コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

松崎しげる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松崎茂幸から転送)
松崎 しげる
出生名 松崎 茂幸[1]
生誕 (1949-11-19) 1949年11月19日(75歳)
出身地 日本の旗 日本東京都江戸川区[2]
学歴 日本大学藝術学部
ジャンル J-POP
職業 歌手タレント俳優
担当楽器 ボーカルギター
活動期間 1970年 -
レーベル AGレーベル[注釈 1]
事務所 大橋プロダクション→
ボンド企画
オフィスウォーカー
公式サイト 松崎しげる公式サイト

松崎 しげる(まつざき しげる、1949年11月19日[3][4][5] - )は、日本歌手タレント[4][5]俳優

本名:松崎 茂幸(まつざき しげゆき)[1]。通称マツ[6]東京都[3][4]江戸川区[2]出身。身長167cm血液型AB型[4]オフィスウォーカー所属[3]

来歴

[編集]

江戸川区立第三松江小学校、江戸川区立松江第三中学校から日本大学第一高等学校を経て日本大学藝術学部(文芸学科とされる)卒業[7]

高校時代までは野球に打ち込むも、肘と肩を負傷して野球を断念、それ以降音楽活動を始める。大学時代、後にガロを結成する日高富明(Tommy)、堀内護(Mark)と共に「ミルク(ホットミルク)」[注釈 2]というバンドを結成する。当時、大橋プロダクション[注釈 3]のマネージャーをしていた宇崎竜童にスカウトされプロデビュー[7]

バンド解散後、ビクター音楽産業(現:ビクターエンタテインメント)オーディションに合格し、1970年にシングル「8760回のアイ・ラブ・ユー」でソロ歌手としてデビュー[7]。『グリコアーモンドチョコレート』のコマーシャルソングの歌い手として活動、1972年には同CMソングだった「黄色い麦わら帽子」がスマッシュ・ヒット[7]。しかしその後はヒット曲がなかなか出ず、不遇の時代が続く[7]

CMソングの世界で引き続き活動を続ける中、西田敏行とともに六本木周辺で即興で歌を作る流しのような活動をして話題となった(後述)。これが縁で1975年に土曜日昼の生放送のテレビ番組「西やん松ちゃんのハッスル銀座」(TBS系列)に西田とともに起用され(松崎、西田共に初のレギュラー番組)、人気を得る[7]。同年11月、『世界歌謡祭第6回世界歌謡祭』に出場[7]

歌手として手がかりをつかみ始めた1976年スペインマジョルカで開催されたマジョルカ音楽祭に「愛の微笑」で出場し、最優秀歌唱賞と第2位に輝くも日本では当初注目されず、レコード会社からも難しい曲と見なされてリリースに難色を示される[7]。しかしその1年後の1977年、改題された上で、『グリコアーモンドチョコレート』CMソングとして発表された「愛のメモリー」がリリースされるや64万枚の大ヒット[7]。同曲は日本レコード大賞歌唱賞など数々の賞に輝き、第28回NHK紅白歌合戦NHK総合ラジオ第1)にも初出場した[7]

歌手業以外では、俳優デビュー作である大映テレビ制作の刑事ドラマ噂の刑事トミーとマツ』(TBS)で、当時若手の国広富之との名コンビが人気を博した[7]。また、タレントとしても『クイズダービー』(TBS)では「クイズの帝王」を自称し、ゲスト解答者として度々出演するなどお茶の間での人気を獲得した。

1989年、マネージャーの大谷勝巳(2018年1月没。享年53)と共に現所属事務所・オフィスウォーカーを立ち上げ独立。

現在では、年間200本近くのディナーショーを開催して「ディナーショーキング」の異名を取ったり、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)などで見せる夜の帝王ぶりなどのタフな一面が話題となっている。

私生活では2度の離婚を経て、1997年に大手百貨店の令嬢である23歳年下の女性と3度目の結婚(結婚については後述)。1998年11月1日に長男(俳優の松谷優輝[注釈 4])、2000年に長女、2007年1月には57歳で次女が誕生。

後述する交通事故により一時芸能活動を自粛していた[9]が、2007年3月10日ケータイ刑事 THE MOVIE2 石川五右衛門一族の陰謀〜決闘!ゴルゴダの森』の初日舞台挨拶に出演し、自粛解除を宣言した。

埼玉西武ライオンズ球団歌「地平を駈ける獅子を見た」を歌っていることでも有名。また、CMでの声の出演(企業名、商品名を叫ぶ役)も多く、放送中の一社として横尾材木店(本社・埼玉県本庄市)を挙げることができる。同社CMは本社のあるNACK5を中心に隣接県のJFN局でも放送されている。

人物

[編集]

学生時代

[編集]

復員後から製糖会社を興した父、母と妹と育った[7]。“戦中派だが洋楽好き”というモダンな両親の影響を受け[注釈 5]、人の出入りが多い賑やかな家で育った[注釈 6]。子供の頃から運動神経抜群で、小学生になると土日は父に後楽園球場での試合観戦に連れて行ってもらうのが楽しみで、放課後は江戸川の河川敷で野球を夢中でやっていた[7]。中学時代も野球の練習に励むと江戸川区で評判の選手となり、将来の夢はプロ野球選手になることだった[7]

当時“夏の甲子園”大会の常連だった日本大学第一高校に進学し、1年生の秋にはレギュラーに選ばれた[7]。しかし、2年生の夏のフリーバッティングの練習中、近くで素振りをしていた先輩のバットが左利きの松崎の左肩を直撃し、約2か月間腕をまともに動かせなくなった[7]。その後日常生活を送れる程度には治ったものの以前より脆くなってしまったため、甲子園出場の夢だけでなく、野球自体をやめざるを得なくなった[注釈 7]。プロ野球選手になる夢を断たれてからしばらくは、鬱屈した気持ちを解消しようと両国駅にたむろする他校の連中と喧嘩の日々を送った[7]

