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** [[津田健太]](-2016年。→[[リクルートホールディングス]]住まいカンパニー)


* 2016年
* 2016年

2019年9月13日 (金) 09:21時点における版

RSKホールディングス > RSK山陽放送
RSK山陽放送株式会社
RSK Sanyo Broadcasting Co., Ltd.
RSK山陽放送本社 2010年12月29日撮影
RSK山陽放送本社 2010年12月29日撮影
種類 株式会社
略称 RSK
本社所在地 日本の旗 日本
700-8580
岡山県岡山市北区丸の内二丁目1番3号
設立 2018年平成30年)5月25日
(山陽放送分割準備株式会社)
業種 情報・通信業
法人番号 2260001032072 ウィキデータを編集
事業内容 一般放送事業など
代表者 代表取締役社長 桑田茂
資本金 1億円(2019年4月1日現在)
発行済株式総数 100株(2019年4月1日現在)
従業員数 142人(2019年3月31日現在)[1]
決算期 毎年3月31日
主要株主 RSKホールディングス株式会社 100%
外部リンク www.rsk.co.jp/
特記事項:2019年4月1日、旧山陽放送(現RSKホールディングス)の認定放送持株会社化に伴い、事業譲渡を受けると共に商号変更。
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RSK山陽放送
基本情報
英名 Sanyo Broadcasting Co., Ltd.
略称 RSK
本社 〒700-8580
岡山県岡山市北区丸の内二丁目1番3号
北緯34度39分52.5秒 東経133度55分57.5秒 / 北緯34.664583度 東経133.932639度 / 34.664583; 133.932639座標: 北緯34度39分52.5秒 東経133度55分57.5秒 / 北緯34.664583度 東経133.932639度 / 34.664583; 133.932639
演奏所 同上
公式サイト RSK / 山陽放送 岡山・香川
ラジオ
放送対象地域 岡山県
系列 JRNNRN
愛称 RSKラジオ
呼出符号 JOYR
呼出名称 さんようほうそう
開局日 1953年10月1日
親局 / 出力 岡山 1494kHz /  10kW
主な中継局 津山・新見・高梁など 1494kHz
FM補完放送岡山 91.4MHz
テレビ
放送対象地域 岡山県香川県
ニュース系列 JNN
番組供給系列 TBSネットワーク
愛称 RSK
RSKテレビ
RSK山陽放送(2019年3月31日まで)
呼出符号 JOYR-DTV
呼出名称 RSKおかやま
デジタルテレビジョン
開局日 1958年6月1日
リモコンキーID 6
デジタル親局 岡山 21ch
アナログ親局 岡山 11ch
ガイドチャンネル 11ch
主な中継局 津山・高梁・備前など 19ch
高松・西讃岐・小豆島など 21ch ほか
主なアナログ中継局 岡山県
笠岡・新見・久世 6ch
津山・高梁・児島 7ch
蒜山 8ch ほか
香川県
高松前田山 29ch
西讃岐(丸亀) 48ch
小豆島 49ch ほか
テンプレートを表示

RSK山陽放送株式会社(さんようほうそう、RSK Sanyo Broadcasting Co., Ltd.)は、岡山県放送対象地域とした中波放送(AM放送)事業と、岡山県と香川県を放送対象地域としたテレビジョン放送事業を兼営している特定地上基幹放送事業者

略称はRSKRadio Sanyo K.K.、旧愛称「ラジオ山陽」(1953年 - 1961年の間使用)[2] に由来する)。本社は岡山県岡山市

テレビは、準広域放送と呼ばれることもあるが、総務省令放送法施行規則別表第5号(注)11にあるとおり、法令上は県域放送である。 また、地上波Gガイドの岡山・香川地区のホスト局である。

RSK山陽放送のラジオについてはRSKラジオを、テレビについてはRSKテレビを、それぞれ参照。

会社概要

筆頭株主は岡山県で、山陽新聞社クラレ岡山市天満屋倉敷紡績などが主要株主。系列新聞は山陽新聞[3]。ニュース名称はテレビが「山陽TVニュース」、ラジオが「山陽新聞ニュース」。新聞のラテ欄の局名クレジットはこれまで「山陽テレビ」と記載されていたが、2012年9月12日に改称され、同日より「RSKテレビ」と記載されている。

