「小田急ロマンスカー」の版間の差分
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[[ファイル:ODAKYU-ROMANCECAR-VSE-50000.jpg|thumb|280px|小田急ロマンスカー50000形VSE車]] |
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{{出典の明記|date=2012年5月}} |
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'''小田急ロマンスカー'''(おだきゅうロマンスカー、ODAKYU ROMANCECAR)は、[[小田急電鉄]]が運行する[[特急列車]]および[[特急形車両|特急車両]]の総称である。列車により[[箱根登山鉄道鉄道線|箱根登山線]]や[[東京地下鉄]](東京メトロ)[[東京地下鉄千代田線|千代田線]]へ直通、もしくは[[東海旅客鉄道]](JR東海)[[御殿場線]]と[[直通運転]]する。また、「'''ロマンスカー'''」は小田急電鉄の[[登録商標]]<ref group="注釈">第3321840号</ref>である([[ロマンスカー]]の記事も参照のこと)。 |
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| 1=ODAKYU-ROMANCECAR-VSE-50000.jpg |
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| 2=[[小田急50000形電車|50000形「VSE」]]<br/>(2007年5月3日 栢山駅 - 富水駅間) |
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| 3=ODAKYU ROMANCECAR MSE 60000.jpg |
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| 4=[[小田急60000形電車|60000形「MSE」]]<br/>(2008年4月29日 栢山駅 - 富水駅間) |
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| 5=ODAKYU-ROMANCECAR-EXE-30000.jpg |
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| 6=[[小田急30000形電車|30000形「EXE」]]<br/>(2007年5月10日 栢山駅 - 富水駅間) |
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| 7=ODAKYU-ROMANCECAR-RSE-20000.jpg |
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| 8=[[小田急20000形電車|20000形「RSE」(引退済み)]]<br/>(2007年6月2日 栢山駅 - 富水駅間) |
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| 9=ODAKYU-ROMANCECAR-HiSE-10000.jpg |
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|10=[[小田急10000形電車|10000形「HiSE」(引退済み)]]<br/>(2007年5月3日 栢山駅 - 富水駅間) |
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|11=ODAKYU-ROMANCECAR-LSE-7000.jpg |
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|12=[[小田急7000形電車|7000形「LSE」<br/>(旧塗装変更車)]]<br/>(2008年8月5日 栢山駅 - 富水駅間) |
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|13=Odakyu RomanceCar Old Coloring.JPG |
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|14=左から<br/>3000形「SSE」<br/>[[小田急3100形電車|3100形「NSE」]]<br/>7000形「LSE」旧塗装<br/>(2007年10月21日 海老名車両基地 ファミリー鉄道展にて) |
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|15=Model 3000 SE of Odakyu Electric Railway.JPG |
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|16=[[小田急3000形電車 (初代)|3000形「SE」]]<br/>(2007年10月21日 海老名車両基地 [[ファミリー鉄道展]]にて) |
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'''小田急ロマンスカー'''(おだきゅうロマンスカー、英語:ODAKYU ROMANCECAR)は、[[小田急電鉄]]の[[特別急行列車|全車座席指定制の有料特急]]、あるいはそれに使用する特急用車両の総称である。列車により[[箱根登山鉄道鉄道線|箱根登山線]]や[[東京地下鉄]](東京メトロ)[[東京地下鉄千代田線|千代田線]]へ直通、もしくは[[東海旅客鉄道]](JR東海)[[御殿場線]]と[[直通運転]]する。 |
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本項では、「小田急」と表記した場合、小田原急行鉄道および小田急電鉄をさすものとし、[[箱根登山鉄道]][[箱根湯本駅]]に乗り入れる特急列車については、特に区別の必要がない場合は「箱根特急」と標記する。 |
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また、「'''ロマンスカー'''」は小田急電鉄の[[登録商標]]<ref>第3321840号</ref>である([[ロマンスカー]]の記事も参照のこと)。 |
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== 「ロマンスカー」という名称 == |
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== 特色 == |
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[[ファイル:Ticket vender machine Romancecar closeup.jpg|thumb|ホーム上の特急券券売機にみられる「こんどのロマンスカー」の標記]] |
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[[特別急行列車|特急列車]]を運行する会社では、その車両・[[ダイヤグラム|列車ダイヤ]]がその'''会社の顔'''という面がある。この列車・車両の場合、小田急を経由して[[箱根町|箱根]]・[[小田原市|小田原]]・[[丹沢]]・[[湘南]]・[[富士山|富士]]方面といった著名な観光地へアクセスしており、観光列車の側面が強く打ち出され、「乗ったらすぐ目的地」というコンセプトから特色あるサービス・車両特性がある。 |
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「ロマンスカー」という呼び方自体は戦前から存在し、[[1934年]]ごろの[[江の島]][[海水浴]]宣伝のパンフレットに「ロマンスカーは走る」「大東京のセンター[[新宿]]から」という文言が掲載され<ref name="1977-14"/>、電車の車内の写真にも「小田急のロマンスカー」と説明がつけられていたという<ref name="1977-14"/>。 |
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終戦後の1949年ごろ、新宿に存在した[[映画館]]「[[新宿武蔵野館]]」を復旧改装するにあたり<ref name="1987-84"/>、[[恋人]]同士が楽しく[[映画]]をみられるように二人がけの[[座席]]を館内2階に設けた<ref name="1987-84"/>ところ、「ロマンスシート」としてマスコミにも取り上げられ<ref name="1987-84"/>、ちょうどその頃に運行を開始した<ref name="1987-84"/>小田急の特急車両が2人がけの対面座席を採用した<ref name="rp829-21"/>ことから、「ロマンスカー」と呼ぶようになったのが、小田急における「ロマンスカー」という命名のはじまりといわれている<ref name="rp829-21"/>。 |
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かつて、この列車の乗客の多数は東京([[新宿]])から小田原・箱根への通しで乗車する観光客が占めており、運行系統もノンストップが主流で、[[展望車|展望席]]や供食サービスに代表される非日常の楽しさの演出が目指された。なお、名前の由来は「見知らぬ2人が隣り合った席に座り、観光地に向かう途中で『ロマンス』が生まれるように」と付けられた。 |
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「[[ロマンスカー]]」は[[和製英語]]であり、[[英語圏]]の人からは理解されにくい<ref name="1987-84"/>。[[小田急60000形電車|60000形MSE車]]が[[ブルネル賞]]を受賞した表彰式の際に、小田急の担当者が「6両と4両の2編成が[[接吻|キス]]をするからロマンスカーなのか」と現地の人から質問されたというエピソードもある<ref name="rp829-21"/>。 |
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同時に、特急の通勤利用という面でもこの列車は先進的だった。[[日本国有鉄道]](国鉄)が特急車両を利用した「[[ホームライナー]]」の運行を開始したのは[[1984年]]からだが、小田急では早くも[[1967年]]に[[新宿駅]] - 新原町田駅(現・[[町田駅]])間で通勤時間帯に特急「[[ホームウェイ (列車)|あしがら]]」の運転を開始し、これらに特急券を購入すれば[[定期乗車券|定期券]]でも乗車できるようにして通勤客の利便性を図った。 |
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[[2010年]]時点での小田急においては「特急列車=ロマンスカー」であり<ref name="rp829-222"/>、ホーム上に設置されている特急券券売機では、他社であれば「つぎ(こんど)の特急」と標記する<ref name="rp829-222"/>ところを、「つぎ(こんど)のロマンスカー」と標記している<ref name="rp829-222"/>。 |
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近年では、マイカー観光の隆盛などで箱根への直通需要が減退する一方、沿線人口の増加により日常の通勤や買い物の需要が特急客の大半を占めるようになって来ている。そのため、途中停車駅が増加し、車両面でも座席定員の増加を目指した実用本位の設計である[[小田急30000形電車|30000形「EXE」]]が主流を占めるようになった。その中で、この列車の楽しさを復活させた[[小田急50000形電車|50000形「VSE」]]の新造は伸び悩む箱根観光のてこ入れも目指していると考えられ、初期のコンセプトへの回帰と見られ注目された。 |
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== 沿革 == |
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本項では、歴代ロマンスカー車両の中で特筆すべき特色を記載する。 |
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=== 前史 - 週末温泉急行 === |
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[[1927年]]4月1日に開業当初の小田急は、[[昭和]]初期の不況の影響で沿線は一向に発展せず<ref name="1994-54"/>、もともと過大な初期投資<ref name="1981-99"/>に加えて乱脈経営が祟った<ref name="rp405-149"/>こともあり、厳しい経営状態を余儀なくされていた。[[1929年]]4月1日に[[小田急江ノ島線|江ノ島線]]が開業してからは夏季の海水浴客輸送の時に運賃を往復で5割引にするなどして増収策を図り<ref name="1994-54"/>、全車両をフル稼働させて対応していた<ref name="1981-107"/>。 |
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一方、あまり積極的ではなかった<ref name="rp679-94"/>ものの、[[小田急小田原線|小田原線]]も[[箱根]]への観光客輸送を目的の1つとしており<ref name="1994-52"/>、増収策の一環として<ref name="1994-54"/>、週末のみ[[新宿駅|新宿]]から[[小田原駅|小田原]]までをノンストップで運行する列車が立案された<ref name="1994-54"/>。小田急ではこの列車の車内では、沿線案内を[[レコード]]で流し<ref name="rp679-118"/>、合間に「小田急行進曲」と「小田急音頭」を流すことを発案<ref name="rp679-118"/>、当時新宿に存在した娯楽施設の[[ムーランルージュ新宿座]]に「小田急行進曲」と「小田急音頭」の製作を依頼し<ref name="rp679-118"/>、沿線案内の吹き込みはムーランルージュ新宿座の看板女優であった[[明日待子]]が担当した<ref name="1981-12"/>。78回転盤(SPレコード)6枚組に仕上がったレコードが完成し<ref name="rp679-118"/>、実際に走行中の車内でテストしたが[[レコードプレーヤー|針]]が飛んでしまい<ref name="rp679-118"/>、この試みは失敗であった<ref name="rp679-118"/>。 |
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=== 連接台車 === |
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[[ファイル:Truck-FS533A.jpg|thumb|right|200px|小田急ロマンスカー連接台車(10000形HiSE)]] |
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[[小田急3000形電車 (初代)|3000形「SE」「SSE」]]で初採用され、[[小田急10000形電車|10000形「HiSE」]]に至るまで約30年間も受け継がれていたのがこの2車体の間に車輪を設ける[[連接台車]]である。構造上車体を短くしなければならないが、曲線の高速通過が容易になるメリットがあり、特急の停車駅の増加などによってそれらのメリットの意義が薄れて来ても、半ば「伝統」という形で受け継がれて来ていた。 |
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[[ファイル:Odawara Expres 108.jpg|thumb|101形]] |
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だが、[[1990年]]に製造された[[小田急20000形電車|20000形「RSE」]]ではこれを使用せず、自社の[[通勤形電車|通勤形車両]]で使用している[[ボギー台車]]構造とした。これは翌[[1991年]]から同形式で運行を開始した「[[あさぎり (列車)|あさぎり]]」が[[直通運転|相互乗り入れ]]相手のJR東海との乗り入れ協定に基づいて同社の[[JR東海371系電車|371系]]との共通運転としたために車両の仕様を揃える必要が生じたためである。 |
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ともあれ、[[1935年]]6月1日から、新宿から小田原までを[[直行便|ノンストップ]]で結ぶ「週末温泉急行」の運行を開始した<ref name="1994-54"/>。この急行には車両はクロスシートを装備した[[列車便所|便所]]付の車両であった[[小田原急行鉄道101形電車|101形]]などが使用され<ref name="1981-12"/>、新宿から小田原までを90分で結んだ<ref name="1981-12"/>。運行は土曜日の下り列車のみで、帰りとなる日曜日は通常の急行列車が運行された<ref name="1994-54"/>。これが小田急ロマンスカーのルーツとなる列車であるが、陰では「おしのび電車」などと言われていたという<ref name="1987-84"/>。 |
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しかし、[[1941年]]12月に[[太平洋戦争]]が始まり<ref name="1981-12"/>、[[1942年]]1月から週末温泉急行は運休となり<ref name="1994-140"/>、同年4月にはダイヤ上の設定もなくなった<ref name="1994-54"/>。小田急自体も、同年5月には東京横浜電鉄と合併し[[東京急行電鉄]]([[大東急]])となった<ref name="1994-54"/>。 |
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続く[[小田急30000形電車|30000形「EXE」]]でも目的が観光用ではなく通勤輸送や中間駅までの輸送だったため、需要に応じた分割・併結を可能とするために、連接構造は採用しなかった。 |
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=== 終戦後 === |
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しかし、[[小田急50000形電車|50000形「VSE」]]に関しては再び連接構造車両を採用・復活させた。同形式は観光客向けの車両であり、10000形「HiSE」までの「ロマンスカー」のイメージを再び高めることや新機軸の[[振り子式車両#空気バネ圧制御式|強制車体傾斜式]]台車を採用し、速達列車に充当することで、高速での乗り心地の向上を図る目的からとされる。 |
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==== ノンストップ特急運転開始 ==== |
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終戦後の[[1946年]]には大東急で「鉄軌道復興3カ年計画」が策定された<ref name="2009-118"/>が、この中には小田原線の箱根登山鉄道への乗り入れ計画が含まれていた<ref name="2009-120"/>。また、終戦の時点では新宿から小田原までは2時間30分もの所要時間を要していた<ref name="1981-109"/>が、[[五島慶太]]は終戦直後にこの所要時間を半分にするように指示していた<ref name="2009-124"/>。 |
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[[1948年]]6月1日に大東急から小田急が分離独立したが、小田急は東急と比較すると営業路線長は約2倍あったにもかかわらず、運輸収入は半分に過ぎなかった<ref name="rp491-10"/>。そこで、収入増の方策として箱根への直通旅客増加を図ることとなり<ref name="1987-84"/>、その一環として新宿と小田原をノンストップで結ぶ特急列車の運行が計画された<ref name="rp491-10"/>。複数車種で試運転などを行った結果、この特急に使用される車両として[[小田急1600形電車|1600形]]の中から「復興整備車」として重点的に整備されていた車両が指定され<ref group="注釈">デハ1601、デハ1602、デハ1604、デハ1607、クハ1651、[[小田原急行鉄道201形電車|クハ1315]]の6両([[#生方1994|『小田急ロマンスカー物語』 p.56]])。ただしデハ1601は[[制御車]]代用であった([[#生方1994|『小田急ロマンスカー物語』 p.57]])。</ref>、特急料金の制定や各種ポスターの製作など準備が行われた<ref name="1994-56"/>。 |
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なお、[[小田急60000形電車|60000形「MSE」]]は地下鉄入線対応などもあり、連接構造は採用せずボギー車に戻っている。 |
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[[ファイル:Odawara Express 601.jpg|thumb|1600形(写真は戦時中に撮影されたもの)]] |
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=== 展望席 === |
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こうして、1948年10月16日から新宿と小田原を結ぶ特急列車の運行が開始された<ref name="1988-118"/>。土曜日は下り1本のみ、日曜日は下り1本・上り2本のみの運行で、所要時間は100分であった<ref name="1981-13"/>。使用車両は、朝ラッシュ時の通勤輸送に使用した1600形が入庫した後に、3つある乗降用扉のうち真ん中の扉を締め切った上で補助座席を置き<ref name="1994-56"/>、ロングシートに白いカバーをかけた上でスタンド式灰皿を並べただけであった<ref name="rp491-10"/>が、戦後の復興途上だったこの時期においては精一杯のサービスであった<ref name="1987-84"/>。当初計画では同年10月9日から運行開始の予定であった<ref name="1994-58"/>が、豪雨の影響で[[箱根登山鉄道鉄道線|箱根登山鉄道線]]が不通になってしまったために1週間延期されている<ref name="1994-58"/>。 |
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{{Double image aside|right|OER-3100-7003-10001-50001.jpg|200|Observation Seat of Odakyu RomanceCar HiSE.JPG|200|先頭展望席<br/>(左上)NSE車<br/>(右上)LSE車<br/>(左下)HiSE車<br/>(右下)VSE車|展望席車内(10000形「HiSE」)}} |
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[[小田急3100形電車|3100形「NSE」]]で採用した[[操縦席|運転席]]を2階に設け、その下に[[展望車|展望席]]を設けた構造(運転士と車掌は客室天井から梯子で運転室に出入りするが外側には緊急脱出用ハッチもついている)が、[[小田急7000形電車|7000形「LSE」]]・10000形「HiSE」まで約25年間踏襲したことにより、「小田急のロマンスカー」=「先頭に展望席が付いている特急電車」というイメージが広く受け入れられている。また、一部の同形式の置き換えとされる50000形「VSE」にもこのスタイルは踏襲されている。 |
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運行開始当初は集客がうまくいかず<ref name="1988-116"/>、運輸部門では縁故を通じて乗客の勧誘に歩き回り<ref name="1994-50"/>、駅の出札窓口でも積極的に特急列車の売り込みを行った<ref name="1994-50"/>。乗客が少ない時には、本社勤務の社員が「[[サクラ (おとり)|サクラ]]」となって乗車したりしたこともあったという<ref name="1988-116"/>が、次第に利用者が増加し、予想を上回る好成績となった<ref name="arc1-58"/>。 |
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しかし、[[1990年代]]になって「あさぎり」号に使用された3000形「SSE」の代替として製造された20000形「RSE」では連接台車と同様の理由で展望席を設けなかった。さらに3100形「NSE」を置き換える目的で製造された30000形「EXE」については利用客の需要が必ずしも全区間乗車ではなく区間利用が中心であったことから、施策上展望席を設けなかった。 |
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なお、この頃には、戦争で疲弊した輸送施設の復旧と改善を主目的として設置された輸送改善委員会において<ref name="rp491-16"/>、「新宿と小田原を60分で結ぶ」という将来目標が設定されている<ref name="rp491-16"/>。 |
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結果、10000形「HiSE」以降展望席を設けた車両が登場しなくなったことから、[[鉄道ファン]]の一部や家族連れ、特に子供などからは「小田急はロマンスカーをやめてしまった」と言われたりもしたという。だが、全区間乗車をする利用客から「展望席があった方がいい」という声があったことで、それが17年ぶりの展望席を設けた車両である50000形「VSE」の製造につながったともいわれている。 |
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==== 特急車両1910形の登場 ==== |
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なお、7000形LSEと10000形HiSEには展望席が14席設置されているが、小田急電鉄は最前列から3列目までの12席のみを「展望席」として発売しており、4列目に設置されている2席は「一般席」扱いとなっている。また、50000形VSEに関しては、展望席部分16席すべてが「展望席」として発売されている。 |
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[[1949年]]には、小田急が分離独立してから初めて新型電車を製造することになった<ref name="rp491-10"/>。当時の新車製造は割当制であり、小田急には15両が割り当てられた<ref name="1994-59"/>。割り当てのうち10両が[[小田急1900形電車|1900形]]として発注されることになった<ref name="1994-59"/>が、営業部門からクロスシートを装備した特急車両を要望する意見が強かった<ref name="rp491-10"/>ため、このうち4両を特急車両の[[小田急1900形電車|1910形]]として製造することになった<ref name="1994-59"/>。ただし、朝のラッシュ時には通勤輸送にも使用することになった<ref name="1994-59"/>ので、扉付近をロングシートとした2扉セミクロスシートの車両となった<ref name="1994-59"/>。また、編成は3両固定編成とし、中間車には[[日本国有鉄道]](国鉄)の戦災焼失車の台枠を流用した改造車両を連結することとなった<ref name="rp491-10"/>。また、前年に[[近畿日本鉄道]]が特急の運行を再開した際に、[[参宮急行電鉄2200系電車|2200系]]がレモンイエローと青の2色塗りとしていたものにあやかり<ref name="rp491-11"/>、この特急車両の外部塗色は濃黄色と紺色の2色塗りとすることになった<ref name="1994-59"/>。 |
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1910形は同年7月に入線し<ref name="1994-60"/>、同年8月から2両編成で営業運行を開始<ref name="1994-60"/>、同年9月から本来の3両固定編成となって運行を開始した<ref name="1994-60"/>。1910形を使用した特急では、「[[走る喫茶室]]」と称した、車内に喫茶カウンターを設け、車内で飲み物を販売するサービスが開始された<ref name="rf422-31"/>。所要時間は90分であった<ref name="1994-60"/>。 |
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==== 車両事故 ==== |
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[[2006年]][[2月16日]]、[[小田急小田原線|小田原線]][[小田急相模原駅]]を通過中の「[[はこね (列車)|はこね]]43号」に男性が飛び込む人身事故が発生し前展望席のフロントガラスが大破した。9名の展望席にいた乗客が軽傷を負い、この事故を受けて小田急では乗客が怪我をしたことを重く受け止め、翌[[2月17日|17日]]から前展望席の使用を全面的に中止した。同社は安全対策として全展望席のフロントガラス内部に「飛散防止フィルム」を貼り付ける対策を行い、1週間後の同月[[2月24日|24日]]より前展望席の使用が再開された。 |
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また、同年10月のダイヤ改正から、特急は1往復が毎日運転されることになった<ref name="rf422-31"/>。小田急が公式に「ロマンスカー」という愛称を用いたのはこの時からで、ポスターで「ニュールックロマンスカー毎日運転」と宣伝された<ref name="1994-49"/>。 |
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=== ミュージックホーン === |
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3000形「SE」「SSE」で[[警笛#ミュージックホーン|ミュージックホーン]](補助警笛)を採用した。この装置は20000形「RSE」までの全編成に装備されていたが、[[騒音問題]]から徐々に市街地での使用を避けるようになり、使用停止、車両からも撤去され、30000形「EXE」では新造時に設置すら行われなかった。その後、50000形「VSE」にて装置が再び付けられることとなり、後に復活した7000形「LSE」旧塗装車両、新造された60000形「MSE」にも設置されている。とりわけ、50000形「VSE」では停車駅に到着・発車する時に2フレーズほど演奏している。この2形式に搭載されたミュージックホーンは小田急公式サイト内で聞ける他、[[エフエム東京]]の[[ラジオ時報CM]]でも使われている(午前10時の[[冠スポンサー]])。 |
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==== 箱根登山鉄道への直通運転開始 ==== |
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なお、小田急ロマンスカーのこの装置の音は、音響心理[[学者]]の協力を求めて、[[日本放送協会|NHK]]の[[テレビ番組]]『[[NHKのど自慢]]』の合格の[[チューブラーベル|鐘]]の音をヒントにしたという<ref>[[1972年]][[8月24日]]付[[朝日新聞]]</ref>。 |
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この頃、小田急では箱根登山鉄道箱根湯本駅に乗り入れるための計画が進められていた。 |
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しかし、小田急の軌間が1,067mmであるのに対して箱根登山は1,435mm<ref name="1981-111"/>、架線電圧も小田急の1,500Vに対して箱根登山は600Vであった<ref name="1981-111"/>。また、箱根登山では小田原から箱根湯本までの区間を「[[平坦線]]」と称していた<ref name="1987-85"/>が、これは箱根登山の80‰という急勾配と比較しての話で<ref name="1987-85"/>、実際には40‰もの勾配が続いており<ref name="1987-85"/>、小田急の最急勾配が25‰であったのと比べればはるかに急な勾配であった<ref name="1987-85"/>。 |
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=== 供食サービス === |
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[[ファイル:VSE-Bento.JPG|thumb|240px|right|車内で販売されている「VSE[[弁当]]」と[[茶|お茶]]]] |
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供食サービスとして、50000形「VSE」で[[食堂車|カフェ]]およびシートサービスを実施している。これは戦後の[[小田急1600形電車|1910形]]就役から[[1995年]]まで実施していた「[[走る喫茶室]]」と呼ばれるシートサービスを復活<!-- 公表時。的確な表現があれば修正を -->させる形ともなった。 |
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この対応として、軌道は[[三線軌条]]とし<ref name="1988-6"/>、架線電圧については小田原と箱根湯本の間は1,500Vに昇圧することになり<ref name="1988-6"/>、[[1950年]]8月1日から小田急から箱根湯本までの直通運転が開始された<ref name="2011-61"/>。この時に新宿と小田原の間についてもスピードアップが図られ、新宿と小田原は80分で結ばれるようになった<ref name="1988-119"/>。 |
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「走る喫茶室」とは、[[日東紅茶]]([[三井農林]])と[[森永製菓|森永エンゼル]]の2社が列車ごとに担当し、注文を受けて車内で[[紅茶]]を主とした飲み物や軽食を座席まで運んでくれるサービスだった。しかし、[[1990年代]]は短距離輸送に重点が置かれたことにより、供食サービスは車内販売のワゴンサービスに移行した。また、30000形「EXE」では[[清涼飲料水]]の[[自動販売機]]を設置しており、ワゴンサービスの補助ないしは代行する形をとっている。 |
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この直通運転開始後に特急の利用者は急増し<ref name="1988-119"/>、同年10月からは特急は毎日3往復に増発された<ref name="1994-60"/>。 |
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なお、このために[[#車両|充当される車両]]には[[台所|厨房設備]]を備えている。[[冷蔵庫]]や[[コーヒー#淹れ方|コーヒーメーカー]]、[[ビール]][[サーバー]]などを備えており、[[焜炉|コンロ]]など加熱調理できる機材はない。 |
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==== 特急専用車両1700形の登場 ==== |
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: →[[食堂車]]・[[車内販売]]も参照のこと。 |
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特急利用者の増加は続き、2000形<ref group="注釈">1910形は1950年に改番され、2000形に変わっていた([[#生方a1-1959|『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』 p.61]])。</ref>が2編成だけでは不足するようになり、「特急券がとれない」という苦情も来る<ref name="rp491-11"/>ほどで、営業部門からは特急車両増備の要望が高まってきた<ref name="rp491-11"/>。また、2000形は扉付近の座席がロングシートであり、全ての座席をクロスシートにして欲しいという要望もあった<ref name="2005-69"/>。しかし、収支面からはラッシュ輸送に使用できない特急専用車の新造を危ぶむ意見もあった<ref name="arc1-59"/>。社内での検討の結果、将来を考えて特急専用車を導入する<ref name="rp491-11"/>が、製造コストをできるだけ安価にするため<ref name="1987-54"/>、[[台枠]]は[[日本国有鉄道|国鉄]]の戦災復旧車や事故焼失車のものを流用することになった<ref name="rp491-11"/>。 |
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[[ファイル:Odakyu 1700.JPG|thumb|1700形]] |
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下記の列車では車内販売を行っていない<ref>小田急電鉄「特急ロマンスカーのご利用案内」中の特急時刻表、2008年3月15日。</ref>。 |
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こうして[[1951年]]2月に登場したのが[[小田急1700形電車|1700形]]で、全ての座席が転換クロスシートとなり<ref name="1987-86"/>、さらに座席数を増やすため、乗降用の扉は3両で2箇所という思い切った設計とした<ref name="1987-54"/>。この1700形が、小田急ロマンスカーの地位を不動のものにしたとされている<ref name="1981-16"/>。この1700形の導入後の同年8月20日から<ref name="1994-140"/>、それまでは座席定員制だったものを座席指定制に変更した<ref name="rp491-42"/>。また、夕方に新宿に到着した特急車両に[[ビール]]樽を積み込み、[[片瀬江ノ島駅|江ノ島]]まで往復する「納涼ビール電車」の運行も開始された<ref name="1994-62"/><ref group="注釈" name="beer">この「納涼ビール電車」は特殊急行という扱いで、特急料金は不要だった([[#生方a1-1959|『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』 p.47]])。</ref>。この時点では、検査時や増発時には引き続き2000形も使用されていた<ref name="1994-62"/>。しかし、設備面の格差が大きいことによる苦情があり<ref name="rp491-12"/>、同年8月までに第2編成が製造された<ref name="1994-62"/>。 |
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また1700形投入後に特急利用者の増加傾向が見られ<ref name="1994-62"/>、特急の営業的な成功は明らかとなった<ref name="1987-86"/>。このため、1952年8月に完全な新造車両として第3編成が投入された<ref name="2005-75"/>。特急の利用者数がさらに増加するのに対応し、[[1953年]]には特急の増発が行なわれた<ref name="1994-63"/>ほか、それまで使用されていた2000形を使用した座席定員制の急行列車が運行された<ref name="1994-63"/>。 |
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* 「さがみ」「ホームウェイ」「メトロさがみ」「メトロホームウェイ」「あさぎり」の全列車 |
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* 「えのしま」(平日の9・10号を除く) |
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* 「はこね」の平日の5・6・7・8・43・44・46・48・50号と土曜・休日の46・48・50号 |
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*: なお「さがみ」「えのしま」は夏休みなどの長期休暇期間中に行うことがある。(あじさい期間中、[[開成駅]]に臨時停車する「さがみ」など) |
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また、[[1954年]]夏からは江ノ島線にも特急料金が設定され<ref name="1994-63"/>、夏季海水浴客輸送の期間には江ノ島線にも1700形を使用した特急が運行されるようになった<ref name="1994-63"/>。 |
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=== エンブレムと車体塗装 === |
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「ロマンスカー」専用車両を表すシンボルとして、[[ヤマユリ]]の花をあしらった[[エンブレム]]が[[小田急1600形電車|1700形]]および[[小田急2300形電車|2300形]]で採用され、車体の側面に付けられていたが、高速運転を主眼とした3000形「SE」「SSE」および展望席を採用した3100形「NSE」以降はこうしたエンブレムが採用されなくなった。代わって、3000形「SE」「SSE」から7000形「LSE」までは赤(バーミリオンオレンジ)と灰色(シルバーグレー)を基調に白い帯を纏った塗装が用いられ、10000形「HiSE」の登場まで連綿と受け継がれた。 |
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この頃の小田急では、先に述べた「新宿と小田原を60分で結ぶ」という将来目標に向けて、高性能車の開発に向けた試験を進めていた<ref name="arc1-14"/>。1954年7月には小田急ではじめて[[カルダン駆動方式]]を採用した通勤車両として[[小田急2200形電車|2200形]]が登場しており、同年9月11日には「画期的な軽量高性能新特急車」の開発が決定していた<ref name="arc1-65"/>。 |
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[[1980年代]]に入り、3000形「SSE」を除き車内の貫通路および供食スペース付近に仕切り扉が付けられるようになり、その位置を示すため、仕切り扉にエンブレムが付けられた。[[1997年]]以降、「特急専用車両」のシンボルとしてエンブレムを7000形「LSE」・10000形「HiSE」・20000形「RSE」で再び車体の側面にも付けられるようになり、編成中に2か所は設けられている。なお、30000形「EXE」・50000形「VSE」・60000形「MSE」ではエンブレムを使用せず、それぞれの車両愛称のロゴを代わりとしている。 |
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しかし、予想を上回る特急利用者数の増加があり<ref name="1987-87"/>、新型特急車両の登場を待つ余裕はないと判断された<ref name="1981-16"/>が、すでに通勤車両がカルダン駆動方式を採用しているのに、今さら特急車両を旧式の[[吊り掛け駆動方式]]で増備することは考えられなかった<ref name="rp405-108"/>。このため、暫定的に2200形の主要機器を使用し<ref name="1994-64"/>、車体を特急用とした[[小田急2300形電車|2300形]]が[[1955年]]に登場した<ref name="arc1-64"/>。また、この年の10月からは、御殿場線へ直通する特別準急の運行が開始されている<ref name="rf422-32"/>。 |
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=== 広告媒体 === |
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冒頭にある通り、小田急では営業戦略の一つとして観光地輸送を挙げているが、そのうち箱根への輸送が特に中心とされている側面がある。宣伝活動のうち、[[1961年]][[10月]]に[[三木鶏郎]]作曲・[[ザ・ピーナッツ]]、[[ボニー・ジャックス]]の歌唱の『[[小田急ピポーの電車]]』の[[コマーシャルメッセージ|テレビコマーシャル]]は特に有名だった。テレビコマーシャルの黎明期は2分以上のものも比較的多く存在しており、小田急ロマンスカーのコマーシャルは3分間のものであった。 |
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=== 高度成長期 === |
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しかし、[[1990年代]]以降の[[バブル経済]]崩壊後の長期的な不振や[[海外旅行|日本国外への旅行]]のブームなどでとりわけその箱根への観光客が減少したことに伴い、[[2002年]]夏から'''「きょう、ロマンスカーで。」'''の標語で箱根の観光地や旅館などを映すテレビ・ラジオCMや駅貼りポスターなどで箱根観光をアピールしている。なお、このコマーシャルに[[バックグラウンドミュージック|BGM]]で使用されている曲'''『[[ロマンスをもう一度]]』'''については評判がよく、[[コンパクトディスク|CD]]化などについて問い合わせがあったが、当初は商品化されず[[懸賞]]で配布されるのみであった。しかし、[[2007年]][[7月6日]]にロマンスカー運行開始50周年の記念イベントとしてCD化され、[[小田急グループ]]の店舗にて8000枚限定で販売されることになった([http://www.odakyu.jp/80th/50th/index.html])。この曲は同社が開催する鉄道イベントのBGMにもなっており、小田急本社の電話保留音(部署によって異なる)やVSEの車内チャイムにもこのCM曲が使われている。 |