荒んだ日々から抜けたある日の放課後、通りかかった教室から友人のギターの音色(ブラザース・フォアのフォークソング)が聴こえた[7]。友人から弾いてみるか?と聞かれると、松崎は当時近所のお兄さんにギターの弾き方を少し教えてもらっており、その場でポール・マッカートニーの一曲を弾けたことからそのままバンドに加入[7]。以後音楽活動にハマり、ほどなくしてアマチュアバンドのコンテストに出場するようになる[7]。また、バンドの練習もあって親の許しを得た上で、この頃から学校に通いながら放課後は友人たちの家を転々と寝泊まりし、時々自宅に帰るという生活を送った[7]

売れない歌手時代

[編集]

1972年に「黄色い麦わら帽子」がヒットした後、最初の妻との結婚を機に友人宅と実家を行き来する生活をやめた[7]。歌手として不遇時代である25歳の時、同じ事務所(当時)の先輩だった柴俊夫の紹介で、売れていない俳優・西田敏行と知り合う[7]。以後毎晩六本木の飲み屋などに繰り出してはベロベロに酔うまで飲んで語り合い、客ながら店内で松崎のギター演奏で西田が歌う下ネタの即興ショーをするようになった。ほどなくして他の客の間で、2人のショーが話題となった[注釈 8]

すると1976年、TBSのプロデューサーが2人のこの噂を耳にしたことがきっかけで、先述の『西やん松ちゃんのハッスル銀座』への出演が決まった[7]。同番組では「二度と歌えないコーナー」で、ゲスト(女性のみ)とのトークを即興で歌にして披露したが、飲み屋での即興ショーとは違い下ネタを抑えたものとなった[注釈 9]。また、西田のことは「西やん」と呼び、彼のことを“大親友で、永遠の飲み仲間”と称している[7]

1976年、スペインで開かれた『マジョルカ音楽祭』に出場し、このために作られた「愛の微笑」を歌唱して最優秀歌唱賞を受賞[7]。本人は「この受賞で歌手として売れるだろう」と、帰国後「愛の微笑」の発売のためレコード会社に持ち込むが、「こんな難しい歌は売れない」とどこも相手にしてもらえなかった[7]。それでも諦めきれなかったため、以前世話になったグリコアーモンドチョコレートの担当者にこの曲について話したところ、同曲のCMソングへの採用が決定。「愛の微笑」改め、「愛のメモリー」がCMで流れると大ヒットとなった[注釈 10]

私生活

[編集]

遡って1970年代前半の頃、営業先の赤坂のクラブで出会った1歳上の女性歌手と結婚し、夫婦で青山のマンションで暮らし始める[7]。当時多数のCMソングを歌唱したが、それだけでは生活できなかったという[7]。最初の妻は世界に目を向けたキャリアウーマンのような人で、お互いに仕事好きで毎晩それぞれ打ち合わせや飲み会をしたことで、夫婦で顔を合わせる時間があまり取れなかった[7]。その後夫婦の話し合いにより、「精神的には結びついていて相手を理解しているからこそ、お互いの道を尊重しよう」ということになった[7]。結果12年連れ添った妻と離婚したが、松崎は“これは新たな人生の門出だ”として、500人を招待して盛大な離婚パーティーを開いた[7]

心機一転目黒区の一戸建てに引っ越した後、再婚して大田区の一戸建てを購入したが、その後2度目の離婚[7]。1997年に先述の23歳年下の女性と再々婚して品川区の高層マンションに転居し[7]、翌年男の子を授かった。その後長女が生まれたのを機に目黒区に一戸建てを建てて暮らし始めた[7]

また本人は、長男誕生の際に「女房の笑顔さえあればバイアグラなんていらない」、次女誕生の際には「(次女が成人する)77歳まで歌い続けなくては。少子化対策に団塊の世代が一石投じられれば」とのコメントを発表。こうした流れを受ける形で「シゲルBROWN(しげるぶらうん)」名義で新曲を発表した。子供と一緒にいると、父でなく祖父と孫に見られることも多いという。

エピソード

[編集]

色黒

[編集]
まつざきしげるいろ
 
16進表記 #A55A4A
CMYK (27, 71, 71, 14)
マンセル値 -

元々肌の色が黒い松崎だったが、ハワイなどの南国で休暇を取ることも多いことからその黒さに磨きがかかり、ついにはトレードマークとなった。その黒さをキープするため日焼けサロンに通っており、さらに近年では事務所に日焼けマシーンを設置するほどである。そしてファンの期待を裏切らないためと、自宅にも日焼けマシーンを導入した[10]。自己紹介でも「歩くメラニン色素」を自称しており、東海地方地盤の焼肉チェーン焼肉屋さかいのCMでは「松崎こげる」のテロップまで出た。

フジテレビ系列のバラエティ番組『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』内のコーナー「トリビアの種」にて、松崎の肌の色を絵具で作る場合、どの色の絵具をどの割合で混ぜれば良いか検証された結果、朱色45%、黄色25%、16%、14%という配分(HTMLCSSRGB表記でいえば#A55A4Aあたり)で完成、実験に使われた絵具の製造元であるサクラクレパスが「まつざきしげるいろ」を同番組のために10セット製作した[11]

サクラクレパス社のサイトで「まつざきしげるいろ」の作り方を紹介している。また、フジテレビ局内の土産物屋で「まつざきしげるいろ」が入った絵具が販売されている。

2015年には、トレードマークである肌の色と9(ク)6(ロ)のゴロ合わせから、9月6日日本記念日協会によって「松崎しげるの日」と認定された[12]。また、2015年9月6日にデビュー45周年を記念して、本人主催の音楽フェス「黒フェス」が幕張メッセで開催された。

