コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

大西順子 (ミュージシャン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大西 順子
出生名 大西 順子
生誕 (1967-04-16) 1967年4月16日(57歳)
出身地 日本の旗 日本 京都府城陽市
学歴 バークリー音楽院卒業
ジャンル ジャズ
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ
活動期間 1989年 - 現在
レーベル
公式サイト 大西順子 公式サイト
セロニアス・モンク

大西 順子(おおにし じゅんこ、1967年4月16日 - )は、日本ジャズピアニスト京都府城陽市出身。

来歴

[編集]

1967年京都府久世郡城陽町(現・城陽市)生まれ。4歳からピアノを始める。東京都立国立高等学校に在籍中、兄が持っていたセロニアス・モンクのレコードを聴いて衝撃を受け、ジャズに開眼。卒業後渡米し、ボストンのバークリー音楽院に学ぶ[1]

1989年 バークリーを首席で卒業後、ニューヨークに移る。アップタウンのジェシー・デイヴィス・クインテットのレギュラー・ピアニストとして活動。1991年 ジョー・ヘンダーソン・カルテットのピアニストとして米国、日本をツアー。

1992年 日本へ帰国。バークリー時代の仲間とトリオを結成し、都内ジャズ・スポットなどで活動を始める。同年9月デビューアルバム『WOW/ワウ 』をレコーディング。

1993年 『WOW/ワウ』発売。ジャズ・レコードとしては異例の5万枚のセールスを記録。

1994年 ニューヨークの名門ジャズ・クラブヴィレッジ・ヴァンガードに、日本人として初めて自分のグループを率いて出演する(1週間公演)。この演奏はライブ・レコーディングもされた。10月からは、初の欧州ツアーも成功させる。

1995年 出光音楽賞受賞。

1996年 ジャッキー・マクリーンとの共演盤『HAT TRICK/ハット・トリック』発売。自己の日本人トリオを率いてモントルー・ジャズ・フェスティバルに参加。

1999年 フィル・ウッズとの共演盤 『cool woods/クール・ウッズ』発売。同年10月、ブルーノート・クラブ・ツアーを実施。

2000年 3月の大阪公演を最後に、活動休止。

2005年 4月5日 大野俊三帰国ツアーに参加し、演奏活動再開。

2007年 ソロ・コンサートなども開催、復帰後の活動が活発化。

2009年 7月22日 11年ぶりのリーダー作となる「Musical Moments/楽興の時」発売。

2012年 8月20日 10月22日からの国内ツアー終了を以て、プロ演奏家からの引退を表明。

2013年 8月-9月 サイトウ・キネン・フェスティバル松本において「サイトウ・キネン ジャズ勉強会」の講師を務め、9月6日には小澤征爾の指揮するサイトウ・キネン・オーケストラガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」を共演した[2]

2015年 9月6日 日野皓正ラリー・カールトン スーパーバンドのメンバーとして 東京JAZZ 公演で活動再開。

2016年 5月 菊地成孔プロデューサーに迎え「新作製作中」と菊地がウェブサイトで発表。

ディスコグラフィ

[編集]

アルバム(リーダー作)

[編集]

アルバム(ベスト)

[編集]

アルバム(共作・ゲスト参加)

[編集]

映像作品

[編集]
  • 1997年4月16日『JUNKO ONISHI TRIO at the Montreux Jazz Festival』
    • TOSHIBA EMI LD TOLW-3253

テレビ出演

[編集]

ラジオ出演

[編集]

参考文献

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 「高校生のとき、モンクが奥さんのために書いた『ネリーと共にいる黄昏』という曲に出会って打ちのめされたんです。それで私はモンクともう一人、アート・テイタムの数枚のアルバムを死ぬほど聴いてバークリー音楽院に行ったという感じなんですけれど」と、大西は村上春樹編・訳の『セロニアス・モンクのいた風景』(新潮社)の書評で語っている。
  2. ^ 「厚木からの長い道のり --小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』」(村上春樹著、『考える人』2013年秋号収録)

外部リンク

[編集]