Wikipedia:リダイレクトの削除依頼/2016年10月

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リダイレクトの削除依頼 2016年10月[編集]

  • 自主制作アニメ非転送 / ノート / 履歴 / リンク元 / 削除自主映画履歴 - 削除 自主制作アニメと自主映画は意味が違う。--Muck vht会話2016年10月6日 (木) 03:06 (UTC)[返信]
    • 存続 自主制作アニメは「自主制作映画のうちアニメーション作品であるもの」なので、自主映画(自主制作映画)の一種。自主映画記事内にそうした自主制作アニメについての記載があり、自主制作アニメの独立記事がない現状での削除は不適当かと思われます。--螢66会話2016年10月6日 (木) 18:49 (UTC)[返信]
    • コメント 「自主」「制作」「アニメ」のいずれも映画の意味がありませんが、組み合わせることで劇場公開されるという意味が生じるということでしょうか。"自主制作アニメは「自主制作映画のうちアニメーション作品であるもの」"とする資料を提示してください。"アニメーション作品については自主制作アニメとも言われる。"(自主映画)これも出典がありませんね。適切なリダイレクト先がないことから削除が妥当だと思いますが。--Muck vht会話2016年10月7日 (金) 07:22 (UTC)[返信]
      • (コメント)映画の定義で「狭義には、映画館で上映される動画作品のこと」としているので、そこは自主映画の記述の方を「自主制作アニメは自主制作の動画のうちアニメーション作品であるもの」あたりに修正すべき話ではないかと。2016年現在、自主制作アニメは映画館で上映されるよりネットで公開されることが少なくない(例えばMMD動画なんかは「自主制作アニメ」と言っても別に変ではないでしょう)。そうした観点からすれば、リダイレクトではなく「自主制作アニメ」の個別記事があってもおかしくはないのではないかとも考えたりな(もちろん、出典はガッチガチに付ける必要がありますけど)。--KAMUI会話2016年10月9日 (日) 10:17 (UTC)[返信]
    • 削除 「自主制作アニメ」が必ずしも映画を指すとは考えられないためです。動画サイトに権利を持っている方または団体が自らアップする形態も考えられるのではないでしょうか。そうなると「映画」の範疇からは外れてしまいますので、リダイレクトとしては不適当と言えます。--Don-hide会話2016年10月10日 (月) 06:44 (UTC)[返信]
    • コメント 自主映画(自主制作映画)の「映画」の意味は「映画館で上映される動画作品」に限りません(「映画館で上映される動画作品」に限らない例としては、分かりやすいところでガイナックスの前身であるDAICON FILMが制作した作品群が挙げられます)。映画の記事内の定義でいうなら「広義には「活動写真」(英語: film(フィルム)、motion picture(モーション・ピクチャー)、cinema(シネマ)、movie(ムービー) )という表現にあてはまるメディア全般も表す」の方に当たります。これは語の成立した時代を考慮しないと分かりにくいと思いますが、現在映像作品全般を指す語として使われている「動画」という語が一般的になったのはここ十数年(インターネット普及以降、私個人の感覚ですとニコニコ動画のサービス開始以降)のことです。それ以前には映像作品は何でも「映画」と呼ばれていた時代(特にビデオ撮影やテレビ放映の開発以前、映像(動画)と言えば一般には映画(8ミリフィルムなどを含む)しかなかった)があり、「自主映画」などはそうした頃からある言い回しです。これは「film」や「movie」をまとめて「映画」と訳した影響だと思われます。故に、自主制作アニメの「アニメ」は「アニメーション作品=アニメーション映像=アニメーション映画」ということですから「アニメ」は「映画(映像・動画)の一種」ということになります。そういう意味では今風に言うなら「自主映画」は「自主動画」と捉えるべきかと思います。リダイレクトの削除云々以前に「自主映画」の記事に「ここでいう映画は劇場公開作品に限らず、映像作品全般を指す」のような文を足せば解決するのではないかと思います。出典についてですが、そもそも「自主制作アニメ」は「自主制作されたアニメーション作品」の略語であって元々そういう単語がある訳ではありませんので出典をつけるとするとそれぞれの語についてになってしまいます。なお、これは「自主映画」や「自主制作映画」についても同様です。いずれも数十年前には使われていた言い回しではありますが、現在のところ「辞書に載っていない語」の類ということになるでしょう。--螢66会話2016年10月13日 (木) 12:13 (UTC)[返信]
