メジロデュレン
メジロデュレン | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1983年5月1日 |
死没 | 2009年10月15日(26歳没) |
父 | フィディオン |
母 | メジロオーロラ |
母の父 | リマンド |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
生産者 | 吉田堅 |
馬主 | メジロ商事(株) |
調教師 | 池江泰郎(栗東) |
競走成績 | |
生涯成績 | 21戦6勝 |
獲得賞金 | 2億5284万6600円 |
メジロデュレンは日本の競走馬。おもな勝鞍は菊花賞、有馬記念。半弟にはGI4勝のメジロマックイーン(父・メジロティターン)がいる。主戦騎手は村本善之。
戦績
馬齢は当時の表記とする。
3歳 - 4歳時
1985年8月、函館競馬場でデビュー。新馬戦を3着、2着と惜敗するなど仕上がりの早さを見せたが膝の骨折のため長期休養を余儀なくされる。
復帰の時期は翌年の5月にまでずれ込むが、初戦をいきなりの勝利で飾る。その後、自己条件で2戦足踏みをするもなでしこ賞(400万下)に勝つと夏は北海道シリーズへ向かう。その年の函館競馬場でのオープン特別巴賞では格上挑戦ながら古馬に伍して3着に食い込むと続く樽前山特別(900万下)、関西に戻って嵐山特別(1400万下)と連勝して菊花賞に挑んだ。
この年の菊花賞は明確な主役不在で「乱菊」と呼ばれたが、メジロデュレンは嵐山特別で菊花賞と同距離を克服している割に6番人気と低評価であった。レースは逃げるレジェンドテイオーが作り出すスローペースの中、好位をキープし直線ではダイナガリバーとの叩き合いから2分の1馬身抜け出し戴冠した。この勝利は池江泰郎に調教師として初のGI制覇を齎しただけでなく、1982年のホリスキーの菊花賞制覇以来続いた関東馬による牡馬クラシック制覇に歯止めをかけるものでもあった。
その年の有馬記念は出走を見送った。主戦騎手の村本によれば、同馬主のメジロラモーヌのラストランであったため、回避することになったという[1]。
5歳時
1987年は日経新春杯から始動し3着に入る。春は天皇賞を最大の目標として調整が進められたが、骨折のため断念。秋になって復帰したもののカシオペアステークス5着、鳴尾記念では初めて掲示板を外す10着と大敗する。この敗戦にオーナーの北野ミヤは翌年の天皇賞に向けての休養を主張するが、調教師の池江泰郎が「勝つチャンスがあると思います」という考えから第32回有馬記念出走に踏み切る。
多くの競馬ファンも有馬記念を勝てる状態にないと判断し、当日は10番人気と前年の菊花賞馬としては不人気だった。レースはスタート直後にメリーナイス(その年の日本ダービー馬)が落馬、そして一番人気のサクラスターオー(その年の皐月賞、菊花賞馬)の競走中止と波乱の展開となった。その中で、メジロデュレンは中団を追走して脚をため直線で外から一気に駆け上がり、先行していたハシケンエルドを捉えて抜き去ると、ユーワジェームスの追走を抑えグランプリ制覇を果たした。2着には同枠のユーワジェームスが入ったため、枠連は16,300円と当時のGI最高配当を記録するという大波乱に終わった。
“メジロ”の北野家にとっても初となったこの有馬記念制覇にはオーナーの北野ミヤも「こんなことがあるんですね」と予想もしなかった栄光に驚き、表彰式では夫の北野豊吉の遺影を掲げて感涙に咽ぶ場面もあった。
6歳以後
翌年は7戦して未勝利に終わる。期待された天皇賞(春)も馬運車で外傷を負うという不運にも見舞われ、勝ったタマモクロスから大きく離された3着に入るまでだった。第33回有馬記念では不利を受けながら5着となり健在ぶりを見せたがこの時のゲート入りが悪く、3ヶ月の出走停止という重い処分が下される。
陣営は次の天皇賞(春)でのリベンジを期していたが、この処分により天皇賞はぶっつけで臨むことを余儀なくされる。レースを使うことで良くなるタイプのメジロデュレンにとってこれは致命的であり、引退を決断することとなった。
引退後
引退後は1990年から種牡馬入りした。新潟県競馬の重賞である新潟ジュニアカップを勝ったライデンホースが代表産駒として挙げられる程度で、総じて産駒は走らなかった。
1994年を最後に種牡馬から引退。つま恋乗馬クラブで乗馬となった。さらにその後、長野県のスエトシ牧場に移され余生を送っていたが2009年10月15日に老衰のため死亡した[2]。
血統表
メジロデュレンの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | テディ系 |
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父 *フィディオン Fidion 1972 鹿毛 |
父の父 Djakao1966 |
Tanerko | Tantieme | |
La Divine | ||||
Diagonale | Ribot | |||
Barley Corn | ||||
父の母 Thessalie1963 |
Sicambre | Prince Bio | ||
Sif | ||||
La Tournelle | Tourment | |||
Vatellino | ||||
母 メジロオーロラ 1978 栗毛 |
*リマンド Remand 1965 栗毛 |
Alcide | Alycidon | |
Chenille | ||||
Admonish | Palestine | |||
Warning | ||||
母の母 メジロアイリス1964 黒鹿毛 |
*ヒンドスタン | Bois Roussel | ||
Sonibai | ||||
アサマユリ | ボストニアン | |||
トモエ | ||||
母系(F-No.) | アサマユリ系(FN:7-c) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | アウトブリード | [§ 3] | ||
出典 |
脚注
- ^ 「スペシャルインタビュー6 シャイな勝負師村本善之」『競馬騎手読本』宝島社、1997年、182-189頁
- ^ “GI・2勝馬メジロデュレンが26歳で死亡”. JRA (2009年10月19日). 2009年10月22日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|メジロデュレン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年12月23日閲覧。
- ^ “メジロ三大牝系”. 競馬最強の法則WEB. 2019年12月23日閲覧。
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post エラー:
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が未定義です。(参照1・参照2) - メジロデュレン - 競走馬のふるさと案内所
- メジロデュレン - 引退名馬(名馬.jp)[リンク切れ]