浅野忠真
表示
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 元和4年(1618年) |
死没 | 元禄7年7月8日(1694年8月18日) |
改名 | 忠政→忠真 |
別名 | 通称:甲斐、右近太夫 |
墓所 | 広島県三原市本町妙正寺 |
主君 | 浅野光晟→綱晟 |
藩 | 安芸広島藩家老 |
氏族 | 浅野氏 |
父母 | 父:浅野忠長 |
妻 | 側室:月渓院 |
子 | 忠義 |
浅野 忠真(あさの ただまさ)は、江戸時代前期の安芸国広島藩の家老。三原浅野家第3代。
略歴
[編集]元和4年(1618年)10月、浅野家家臣浅野忠長の次男として紀伊新宮に生まれる。主家の浅野宗家は当時紀州藩主であったが、翌元和5年(1619年)に広島藩へ転封した。
寛永17年(1640年)、幕府の証人として江戸に下り、11月に将軍家光に拝謁する。
明暦元年(1655年)、朝鮮通信使の供応役を務める。明暦2年(1656年)、父忠長が隠居したため家督相続する。万治2年(1659年)、三原城内堀の堀ざらいを行う。延宝2年(1674年)、東野村新田を干拓。三原妙正寺を建立。
延宝8年(1680年)、三原城を修繕する。天和元年(1681年)、城主であることから江戸で乗輿を許された。
天和3年(1683年)11月、隠居し薙髪して道泉と号した。家督は四男の忠義が継いだ。元禄7年(1694年)7月8日死去。享年77。菩提寺の妙正寺に葬られた。