    • コメント 制作したアニメをMPEG-4などの形式でCD-ROMなどの媒体に入れてコミックマーケットで頒布した場合は映画の要件を満たさないのではないですか。"自主映画(自主制作映画)の「映画」の意味は「映画館で上映される動画作品」に限りません"とのことですが映画の同様の記述は要出典になっているようですが。--Muck vht会話2016年10月15日 (土) 14:51 (UTC)[返信]
      • コメント 上記ご指摘の点に賛同いたします。通常の用法の用語「映画」の意味するところをあまりにも拡大解釈するのは問題があるでしょう(出典提示のない内容が存続事由であるならなおさらです)。字義通り解釈すべきでしょう。--Don-hide会話2016年10月18日 (火) 14:23 (UTC)[返信]
      • コメント 改めて映画の記事を読み直してみると「狭義には、映画館で上映される動画作品のことである」という記述がまずおかしいですね。これ自体に根拠がないように思われました(いくつか辞書等の資料を当たってみましたが根拠を発見できませんでした)ので、該当部分を編集いたしました。「慣例的にそうなっている」部分はあるかと思いましたのであえて「要出典」を付することまでは致しませんでしたが、もし「映画とは映画館で上映される動画作品のことである」という記述の根拠をご存知でしたら追記していただければ幸いです。--螢66会話2016年10月22日 (土) 08:20 (UTC)[返信]
      • コメント 「映画とは映画館で上映される動画作品のことである」って言い方はVシネマやOVA、教育用啓発映像みたいな映画館での上映を前提としていない(ただし、イベント的にホールの様なところで上映されることはある)作品を映画と呼ぶかどうかって話だと思うんですよ。出典はないですけど、感覚的にそういうものを映画と呼ぶことはあると思います。じゃあ、それにコミケで配布されるCD-ROMみたいなものまで加えられるかといわれたら、私の感覚的には疑問を感じます。個人の感覚の問題なので票は投じませんけど。--Mashir43会話2016年10月22日 (土) 09:13 (UTC)[返信]
    • コメント 「映画」の定義ですが、「旺文社 国語辞典 改訂新版」によりますと「連続撮影したフィルムを連続的にスクリーンに映し出し、動く映像として見せるもの。キネマ。シネマ。」とあります。他の辞典でどのように定義されているかはわかりませんが、参考までに述べておきます。字義をはるかに拡大して解釈するのは無理があるのではないかという点は重ねて申し添えます。--Don-hide会話2016年10月25日 (火) 14:40 (UTC)[返信]
      • コメント 小学館のデジタル大辞泉では、「フィルムに連続的に写しとった映像を、映写機でスクリーンに映し出し、目の残像現象を利用して形や連続した動きを再現するもの。古くは活動写真といった。シネマ。キネマ。ムービー。」でした。旺文社の定義との共通点は「スクリーンに投影した映像」っていうことです。この定義をたった場合、スクリーンはホールや公民館・学校にだってあるから、そこで上映した映像はすべて映画になります。だから「狭義には、映画館で上映される動画作品のことである」って文言が出てくるのだと考えられます。これ以上の拡大解釈を映画という言葉に求めるのは無理という気がしますが…。--Mashir43会話2016年10月25日 (火) 15:23 (UTC)[返信]
    • コメント 語の成立した歴史(順序)から言うなら、「映画を上映するためにできたのが映画館」なのであって「映画館が先にあって、そこで上映するために映画ができた(発明された)」わけではありません。ですから、元々「映画館で上映されない映画」というものは多数あるわけです。個人が撮影した8ミリ映画などはほとんどがこれに当たります。「映画館で上映される動画作品が映画」というのは一般的にとらえられているイメージとしては間違いではないかも知れませんが、これを「映画館で上映される動画作品『だけ』が映画(映画館で上映されない動画作品は映画ではない)」という意味に受け取るのは明らかに間違いでしょう。--螢66会話2016年10月30日 (日) 15:02 (UTC)[返信]
    • コメント 「映画館で上映しなければ映画ではない」というのは認識が異なるというのは前のコメントで私も同意したのでそれでかまいません。堂々巡りになるので次に話を進めましょう。今までの話を総合すると、アニメは連続的に写し取った絵画を投影する「表現手法」、映画はスクリーンに映し出す「上映手法」なので、全く違うベクトルの言葉になります。したがって、この二つはもちろん共存できます(「映画であるアニメ」っていうのはいくらでも例がありますね)。ここで重要になるのは、「映画ではないアニメ(絵画で表現した動画のうち、スクリーンで上映される可能性が全くないもの)」が存在するかどうかです。これが存在しないなら存続ですし、存在する場合は削除です。これについて、どう思われますか?(答えによっては悪魔の証明になるので深く掘り下げるつもりもないです。直感でお答えください。)--Mashir43会話2016年10月30日 (日) 16:00 (UTC)[返信]
