林昌二
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林昌二 | |
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生誕 |
1928年(昭和3年)9月23日 日本 東京市小石川区 |
死没 |
2011年11月30日(83歳没) 日本 東京都 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京工業大学 |
職業 | 建築家 |
受賞 | 日本建築学会賞作品賞(1971年) |
所属 | 日建設計 |
建築物 |
三愛ドリームセンター パレスサイドビルディング ポーラ五反田ビル |
林 昌二(はやし しょうじ、1928年9月23日 - 2011年11月30日)は、日本の建築家。日建設計で、チーフアーキテクトとして活躍。1971年にはポーラ五反田ビルで日本建築学会賞作品賞を受賞した。夫人は建築家の林雅子。
略歴
[編集]- 1945年 東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
- 1953年 東京工業大学工学部建築学科卒業。日建設計工務株式会社(現・株式会社日建設計)入社。
- 1973年 同社取締役。以後、副社長、副会長等を歴任。
- 2011年11月30日 死去[1]。83歳没。
主要作品
[編集]- 旧掛川市庁舎(1955年)現存せず
- 三愛ドリームセンター (1962年)
- パレスサイドビルディング (1966年)
- 信濃美術館(1966年)
- 大阪万博リコー館(1970年)現存せず
- ポーラ五反田ビル (1971年)
- 日本IBM本社ビル(1971年)現存せず
- 中野サンプラザ(1973年)
- 三井物産ビル(1976年)現存せず
- 新宿NSビル(1982年)
- 三井住友海上駿河台ビル(1984年)
- 日本興亜馬車道ビル(1989年)
- 文京シビックセンター(1994年)
- 掛川市庁舎(1996年)
脚注
[編集]- ^ “中野サンプラザなど設計、林昌二氏が死去”. 読売新聞. (2011年12月2日) 2011年12月2日閲覧。