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==== 軽量高性能新特急車SE車の登場 ==== |
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[[ファイル:Model 3000 SE of Odakyu Electric Railway.JPG|thumb|3000形SE車]] |
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1954年から国鉄[[鉄道技術研究所]]の協力を得て開発が進められていた「画期的な軽量高性能新特急車」は、[[1957年]]に[[小田急3000形電車 (初代)|3000形]]として登場した<ref name="1981-17"/>。この3000形は "Super Express car" 、略して「SE車」と呼ばれる車両で<ref name="rp546-86"/>、数多くの新機軸が盛り込まれ<ref name="1981-20"/>、軽量車両で安全に走行するための条件が徹底的に追及された<ref name="1981-115"/>、低重心・超軽量の[[流線形車両]]であった<ref name="1981-20"/>。「電車といえば四角い箱」であった時代<ref name="korotan290"/>において、SE車はそれまでの電車の概念を一変させるものとなり<ref name="rp546-86"/>、[[鉄道ファン]]だけではなく一般利用者からも注目を集めた<ref name="korotan290"/>。同年7月6日よりSE車の営業運行が開始された<ref name="arc1-65"/>が、すぐに[[夏休み]]に入ったこともあって<ref name="1981-17"/>、連日満席となる好成績となり<ref name="1981-17"/>、営業的にも成功した<ref name="2005-87"/>。 |
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また、同年9月には国鉄[[東海道本線]]でSE車を使用した高速走行試験が行われた<ref name="1981-17"/>が、私鉄の車両が国鉄の路線上で走行試験を行なうこと自体が異例のことである<ref name="1981-116"/>のみならず、当時の狭軌鉄道における世界最高速度記録である145km/hを樹立した<ref name="dj145-54"/>。また、これを契機に[[鉄道友の会]]では優秀な車両を表彰する制度として[[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]を創設し<ref name="BL88-9899"/>、SE車は第1回受賞車両となった<ref name="1988-121"/>。 |
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== 運行概要 == |
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基本的には「特急ロマンスカー」で1つの列車種別となっているが、全列車が[[座席指定席|座席指定制]]を採用しているため、個々の列車および運行区間・停車駅・運行時間により以下の列車名が与えられている。なお、停車駅・系統別の詳細な歴史などについては下記の各列車名ごとの記事を参照されたい。 |
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SE車が運用開始された1957年時点では、新宿と小田原は75分で結ばれていた<ref name="1994-63"/>が、SE車は[[1958年]]にまでに4編成が製造され、特急が全てSE車による運行となった<ref name="1994-63"/>ため、[[1959年]]からは67分で結ばれるようになった<ref name="rf422-34"/>。さらに[[1961年]]には新宿と小田原の間の所要時間は64分にまでスピードアップした<ref name="1981-20"/>。 |
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=== 列車名および運行区間など === |
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1959年からは、特急を補完するための準特急の運行が開始された<ref name="arc1-46"/>。使用車両は2扉セミクロスシート車で、特急運用から外れた2300形と、新造した[[小田急2320形電車|2320形]]が使用された<ref name="arc1-46"/>。 |
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==== 前面展望車NSE車の登場 ==== |
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[[ファイル:Odakyu NSE 3100.jpg|thumb|3100形NSE車]] |
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SE車の登場以後、特急利用者数はさらに増加し、週末には輸送力不足の状態となっていた<ref name="arc1-84"/>。また、[[1960年]]には[[箱根ロープウェイ]]が完成し<ref name="1981-118"/>、「箱根ゴールデンコース」と呼ばれる周遊コースが完成した<ref name="1981-118"/>ことから、箱根の観光客自体が急増した<ref name="1981-118"/>。このため、特急の輸送力増強策が検討された<ref name="1987-89"/>が、その検討結果として、[[1963年]]に[[小田急3100形電車|3100形]]が登場した。この3100形は "New Super Express" 、略して「NSE車」と呼ばれ<ref name="rp491-14"/>、8両連接車だったSE車に対し、NSE車では11両連接車とし<ref name="arc1-89"/>、さらに編成両端を展望席とする<ref name="arc1-86"/>ことによって定員増を図った車両である<ref name="arc1-119"/>。また、SE車と比較すると豪華さが強調される車両となった<ref name="arc2-54"/>。1963年にNSE車が4編成製造されたことによって、箱根特急の30分間隔運行が実現し<ref name="2005-98"/>、同時に新宿と小田原の間の所要時間は62分にまでスピードアップした<ref name="2005-98"/><ref group="注釈" name="最速62分">これが新宿 - 小田原間所要時間の最短記録であり、以降はダイヤ過密化から所要時間が増加している。一部区間の複々線化が完成した2011年時点の最速所要時間は66分であり、1963年当時の水準に達していない。</ref>。 |
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この時期まで、箱根特急の列車愛称は列車ごとに異なり、[[#箱根特急・小田原線特急|後述]]するようにNSE登場直前の時点で16種類の愛称が使用されていた<ref name="1994-83"/>が、NSE車の登場後の1963年11月4日からは5種類に整理された<ref name="1994-94"/>ほか、準特急という種別は廃止となった。その後、NSE車はさらに3編成が増備され、[[1967年]]からは箱根特急の全列車がNSE車で運用されることになった<ref name="1981-21"/>。 |
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[[ファイル:ODAKYU-ROMANCECAR-SSE-3000.jpg|thumb|「あさぎり」の運用に就くSE車]] |
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また、[[1964年]]3月21日からは、それまで夏季のみ運行されていた江ノ島線の特急が土休日のみであるが通年運行となり<ref name="rp405-21"/>、[[1965年]]3月1日からは毎日運転となった<ref name="rp405-21"/><ref group="注釈">定期列車扱いとなったのは1965年11月15日のダイヤ改正からである([[#刈田405|『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.21]])。</ref>。[[1966年]]6月1日からは特急の愛称がさらに整理され、新宿から小田原までノンストップの列車は「はこね」、途中[[向ヶ丘遊園駅|向ヶ丘遊園]]と[[新松田駅|新松田]]に停車する列車は「さがみ」、江ノ島線特急は「えのしま」に統一された<ref name="rp405-21"/>。なお、途中駅に停車する特急はこのときの改正で新設されたもので<ref name="rp491-14"/>、元来は沿線在住の箱根観光客を対象としたものであった<ref name="2005-58"/>。[[1968年]]7月1日からは、御殿場線直通列車が気動車からSE車に置き換えられ<ref name="rp405-22"/>、愛称も「あさぎり」に統一された<ref name="rp405-22"/>。列車種別は同年10月から「連絡急行」に変更されている<ref name="rp405-22"/>。1968年12月31日からは、初詣客に対応する特急「初詣号」の運行が行なわれるようになった<ref name="rf422-29"/>が、この列車は普段は各駅停車しか停車しない[[参宮橋駅|参宮橋]]にも停車するのが特徴であった<ref name="korotan83"/>。 |
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しかし、通勤輸送への対応<ref name="arc2-8"/>やそれに伴う新宿駅再改良工事<ref name="rp679-100"/>などの影響で、[[1972年]]以降、新宿から小田原までの所要時間は最速でも69分にスピードダウンを余儀なくされた<ref name="rp405-22"/>。線路容量不足のため、上り「さがみ」の一部が新宿まで運行できず、向ヶ丘遊園終着とする措置まで行なわれた<ref name="rp405-22"/>。 |
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==== 通勤利用者向け特急の運行開始 ==== |
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その一方で、通勤輸送に特急を活用する施策も開始された。 |
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1967年4月27日からは江ノ島線特急「えのしま」が新原町田停車となり<ref name="rp405-22"/>、同年6月23日からは[[特急券]]を購入すれば[[定期乗車券]]でも特急に乗車できるようになり<ref name="1994-141"/>、さらに同年8月からは[[町田駅|新原町田]]に停車する特急「あしがら」の新設と増発が行われた<ref name="rp405-22"/>。特に、新宿に到着して[[相模大野駅|相模大野]]の車庫へ回送される列車を新原町田まで客扱いしたところ<ref name="1981-21"/>、通勤帰りの利用者が多くなった<ref name="1988-93"/>ため、[[1968年]]には[[経堂駅|経堂]]の車庫へ回送される車両を相模大野の車庫への入庫に変更するなどして増発が行われた<ref name="1987-90"/>。同年7月10日からは「さがみ」の[[本厚木駅|本厚木]]停車が開始された<ref name="rp405-22"/>。 |
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これは優等列車による通勤・通学対応としては日本では初の事例であり<ref name="City87-96"/>、この後も徐々に通勤対応の特急が増発されてゆく。なお、[[1971年]]10月1日からは、連絡急行「あさぎり」の新原町田停車が開始された<ref name="rp405-22"/>が、「あさぎり」についてはこの時点では定期乗車券での利用はできなかった<ref name="rp405-22"/>。 |
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=== 1980年代 - 1990年代 === |
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==== レジャーの多様化へ向けて ==== |
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{{Double image aside|right|OER-7000-Sagami.jpg|180|Lse high speed test run.JPG|194|7000形LSE車|東海道本線を走行するLSE車}} |
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しばらくは特急ロマンスカーについては大きな動きはなかったが、1970年代に入るとSE車の老朽化が進み<ref name="rp405-81"/>、代替を検討する時期となっていた<ref name="rp405-81"/>。このため、SE車の代替を目的として、[[1980年]]に[[小田急7000形電車|7000形]]が登場した。7000形は "Luxury Super Express" 、略して「LSE車」と呼ばれる車両で、編成長や定員はNSE車と大きく変わらないものの、デザインや主要機器などが一部変更されている<ref name="rf422-38"/>。LSE車の導入により、特急の輸送力増強が図られた。[[1982年]]12月には、国鉄からの申し入れにより、東海道本線上での走行試験にLSE車が使用された<ref name="rf422-40"/>。国鉄の路線上で私鉄の車両が走行試験を行なった事例は、SE車とこのLSE車だけである<ref name="1985-123"/>。 |
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[[1984年]]2月1日からは、連絡急行「あさぎり」の停車駅に本厚木・[[谷峨駅|谷峨]]が追加され<ref name="1994-141"/>、[[1985年]]からは「あさぎり」も定期乗車券での利用が可能となった<ref name="rp491-46"/>。また、[[1986年]]10月4日からは、LSE車の車内に公衆電話が設置された<ref name="rp491-46"/>。 |
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{{Double image aside|right|OER 10011 Kaisei7cross 20120228.jpg|187|OER 20301 Kaisei7cross 20120228.jpg|187|10000形HiSE車|20000形RSE車}} |
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この時期になると、レジャーの傾向は多様化が進んでおり<ref name="rp491-47"/>、ゆとり以外に「一味違ったもの」が求められていた<ref name="rp491-47"/>。また、観光バスや他の鉄道事業者の車両においては高床(ハイデッキ)構造の車両が登場しており<ref name="2005-43"/>、折りしも[[1987年]]は小田急の開業60周年となることから<ref name="rp491-15"/>、これを記念するために新型特急車両として[[小田急10000形電車|10000形]]が登場した<ref name="rp491-47"/>。10000形は "High decker"<ref name="rp491-53"/> 、 "High grade"<ref name="rp491-53"/> 、 "High level"<ref name="rp491-53"/> 、 "High performance"<ref name="1988-124"/> などのキーワードから連想する、上級というイメージを表して「HiSE車」と呼ばれ、客席を高くしたハイデッキ構造とし<ref name="2005-43"/>、「走る喫茶室」に[[オーダーエントリーシステム]]が採用された<ref name="rj258-18"/>ほか、外装も近代的なイメージを意図したカラーリングに変更した<ref name="1988-33"/>。 |
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一方、[[1988年]]7月に小田急から[[東海旅客鉄道]](JR東海)に連絡急行「あさぎり」に使用していたSE車の置き換えを申し入れたことがきっかけとなり<ref name="rj297-35"/>、特急に格上げした上で両社がそれぞれ新形車両を導入した上で相互[[直通運転]]に変更し<ref name="2005-50"/>、運行区間も新宿と[[沼津駅|沼津]]の間に延長することとなり<ref name="2005-50"/>。1991年に[[小田急20000形電車|20000形]]が登場した。20000形は "Resort Super Express" 、略して「RSE車」と呼ばれる車両で<ref name="rp829-277"/>、[[JR東海371系電車]]と基本仕様を統一したため<ref name="rp679-238"/>、それまでの特急ロマンスカーの特徴であった[[連接台車|連接構造]]や[[展望車|前面展望席]]は採用されず<ref name="2005-50"/>、[[2階建車両|2階建て車両(ダブルデッカー)]]<ref name="rp546-196"/>や[[特別席]]([[スーパーシート]]・[[グリーン車|グリーン席]])を設置するなど<ref name="2005-50"/>、それまでの小田急ロマンスカーの仕様からはかけ離れた車両となった<ref name="2005-50"/>。 |
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==== 日常利用への対応 ==== |
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この頃になると、小田急ロマンスカーの利用者層にも変化が生じていた。観光客以外の日常利用が増加していた<ref name="2005-58"/>ほか、1967年から開始された夕方新宿発の通勤用特急は増発が続けられ、当初の「回送列車の客扱い」という思惑を超え、わざわざ新宿まで出庫させる運用まで登場していた<ref name="rp546-106"/>が、それでも輸送力の増強が求められていた<ref name="2011-188"/>。しかし、当時はまだ通勤輸送に対応した複々線化工事は進展しておらず<ref name="2011-189"/>、これ以上の増発やスピードアップは困難な状況で<ref name="2011-189"/>、単位輸送力の向上、言い換えれば列車の定員を増やすしか方法がなかった<ref name="2011-189"/>。また、1963年から導入されているNSE車が置き換えの時期となっていた<ref name="2005-58"/>。 |
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[[ファイル:OER Romancecar Homeway -EXE-.JPG|thumb|30000形EXE車]] |
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こうした状況下、箱根特急の利用者数も減少傾向が続いていたことから<ref name="2011-193"/>、日常的な目的での特急利用者を増加させることで補う意図もあった<ref name="2011-193"/>。これにあわせて、[[1996年]]にそれまでとは一線を画す車両として<ref name="rf421-56"/>[[小田急30000形電車|30000形]]が登場した。30000形は "Excellent Express" 、略して「EXE車」と呼ばれる車両で<ref name="2005-59"/>、それまでの小田急ロマンスカーの特徴であった前面展望席も連接構造も導入されていない<ref name="2005-61"/>。 |
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EXE車の導入後も、日常利用への対応は続けられた。[[1998年]]からは相模大野と[[秦野駅|秦野]]にも特急が停車することとなり<ref name="rp679-35"/>、1999年7月からは「あしがら」「さがみ」を統合して「サポート」とした<ref name="rp829-204"/>ほか、新宿を18時以降に発車する特急は全て「ホームウェイ」という愛称になった<ref name="rp829-204"/>。こうした施策によって、1987年時点では1,100万人だった特急の年間利用者数は<ref name="rj464-33"/>、[[2003年]]には1,400万人に増加したのである<ref name="rj464-33"/>。 |
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=== 2000年代以降 === |
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==== 観光特急の原点に回帰 ==== |
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ところが、日常的な特急の利用者数が増加する一方で、箱根特急の利用者数は大幅に減少していた。1987年の箱根特急の年間利用者数は550万人であった<ref name="rj464-33"/>が、2003年の利用者数は300万人程度にまで落ち込んでいたのである<ref name="rj464-33"/>。この理由を調べると、箱根を訪れる観光客自体も減少傾向にあった<ref name="rj464-33"/>ほか、EXE車には「小田急ロマンスカーのイメージ」とされた展望席が存在しなかったことが挙げられた<ref name="rj464-33"/>。また、2001年から運行を開始した[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]の「[[湘南新宿ライン]]」も、[[2004年]]には運行区間が延長され、特急ロマンスカーとあまり変わらない所要時間で新宿と小田原を結ぶようになった<ref name="2011-200"/>。 |
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このような状況下、[[2002年]]からは箱根特急へのてこ入れが開始されることになった。宣伝ポスターも、ロマンスカーを大写しにするのではなく、あくまで風景の一部としてロマンスカーを取り入れる施策に変更した<ref name="2011-205"/>。また、ロマンスカーの看板車両として、前面展望席のあるHiSE車を再び起用することになった<ref name="rj464-34"/>が、そのHiSE車はバリアフリー対応が困難であることから、更新は行なわずに新型特急車両で置き換えることになった<ref name="rj464-34"/>。新型特急車両は、「もはやロマンスカーとは名乗らないくらいの覚悟で、新しい発想を取り入れる」か<ref name="2011-212"/>、「ロマンスカーの原点に立ち返り、ロマンスカーの中のロマンスカーとする」という2つの方向性があった<ref name="2011-212"/>が、後者の方向性で進められることになった<ref name="2011-212"/>。 |
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[[ファイル:OER 50000 Kaisei7cross 20120228.jpg|thumb|50000形VSE車]] |
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こうして、[[2005年]]に「小田急ロマンスカー」ブランドの復権を掲げ<ref name="rj464-43"/>、小田急の新たなフラッグシップモデルとして<ref name="rp829-52"/>[[小田急50000形電車|50000形]]が登場した。50000形は前面展望席と連接構造を採用し<ref name="2005-25"/>、乗り心地向上のために[[振り子式車両|車体傾斜制御]]や台車操舵制御などを取り入れた<ref name="2005-25"/>ほか、「箱根へ向かう乗客にときめきを与え、乗った瞬間に箱根が始まる」ことを目指した車両で<ref name="2011-211"/>、客室内の様式から "Vault Super Express" 、略して「VSE車」と呼ばれる車両である<ref name="rp829-283"/>。VSE車の登場後、箱根を周遊するための乗車券である「[[箱根フリーパス]]」の販売枚数は、[[2006年]]に49万8000枚だった<ref name="2011-235"/>ものが、[[2009年]]には74万枚に増加した<ref name="2011-235"/>。 |
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なお、[[2004年]]12月には再度ロマンスカーの愛称の整理が行われ、箱根特急は全て「はこね」<ref name="rp829-212"/>、箱根湯本に乗り入れない小田原線の特急は停車駅に関わらず「さがみ」という愛称に変更された<ref name="rp829-212"/>。 |
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==== 日本初の地下鉄直通有料特急 ==== |
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[[ファイル:OER 60554 Kaisei7cross Trial Run 1.jpg|thumb|60000形MSE車]] |
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[[2005年]]に、小田急と[[東京地下鉄|東京メトロ]]では、ロマンスカーを[[東京メトロ千代田線]]に乗り入れる計画を発表した<ref name="rj466-149"/>。これは日本では初めての事例となる「座席指定制特急列車の[[地下鉄]]直通」で<ref name="rp829-285"/>、このために[[小田急60000形電車|60000形]]が登場した。60000形は「多彩な運行が可能な特急列車」という意味で "Multi Super Express" 、略して「MSE車」と呼ばれる車両で<ref name="rp829-285"/>、[[2008年]]3月から営業運行を開始した<ref name="rj500-94"/>。 |
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[[2012年]]3月17日からは、「あさぎり」の運行区間は新宿駅と[[御殿場駅]]の間に短縮されることになり<ref name="rj545-26"/>、「あさぎり」全列車がMSE車により運行されることになった<ref name="rj545-2627"/>。 |
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{{-}} |
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== 運行概要 == |
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{| {{Railway line header}} |
{| {{Railway line header}} |
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{{UKrail-header2|小田急ロマンスカー運行系統図|#ff7f50}} |
{{UKrail-header2|小田急ロマンスカー運行系統図|#ff7f50}} |
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|} |
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|} |
|} |
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; [[はこね (列車)|「スーパーはこね」「はこね」]]:[[新宿駅]] - [[箱根湯本駅]] |
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: 小田原駅経由で[[箱根登山鉄道鉄道線|箱根登山線]]と直通運転(片乗り入れ)を行う。 |
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; [[はこね (列車)|「さがみ」]]:新宿駅 - [[町田駅]]・[[相模大野駅]]・[[本厚木駅]]・[[秦野駅]]・小田原駅 |
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: すべての列車は小田原線内発着となる。箱根登山線には乗り入れない。 |
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; [[えのしま (列車)|「えのしま」]]:新宿駅 - [[藤沢駅]]・[[片瀬江ノ島駅]] |
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: 新宿駅 - 相模大野駅を「はこね」「さがみ」「あさぎり」と[[多層建て列車|併合されて走る列車]]の他、全区間を単独で走る列車もある。 |
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; [[あさぎり (列車)|「あさぎり」]]:新宿駅 - [[御殿場駅]] |
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: [[松田駅]]経由で[[東海旅客鉄道]](JR東海)[[御殿場線]]と直通運転(片乗り入れ<ref>1991年3月16日から2012年3月16日までは相互直通運転であった。</ref>)を行う。 |
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; [[ホームウェイ (列車)|「ホームウェイ」]] |
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: 新宿駅18時以降出発の下り列車に共通で与えられている列車名。[[JR]]で言う[[ホームライナー]]的性格が強いことから与えられている。 |
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; [[はこね (列車)|「メトロはこね」]]:[[北千住駅]] - 箱根湯本駅 |
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: [[代々木上原駅]]経由で[[東京地下鉄]](東京メトロ)[[東京地下鉄千代田線|千代田線]]と直通運転(片乗り入れ)を行い、小田原駅経由で箱根登山線と直通運転(片乗り入れ)を行う。地下鉄線内も特急運行とし、北千住・大手町・霞ケ関・表参道に停車する。 |
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; [[はこね (列車)|「メトロさがみ」]]:北千住駅 - 本厚木駅 |
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: 代々木上原駅経由で東京メトロ千代田線へ直通するタイプのさがみ。 |
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; [[ホームウェイ (列車)|「メトロホームウェイ」]]:北千住駅 - [[唐木田駅]]、北千住駅・[[大手町駅 (東京都)|大手町駅]] - 本厚木駅 |
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: 代々木上原駅経由で東京メトロ千代田線から直通するタイプのホームウェイ。 |
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運賃や料金については、[[#外部リンク|公式サイト]]を参照のこと。 |
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=== 運行日が限定される列車名および運行区間など === |
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; [[ニューイヤーエクスプレス|「ニューイヤーエクスプレス」]]:新宿駅 - 片瀬江ノ島駅など |
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: [[2001年]][[12月31日]]運行開始。毎年同日夜から翌年[[1月1日]]早朝までの[[終夜運転]]にあわせて運行される臨時特急である。この列車は、前身の「初詣号」のころから[[明治神宮]]参詣客のために普段は各駅停車しか停まらない[[参宮橋駅]]に停車する。 |
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; [[えのしま (列車)|「湘南マリン」]]:[[成城学園前駅]] - 片瀬江ノ島駅 |
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: 夏休み期間の平日に江ノ島線への特急を運行している。2008年から運行開始。2009年は7月21日から8月21日まで、2010年は7月20日から8月20日のうち平日のみ、成城学園前駅から片瀬江ノ島駅までの区間で1日1往復運行している。2010年7月24日・31日・8月7日・14日の4日間は「メトロ湘南マリン」号として北千住発着が1往復運転されている。 |
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=== 箱根特急・小田原線特急 === |
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=== 過去の列車名 === |
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{{Main|はこね (列車)|ホームウェイ (列車)}} |
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小田急の特急では[[2004年]][[12月11日]]より上記6種類の[[列車愛称]]が使われているが、かつてはもっと多くの列車愛称が存在していた。その背景には、現在のように「愛称を系統識別に使い同一系統のものは番号で区別する」方式ではなく「すべての列車に個別の愛称を付ける」方針があったからだとされる。愛称には目的地周辺の名所・名物の名前が広く使われていた。現在では使われていない列車名を下に記す([[五十音順]]、経緯については各系統項目を参照)。 |
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戦前の「週末温泉急行」かルーツとなる、箱根への観光客を輸送するための列車である。1950年から箱根登山鉄道箱根湯本駅まで乗り入れるようになった。 |
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* [[はこね (列車)|小田原線系統(現・「はこね」「さがみ」)]]:「あしがら」「あしのこ」「姥子」「おとめ」「乙女」「神山」「きく」「桔梗」「きんとき」「金時」「高原」「サポート」「すくも」「須雲」「仙石」「早雲」「大観」「はつはな」「明星」「明神」「夕月」「湯坂」 |
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* [[えのしま (列車)|江ノ島線系統(現・「えのしま」)]]:「江ノ島」「かたせ」「かもめ」「しおじ」「すず風」「ちどり」 |
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* [[あさぎり (列車)|御殿場線直通列車(現・「あさぎり」)]]:「朝霧」「銀嶺」「長尾」「芙蓉」 |
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* 多摩線 - 江ノ島線発着臨時列車:「江の島・鎌倉Express」「湘南マリンエクスプレス」「サマービーチ」 |
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*: [[1990年]][[5月3日]]から[[1996年]]まで運行された臨時特急。[[1995年]]から「臨時」表示のみになり、1996年には完全に廃止となった。2008年に、同じルートを通る「湘南マリン」が運行された。 |
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* 「初詣号」:新宿駅 - 片瀬江ノ島駅など |
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*: [[1968年]]12月31日から2001年1月1日まで毎年運行された臨時特急。同年に「[[ニューイヤーエクスプレス]]」へ改称された。 |
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* [[はこね (列車)|「ベイリゾート」]]:[[新木場駅]] - 本厚木駅 |
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*: 2008年運行開始。代々木上原駅経由で東京メトロ千代田線・[[東京地下鉄有楽町線|有楽町線]]と直通運転(片乗り入れ)を行い、千代田線から有楽町線に乗り入れる際には霞ケ関駅と桜田門駅を結ぶ連絡線を走行するが、双方の駅は通過となる。主に第2・第4土曜日に運行されていたが、2011年9月24日の運転を最後に運転見合わせとなり、2012年3月17日改正で運転中止となった。 |
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** 「[[ラッツ&スター|め組]]エクスプレス」([[資生堂]]とのタイアップ) |
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** 「ニイハオ[[伊藤つかさ|つかさ]]号」 |
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** 「[[B-1グランプリ]]号」 |
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** 「フラワー号」([[向ヶ丘遊園]]への[[遠足]]列車) |
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** 「[[秦野たばこ祭]]号」 |
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1950年10月以降は愛称が設定されたが<ref name="rf422-29"/>、列車ごとに異なる愛称が設定されており、毎日運転の列車が「あしがら」・「はこね」・「乙女」、休前日・休日のみ運行の列車では「明神」という愛称であった<ref name="rf422-29"/>。その後増発されるごとに愛称も増加し、1963年にNSE車が登場する直前の時点では、新宿駅発車時刻順に「あしのこ」・「明星」・「あしがら」・「さがみ」・「大観」・「仙石」・「はつはな」・「湯坂」・「明神」・「はこね」・「乙女」・「神山」・「姥子」・「金時」・「早雲」・「夕月」という16種類に上った<ref name="rp405-20"/>。NSE車の登場後の1963年11月4日から、愛称は「あしがら」・「あしのこ」・「はこね」・「きんとき」・「おとめ」の5種類に整理された<ref name="rp405-21"/>。1966年6月1日からは停車駅別に愛称が分けられ、新宿と小田原の間をノンストップで運行する列車は「はこね」<ref name="rp405-21"/>、途中向ヶ丘遊園と新松田に停車する列車は「さがみ」<ref name="rp405-21"/>、1967年8月から運行開始された新原町田に停車する列車は「あしがら」という愛称になった<ref name="rp405-21"/><ref group="注釈">このため、「さがみ」という愛称は1963年11月4日から1966年5月31日まで、「あしがら」という愛称は1966年6月1日から1967年7月までは使用されていなかったことになる。</ref>。 |
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== 車両 == |
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「 」付きの愛称があるものは[[特急形車両|特急専用車両]]として後の一般車への格下げ改造を行わない前提で設計・製造されたものである<ref>1910・1700・2300形は供食スペースなど特急車固有の設備を備えてはいたが、一般車と同様の車体構造で、実際に導入後数年で一般車に格下げされた。</ref>。なお、小田急では現在[[小田急3000形電車 (初代)|3000形「SE」]]以降の括弧付きの車両を「ロマンスカー」と称している。 |
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1996年3月からは愛称ごとの停車駅が変更され、「はこね」の停車駅に町田が、「あしがら」の停車駅に本厚木が追加され、新宿と小田原の間をノンストップで運行する列車の愛称は「スーパーはこね」に変更された。さらに、1999年7月からは、日中の特急は「あしがら」と「さがみ」を統合して「サポート」という愛称に変更された<ref name="rp829-204"/>ほか、18時以降に新宿を発車する下り特急の愛称は全て「ホームウェイ」に変更された<ref name="rp829-204"/>。 |
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また、3000形以降60000形に至るまで、30000形を除く各形式が[[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]を受賞しており、鉄道ファンより高い評価を受けている。<!--最近では旺盛な需要に対応するべく増発を重ねている為、検査・修理の際に用いる予備編成が非常に乏しく、時刻表に記載されている車種とは違う車種での運転も多くなっている。--><!--代走運用があることは各列車の詳細記事で触れられています。--> |
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2004年12月には、箱根特急は「はこね」「スーパーはこね」<ref name="rp829-212"/><ref group="注釈" name="ホームウェイ">ただし、18時以降に新宿を発車する列車は「ホームウェイ」。</ref>、小田原線内のみ運行の特急は全て「さがみ」<ref name="rp829-212"/><ref group="注釈" name="ホームウェイ"/>という愛称が設定されることになった。 |
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=== 江ノ島線特急 === |
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{{Main|えのしま (列車)}} |
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江ノ島線の特急は、1951年7月に新宿に到着した箱根特急の車両を利用して、「納涼ビール電車」と称する特殊急行を運行したものが始まりである<ref name="1994-62"/><ref group="注釈">「いそ風」・「すず風」という愛称が設定されていた([[#パンフa2|『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.148]])。</ref>。 |
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1952年夏には2000形を使用して料金不要の特急が設定され、1954年からは特急料金が設定された<ref name="arc1-46"/>。進行方向が変わる藤沢は運転停車だった<ref name="arc1-46"/>。列車ごとに異なる愛称が設定されており、「かもめ」<ref name="rp679"/>・「ちどり」<ref name="rp679"/>・「かたせ」<ref name="rp679"/>・「なぎさ」<ref name="rp679"/>・「しおじ」<ref name="arc2-148"/>という愛称が存在した。1964年までは夏季のみ運行であったが、1964年から通年運行が開始されて以降、愛称は「えのしま」1種類となった<ref name="rf422-29"/>。 |
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1996年3月からは大和が停車駅に追加された<ref name="dj145-47"/>ほか、1999年7月からは18時以降に新宿を発車する下り特急の愛称が全て「ホームウェイ」に変更された<ref name="rp829-204"/>。 |
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=== 多摩線特急 === |
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{{Main|ホームウェイ (列車)}} |
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多摩線に特急の運行が行なわれたのは、1990年の[[ゴールデンウィーク]]に多摩線開通15周年を記念して「江ノ島・鎌倉エクスプレス」が運行されたのが始まりである<ref name="rf422-29"/>。同年夏には海水浴客向けに「湘南マリンエクスプレス」が運行され<ref name="rf422-29"/>、翌年以降も引き続き運行された<ref name="rf422-29"/>。 |
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多摩線における定期列車の特急は、2000年12月2日から設定された、新宿発唐木田行きの「ホームウェイ」からとなる<ref name="rp829-206"/>。 |
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=== 御殿場線直通 === |