      • コメント 以前のコメントでも述べましたが、「自主映画」という語は今風に言うなら「自主動画」(自主制作された映像作品)と(つまりこれも慣例的に「映画」と呼ばれていると)捉えて考えるべきかと思います。「自主映画」という言葉自体が磁気撮影が一般に普及する以前、つまりフィルム撮影が中心(上映は当然スクリーンに映し出す「上映手法」しかない)の頃から言い回しです。一般的に「現在動画と呼ばれている物がほぼ全て「スクリーンに上映する物」であった」つまり「今でいう動画は何でも映画と呼ばれた」時代があるわけです。その後、ビデオテープへの磁気撮影による自主映画制作が普及するのですが、それ以降も「ビデオ撮影された物」(スクリーンではなくブラウン管での上映が前提)も慣例的に「自主映画(自主制作映画)」と呼ばれています(自主映画の記事に「自主制作ビデオ」が含まれていることにもご留意ください)。その上でご意見の「映画ではないアニメ(絵画で表現した動画のうち、スクリーンで上映される可能性が全くないもの)」についてですが、将来の可能性を無視すれば当然あり得るでしょう。しかしそれは上記の理由から「自主映画(自主制作映画)」全体についても同じことが言えることになります。映画と呼ばれている物の中に映画ではないものが混じっている、ということになるわけです。故に「これが存在しないなら存続ですし、存在する場合は削除です」という単純な割り切りはできないでしょう。そういう意味では、アニメも含めて『「スクリーンで上映される可能性が全くない動画」を自主映画と呼ぶのは誤りである』という論にならねばならないように思いますが、既に慣例的にそう呼ばれている物を遡っておかしいと言うのはナンセンスでしょうね。今現在であれば「自主動画」とでも呼ばれるであろうものが慣例的に「自主映画(自主制作映画)」と呼ばれている現状の中で、アニメだけを切り離して判断しようとするのはおかしいのではないでしょうか。--螢66会話2016年11月2日 (水) 10:46 (UTC)[返信]
        • コメント 辞書に現時点で収載されていない用語であれば、(形式的であろうとも)Wikipedia発の造語にあたりますから、それを許容することはWikipediaの一般論としてまずかろうと思います。--Don-hide会話2016年11月25日 (金) 18:12 (UTC)[返信]
          • コメント 辞書にこそ載っていませんがWEB上や雑誌などでは見かける語ですから、少なくとも「Wikipedia発の造語」には当たらないと考えます。加えて述べると、辞書に載っていないという意味では「自主映画」そのものについてもあてはまる話であろうかと思われますので、いずれにせよ今ここで議論するべき話ではありません。するなら「自主映画」および「自主制作アニメ」へのリンクを貼ってある各記事においてすべきでしょう。なお、現在の「自主制作アニメ」(自主映画へのリダイレクト)は確かに私が新規作成したものですが、これは当時「赤リンク」になっていた「自主制作アニメ」へのリンクを見つけて作ったものです。私個人が独自に造語したわけではありませんので念のため申し添えます。その当時、同様のリンクがあった記事の全てを知っているわけではありませんが、少なくとも「Template:同人」には既に自主制作アニメへのリンク(当時は赤リンク)があったと記憶しています。依頼者様のコメントを見る限り、依頼者様は「狭義には、映画館で上映される動画作品のこと」という映画の定義を「映画館で上映されない動画は映画ではない」と捉えた上で、「自主制作アニメ」は「自主映画(自主制作映画)」ではないとして削除依頼を出しておられます。それについて議論してきたわけですが、「狭義には、映画館で上映される動画作品のこと」という映画の定義が正確ではないということと、「自主映画」の「映画」は動画やムービーの意味である、ということから、当面このリダイレクトを削除しなければならない理由はないのではないかと考えます。--螢66会話2016年11月26日 (土) 10:32 (UTC)[返信]
        • 存続 この件、あれこれ考えていたのですが文面が思い浮かばず、時間がたってしまいました。すいません。議論していく中で感じたことです。そもそも「アニメ動画」はハンディキャム1本で取れる「実写動画」と比較して設備が大掛かりなため、PCのアニメーションソフトを安価に入手できるようになるまで(相当最近です)「映画ではないアニメ」は作られてこなかったでしょうし、「自主制作アニメ」という用語自体の再定義が実写動画のそれほどはできていないのかなという印象を受けました。だとすると、このリダイレクトの削除が「Wikipedia発の用語の再定義」につながってしまう恐れがあるので、現状では存続したほうがいいと思います。ただ、今後は用語の再定義も行われていくでしょうし、厳密に考えるとおかしいところもあるので将来的には独立記事化したほうがいいということは申し添えます。--Mashir43会話2016年12月2日 (金) 03:52 (UTC)[返信]
