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永田和宏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
永田 和宏
誕生 (1947-05-12) 1947年5月12日(77歳)
滋賀県高島市
職業 歌人細胞生物学
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 理学博士京都大学
ジャンル 短歌
細胞生物学
配偶者 河野裕子
子供 永田淳
永田紅
所属
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永田 和宏(ながた かずひろ、1947年5月12日 -)は、日本歌人細胞生物学者京都大学名誉教授、京都産業大学名誉教授。短歌結社「」前主宰。妻は歌人の河野裕子。長男永田淳、長女永田紅も歌人。滋賀県出身。

人物

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研究者としての活動

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細胞内タンパク質の品質管理を研究[1]アメリカ国立がん研究所客員助教授在任中だった1986年には、コラーゲン生成に特異的な機能を持つ熱ショックタンパク"HSP47"を発見した。京都大学胸部疾患研究所(現:医生物学研究所)教授になってからは、小胞体における変性タンパク質の品質管理機構に関する新規遺伝子を次々と発見し、この分野に大きな貢献をした。変性タンパク質を見分けて分解経路に回すEDEM1(Science, 2003など)、変性タンパク質のジスルフィド結合を還元して、小胞体からサイトゾルへ逆輸送しやすくする還元酵素ERdj5 (Science, 2008, Mol. Cell, 2012) などが代表的なものである。

歌人としての活動

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京都大学在学中に短歌を始め、高安国世に師事した。初期の歌風は前衛短歌の影響を色濃く受け、時に口語も生かした青春歌や科学者的な世界把握を持ち味とした。後にはそれを昇華し、身辺に取材した平明なものに変化してきている。師の影響から新仮名での作歌を行っていたが、2008年より旧仮名に転向した。朝日歌壇南日本新聞歌壇選者、歌会始詠進歌選者、角川短歌賞選考委員なども務め、「短歌合わせ鏡の説」(『表現の喫水』)に代表される明晰な理論家としても現代歌壇の中心に位置している。2010年に妻河野裕子が病没した後は、家族生活の思い出を描いた随筆も発表し、広い読者を得ている。

略歴

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  • 1947年 滋賀県高島郡饗庭村五十川(現・高島市新旭町)にて農協職員・永田嘉七と千鶴子の子として生まれる[2]
  • 1949年 肺結核の母親と離すため、母方の実家に預けられ、近所の寺に住む住職の未亡人に育てられる[2]。祖父・清水重郎は村長の傍ら漢詩を教えていた[2]。父・嘉七は家計のため親戚が京都西陣で営む帯問屋「中野商店」に転職[2]
  • 1951年 母親が死去、半年後、父親が再婚し一家で京都に暮らす[3]。のち6歳下、8歳下の異母妹が生まれる[4]
  • 1954年 京都市立紫竹小学校入学
  • 1960年 京都市立双ヶ丘中学校入学。軟式テニス部部長、生徒会副会長を務める[5]。2年の時父の浮気がきっかけで継母より「あんたさえいなければ」と言われ、浮気相手との別れ話に立ち合いを命ぜられる[6]
  • 1963年 京都府立嵯峨野高等学校入学。放課後通った塾の授業で短歌に興味を持ち、京都新聞歌壇で佳作と特選をとる[5]
  • 1966年 京都大学理学部物理学科入学、京都大学短歌会入会。高安国世に師事[5]
  • 1967年 「塔」入会、同人誌「幻想派」創刊に参加し、河野裕子と出会う[5]
  • 1970年 睡眠薬を大量に飲み、自殺未遂[7]
  • 1971年 京都大学理学部卒業、院試に落ち、森永乳業入社、中央研究所研究員として勤務
  • 1973年 河野裕子と結婚[5]。長男永田淳誕生。
  • 1975年 第一歌集『メビウスの地平』刊行。長女永田紅誕生。
  • 1976年 森永乳業退社、京都大学結核胸部疾患研究所(現:医生物学研究所)研修員
  • 1979年 京都大学結核胸部疾患研究所講師、京大理学博士
  • 1984年 アメリカ国立がん研究所客員助教授(1986年まで)
  • 1986年 帰国。京都大学結核胸部疾患研究所教授(細胞化学研究部門)
  • 1988年 京都大学胸部疾患研究所教授(細胞調節学研究部門 細胞生物学分野)
  • 1996年より上賀茂神社の賀茂曲水宴の歌人を務める[8]
  • 1998年 京都大学再生医科学研究所教授(生体機能学研究部門 細胞機能調節学分野)
  • 2008年 秋田大学工学資源学部生命化学科客員教授(基礎生命化学講座 分子生物学分野)
  • 2010年 京大を定年前に退任、名誉教授京都産業大学総合生命科学部教授・学部長。妻死去。
  • 2012年 『歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年』上梓
  • 2015年 「塔」主宰を引退。後継は吉川宏志
  • 2016年 京都産業大学 タンパク質動態研究所・所長
  • 2020年 JT生命誌研究館館長、京都産業大学名誉教授

受賞・栄典

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著書

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  • 歌集『メビウスの地平』茱萸叢書 1975年
  • 歌集『黄金分割』沖積舎 1977年
  • 評論集『表現の吃水 定型短歌論』而立書房 1981年
  • 歌集『無限軌道』雁書館 1981年
  • 評論集『解析短歌論 喩と読者』而立書房 1986年
  • 歌集『やぐるま』雁書館 1986年
  • 時評集『同時代の横顔』砂子屋書房 1991年
  • 歌集『華氏』雁書館 1996年
  • 歌集『饗庭』砂子屋書房 1998年
  • 歌集『荒神』砂子屋書房 2001年
  • 歌集『風位』短歌研究社 2003年
  • 歌集『百万遍界隈』青磁社 2005年
  • 歌集『後の日々』角川書店 2007年
  • 『作歌のヒント』NHK出版 2007年
  • 『タンパク質の一生』岩波新書 2008年
  • 歌集『日和』砂子屋書房、2009年
  • エッセイ集『もうすぐ夏至だ』白水社 2011年
  • 『歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年』新潮社 2012年/新潮文庫 2014年 ISBN 978-4-10126-381-6
  • 歌集『夏・二〇一〇』青磁社、2012年
  • 『近代秀歌』[12][13]岩波新書 2013年 ISBN 978-4-00431-407-3
  • エッセイ集『新樹滴滴』白水社 2013年
  • 『現代秀歌』岩波新書 2014年 ISBN 978-4-00431-507-0
  • 『人生の節目で読んでほしい短歌』NHK出版新書 2015年
  • エッセイ集『あの午後の椅子』白水社 2016年
  • 『生命の内と外』新潮選書 2017年 ISBN 978-4-10603-794-8
  • 歌集『午後の庭』角川書店 2017年
  • 『知の体力』新潮新書 2018年 ISBN 978-4-10-610764-1
  • 歌集『某月某日』本阿弥書店 2018年
  • 『象徴のうた』文藝春秋 2019年/角川新書 2024年 ISBN 978-4-04-082530-4
  • 歌集『置行堀』現代短歌社 2021年/新潮文庫 2024年 ISBN 978-4-10-126382-3
  • 『あの胸が岬のように遠かった 河野裕子との青春』新潮社 2022年 ISBN 978-4-10332-642-7
    • 2022年3月、本書を原作としたドラマがNHKで放送され、柄本佑が永田を、藤野涼子が河野を演じた。柄本は青年期と老年期の一人二役を務めた。

共著

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関連書籍

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  • 『永田和宏』(シリーズ・牧水賞の歌人たちVol.3)青磁社 2008年

メディア出演

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新聞・雑誌

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  • 「一〇〇年後に遺す歌」日本経済新聞2014年7月27日朝刊36面

脚注

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出典

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  1. ^ 京都産業大学総合生命科学部生命システム学科
  2. ^ a b c d 自著『あの胸が岬のように遠かった』p16-21
  3. ^ 『あの胸が岬のように遠かった』p28
  4. ^ 『あの胸が岬のように遠かった』p35
  5. ^ a b c d e 恋と短歌とタンパク質 私の人生のいちばんの意味は?【永田和宏】『公研』2023年2月号
  6. ^ 『あの胸が岬のように遠かった』p48-49
  7. ^ 『あの胸が岬のように遠かった』p235
  8. ^ 『あの胸が岬のように遠かった』p43
  9. ^ 『官報』号外第151号、令和元年11月5日
  10. ^ 秋の叙勲、柄本明さんら4113人 伊達忠一氏に桐花大綬章”. 日本経済新聞 (2019年11月3日). 2023年1月20日閲覧。
  11. ^ 毎日芸術賞の人々:/1 桐野夏生さん/永田和宏さん”. 毎日新聞. 2023年1月6日閲覧。
  12. ^ 2003年度の大学入試において6大学で採用。
  13. ^ には「日本人なら知っておきたい 近代の歌一〇〇首」。本人は「知らなければ恥だ」という気持ちで選んだ。
  14. ^ 第95回『あなたに有利な証拠として - さくらんぼテレビ
  15. ^ "コロナの時代を詠む". NHK. 2020年9月6日. 2021年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月9日閲覧
  16. ^ "ほんたうに俺でよかつたのか". NHK. 2022年2月25日. 2023年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月7日閲覧

外部リンク

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