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{{Main|あさぎり (列車)}} |
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御殿場線直通の優等列車は、1950年10月1日から運行が開始された2往復が初で<ref name="rp546-159"/>、1959年7月には1日4往復に増発された<ref name="rj297-34"/>。当初は気動車による乗り入れであったが、御殿場線電化に伴い、1968年7月1日からSE車による直通運転が開始された<ref name="rp546-162"/>。国鉄線内では準急・急行という扱いであったため、小田急線内では「特別準急」・「連絡急行」という種別となっていた。 |
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1991年3月16日からは沼津まで延長されると同時に特急に格上げされ、同時にJR東海との相互直通運転が開始された<ref name="rp546-155"/>が、[[2012年]]3月17日改正からはこれと同時に運行区間は新宿駅と御殿場駅の間に短縮され<ref name="rj545-26"/>、毎日運行の列車は3往復となった<ref name="rj545-26"/>。 |
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=== 初詣特急 === |
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{{Main|ニューイヤーエクスプレス}} |
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初詣客を対象に毎年大晦日深夜から元旦未明にかけて運行される列車で、1968年12月31日から運行が行なわれるようになった<ref name="rf422-29"/>。明治神宮の初詣客に対応し、普段は各駅停車しか停車しない参宮橋にも停車するのが特徴<ref name="korotan83"/>。2000年度は「2001初詣号」という愛称となり<ref name="rp829-218"/>、2001年度からは「ニューイヤーエクスプレス」という愛称に変更された<ref name="rp829-218"/>。 |
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=== 地下鉄直通 === |
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{{Main|はこね (列車)|ホームウェイ (列車)|ニューイヤーエクスプレス}} |
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日本では初めての事例となる「座席指定制特急列車の[[地下鉄]]直通」で<ref name="rp829-285"/>、MSE車が使用される。 |
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2008年3月15日より「メトロさがみ」「メトロはこね」「メトロホームウェイ」<ref name="rf563-58"/>が運行開始されたほか、日によっては有楽町線新木場まで乗り入れる「ベイリゾート」も運行された<ref name="rf563-58"/>。「ベイリゾート」については、同線各駅への[[ホームドア]]設置の関連で2011年10月以降運行を休止<ref name="12-126"/>、そのまま運転中止となった<ref name="oer20111216"/> |
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2010年元旦からは「メトロニューイヤー」の運行も開始された<ref name="m20091125">{{cite press release|author=|date=2009-11-25|url=http://www.tokyometro.jp/news/2009/2009-68.html|title=大みそかから元日にかけての終夜運転のお知らせ|publisher=[[東京地下鉄]]|language=日本語|accessdate=2012-05-22}}</ref>。 |
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=== 現用車両 === |
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* [[小田急7000形電車|7000形「LSE」]](1980年 - ) |
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* [[小田急30000形電車|30000形「EXE」]](1996年 - ) |
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* [[小田急50000形電車|50000形「VSE」]](2005年3月19日 - ) |
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* [[小田急60000形電車|60000形「MSE」]](2008年3月15日 - ) |
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== シートサービス == |
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{{Main|走る喫茶室}} |
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[[File:Odakyu 1700.JPG|thumb|right|240px|1700形]] |
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ロマンスカーの車内で「走る喫茶室」と称するシートサービスが開始されたのは、1949年の1910形運行開始の時からである<ref name="1987-91"/>。乗客サービスとして「お茶でも出せないか」という発想から検討されたもので<ref name="1987-91"/>、乗客全員に紅茶とケーキを提供するという案もあった<ref name="1987-91"/>が、[[特別急行券|特急券]]を購入した乗客に物品を提供するのは規則上禁止されていた<ref name="1987-91"/>ため、飲料の販売を行うことに決定したものである<ref name="1987-91"/>。 |
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<!--* [[小田急1600形電車|1600形]](1948年 - 1951年)--> |
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<!--** 初代特急車であるが、ロングシートの[[通勤形電車]]であり、「ロマンスカー」ではない)←ロマンスカーではないのなら記載不要--> |
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* [[小田急1900形電車|1910形]](1949年 - 1951年) |
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* [[小田急1700形電車|1700形]](1951年 - 1959年) |
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* [[小田急2300形電車|2300形]](1955年 - 1959年)<!--「2320形」は特急としての実績はないため。--> |
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* [[小田急3000形電車 (初代)|3000形「SE」「SSE」]](1957年 - 1968年 - 1991年) |
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* [[小田急3100形電車|3100形「NSE」]](1963年 - 1999年) |
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* [[小田急10000形電車|10000形「HiSE」]](1987年 - 2012年) |
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* [[小田急20000形電車|20000形「RSE」]](1991年 - 2012年) |
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{{Double image aside|right|Romancecar teatime menu.jpg|180|VSE-Bento.JPG|180|走る喫茶室のメニュー。手前が1970年ごろ、右奥が1980年代後半、左奥が1990年頃のメニューである|VSE車のシートサービスの例。飲料は専用のガラスカップで提供される}} |
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=== 他社の小田急線乗り入れ車両 === |
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編成も乗車時間も短いため<ref name="1987-91"/>、食堂車などを連結するのではなく、車内にカウンターを設けた上でシートサービスを行うようにした<ref name="1987-91"/>。しかし、[[森永製菓]]や[[明治製菓]]に打診したところ採算面から断られ<ref name="rp405-166"/>、[[三井農林]](日東紅茶)も当初は断った<ref name="1987-91"/>ものの、「紅茶の普及宣伝」という方針で受諾したものである<ref name="rp405-166"/>。その後の特急車両では車内に喫茶カウンターが設けられた。 |
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* [[JR東海371系電車|371系]](1991年 - 2012年、JR東海所有・「あさぎり」限定) |
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その後、NSE車が7編成となった時点で、日東紅茶だけでは対応できなくなったことから<ref name="rp405-167"/>、1963年から森永の宣伝を兼ねて森永エンゼルが参入することになった<ref name="1987-91"/>。1987年に運行開始したHiSE車ではオーダーエントリーシステムも導入された<ref name="1988-40"/>。しかし、1991年3月から運行を開始した「あさぎり」では、シートサービスではなくワゴンによる販売サービスを行なうことになった<ref name="1994-116"/><ref group="注釈">ただし、グリーン車ではシートサービスが行われた([[#生方1994|『小田急ロマンスカー物語』 p.116]])。</ref>。さらに、1995年までにシートサービスは終了し<ref name="2011-230"/>、以後はワゴンサービスのみとなった<ref name="2011-230"/>。 |
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== 特別急行券について == |
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小田急ロマンスカーは全席指定制であり、乗車には[[特別急行券]](以下、特急券)の購入が必要である。 |
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2005年に登場したVSE車では、「走る喫茶室」と同様のシートサービスの営業が復活<ref name="rp829-30"/>、飲料はVSE専用のガラスカップによって提供される<ref name="rj464-30"/>。 |
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=== 予約・購入・変更・払い戻し === |
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定期列車の特急券は、{{要検証範囲|乗車日の2箇月前の午前10時から予約が開始され、|date=2012年5月}}乗車日の1箇月前の10時から発券される。 |
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[[File:OER OdakyuRomanceCar Ticket Machines.jpg|thumb|right|240px|ホーム上に設置されている<br/>特急券自動券売機]] |
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特急券の予約・発券は、次に掲げる各駅や[[旅行代理店]]営業所、小田急お客さまセンター・ロマンスカーサービスセンター(予約のみ対応)、後述する「ロマンスカー@クラブ」にて行われる。 |
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* 小田急線全駅の有人窓口・[[自動券売機]] |
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* 小田急線特急停車駅に設置されている特急券自動券売機(指定列車の特急券発売のみ対応) |
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* [[箱根登山バス]] 仙石案内所・桃源台案内所・湯河原営業所 |
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* [[沼津登山東海バス]] 沼津駅前案内所(東海バストラベル) |
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* [[小田急箱根高速バス]] 小田急高速バス案内所 |
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* [[箱根観光船]] 元箱根営業所 |
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* 東京地下鉄特急停車駅に設置されている特急券自動券売機や駅事務室(直通列車のみ) |
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* 取り扱い旅行代理店 |
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** [[小田急トラベルサービス]] |
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** [[東海自動車]](東海バストラベル) |
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** [[ジェイティービー#地域総合型会社|JTBの地域会社各社]]・[[JTBトラベランド]] |
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** [[近畿日本ツーリスト]]・[[KNTツーリスト]]・[[近畿日本ツーリスト神奈川]] |
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** [[日本旅行]](一部子会社を含む) |
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** [[トップツアー]] |
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** [[伊豆急行]] |
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** [[京王観光]] |
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** [[京成トラベル]] |
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** [[京阪交通社]] |
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** [[ジェイアール東海ツアーズ]] |
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** [[西武鉄道#関連施設・事業|西武観光]] |
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** [[東武トラベル]] |
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** [[南海国際旅行]] |
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** [[西鉄旅行]] |
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** [[農協観光]] |
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** [[阪急交通社]] |
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** [[富士急トラベル]] |
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** [[名鉄観光]] |
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== 予約システム == |
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小田急線各駅および一部を除く小田急トラベル各営業所では、「あさぎり」の松田駅 - 御殿場駅間発着の乗車券、特別急行券の発売は行われていない。一部の旅行代理店では「あさぎり」全区間の特別急行券の発売は取り扱っていない。 |
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=== 運行開始当初から1979年まで === |
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{{Triple image|right|Ticket Romancecar 4.jpg|180|Ticket Romancecar up and down.jpg|180|Ticket Romancecar Hatsumoude3.jpg|100|列車愛称別に地紋の色を変えた特急券(左上:「はこね」/右上:「あしがら」/左下:「さがみ」/右下:「あさぎり」)|上り列車用特急券(下)には斜線が入る|出札補充券で発行された特急券}} |
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戦前の「週末温泉急行」は座席定員制を導入しており<ref name="rp405-163"/>、「列車指定割引乗車券」という名称の往復乗車券を発売し<ref name="rp405-163"/>、この乗車券の発売によって人員制限を行っていた<ref name="rp405-163"/>。 |
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戦後に1600形を使用したノンストップ特急でも初めて特急料金は設定された<ref name="rp405-163"/>。初めて特別急行券(特急券)が発売されたのは1949年の1910形の投入時で<ref name="rp405-163"/>、温泉マークの入った硬券特急券が発行された<ref name="rp405-163"/>。それまでは座席定員制であった<ref name="rp405-163"/>が、1700形導入後の1951年8月20日から座席指定制を採用し、特急券に号車番号と座席番号が記入されるようになった<ref name="rp405-163"/>。 |
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東京地下鉄特急停車駅に設置されている特急券自動券売機では東京地下鉄発着の特急券の発売のみを行うため、予約および小田急線 - 箱根登山鉄道線内発着の特急券の発売および指定変更はできない。<!-- また、特急停車駅のうち[[豊洲駅]]および[[新木場駅]]については「ベイリゾート」の運行日に限り発売する。 --> |
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1966年には途中駅停車の「さがみ」が運行を開始<ref name="rp405-21"/>、1967年4月には「えのしま」の新原町田停車<ref name="rp405-22"/>、同年10月からは新原町田停車の「あしがら」が運行を開始した<ref name="rp405-22"/>が、この時から愛称ごとに地紋の色を変え、発売時に一目で分かるように区別できるようにした<ref name="rp405-164"/>。また、上り列車用の特急券には斜線を入れた<ref name="rp405-164"/>。 |
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また、6歳未満の乳幼児であっても、ロマンスカーの座席を占用する場合、小児用特別急行券と乗車券を購入しなければならない。座席を占用しない場合は、特別急行券・乗車券を購入する必要はない。 |
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=== 座席予約システムの導入 === |
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特急券を予約した場合、引き取り期限以内に発券を行わないと自動的に予約取り消しとなる。ただし、予約取り消しにかかる各種費用は一切かからない。 |
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{{Double image aside|right|Ticket Romancecar Sagami11 by SR.jpg|180|Ticket Romancecar Ashigara2 by SR.jpg|180|1979年から使用されたSR端末によって発券された特急券|1987年のSRシステム更新後のSR端末発行の特急券}} |
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特急の座席については、新宿駅構内に設けられた割当センターで台帳管理されていた<ref name="rp405-105"/>が、1970年代後半になると管理する座席数は67万座席となり<ref name="rp405-105"/>、発売窓口と割当センターとの電話連絡の中で重複発行などの誤取り扱いの発生、待ち時間などの問題が発生していた<ref name="rp405-105"/>。 |
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これを解決するため、座席予約システム( "Seat Reservation" 、以下「SR」と略す)を導入することになり、[[1979年]]2月27日から使用を開始した<ref name="rp405-105"/>。SR端末は特急停車駅や案内所、[[小田急トラベルサービス]]の主要営業所に設置された<ref name="rp405-105"/>。また、新宿駅当日特急券発売所には、他の端末の7倍の発券速度を有する高速プリンターを設置した<ref name="rp405-106"/>。予約受付は5ヶ月前から<ref name="rp405-105"/>、発売は3週間前から行っていた<ref name="rp405-106"/>。 |
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引き取り期限は次に掲げる通りである。 |
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* 予約開始日から発売開始日までに予約した時:発売開始日を含めて8日以内 |
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* 発売開始日以降から乗車日の8日前までに予約をした時:予約日を含めて8日以内 |
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* 乗車日の7日前から発車60分前(「ロマンスカー@クラブ」の場合は45分前)までに予約をした時:発車15分前まで |
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1987年には禁煙席の導入に対応するため、SRシステムの更新が行われた<ref name="rp546-20"/>。更新されたシステムでは、払い戻しや取り消しの際に端末機が発券コードを読み取って上で自動処理を行うことで、誤取り消しによる重複発売の防止が図られた<ref name="rp546-20"/>。また、これと同時に、新宿駅には当日特急券券売機を導入した<ref name="rp546-20"/>ほか、予約受付を6ヶ月前から<ref name="rp491-45"/>、発売を1ヶ月前からに変更した<ref name="rp491-45"/>。 |
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特急券を発券後、乗車時刻前の変更は乗車日の変更を伴う場合は1回限り、伴わない場合は変更を希望する列車に空席がある場合に限り、何度でも可能である。ただし、JR御殿場線直通の「あさぎり」は乗車日の変更を伴わない場合でも1回限りとなる。 |
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1991年からは[[プッシュホン]]による空席照会と予約が可能となった<ref name="2005-141"/>。 |
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払い戻しは特別急行券1枚につき100円(サルーンは400円)の手数料を払えば可能である。ただし、JR御殿場線直通の「あさぎり」はこの限りではない。 |
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{{Double image aside|right|Ticket Romancecar Ashigara85.jpg|180|Ticket Romancecar HomeWay75 SuperSeat 20120315.jpg|180|磁気化された特急券|MFITTシステムと接続された多機能券売機から発券された特急券}} |
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列車運休の場合、特急料金は全額払い戻しになる。この場合は手数料を不要である。 |
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1995年にSRシステムのリニューアルを行い、全駅にSR端末を設置した<ref name="dj145-46"/>ほか、特急券が磁気エンコード化され、乗車券とともに発券された場合でも[[自動改札機]]を通過できるようにした<ref name="dj145-46"/>。1996年には大手旅行会社の端末とSRシステムのホストを直結し、迅速な発券を可能とした<ref name="rp679-22"/>。 |
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出発時刻または到着時刻から1時間(JR御殿場線直通の「あさぎり」は2時間)以上遅延した場合、特急料金は全額払い戻しになる。この場合も手数料は不要である。 |
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1999年7月からは車掌携帯用座席確認システムを導入し、乗車時の特急券確認作業を廃止した<ref name="rp679-25"/>。このシステムは[[ザウルス]]端末を利用して<ref name="rp679-25"/>、[[携帯電話]]回線経由でホストコンピュータにアクセスすることにより、その発売状況を号車別・座席別・区間別に車掌が把握し、その情報を車内での改札業務に利用できるシステムである<ref name="rp679-25"/>。これにより、発売情報とは異なる座席に着席している乗客に対してのみ車内改札を実施することが可能となった<ref name="rp679-25"/>。 |
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乗車券は特急券購入時に併せて購入することができるが、小田急トラベル以外の旅行代理店では東京地下鉄発着の乗車券を発売することができないので、当日に乗車駅で購入するか、着駅で精算する必要がある。 |
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2001年からはホームページ上からの特急券予約が可能となった<ref name="2005-141"/>。2003年には座席予約や発売業務を管理するシステムとして、全駅の窓口・[[自動券売機]]・旅行会社のシステムに接続されるMFITTシステム( "Multimedia Future Intelligent Total Traffic servixe system" の略)を導入した<ref name="rp829-25"/>。2004年からは、多機能券売機の導入により、全駅の券売機で特急券の購入が可能となった<ref name="rp829-24"/>。2012年時点では、予約・発売とも1ヶ月前から開始となっている<ref name="t2012-211"/>。 |
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なお、小田急線各駅の有人窓口・自動券売機および特急停車駅の新型特急券自動券売機、小田急トラベル各営業所で購入した場合、[[小田急ポイントカード]]にポイントが100円につき1ポイント加算される。また、JTB地域会社各社と小田急トラベルを除く一部の旅行代理店の営業所では特急券発券時にその旅行会社が定める手数料などを徴収することもある。 |
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=== ロマンスカー@クラブ === |
=== ロマンスカー@クラブ === |
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[[ファイル:RomanceCar at club Ticket Asagiri2.jpg|thumb| |
[[ファイル:RomanceCar at club Ticket Asagiri2.jpg|thumb|「ロマンスカー@クラブ」で予約・購入した座席の情報]] |
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2001年7月から、[[インターネット]]に対応した携帯電話で特急券を購入し、そのまま乗車可能となるチケットレス乗車システムとして「ロマンスカー@クラブ」のサービスを開始した<ref name="rp829-25"/>。 |
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小田急では、前述以外に「ロマンスカー@クラブ」というサービスでも特急券の予約・購入を行っている。これは、[[2001年]][[7月8日]]から開始したもので、一時期は「ロマンスカー@クラブPC」と「ロマンスカー@クラブ」の2種類があった(会員組織としては同一)が、[[2009年]][[2月22日]]以降は会員資格をA会員とB会員に分ける制度となった。 |
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* A会員(旧「ロマンスカー@クラブ」)は、全駅の有人窓口および箱根湯本ロマンスカー営業センターにて入会申込書の提出と本人確認書類を提示すれば会員登録(入会金・登録料無料・12歳未満加入不可)がなされる。入会時に係員より「会員番号と仮パスワード」が発行され、当日からサービスの利用が可能となる。これは携帯電話・パソコン両方から特急券の予約ができるほか、「特急ポイント」を現金か[[クレジットカード]]で積み立てることによってインターネット上での特急券購入が可能となる。座席の予約は当初携帯電話からは一般席に限定されていたが、[[2012年]][[2月26日]]から展望席、スーパーシート(グリーン席)、サルーン、セミコンパートメント席の予約が可能になった<ref><a href="http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/6975_2672584_.pdf"> |
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「ロマンスカー@クラブ」が2月26日(日)から更に便利に!</a></ref>。ただし2012年[[3月17日]]以降はスーパーシート(グリーン席)、セミコンパートメント席の設定された列車がない。また携帯電話で購入した場合、携帯電話の座席情報画面を特急券の代わりとすることでペーパーレスで特急列車に乗車することができる。なお、予約のみを済ませた状態で購入手続きを行っていない場合は、紙の特急券を発行することも可能である。万一、携帯電話の電源が切れるなど情報画面を見られない場合は、購入済みの座席の特急券について駅窓口などで発券を受けることが可能である。ペーパーレスチケットとしては業界先駆の存在である。 |
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* B会員(旧「ロマンスカー@クラブPC」)は、[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]から小田急の公式サイトにアクセスし、入会金・登録料無料の会員登録を行うだけでオンライン予約ができるというものである。最大4席まで、展望席、サルーン、窓側座席の指定(サルーンの場合は、1区画のみ)が可能である。新規登録から2箇月間一度もログインしない場合は会員登録を抹消される。 |
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このサービスは駅窓口に申し込みすることで会員登録され、当日から利用可能となる<ref name="rp829-25"/>。2009年には携帯電話やパソコンの高機能化に対応し、スマートフォンやパソコンからも特急券を購入することが出来るようにシステムがリニューアルされた<ref name="rp829-25"/>。 |
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=== 特別急行料金・特別席料金・サルーン料金 === |
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小田急電鉄の特別急行券の大人料金は次の通りである。小児料金は大人の半額であり、10円未満の端数は切り上げて計算をする。 |
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* 17キロまで 300円 |
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* 18キロ以上35キロまで 400円 |
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* 36キロ以上40キロまで 500円 |
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* 41キロ以上50キロまで 550円 |
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* 51キロ以上65キロまで 600円 |
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* 66キロ以上75キロまで 670円 |
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* 76キロ以上 870円 |
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どこからでも携帯電話を利用して座席を確保することが出来ることによって利便性が向上し<ref name="rp829-25"/>、2010年時点では平日夕方の「ホームウェイ」の乗客の4割が「ロマンスカー@クラブ」を利用している<ref name="rp829-26"/>。 |
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但し、本厚木駅 - 小田原駅間および相模大野駅 - 片瀬江ノ島駅間で18キロ以上35キロまでの場合と新百合ヶ丘駅 - 大和駅間乗車の場合は300円。小田原線・江ノ島線・多摩線と箱根登山線小田原駅 - 箱根湯本駅との区間を同一列車で乗車する場合は、箱根登山鉄道の料金券代に当たる200円を支払う必要はない。 |
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{{-}} |
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== 車両 == |
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また、東京地下鉄と御殿場線の特別急行券の大人料金は次の通りである。小児料金は大人の半額であり、10円未満の端数は、東京地下鉄の場合切り上げて、御殿場線の場合切り捨てて計算をする。 |
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=== 車両の特徴 === |
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{{see also|小田急電鉄の鉄道車両#車両の特徴}} |
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==== 連接構造 ==== |
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* 東京地下鉄線 200円 |
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{{Double image aside|right|Jacobs bogie of OER 3000.jpg|180|Jacobs-bogie-of-Odakyu-EMU-Type50000.jpg|180|3000形SE車で初採用となった連接構造|空気ばね位置を高く設定した50000形VSE車の連接構造}} |
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* JR東海 御殿場線(下記の料金は通常期のものであり、繁忙期は200円を加算、閑散期は200円を減額する。特別席利用の場合、通常期の料金から510円減額した。) |
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1台の台車によって2車体を連結する連接構造は、1957年に登場した3000形SE車において初めて採用された。曲線の多い[[小田急小田原線|小田急線]]の軌道条件において曲線通過を容易にできること<ref name="rp546-83"/>、車体支持間隔の短縮により車体剛性を確保できること<ref name="rp546-83"/>、オーバーハング部分がないため乗り心地を改善できる<ref name="rp546-83"/>、台車配置の平均化により軌道への負担が軽減されること<ref name="rp546-83"/>が理由として挙げられており、当時小田急の取締役兼考査局長であった[[山本利三郎]]の強い主張により採用されたものである<ref name="1994-75"/>。この当時、日本の高速電車における連接車の採用実績は、[[京阪60型電車|京阪60型]]・[[西鉄500形電車 (鉄道)|西鉄500形]]・[[名鉄モ400形電車 (2代)|名鉄2代目400形]]の3形式だけであり<ref name="rp789-2021"/>、一挙に8車体もの連接車を導入したのは当時としては大英断であったといわれている<ref name="1985-2-24"/>。 |
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** 30キロまで 820円(特定特急料金) |
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** 31キロ以上50キロまで 1240円(A特急料金) |
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その後、連接構造は1963年に登場した3100形NSE車・1980年に登場した7000形LSE車・1987年に登場した10000形HiSE車においても採用されており<ref name="2009-145"/>、小田急の特急車両の大きな特徴となった<ref name="1985-2-24"/>。日本の高速電車全体での連接車の採用事例の中でも、小田急の特急車両における採用事例が突出して多い<ref name="rp789-20"/>。 |
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** 御殿場駅 - 沼津駅間のみ有効の自由席特急券 310円 |
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{{試聴 |
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|filename = Rail Joint sound OER VSE.ogg |
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|title = 連接車の通過音 |
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|description = 50000形VSE車 |
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|filename2 = Rail Joint sound OER MSE.ogg |
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|title2 = ボギー車の通過音 |
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|description2 = 60000形MSE車 |
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}} |
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しかし、1991年に登場した20000形RSE車ではJR東海との協定により[[JR東海371系電車|371系電車]]と基本仕様を統一した<ref name="rp679-238"/>ため通常の鉄道車両と同様のボギー車となった<ref name="rp829-277"/>が、車内販売のカウンターが車端部のオーバーハング部分に設置されたため、それまで連接車にしか乗務した経験のなかった車内販売の担当者から「RSE車に乗ると乗り物酔いになる」という声も上がった<ref name="2009-148"/>。さらに、1996年に登場した30000形EXE車においても、定員増のためにはボギー車が有利であると判断され<ref name="dj145-42"/>、連接構造は採用されなかった<ref name="dj145-42"/>。2008年に登場した地下鉄直通用車両の60000形MSE車も通常のボギー車である。 |
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ただし、小田急側では「連接車をやめたわけではない」「連接車はわが社(小田急)だからできること」ともしており<ref name="2009-146"/>、2005年の50000形VSE車登場にあたっては乗り心地の向上のためには不可欠なものとして連接構造が採用された<ref name="2011-213"/>。また、VSE車では台車が車体間にあるという連接車の構造を利用して<ref name="rp789-14"/>、空気ばねの位置を車体重心近くの高い位置にする構造となっている<ref name="2005-131"/>。 |
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特別席(グリーン席・スーパーシート)の料金は次の通りであった。小児料金も同額。 |
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{{-}} |
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* 35キロまで 310円 |
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* 36キロ以上75キロまで 460円 |
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* 76キロ以上 670円 |
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* 御殿場線にて利用をする場合は、上記料金に1240円を加算。 |
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==== 展望席 ==== |
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サルーンの料金は次の通りである。サルーン券は、4名分の特別急行料金と同額である。3名以下や、小児を含む利用は可能ではあるが、関係なく下記料金である。 |
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{{Double image aside|right|OER-3100-7003-10001-50001.jpg|200|VSE-Tenbo.jpg|200|展望席を設けた特急車両<br/>NSE車(左上)/LSE車(右上)<br/>HiSE車(左下)/VSE車(右下)|VSE車の展望席}} |
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* 17キロまで 1200円 |