          • コメント 現状、「映画」に対する定義において、旧来の用法以外を指し示す(辞典の類などの)出典提示が何らない状態ですと、このリダイレクト存続がWikipedia発の造語を容認することにつながる懸念があることから、きわめて不適切と考えます。--Don-hide会話2016年12月6日 (火) 05:26 (UTC)[返信]
            • コメント おっしゃる懸念を抱かれることについては分からなくもありませんが、「このリダイレクト存続がWikipedia発の造語を容認することにつながる」のではありません。何故ならリダイレクトはWikipedia内の記事間を同じ語を通じて繋いでいるだけだからです。本リダイレクトがWikipediaに「自主制作アニメ」という語を初めてもたらしたのではない、ということも重ねて申し述べます。リダイレクト「だけ」を削除しても何の解決にもならず、あなたのおっしゃる「Wikipedia発の造語を容認することにつながる懸念」がWikipediaの各所に赤リンクとして残るだけです。故にそのご懸念を上げられるのであればここではなく「自主映画」や「自主制作アニメ」へのリンクを貼ってある各記事においてすべきでしょうと申し上げているのです。--螢66会話2016年12月9日 (金) 14:31 (UTC)[返信]
              • コメント 何度も言っていることではあるのですが、「映画」の定義で旧来の範疇を超えるものを包含した辞典類がございますでしょうか?そうでないなら、「Wikipedia発の造語」を容認するリダイレクトと解釈でき、同種のリダイレクトの拡大解釈による作成につながる懸念があることから、その定義に関してはきちんとしておく必要があると考えます。辞書的な定義を現状は超えているとしても、辞書がそれを反映させないといことは、世間一般では旧来の定義を変える必要のない事項(用語)であると言えるのかもしれません。--Don-hide会話2016年12月9日 (金) 15:09 (UTC)[返信]
                • コメント 論点が当初と違う方向に向っているように思えるのでとりあえず先におうかがいしたいのですが、当初の削除依頼理由であった「アニメは映画ではない」という点については「磁気撮影普及以前(フィルム撮影が主体であった時代)においては、アニメ作品も映画(連続撮影したフィルムを連続的にスクリーンに映し出し、動く映像として見せるもの)として作られているので当然ながら映画に含まれる」ということでよろしいですか。--螢66会話2016年12月12日 (月) 03:53 (UTC)[返信]
                  • コメント アニメであったとしても、映画用として制作されたものはそうですが、映画用ではなくテレビ番組用に制作された物などはそうではありません。ドラえもんが好例です(映画用とテレビ番組用が明確に分かれています)。ですから、自主制作アニメといった場合、テレビ番組用や(映画用を収録したものではない)DVD頒布であるなら、映画用ではないから、「映画」の範疇に入りません。--Don-hide会話2016年12月12日 (月) 07:48 (UTC)[返信]
                    • コメント 磁気テープで作れる実写動画と違い、アニメの場合アナログ環境ではフイルム以外に制作方法がありません。なので、アナログ環境で制作されたアニメは映画と言ってしまって実は問題ない場合が多いです。じゃあ、デジタル化したのはいつかっていったら、大手スタジオのジブリですら初めて作品を発表したのは1999年、個人用環境が整備されてからだと10年たったかどうかです。アナログアニメを個人で作るのは先に言ったとおりきわめて難しいため、日本の同人アニメだけ考えると歴史は浅いし作品も少ない。これでは、リダイレクト作成も時期尚早なわけで、Don-hideさんの懸念も理解できます。
                    • ただ、「自主制作アニメ」と呼ばれるものは同人アニメのほかに、主に欧米で制作された「Independent animation」が存在します(この英語版記事は完全に映画の一分野扱いです)。こちらは歴史が長く分野も確立しています。そのため、リダイレクト削除により「Independent animation」が映画ではないという再定義につながってしまうのではないかということを懸念しています。もちろん同人アニメを含めた再定義は必要なのですが、それはWikipediaでやることではないと思います。--Mashir43会話2016年12月13日 (火) 01:57 (UTC)[返信]