歌手としてのイメージが強いがギタリストとしての腕前も高く、左利き用のギターを弾けるほかに、右利き用のものであってもこれをひっくり返して弦を張り替えずにそのまま弾きこなすことができる(アルバート・キング甲斐よしひろと同じ弾き方)。これは、世に出回っているほとんどのギターは右利き用なので、唐突に弾くことになっても困らないようにするためである。このような両対応の技術を習得した理由として、本人は「芸能界で生き残っていくためには、人と違うことができるようでなければならないと思ったから」と語っている。

野球との関わり

[編集]
  • 子どもの頃は、プロ野球選手の王貞治長嶋茂雄金田正一に憧れていた[7]
  • 1978年春の第50回選抜大会では、前年にヒットした「愛のメモリー」が入場行進曲に採用された。自らも高校球児だった本人は当日バックネット裏で曲を聴いて自然と涙が溢れ、感無量だったという。後年、雑誌のインタビューで当時のことを振り返り、「(甲子園のグラウンドに立つという)ガキの頃からの夢が(持ち歌が球場で流れる形で)ついに叶った」と語った[7]
  • 地平を駈ける獅子を見た」を歌ったことが縁で、長年にわたる埼玉西武ライオンズのファンである[13]。『週刊ベースボール』誌のインタビューでは「西武ドームのネット裏でウイスキーを飲みながらライオンズの試合を観戦するのが大好きだ」と語っていた。
  • 上記に絡み、ライオンズなどで活躍した石毛宏典佐々木誠らのサイン入りグラブを所持するなど、野球選手とも交友関係が深い。
  • オリックス・ブレーブスでプレーしていた熊野輝光(現・スカウト)に乗用車を30万円で譲渡したことがある。野球中継のゲストで松崎が出ていた際、熊野がヒットを放った瞬間、「中古車30万円のバッティング!」と唸った。

道路交通上の法的トラブル

[編集]

2006年11月、都内の路上に車を停めて降りようと運転席のドアを開けた際、後方から走ってきたバイクがドアにぶつかって転倒し、運転手が1週間の軽症を負う事故の第一当事者となった[14]。被害者とは示談が成立したが、この事故により長期にわたって無免許状態で車を運転していた事が発覚し、大きな問題となった[14]

遡って日米を往復する生活を送っていた1989年、当時滞在していたアメリカで仕事の移動時に必要になったため運転免許を取得したが、それまで日本で運転免許を取得した経験はなかった[14]。日頃はアメリカで発行された国際運転免許証を所持して運転を行っており、法的な問題は無いと考えていた[注釈 11][注釈 12]

しかし、2002年の道路交通法改正により、国際免許を根拠にした運転が認められるのは「3ヶ月以上連続して日本国外に滞在してから帰国した後の1年間」に限られるように定められた。松崎が2005年8月から事故当日までの間、3ヶ月以上連続して日本を離れた事実はなかった為、法的には運転が許可される状況になかった。

上記の国際免許制度に関する法律改正を知らないまま[注釈 13]運転を続けており、事故直後に初めて、所有する国際免許に効力がないことを知らされ、「無免許運転」を告げられてショックを受けた[9]。その後松崎は、前年や前々年に「警察官運転免許証の提示を求められ見せた際に何ら問題を指摘されなかった」と主張した[9]。無免許運転に過失犯処罰既定はないことから、「法の不知」の問題も絡んでその法的処遇が注目された。結局、2007年2月5日に道交法違反と業務上過失傷害の疑いで書類送検された[9]。上記の理由から松崎が刑事訴追される事はなかったが、責任を取って芸能活動を自粛して1か月半の謹慎生活を送った[9]。刑事訴追はなかったが、無免許運転に対する行政処分(新規免許取得の拒否処分)がなかったのかどうかは明らかになっていない。

その他

[編集]
  • 日本大学同級生に、テリー伊藤がいる(但し、松崎と学部は異なる)。
  • バックバンドは、松崎の「」に因んで『パイントリー・ファミリー・バンド』という名称である。
  • 2005年8月、音楽配信サイト『iTunes Music Store』日本版開始時に、代表曲「愛のメモリー」が最高3位にランクインする現象が起きた(この時の第1位はDef Techの「My Way」、第2位はクレイジーケンバンドの「タイガー&ドラゴン」)。
  • 2006年3月12日付のオリコンシングルチャートで「練馬大根ブラザーズ」名義の「マ・ジ・ヤ・バ」が初登場44位を記録、1978年1月の「偽りのバラード」以来、実に30年以上もの間隔を空けてのオリコンTOP50入りを果たした。ただし、ゲストボーカルという扱いでは2000年にピチカート・ファイヴの「東京の合唱〜午後のカフェで featuring 松崎しげる with YOU THE ROCK」で最高40位を記録している。
  • 先述の通り洋楽好きな両親の影響により、小さい頃からビートルズナット・キング・コールなどの洋楽レコードを聞いていた。当時は、特にコールの『スターダスト』に衝撃が走ったという[7]
  • ビートルズ武道館公演を体験している熱狂的ビートルズマニアである。2006年、スカイパーフェクTV!の音楽専門番組でビートルズ武道館公演の前座を務めた尾藤イサオと出演時、尾藤が口にするビートルズナンバーを即興で歌いながらその曲にまつわるエピソードなどを披露。また、ビートルズと同じステージに立った尾藤と同席できる喜びを興奮気味に語っていた。
  • パチンコ台は松崎との純粋なタイアップ機はないが、京楽産業.の『CRぱちんこ黒ひげ危機一髪』と大一商会の『CRJ-POPヒットパレード』に登場している。また、『CR愛と誠』でも大当たり中の曲が愛のメモリーとして鑑賞できる。
  • ゲーム『塊魂』では『ビューティフル塊魂』以外のシリーズ全てで挿入歌を歌っている。その歌詞には「日に焼けた肌」というフレーズが必ず入るのがお約束となっている。
  • 日本で初めて、生理用品のCMに出演した男性でもある(松崎しげる以外の男性では桑田佳祐笑福亭鶴瓶安全地帯などごくわずか)。
  • 一部のファンの間では『麩菓子の人』や『松崎・麩菓・しげる』など、麩菓子にまつわる愛称で呼ばれている。
  • 加齢性難聴補聴器を付けていることをメディアに対して明らかにしている。補正した音を聞くことで「聞いたことのないような美しい音に出会えるかもしれません」と前向きに受け止めているという[15]
  • 2004年9月22日放送の『はぐれ刑事純情派(第17シリーズ最終回)』において刑事容疑者の関係ではあったが、須藤刑事役の国広富之との『トミマツコンビ』で共演。2019年8月、ももクロ一座明治座公演の舞台においても同様にコンビとして共演した。
  • ももいろクローバーZと親交が深く、ドームやスタジアムでの大型ライブには2012年から、ほぼ毎回ゲスト出演し続けている。最初のきっかけは、西武ドームでのライブ開催(グループ初のドーム公演)をサプライズ発表する役回りとして、西武ライオンズつながりでゲスト起用されたことであった。以降、松崎の代表曲「愛のメモリー」の替え歌に乗せて、メンバーも知らされていない重大告知を行うことが恒例になっている。なお、メンバーからは「南国ピーナッツ」というあだ名を付けられ、ファンの間でも「南ピーさん」「黒色担当」などと呼ばれ親しまれている[16]
  • 座右の銘は、「経験こそ宝」。これは松崎が高校時代に熱中していた野球を諦めてくすぶっていた頃に、父親が口癖のように言っていた言葉が元ネタ[注釈 14]
  • ディスコグラフィ