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[[操縦席|運転室]]を2階に上げ、最前部まで客室とした前面展望構造とすること自体は、[[小田急1700形電車|1700形]]製造の頃には既に存在していた構想で、その後も特急車両の設計が行なわれるたびに検討されたがこれまで実現に至らず<ref name="arc1-85"/>、1963年に登場した3100形NSE車で初採用となった<ref name="arc1-85"/>。この構造は、乗客に眺望を楽しんでもらうという意図<ref name="arc1-85"/>の他に、輸送力増強策の一つでもあるとされていた<ref name="arc1-119"/>。その後、展望席は「いつか乗ってみたい存在」というステイタスとして定着し<ref name="rj464-33"/>、7000形LSE車、10000形HiSE車にも同様の構造は引き継がれた<ref name="2011-180"/>。1991年に登場した20000形RSE車では連接車と同様の理由によりこの構造は採用されなかった<ref name="rp829-277"/>が、客席をハイデッキ構造にしたため客席からの展望は確保されていた<ref name="1994-112"/>。 |
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* 18キロ以上35キロまで 1600円 |
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* 36キロ以上40キロまで 2000円 |
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* 41キロ以上50キロまで 2200円 |
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* 51キロ以上65キロまで 2400円 |
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* 66キロ以上75キロまで 2680円 |
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* 76キロ以上 3480円 |
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しかし、1996年に登場した30000形EXE車では分割併合を行うこととなり、貫通路を設置する先頭車での展望席設置は困難となった<ref name="dj145-42"/>。また、分割して運行する区間が長いため、その際にも違和感のないものとするという理由によって<ref name="dj145-42"/>、非貫通タイプの運転台でも展望席は採用されなかった<ref name="dj145-42"/>。ところが、この構造が、前述したように箱根特急の利用者減少の一因となった<ref name="rj464-33"/>。家族旅行で箱根特急を利用する際に、EXE車を見た子供から「こんなのはロマンスカーじゃない」と言われてしまうことがたびたび発生したのである<ref name="2011-194"/>。このため、2002年からは広告で使用される車両を前面展望席のあるHiSE車に変更した<ref name="2011-205"/>ほか、2005年に登場の50000形VSE車では再び展望席が採用された<ref name="2005-25"/>。 |
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但し、本厚木駅 - 小田原駅間および相模大野駅 - 片瀬江ノ島駅間で18キロ以上35キロまでの場合と新百合ヶ丘駅 - 大和駅間乗車の場合は1200円。 |
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2008年に登場したMSE車は、地下鉄直通時の非常用通路として前面貫通路設置が必須であったことから<ref name="12-17"/>、展望席設置は見送られている<ref name="12-17"/>。 |
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=== 平日割引特急回数券 === |
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平日のみ利用可能な特急回数券が発売されている。この回数券は6枚綴りで発売日から2箇月間有効、特急利用時には座席の指定を受けなければならない。 |
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回数券の設定された区間は以下の2種類があり、途中下車および区間変更は出来ない。発売は、小田急線各駅と一部の小田急トラベル営業所。 |
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* 新宿駅 - 小田原駅・箱根湯本駅:4500円 |
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* 新宿駅 - 藤沢駅・片瀬江ノ島駅:3000円 |
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=== |
==== 補助警報音 ==== |
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補助警報音は、1957年に登場した3000形SE車において、遠くからでも高速で走る電車の接近が分かるようにするために考案されたものである<ref name="2009-172"/>。これは西部劇の映画の中で、機関車が鐘を鳴らしながら走行していることをヒントにしたもの<ref name="2009-172"/>であるが、音色の決定に際しては、[[運輸省]]から「警報装置としての条件を満足させるべき」と<ref name="rp546-84"/>、[[警視庁]]からは「[[騒音]][[公害]]にならないように」という要望があった<ref name="rp546-84"/>。この相反するようにみえる要望を満たすため小田急沿線在住の[[音楽家]]である[[黛敏郎]]にも相談<ref name="2009-173"/>、音響心理学研究所の指導を得て<ref name="2009-173"/>、最終的には[[ヴィブラフォン]]の音色で<ref name="2009-173"/>、2km付近まで達する音量となった<ref name="arc1-117"/>。SE車ではエンドレステープが使用された<ref name="arc1-66"/>が、営業運行後にテープが伸びたり切れてしまうことが多かった<ref name="rp789-57"/>ため、3100形NSE車以降は[[トランジスタ]]発振器に変更され<ref name="rp491-21"/>、20000形RSE車まで搭載された<ref name="rp829-190"/>。 |
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小田急ロマンスカーは全席指定制のため、乗車前に目的地までの特急券を購入しなければならない。 |
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常時音楽を鳴らしながら走ることから、ロマンスカーは「[[オルゴール]]電車」と呼ばれるようになった<ref name="2005-87"/>ほか、「[[小田急ピポーの電車]]」というCMソングも作られた<ref name="1987-116"/>など、小田急ロマンスカーのシンボルの1つとなった<ref name="rj464-27"/>。しかし、列車本数の増加などにより騒音とみなされるようになってしまい<ref name="rj464-27"/>、10000形HiSE車が製造された1987年頃にはほとんど鳴らす機会はなくなっていた<ref name="1988-45"/>。 |
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* しかし、購入せずに乗車した場合は通常の特急料金に300円(サルーン席は1,200円・東京メトロ線を含む場合は400円。小児用特急券は半額。)を加算した特急料金を支払わなければならない。なお、この時に発券された特急券は座席指定がされないので、満席の場合などは立席扱いとなる(2006年5月15日より実施)。 |
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* なお、購入したものの区間を乗り越して乗車をする場合、乗り越した時の乗車区間の料金が購入した特急料金と同額の場合は追加料金は発生しないが、特急料金が異なる場合は差額を支払うのではなく、乗り越し部分の特急券を新たに購入しなければならない。この場合の料金は駅売り料金となる。 |
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* また、乗り越し区間での座席指定は行っていないため、もし座っている座席に乗り越し区間の特急券を所持する客が来た場合は座席を譲らなければならない。 |
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しかし、50000形VSE車では、通常の警笛(電子笛)と回路を共用する[[ミュージックホーン]]としてこの音色を復活させ<ref name="rp829-190"/>、60000形MSE車でも実装された<ref name="rp829-190"/>。 |
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=== 特急整理票 === |
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小田急トラベルの募集する企画旅行で特急ロマンスカーの利用がセットとなっている場合、特別急行券ではなく特急整理票が発券される。特急整理票は、特別急行券と異なり、列車変更や払い戻しができない。 |
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==== シンボルマーク ==== |
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[[ファイル: |
[[ファイル:LSE Emblem.JPG|thumb|ヤマユリをあしらったシンボルマーク]] |
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[[ファイル:Hakone Tozan Seat Ticket Stand.JPG|thumb|200px|「座席券」発売所]] |
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[[2005年]][[10月1日]]より箱根登山線小田原駅 - 箱根湯本駅間において小田急ロマンスカーの座席に空席がある場合に両駅のホームにて発車数分前より同区間のみ乗車可能の「座席券」が発売されるようになった。大人200円・小児100円で、座席指定は行われない。 |
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ロマンスカーのシンボルマークは、1951年8月に登場した1700形の第2編成で、それまでは社紋が置かれていた側面の中央窓下にアルミ製の[[ヤマユリ]]の紋章を取り付けたものが始まりである<ref name="1994-62"/>。ヤマユリは神奈川県の県花であり、相模の山野を走るロマンスカーにはふさわしい花とみられていた<ref name="1977-16"/>。この紋章は1700形の全編成に設置された<ref name="1994-62"/>が、1700形が一般車両に格下げとなった際に外された<ref name="1977-16"/>。 |
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=== 車内改札 === |
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以前は乗車時に特急券の[[改札]]が行われていたが、[[1999年]][[7月]]より乗車口を限定した係員による改札をとりやめ、車内にて乗務員が所持する端末によって特急券のチェックが実施されるようになった。指定された座席に座っていない場合や特急券を持っていない場合等は乗務員が当該者に声をかけ特急券を確認をする。これにより停車時間や係員の削減ができたと同時に、指定された座席に座っている場合、車内改札が省略されるようになった。 |
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この紋章が復活したのは1980年登場の7000形LSE車からで、登場後まもなく車内の自動ドアにぶつかる乗客が目立ったこと<ref name="1994-100"/>から、目線の高さに1700形の紋章に準じたシンボルマークをカッティングシートで貼付したものである<ref name="1994-100"/>。この自動ドアのステッカーは10000形HiSE車・20000形RSE車でも継承され、1996年からは車体修理を受けたLSE車・HiSE車・RSE車の車体側面にも同様のマークが貼られるようになった<ref name="rp679-236"/><ref name="rp679-237"/><ref name="rp679-239"/>。 |
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座席指定システム構築に際して乗務員の携帯端末に市販の[[携帯情報端末|PDA]]([[シャープ]]の"[[ザウルス]]")が使用されたことにより、構築時・保守における簡便化やコストダウンが図られた。また、このシステムの導入により「ロマンスカー@クラブ」会員は携帯電話による特急券のチケットレス化がなされている。 |
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これとは別に、30000形EXE車・50000形VSE車・60000形MSE車では、車両愛称のロゴをデザインしている<ref name="rp679-242"/><ref name="2005-22"/><ref name="rp829-286"/>。 |
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=== 特別席 === |
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# [[スーパーシート]]・[[グリーン車|グリーン席]] |
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#* [[小田急20000形電車|20000形「RSE」]]の3・4号車は[[2階建車両|ダブルデッカー]]となっており、その2階部分は[[特別席|スーパーシート]]となっていた。そのため、乗車するには特急券の他に[[グリーン券|スーパーシート料金]]が必要であった。なお、この座席はJR線内では[[グリーン車]]扱いで、同区間では[[グリーン券|グリーン料金]]が必要であった。また、この座席は相互乗り入れ先のJR東海の[[JR東海371系電車|371系]]にも設定されていた。 |
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#** 「グリーン券」:「[[あさぎり (列車)|あさぎり]]」のグリーン席に乗車する際に「グリーン券」と特急券に印字された。 |
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#** 「スーパーシート券」:[[はこね (列車)|「スーパーはこね」「はこね」]]および[[ホームウェイ (列車)|「ホームウェイ」]]のグリーン席に乗車する際に「スーパーシート券」と特急券に印字された。 |
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# [[コンパートメント席]] |
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#* 20000形「RSE」および[[小田急50000形電車|50000形「VSE」]]には[[コンパートメント席|個室]]が設定されているが、車両により性格を異にしている。 |
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#*# 20000形「RSE」:ダブルデッカーである4号車の1階席に「セミコンパートメント席」が設定されていた。なお、4名定員のコンパートメント席であったが、通常の座席と同様に人数分の特急券で指定されるのみであったことから、多客時には3名など定員に満たない座席に1名別グループの方が相席となる場合もあり得た。 |
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#*# 50000形「VSE」:3号車に「サルーン席」と称される個室が設定されている。この座席は小田急ロマンスカーとしては初めて設定された4名定員の個室であり、この座席については「サルーン特急券」と称され、4名分の特急料金に相当する料金を徴収するが、1室での販売であるため、定員以内でも発行される。 |
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# [[展望車|展望席]] |
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#* すでに廃車された[[小田急3100形電車|3100形「NSE」]]以来、[[小田急7000形電車|7000形「LSE」]]・[[小田急10000形電車|10000形「HiSE」]]・50000形「VSE」の先頭車両に設けられている座席である。発券に際しても指定が可能だが、通常の特急券と同額に設定されている。なお、座席指定に際して前方・後方の指定も行われている。 |
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==== ブルーリボン賞 ==== |
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== 地下鉄への乗り入れ == |
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{{Double image aside|right|Blue Ribbon Prize 1957 of Japan Railfan Club.JPG|200|Blue Ribbon Prize 2006 of Japan Railfan Club.JPG|110|SE車のブルーリボン賞受賞プレート|VSE車のブルーリボン賞受賞プレート}} |
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[[ファイル:Model 60000 of Odakyu Electric Railway.JPG|thumb|240px|right|2008年3月より地下鉄への乗り入れを行っている60000形「MSE」<br/>(2007年10月19日 大野工場にて)]] |
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[[鉄道友の会]]が優秀な車両を表彰する制度として[[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]の制度を創設した<ref name="BL88-9899"/>のは、3000形SE車が東海道本線上で当時の狭軌鉄道における世界最高速度記録を樹立したことがきっかけである<ref name="2009-176"/>。むしろSE車を表彰するために制度が創設されたという方が実情に近く<ref name="dj145-55"/>、事実SE車は理事会の決定により無投票で第1回受賞車両に選出された<ref name="BL88-100"/>。 |
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[[ファイル:Ltd Express Ticket Omotesando Hakoneyumoto.jpg|thumb|240px|東京メトロ発券の<br/>メトロはこね号特急券<br/>(2008年3月15日)]] |
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小田急ロマンスカーは、[[2008年]][[3月15日]]より[[東京地下鉄]](東京メトロ)へ直通運転を開始した。 |
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その後も、30000形EXE車を除く7形式が受賞しており、2011年時点での受賞回数7回は[[大手私鉄]]では近畿日本鉄道とともに最多である<ref name="2009-177"/>。 |
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[[2007年]][[10月19日]]付での小田急・東京地下鉄両社の発表<ref>[http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/3093_2181188_.pdf 特急ロマンスカーの東京メトロ線への直通運転計画について] - 小田急電鉄、2007年10月19日発表</ref>によれば、概ね以下の通りである。 |
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{{-}} |
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* 平日:ビジネス特急として[[本厚木駅]]発[[北千住駅]]行と北千住駅発[[唐木田駅]]行を各1本、[[大手町駅 (東京都)|大手町駅]]発本厚木駅行2本の計4本を運転する。 |
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* 土曜・休日:観光特急を中心に、本厚木駅 - 北千住駅間1往復と北千住駅 - [[箱根湯本駅]]間2往復の計6本を運転する。ただし、本厚木駅 - 北千住駅間については臨時列車として年間30日程度東京地下鉄側を[[東京地下鉄有楽町線|有楽町線]][[新木場駅]]発着に変更する。 |
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* 愛称:本厚木駅 - 新木場駅間の列車に「ベイリゾート」が与えられる他は、従来のものに「メトロ」を冠したものである(「メトロホームウェイ」「メトロさがみ」「メトロはこね」)。 |
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* 停車駅: |
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:* 東京メトロ線内:北千住・大手町・[[霞ケ関駅 (東京都)|霞ケ関]]・[[表参道駅|表参道]]。新木場駅発着の場合は新木場・[[豊洲駅|豊洲]]・表参道。 |
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:* 小田急線内:現行の愛称ごとの停車駅に停車するが、一部の列車は[[成城学園前駅]]にも新規停車する。 |
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:* 途中[[代々木上原駅]]にも停車するが、同駅では乗務員の交代のための停車で、乗客の乗降はできない。 |
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:* 東京メトロ線内の停車駅では、すべての車両の扉を開閉せず、特急券の確認をする駅係員が立つ一部の扉のみ開閉して、乗客の乗降を扱っている<ref>1・4・5・7・8・9号車のみ。交通新聞社「2008小田急時刻表」p256の記述による。</ref>。 |
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:* 北千住発着の列車は北千住駅 - [[綾瀬駅]] - [[綾瀬車両基地]]間の出入庫を伴うが、この区間での旅客営業は行わず、回送となる。 |
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* 東京地下鉄線内も[[座席指定席]]を採用するが、同線内のみの乗車はできないため、小田急線からは降車のみ、小田急線へは乗車のみの扱いとなる。 |
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=== 歴代運用車両 === |
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この直通運転については、両社は[[2005年]][[5月17日]]付で2008年春に開始することについて合意したと発表しており(この時点では、平日は[[湯島駅]]からで通勤列車、土曜・休日は新宿駅 - 箱根湯本駅間の観光特急として運用することとしていた)<ref>[http://www.tokyometro.jp/news/2005/2005-m07.html 小田急ロマンスカーの東京メトロ千代田線への乗り入れについて] - 東京地下鉄、2005年5月17日付</ref>、小田急側で |
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==== 特急専用車 ==== |
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[[地下鉄対応車両]]を導入することとしていた(→[[小田急60000形電車|60000形「MSE」]])。 |
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; [[小田急1900形電車|1910形→2000形]] :1949年に登場した、分離発足後初の新車<ref name="arc1-61"/>。6両が特急車両として登場した「初代小田急ロマンスカー」<ref name="rp491-10"/>であるが、1952年を最後に特急運用からは外れた<ref name="arc1-61"/>。 |
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; [[小田急1700形電車|1700形]] :1951年に登場した、初の特急専用車である<ref name="arc1-59"/>。1957年に特急運用から外れた<ref name="arc1-59"/>。 |
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; [[小田急2300形電車|2300形]] :後述するSE車が登場するまでの「つなぎ役」として1955年に登場<ref name="rp405-108"/>、1959年に特急運用から外れた<ref name="rp405-109"/>。 |
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; [[小田急キハ5000形気動車|キハ5000形]] :1955年に登場<ref name="2005-106"/>、1968年の御殿場線電化により運用から外れる<ref name="rp679-130"/>。 |
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; [[小田急3000形電車 (初代)|3000形(SE車)]] :1957年に登場した軽量高性能新特急車<ref name="1981-17"/>。1968年には編成短縮の上御殿場線直通にも使用されるようになり<ref name="rp546-162"/>、1991年に運用から外れた<ref name="rp829-183"/>。第1回ブルーリボン賞受賞車両<ref name="1981-116"/>。 |
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; [[小田急3100形電車|3100形(NSE車)]] :前面展望席を設けて1963年に登場<ref name="rp491-14"/>、1999年まで運用された<ref name="rp829-291"/>。第7回ブルーリボン賞受賞車両<ref name="korotan296"/>。 |
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; [[小田急7000形電車|7000形(LSE車)]] :1980年に登場<ref name="rf422-38"/>。第24回ブルーリボン賞受賞車両<ref name="1985-2-8"/> |
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; [[小田急10000形電車|10000形(HiSE車)]] :展望席以外を高床化して1987年に登場<ref name="rp491-15"/>。2012年に運用から外れた<ref name="rj548-50"/>。第31回ブルーリボン賞受賞車両<ref name="1988-33"/>。 |
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; [[小田急20000形電車|20000形(RSE車)]] :御殿場線直通用として1991年に登場<ref name="rp546-196"/>。2012年に運用から外れた<ref name="rj548-50"/>。第35回ブルーリボン賞受賞車両<ref name="rp829-277"/>。 |
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; [[小田急30000形電車|30000形(EXE車)]] :1996年に登場、初めて分割併合に対応した<ref name="rf421-55"/>。 |
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; [[小田急50000形電車|50000形(VSE車)]] :前面展望席と連接構造を復活させて2005年に登場<ref name="2005-25"/>。第49回ブルーリボン賞受賞車両<ref name="rp829-283"/>。 |
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; [[小田急60000形電車|60000形(MSE車)]] :日本初の地下鉄直通有料特急用として2008年に登場<ref name="rp829-285"/>。第52回ブルーリボン賞受賞車両<ref name="rp829-285"/>。 |
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==== 一般車両 ==== |
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この背景として、[[2000年]]より観光シーズンに[[綾瀬駅]] - [[箱根湯本駅]]・[[片瀬江ノ島駅]]間で運転している臨時急行列車の利用状況が良好であったことや、小田急線と千代田線との接続駅である[[代々木上原駅]]に新宿発着の特急列車が停車せず、同線沿線から小田急線方面へ向かう客への着席サービスが図られていない点を改めると共に、新宿駅へのアクセスにやや難のあった城東・東葛地域や埼玉県東部・茨城県からの新規需要を開拓しようという意図があるものとみられる。 |
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; [[小田急1600形電車|1600形]] :1948年に6両が戦後初の特急として運用された<ref name="1994-57"/>。乗車には特急料金が必要だった<ref name="1994-56"/>。 |
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; [[小田急2400形電車|2400形(HE車)]] : 1965年前後の数年間<ref name="dj145-55"/>、特急需要のピーク時や検査入場時などに特急車両が不足するため<ref name="dj145-55"/>、一部の「えのしま」に運用された<ref name="dj145-55"/>。特急料金不要ではあるが座席定員制で<ref name="dj145-55"/>、「サービス特急」と呼ばれた<ref name="dj145-55"/><ref group="注釈">1965年に小田急が発行した夏季時刻表では、下り・上りとも「第3えのしま」「第4えのしま」が座席定員制・特急料金不要のサービス特急として記載されている([[#パンフa2|『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.151]])。</ref>。 |
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; [[小田急8000形電車|8000形]] :1987年1月、NSE車とLSE車が各1編成ずつ工場に入場していた時期に、踏切事故によりSE車が1編成使用不能になった<ref name="rp478-107">[[#RP478|『鉄道ピクトリアル』通巻478号 p.107]]</ref>ため、本来はSE車が運用される「さがみ」の一部列車に運用された<ref name="rp478-107"/><ref group="注釈" name="代走8000">この時は種別幕は「臨時」と表示し、特急料金は不要だった([[#RP478|『鉄道ピクトリアル』通巻478号 p.107]])。</ref>。 |
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==== 他社からの乗り入れ ==== |
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なお、この列車は日本の地下鉄路線<ref>狭義の「地下鉄」。東京地下鉄の前身の[[帝都高速度交通営団]](営団地下鉄)は[[特殊法人]]で、「郊外鉄道の延長」として国鉄・私鉄の建設した「地下線」とは意味合いが異なる。[[日本の地下鉄]]を参照のこと。</ref>では初めて<!--定期列車として。臨時列車では無料の整理券を発行したケースもあるため-->有料の特急券を要する列車となる。<!--東京地下鉄としても「[[特別急行券|特急料金]]」という[[運賃]]収入とは別の収入を得ることができることとなる。--> |
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; [[JR東海371系電車|JR東海371系]] :1991年から小田急に乗り入れ開始<ref name="2005-56"/>。2012年に運用から外れた<ref name="rj548-50"/>。 |
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== 年表 == |
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* 各車両編成の就役日などは、各車両形式の歴史の項を参照のこと。 |
* 各車両編成の就役日などは、各車両形式の歴史の項を参照のこと。 |
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=== SE車導入まで(1957年以前) === |
=== SE車導入まで(1957年以前) === |
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* [[1935年]]([[昭和]]10年)[[6月1日]]、土曜・休日に限り新宿駅 - 小田原駅間無停車の「週末温泉列車」の運転開始。[[ムーランルージュ新宿座]]の看板女優・明日待子が吹き込んだレコードで、沿線案内を行 |
* [[1935年]]([[昭和]]10年)[[6月1日]]、土曜・休日に限り新宿駅 - 小田原駅間無停車の「週末温泉列車」の運転開始。[[ムーランルージュ新宿座]]の看板女優・明日待子が吹き込んだレコードで、沿線案内を行う準備をした<ref name="1994-54"/>。 |
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* [[1942年]](昭和17年)[[1月]]、[[太平洋戦争]]の激化に伴い「週末温泉列車」の運行休止。 |
* [[1942年]](昭和17年)[[1月]]、[[太平洋戦争]]の激化に伴い「週末温泉列車」の運行休止<ref name="1994-140"/>。 |
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* [[1948年]](昭和23年) |
* [[1948年]](昭和23年) |
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** [[8月13日]]・[[8月27日|27日]]、特急の試運転を実施。13日は[[小田急1800形電車|1805+1853]]の2両編成が、27日は[[小田急1600形電車|1601+1607]]の2両編成が新宿駅 - 小田原駅間を95分20秒で走破。 |
** [[8月13日]]・[[8月27日|27日]]、特急の試運転を実施。13日は[[小田急1800形電車|1805+1853]]の2両編成が、27日は[[小田急1600形電車|1601+1607]]の2両編成が新宿駅 - 小田原駅間を95分20秒で走破<ref name="1994-140"/>。 |
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** [[10月16日]]、「戦災復興車」と称された1607+1651, 1601+1602, 1610+1315の3編成により新宿駅 - 小田原駅間無停車の特急を土曜・休日に限り運転開始。同日より特別急行料金制度(新宿駅 - 小田原駅50円)を制定。当初同月9日からの運転開始だったが、同月7日に「[[リビー台風]]」が箱根地方を直撃したため延期された。 |
** [[10月16日]]、「戦災復興車」と称された1607+1651, 1601+1602, 1610+1315の3編成により新宿駅 - 小田原駅間無停車の特急を土曜・休日に限り運転開始<ref name="1988-118"/>。同日より特別急行料金制度(新宿駅 - 小田原駅50円)を制定。当初同月9日からの運転開始だったが、同月7日に「[[リビー台風]]」が箱根地方を直撃したため延期された<ref name="1994-58"/>。 |
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[[ファイル:OER-SE3000-inside-buffet.jpg|240px|thumb|right|3000形「SE」車内にある「走る喫茶室」カウンター]] |
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* [[1949年]](昭和24年) |
* [[1949年]](昭和24年) |
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** [[9月17日]]、[[小田急1900形電車|1910形]]就役。同時に「[[走る喫茶室]]」のサービスの開始。 |
** [[9月17日]]、[[小田急1900形電車|1910形]]就役<ref name="1994-60"/>。同時に「[[走る喫茶室]]」のサービスの開始<ref name="rf422-31"/>。 |
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** [[10月1日]]、新宿駅 - 小田原駅間の特急が毎日運行となる。 |
** [[10月1日]]、新宿駅 - 小田原駅間の特急が毎日運行となる<ref name="rf422-31"/>。 |
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* [[1950年]](昭和25年)[[8月1日]]、[[箱根登山鉄道鉄道線|箱根登山線]][[箱根湯本駅]]まで乗り入れ開始 |
* [[1950年]](昭和25年)[[8月1日]]、[[箱根登山鉄道鉄道線|箱根登山線]][[箱根湯本駅]]まで乗り入れ開始<ref name="2011-61"/><ref group="注釈">ただし、乗り入れに際しての協定により同線内は料金を徴収しないが乗車が禁じられていた。</ref>。 |
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* [[1951年]](昭和26年) |
* [[1951年]](昭和26年) |
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** [[2月1日]]、[[鉄道車両の座席|ロマンスシート]]<!--ロマンスシートはロマンスカーへのリダイレクトになっている関係でこのようにしてあります。-->装備の専用車である1700形が就役。 |
** [[2月1日]]、[[鉄道車両の座席|ロマンスシート]]<!--ロマンスシートはロマンスカーへのリダイレクトになっている関係でこのようにしてあります。-->装備の専用車である1700形が就役<ref name="1994-140"/>。 |
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** [[7月]]、新宿駅 - 片瀬江ノ島駅間で納涼[[ビール]]列車「すず風号」「いそ風号」の運転開始。 |
** [[7月]]、新宿駅 - 片瀬江ノ島駅間で納涼[[ビール]]列車「すず風号」「いそ風号」の運転開始<ref name="1994-62"/>。 |
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** [[8月20日]]、座席指定制度を導入<ref name="1994-140"/>。 |
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** [[8月20日]]、座席指定制度を導入。<!--日本の私鉄では、史上初の制度であった。--><!--座席指定制度の導入は1949年6月25日より実施の近鉄大阪・名古屋線特急(クロスシート部のみ)の方が明らかに先です。--> |
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* [[1953年]](昭和28年)7月、小田急ロマンスカーのシンボルマークとして「白百合」のマークが1700形に取り付けられる。 |
* [[1953年]](昭和28年)7月、小田急ロマンスカーのシンボルマークとして「白百合」のマークが1700形に取り付けられる<ref name="1994-62"/>。 |
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* [[1954年]](昭和29年)[[7月13日]]、江ノ島線に特急料金を制定。 |
* [[1954年]](昭和29年)[[7月13日]]、江ノ島線に特急料金を制定<ref name="1994-63"/>。 |
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* [[1955年]](昭和30年) |
* [[1955年]](昭和30年) |
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** [[4月1日]]、[[小田急2300形電車|2300形]]就役。 |
** [[4月1日]]、[[小田急2300形電車|2300形]]就役<ref name="arc1-64"/>。 |
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** 10月1日、[[日本国有鉄道]][[御殿場線]][[御殿場駅]]まで乗り入れ開始。これに充当するためキハ5000形気動車が就役。同時に連絡準急行料金(新宿駅 - 御殿場駅間70円)制定。 |
** 10月1日、[[日本国有鉄道]][[御殿場線]][[御殿場駅]]まで乗り入れ開始。これに充当するためキハ5000形気動車が就役<ref name="rf422-32"/>。同時に連絡準急行料金(新宿駅 - 御殿場駅間70円)制定。 |
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=== SE・NSE時代(1957年 - 1980年) === |
=== SE・NSE時代(1957年 - 1980年) === |
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* [[1957年]](昭和32年) |
* [[1957年]](昭和32年) |
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** [[6月27日]]、3000形「SE」展示会を実施。 |
** [[6月27日]]、3000形「SE」展示会を実施<ref name="arc1-65"/>。 |
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** [[7月6日]]、3000形「SE」就役。 |
** [[7月6日]]、3000形「SE」就役<ref name="arc1-65"/>。 |
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** [[9月20日]] - [[9月28日|28日]]、3000形「SE」が[[日本国有鉄道]](国鉄)へ貸し出されて高速走行実験を実施。中でも27日には[[東海道本線]][[函南駅]] - [[沼津駅]]間で当時の狭軌世界最高速度である145km/hを樹立している。 |
** [[9月20日]] - [[9月28日|28日]]、3000形「SE」が[[日本国有鉄道]](国鉄)へ貸し出されて高速走行実験を実施<ref name="1981-17"/>。中でも27日には[[東海道本線]][[函南駅]] - [[沼津駅]]間で当時の狭軌世界最高速度である145km/hを樹立している<ref name="dj145-54"/>。 |
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* [[1958年]](昭和33年)[[1月29日]]、3000形「SE」が1958年第1回[[鉄道友の会]][[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]を受賞。 |
* [[1958年]](昭和33年)[[1月29日]]、3000形「SE」が1958年第1回[[鉄道友の会]][[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]を受賞<ref name="1988-121"/>。 |
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* [[1963年]](昭和38年) |
* [[1963年]](昭和38年) |
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** [[3月3日]]、3000形「SE」による臨時[[アイススケート|スケート]]特急「白銀号」を運行。 |
