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島津忠秀

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島津安樹朗から転送)

島津 忠秀
しまづ ただひで
人物情報
生誕 (1912-03-27) 1912年3月27日
日本の旗 日本 東京府東京市
死没 (1996-07-09) 1996年7月9日(84歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 京都帝国大学理学部
配偶者 島津昭子
両親 島津忠重(父)
島津伊楚子(母)
子供 島津修久
学問
時代 昭和時代
研究分野 水産学アユ
研究機関 淡水区水産研究所
鹿児島大学
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島津 忠秀(しまづ ただひで、1912年(明治45年)3月27日 - 1996年(平成8年)7月9日)は、日本水産学者切手収集家実業家島津氏第31代当主。

生涯

第30代当主・島津忠重と伊楚子(徳大寺実則の五女)の長男として東京府に生まれる。香淳皇后の従弟でもある。

父親は海軍兵学校へ進み軍人となったが、父からは「好きなことをやれ」と言われ、軍人ではない道を歩んだ[1]旧制学習院高等科から、川村多実二駒井卓岡田要たちを慕って京都帝国大学理学部に進む。卒業後は農林省に入省。

戦後は淡水区水産研究所河川部長、養殖部長、同研究所副所長などを歴任。アユ生態解明や養殖法を研究した。37年の研究職公務員生活から退いた後は、島津興業の会長を務めた。また、鹿児島大学水産学部で講義を行ったりもした。

動物切手収集家として世界有数の存在。切手関係では島津 安樹朗(しまづ あきお)の筆名を持つ。

元夫人・昭子近衛文麿の長女。戦後の混乱期に忠秀のもとを去って出入りの整体師野口晴哉と駆け落ちし、『昭和ノラ事件』と呼ばれて話題になった。

1992年に84歳で逝去した。長男の忠敬は早世したため、次男の島津修久家督を相続した。

栄典

家族

著書

  • 『動物切手』切手文化叢書 切手趣味社 1942
  • 島津安樹朗『切手で見る動物図鑑 哺乳類篇』蒼風書院 1955
  • 『動物切手総目録』切手趣味社 1958

脚注

  1. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、569頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  2. ^ 『官報』第1594号「叙任及辞令」1932年4月25日。
  3. ^ 『官報』第2802号「叙任及辞令」1936年5月8日。
  4. ^ 『官報』第4664号「叙任及辞令」1942年7月28日。
  5. ^ “島津氏(宗家) - Reichsarchiv ~世界帝王事典~”, 世界帝王辞典, https://reichsarchiv.jp/家系リスト/島津氏(宗家)#tadahide996 2022年12月21日閲覧。