    [編集]

    シングル

    [編集]
    # 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
    MCAレコード
    1 1970年
    10月
    A面 8760回のアイ・ラブ・ユー 阿久悠 鈴木邦彦 E-1002
    B面 つめたい女
    2 1971年
    4月
    A面 女の部屋 橋本淳 筒美京平 E-1023
    B面 嫉妬
    3 1971年
    10月
    A面 君は何をおしえてくれた 阿久悠 小林亜星 小杉仁三 E-1040
    B面 ある感動
    4 1972年
    4月
    A面 愛とはなにか 千家和也 すぎやまこういち E-1056
    B面 女ともだち
    ビクター
    5 1972年
    10月25日
    A面 黄色い麦わら帽子 ちあき哲也 中村泰士 高田弘 GAM-6
    B面 陽はまた昇る 小谷夏 小林亜星 葵まさひこ
    6 1973年
    4月1日
    A面 おもいで 阿久悠 中村泰士 高田弘 SV-2330
    B面 そよ風にのせて
    7 1973年
    8月1日
    A面 笹りんどうの咲く峠道 千家和也 馬飼野俊一 SV-2361
    B面 森の少女
    8 1973年
    10月1日
    A面 波止場 橋本淳 筒美京平 SV-2382
    B面 雨の午後 筒美京平 穂口雄右
    9 1974年
    9月1日
    A面 佐伯孝夫 穂口雄右 SV-2434
    B面 もしも
    10 1975年
    5月1日
    A面 短い手紙 中原薫 森田公一 馬飼野俊一 SV-2478
    B面 坊やひとりで何処へ行く くもり陽
    11 1976年
    6月25日
    A面 私の歌 喜多条忠 都倉俊一 SV-6025
    B面 真夜中のエレベーター
    12 1976年
    10月25日
    A面 俺たちの朝 谷川俊太郎 小室等 チト河内 SV-6116
    B面 どれだけ遠く
    13 1977年
    5月1日
    A面 夕陽の歌 喜多条忠 都倉俊一 SV-6195
    B面 踊り子ロージー
    14 1977年
    8月10日
    A面 愛のメモリー たかたかし 馬飼野康二 SV-6266
    B面 フライング・バード 釘崎哲朗
    15 1978年
    1月21日
    A面 偽りのバラード 馬飼野康二 SV-6339
    B面 Love is Just a Dream 羽根田武邦 馬飼野康二
    16 1978年
    4月25日
    A面 銀河特急 筒美京平 SV-6402
    B面 こころは旅人
    17 1978年
    7月5日
    A面 火の鳥 谷川俊太郎 ミシェル・ルグラン SV-6450
    B面 愛は永遠に
    18 1978年
    10月1日
    A面 俺の愛し方 なかにし礼 馬飼野康二 SV-6477
    B面 シルビー 美樹克彦 大浜和史
    Invitation
    19 1979年
    3月25日
    A面 地平を駈ける獅子を見た 阿久悠 小林亜星 高田弘 VIH-1043
    B面 レッツ・ゴー・ライオンズ - 長戸大幸
    20 1979年
    5月1日
    A面 セーリング・ラブ 荒木とよひさ 馬飼野康二 前田憲男
    斎藤ノブ
    植田芳暁
    小笠原寛
    VIH-1047
    B面 レット・ミー・フライ 木戸やすひろ 小笠原寛
    21 1979年
    9月25日
    A面 WONDERFUL MOMENT 三浦徳子 佐瀬寿一 VIH-1061
    B面 16 BEAT SENSATION 門谷憲二 大野雄二
    22 1980年
    8月21日
    A面 マイ・ラブ 山上路夫 都倉俊一 VIHX-1515
    B面 悲しみのラブ・ソング 竜真知子 木戸やすひろ
    23 1981年
    4月21日
    A面 JAKA JAKA 阿久悠 井上大輔 VIHX-1538
    B面 TYOドリーム
    ビクター
    24 1981年
    7月3日
    A面
    [注釈 15]
    DAYDREAM ROMANCE ちあき哲也 鈴木キサブロー 東海林修 KV-3022
    Invitation
    25 1982年
    1月21日
    A面 愛の静けさ 三浦徳子 松崎しげる 小笠原寛 VIHX-1563
    B面 Together
    26 1982年
    5月21日
    A面 Fall in Love Again 佐藤三樹夫 杉山トム VIHX-1575
    B面 Smile Again 佐藤三樹夫
    27 1983年
    2月5日
    A面 愛と青春の旅だち なかにし礼 J.Nitzsche
    B.S.Marie
    川村栄二 VIHX-1600
    B面 僕のそばにいなさい 康珍化 坂田晃一
    EASTWORLD
    28 1987年
    9月25日
    A面 君がいればそれでいい 秋元康 見岳章 井上鑑 RT07-2010
    B面 Morning Road 麻生圭子 和泉常寛
    29 1988年
    10月26日
    A面 JOANNA 中村裕介 萩田光雄 RT07-2229
    B面 悲しみのない関係 岸正之
    RACKYO RECORDS
    30 1990年
    4月21日
    01 夏の恋人 魚住勉 馬飼野康二 PCDY-00037
    02 愛のはじまり 松崎しげる Mark Davis
    EASTWORLD
    31 1991年
    5月24日
    01 夏の夢 魚住勉 馬飼野康二 TODT-2652
    02 誘惑
    Sony Records
    32 1992年
    3月25日
    01 TAKE A FLIGHT 高柳恋 中村裕介 松崎しげる SRDL-3249
    02 BABY COME BACK 松崎しげる
    33 1993年
    12月1日
    01 グッド・バイ・マイ・ラブ なかにし礼 平尾昌晃 山口龍夫 SRDL-3775
    02 SENTIMENTAL 古賀勝哉 羽場仁志 杉山正明
    34 1994年
    2月21日
    01 あの輝きを忘れない 横山武 UNI SRDL-3803
    02 プリップリッロック[注釈 16] 南原清隆 杉山正明
    35 1995年
    11月22日
    01 My love song 椎名可憐 松本俊明 北村仁志 SRDL-4136
    36 1996年
    5月22日
    01 Still…… 加藤健 大和邦久 SRDL-4200
    02 見上げてごらん夜の星を 永六輔 いずみたく 久保田邦夫
    37 1997年
    1月22日
    01 めぐり逢うとき 阿久悠 長部正和 SRDL-4315
    02 抜け殻 松崎しげる
    Walker Brothers
    38 1999年
    11月20日
    01 For Your Love 笹本安詞 久保田邦夫 OWWB-4563
    02 想い出に変わる日まで 藤澤香苗 笹本安詞
    39 2000年
    1月21日
    01 君は輝いている 松崎しげる
    吉田象
    松崎しげる OWWB-1111
    02 君から世界へ 吉田象 馬飼野康二
    日本コロムビア
    40 2000年
    3月18日
    01 さぁ行こう! 吉川兆二 岩崎元是 CODC-1848
    Walker Brothers
    41 2000年
    6月1日
    01 ひとりひとりの心に深く 吉田象 D.Garfield 松崎しげる OWCW-1001
    02 君から世界へ(2000 MIX) 馬飼野康二
    Geneon Entertainment
    42 2007年
    9月21日
    01 愛と復讐の嵐 くまのきよみ C.Macias 水島康貴 GNCL-0026
    02 愛のメモリー21 たかたかし 馬飼野康二
    日本コロムビア
    43 2008年
    8月27日
    01 Wanderer 及川眠子 Blues T COCC-16173
    02 君が微笑うなら 柚木美祐 見良津健雄 関淳二郎
    44 2010年
    3月24日
    01 君の歌 奥田もとい 上田益 COCC-16344
    02 Be all right! 笹本安詞