** [[3月3日]]、3000形「SE」による臨時[[アイススケート|スケート]]特急「白銀号」を運行。 |
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** [[3月16日]]、小田急ロマンスカー史上初の展望席設置列車として3100形「NSE」就役<ref name="1994-141"/>。またこれに先立ち同月[[3月13日|13日]] - [[3月15日|15日]]には展示会を実施<ref name="1994-141"/>。 |
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** [[3月16日]]、3100形「NSE」就役。 |
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** 春、[[小田急百貨店]]の夏の商戦の一環として3100形「NSE」車内にて[[水着]]ショーを実施<ref name="2005-98"/>。 |
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** 小田急ロマンスカー史上初の展望席設置列車が登場。またこれに先立ち同月[[3月13日|13日]] - [[3月15日|15日]]には展示会を実施。 |
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** [[11月]]、3000形・3100形とも小田原線内の営業最高速度を110km/hに引き上げるダイヤ改正を実施。新宿駅 - 小田原駅間は最速62分となる<ref name="2005-98"/><ref group="注釈" name="最速62分"/>。 |
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** 春、[[小田急百貨店]]の夏の商戦の一環として3100形「NSE」車内にて[[水着]]ショーを実施。 |
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** [[11月]]、3000形・3100形とも小田原線内の営業最高速度を110km/hに引き上げるダイヤ改正を実施。新宿駅 - 小田原駅間は最速62分となる。<ref>これが新宿 - 小田原間所要時間の最短記録であり、以降はダイヤ過密化から所要時間が増加している。一部区間の複々線化が完成した2011年時点の最速所要時間は66分であり、1963年当時の水準に達していない。</ref> |
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* [[1964年]](昭和39年) |
* [[1964年]](昭和39年) |
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** [[1月17日]]・[[1月26日|26日]]、[[皇太子]][[明仁|明仁親王]]・同妃[[皇后美智子|美智子]](現在の[[今上天皇]]・[[皇后]])が新宿駅 - 箱根湯本駅間を往復乗車。 |
** [[1月17日]]・[[1月26日|26日]]、[[皇太子]][[明仁|明仁親王]]・同妃[[皇后美智子|美智子]](現在の[[今上天皇]]・[[皇后]])が新宿駅 - 箱根湯本駅間を往復乗車。 |
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** [[2月17日]] - [[2月21日|21日]]・[[2月24日|24日]] - [[2月28日|28日]]・[[3月2日]] - [[3月6日|6日]]、3100形「NSE」が6両編成にて運行される(通常は11両編成)。 |
** [[2月17日]] - [[2月21日|21日]]・[[2月24日|24日]] - [[2月28日|28日]]・[[3月2日]] - [[3月6日|6日]]、3100形「NSE」が6両編成にて運行される(通常は11両編成)<ref name="1994-141"/>。 |
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** [[3月20日]]、新宿駅 - 片瀬江ノ島駅間で「えのしま」が休日に限り定期運行を開始(途中停車駅は藤沢)。 |
** [[3月20日]]、新宿駅 - 片瀬江ノ島駅間で「えのしま」が休日に限り定期運行を開始(途中停車駅は藤沢)<ref name="rp405-21"/>。 |
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** [[7月10日]]、3100形「NSE」が1964年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。 |
** [[7月10日]]、3100形「NSE」が1964年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞<ref name="1994-141"/>。 |
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* [[1965年]](昭和40年)[[3月1日]]、「えのしま」の毎日運転開始。 |
* [[1965年]](昭和40年)[[3月1日]]、「えのしま」の毎日運転開始<ref name="rp405-21"/>。 |
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* [[1966年]](昭和41年) |
* [[1966年]](昭和41年) |
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** [[4月1日]]、すべての特別急行列車の列車無線使用開始。 |
** [[4月1日]]、すべての特別急行列車の列車無線使用開始<ref name="1994-141"/>。 |
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** 6月1日、新宿駅 - 箱根湯本駅間で「さがみ」運転開始(途中停車駅は向ヶ丘遊園・新松田・小田原)。同時に新宿駅 - 小田原駅間無停車の特急に対して「はこね」と名付けられる。 |
** 6月1日、新宿駅 - 箱根湯本駅間で「さがみ」運転開始(途中停車駅は向ヶ丘遊園・新松田・小田原)<ref name="rp405-21"/>。同時に新宿駅 - 小田原駅間無停車の特急に対して「はこね」と名付けられる<ref name="rp405-21"/>。 |
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* [[1967年]](昭和42年) |
* [[1967年]](昭和42年) |
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** [[6月23日]]、特急列車に定期券による乗車を認める。 |
** [[6月23日]]、特急列車に定期券による乗車を認める<ref name="1994-141"/>。 |
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** [[7月2日]]、3000形「SE」の御殿場線乗り入れ用の5両編成化工事実施( - 1968年3月29日)。 |
** [[7月2日]]、3000形「SE」の御殿場線乗り入れ用の5両編成化工事実施( - 1968年3月29日)<ref name="rp491-18"/>。 |
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** 10月1日、新宿駅 - 箱根湯本駅間で「あしがら」運転開始(途中停車駅は新原町田〈現・町田〉・小田原)。 |
** 10月1日、新宿駅 - 箱根湯本駅間で「あしがら」運転開始(途中停車駅は新原町田〈現・町田〉・小田原)<ref name="rp405-22"/>。 |
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[[ファイル:ODAKYU-ROMANCECAR-SSE-3000.jpg|240px|thumb|right|「あさぎり」の運用に就く3000形「SSE」]] |
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* [[1968年]](昭和43年) |
* [[1968年]](昭和43年) |
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** [[6月3日]]、特急料金に小児制度が制定される。 |
** [[6月3日]]、特急料金に小児制度が制定される<ref name="rp405-164"/>。 |
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** [[6月30日]]、御殿場線の電化に伴いキハ5000形・5100形による連絡準急行廃止。不要となった両形式は[[関東鉄道]]へ売却。 |
** [[6月30日]]、御殿場線の電化に伴いキハ5000形・5100形による連絡準急行廃止<ref name="rp679-130"/>。不要となった両形式は[[関東鉄道]]へ売却<ref name="rp546-162"/>。 |
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** [[7月1日]]、3000形「SSE」による御殿場線直通の運転開始。同時に列車種別が「連絡準急行」から「連絡急行」となり、連絡急行料金制度を制定し、連絡準急行料金廃止。 |
** [[7月1日]]、3000形「SSE」による御殿場線直通の運転開始<ref name="rp405-22"/>。同時に列車種別が「連絡準急行」から「連絡急行」となり、連絡急行料金制度を制定し、連絡準急行料金廃止。 |
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* [[1969年]](昭和44年)[[1月1日]]、新宿駅 - 新原町田駅で臨時特急「初詣号」が1往復運行される(途中停車駅は参宮橋と向ヶ丘遊園)。以後、毎年初詣客向けの特急が運行されるようになる。 |
* [[1969年]](昭和44年)[[1月1日]]、新宿駅 - 新原町田駅で臨時特急「初詣号」が1往復運行される(途中停車駅は参宮橋と向ヶ丘遊園)<ref name="rf422-29"/>。以後、毎年初詣客向けの特急が運行されるようになる。 |
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* [[1972年]](昭和47年)[[8月24日]]、沿線に居住していた[[イギリス|英国]]人[[教師]]より「 |
* [[1972年]](昭和47年)[[8月24日]]、沿線に居住していた[[イギリス|英国]]人[[教師]]より「補助警報音は[[騒音]][[公害]]源である」とする抗議を受け、相模大野駅以東での使用が禁止となる。 |
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* [[1979年]](昭和54年)[[2月27日]]、特急券の座席予約・販売にオンラインシステムを導入。 |
* [[1979年]](昭和54年)[[2月27日]]、特急券の座席予約・販売にオンラインシステムを導入<ref name="rp405-105"/>。 |
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=== LSE・HiSE時代(1980年 - 1991年) === |
=== LSE・HiSE時代(1980年 - 1991年) === |
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[[ファイル:Odakyu LSE 7000.jpg|thumb|箱根に向かうLSE車]] |
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* [[1980年]](昭和55年) |
* [[1980年]](昭和55年) |
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** [[12月25日]]、7000形「LSE」完成記念列車が運行される。 |
** [[12月25日]]、7000形「LSE」完成記念列車が運行される。 |
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** [[12月27日]]、7000形「LSE」第1編成 (7001F) 就役。 |
** [[12月27日]]、7000形「LSE」第1編成 (7001F) 就役<ref name="2005-141"/>。 |
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* [[1981年]](昭和56年) |
* [[1981年]](昭和56年) |
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** [[TBSテレビ|TBS]]で『[[思い出づくり]]』というロマンスカー・スチュワーデスを主人公とした[[テレビドラマ]]が放映される。 |
** [[TBSテレビ|TBS]]で『[[思い出づくり]]』というロマンスカー・スチュワーデスを主人公とした[[テレビドラマ]]が放映される<ref name="rp405-168"/>。 |
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** [[3月29日]]、「鉄道友の会 主催新型ロマンスカー試乗会」が7000形「LSE」を使って海老名→小田原→新宿間で運行される。 |
** [[3月29日]]、「鉄道友の会 主催新型ロマンスカー試乗会」が7000形「LSE」を使って海老名→小田原→新宿間で運行される。 |
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** [[6月15日]]、[[エフエム東京|FM東京]]主催・[[資生堂]]提供の団体列車「ORANGE EXPRESS」が7000形「LSE」第1編成(7001F)にて運行される。 |
** [[6月15日]]、[[エフエム東京|FM東京]]主催・[[資生堂]]提供の団体列車「ORANGE EXPRESS」が7000形「LSE」第1編成(7001F)にて運行される。 |
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** [[9月13日]]、7000形「LSE」が1981年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。 |
** [[9月13日]]、7000形「LSE」が1981年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞<ref name="1994-141"/>。 |
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* [[1982年]](昭和57年) |
* [[1982年]](昭和57年) |
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** [[7月25日]]、[[向ヶ丘遊園]]でのイベントの関連企画として新宿駅 - 向ヶ丘遊園駅間で[[伊藤つかさ]]が車掌となって乗車する団体列車「你好(ニーハオ)つかさ号」が3000形「SSE」にて運行される。 |
** [[7月25日]]、[[向ヶ丘遊園]]でのイベントの関連企画として新宿駅 - 向ヶ丘遊園駅間で[[伊藤つかさ]]が車掌となって乗車する団体列車「你好(ニーハオ)つかさ号」が3000形「SSE」にて運行される。 |
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** [[12月8日]] - [[12月15日|15日]]、日本国有鉄道の「新型特急車両開発計画」の一環として7000形「LSE」第2編成(7002F)が小田急から国鉄に貸し出され、東海道本線[[大船駅]] - [[熱海駅]]間で試験走行を実施。 |
** [[12月8日]] - [[12月15日|15日]]、日本国有鉄道の「新型特急車両開発計画」の一環として7000形「LSE」第2編成(7002F)が小田急から国鉄に貸し出され、東海道本線[[大船駅]] - [[熱海駅]]間で試験走行を実施<ref name="1985-123"/>。 |
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* [[1983年]](昭和58年) |
* [[1983年]](昭和58年) |
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** [[3月30日]]、3000形「SSE」第1編成 (3001F) が大井川鉄道(現・[[大井川鐵道]])へ譲渡(1989年5月廃車)。 |
** [[3月30日]]、3000形「SSE」第1編成 (3001F) が大井川鉄道(現・[[大井川鐵道]])へ譲渡(1989年5月廃車)<ref name="1985-2-28"/>。 |
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** 7月、新宿駅 - 片瀬江ノ島駅間で団体列車「め組EXPRESS」が3000形「SSE」にて運行される。 |
** 7月、新宿駅 - 片瀬江ノ島駅間で団体列車「め組EXPRESS」が3000形「SSE」にて運行される。 |
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* [[1984年]](昭和59年) |
* [[1984年]](昭和59年) |
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** [[3月25日]]、臨時団体列車「小田急箱根クイズラリー号」が運転される。 |
** [[3月25日]]、臨時団体列車「小田急箱根クイズラリー号」が運転される。 |
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** [[8月9日]]、3000形「SSE」車体修繕工事実施( - 1985年3月27日)。 |
** [[8月9日]]、3000形「SSE」車体修繕工事実施( - 1985年3月27日)<ref name="rp546-191"/>。 |
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** 12月25日 - 3100形「NSE」車体修繕工事実施( - 1988年10月20日)。 |
** 12月25日 - 3100形「NSE」車体修繕工事実施( - 1988年10月20日)<ref name="rp491-21"/>。 |
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* [[1986年]](昭和61年)[[10月4日]]、7000形「LSE」車内に車内電話が設置される。 |
* [[1986年]](昭和61年)[[10月4日]]、7000形「LSE」車内に車内電話が設置される<ref name="rp491-46"/>。 |
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* [[1987年]](昭和62年) |
* [[1987年]](昭和62年) |
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** [[2月]]ごろ、7000形「LSE」が事故に遭遇した影響でロマンスカーの車両数が不足し、急遽通勤形車両([[小田急8000形電車|8000形]])が特急として運行される |
** [[2月]]ごろ、7000形「LSE」が事故に遭遇した影響でロマンスカーの車両数が不足し、急遽通勤形車両([[小田急8000形電車|8000形]])が特急として運行される<ref name="rp478-107"/><ref group="注釈" name="代走8000"/>。 |
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** 7月1日、すべてのロマンスカーの1 - 3号車に[[禁煙車]]が設置される(小田急ロマンスカー史上初の禁煙席の登場)。 |
** 7月1日、すべてのロマンスカーの1 - 3号車に[[禁煙車]]が設置される(小田急ロマンスカー史上初の禁煙席の登場)<ref name="1994-141"/>。 |
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[[ファイル:Odakyu HISE 10000.jpg|thumb|HiSE車]] |
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** [[12月23日]]、10000形「HiSE」就役。 |
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** [[12月23日]]、10000形「HiSE」就役<ref name="1994-141"/>。 |
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* [[1988年]](昭和63年) |
* [[1988年]](昭和63年) |
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** 1月1日、10000形「HiSE」で運行された「初詣号」で「[[走る喫茶室]]」のサービスが行われる(「初詣号」での「走る喫茶室」のサービスはこの回限り)。 |
** 1月1日、10000形「HiSE」で運行された「初詣号」で「[[走る喫茶室]]」のサービスが行われる(「初詣号」での「走る喫茶室」のサービスはこの回限り)。 |
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** [[9月11日]]、10000形「HiSE」が1988年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。同時に新宿→小田急多摩センター間にて受賞記念列車運行。 |
** [[9月11日]]、10000形「HiSE」が1988年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞<ref name="1994-141"/>。同時に新宿→小田急多摩センター間にて受賞記念列車運行。 |
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* [[1990年]]([[平成]]2年) |
* [[1990年]]([[平成]]2年) |
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** [[4月]] - [[5月]]、多摩線開業15周年を記念し、臨時列車「江ノ島・鎌倉エクスプレス」が唐木田駅 - 新百合ヶ丘駅 - 片瀬江ノ島駅間で運行される。 |
** [[4月]] - [[5月]]、多摩線開業15周年を記念し、臨時列車「江ノ島・鎌倉エクスプレス」が唐木田駅 - 新百合ヶ丘駅 - 片瀬江ノ島駅間で運行される<ref name="rf422-29"/>。 |
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** 7月 - [[8月]]には同区間で臨時列車「湘南マリンエクスプレス」が運行される。 |
** 7月 - [[8月]]には同区間で臨時列車「湘南マリンエクスプレス」が運行される<ref name="rf422-29"/>。 |
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* [[1991年]](平成3年)[[3月15日]]、3000形「SSE」の定期運用から |
* [[1991年]](平成3年)[[3月15日]]、この日限りで3000形「SSE」の定期運用から離脱<ref name="1994-141"/>、新宿駅にて記念式典挙行。連絡急行料金廃止。 |
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=== RSE・EXE時代(1991年 - 2005年) === |
=== RSE・EXE時代(1991年 - 2005年) === |
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[[ファイル:Limited Express Asagiri.jpg|thumb|RSE車と371系「あさぎり」]] |
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* 1991年(平成3年) |
* 1991年(平成3年) |
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** 3月16日、20000形「RSE」・JR東海371系就役。「あさぎり」が連絡急行から特急に格上げ、運転区間を沼津駅まで延長。特別席"スーパーシート・グリーン車"が設置される。同時に特別席(スーパーシート・グリーン車)料金制定。同日、ORS([[小田急レストランシステム]])とジェイダイナー東海(現・[[ジェイアール東海パッセンジャーズ]])が車内販売のサービスを開始する。 |
** 3月16日、20000形「RSE」・JR東海371系就役<ref name="2005-51"/>。「あさぎり」が連絡急行から特急に格上げ、運転区間を沼津駅まで延長<ref name="rp546-155"/>。特別席"スーパーシート・グリーン車"が設置される。同時に特別席(スーパーシート・グリーン車)料金制定。同日、ORS([[小田急レストランシステム]])とジェイダイナー東海(現・[[ジェイアール東海パッセンジャーズ]])が車内販売のサービスを開始する。 |
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** 7月、臨時列車「ビア・エクスプレス納涼号」が運行される。 |
** 7月、臨時列車「ビア・エクスプレス納涼号」が運行される。 |
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* [[1992年]](平成4年) |
* [[1992年]](平成4年) |
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** [[3月8日]]、新宿駅→唐木田駅間で「さようなら3000形走行会」実施。 |
** [[3月8日]]、新宿駅→唐木田駅間で「さようなら3000形走行会」実施<ref name="rp829-183"/>。 |
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** 3月25日、上記の同区間で臨時列車「サンリオピューロランド号」が運行される。 |
** 3月25日、上記の同区間で臨時列車「サンリオピューロランド号」が運行される。 |
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** [[3月31日]]、3000形「SSE」全廃。全廃時には「小田急メモリアル」というイベントが展開される。 |
** [[3月31日]]、3000形「SSE」全廃<ref name="1994-141"/>。全廃時には「小田急メモリアル」というイベントが展開される。 |
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** 6月、臨時列車「あじさい号」が運行される。 |
** 6月、臨時列車「あじさい号」が運行される。 |
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** [[8月29日]]、20000形「RSE」が1992年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。同時に新宿→唐木田間にて受賞記念列車運行。 |
** [[8月29日]]、20000形「RSE」が1992年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞<ref name="1994-141"/>。同時に新宿→唐木田間にて受賞記念列車運行。 |
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** [[10月3日]]、第9回[[全国緑化かながわフェア]]の開催を記念し、臨時列車「グリーンウェーブ相模原号」が7000形「LSE」で運行される。 |
** [[10月3日]]、第9回[[全国緑化かながわフェア]]の開催を記念し、臨時列車「グリーンウェーブ相模原号」が7000形「LSE」で運行される。 |
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** [[10月25日]]、団体列車「カントリーインアサギリ号」が20000形「RSE」にて新宿駅 - (御殿場線・東海道本線経由) - [[身延線]][[富士宮駅]]間で運行される。 |
** [[10月25日]]、団体列車「カントリーインアサギリ号」が20000形「RSE」にて新宿駅 - (御殿場線・東海道本線経由) - [[身延線]][[富士宮駅]]間で運行される<ref name="rp829-279"/>。 |
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** [[11月10日]]、大野工場に3000形「SSE」の記念モニュメントを設置。 |
** [[11月10日]]、大野工場に3000形「SSE」の記念モニュメントを設置<ref name="1994-141"/>。 |
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* [[1993年]](平成5年) |
* [[1993年]](平成5年) |
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** [[3月9日]] 3000形「SSE」第3編成 (3021F) を大野工場にて[[静態保存]]向けの工事を実施。うち2両を竣工当時の「SE」仕様に復元。 |
** [[3月9日]] 3000形「SSE」第3編成 (3021F) を大野工場にて[[静態保存]]向けの工事を実施。うち2両を竣工当時の「SE」仕様に復元<ref name="1994-141"/>。 |
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** 3月16日、静態保存用工事を実施した3000形「SSE」第3編成 (3021F) を海老名車両基地に回送。 |
** 3月16日、静態保存用工事を実施した3000形「SSE」第3編成 (3021F) を海老名車両基地に回送<ref name="1994-141"/>。 |
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** 3月20日、3000形「SSE」第3編成(3021F)を海老名車両基地内の保管庫へ搬送、永久保存へ。 |
** 3月20日、3000形「SSE」第3編成(3021F)を海老名車両基地内の保管庫へ搬送、永久保存へ<ref name="1994-141"/>。 |
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** [[3月28日]]、日東紅茶([[三井農林]])が小田急ロマンスカーの「[[走る喫茶室]]」のサービスから撤退。同日鉄道友の会30周年記念行事として3100形「NSE」が小田急多摩センター駅4番ホームに展示される。同時に[[多摩センター駅|京王多摩センター駅]]1番線に京王帝都電鉄(現・[[京王電鉄]])[[京王5000系電車|5000系]]が展示され、両社の名車が並んで展示された<ref>当時小田急多摩センター駅の4番ホームと京王多摩センター駅の1番線は並行していたが、2007年に小田急多摩センター駅の4番ホームが撤去されたため現在は並行していない。</ref>。 |
** [[3月28日]]、日東紅茶([[三井農林]])が小田急ロマンスカーの「[[走る喫茶室]]」のサービスから撤退。同日鉄道友の会30周年記念行事として3100形「NSE」が小田急多摩センター駅4番ホームに展示される。同時に[[多摩センター駅|京王多摩センター駅]]1番線に京王帝都電鉄(現・[[京王電鉄]])[[京王5000系電車|5000系]]が展示され、両社の名車が並んで展示された<ref group="注釈">当時小田急多摩センター駅の4番ホームと京王多摩センター駅の1番線は並行していたが、2007年に小田急多摩センター駅の4番ホームが撤去されたため現在は並行していない。</ref>。 |
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* [[1995年]](平成7年)[[3月4日]]、一部の「あしがら」が本厚木駅への停車開始。 |
* [[1995年]](平成7年)[[3月4日]]、一部の「あしがら」が本厚木駅への停車開始。 |
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* 1995年(平成7年) |
* 1995年(平成7年) |
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** 7000形「LSE」にリニューアル工事が施される( - 1997年)。 |
** 7000形「LSE」にリニューアル工事が施される( - 1997年)<ref name="rp829-274"/>。 |
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** [[3月26日]]、[[森永製菓|森永]]が小田急ロマンスカーの「走る喫茶室」のサービスから撤退する。これにより、小田急ロマンスカーの伝統であった「走る喫茶室」のサービスが廃止となる。 |
** [[3月26日]]、[[森永製菓|森永]]が小田急ロマンスカーの「走る喫茶室」のサービスから撤退する。これにより、小田急ロマンスカーの伝統であった「走る喫茶室」のサービスが廃止となる<ref name="2011-230"/>。 |
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[[ファイル:Odakyu Erectric Railway 30000.jpg|thumb|1996年から運用開始したEXE車]] |
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* [[1996年]](平成8年)[[3月23日]]、30000形「EXE」就役。「はこね」のほとんどの列車が町田駅に停車するようになったため、町田駅に停車しない「はこね」を「スーパーはこね」に改称。30000形「EXE」就役により一部の「はこね」「あしがら」と「えのしま」の併結運転が開始。「えのしま」が大和駅への停車を開始。 |
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* [[1996年]](平成8年)[[3月23日]]、30000形「EXE」就役<ref name="dj145-31"/>。「はこね」のほとんどの列車が町田駅に停車するようになったため、町田駅に停車しない「はこね」を「スーパーはこね」に改称。30000形「EXE」就役により一部の「はこね」「あしがら」と「えのしま」の併結運転が開始。「えのしま」が大和駅への停車を開始<ref name="dj145-47"/>。 |
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[[ファイル:Odakyu Yume70 1.jpg|240px|thumb|right|3100形「ゆめ70」]] |
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* [[1997年]](平成9年)、小田原線開業70周年を記念し、3100形「NSE」第4編成 (3161F) を改造した「ゆめ70」が運転開始。 |
* [[1997年]](平成9年)、小田原線開業70周年を記念し、3100形「NSE」第4編成 (3161F) を改造した「ゆめ70」が運転開始<ref name="2005-101"/>。 |
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* [[1999年]](平成11年) |
* [[1999年]](平成11年) |
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** [[7月11日]]、相模大野駅 - 唐木田駅間にて「3100形NSEさよなら走行会」を実施。 |
** [[7月11日]]、相模大野駅 - 唐木田駅間にて「3100形NSEさよなら走行会」を実施。 |
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** [[7月16日]]、3100形「NSE」が定期列車から撤退するにあたり、新宿駅と箱根湯本駅にて記念式典挙行。 |
** [[7月16日]]、3100形「NSE」が定期列車から撤退するにあたり、新宿駅と箱根湯本駅にて記念式典挙行<ref name="rp829-155"/>。 |
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** [[7月17日]]、「さがみ」「あしがら」の名称を廃止し、「サポート」「ホームウェイ」の列車愛称が登場。同日より特急列車の乗車口による検札を廃止。 |
** [[7月17日]]、「さがみ」「あしがら」の名称を廃止し、「サポート」「ホームウェイ」の列車愛称が登場<ref name="rp829-204"/>。同日より特急列車の乗車口による検札を廃止<ref name="rp679-25"/>。 |
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* [[2000年]](平成12年)[[4月23日]]、「ゆめ70 さよなら運転」実施。 |
* [[2000年]](平成12年)[[4月23日]]、「ゆめ70 さよなら運転」実施<ref name="rp829-291"/>。 |
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** [[4月26日]]、3100形NSE第4編成 (3161F) 「ゆめ70」廃車。これにより3100形「NSE」全廃。 |
** [[4月26日]]、3100形NSE第4編成 (3161F) 「ゆめ70」廃車。これにより3100形「NSE」全廃<ref name="rp829-291"/>。 |
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** [[12月2日]]、多摩線初の定期列車のロマンスカーとして、「ホームウェイ」登場。 |
** [[12月2日]]、多摩線初の定期列車のロマンスカーとして、「ホームウェイ」登場<ref name="rp829-206"/>。 |
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* [[2001年]](平成13年) |
* [[2001年]](平成13年) |
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[[ファイル:OER NSE3181 Kaisei Sta east 2.jpg|thumb|開成駅前にて静態保存されたNSE車]] |
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** [[4月24日]]、10000形「HiSE」の10041Fが「イタリアンエクスプレス」として運行され、イタリアの国旗をイメージした「赤・白・緑」のストライプを施した記念塗装となる( - 2002年3月)。 |
** 3100形「NSE」3181号車が開成駅前にて静態保存される<ref name="rp829-291"/>。 |
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** [[4月24日]]、10000形「HiSE」の10041Fが「イタリアンエクスプレス」として運行され、イタリアの国旗をイメージした「赤・白・緑」のストライプを施した記念塗装となる( - 2002年3月)<ref name="2005-132"/>。 |
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** [[7月8日]]、「ロマンスカー@クラブ」の予約開始。 |
** [[7月8日]]、「ロマンスカー@クラブ」の予約開始。 |
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** [[7月15日]]、特急券のチケットレスサービスが開始される。 |
** [[7月15日]]、特急券のチケットレスサービスが開始される<ref name="rp829-25"/>。 |
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** [[9月3日]]、3100形「NSE」の第7編成(3221F)が喜多見電車基地内にて静態保存される。 |
** [[9月3日]]、3100形「NSE」の第7編成(3221F)が喜多見電車基地内にて静態保存される<ref name="rp829-291"/>。 |
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** |
** 10月、「ロマンスカー@クラブPC」のサービス開始<ref name="rp829-26"/>。 |
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** [[12月31日]]、従来「初詣号」として運行されていた初詣客向け臨時特急の列車名を「ニューイヤーエクスプレス」に改称。 |
** [[12月31日]]、従来「初詣号」として運行されていた初詣客向け臨時特急の列車名を「ニューイヤーエクスプレス」に改称<ref name="rp829-218"/>。 |
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* [[2002年]](平成14年) |
* [[2002年]](平成14年) |
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** 2月1日、30000形「EXE」の1号車にて「@TRAIN」と題して小田急ロマンスカー車内で[[IPv6]]を用いた[[無線LAN]][[インターネット]]接続実験が行われる( - 3月31日)。 |
** 2月1日、30000形「EXE」の1号車にて「@TRAIN」と題して小田急ロマンスカー車内で[[IPv6]]を用いた[[無線LAN]][[インターネット]]接続実験が行われる( - 3月31日)<ref>{{cite conference |url=http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/283520/www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/joho_tsusin/joho_bukai/pdf/020412_1_4.pdf |title=無線LANを用いたモバイル・インターネットサービスの研究開発 平成13年度の活動について |author= ノキア・ジャパン|authorlink= |coauthors= |date=2002-04-12 |publisher= |booktitle= |page=7 |location= |id= }}</ref>。 |
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** 3月23日、特急料金の値下げ(10円 - 60円)が実施される。36キロ以上の特定料金は廃止。 |
** 3月23日、特急料金の値下げ(10円 - 60円)が実施される。36キロ以上の特定料金は廃止。 |
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** 小田急ロマンスカーの新テレビCM「きょう、ロマンスカーで。」が始まる。 |
** 小田急ロマンスカーの新テレビCM「きょう、ロマンスカーで。」が始まる<ref name="2011-205"/>。 |
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* [[2003年]](平成15年)[[4月6日]]、座席番号の表記方法を変更。 |
* [[2003年]](平成15年)[[4月6日]]、座席番号の表記方法を変更<ref name="rp829-242"/>。 |
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* [[2004年]](平成16年)[[12月11日]]、「サポート」を廃止し、「さがみ」の列車愛称が復活。「えのしま」の運転本数を大幅削減。 |
* [[2004年]](平成16年)[[12月11日]]、「サポート」を廃止し、「さがみ」の列車愛称が復活<ref name="rp829-212"/>。「えのしま」の運転本数を大幅削減。 |
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=== VSE・MSE時代(2005年以降) === |
=== VSE・MSE時代(2005年以降) === |
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[[ファイル:OER 50000 SuperHakone27 Yoyogihachiman.jpg|thumb|新宿超高層ビル群を背景に箱根に向かうVSE車]] |
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* [[2005年]](平成17年) |
* [[2005年]](平成17年) |
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** [[2月19日]]、50000形「VSE」が海老名電車基地内にて車両見学会を実施。 |
** [[2月19日]]、50000形「VSE」が海老名電車基地内にて車両見学会を実施。 |
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** [[3月5日]]、50000形「VSE」の試乗会を新宿→小田急多摩センター間と唐木田→新宿間で実施。 |
** [[3月5日]]、50000形「VSE」の試乗会を新宿→小田急多摩センター間と唐木田→新宿間で実施。 |
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** [[3月19日]]、50000形「VSE」第1・2編成(50001F・50002F)就役。同日、車内で配布する無料観光情報誌『るるぶFREE ロマンスカー 箱根 小田原』創刊。 |