    • コメント "アナログ環境ではフイルム以外に制作方法がありません"とのことですが、コピー用紙の束を用いてパラパラマンガを自主的に制作した場合は「自主制作アニメ」ではないということですか?これは"絵画で表現した動画のうち、スクリーンで上映される可能性が全くないもの"ではないのでしょうか。パラパラマンガでも撮影を行う可能性もあるんじゃないかというところまで踏み込むのはただの屁理屈です。「アニメ」という言葉には「撮影を行った」という意味はありません。
「Independent animation」については、「自主制作アニメ」に含まれる「アニメ」という言葉が、連続した静止画による表現を指すものか、いわゆるジャパニメーション (anime) を指しているかも不明瞭であり、当該記事を引き合いに出すことはできないかと思いますし、そもそも「アニメ」という言葉の定義が不明瞭であることからも、このリダイレクトが不適切であることはもはや自明的だと思われますが。
存続票を投じられている両名の方につきましては、ご自身の経験則や知識に基づいた「事実であること」の証明ではなく、検証可能性を満たす出典やエビデンスをご提示いただかない限りは、「百科事典を標榜している当サイトとしては不適切ではないか」という立場を引き続いて取らざるを得ません。--Muck vht会話2016年12月14日 (水) 21:38 (UTC)[返信]
      • コメント (前の方が不適切な編集をされているらしく、インデントが正しく機能しません)ご自身に向けられたコメントに対して二ヶ月以上沈黙されて議論を放棄された方のコメントに対応する必要は最早無いようにも思いますが一応。そのご意見は全て直接「リダイレクトの削除理由」にはなっておりません。それらは全て本リダイレクトのリンク先の記事内容に対するご意見になっています。蛇足ながら申し添えますと「コピー用紙の束を用いてパラパラマンガを自主的に制作した場合は「自主制作アニメ」ではないということですか?」というご質問はそれ自体が屁理屈であるように思います。「コピー用紙の束を用いてパラパラマンガを自主的に制作した場合はそれを「自主制作アニメ」と呼ぶ」ことを検証できる根拠をお示しください、ということになるように思われませんか?--螢66会話2016年12月19日 (月) 17:00 (UTC)[返信]
    • コメント 現状で本リダイレクトにはリンク元もリンク先の記事も存在しており、リダイレクトとして機能しているわけですから、そもそも本削除依頼自体が不適切であると考えます。そこに気付けずに不適切な場で議論をしてしまったという点においては私にも非があるように思います。--螢66会話2016年12月19日 (月) 17:00 (UTC)[返信]
    • コメント 学生時代に自主制作アニメを作っていましたもので、気になってコメントしました。ジャンルがジャンルなので書籍などに典拠を求めるのがたいへん難しいのが歯がゆいのですが、個人制作・学生サークルなどのアマチュア集団による制作のアニメ作品を指す言葉は「自主制作アニメ(ーション)」「アマチュアアニメ」がほぼすべてで、ここ10年くらいで動画のネット公開が容易になるにつれ「同人アニメ」という呼び方が増えている印象です。そして、自主制作アニメは自主制作映画の一分野で、アマチュア映画の上映会ではアニメに限らずアマチュア特撮なども盛んに制作・上映されていて、アニメと実写作品の境界はそんなになかったのです。なので、このリダイレクトには不自然なところは全くないというのが私の抱いた心証です(心証にすぎずたいへん申し訳ない)。一応補強材料を挙げておくと、アマチュア出身の佐伯昭志監督はご自身のサイトで自作を「自主制作アニメ」と呼んでいらっしゃいました(35年くらい続いてる関東の大学アニメ研連合が主催する定例上映会があって、そこで発表されたものです)。--cpro会話2016年12月27日 (火) 17:26 (UTC)[返信]
  • 終了 一旦存続として議論終了。ここで「映画の定義」についてやり合わないでください。また、リダイレクトによる転送が行われている記事に関しては、削除された場合は必要に応じてリンクを張り替えればよいですので、「リンク元がある」というのは存続の理由にはなりません。別の言葉に転送できるなら転送先変更を、「自主制作アニメ」が一意ではないと結論付けられたり、「自主映画」への転送が不適当の結論が出た場合は再依頼してください。議論を続ける場合は、「このリダイレクト削除依頼に関わった利用者」とWikipedia:コメント依頼に対して告知をしたうえで、ノート:自主映画またはノート:自主制作アニメにて行ってください。--アルトクール会話2017年1月10日 (火) 13:44 (UTC)[返信]