    配信限定シングル

    [編集]
    発売日 タイトル
    2007年10月17日 黒ひげポン!!
    2009年4月29日 愛のメモリー 2009
    2010年12月15日 愛のやきおにぎり
    2011年4月27日 題名のない愛の唄〜Shetland Air〜
    2016年9月6日 からくりピエロ
    2018年8月29日 たいせつなもの
    2023年9月6日 これを愛と呼ぶのか? / 松崎しげる×LiLiCo

    その他の名義のシングル

    [編集]
    発売日 曲順 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
    シゲルBROWN 名義
    ネクストメディアコミュニケーションズ
    2008年
    10月22日
    01 オヤコのマーチ Elvis Woodstock 横山剣 クレイジーケンバンド POCE-3313
    02 男の滑走路 横山剣

    オリジナル・アルバム

    [編集]
    1. FIRST ALBUM(1972年5月、MCA、JMC-5050)
      • A面:愛とはなにか、女の部屋、TILL、スーパー・バード、Without You、嫉妬
      • B面:君は何を教えてくれた、You're So Good To Me、ある感動、君の瞳に恋してる、嫉妬、女ともだち
    2. おもいで/黄色い麦わら帽子(1973年3月、ビクター、SJX-120)
      • A面:おもいで、短い手紙、見えない明日、坊やひとりで何処へ行く、体の中を風が吹く、北国の蒸気機関車
      • B面:黄色い麦わら帽子、一番列車、いつかくるさよなら、そよ風にのせて、この若い日を、海はともだち
    3. 波止場(1973年10月、SJX-153)
      • A面:波止場、お気に入りの君、くちづけは夕暮れに、幼い頃の恋、君のいない風景、森の少女
      • B面:笹りんどうの咲く峠道、雨の午後、いつか会える君なら、今は遠い君に、めぐり逢い、愛、悲しみ
    4. 私の歌・俺たちの朝(1976年12月、SJX-10184)
      • A面:私の歌、どれだけ遠く、愛の微笑み(愛のメモリー原曲)、真夜中のエレベーター、俺たちの朝
      • B面:悲しみだけを残して、抜け殻、素晴らしい朝、そんな君に、こわれたドアー、愛のメロディー
    5. LOVE(1978年8月、SJX-20070)
      • A面:ギターは泣いている、シルビー、セクシー・ベイビー、想い出は煙にとけて、傷ついた鳩
      • B面:旅立ちの朝、ジェニーの肖像、九月の海、ガール・ガール・ガール、セクシー・レディー
    6. MATSU FOR SALE(1979年7月、Invitation、VIH-6050)
      • A面:Overture〜Sailing Love、想い出の砂浜、愛の形見、Let Me Fly、美しい季節
      • B面:Concert Singer、Lonesome Sailormen、Bye Bye Town、夜更けの街で聞こえる歌、たとえ…
    7. WONDERFUL MOMENT(1980年5月、VIH-28001)
      • A面:ワンダフル・モーメント、雨の微笑み、キル・ミー、16ビート・センセーション、モーニング・ブリーズ
      • B面:愛の影、戯曲(ドラマ)、愛の便り、化石の森、雨の微笑み(リプライズ)
    8. 10th Ave.(1980年12月、VIH-28024)
      • A面:You're So Good For Me、Dreamer、Let me be、She believes in me(愛を信じて)
      • B面:Groovin、My Friend(朝日が昇れば)、Traces(恋の足跡)、This Boy
    9. TIME(1988年5月、東芝EMI、LP:RT28-5185 / CD:CT32-5185)
      • A面:SAY FOR LOVE、ワンダフル・モーメント、愛のメモリー、想い出は煙にとけて、コートダジュール
      • B面:君がいればそれでいい、MY MISTY、抜け殻、はなやかなりし頃(Romance)
    10. YES or NO(1991年12月11日、TOCT-6363)