** [[3月19日]]、50000形「VSE」第1・2編成(50001F・50002F)就役<ref name="rj464-26"/>。同日、車内で配布する無料観光情報誌『るるぶFREE ロマンスカー 箱根 小田原』創刊。 |
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** 4月1日、特急券を購入した際に[[小田急ポイントカード]]にポイントが加算されるサービスが開始される。 |
** 4月1日、特急券を購入した際に[[小田急ポイントカード]]にポイントが加算されるサービスが開始される。 |
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** [[5月17日]]、小田急ロマンスカーの東京地下鉄への乗り入れと新型車両60000形「MSE」の導入を発表。 |
** [[5月17日]]、小田急ロマンスカーの東京地下鉄への乗り入れと新型車両60000形「MSE」の導入を発表<ref name="rj466-149"/>。 |
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** 7月1日、小田急ポイントカードに貯まったポイントで特急券を購入できるサービスが開始される。 |
** 7月1日、小田急ポイントカードに貯まったポイントで特急券を購入できるサービスが開始される。 |
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** [[8月12日]]、10000形「HiSE」の第2・4編成(10021F・10061F)が[[長野電鉄]]に譲渡される。 |
** [[8月12日]]、10000形「HiSE」の第2・4編成(10021F・10061F)が[[長野電鉄]]に譲渡される。 |
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** [[10月6日]] - [[10月11日]]、「ロマンスカー@クラブ」にて他の利用者の[[個人情報]]が閲覧できるという事態が起こる。 |
** [[10月6日]] - [[10月11日]]、「ロマンスカー@クラブ」にて他の利用者の[[個人情報]]が閲覧できるという事態が起こる。 |
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* [[2006年]](平成18年) |
* [[2006年]](平成18年) |
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** [[1月12日]]、50000形「VSE」が2005年度[[グッドデザイン賞]]受賞。 |
** [[1月12日]]、50000形「VSE」が2005年度[[グッドデザイン賞]]受賞<ref name="rp829-53"/>。 |
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** [[1月14日]]、50000形「VSE」のグッドデザイン賞受賞を記念し、受賞記念の「G」マークが車体に貼られる。 |
** [[1月14日]]、50000形「VSE」のグッドデザイン賞受賞を記念し、受賞記念の「G」マークが車体に貼られる。 |
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** [[2月16日]]、「はこね43号」として運行していた7000形「LSE」第1編成 (7001F) が、小田急相模原駅を通過していた18時16分、ホームから男性が飛び込み自殺した。その際に展望席のフロントガラスが大破し、展望席の乗客9名が怪我を負う。 |
** [[2月16日]]、「はこね43号」として運行していた7000形「LSE」第1編成 (7001F) が、小田急相模原駅を通過していた18時16分、ホームから男性が飛び込み自殺した。その際に展望席のフロントガラスが大破し、展望席の乗客9名が怪我を負う。 |
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** 3月31日、新宿駅の西口地上改札前に「ロマンスカーカフェ」が開設され、営業を開始する。 |
** 3月31日、新宿駅の西口地上改札前に「ロマンスカーカフェ」が開設され、営業を開始する。 |
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** 4月8日、はこね14号として運行していた50000形「VSE」が、町田駅発車後、展望席にて雨漏り発生。後日、雨漏り対策工事実施。 |
** 4月8日、はこね14号として運行していた50000形「VSE」が、町田駅発車後、展望席にて雨漏り発生。後日、雨漏り対策工事実施。 |
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** [[5月15日]]、特急券を所持せずに特急に乗車した者に限り通常の特急料金に300円を加算して販売する制度<ref>競合する[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[湘南新宿ライン]]・[[東海道線 (JR東日本)|東海道本線]]の快速・普通列車のグリーン車も類似の乗車後購入の割増料金を採用している。</ref>ができる。なお、この制度で購入した特急券には座席の指定がなされない。 |
** [[5月15日]]、特急券を所持せずに特急に乗車した者に限り通常の特急料金に300円を加算して販売する制度<ref group="注釈">競合する[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[湘南新宿ライン]]・[[東海道線 (JR東日本)|東海道本線]]の快速・普通列車のグリーン車も類似の乗車後購入の割増料金を採用している。</ref>ができる。なお、この制度で購入した特急券には座席の指定がなされない。 |
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** [[9月10日]]、50000形「VSE」が2006年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。定期列車である「スーパーはこね13号」の一部を鉄道友の会が貸切にして受賞記念列車を運行。また、これを記念して「Blue Ribbon ROMANCECAR VSE 2006」という記念のロゴが車体に貼付される。 |
** [[9月10日]]、50000形「VSE」が2006年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。定期列車である「スーパーはこね13号」の一部を鉄道友の会が貸切にして受賞記念列車を運行。また、これを記念して「Blue Ribbon ROMANCECAR VSE 2006」という記念のロゴが車体に貼付される。 |
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* [[2007年]](平成19年) |
* [[2007年]](平成19年) |
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** [[3月18日]]、全席終日禁煙化。同日、「湘南国際マラソン号(臨時31号)」が新宿駅→片瀬江ノ島駅間にて運行。 |
** [[3月18日]]、全席終日禁煙化。同日、「湘南国際マラソン号(臨時31号)」が新宿駅→片瀬江ノ島駅間にて運行。 |
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** [[7月6日]]、小田急ロマンスカー3000形「SE」就役50周年を記念し、7000形LSEが旧塗装となる。同時に「旧塗装特別記念号」が新宿→小田原間において運行される<ref |
** [[7月6日]]、小田急ロマンスカー3000形「SE」就役50周年を記念し、7000形LSEが旧塗装となる<ref name="rp829-275"/>。同時に「旧塗装特別記念号」が新宿→小田原間において運行される<ref name="rp829-215"/>とともに在籍中のロマンスカー全編成に50周年の記念ロゴが貼付される。同日、小田急ロマンスカーCMソング「ロマンスをもう一度」のCDを発売。 |
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| date = 2007-07-07 |
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| url = http://www.asahi.com/life/update/0706/TKY200707060388.html |
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| title = 小田急ロマンスカー50周年 開業時の塗装で記念運行(青鉛筆より) |
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| publisher = 朝日新聞 |
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|accessdate=2007年7月15日 |
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}}</ref>とともに在籍中のロマンスカー全編成に50周年の記念ロゴが貼付される。同日、小田急ロマンスカーCMソング「ロマンスをもう一度」のCDを発売。 |
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** [[8月18日]]・[[8月25日|25日]]、団体列車「[[ウルトラマン]]ロマンスカー [[M78星雲]]号」、[[成城学園前駅]] - 小田原駅間にて運行<ref>{{cite web |
** [[8月18日]]・[[8月25日|25日]]、団体列車「[[ウルトラマン]]ロマンスカー [[M78星雲]]号」、[[成城学園前駅]] - 小田原駅間にて運行<ref>{{cite web |
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| date = 2007-06-16 |
| date = 2007-06-16 |
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}}</ref>。 |
}}</ref>。 |
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** [[10月19日]]、60000形「MSE」の関係者向けの公開が行われる。同日、小田急ロマンスカーの東京地下鉄への乗り入れの概要を発表。 |
** [[10月19日]]、60000形「MSE」の関係者向けの公開が行われる。同日、小田急ロマンスカーの東京地下鉄への乗り入れの概要を発表。 |
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** [[10月20日]]・[[10月21日|21日]]、両日に海老名電車基地で開催された「[[ファミリー鉄道展]]2007」において、3000形「SSE」・3100形「NSE」・7000形「LSE」による旧塗装車の展示と60000形「MSE」の一般向けの初公開が行われる。 |
** [[10月20日]]・[[10月21日|21日]]、両日に海老名電車基地で開催された「[[ファミリー鉄道展]]2007」において、3000形「SSE」・3100形「NSE」・7000形「LSE」による旧塗装車の展示と60000形「MSE」の一般向けの初公開が行われる<ref name="rp829-235"/>。 |
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* [[2008年]](平成20年) |
* [[2008年]](平成20年) |
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** [[2月9日]]、団体列車「[[ハローキティ]]号」、[[秦野駅]] - [[新百合ヶ丘駅]] - 小田急多摩センター駅間にて運行。 |
** [[2月9日]]、団体列車「[[ハローキティ]]号」、[[秦野駅]] - [[新百合ヶ丘駅]] - 小田急多摩センター駅間にて運行。 |
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[[ファイル:Odakyu romance car kasumigaseki.JPG|thumb|地下鉄に乗り入れたMSE車]] |
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** [[3月15日]]、60000形「MSE」就役。'''東京地下鉄千代田線直通ロマンスカーの運転開始'''。 |
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** [[3月15日]]、60000形「MSE」就役。東京地下鉄千代田線直通ロマンスカーの運転開始<ref name="rj500-94"/>。 |
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** [[5月3日]]、60000形「MSE」による不定期での東京地下鉄千代田線経由有楽町線直通列車の運転開始<ref name="rf563-58"/>。 |
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** [[7月15日]]、60000形「MSE」車内専用配布無料観光情報誌『るるぶFREE MELLODA』創刊。 |
** [[7月15日]]、60000形「MSE」車内専用配布無料観光情報誌『るるぶFREE MELLODA』創刊。 |
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** [[7月22日]] - [[8月22日]]、同期間の平日に限り、「湘南マリン号(臨時51号(片瀬江ノ島行き)・臨時52号(唐木田行き))」を唐木田駅 - 片瀬江ノ島駅間で運行。 |
** [[7月22日]] - [[8月22日]]、同期間の平日に限り、「湘南マリン号(臨時51号(片瀬江ノ島行き)・臨時52号(唐木田行き))」を唐木田駅 - 片瀬江ノ島駅間で運行。 |
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** 10月8日、60000形「MSE」がグッドデザイン賞を受賞。同日より「Gマーク」が車体に掲出される。 |
** 10月8日、60000形「MSE」がグッドデザイン賞を受賞。同日より「Gマーク」が車体に掲出される。 |
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* [[2009年]](平成21年) |
* [[2009年]](平成21年) |
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** [[2月14日]]、[[2月15日|15日]]、[[2月21日|21日]]、[[2月22日|22日]]、「メトロおさんぽ号(臨時メトロ80号)」を町田駅 - 北千住駅間にて運行。 |
** [[2月14日]]、[[2月15日|15日]]、[[2月21日|21日]]、[[2月22日|22日]]、「メトロおさんぽ号(臨時メトロ80号)」を町田駅 - 北千住駅間にて運行<ref name="rp829-219"/>。 |
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** [[3月22日]]、団体列車「エコロマンスカー号」を新宿駅 - 小田原駅間にて運行。[[環境大臣]](当時)・[[斉藤鉄夫]]、[[気象予報士]]・[[森田正光]]らが乗車し、車内で「親子で学ぼう!春の温暖化防止スクール」を実施。 |
** [[3月22日]]、団体列車「エコロマンスカー号」を新宿駅 - 小田原駅間にて運行<ref name="rp829-219"/>。[[環境大臣]](当時)・[[斉藤鉄夫]]、[[気象予報士]]・[[森田正光]]らが乗車し、車内で「親子で学ぼう!春の温暖化防止スクール」を実施。 |
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** [[7月21日]] - [[8月21日]]、同期間の平日に限り、「湘南マリン号」を成城学園前駅 - 片瀬江ノ島駅間で運行。また、[[8月3日]]から[[8月7日]]までは「クールビズトレイン」として車内設定温度を1 - 2度上げて運行。 |
** [[7月21日]] - [[8月21日]]、同期間の平日に限り、「湘南マリン号」を成城学園前駅 - 片瀬江ノ島駅間で運行<ref name="rp829-218"/>。また、[[8月3日]]から[[8月7日]]までは「クールビズトレイン」として車内設定温度を1 - 2度上げて運行。 |
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** [[9月13日]]、60000形「MSE」の2009年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞式典挙行。定期列車である「はこね15号」の一部を鉄道友の会が貸切にして受賞記念列車を運行。また、これを記念して「Blue Ribbon ROMANCECAR MSE 2009」という記念のロゴが車体に貼付される。 |
** [[9月13日]]、60000形「MSE」の2009年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞式典挙行。定期列車である「はこね15号」の一部を鉄道友の会が貸切にして受賞記念列車を運行<ref name="rp829-54"/>。また、これを記念して「Blue Ribbon ROMANCECAR MSE 2009」という記念のロゴが車体に貼付される。 |
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** [[11月15日]]、「メトロもみじ号(臨時81号(小田原行き)・臨時82号(北千住行き))」を北千住駅 - 小田原駅間にて運行。 |
** [[11月15日]]、「メトロもみじ号(臨時81号(小田原行き)・臨時82号(北千住行き))」を北千住駅 - 小田原駅間にて運行<ref name="rp829-219"/>。 |
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* [[2010年]](平成22年) |
* [[2010年]](平成22年) |
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** [[1月6日]]、7000形「LSE」7002Fが廃車となる<ref |
** [[1月6日]]、7000形「LSE」7002Fが廃車となる<ref name="rj522-147"/>。 |
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** 1月、7000形LSE(3編成)と10000形HiSE(2編成)計5編成の車両の連結部分の金属に複数の傷が見つかり、当面の間LSEとHiSEの運転を休止する(長野電鉄に譲渡された元10000形HiSEの1000形「ゆけむり」2編成も運転を休止)<ref |
** 1月、7000形LSE(3編成)と10000形HiSE(2編成)計5編成の車両の連結部分の金属に複数の傷が見つかり、当面の間LSEとHiSEの運転を休止する(長野電鉄に譲渡された元10000形HiSEの1000形「ゆけむり」2編成も運転を休止)<ref name="rj522-147"/>。 |
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| date = 2010-01-21 |
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| url = http://www.asahi.com/national/update/0120/TKY201001200560.html |
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| title = ロマンスカー連結部に傷 小田急、5編成の運転休止 |
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| publisher = 朝日新聞 |
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|accessdate=2010年1月21日 |
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}}</ref>。 |
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* [[2011年]](平成23年) |
* [[2011年]](平成23年) |
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** [[3月11日]]、[[東北地方太平洋沖地震]]が発生し、ロマンスカー全列車の運転を休止する。 |
** [[3月11日]]、[[東北地方太平洋沖地震]]が発生し、ロマンスカー全列車の運転を休止する。 |
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** [[4月16日]]、この日から臨時ダイヤにより運転再開。一部運行再開となった「あさぎり号」以外は臨時特急(臨時○○号)として運行し、東京メトロ千代田線直通ロマンスカーは引き続き運行休止。ロマンスカー全車両には「がんばろう日本」のステッカーを貼付。また、4月16日に運転するロマンスカーの全列車(あさぎり号を除く)の特急料金相当額を義援金として[[日本赤十字社]]に寄付<ref>{{PDFlink|[http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/6113_0150062_.pdf 「特急ロマンスカー」の運転を一部再開します]}} - 小田急電鉄、2011年4月7日付</ref>。 |
** [[4月16日]]、この日から臨時ダイヤにより運転再開。一部運行再開となった「あさぎり号」以外は臨時特急(臨時○○号)として運行し、東京メトロ千代田線直通ロマンスカーは引き続き運行休止。ロマンスカー全車両には「がんばろう日本」のステッカーを貼付。また、4月16日に運転するロマンスカーの全列車(あさぎり号を除く)の特急料金相当額を義援金として[[日本赤十字社]]に寄付<ref>{{PDFlink|[http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/6113_0150062_.pdf 「特急ロマンスカー」の運転を一部再開します]}} - 小田急電鉄、2011年4月7日付</ref>。 |
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** [[4月29日]]、通常の列車名で運転再開。 |
** [[4月29日]]、通常の列車名で運転再開。 |
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** 10月、[[東京地下鉄有楽町線]]ホームドア設置工事のため<ref name="12-126" |
** 10月、[[東京地下鉄有楽町線]]ホームドア設置工事のため<ref name="12-126"/>、「ベイリゾート」の運転を休止する。 |
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* [[2012年]](平成24年) |
* [[2012年]](平成24年) |
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** [[2月19日]]、7000形「LSE」7001Fの営業運転終了<ref>{{Cite web|date=2012-02-20|url=http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2012/02/post_676.html|title=小田急ロマンスカーの話題|publisher=『鉄道ホビダス』RMニュース|accessdate=2012-03-17}}</ref>。 |
** [[2月19日]]、7000形「LSE」7001Fの営業運転終了<ref>{{Cite web|date=2012-02-20|url=http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2012/02/post_676.html|title=小田急ロマンスカーの話題|publisher=『鉄道ホビダス』RMニュース|accessdate=2012-03-17}}</ref>。 |
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** [[3月16日]]、10000形「HiSE」、20000形「RSE」の運行を終了<ref |
** [[3月16日]]、10000形「HiSE」、20000形「RSE」の運行を終了<ref name="rj548-50"/>。JR東海371系が「あさぎり」から撤退<ref name="rj548-50"/>。スーパーシート・グリーン席・セミコンパートメント席の営業を終了。 |
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** [[3月17日]]、「あさぎり」に60000形「MSE」が就役。運行区間を新宿駅 - 御殿場間に短縮。「メトロはこね」を平日に運行開始。「ベイリゾート」の運転を中止<ref |
** [[3月17日]]、「あさぎり」に60000形「MSE」が就役。運行区間を新宿駅 - 御殿場間に短縮<ref name="rj545-2627"/>。「メトロはこね」を平日に運行開始。「ベイリゾート」の運転を中止<ref name="oer20111216"/>。 |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 関連人物 === |
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* [[三木忠直]] |
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=== 注釈 === |
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=== 漫画・アニメ・ドラマ・映画での引用 === |
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{{Reflist|group="注釈"}} |
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* [[漫画]] |
|||
** 『[[おぼっちゃまくん]]』の御坊家は、箱根へ旅行する際に利用する列車として'''「チャマンスカー」'''という車両を所有している。これは、同作品の作者[[小林よしのり]]がかつて[[成城学園前駅]]付近に住んでいたことがあり、小田急ロマンスカーのパロディとして漫画に登場させたものである。 |
|||
* [[アニメーション]] |
|||
** 『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』に登場する[[第3新東京市]]は箱根地域のことであり、作中に「政府専用列車」として[[リニアモーターカー]]型の小田急ロマンスカーが登場する。なお、この車両の形式番号は7700系となっているが、外観的には10000形「HiSE」に酷似している。 |
|||
** 『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』の14話「謎のメッセージ狙撃事件」には、「平成エクスプレス」として10000形「HiSE」と思しき車両が登場する。カラーこそホワイト/ライトブルーと大幅に変更されているが、展望席や連接台車などかなり実車を再現していた。 |
|||
* [[ドラマ]] |
|||
** 『[[太陽にほえろ!]]』では、鉄道路線を使っての撮影で小田急線がロケ舞台に選ばれることが多く<ref>ドラマの舞台が新宿区であることに加え、撮影を小田急沿線の[[国際放映]]スタジオで行っていたこともあって、何かと都合が良かったことが起因している。</ref>、第73話「真夜中に愛の歌を」では犯人([[堀内正美]])を救うためにその恋人([[中田喜子]])が七曲署へ密告電話をした際に側を通過する3100形「NSE」のミュージックホーンが彼女の居場所を掴む手掛かりになっている、第94話「裏切り」ではゴリさん([[竜雷太]])と殿下([[小野寺昭]])が横領犯人護送のためロマンスカーに乗車して江ノ島に向かうシーンの撮影を3000形「SSE」車内で行っているなど、ロマンスカーが度々登場している。 |
|||
** 『[[金曜日の妻たちへ#金曜日の妻たちへII 男たちよ、元気かい?|金曜日の妻たちへII 男たちよ、元気かい?]]』で小田急ロマンスカーがほぼ毎回登場しており、主演のサラリーマン達が帰宅する際は必ず小田急ロマンスカーを使用していた。また、西村信行([[板東英二]])が愛人である大石千佳([[志穂美悦子]])と最後の別れをしたのも小田急ロマンスカーの中であった(ただし、これらの車内ロケで実際の車両は一切使用しておらず、[[緑山スタジオ・シティ|緑山スタジオ]]内のセットであった)。 |
|||
** 『[[特急田中3号]]』の第5話および『[[鉄道警察官・清村公三郎|鉄道警察官・清村公三郎5]]』にて、50000形「VSE」が登場した。 |
|||
** 『[[ウルトラシリーズ]]』でも小田急ロマンスカーは度々登場しており、『[[ウルトラQ]]』28話の『あけてくれ!』や『[[ウルトラセブン]]』2話の『緑の恐怖』は3100形「NSE」を使ってロケが行われた。 |
|||
* [[映画]] |
|||
** 『[[愛の流刑地]]』でロマンスカーが登場する。また、日本経済新聞に連載されていた当時、50000形VSEが挿絵として登場している。 |
|||
** 『[[真夜中の弥次さん喜多さん]]』では、弥次さんと喜多さんがロマンスカーに乗車をしている。 |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|2|refs= |
|||
* [[村下孝蔵]]の曲に、小田急ロマンスカーをとある男女の恋愛の象徴として歌った曲『[[ロマンスカー (村下孝蔵の曲)|ロマンスカー]]』がある。 |
|||
<ref name="12-126">[[#saito12|『鉄道のテクロノジー』通巻12号 p.126]]</ref> |
|||
* [[THE ALFEE]]は、かつてネタとして[[ギター]]で小田急ロマンスカーのミュージックホーンを演奏した。 |
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<ref name="12-17">[[#MSE12|『鉄道のテクロノジー』通巻12号 p.17]]</ref> |
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<ref name="1977-14">[[#沿線1977|『小田急線各駅停車』 p.14]]</ref> |
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<ref name="1977-16">[[#沿線1977|『小田急線各駅停車』 p.16]]</ref> |
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<ref name="1981-107">[[#生方1981|『日本の私鉄5 小田急』(1981年版) p.107]]</ref> |
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<ref name="1981-109">[[#生方1981|『日本の私鉄5 小田急』(1981年版) p.109]]</ref> |
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<ref name="1981-111">[[#生方1981|『日本の私鉄5 小田急』(1981年版) p.111]]</ref> |
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<ref name="1981-115">[[#生方1981|『日本の私鉄5 小田急』(1981年版) p.115]]</ref> |
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<ref name="1981-116">[[#生方1981|『日本の私鉄5 小田急』(1981年版) p.116]]</ref> |
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<ref name="1981-118">[[#生方1981|『日本の私鉄5 小田急』(1981年版) p.118]]</ref> |
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<ref name="1981-12">[[#生方1981|『日本の私鉄5 小田急』(1981年版) p.12]]</ref> |
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<ref name="1981-13">[[#生方1981|『日本の私鉄5 小田急』(1981年版) p.13]]</ref> |
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<ref name="1981-16">[[#生方1981|『日本の私鉄5 小田急』(1981年版) p.16]]</ref> |
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<ref name="1981-17">[[#生方1981|『日本の私鉄5 小田急』(1981年版) p.17]]</ref> |
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<ref name="1981-20">[[#生方1981|『日本の私鉄5 小田急』(1981年版) p.20]]</ref> |
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<ref name="1981-21">[[#生方1981|『日本の私鉄5 小田急』(1981年版) p.21]]</ref> |
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<ref name="1981-99">[[#生方1981|『日本の私鉄5 小田急』(1981年版) p.99]]</ref> |
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<ref name="rp829-25">[[#野田829|『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.25]]</ref> |
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<ref name="rp829-26">[[#野田829|『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.26]]</ref> |
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<ref name="rp829-279">[[#岸上829|『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.279]]</ref> |
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<ref name="rp829-291">[[#岸上829|『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.291]]</ref> |
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<ref name="rp829-30">[[#佐藤829|『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.30]]</ref> |
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<ref name="rp829-52">[[#丹829|『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.52]]</ref> |
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<ref name="rp829-53">[[#丹829|『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.53]]</ref> |
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<ref name="rp829-54">[[#丹829|『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.54]]</ref> |
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<ref name="t2012-211">[[#時刻表2012|小田急時刻表 (2012) p.211]]</ref> |
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<ref name="oer20111216">{{cite press release|author=|date=2011-12-16|url=http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/6813_2421858_.pdf|title=2012年3月17日(土) ダイヤ改正を実施します。|publisher=[[小田急電鉄]]|format=PDF|language=日本語|accessdate=2011-12-16|quote=(1)東京メトロ千代田線直通ロマンスカーについて}}</ref> |
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}} |
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== 参考文献 == |
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=== 書籍 === |
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* [[漫画家]]の[[藤子不二雄A|藤子不二雄Ⓐ]](安孫子素雄)は、自宅の最寄駅である向ヶ丘遊園駅から事務所のある新宿駅との間を一種の娯楽として通勤に利用している<ref>[[集英社]]『[[ジャンプスクエア]]』2008年2月号(第2号)の本人談より。</ref>。 |
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* {{Cite book|和書|author = 青田孝|authorlink = |coauthors = |year = 2009|title = ゼロ戦から夢の超特急 小田急SE車世界新記録誕生秘話 |publisher = [[交通新聞社]]|ref = 青田2009|id = |isbn = 978-4330105093}} |
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* {{Cite book|和書|author = 青田孝|authorlink = |coauthors = |year = 2011|title = 箱根の山に挑んだ鉄路 「天下の険」を越えた技 |publisher = 交通新聞社|ref = 青田2011|id = |isbn = 978-4330231112}} |
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* {{Cite book|和書|author = 生方良雄|authorlink = |coauthors = [[諸河久]]|year = 1981|title = 日本の私鉄5 小田急|publisher = [[保育社]]|ref = 生方1981|id = 0165-508530-7700|isbn = }} |
|||
* {{Cite book|和書|author = 生方良雄|authorlink = |coauthors = 諸河久|year = 1985|title = 日本の私鉄5 小田急|publisher = 保育社|ref = 生方1985|id = |isbn = 4586505303}} |
|||
* {{Cite book|和書|author = 生方良雄|authorlink = |coauthors = 諸河久|year = 1988|title = 日本の私鉄1 小田急|publisher = 保育社|ref = 生方1988|id = |isbn = 4586507683}} |
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* {{Cite book|和書|author = 生方良雄|authorlink = |coauthors = 諸河久|year = 1994|title = 小田急ロマンスカー物語|publisher = 保育社|ref = 生方1994|id = |isbn = 4586180293}} |
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* {{Cite book|和書|author = 生方良雄|authorlink = |coauthors = |year = 2005|title = 小田急ロマンスカー総覧|publisher = [[大正出版]]|ref = 生方2005|id = |isbn = 978-4811706559}} |
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* {{Cite book|和書|author = [[慶應義塾大学]]鉄道研究会|authorlink = |coauthors = |year = 1987|title = シティ電車|publisher = 保育社|ref = City87|id = |isbn = 458650725X}} |
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* {{Cite book|和書|author = 小山育男|authorlink = |coauthors = 諸河久|year = 1985|title = 私鉄の車両2 小田急|publisher = 保育社||ref = 小山1985|id = |isbn = 978-4586532025}} |
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* {{Cite book|和書|author = [[鉄道友の会]]編|authorlink = |coauthors = |year = 1988|title = ブルーリボン賞の車両'88|publisher = 保育社|ref = BL88|id = |isbn = 458650756X}} |
|||
* {{Cite book|和書|author = [[鉄道友の会]]東京支部|authorlink = |coauthors = |year = 1979|title = コロタン文庫46 私鉄特急全百科|publisher = 小学館|ref = コロタン|id = |isbn =4092810466 }} |
|||
* {{Cite book|和書|author = [[吉川文夫]]編|authorlink = |coauthors = |year = 1987|title = 小田急 車両と駅の60年|publisher = 大正出版|ref = 吉川1987|id = 0025-301310-4487|isbn =}} |
|||
* {{Cite book|和書|author = |authorlink = |coauthors = |year = 2012|title = 2012 小田急時刻表|publisher = 交通新聞社|ref = 時刻表2012|id = |isbn = 9784330279121}} |
|||
* {{Cite book|和書|author = |authorlink = |coauthors = |year = 1977|title = 首都圏沿線ガイド1 小田急線各駅停車|publisher = 椿書院|ref = 沿線1977|id =0026-710192-4820 |isbn = }} |
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=== |
=== 雑誌記事 === |
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* {{Cite journal|和書|author=[[青木栄一]] |year=1999 |month=12|title=小田急電鉄のあゆみ(戦後編) |journal= [[鉄道ピクトリアル]]|issue=679 |pages= 93-105 |publisher= [[電気車研究会]]|ref = 青木679}} |
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* 台風などの自然災害などの際に小田急が特急の運行を中止した時は、[[首都圏 (日本)|在京]][[テレビジョン放送局|テレビ各局]]の[[ニュース番組]]で「小田急線の特急ロマンスカーは…」のように「ロマンスカー」の語が使われる。 |
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* {{Cite journal|和書|author=飯塚豊彦 |year=1996 |month=5 |title=小田急30000形 |journal=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]] |issue=421 |pages= 54-64 |publisher=[[交友社]] |ref = 飯塚421}} |
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* 50000形「VSE」が営業運転を開始する際、その前後にニュース番組では私鉄特急の現状を伝える特集が組まれた。 |
