岡部長景
岡部長景 おかべ ながかげ | |
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生年月日 | 1884年8月28日 |
出生地 |
日本 東京府 (現・東京都) |
没年月日 | 1970年5月30日(85歳没) |
出身校 | 東京帝国大学卒業 |
前職 | 宮内省内大臣秘書官長 |
所属政党 | 研究会 |
称号 | 勲六等瑞宝章 |
配偶者 | 岡部悦子 |
親族 |
父・岡部長職(司法大臣) 義父・加藤高明(内閣総理大臣) 伯父(叔父?)・青山幸宜(貴族院議員) 伯父・松浦詮(貴族院議員) 従弟・岩城隆徳(貴族院議員) |
第54代 文部大臣 | |
内閣 | 東條内閣 |
在任期間 | 1943年4月23日 - 1944年7月22日 |
在任期間 | 1930年9月27日 - 1946年2月21日 |
岡部 長景(おかべ ながかげ、1884年(明治17年)8月28日 - 1970年(昭和45年)5月30日)は、昭和初期の日本の外交官、政治家、文部大臣、外務・宮内官僚。子爵。
経歴
[編集]子爵岡部長職の嫡男として東京に生まれる。父の死去に伴い、1926年3月15日、子爵を襲爵した[1]。
学習院初等科、学習院中等科、学習院高等科から東京帝国大学卒業。外務省に入省。米国官補[2]。文化事業部長の後、宮内省に転じ、内大臣秘書官長。1930年貴族院議員[注釈 1]、宮内省式部次長、陸軍政務次官、大政翼賛会総務。1939年大日本吹奏樂聯盟(現全日本吹奏楽連盟)初代会長に選出され翌1940年第1回全日本吹奏樂競演会 紀元二千六百年奉祝 集団音楽大行進並大競演会(現全日本吹奏楽コンクール)を開催[3]。1943年東條英機内閣で文部大臣を務め、学徒勤労動員を実施した。
終戦後の1945年12月2日、連合国軍最高司令官総司令部は日本政府に対し菊池を逮捕するよう命令(第三次逮捕者59名中の1人)[4]。巣鴨拘置所に戦犯容疑で22ヵ月勾留されたが不起訴となり釈放。 その後公職追放される[5]。
講和後は東京国立近代美術館初代館長、国際文化振興会理事長(国際連盟脱退直後の1934年に設立した、日本で最初の国際文化交流事業のための機関で、現在は国際交流基金)に就いた。
1962年(昭和37年)10月、岸和田市名誉市民の称号を贈られる[6]。
墓所は岸和田市泉光寺。
栄典
[編集]人物
[編集]- 貴族院議員達とゴルフを通じて交流することが多かった。主な交流相手は三井弁蔵と長景の妹の栄子夫妻。他に織田、黒木、西尾などの名前が彼の日記からは出てくるが、これらは織田信恒、黒木三次、西尾忠方らだと考えられている。
家族・親族
[編集]父・岡部長職は和泉岸和田藩の第13代(最後)の藩主。実弟には元朝日新聞社社長・村山長挙、昭和天皇侍従を務めた岡部長章[9]がいる。
母親は長職の先妻青山錫子。郡上八幡藩藩主青山幸哉の子で、長景が3歳の時に死別している。兄弟姉妹は13人おり、同腹の姉の清子(すがこ)に錘子(まさこ)、異母弟妹は11人で、長剛(ながたけ)、長挙(ながたか)、栄子(さきこ)、豊子(とよこ)、長世(ながよ)、盈子(みつこ)、長量(ながかず)、久子(ひさこ)、長建(ながたつ)、長伸(ながのぶ)、長章(ながあきら)である。
長景の妻・悦子は加藤高明の長女で東京女子高等師範学校附属高等女学校を卒業した[10]。悦子との間に息子長衡(東京帝国大学工学部卒業後軍人)[10]。加藤高明の妻・春路(悦子の母)は三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の長女であり、長景の末弟・長章の妻は岩崎輝弥(岩崎弥之助の三男)の長女・妙子。岡部家は三菱の創業者一族・岩崎家と二重の姻戚関係を持っているといえる。孫には長忠と長義がいる。曾孫には長智(長忠の長男)と長親(長忠の次男)がいる。
文献
[編集]- 『岡部長景日記 昭和初期華族官僚の記録』(尚友倶楽部編、柏書房、1993年)
- 『岡部長景巣鴨日記 附岡部悦子日記、観堂随話』(尚友倶楽部史料調査室ほか編、芙蓉書房出版、2015年)
- 『岡部悦子日記』(尚友倶楽部編・君塚直隆解説、芙蓉書房出版、2023年)、在英期の日記
脚注
[編集]- 注釈
- ^ 1930年9月27日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、1946年2月21日まで在任。『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、38頁、54頁。