      • 君と始めるSHOW TIME、プロポーズはクリスマスイヴに、Yes or No、Always〜愛のBirthday〜、あの夏の日、微笑みは愛をこえて、愛すれど孤独(ロンリー)、星の夜だから、誘惑、夏の夢
    11. Memories of Love(1994年11月2日、ソニー、SRCL-3042)
    12. エターナル・ラブ(2000年8月2日、WALKER BROTHERS、OWCW-2001)
    13. black on black(2014年6月11日、AGレーベル、HUCD-10156)

    ライヴ・アルバム

    [編集]
    1. LOVE CONCERT(1977年7月、ビクター、SJX-10199)
      • A面:想い出のサンフランシスコ、シャレード、燃ゆる初恋、雨のつぶやき、愛の夢、アドロ、セ・シ・ボン、愛の微笑み
      • B面:フィーリング、メドレーI:a:愛こそはすべて、b:ツイスト・アンド・シャウト、c:あの娘におせっかい、メドレーII:a:オール・ザ・シングス・ユー、b:マイ・スウィート・ロード、c:ハートに火をつけて、俺たちの朝、私の歌
    2. LIVE 愛のひろがり(1978年2月、ビクター、SJX-20041)
      • A面:オープニング 愛のメモリー、〜マイ・スイート・ロード、スピニング・ホイール、フィーリング、ロックン・ロール・メドレー(ラブ・ミー・テンダー、ダイアナ、君はわが運命、ブルー・ハワイ、GIブルース)、ヒット・メドレー(私の歌、愛のわかれ、夕陽の歌)
      • B面:想い出のサンフランシスコ、ハートに火をつけて、歌の贈りもの、愛するデューク、星空の二人、ゲット・アウェイ、エピローグ 愛のメモリー

    企画アルバム(カバー&セルフカバー)

    [編集]
    1. サウンド・イン・S(1979年、Invitation、VIH-6053)※『サウンド・イン"S"』5周年記念特別企画 / 共演:伊東ゆかり
    2. コブラ 音楽篇(1982年、ビクター、JBX-25005)※『コブラ』オリジナル・サウンドトラック / 共演:EVE
    3. オールドファッション・ラブソング(2000年11月29日、OWCW-2002)※デビュー30周年記念セルフカバー・アルバム
    4. あの日の少年(2003年02月26日、ソニー、SVWC-7171[17])※アニメソング・カバー・アルバム
    5. My Favorite Songs(2005年11月2日、WALKER BROTHERS、OWCW-2003)※デビュー35周年記念カバー・アルバム
    6. Yes We Can!!(2009年5月27日、AGレーベル、HUCD-10055)※頑張れソング・カバー・アルバム
    7. 愛のメモリー35th Anniversary Edition(2012年6月6日、AGレーベル、HUCD-10107)※デビュー40周年記念メガ・ボリューム・シングル
    8. 私の歌〜リスペクト〜(2015年6月10日、AGレーベル、HUCD-10186[18])※デビュー45周年記念カバー・アルバム
    9. たいせつなもの 〜Goodies〜(2018年9月5日、AGレーベル、HUCD-10267[19])※セルフカバー&カバー・アルバム

    ベスト・アルバム

    [編集]
    1. ベスト・ヒット・アルバム(1977年11月、ビクター、GX-27)
    2. ベスト・ヒット・アルバム(1978年11月、ビクター、GX-41)
    3. ツイン・ベスト(1995年6月28日、ビクター、VICL-40129/30)
    4. エッセンシャル・ベスト 松崎しげる(2007年8月22日、ビクター、VICL-62489)
    5. Shigeru Matsuzaki All Time Best Old &New 〜I’m a Singer〜(2011年5月25日、AGレーベル、HUCD-10089)※新曲を含むデビュー40周年記念オールタイム・ベスト・アルバム
    6. 松崎しげる ゴールデン☆ベスト(2011年12月14日、ビクター、VICL-63738)
    7. 50 years of activity Album 「1/2世紀〜Self Selection〜」[20](2022年9月7日、ソニー・ミュージックダイレクト、MHCL-30737/8【初回限定盤】MHCL-30739【通常盤】)※西田敏行との新曲「夢に隠れましょ」を含むデビュー50周年記念、過去の音源から松崎しげる自ら選曲したオールタイム・ベスト・アルバム