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* {{Cite journal|和書|author=市川健三 |year=1982|month=6 |title=乗車券から見た小田急特急の移り変り |journal=鉄道ピクトリアル |issue=405 |pages= 162-165 |publisher=電気車研究会 |ref = 市川405}} |
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* {{Cite journal|和書|author=生方良雄 |year=1988 |month=2 |title=小田急ロマンスカーの移り変わり |journal=鉄道ピクトリアル |issue=491 |pages= 10-15 |publisher=電気車研究会 |ref = 生方491}} |
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=== その他 === |
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* {{Cite journal|和書|author=生方良雄 |year=1991 |month=7 |title=御殿場線乗り入れ列車の思い出 |journal=鉄道ピクトリアル |issue= |pages= 157-163 |publisher=電気車研究会|ref = 生方546 }} |
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* 小田急ロマンスカーは小田急電鉄を代表する存在であることから、小田急線沿線に所在する[[郵便局]]のうち、世田谷区・豪徳寺駅前郵便局と町田市・鶴川駅前郵便局の[[風景印]]には展望席を有するロマンスカーが描かれている。 |
|||
* {{Cite journal|和書|author=生方良雄 |year=1993 |month=6 |title=小田急3000形SE車の復元に寄せて |journal=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]] |issue=386 |pages= 67-69 |publisher=[[交友社]]|ref = 生方386}} |
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* 2005年10月1日から、小田急の一部の駅構内店舗限定で「小田急 ロマンスカー アテンダント [[リカちゃん]]」が販売された。 |
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* {{Cite journal|和書|author=生方良雄 |year=1996 |month=6|title=小田急ロマンスカーの思い出 |journal=鉄道ファン |issue=422 |pages= 47-50 |publisher=交友社 |ref = 生方422}} |
|||
*受験戦争が激しく沿線の大学生人口が多かった1980年代~1990年代には、町田以西の停車駅で新宿からロマンスカーを利用して通学する大学生も多かった。 |
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* {{Cite journal|和書|author=生方良雄 |year=1999 |month=12 |title=小田急の歴史に見られる興味・話題から |journal=鉄道ピクトリアル |issue=679 |pages= 118-122 |publisher=電気車研究会|ref = 生方679}} |
|||
* {{Cite journal|和書|author=生方良雄 |year=2002 |month=9|title=私鉄車両めぐり37 小田急電鉄 |journal=鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション |issue=1 |pages= 42-71 |publisher=電気車研究会 |ref = 生方a1-1959}} |
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== 脚注 == |
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* {{Cite journal|和書|author=大幡哲海 |year=1988 |month=2 |title=小田急ロマンスカー3000,3100,7000系 車両のあゆみ |journal=鉄道ピクトリアル |issue=491 |pages= 16-24 |publisher=電気車研究会|ref = 大幡491 }} |
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{{脚注ヘルプ}} |
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* {{Cite journal|和書|author=大幡哲海 |year=1991 |month=7|title=私鉄車両めぐり145 小田急電鉄 |journal=鉄道ピクトリアル |issue=546 |pages= 175-197 |publisher=電気車研究会|ref = 大幡546 }} |
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<div class="references-small"><references/></div> |
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* {{Cite journal|和書|author=大幡哲海 |year=1996 |month=5 |title=小田急"特急ロマンスカー"変遷史 |journal=[[鉄道ダイヤ情報]] |issue=145 |pages= 49-55 |publisher=[[交通新聞社|弘済出版社]] |ref = 大幡145}} |
|||
* {{Cite journal|和書|author=大幡哲海 |year=1999 |month=12 |title=私鉄車両めぐり164 小田急電鉄 |journal=鉄道ピクトリアル |issue=679 |pages= 201-243 |publisher=電気車研究会 |ref = 大幡679}} |
|||
* {{Cite journal|和書|author=小田急電鉄(株)車両部車両課 |year=1988 |month=2 |title=小田急電鉄新形特急車10000形 |journal=鉄道ピクトリアル |issue=491 |pages= 47-53 |publisher=電気車研究会 |ref = OER491}} |
|||
* {{Cite journal|和書|author=小田急電鉄(株)車両部車両課 |year= 2005|month=6 |title=小田急ロマンスカーVSE 50000形特急車両 |journal=[[鉄道ジャーナル]] |issue=464 |pages= 36-43 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = OER464}} |
|||
* {{Cite journal|和書|author=加藤一郎 |year=1988 |month=2 |title=小田急ロマンスカーの輸送及び運転現況 |journal=鉄道ピクトリアル |issue=491 |pages= 42-46 |publisher=電気車研究会 |ref = 加藤491}} |
|||
* {{Cite journal|和書|author=加藤新一 |year=1982 |month=6|title=大東急における小田急 |journal= 鉄道ピクトリアル|issue=405 |pages= 149-153 |publisher= 電気車研究会|ref = 加藤405}} |
|||
* {{Cite journal|和書|author=刈田草一 |year=1982 |month=6 |title=小田急列車運転慨史 |journal= 鉄道ピクトリアル|issue=405 |pages= 15-23 |publisher=電気車研究会 |ref = 刈田405}} |
|||
* {{Cite journal|和書|author=刈田草一 |year=1991 |month=7 |title=小田急電鉄 列車運転の変遷 |journal=鉄道ピクトリアル |issue=546 |pages= 145-156 |publisher=電気車研究会|ref = 刈田546 }} |
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* {{Cite journal|和書|author=川島常雄 |year=1999 |month=12 |title=新宿-御殿場直通列車 キハ5000形に乗務した頃 |journal=鉄道ピクトリアル |issue=679 |pages= 123-130 |publisher=電気車研究会 |ref = 川島679}} |
|||
* {{Cite journal|和書|author=岸上明彦 |year=2010 |month=1 |title=小田急電鉄現有車両プロフィール |journal=鉄道ピクトリアル |issue=829 |pages= 241-295 |publisher=電気車研究会 |ref = 岸上829}} |
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* {{Cite journal|和書|author=輿水醇 |year=1982|month=6 |title=LSEの企画から完成まで |journal=鉄道ピクトリアル |issue=405 |pages= 81-85 |publisher=電気車研究会 |ref = 輿水405}} |
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* {{Cite journal|和書|author=佐々木文信 |year=1991 |month=7|title=営業の施策と概況 |journal=鉄道ピクトリアル |issue=546 |pages= 20-21 |publisher=電気車研究会|ref = 佐々木546 }} |
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* {{Cite journal|和書|author=佐々木文信|year=1999 |month=12 |title=輸送と運転 |journal= |journal=鉄道ピクトリアル |issue=679 |pages= 26-35 |publisher=電気車研究会 |ref = 佐々木679 }} |
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* {{Cite journal|和書|author=[[曽根悟]]|year=2007 |month=5 |title=連接車 -ボギー車との比較と評価- |journal= |journal=鉄道ピクトリアル |issue=789 |pages= 10-16 |publisher=電気車研究会 |ref = 曽根789 }} |
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* {{Cite journal|和書|author=佐藤寛之 |year=2010 |month=1|title=近年の箱根観光輸送 |journal= 鉄道ピクトリアル |issue=829 |pages= 28-33 |publisher= 電気車研究会|ref = 佐藤829 }} |
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* {{Cite journal|和書|author=嶋崎章臣|coauthors =今城光英 |year=2010 |month=1 |title=小田急電鉄の鉄道事業を語る |journal=鉄道ピクトリアル |issue=829 |pages= 17-23 |publisher=電気車研究会 |ref = 嶋崎829}} |
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* {{Cite journal|和書|author=杉田弘志 |year=2010 |month=1 |title=小田急電鉄 列車運転の変遷とその興味 |journal= 鉄道ピクトリアル|issue=829 |pages= 204-219 |publisher=電気車研究会 |ref = 杉田829}} |
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* {{Cite journal|和書|author=[[須田寛]] |year=1991 |month=7|title=新特急あさぎり 経緯と期待 |journal=鉄道ジャーナル |issue=297 |pages= 34-35 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 須田297}} |
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* {{Cite journal|和書|author=[[種村直樹]] |year=2005 |month=8 |title=DIARY 2005/5 |journal=鉄道ジャーナル |issue=466 |page= 149 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 種村466}} |
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* {{Cite journal|和書|author=丹克暁|coauthors =大路弘幸、亀井進 |year=2010 |month=1|title=車両総説 |journal= 鉄道ピクトリアル |issue=829 |pages= 49-58 |publisher= 電気車研究会|ref = 丹829 }} |
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* {{Cite journal|和書|author=[[土屋武之]] |year= 2008|month=6 |title=MSE 青いロマンスカー スタート! |journal= 鉄道ジャーナル|issue=500 |pages= 92-101 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 土屋500}} |
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* {{Cite journal|和書|author=鶴通孝 |coauthors =山﨑友也 |year=2005 |month=6 |title=列車追跡シリーズ548 何度でも乗ってみたい特急ロマンスカー わくわくの85分 |journal=[[鉄道ジャーナル]] |issue=464 |pages= 25-35 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = RJ464}} |
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* {{Cite journal|和書|author=富田丈一 |year=1982|month=6 |title=小田急ロマンスカー「走る喫茶室」よもやま話 |journal=鉄道ピクトリアル |issue=405 |pages= 166-168 |publisher=電気車研究会 |ref = 富田405}} |
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* {{Cite journal|和書|author=中山嘉彦 |year=2010 |month=1 |title=小田急車両 -音と色- |journal=鉄道ピクトリアル |issue=829 |pages= 189-191 |publisher=電気車研究会 |ref = 中山829}} |
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* {{Cite journal|和書|author=根本幸男 |year=2010 |month=1 |title=小田急電車 全線歩き乗り記 |journal=鉄道ピクトリアル |issue=829 |pages= 220-225 |publisher=電気車研究会 |ref = 根本829}} |
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* {{Cite journal|和書|author=野田健一 |year=2010 |month=1 |title=営業設備とサービス |journal= 鉄道ピクトリアル|issue=829 |pages= 24-27 |publisher=電気車研究会 |ref = 野田829}} |
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* {{Cite journal|和書|author=浜武喜久雄 |year=1982|month=6 |title=ロマンスカーの輸送サービスと座席予約システム |journal=鉄道ピクトリアル |issue=405 |pages= 104-106 |publisher=電気車研究会 |ref = 浜武405}} |
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* {{Cite journal|和書|author=細谷和一郎 |year=1999 |month=12 |title=営業設備とサービス |journal= |journal=鉄道ピクトリアル |issue=679 |pages= 22-25 |publisher=電気車研究会 |ref = 細谷679 }} |
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* {{Cite journal|和書|author=本多聡志 |year=1991 |month=7 |title=小田急電鉄列車運転の興味 |journal= 鉄道ピクトリアル|issue=546|pages= 106-112 |publisher=電気車研究会|ref = 本多546 }} |
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* {{Cite journal|和書|author=本多聡志 |year=1999 |month=12|title=小田急電鉄 列車運転の興味 |journal= 鉄道ピクトリアル|issue= 679|pages= 189-193 |publisher=電気車研究会|ref = 本多679 }} |
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* {{Cite journal|和書|author=真鍋裕司 |year=2007 |month=5|title=日本の連接車 高速電車編 |journal= 鉄道ピクトリアル|issue= 789|pages= 20-31 |publisher=電気車研究会|ref = 真鍋789 }} |
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* {{Cite journal|和書|author=南謙治 |year= 2012|month=6 |title=特急あさぎり 22年目の再出発 |journal= 鉄道ジャーナル|issue=548 |pages= 44-51 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 南548}} |
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* {{Cite journal|和書|author=宮原正和 |coauthors =沖勝則|year=1988 |month=4 |title=列車追跡シリーズ291 箱根エキサイティング特急 |journal=鉄道ジャーナル |issue=258 |pages= 12-20 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = RJ258}} |
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* {{Cite journal|和書|author=山岸庸次郎 |year=1982 |month=6 |title=悲運のエース 2300形ロマンスカー回顧 |journal=鉄道ピクトリアル |issue=405|pages= 107-112 |publisher=電気車研究会 |ref = 山岸405}} |
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* {{Cite journal|和書|author=山岸庸次郎 |year=2002 |month=12 |title=小田急電車 進歩のあと |journal=鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション |issue=2|pages= 46-58 |publisher=電気車研究会 |ref = 山岸a2}} |
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* {{Cite journal|和書|author=山岸庸次郎 |year=2007 |month=5 |title=SE車の保守現場 -苦労を重ねた誕生当時の検修作業- |journal=鉄道ピクトリアル |issue=789 |pages= 53-57 |publisher=電気車研究会 |ref = 山岸789}} |
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* {{Cite journal|和書|author=山下和幸 |year=1996 |month=6 |title=小田急ロマンスカーの足跡 |journal=鉄道ファン |issue=422 |pages= 30-46 |publisher=交友社 |ref = 山下422}} |
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* {{Cite journal|和書|author=山下和幸 |year=2010 |month=1|title=1960-80年代の小田急回想 |journal=鉄道ピクトリアル |issue=829 |page= 8 |publisher=電気車研究会 |ref = 山下829}} |
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* {{Cite journal|和書|author=山村秀幸 |year=1991 |month=7 |title=小田急の車両技術の回顧 SE車 |journal=鉄道ピクトリアル |issue=546 |pages= 82-86 |publisher=電気車研究会|ref = 山村546 }} |
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* {{Cite journal|和書|author=T記者 |year=2002 |month=9|title=お手並み拝見 見たり・聞いたり・乗ったりの記 小田急SE車 |journal=鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション |issue=1 |pages= 112-118 |publisher=電気車研究会 |ref = otenamia1-SE}} |
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* {{Cite journal|和書|author=T記者 |year=2002 |month=9|title=お手並み拝見 小田急新SE車を見る |journal=鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション |issue=1 |pages= 119-122 |publisher=電気車研究会 |ref = otenamia1-3100}} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=1987 |month=4 |title=TOPIC PHOTOS |journal=鉄道ピクトリアル |issue=478|pages= 104-111 |publisher=電気車研究会|ref = RP478 }} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=1996 |month=5 |title=EXE 115DAYS |journal=[[鉄道ダイヤ情報]] |issue=145 |pages= 14-32 |publisher=[[交通新聞社|弘済出版社]] |ref = DJ145}} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=1996 |month=5 |title=開発担当者 EXEを語る |journal= 鉄道ダイヤ情報|issue=145 |pages= 42-48 |publisher= 弘済出版社|ref = 開発145}} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=1996 |month=6|title=小田急ロマンスカー |journal=鉄道ファン |issue=422 |pages= 8-29 |publisher=交友社 |ref = RF422}} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=1999 |month=12 |title=1962年・夏季輸送 小田急列車運行図表 |journal= |journal=鉄道ピクトリアル |issue=679 |page=巻末 |publisher=電気車研究会 |ref = 巻末679 }} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=2002 |month=9 |title=小田急座談 (Part1) 車両編 |journal=鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション |issue=1 |pages= 6-16 |publisher=電気車研究会 |ref = zadana1}} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=2002 |month=12 |title=小田急座談 (Part2) 輸送・運転編 |journal= 鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション|issue=2 |pages= 6-20 |publisher= 電気車研究会|ref = zadana2}} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=2002 |month=12 |title=小田急電鉄発行の案内パンフレット コレクション |journal=鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション |issue=2|pages= 142-151 |publisher=電気車研究会 |ref = パンフa2}} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year= 2008|month=3|title=小田急60000形「MSE」 |journal=鉄道ファン |issue=563 |pages= 55-59 |publisher=交友社 |ref = OER563}} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=2010 |month=1|title=あの日、あの頃 小田急の情景 |journal=鉄道ピクトリアル |issue=829 |pages= 173-183 |publisher=電気車研究会 |ref = anokoro829}} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=2010 |month=1 |title=歴代ラインナップで見る小田急ロマンスカー |journal=鉄道ピクトリアル |issue=829 |pages= 234-235 |publisher=電気車研究会 |ref = L829}} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=2010 |month=4 |title=Railway Topics『小田急LSE・HiSEが運用から外れる』 |journal=鉄道ジャーナル |issue= 522|pages= 147-148 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = RJ522}} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=2011 |month=10 |title=新世紀ロマンスカー VSE&MSE|journal=鉄道のテクノロジー |issue=12 |pages= 2-25 |publisher=[[三栄書房]] |ref = MSE12|isbn = 9784779613494}} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=2011 |month=10 |title=斉藤雪乃のメトロはこね初乗車体験記|journal=鉄道のテクノロジー |issue=12 |pages= 122-127 |publisher=三栄書房 |ref = saito12|isbn = 9784779613494}} |
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== 関連項目 == |
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* [http://www.odakyu.jp/romancecar/ 小田急ロマンスカー(小田急電鉄公式サイト内)] |
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* [http://www.romancecar.jp/ きょう、ロマンスカーで。(同上)] |
* [http://www.romancecar.jp/ きょう、ロマンスカーで。(同上)] |
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{{小田急ロマンスカー}} |
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2012年6月3日 (日) 16:16時点における版
小田急ロマンスカー(おだきゅうロマンスカー、ODAKYU ROMANCECAR)は、小田急電鉄が運行する特急列車および特急車両の総称である。列車により箱根登山線や東京地下鉄(東京メトロ)千代田線へ直通、もしくは東海旅客鉄道(JR東海)御殿場線と直通運転する。また、「ロマンスカー」は小田急電鉄の登録商標[注釈 1]である(ロマンスカーの記事も参照のこと)。
本項では、「小田急」と表記した場合、小田原急行鉄道および小田急電鉄をさすものとし、箱根登山鉄道箱根湯本駅に乗り入れる特急列車については、特に区別の必要がない場合は「箱根特急」と標記する。
「ロマンスカー」という名称
「ロマンスカー」という呼び方自体は戦前から存在し、1934年ごろの江の島海水浴宣伝のパンフレットに「ロマンスカーは走る」「大東京のセンター新宿から」という文言が掲載され[1]、電車の車内の写真にも「小田急のロマンスカー」と説明がつけられていたという[1]。
終戦後の1949年ごろ、新宿に存在した映画館「新宿武蔵野館」を復旧改装するにあたり[2]、恋人同士が楽しく映画をみられるように二人がけの座席を館内2階に設けた[2]ところ、「ロマンスシート」としてマスコミにも取り上げられ[2]、ちょうどその頃に運行を開始した[2]小田急の特急車両が2人がけの対面座席を採用した[3]ことから、「ロマンスカー」と呼ぶようになったのが、小田急における「ロマンスカー」という命名のはじまりといわれている[3]。
「ロマンスカー」は和製英語であり、英語圏の人からは理解されにくい[2]。60000形MSE車がブルネル賞を受賞した表彰式の際に、小田急の担当者が「6両と4両の2編成がキスをするからロマンスカーなのか」と現地の人から質問されたというエピソードもある[3]。
2010年時点での小田急においては「特急列車=ロマンスカー」であり[4]、ホーム上に設置されている特急券券売機では、他社であれば「つぎ(こんど)の特急」と標記する[4]ところを、「つぎ(こんど)のロマンスカー」と標記している[4]。
沿革
前史 - 週末温泉急行
1927年4月1日に開業当初の小田急は、昭和初期の不況の影響で沿線は一向に発展せず[5]、もともと過大な初期投資[6]に加えて乱脈経営が祟った[7]こともあり、厳しい経営状態を余儀なくされていた。1929年4月1日に江ノ島線が開業してからは夏季の海水浴客輸送の時に運賃を往復で5割引にするなどして増収策を図り[5]、全車両をフル稼働させて対応していた[8]。
一方、あまり積極的ではなかった[9]ものの、小田原線も箱根への観光客輸送を目的の1つとしており[10]、増収策の一環として[5]、週末のみ新宿から小田原までをノンストップで運行する列車が立案された[5]。小田急ではこの列車の車内では、沿線案内をレコードで流し[11]、合間に「小田急行進曲」と「小田急音頭」を流すことを発案[11]、当時新宿に存在した娯楽施設のムーランルージュ新宿座に「小田急行進曲」と「小田急音頭」の製作を依頼し[11]、沿線案内の吹き込みはムーランルージュ新宿座の看板女優であった明日待子が担当した[12]。78回転盤(SPレコード)6枚組に仕上がったレコードが完成し[11]、実際に走行中の車内でテストしたが針が飛んでしまい[11]、この試みは失敗であった[11]。
ともあれ、1935年6月1日から、新宿から小田原までをノンストップで結ぶ「週末温泉急行」の運行を開始した[5]。この急行には車両はクロスシートを装備した便所付の車両であった101形などが使用され[12]、新宿から小田原までを90分で結んだ[12]。運行は土曜日の下り列車のみで、帰りとなる日曜日は通常の急行列車が運行された[5]。これが小田急ロマンスカーのルーツとなる列車であるが、陰では「おしのび電車」などと言われていたという[2]。
しかし、1941年12月に太平洋戦争が始まり[12]、1942年1月から週末温泉急行は運休となり[13]、同年4月にはダイヤ上の設定もなくなった[5]。小田急自体も、同年5月には東京横浜電鉄と合併し東京急行電鉄(大東急)となった[5]。
終戦後
ノンストップ特急運転開始
終戦後の1946年には大東急で「鉄軌道復興3カ年計画」が策定された[14]が、この中には小田原線の箱根登山鉄道への乗り入れ計画が含まれていた[15]。また、終戦の時点では新宿から小田原までは2時間30分もの所要時間を要していた[16]が、五島慶太は終戦直後にこの所要時間を半分にするように指示していた[17]。
1948年6月1日に大東急から小田急が分離独立したが、小田急は東急と比較すると営業路線長は約2倍あったにもかかわらず、運輸収入は半分に過ぎなかった[18]。そこで、収入増の方策として箱根への直通旅客増加を図ることとなり[2]、その一環として新宿と小田原をノンストップで結ぶ特急列車の運行が計画された[18]。複数車種で試運転などを行った結果、この特急に使用される車両として1600形の中から「復興整備車」として重点的に整備されていた車両が指定され[注釈 2]、特急料金の制定や各種ポスターの製作など準備が行われた[19]。
こうして、1948年10月16日から新宿と小田原を結ぶ特急列車の運行が開始された[20]。土曜日は下り1本のみ、日曜日は下り1本・上り2本のみの運行で、所要時間は100分であった[21]。使用車両は、朝ラッシュ時の通勤輸送に使用した1600形が入庫した後に、3つある乗降用扉のうち真ん中の扉を締め切った上で補助座席を置き[19]、ロングシートに白いカバーをかけた上でスタンド式灰皿を並べただけであった[18]が、戦後の復興途上だったこの時期においては精一杯のサービスであった[2]。当初計画では同年10月9日から運行開始の予定であった[22]が、豪雨の影響で箱根登山鉄道線が不通になってしまったために1週間延期されている[22]。
運行開始当初は集客がうまくいかず[23]、運輸部門では縁故を通じて乗客の勧誘に歩き回り[24]、駅の出札窓口でも積極的に特急列車の売り込みを行った[24]。乗客が少ない時には、本社勤務の社員が「サクラ」となって乗車したりしたこともあったという[23]が、次第に利用者が増加し、予想を上回る好成績となった[25]。
なお、この頃には、戦争で疲弊した輸送施設の復旧と改善を主目的として設置された輸送改善委員会において[26]、「新宿と小田原を60分で結ぶ」という将来目標が設定されている[26]。
特急車両1910形の登場
1949年には、小田急が分離独立してから初めて新型電車を製造することになった[18]。当時の新車製造は割当制であり、小田急には15両が割り当てられた[27]。割り当てのうち10両が1900形として発注されることになった[27]が、営業部門からクロスシートを装備した特急車両を要望する意見が強かった[18]ため、このうち4両を特急車両の1910形として製造することになった[27]。ただし、朝のラッシュ時には通勤輸送にも使用することになった[27]ので、扉付近をロングシートとした2扉セミクロスシートの車両となった[27]。また、編成は3両固定編成とし、中間車には日本国有鉄道(国鉄)の戦災焼失車の台枠を流用した改造車両を連結することとなった[18]。また、前年に近畿日本鉄道が特急の運行を再開した際に、2200系がレモンイエローと青の2色塗りとしていたものにあやかり[28]、この特急車両の外部塗色は濃黄色と紺色の2色塗りとすることになった[27]。
1910形は同年7月に入線し[29]、同年8月から2両編成で営業運行を開始[29]、同年9月から本来の3両固定編成となって運行を開始した[29]。1910形を使用した特急では、「走る喫茶室」と称した、車内に喫茶カウンターを設け、車内で飲み物を販売するサービスが開始された[30]。所要時間は90分であった[29]。
また、同年10月のダイヤ改正から、特急は1往復が毎日運転されることになった[30]。小田急が公式に「ロマンスカー」という愛称を用いたのはこの時からで、ポスターで「ニュールックロマンスカー毎日運転」と宣伝された[31]。
箱根登山鉄道への直通運転開始
この頃、小田急では箱根登山鉄道箱根湯本駅に乗り入れるための計画が進められていた。
しかし、小田急の軌間が1,067mmであるのに対して箱根登山は1,435mm[32]、架線電圧も小田急の1,500Vに対して箱根登山は600Vであった[32]。また、箱根登山では小田原から箱根湯本までの区間を「平坦線」と称していた[33]が、これは箱根登山の80‰という急勾配と比較しての話で[33]、実際には40‰もの勾配が続いており[33]、小田急の最急勾配が25‰であったのと比べればはるかに急な勾配であった[33]。
この対応として、軌道は三線軌条とし[34]、架線電圧については小田原と箱根湯本の間は1,500Vに昇圧することになり[34]、1950年8月1日から小田急から箱根湯本までの直通運転が開始された[35]。この時に新宿と小田原の間についてもスピードアップが図られ、新宿と小田原は80分で結ばれるようになった[36]。
この直通運転開始後に特急の利用者は急増し[36]、同年10月からは特急は毎日3往復に増発された[29]。
特急専用車両1700形の登場
特急利用者の増加は続き、2000形[注釈 3]が2編成だけでは不足するようになり、「特急券がとれない」という苦情も来る[28]ほどで、営業部門からは特急車両増備の要望が高まってきた[28]。また、2000形は扉付近の座席がロングシートであり、全ての座席をクロスシートにして欲しいという要望もあった[37]。しかし、収支面からはラッシュ輸送に使用できない特急専用車の新造を危ぶむ意見もあった[38]。社内での検討の結果、将来を考えて特急専用車を導入する[28]が、製造コストをできるだけ安価にするため[39]、台枠は国鉄の戦災復旧車や事故焼失車のものを流用することになった[28]。
こうして1951年2月に登場したのが1700形で、全ての座席が転換クロスシートとなり[40]、さらに座席数を増やすため、乗降用の扉は3両で2箇所という思い切った設計とした[39]。この1700形が、小田急ロマンスカーの地位を不動のものにしたとされている[41]。この1700形の導入後の同年8月20日から[13]、それまでは座席定員制だったものを座席指定制に変更した[42]。また、夕方に新宿に到着した特急車両にビール樽を積み込み、江ノ島まで往復する「納涼ビール電車」の運行も開始された[43][注釈 4]。この時点では、検査時や増発時には引き続き2000形も使用されていた[43]。しかし、設備面の格差が大きいことによる苦情があり[44]、同年8月までに第2編成が製造された[43]。
また1700形投入後に特急利用者の増加傾向が見られ[43]、特急の営業的な成功は明らかとなった[40]。このため、1952年8月に完全な新造車両として第3編成が投入された[45]。特急の利用者数がさらに増加するのに対応し、1953年には特急の増発が行なわれた[46]ほか、それまで使用されていた2000形を使用した座席定員制の急行列車が運行された[46]。
また、1954年夏からは江ノ島線にも特急料金が設定され[46]、夏季海水浴客輸送の期間には江ノ島線にも1700形を使用した特急が運行されるようになった[46]。
この頃の小田急では、先に述べた「新宿と小田原を60分で結ぶ」という将来目標に向けて、高性能車の開発に向けた試験を進めていた[47]。1954年7月には小田急ではじめてカルダン駆動方式を採用した通勤車両として2200形が登場しており、同年9月11日には「画期的な軽量高性能新特急車」の開発が決定していた[48]。
しかし、予想を上回る特急利用者数の増加があり[49]、新型特急車両の登場を待つ余裕はないと判断された[41]が、すでに通勤車両がカルダン駆動方式を採用しているのに、今さら特急車両を旧式の吊り掛け駆動方式で増備することは考えられなかった[50]。このため、暫定的に2200形の主要機器を使用し[51]、車体を特急用とした2300形が1955年に登場した[52]。また、この年の10月からは、御殿場線へ直通する特別準急の運行が開始されている[53]。
高度成長期
軽量高性能新特急車SE車の登場
1954年から国鉄鉄道技術研究所の協力を得て開発が進められていた「画期的な軽量高性能新特急車」は、1957年に3000形として登場した[54]。この3000形は "Super Express car" 、略して「SE車」と呼ばれる車両で[55]、数多くの新機軸が盛り込まれ[56]、軽量車両で安全に走行するための条件が徹底的に追及された[57]、低重心・超軽量の流線形車両であった[56]。「電車といえば四角い箱」であった時代[58]において、SE車はそれまでの電車の概念を一変させるものとなり[55]、鉄道ファンだけではなく一般利用者からも注目を集めた[58]。同年7月6日よりSE車の営業運行が開始された[48]が、すぐに夏休みに入ったこともあって[54]、連日満席となる好成績となり[54]、営業的にも成功した[59]。
また、同年9月には国鉄東海道本線でSE車を使用した高速走行試験が行われた[54]が、私鉄の車両が国鉄の路線上で走行試験を行なうこと自体が異例のことである[60]のみならず、当時の狭軌鉄道における世界最高速度記録である145km/hを樹立した[61]。また、これを契機に鉄道友の会では優秀な車両を表彰する制度としてブルーリボン賞を創設し[62]、SE車は第1回受賞車両となった[63]。
SE車が運用開始された1957年時点では、新宿と小田原は75分で結ばれていた[46]が、SE車は1958年にまでに4編成が製造され、特急が全てSE車による運行となった[46]ため、1959年からは67分で結ばれるようになった[64]。さらに1961年には新宿と小田原の間の所要時間は64分にまでスピードアップした[56]。
1959年からは、特急を補完するための準特急の運行が開始された[65]。使用車両は2扉セミクロスシート車で、特急運用から外れた2300形と、新造した2320形が使用された[65]。
前面展望車NSE車の登場
SE車の登場以後、特急利用者数はさらに増加し、週末には輸送力不足の状態となっていた[66]。また、1960年には箱根ロープウェイが完成し[67]、「箱根ゴールデンコース」と呼ばれる周遊コースが完成した[67]ことから、箱根の観光客自体が急増した[67]。このため、特急の輸送力増強策が検討された[68]が、その検討結果として、1963年に3100形が登場した。この3100形は "New Super Express" 、略して「NSE車」と呼ばれ[69]、8両連接車だったSE車に対し、NSE車では11両連接車とし[70]、さらに編成両端を展望席とする[71]ことによって定員増を図った車両である[72]。また、SE車と比較すると豪華さが強調される車両となった[73]。1963年にNSE車が4編成製造されたことによって、箱根特急の30分間隔運行が実現し[74]、同時に新宿と小田原の間の所要時間は62分にまでスピードアップした[74][注釈 5]。
この時期まで、箱根特急の列車愛称は列車ごとに異なり、後述するようにNSE登場直前の時点で16種類の愛称が使用されていた[75]が、NSE車の登場後の1963年11月4日からは5種類に整理された[76]ほか、準特急という種別は廃止となった。その後、NSE車はさらに3編成が増備され、1967年からは箱根特急の全列車がNSE車で運用されることになった[77]。
また、1964年3月21日からは、それまで夏季のみ運行されていた江ノ島線の特急が土休日のみであるが通年運行となり[78]、1965年3月1日からは毎日運転となった[78][注釈 6]。1966年6月1日からは特急の愛称がさらに整理され、新宿から小田原までノンストップの列車は「はこね」、途中向ヶ丘遊園と新松田に停車する列車は「さがみ」、江ノ島線特急は「えのしま」に統一された[78]。なお、途中駅に停車する特急はこのときの改正で新設されたもので[69]、元来は沿線在住の箱根観光客を対象としたものであった[79]。1968年7月1日からは、御殿場線直通列車が気動車からSE車に置き換えられ[80]、愛称も「あさぎり」に統一された[80]。列車種別は同年10月から「連絡急行」に変更されている[80]。1968年12月31日からは、初詣客に対応する特急「初詣号」の運行が行なわれるようになった[81]が、この列車は普段は各駅停車しか停車しない参宮橋にも停車するのが特徴であった[82]。
しかし、通勤輸送への対応[83]やそれに伴う新宿駅再改良工事[84]などの影響で、1972年以降、新宿から小田原までの所要時間は最速でも69分にスピードダウンを余儀なくされた[80]。線路容量不足のため、上り「さがみ」の一部が新宿まで運行できず、向ヶ丘遊園終着とする措置まで行なわれた[80]。
通勤利用者向け特急の運行開始
その一方で、通勤輸送に特急を活用する施策も開始された。
1967年4月27日からは江ノ島線特急「えのしま」が新原町田停車となり[80]、同年6月23日からは特急券を購入すれば定期乗車券でも特急に乗車できるようになり[85]、さらに同年8月からは新原町田に停車する特急「あしがら」の新設と増発が行われた[80]。特に、新宿に到着して相模大野の車庫へ回送される列車を新原町田まで客扱いしたところ[77]、通勤帰りの利用者が多くなった[86]ため、1968年には経堂の車庫へ回送される車両を相模大野の車庫への入庫に変更するなどして増発が行われた[87]。同年7月10日からは「さがみ」の本厚木停車が開始された[80]。
これは優等列車による通勤・通学対応としては日本では初の事例であり[88]、この後も徐々に通勤対応の特急が増発されてゆく。なお、1971年10月1日からは、連絡急行「あさぎり」の新原町田停車が開始された[80]が、「あさぎり」についてはこの時点では定期乗車券での利用はできなかった[80]。
1980年代 - 1990年代
レジャーの多様化へ向けて
しばらくは特急ロマンスカーについては大きな動きはなかったが、1970年代に入るとSE車の老朽化が進み[89]、代替を検討する時期となっていた[89]。このため、SE車の代替を目的として、1980年に7000形が登場した。7000形は "Luxury Super Express" 、略して「LSE車」と呼ばれる車両で、編成長や定員はNSE車と大きく変わらないものの、デザインや主要機器などが一部変更されている[90]。LSE車の導入により、特急の輸送力増強が図られた。1982年12月には、国鉄からの申し入れにより、東海道本線上での走行試験にLSE車が使用された[91]。国鉄の路線上で私鉄の車両が走行試験を行なった事例は、SE車とこのLSE車だけである[92]。
1984年2月1日からは、連絡急行「あさぎり」の停車駅に本厚木・谷峨が追加され[85]、1985年からは「あさぎり」も定期乗車券での利用が可能となった[93]。また、1986年10月4日からは、LSE車の車内に公衆電話が設置された[93]。
この時期になると、レジャーの傾向は多様化が進んでおり[94]、ゆとり以外に「一味違ったもの」が求められていた[94]。また、観光バスや他の鉄道事業者の車両においては高床(ハイデッキ)構造の車両が登場しており[95]、折りしも1987年は小田急の開業60周年となることから[96]、これを記念するために新型特急車両として10000形が登場した[94]。10000形は "High decker"[97] 、 "High grade"[97] 、 "High level"[97] 、 "High performance"[98] などのキーワードから連想する、上級というイメージを表して「HiSE車」と呼ばれ、客席を高くしたハイデッキ構造とし[95]、「走る喫茶室」にオーダーエントリーシステムが採用された[99]ほか、外装も近代的なイメージを意図したカラーリングに変更した[100]。
一方、1988年7月に小田急から東海旅客鉄道(JR東海)に連絡急行「あさぎり」に使用していたSE車の置き換えを申し入れたことがきっかけとなり[101]、特急に格上げした上で両社がそれぞれ新形車両を導入した上で相互直通運転に変更し[102]、運行区間も新宿と沼津の間に延長することとなり[102]。1991年に20000形が登場した。20000形は "Resort Super Express" 、略して「RSE車」と呼ばれる車両で[103]、JR東海371系電車と基本仕様を統一したため[104]、それまでの特急ロマンスカーの特徴であった連接構造や前面展望席は採用されず[102]、2階建て車両(ダブルデッカー)[105]や特別席(スーパーシート・グリーン席)を設置するなど[102]、それまでの小田急ロマンスカーの仕様からはかけ離れた車両となった[102]。
日常利用への対応
この頃になると、小田急ロマンスカーの利用者層にも変化が生じていた。観光客以外の日常利用が増加していた[79]ほか、1967年から開始された夕方新宿発の通勤用特急は増発が続けられ、当初の「回送列車の客扱い」という思惑を超え、わざわざ新宿まで出庫させる運用まで登場していた[106]が、それでも輸送力の増強が求められていた[107]。しかし、当時はまだ通勤輸送に対応した複々線化工事は進展しておらず[108]、これ以上の増発やスピードアップは困難な状況で[108]、単位輸送力の向上、言い換えれば列車の定員を増やすしか方法がなかった[108]。また、1963年から導入されているNSE車が置き換えの時期となっていた[79]。
こうした状況下、箱根特急の利用者数も減少傾向が続いていたことから[109]、日常的な目的での特急利用者を増加させることで補う意図もあった[109]。これにあわせて、1996年にそれまでとは一線を画す車両として[110]30000形が登場した。30000形は "Excellent Express" 、略して「EXE車」と呼ばれる車両で[111]、それまでの小田急ロマンスカーの特徴であった前面展望席も連接構造も導入されていない[112]。
EXE車の導入後も、日常利用への対応は続けられた。1998年からは相模大野と秦野にも特急が停車することとなり[113]、1999年7月からは「あしがら」「さがみ」を統合して「サポート」とした[114]ほか、新宿を18時以降に発車する特急は全て「ホームウェイ」という愛称になった[114]。こうした施策によって、1987年時点では1,100万人だった特急の年間利用者数は[115]、2003年には1,400万人に増加したのである[115]。
2000年代以降
観光特急の原点に回帰
ところが、日常的な特急の利用者数が増加する一方で、箱根特急の利用者数は大幅に減少していた。1987年の箱根特急の年間利用者数は550万人であった[115]が、2003年の利用者数は300万人程度にまで落ち込んでいたのである[115]。この理由を調べると、箱根を訪れる観光客自体も減少傾向にあった[115]ほか、EXE車には「小田急ロマンスカーのイメージ」とされた展望席が存在しなかったことが挙げられた[115]。また、2001年から運行を開始したJR東日本の「湘南新宿ライン」も、2004年には運行区間が延長され、特急ロマンスカーとあまり変わらない所要時間で新宿と小田原を結ぶようになった[116]。
このような状況下、2002年からは箱根特急へのてこ入れが開始されることになった。宣伝ポスターも、ロマンスカーを大写しにするのではなく、あくまで風景の一部としてロマンスカーを取り入れる施策に変更した[117]。また、ロマンスカーの看板車両として、前面展望席のあるHiSE車を再び起用することになった[118]が、そのHiSE車はバリアフリー対応が困難であることから、更新は行なわずに新型特急車両で置き換えることになった[118]。新型特急車両は、「もはやロマンスカーとは名乗らないくらいの覚悟で、新しい発想を取り入れる」か[119]、「ロマンスカーの原点に立ち返り、ロマンスカーの中のロマンスカーとする」という2つの方向性があった[119]が、後者の方向性で進められることになった[119]。
こうして、2005年に「小田急ロマンスカー」ブランドの復権を掲げ[120]、小田急の新たなフラッグシップモデルとして[121]50000形が登場した。50000形は前面展望席と連接構造を採用し[122]、乗り心地向上のために車体傾斜制御や台車操舵制御などを取り入れた[122]ほか、「箱根へ向かう乗客にときめきを与え、乗った瞬間に箱根が始まる」ことを目指した車両で[123]、客室内の様式から "Vault Super Express" 、略して「VSE車」と呼ばれる車両である[124]。VSE車の登場後、箱根を周遊するための乗車券である「箱根フリーパス」の販売枚数は、2006年に49万8000枚だった[125]ものが、2009年には74万枚に増加した[125]。
なお、2004年12月には再度ロマンスカーの愛称の整理が行われ、箱根特急は全て「はこね」[126]、箱根湯本に乗り入れない小田原線の特急は停車駅に関わらず「さがみ」という愛称に変更された[126]。
日本初の地下鉄直通有料特急
2005年に、小田急と東京メトロでは、ロマンスカーを東京メトロ千代田線に乗り入れる計画を発表した[127]。これは日本では初めての事例となる「座席指定制特急列車の地下鉄直通」で[128]、このために60000形が登場した。60000形は「多彩な運行が可能な特急列車」という意味で "Multi Super Express" 、略して「MSE車」と呼ばれる車両で[128]、2008年3月から営業運行を開始した[129]。
2012年3月17日からは、「あさぎり」の運行区間は新宿駅と御殿場駅の間に短縮されることになり[130]、「あさぎり」全列車がMSE車により運行されることになった[131]。
運行概要
小田急ロマンスカー運行系統図 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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運賃や料金については、公式サイトを参照のこと。
箱根特急・小田原線特急
戦前の「週末温泉急行」かルーツとなる、箱根への観光客を輸送するための列車である。1950年から箱根登山鉄道箱根湯本駅まで乗り入れるようになった。
1950年10月以降は愛称が設定されたが[81]、列車ごとに異なる愛称が設定されており、毎日運転の列車が「あしがら」・「はこね」・「乙女」、休前日・休日のみ運行の列車では「明神」という愛称であった[81]。その後増発されるごとに愛称も増加し、1963年にNSE車が登場する直前の時点では、新宿駅発車時刻順に「あしのこ」・「明星」・「あしがら」・「さがみ」・「大観」・「仙石」・「はつはな」・「湯坂」・「明神」・「はこね」・「乙女」・「神山」・「姥子」・「金時」・「早雲」・「夕月」という16種類に上った[132]。NSE車の登場後の1963年11月4日から、愛称は「あしがら」・「あしのこ」・「はこね」・「きんとき」・「おとめ」の5種類に整理された[78]。1966年6月1日からは停車駅別に愛称が分けられ、新宿と小田原の間をノンストップで運行する列車は「はこね」[78]、途中向ヶ丘遊園と新松田に停車する列車は「さがみ」[78]、1967年8月から運行開始された新原町田に停車する列車は「あしがら」という愛称になった[78][注釈 7]。
1996年3月からは愛称ごとの停車駅が変更され、「はこね」の停車駅に町田が、「あしがら」の停車駅に本厚木が追加され、新宿と小田原の間をノンストップで運行する列車の愛称は「スーパーはこね」に変更された。さらに、1999年7月からは、日中の特急は「あしがら」と「さがみ」を統合して「サポート」という愛称に変更された[114]ほか、18時以降に新宿を発車する下り特急の愛称は全て「ホームウェイ」に変更された[114]。
2004年12月には、箱根特急は「はこね」「スーパーはこね」[126][注釈 8]、小田原線内のみ運行の特急は全て「さがみ」[126][注釈 8]という愛称が設定されることになった。
江ノ島線特急
江ノ島線の特急は、1951年7月に新宿に到着した箱根特急の車両を利用して、「納涼ビール電車」と称する特殊急行を運行したものが始まりである[43][注釈 9]。
1952年夏には2000形を使用して料金不要の特急が設定され、1954年からは特急料金が設定された[65]。進行方向が変わる藤沢は運転停車だった[65]。列車ごとに異なる愛称が設定されており、「かもめ」[133]・「ちどり」[133]・「かたせ」[133]・「なぎさ」[133]・「しおじ」[134]という愛称が存在した。1964年までは夏季のみ運行であったが、1964年から通年運行が開始されて以降、愛称は「えのしま」1種類となった[81]。
1996年3月からは大和が停車駅に追加された[135]ほか、1999年7月からは18時以降に新宿を発車する下り特急の愛称が全て「ホームウェイ」に変更された[114]。
多摩線特急
多摩線に特急の運行が行なわれたのは、1990年のゴールデンウィークに多摩線開通15周年を記念して「江ノ島・鎌倉エクスプレス」が運行されたのが始まりである[81]。同年夏には海水浴客向けに「湘南マリンエクスプレス」が運行され[81]、翌年以降も引き続き運行された[81]。
多摩線における定期列車の特急は、2000年12月2日から設定された、新宿発唐木田行きの「ホームウェイ」からとなる[136]。
御殿場線直通
御殿場線直通の優等列車は、1950年10月1日から運行が開始された2往復が初で[137]、1959年7月には1日4往復に増発された[138]。当初は気動車による乗り入れであったが、御殿場線電化に伴い、1968年7月1日からSE車による直通運転が開始された[139]。国鉄線内では準急・急行という扱いであったため、小田急線内では「特別準急」・「連絡急行」という種別となっていた。
1991年3月16日からは沼津まで延長されると同時に特急に格上げされ、同時にJR東海との相互直通運転が開始された[140]が、2012年3月17日改正からはこれと同時に運行区間は新宿駅と御殿場駅の間に短縮され[130]、毎日運行の列車は3往復となった[130]。
初詣特急
初詣客を対象に毎年大晦日深夜から元旦未明にかけて運行される列車で、1968年12月31日から運行が行なわれるようになった[81]。明治神宮の初詣客に対応し、普段は各駅停車しか停車しない参宮橋にも停車するのが特徴[82]。2000年度は「2001初詣号」という愛称となり[141]、2001年度からは「ニューイヤーエクスプレス」という愛称に変更された[141]。
地下鉄直通
日本では初めての事例となる「座席指定制特急列車の地下鉄直通」で[128]、MSE車が使用される。
2008年3月15日より「メトロさがみ」「メトロはこね」「メトロホームウェイ」[142]が運行開始されたほか、日によっては有楽町線新木場まで乗り入れる「ベイリゾート」も運行された[142]。「ベイリゾート」については、同線各駅へのホームドア設置の関連で2011年10月以降運行を休止[143]、そのまま運転中止となった[144]
2010年元旦からは「メトロニューイヤー」の運行も開始された[145]。
シートサービス
ロマンスカーの車内で「走る喫茶室」と称するシートサービスが開始されたのは、1949年の1910形運行開始の時からである[146]。乗客サービスとして「お茶でも出せないか」という発想から検討されたもので[146]、乗客全員に紅茶とケーキを提供するという案もあった[146]が、特急券を購入した乗客に物品を提供するのは規則上禁止されていた[146]ため、飲料の販売を行うことに決定したものである[146]。
編成も乗車時間も短いため[146]、食堂車などを連結するのではなく、車内にカウンターを設けた上でシートサービスを行うようにした[146]。しかし、森永製菓や明治製菓に打診したところ採算面から断られ[147]、三井農林(日東紅茶)も当初は断った[146]ものの、「紅茶の普及宣伝」という方針で受諾したものである[147]。その後の特急車両では車内に喫茶カウンターが設けられた。
その後、NSE車が7編成となった時点で、日東紅茶だけでは対応できなくなったことから[148]、1963年から森永の宣伝を兼ねて森永エンゼルが参入することになった[146]。1987年に運行開始したHiSE車ではオーダーエントリーシステムも導入された[149]。しかし、1991年3月から運行を開始した「あさぎり」では、シートサービスではなくワゴンによる販売サービスを行なうことになった[150][注釈 10]。さらに、1995年までにシートサービスは終了し[151]、以後はワゴンサービスのみとなった[151]。
2005年に登場したVSE車では、「走る喫茶室」と同様のシートサービスの営業が復活[152]、飲料はVSE専用のガラスカップによって提供される[153]。
予約システム
運行開始当初から1979年まで
戦前の「週末温泉急行」は座席定員制を導入しており[154]、「列車指定割引乗車券」という名称の往復乗車券を発売し[154]、この乗車券の発売によって人員制限を行っていた[154]。
戦後に1600形を使用したノンストップ特急でも初めて特急料金は設定された[154]。初めて特別急行券(特急券)が発売されたのは1949年の1910形の投入時で[154]、温泉マークの入った硬券特急券が発行された[154]。それまでは座席定員制であった[154]が、1700形導入後の1951年8月20日から座席指定制を採用し、特急券に号車番号と座席番号が記入されるようになった[154]。
1966年には途中駅停車の「さがみ」が運行を開始[78]、1967年4月には「えのしま」の新原町田停車[80]、同年10月からは新原町田停車の「あしがら」が運行を開始した[80]が、この時から愛称ごとに地紋の色を変え、発売時に一目で分かるように区別できるようにした[155]。また、上り列車用の特急券には斜線を入れた[155]。
座席予約システムの導入
特急の座席については、新宿駅構内に設けられた割当センターで台帳管理されていた[156]が、1970年代後半になると管理する座席数は67万座席となり[156]、発売窓口と割当センターとの電話連絡の中で重複発行などの誤取り扱いの発生、待ち時間などの問題が発生していた[156]。
これを解決するため、座席予約システム( "Seat Reservation" 、以下「SR」と略す)を導入することになり、1979年2月27日から使用を開始した[156]。SR端末は特急停車駅や案内所、小田急トラベルサービスの主要営業所に設置された[156]。また、新宿駅当日特急券発売所には、他の端末の7倍の発券速度を有する高速プリンターを設置した[157]。予約受付は5ヶ月前から[156]、発売は3週間前から行っていた[157]。
1987年には禁煙席の導入に対応するため、SRシステムの更新が行われた[158]。更新されたシステムでは、払い戻しや取り消しの際に端末機が発券コードを読み取って上で自動処理を行うことで、誤取り消しによる重複発売の防止が図られた[158]。また、これと同時に、新宿駅には当日特急券券売機を導入した[158]ほか、予約受付を6ヶ月前から[159]、発売を1ヶ月前からに変更した[159]。
1991年からはプッシュホンによる空席照会と予約が可能となった[160]。
1995年にSRシステムのリニューアルを行い、全駅にSR端末を設置した[161]ほか、特急券が磁気エンコード化され、乗車券とともに発券された場合でも自動改札機を通過できるようにした[161]。1996年には大手旅行会社の端末とSRシステムのホストを直結し、迅速な発券を可能とした[162]。
1999年7月からは車掌携帯用座席確認システムを導入し、乗車時の特急券確認作業を廃止した[163]。このシステムはザウルス端末を利用して[163]、携帯電話回線経由でホストコンピュータにアクセスすることにより、その発売状況を号車別・座席別・区間別に車掌が把握し、その情報を車内での改札業務に利用できるシステムである[163]。これにより、発売情報とは異なる座席に着席している乗客に対してのみ車内改札を実施することが可能となった[163]。
2001年からはホームページ上からの特急券予約が可能となった[160]。2003年には座席予約や発売業務を管理するシステムとして、全駅の窓口・自動券売機・旅行会社のシステムに接続されるMFITTシステム( "Multimedia Future Intelligent Total Traffic servixe system" の略)を導入した[164]。2004年からは、多機能券売機の導入により、全駅の券売機で特急券の購入が可能となった[165]。2012年時点では、予約・発売とも1ヶ月前から開始となっている[166]。
ロマンスカー@クラブ
2001年7月から、インターネットに対応した携帯電話で特急券を購入し、そのまま乗車可能となるチケットレス乗車システムとして「ロマンスカー@クラブ」のサービスを開始した[164]。
このサービスは駅窓口に申し込みすることで会員登録され、当日から利用可能となる[164]。2009年には携帯電話やパソコンの高機能化に対応し、スマートフォンやパソコンからも特急券を購入することが出来るようにシステムがリニューアルされた[164]。
どこからでも携帯電話を利用して座席を確保することが出来ることによって利便性が向上し[164]、2010年時点では平日夕方の「ホームウェイ」の乗客の4割が「ロマンスカー@クラブ」を利用している[167]。
車両
車両の特徴
連接構造
1台の台車によって2車体を連結する連接構造は、1957年に登場した3000形SE車において初めて採用された。曲線の多い小田急線の軌道条件において曲線通過を容易にできること[168]、車体支持間隔の短縮により車体剛性を確保できること[168]、オーバーハング部分がないため乗り心地を改善できる[168]、台車配置の平均化により軌道への負担が軽減されること[168]が理由として挙げられており、当時小田急の取締役兼考査局長であった山本利三郎の強い主張により採用されたものである[169]。この当時、日本の高速電車における連接車の採用実績は、京阪60型・西鉄500形・名鉄2代目400形の3形式だけであり[170]、一挙に8車体もの連接車を導入したのは当時としては大英断であったといわれている[171]。
その後、連接構造は1963年に登場した3100形NSE車・1980年に登場した7000形LSE車・1987年に登場した10000形HiSE車においても採用されており[172]、小田急の特急車両の大きな特徴となった[171]。日本の高速電車全体での連接車の採用事例の中でも、小田急の特急車両における採用事例が突出して多い[173]。
しかし、1991年に登場した20000形RSE車ではJR東海との協定により371系電車と基本仕様を統一した[104]ため通常の鉄道車両と同様のボギー車となった[103]が、車内販売のカウンターが車端部のオーバーハング部分に設置されたため、それまで連接車にしか乗務した経験のなかった車内販売の担当者から「RSE車に乗ると乗り物酔いになる」という声も上がった[174]。さらに、1996年に登場した30000形EXE車においても、定員増のためにはボギー車が有利であると判断され[175]、連接構造は採用されなかった[175]。2008年に登場した地下鉄直通用車両の60000形MSE車も通常のボギー車である。
ただし、小田急側では「連接車をやめたわけではない」「連接車はわが社(小田急)だからできること」ともしており[176]、2005年の50000形VSE車登場にあたっては乗り心地の向上のためには不可欠なものとして連接構造が採用された[177]。また、VSE車では台車が車体間にあるという連接車の構造を利用して[178]、空気ばねの位置を車体重心近くの高い位置にする構造となっている[179]。
展望席
運転室を2階に上げ、最前部まで客室とした前面展望構造とすること自体は、1700形製造の頃には既に存在していた構想で、その後も特急車両の設計が行なわれるたびに検討されたがこれまで実現に至らず[180]、1963年に登場した3100形NSE車で初採用となった[180]。この構造は、乗客に眺望を楽しんでもらうという意図[180]の他に、輸送力増強策の一つでもあるとされていた[72]。その後、展望席は「いつか乗ってみたい存在」というステイタスとして定着し[115]、7000形LSE車、10000形HiSE車にも同様の構造は引き継がれた[181]。1991年に登場した20000形RSE車では連接車と同様の理由によりこの構造は採用されなかった[103]が、客席をハイデッキ構造にしたため客席からの展望は確保されていた[182]。
しかし、1996年に登場した30000形EXE車では分割併合を行うこととなり、貫通路を設置する先頭車での展望席設置は困難となった[175]。また、分割して運行する区間が長いため、その際にも違和感のないものとするという理由によって[175]、非貫通タイプの運転台でも展望席は採用されなかった[175]。ところが、この構造が、前述したように箱根特急の利用者減少の一因となった[115]。家族旅行で箱根特急を利用する際に、EXE車を見た子供から「こんなのはロマンスカーじゃない」と言われてしまうことがたびたび発生したのである[183]。このため、2002年からは広告で使用される車両を前面展望席のあるHiSE車に変更した[117]ほか、2005年に登場の50000形VSE車では再び展望席が採用された[122]。
2008年に登場したMSE車は、地下鉄直通時の非常用通路として前面貫通路設置が必須であったことから[184]、展望席設置は見送られている[184]。
補助警報音
補助警報音は、1957年に登場した3000形SE車において、遠くからでも高速で走る電車の接近が分かるようにするために考案されたものである[185]。これは西部劇の映画の中で、機関車が鐘を鳴らしながら走行していることをヒントにしたもの[185]であるが、音色の決定に際しては、運輸省から「警報装置としての条件を満足させるべき」と[186]、警視庁からは「騒音公害にならないように」という要望があった[186]。この相反するようにみえる要望を満たすため小田急沿線在住の音楽家である黛敏郎にも相談[187]、音響心理学研究所の指導を得て[187]、最終的にはヴィブラフォンの音色で[187]、2km付近まで達する音量となった[188]。SE車ではエンドレステープが使用された[189]が、営業運行後にテープが伸びたり切れてしまうことが多かった[190]ため、3100形NSE車以降はトランジスタ発振器に変更され[191]、20000形RSE車まで搭載された[192]。
常時音楽を鳴らしながら走ることから、ロマンスカーは「オルゴール電車」と呼ばれるようになった[59]ほか、「小田急ピポーの電車」というCMソングも作られた[193]など、小田急ロマンスカーのシンボルの1つとなった[194]。しかし、列車本数の増加などにより騒音とみなされるようになってしまい[194]、10000形HiSE車が製造された1987年頃にはほとんど鳴らす機会はなくなっていた[195]。
しかし、50000形VSE車では、通常の警笛(電子笛)と回路を共用するミュージックホーンとしてこの音色を復活させ[192]、60000形MSE車でも実装された[192]。
シンボルマーク
ロマンスカーのシンボルマークは、1951年8月に登場した1700形の第2編成で、それまでは社紋が置かれていた側面の中央窓下にアルミ製のヤマユリの紋章を取り付けたものが始まりである[43]。ヤマユリは神奈川県の県花であり、相模の山野を走るロマンスカーにはふさわしい花とみられていた[196]。この紋章は1700形の全編成に設置された[43]が、1700形が一般車両に格下げとなった際に外された[196]。
この紋章が復活したのは1980年登場の7000形LSE車からで、登場後まもなく車内の自動ドアにぶつかる乗客が目立ったこと[197]から、目線の高さに1700形の紋章に準じたシンボルマークをカッティングシートで貼付したものである[197]。この自動ドアのステッカーは10000形HiSE車・20000形RSE車でも継承され、1996年からは車体修理を受けたLSE車・HiSE車・RSE車の車体側面にも同様のマークが貼られるようになった[198][199][200]。
これとは別に、30000形EXE車・50000形VSE車・60000形MSE車では、車両愛称のロゴをデザインしている[201][202][203]。
ブルーリボン賞
鉄道友の会が優秀な車両を表彰する制度としてブルーリボン賞の制度を創設した[62]のは、3000形SE車が東海道本線上で当時の狭軌鉄道における世界最高速度記録を樹立したことがきっかけである[204]。むしろSE車を表彰するために制度が創設されたという方が実情に近く[205]、事実SE車は理事会の決定により無投票で第1回受賞車両に選出された[206]。
その後も、30000形EXE車を除く7形式が受賞しており、2011年時点での受賞回数7回は大手私鉄では近畿日本鉄道とともに最多である[207]。
歴代運用車両
特急専用車
- 1910形→2000形
- 1949年に登場した、分離発足後初の新車[208]。6両が特急車両として登場した「初代小田急ロマンスカー」[18]であるが、1952年を最後に特急運用からは外れた[208]。
- 1700形
- 1951年に登場した、初の特急専用車である[38]。1957年に特急運用から外れた[38]。
- 2300形
- 後述するSE車が登場するまでの「つなぎ役」として1955年に登場[50]、1959年に特急運用から外れた[209]。
- キハ5000形
- 1955年に登場[210]、1968年の御殿場線電化により運用から外れる[211]。
- 3000形(SE車)
- 1957年に登場した軽量高性能新特急車[54]。1968年には編成短縮の上御殿場線直通にも使用されるようになり[139]、1991年に運用から外れた[212]。第1回ブルーリボン賞受賞車両[60]。
- 3100形(NSE車)
- 前面展望席を設けて1963年に登場[69]、1999年まで運用された[213]。第7回ブルーリボン賞受賞車両[214]。
- 7000形(LSE車)
- 1980年に登場[90]。第24回ブルーリボン賞受賞車両[215]
- 10000形(HiSE車)
- 展望席以外を高床化して1987年に登場[96]。2012年に運用から外れた[216]。第31回ブルーリボン賞受賞車両[100]。
- 20000形(RSE車)
- 御殿場線直通用として1991年に登場[105]。2012年に運用から外れた[216]。第35回ブルーリボン賞受賞車両[103]。
- 30000形(EXE車)
- 1996年に登場、初めて分割併合に対応した[217]。
- 50000形(VSE車)
- 前面展望席と連接構造を復活させて2005年に登場[122]。第49回ブルーリボン賞受賞車両[124]。
- 60000形(MSE車)
- 日本初の地下鉄直通有料特急用として2008年に登場[128]。第52回ブルーリボン賞受賞車両[128]。
一般車両
- 1600形
- 1948年に6両が戦後初の特急として運用された[218]。乗車には特急料金が必要だった[19]。
- 2400形(HE車)
- 1965年前後の数年間[205]、特急需要のピーク時や検査入場時などに特急車両が不足するため[205]、一部の「えのしま」に運用された[205]。特急料金不要ではあるが座席定員制で[205]、「サービス特急」と呼ばれた[205][注釈 11]。
- 8000形
- 1987年1月、NSE車とLSE車が各1編成ずつ工場に入場していた時期に、踏切事故によりSE車が1編成使用不能になった[219]ため、本来はSE車が運用される「さがみ」の一部列車に運用された[219][注釈 12]。
他社からの乗り入れ
年表
- 各車両編成の就役日などは、各車両形式の歴史の項を参照のこと。
SE車導入まで(1957年以前)
- 1935年(昭和10年)6月1日、土曜・休日に限り新宿駅 - 小田原駅間無停車の「週末温泉列車」の運転開始。ムーランルージュ新宿座の看板女優・明日待子が吹き込んだレコードで、沿線案内を行う準備をした[5]。
- 1942年(昭和17年)1月、太平洋戦争の激化に伴い「週末温泉列車」の運行休止[13]。
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)8月1日、箱根登山線箱根湯本駅まで乗り入れ開始[35][注釈 13]。
- 1951年(昭和26年)
- 1953年(昭和28年)7月、小田急ロマンスカーのシンボルマークとして「白百合」のマークが1700形に取り付けられる[43]。
- 1954年(昭和29年)7月13日、江ノ島線に特急料金を制定[46]。
- 1955年(昭和30年)
SE・NSE時代(1957年 - 1980年)
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)1月29日、3000形「SE」が1958年第1回鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞[63]。
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)3月1日、「えのしま」の毎日運転開始[78]。
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)1月1日、新宿駅 - 新原町田駅で臨時特急「初詣号」が1往復運行される(途中停車駅は参宮橋と向ヶ丘遊園)[81]。以後、毎年初詣客向けの特急が運行されるようになる。
- 1972年(昭和47年)8月24日、沿線に居住していた英国人教師より「補助警報音は騒音公害源である」とする抗議を受け、相模大野駅以東での使用が禁止となる。
- 1979年(昭和54年)2月27日、特急券の座席予約・販売にオンラインシステムを導入[156]。
LSE・HiSE時代(1980年 - 1991年)
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)
- 1984年(昭和59年)
- 1986年(昭和61年)10月4日、7000形「LSE」車内に車内電話が設置される[93]。
- 1987年(昭和62年)
RSE・EXE時代(1991年 - 2005年)
- 1991年(平成3年)
- 3月16日、20000形「RSE」・JR東海371系就役[225]。「あさぎり」が連絡急行から特急に格上げ、運転区間を沼津駅まで延長[140]。特別席"スーパーシート・グリーン車"が設置される。同時に特別席(スーパーシート・グリーン車)料金制定。同日、ORS(小田急レストランシステム)とジェイダイナー東海(現・ジェイアール東海パッセンジャーズ)が車内販売のサービスを開始する。
- 7月、臨時列車「ビア・エクスプレス納涼号」が運行される。
- 1992年(平成4年)
- 3月8日、新宿駅→唐木田駅間で「さようなら3000形走行会」実施[212]。
- 3月25日、上記の同区間で臨時列車「サンリオピューロランド号」が運行される。
- 3月31日、3000形「SSE」全廃[85]。全廃時には「小田急メモリアル」というイベントが展開される。
- 6月、臨時列車「あじさい号」が運行される。
- 8月29日、20000形「RSE」が1992年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞[85]。同時に新宿→唐木田間にて受賞記念列車運行。
- 10月3日、第9回全国緑化かながわフェアの開催を記念し、臨時列車「グリーンウェーブ相模原号」が7000形「LSE」で運行される。
- 10月25日、団体列車「カントリーインアサギリ号」が20000形「RSE」にて新宿駅 - (御殿場線・東海道本線経由) - 身延線富士宮駅間で運行される[226]。
- 11月10日、大野工場に3000形「SSE」の記念モニュメントを設置[85]。
- 1993年(平成5年)
- 3月9日 3000形「SSE」第3編成 (3021F) を大野工場にて静態保存向けの工事を実施。うち2両を竣工当時の「SE」仕様に復元[85]。
- 3月16日、静態保存用工事を実施した3000形「SSE」第3編成 (3021F) を海老名車両基地に回送[85]。
- 3月20日、3000形「SSE」第3編成(3021F)を海老名車両基地内の保管庫へ搬送、永久保存へ[85]。
- 3月28日、日東紅茶(三井農林)が小田急ロマンスカーの「走る喫茶室」のサービスから撤退。同日鉄道友の会30周年記念行事として3100形「NSE」が小田急多摩センター駅4番ホームに展示される。同時に京王多摩センター駅1番線に京王帝都電鉄(現・京王電鉄)5000系が展示され、両社の名車が並んで展示された[注釈 14]。
- 1995年(平成7年)3月4日、一部の「あしがら」が本厚木駅への停車開始。
- 1995年(平成7年)
- 1996年(平成8年)3月23日、30000形「EXE」就役[228]。「はこね」のほとんどの列車が町田駅に停車するようになったため、町田駅に停車しない「はこね」を「スーパーはこね」に改称。30000形「EXE」就役により一部の「はこね」「あしがら」と「えのしま」の併結運転が開始。「えのしま」が大和駅への停車を開始[135]。
- 1997年(平成9年)、小田原線開業70周年を記念し、3100形「NSE」第4編成 (3161F) を改造した「ゆめ70」が運転開始[229]。
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)4月23日、「ゆめ70 さよなら運転」実施[213]。
- 2001年(平成13年)
- 3100形「NSE」3181号車が開成駅前にて静態保存される[213]。
- 4月24日、10000形「HiSE」の10041Fが「イタリアンエクスプレス」として運行され、イタリアの国旗をイメージした「赤・白・緑」のストライプを施した記念塗装となる( - 2002年3月)[231]。
- 7月8日、「ロマンスカー@クラブ」の予約開始。
- 7月15日、特急券のチケットレスサービスが開始される[164]。
- 9月3日、3100形「NSE」の第7編成(3221F)が喜多見電車基地内にて静態保存される[213]。
- 10月、「ロマンスカー@クラブPC」のサービス開始[167]。
- 12月31日、従来「初詣号」として運行されていた初詣客向け臨時特急の列車名を「ニューイヤーエクスプレス」に改称[141]。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)4月6日、座席番号の表記方法を変更[233]。
- 2004年(平成16年)12月11日、「サポート」を廃止し、「さがみ」の列車愛称が復活[126]。「えのしま」の運転本数を大幅削減。
VSE・MSE時代(2005年以降)
- 2005年(平成17年)
- 2月19日、50000形「VSE」が海老名電車基地内にて車両見学会を実施。
- 3月5日、50000形「VSE」の試乗会を新宿→小田急多摩センター間と唐木田→新宿間で実施。
- 3月19日、50000形「VSE」第1・2編成(50001F・50002F)就役[234]。同日、車内で配布する無料観光情報誌『るるぶFREE ロマンスカー 箱根 小田原』創刊。
- 4月1日、特急券を購入した際に小田急ポイントカードにポイントが加算されるサービスが開始される。
- 5月17日、小田急ロマンスカーの東京地下鉄への乗り入れと新型車両60000形「MSE」の導入を発表[127]。
- 7月1日、小田急ポイントカードに貯まったポイントで特急券を購入できるサービスが開始される。
- 8月12日、10000形「HiSE」の第2・4編成(10021F・10061F)が長野電鉄に譲渡される。
- 10月1日、従来禁止されていた小田原駅 - 箱根湯本駅間の乗車に際して列車に空席があった場合に限り座席指定を行わない「座席券」が発売され乗車可能となる。なお、「座席券」は当日ロマンスカーの発車直前にホームにて発売。
- 10月6日 - 10月11日、「ロマンスカー@クラブ」にて他の利用者の個人情報が閲覧できるという事態が起こる。
- 2006年(平成18年)
- 1月12日、50000形「VSE」が2005年度グッドデザイン賞受賞[235]。
- 1月14日、50000形「VSE」のグッドデザイン賞受賞を記念し、受賞記念の「G」マークが車体に貼られる。
- 2月16日、「はこね43号」として運行していた7000形「LSE」第1編成 (7001F) が、小田急相模原駅を通過していた18時16分、ホームから男性が飛び込み自殺した。その際に展望席のフロントガラスが大破し、展望席の乗客9名が怪我を負う。
- 2月17日、前日の事故を受け、全列車の前展望席の使用を中止となる。
- 2月24日、展望席のフロントガラスに「飛散防止フィルム」を貼るという安全対策を施したことから、前展望席の使用を再開。
- 3月19日、50000形「VSE」就役1周年を記念して、新宿・町田・小田原・箱根湯本の各駅に到着・発車時に補助警笛(ミュージックフォーン)を鳴らすサービスを開始。同日、50000形「VSE」の就役1周年を記念して「1st ANNIVERSARY」という記念のロゴが車体に貼付される。
- 3月31日、新宿駅の西口地上改札前に「ロマンスカーカフェ」が開設され、営業を開始する。
- 4月8日、はこね14号として運行していた50000形「VSE」が、町田駅発車後、展望席にて雨漏り発生。後日、雨漏り対策工事実施。
- 5月15日、特急券を所持せずに特急に乗車した者に限り通常の特急料金に300円を加算して販売する制度[注釈 15]ができる。なお、この制度で購入した特急券には座席の指定がなされない。
- 9月10日、50000形「VSE」が2006年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。定期列車である「スーパーはこね13号」の一部を鉄道友の会が貸切にして受賞記念列車を運行。また、これを記念して「Blue Ribbon ROMANCECAR VSE 2006」という記念のロゴが車体に貼付される。
- 2007年(平成19年)
- 3月18日、全席終日禁煙化。同日、「湘南国際マラソン号(臨時31号)」が新宿駅→片瀬江ノ島駅間にて運行。
- 7月6日、小田急ロマンスカー3000形「SE」就役50周年を記念し、7000形LSEが旧塗装となる[236]。同時に「旧塗装特別記念号」が新宿→小田原間において運行される[237]とともに在籍中のロマンスカー全編成に50周年の記念ロゴが貼付される。同日、小田急ロマンスカーCMソング「ロマンスをもう一度」のCDを発売。
- 8月18日・25日、団体列車「ウルトラマンロマンスカー M78星雲号」、成城学園前駅 - 小田原駅間にて運行[238]。
- 10月19日、60000形「MSE」の関係者向けの公開が行われる。同日、小田急ロマンスカーの東京地下鉄への乗り入れの概要を発表。
- 10月20日・21日、両日に海老名電車基地で開催された「ファミリー鉄道展2007」において、3000形「SSE」・3100形「NSE」・7000形「LSE」による旧塗装車の展示と60000形「MSE」の一般向けの初公開が行われる[239]。
- 2008年(平成20年)
- 3月15日、60000形「MSE」就役。東京地下鉄千代田線直通ロマンスカーの運転開始[129]。
- 5月3日、60000形「MSE」による不定期での東京地下鉄千代田線経由有楽町線直通列車の運転開始[142]。
- 7月15日、60000形「MSE」車内専用配布無料観光情報誌『るるぶFREE MELLODA』創刊。
- 7月22日 - 8月22日、同期間の平日に限り、「湘南マリン号(臨時51号(片瀬江ノ島行き)・臨時52号(唐木田行き))」を唐木田駅 - 片瀬江ノ島駅間で運行。
- 9月30日、60000形「MSE」が第10回ブルネル賞車両部門奨励賞を受賞。
- 10月8日、60000形「MSE」がグッドデザイン賞を受賞。同日より「Gマーク」が車体に掲出される。
- 2009年(平成21年)
- 2月14日、15日、21日、22日、「メトロおさんぽ号(臨時メトロ80号)」を町田駅 - 北千住駅間にて運行[240]。
- 3月22日、団体列車「エコロマンスカー号」を新宿駅 - 小田原駅間にて運行[240]。環境大臣(当時)・斉藤鉄夫、気象予報士・森田正光らが乗車し、車内で「親子で学ぼう!春の温暖化防止スクール」を実施。
- 7月21日 - 8月21日、同期間の平日に限り、「湘南マリン号」を成城学園前駅 - 片瀬江ノ島駅間で運行[141]。また、8月3日から8月7日までは「クールビズトレイン」として車内設定温度を1 - 2度上げて運行。
- 9月13日、60000形「MSE」の2009年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞式典挙行。定期列車である「はこね15号」の一部を鉄道友の会が貸切にして受賞記念列車を運行[241]。また、これを記念して「Blue Ribbon ROMANCECAR MSE 2009」という記念のロゴが車体に貼付される。
- 11月15日、「メトロもみじ号(臨時81号(小田原行き)・臨時82号(北千住行き))」を北千住駅 - 小田原駅間にて運行[240]。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生し、ロマンスカー全列車の運転を休止する。
- 3月14日、福島第一原子力発電所などの停止に伴う電力供給の逼迫のため、東京電力が輪番停電(計画停電)を実施。これに伴い、この日からロマンスカー全列車の運転を休止し、特急券の販売を停止する[243]。
- 4月16日、この日から臨時ダイヤにより運転再開。一部運行再開となった「あさぎり号」以外は臨時特急(臨時○○号)として運行し、東京メトロ千代田線直通ロマンスカーは引き続き運行休止。ロマンスカー全車両には「がんばろう日本」のステッカーを貼付。また、4月16日に運転するロマンスカーの全列車(あさぎり号を除く)の特急料金相当額を義援金として日本赤十字社に寄付[244]。
- 4月29日、通常の列車名で運転再開。
- 10月、東京地下鉄有楽町線ホームドア設置工事のため[143]、「ベイリゾート」の運転を休止する。
- 2012年(平成24年)
脚注
注釈
- ^ 第3321840号
- ^ デハ1601、デハ1602、デハ1604、デハ1607、クハ1651、クハ1315の6両(『小田急ロマンスカー物語』 p.56)。ただしデハ1601は制御車代用であった(『小田急ロマンスカー物語』 p.57)。
- ^ 1910形は1950年に改番され、2000形に変わっていた(『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』 p.61)。
- ^ この「納涼ビール電車」は特殊急行という扱いで、特急料金は不要だった(『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』 p.47)。
- ^ a b これが新宿 - 小田原間所要時間の最短記録であり、以降はダイヤ過密化から所要時間が増加している。一部区間の複々線化が完成した2011年時点の最速所要時間は66分であり、1963年当時の水準に達していない。
- ^ 定期列車扱いとなったのは1965年11月15日のダイヤ改正からである(『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.21)。
- ^ このため、「さがみ」という愛称は1963年11月4日から1966年5月31日まで、「あしがら」という愛称は1966年6月1日から1967年7月までは使用されていなかったことになる。
- ^ a b ただし、18時以降に新宿を発車する列車は「ホームウェイ」。
- ^ 「いそ風」・「すず風」という愛称が設定されていた(『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.148)。
- ^ ただし、グリーン車ではシートサービスが行われた(『小田急ロマンスカー物語』 p.116)。
- ^ 1965年に小田急が発行した夏季時刻表では、下り・上りとも「第3えのしま」「第4えのしま」が座席定員制・特急料金不要のサービス特急として記載されている(『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.151)。
- ^ a b この時は種別幕は「臨時」と表示し、特急料金は不要だった(『鉄道ピクトリアル』通巻478号 p.107)。
- ^ ただし、乗り入れに際しての協定により同線内は料金を徴収しないが乗車が禁じられていた。
- ^ 当時小田急多摩センター駅の4番ホームと京王多摩センター駅の1番線は並行していたが、2007年に小田急多摩センター駅の4番ホームが撤去されたため現在は並行していない。
- ^ 競合する東日本旅客鉄道(JR東日本)の湘南新宿ライン・東海道本線の快速・普通列車のグリーン車も類似の乗車後購入の割増料金を採用している。
出典
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関連項目
外部リンク
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