- 出典
- ^ 『官報』第4065号、大正15年3月16日。
- ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、159頁
- ^ 秋山紀夫『吹奏楽「昭和の資料集」~吹奏楽の歩み: 初期から成熟期にかけて~』(初)ロケットミュージック、2022年、13-14頁。ISBN 978-4-86679-882-0。
- ^ 梨本宮・平沼・平田ら五十九人に逮捕命令(昭和20年12月4日 毎日新聞(東京))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p341-p342 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、470頁。NDLJP:1276156。
- ^ “名誉市民”. 岸和田市. 2021年4月25日閲覧。
- ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ 回想記『ある侍従の回想記』(朝日ソノラマ、1990年)
- ^ a b 岡部長景『華族家庭録. 昭和11年12月調』
関連項目
[編集]- 幣原喜重郎 - 岡部家の系図が一部掲載されている(系図自体は幣原家、および幣原家と直接の姻戚関係を持つ岩崎家と古在家が中心である)
- 東方文化事業・東方文化学院 - 外務省文化事業部長として実務に携わった。
- 大日本運動 - 大日本運動結成の宣誓式で玉串拝礼を行った。
- 村田陶苑 - 岡部長景の勧めにより第1回個展を三越本店で開催。三笠宮夫妻、高松宮妃が来場した。
外部リンク
[編集]- 国立国会図書館 憲政資料室 岡部長景関係文書
- 伊藤真希「子爵岡部長景の家庭教育」『現代社会研究科研究報告』第7号、愛知淑徳大学大学院現代社会研究科、2011年9月、95-105頁、CRID 1050001202565277568、hdl:10638/4986、ISSN 1881-0373。
公職 | ||
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先代 寺中作雄 館長事務取扱 |
国立近代美術館長 1952年 - 1960年 |
次代 稲田清助 |
先代 東条英機 |
航空評議会会長 科学振興調査会会長 1943年 - 1944年 |
次代 二宮治重 |
先代 橋田邦彦 |
教科用図書調査会会長 1943年 - 1944年 |
次代 二宮治重 |
先代 土岐章 |
陸軍政務次官 1935年 - 1936年 |
次代 立見豊丸 |
先代 河井弥八(→欠員) |
内大臣秘書官長 1929年 - 1930年 |
次代 (欠員→)木戸幸一 |
先代 渡辺直達 |
式部次長 1929年 - 1930年 |
次代 松平慶民 |
先代 朝岡健 亜細亜局文化事業部長心得 |
外務省文化事業部長 1927年 - 1929年 外務省亜細亜局文化事業部長 1925年 - 1927年 |
次代 坪上貞二 |
先代 出淵勝次 対支文化事務局長 |
外務省亜細亜局文化事業部長 1924年 - 1925年 |
次代 朝岡健 部長心得 |
その他の役職 | ||
先代 岡部長職 |
岡部家(旧岸和田藩主)当主 第14代:1926年 - 1970年 |
次代 岡部長衡 |
先代 酒井忠正 |
尚友倶楽部理事長 1966年 - 1970年 |
次代 橋本実斐 |
先代 近衛文麿(→欠員) |
国際文化振興会会長 1955年 - 1962年 |
次代 岸信介 |
先代 加納久朗 |
国際文化振興会理事長 1953年 - 1955年 |
次代 (廃止) |
先代 橋田邦彦 |
実業教育振興中央会会長 1943年 - 1946年 |
次代 (欠員→)森戸辰男 |
先代 高柳賢三 日本図書館協会会長 |
大日本図書館協会会長 1945年 - 1946年 |
次代 安倍能成 |
先代 永井柳太郎 |
大日本教育会会長 1944年 - 1945年 |
次代 河原春作 |
先代 永井柳太郎 |
大日本育英会会長 1944年 - 1945年 |
次代 田島道治 |
先代 橋田邦彦 |
日本語教育振興会会長 1943年 - 1945年 |
次代 (廃止) |
先代 白岩竜平 |
東亜同文会理事長 1936年 - 1939年 |
次代 阿部信行 |
日本の爵位 | ||
先代 岡部長職 |
子爵 (岸和田)岡部家第2代 1926年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |