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浅野長邦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

浅野 長邦(あさの ながくに、安永5年(1776年) - 嘉永5年3月1日1852年4月19日))は、江戸時代後期の旗本通称は久次郎。

旗本浅野長貞の長男として誕生した。母は諏訪七左衛門頼容の娘。寛政6年(1794年)11月14日、切米300俵で書院番士として出仕する。父の死にともない、文化5年(1808年)8月4日に500石の家督を相続した。このときに300俵は幕府に返上した。天保2年(1831年)3月28日に隠居して嫡男の長年に家督を譲った。嘉永5年(1852年)閏3月1日死去。高輪の泉岳寺に葬られた。法名は淨邦院殿閑窓蓮夢大居士。妻は小林仙太郎正方の娘。