぽうぐん)は、大日本帝国陸軍総軍の一つ。軍隊符号NA

沿革

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太平洋戦争大東亜戦争)において、大本営直轄部隊を除く東南アジア南方)方面陸軍部隊を統括する総軍として、大陸命第555号に基づき1941年昭和16年)11月6日に編成された。開戦後はマレー作戦ビルマ作戦フィリピン作戦蘭印作戦などに代表される一連の南方作戦を指揮し、また戦前より日本領である南洋群島や、同盟国であるタイ王国(シャム)においても防衛・軍政の任に当った。なお、香港攻略支那派遣軍が行った。

司令部は当初サイゴンに置かれたが、南方作戦終了後はシンガポールに移転した。さらに1944年(昭和19年)3月27日に大本営によって改訂された「南方軍戦闘序列」に基づき、同年5月21日マニラに移転し、フィリピン防衛作戦を指揮した。その後、レイテ作戦が失敗し、米軍のルソン島上陸が迫った11月17日にダラットに再度移転して終戦を迎えた。

総司令官は一貫して寺内寿一元帥陸軍大将

南方軍概要

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北支那方面軍司令官時代の寺内寿一大将(右)と中支那派遣軍司令官の畑俊六大将(左)。寺内は1941年から一貫して南方軍総司令官を務めた。
  • 通称号威集団
  • 軍隊符号:NA
  • 編成時期:1941年11月6日

総司令官

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  • 寺内寿一:陸士11期、1941年11月6日 - 1946年6月12日死去
  • (総司令官心得)木下敏:陸士20期、1946年6月22日 - 1947年12月2日

総参謀長

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  • 1942年8月1日から軍政総監を兼勤
氏名 陸士 就任
塚田攻 19期 1941年11月6日
黒田重徳 21期 1942年7月1日
清水規矩 23期 1943年5月19日
飯村穣 21期 1944年3月22日
沼田多稼蔵 24期 1944年12月26日

総参謀副長

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氏名 陸士 就任 退任
青木重誠 25期 1941年11月13日 1942年8月17日
阪口芳太郎 25期 1941年11月13日 1942年6月1日
高橋坦 27期 1942年7月9日 1944年10月14日
岡本清福 27期 1942年8月17日 1943年2月23日
稲田正純 29期 1943年2月23日 1943年10月1日
藤塚止戈夫 27期 1943年10月18日 1943年10月29日
綾部橘樹 27期 1943年10月15日 1944年6月27日
阪口芳太郎 25期 1944年3月22日 1944年7月28日
和知鷹二 26期 1944年3月22日 1944年11月14日
山口槌夫 30期 1944年7月28日 1944年11月22日
西大條胖 27期 1944年10月14日
若松只一 26期 1944年11月14日 1945年4月6日
和知鷹二 26期 1945年4月6日 1945年8月
森本軍蔵 30期 1945年9月22日

この他、1945年2月1日より、海軍との連携強化のため、緬甸大使館付き海軍武官兼緬甸方面軍参謀であった中堂観恵海軍少将が総参謀副長に就任。

軍政監部総務部長

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  • 高橋坦:1942年7月9日~1944年10月14日(総参謀副長の兼任)
  • 西大條胖:1944年10月14日~終戦(総参謀副長の兼任)

高級参謀(第1課(作戦課)長)

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氏名 陸士 就任
石井正美 30期 1941年11月13日
櫛田正夫 35期 1943年4月1日
堀場一雄 34期 1944年3月22日
美山要蔵 35期 1944年6月5日
櫛田正夫 35期 1945年2月20日

航空技術部長

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  • 神田実:1945年2月20日 - 終戦

経理部長

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軍医部長

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  • 青木九一郎:1941年11月6日~
  • 椰野巌:1944年3月1日~

法務部長

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隷下部隊

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第二次世界大戦時の占領地域に配置

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所属していた部隊

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脚注

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  1. ^ 福川 2001, 755頁.

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 

関連項目

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