    CMソング・参加作品

    [編集]

    タイアップ曲

    [編集]
    楽曲 タイアップ
    1971年 君は何を教えてくれた グリコ「アーモンドチョコレート」CMソング
    1972年 黄色い麦わら帽子
    1976年 私の歌
    俺たちの朝 日本テレビ系テレビドラマ「俺たちの朝」主題歌
    どれだけ遠く 日本テレビ系テレビドラマ「俺たちの朝」挿入歌
    1977年 愛の微笑 グリコ「アーモンドチョコレート」CMソング
    1978年 火の鳥 東宝映画「火の鳥」イメージソング
    1979年 WONDERFUL MOMENT TBS系テレビドラマ「噂の刑事トミーとマツ」EDテーマ
    1980年 マイ・ラブ
    悲しみのラブ・ソング 全日空「ハローツアー」イメージソング
    1981年 JAKA JAKA TBS系テレビドラマ「秘密のデカちゃん」主題歌
    DAYDREAM ROMANCE アニメ映画「コブラ」主題歌
    1982年 愛の静けさ TBS系テレビドラマ「噂の刑事トミーとマツ」EDテーマ
    1983年 僕のそばにいなさい TBS系テレビドラマ「婦警さんは魔女」主題歌
    1987年 君がいればそれでいい グリコ「アーモンドチョコレート」CMソング
    1990年 夏の恋人 アサヒ「生ビール」CMソング
    1991年 夏の夢
    1992年 TAKE A FLIGHT テンポラリーセンター「がんばれ!ニッポン!」CMソング
    1993年 グッド・バイ・マイ・ラブ ノエビア「コスメティック ルネッサンス」CMソング
    SENTIMENTAL ビデオ映画「まるごし刑事」主題歌
    1994年 あの輝きを忘れない 日本テレビ系バラエティ番組「ウンナン世界征服宣言」EDテーマ
    プリップリッロック 日本テレビ系バラエティ番組「ウンナン世界征服宣言」キャンペーンソング
    1995年 My love song NHK総合のバラエティ番組「ざっくばらん」EDテーマ
    1996年 Still…… テレビ東京系スポーツ情報番組「サンデースポーツライブ」OPテーマ
    見上げてごらん夜の星を KSB・CMソング
    1997年 めぐり逢うとき テレビ東京系テレビドラマ「編笠十兵衛」主題歌
    1999年 For Your Love VERNAL化粧品・CMソング
    2000年 君は輝いている オイスカ「子供の森計画」イメージソング
    さぁ行こう! テレビ東京系テレビアニメ「ビックリマン2000」OPテーマ
    ひとりひとりの心に深く 財団法人「少林寺拳法連盟」イメージソング
    君から世界へ(2000 MIX) 通産省「介護保健」CMソング
    2008年 Wanderer OVA「COBRA THE ANIMATION ザ・サイコガン」EDテーマ
    君が微笑うなら OVA「COBRA THE ANIMATION タイム・ドライブ」EDテーマ
    2010年 君の歌 テレビアニメ「COBRA THE ANIMATION」EDテーマ

    出演

    [編集]

    テレビドラマ

    [編集]

    映画

    [編集]

    オリジナルビデオ

    [編集]

    テレビアニメ

    [編集]

    劇場アニメ

    [編集]

    吹き替え

    [編集]

    バラエティ

    [編集]

    スポーツ番組

    [編集]

    ラジオ

    [編集]

    CM

    [編集]

    NHK紅白歌合戦出場歴

    [編集]
    年度 放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
    1977年 第28回 愛のメモリー 11/24 しばたはつみ
    2024年 第75回 2 もしもピアノが弾けたなら 特別企画 - 西田敏行追悼企画に竹下景子・武田鉄矢・田中健とともに出場。
    注意点
    • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

    NHKみんなのうた出演歴

    [編集]
    曲目 コーラス 初放送年月 再放送
    大きなうた 東京放送児童合唱団 1979年(昭和54年)6月 - 7月 1980年(昭和55年)8月 - 9月
    2021年(令和3年)11月

    舞台

    [編集]
    • 「歌だ!祭りだ!〜BS・TBSサマーパーティーin赤坂BLITZ!ファン感謝祭歌謡祭〜」(2009年8月27日)

    脚注

    [編集]

    注釈

    [編集]
    1. ^ ハッツアンリミテッドの別レーベル。
    2. ^ 1968年結成。バンド名は「ミルク」のほか冬期「ホットミルク」夏季「アイスミルク」と使い分けていた時期があり、1971年2月東芝エクスプレス・レコードからシングル「ハッシャバイ」でデビューしたときは「ホットミルク」。メンバーは流動的でレコードデビュー時は青木たかみち(ギター)、鳥羽清(キーボード)、木下孝(ベース)、原一郎(ドラムス)。ジャズ喫茶やナイトクラブ「スペースカプセル」などに出演していた。
    3. ^ 当時ブルー・コメッツ尾藤イサオが所属していた。
    4. ^ 父の親友である西田敏行に憧れ、元マネージャーの大谷勝巳から1文字を拝借し「松谷優輝」とした[8]
    5. ^ 本人によると、「両親はとても夫婦仲が良く、家の中で蓄音機で流したタンゴに合わせて二人でよく踊っていました」とのこと。
    6. ^ 本人は、「親父はインパール作戦の生き残りで戦時中は隊長をしていました。帰国後、かつての部下が家に来るたび、父たちはよくどんちゃん騒ぎをしていましたね。それから小学4年生の頃には、当時一般的でなかった白黒テレビが自宅に入り、テレビ見たさに近所の人が大勢上がり込みました。皆と一緒になってテレビを観た光景は、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』で登場人物たちがテレビを観るシーンそのものでした」と回想している[7]
    7. ^ 本人は後年、「たとえケガが治っても古傷を負ってプロを目指せるほど甘い世界じゃないですから。だから当時は絶望しましたね。あのケガで自分の居場所を完全に見失ってしまった」と述懐している[7]
    8. ^ 本人によると、「周りから『あそこの店の“ブタ(西田)”と“ゴボウ(松崎)”が面白い』って評判になったんです。お客さんから頂いたお題を歌にするのですが、ハチャメチャでとても活字にできない下ネタばかりでした(笑)」と回想している[7]
    9. ^ また、本人によると「ある日番組スタッフから好きな女性芸能人を聞かれ、僕は十朱幸代さん、西やんはナタリー・ドロンと答えたんです。するとその後十朱さんとナタリーがそれぞれ実際に番組にゲスト出演して下さいました」とのこと[7]
    10. ^ 本人によると、「この曲が売れた途端、あんなにダメ出ししていたレコード会社から『いい歌ですね~』と掌返しをされましたよ(苦笑)」とのこと[7]
    11. ^ 当初アメリカ国内だけで運転する考えだったが、知人から「国際免許を発行してもらえば日本でも運転できる」とアドバイスされ、その後日本でも運転するようになった[14]
    12. ^ また当時は、日本より取得が容易な海外で免許を取り、日本帰国後に国内免許への書き換えをする者もいれば、国際免許で日本国内を運転する者も一般的にいたとのこと[9]
    13. ^ 2002年の道路交通法改正は酒気帯び及び酒酔い運転の厳罰化が目玉で、松崎だけでなく世間一般的に国際免許の制度変更を知る人は多くなかったとされる。このため事故後、世間では「警察には改正内容をきちんと告知する義務があるのでは?」との声も上がった[9]
    14. ^ 当時父から「何でも経験してみろ。良い経験ならばそれを責任を持って熱く語れるし、悪い経験ならばそれだけで深く反省もできる。経験こそが宝なんだよ」と言われていた。松崎は後年、「父は厳格な人でしたが頭ごなしに押さえつけることは一切なく、おおらかに見守ってくれていた」と回想している[7]
    15. ^ B面は「STAY…」(歌唱:EVE)。
    16. ^ ナン・マツ&プリップリッキッズ名義(南原清隆とのユニット)。

    出典

    [編集]
    1. ^ a b 芸能手帳タレント名簿録Vol.33('98 - '99 音楽専科社)p.334 など
    2. ^ a b 【ボート】松崎しげるが児島クラシックで熱唱 「1Rから手に汗を握っています」”. デイリースポーツ (2017年3月19日). 2017年5月18日閲覧。
    3. ^ a b c 松崎しげる”. オフィスウォーカー. 2017年5月16日閲覧。
    4. ^ a b c d 松崎しげる”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2017年5月16日閲覧。
    5. ^ a b 松崎しげる”. タレントデータバンク. 2017年5月16日閲覧。
    6. ^ 昭和40年男 2017年6月号増刊(クレタパブリッシング)138頁
    7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar 『週刊文春』2023年11月16日号.
    8. ^ "松崎しげる長男は22歳俳優・松谷優輝だった デビュー2年初告白「父を超えたい」". スポーツ報知. 報知新聞社. 21 March 2021. 2021年3月22日閲覧
    9. ^ a b c d e f g 国際免許無効を知らずに事故を起こした松崎しげる(その2)”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2013年11月6日). 2024年2月14日閲覧。
    10. ^ 週刊ファミ通』1077号 19P
    11. ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 13』講談社、2005年。 
    12. ^ “「誕生日が増えたみたい」しげる「松崎しげるの日」記念日認定に照れ笑い”. 音楽ナタリー (ナターシャ). (2015年7月19日). https://natalie.mu/music/news/154429 2015年8月2日閲覧。 
    13. ^ 松崎しげるが西武V祝福「日本シリーズ巨人戦が夢」日刊スポーツ 2019年9月24日 2019年9月28日閲覧
    14. ^ a b c d 国際免許無効を知らずに事故を起こした松崎しげる(その1)”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2013年11月6日). 2024年2月14日閲覧。
    15. ^ “歌手・俳優・松崎しげるさん「加齢性難聴」で補聴器愛用/ありのままより美しい音に出会えるかも”. 『産経新聞』朝刊. (2017年8月4日). https://www.sankei.com/article/20170804-LPWO63CJVJI2PN3DLAXE3ORHCU/ 
    16. ^ ももクロ 4人の再出発を陰で支える“松崎しげるの献身” - 女性自身
    17. ^ 松崎しげる「あの日の少年」”. tower.jp. 2022年9月11日閲覧。
    18. ^ 松崎しげる/私の歌 ~リスペクト~”. tower.jp. 2022年9月11日閲覧。
    19. ^ 松崎しげる/たいせつなもの ~Goodies~”. tower.jp. 2022年9月11日閲覧。
    20. ^ otonano. “松崎しげる 1/2世紀(はんせいき) ∼Self Selection∼|otonano”. 大人のための音楽/エンタメ総合ウェブサイト otonano PORTAL. 2022年9月11日閲覧。
    21. ^ スペース アドベンチャー コブラ”. トムス・エンタテイメント. 2016年5月22日閲覧。
    22. ^ 高橋開発 – 枚方市の新築一戸建て・マンションの高橋開発”. 2022年5月31日閲覧。
    23. ^ ウタマロ公式 2017年9月11日 18:01の発言
    24. ^ ウタマロ公式 2018年4月23日 11:29の発言
    25. ^ 【月コロ2月号特報】黒の帝王・松崎しげるがデュエマカード化! 次世代WHFで激レア“しげるクロック”をゲットせよ!!”. 小学館. 2023年2月25日閲覧。

    参考文献

    [編集]
    • 「「新・家の履歴書」第855回・松崎しげる」『週刊文春』2023年11月16日号、文藝春秋、2023年11月9日、54-57頁、JAN 4910204031136 

    外部リンク

    [編集]