TBS系列(JNN)の系列局の中では、東北放送(TBC)、静岡放送(SBS)、中国放送(RCC)とならびJNN基幹局(五社連盟)に次ぐ有力な局(準基幹局)とされている。かつては、本放送局からJNNカイロ支局(現在は閉鎖)へ記者が派遣をされていた。

長期取材による調査報道やドキュメンタリー制作では、香川県豊島産廃不法投棄事件をスクープした実績を持つ。また毎年6月に全国放送のネット番組を放送している。

創立50周年を迎えた2003年から、毎年10月 - 翌年3月の間、テロや災害で苦しむ世界の子供達を救済すると共に、学校や職場、家庭や地域で、「命の尊さ」「平和」について考えるテレビ・ラジオ統一キャンペーン「救え!戦場のこどもたち」を実施している。2006年度からは、これまでの国際貢献に加えて、子供達を地域の人たちで守るためのシステム作り、安全・安心のまち作りを呼びかける内容にし、キャンペーンタイトルも「Peace For The Children〜地域、そして戦場の〜」に変更した。

讃岐うどんブーム火付け役の一人「I原D(=ディレクター)」は、香川県出身の山陽放送社員。自社制作番組「VOICE21」で讃岐うどんを幾度となく紹介し、ブームを盛り上げた。自らも番組によく出演している。

芸術家岡本太郎の陶板レリーフ「躍進」を保有している。元々は1972年山陽新幹線岡山開業にあわせて岡本に制作を依頼したもので、長年岡山駅の顔として親しまれていた。2020年完成予定の山陽放送新社屋に移設される予定である[4]

キャッチフレーズとキャラクター

イメージキャラクターは、1998年6月から「RSK」の各文字をキャラクター化した3匹の妖精「プルルン」が使用されていたが、2006年4月をもって使用を取り止め、同年6月から新キャラクター「アレすけ」(名前の「アレすけ」はRSKをもじった名前)と「ろくたん」(同年12月までは名前が明かされていなかった。テレビ型のサブキャラクターで耳が山陽放送の地上デジタル放送リモコンキーIDである「6」の形になっている。名前の方もここから命名)が登場した。また、同局のメールマガジンのキャラクターに「アットちゃん」がいる。

またラジオでは2008年10月から「ラジオ戦隊キクンジャー」なるキャラクターが登場。五人組で全員アナウンサーが声を担当している。

2008年が山陽放送(現:RSK山陽放送)のラジオ開局55周年とテレビ開局50周年にあたるため、「(岡山・香川の)地元のテレビ、地元のラジオ」を意味する記念キャッチフレーズ「ジモTV、ジモRa。RSK」(ジモティービー、ジモラ。アールエスケイ:コピーライターは松本考史)を、テレビの開局記念日である2008年6月 - 11月頃に使用した。

2011年10月1日 - 2013年3月31日は「もっと、ずっとRSK」が使用され、翌4月1日 - は、「ありがとう60年 もっと、ずっとRSK」のキャッチフレーズ(RSK創立60周年記念キャッチフレーズ)が使用されている。

かつては岡山市の旭川沿い、山陽新幹線鉄橋近くにある、関連会社「山陽映画」(現:RSKプロビジョン)のビルの屋上に、「Refined Program・Speedy News・Key of Okayama」と、「RSK」の頭文字が記された同社の広告が設置されていた。

本社・支社所在地

※かつては名古屋姫路にも支社を置いていた。

四国支社

香川県における活動拠点として高松市中心部の中央通り沿いに四国支社を設けている。

東明ビルの1階と2階に入居していて、1階には中央通りに面したオープンスタジオ「RSKおりーぶスタジオ」があり、『イブニングDonDonさぬき(月曜→月曜・火曜→火曜→水曜→金曜→水曜)』、現在は『RSKイブニング5時(水曜)』の生放送などが行われている。

四国支社は1964年6月1日高松支局として開設、その後高松支社を経て四国支社となる。2007年5月28日にはそれまで入居していた高松市番町一丁目にある日本生命高松ビルの建て替えにより古新町の東明ビルへ移転し、オープンスタジオが設置された[6]

この移転によりスタジオも16:9HD対応となったが、本社までの伝送回線がハイビジョンに対応していなかったため[7] 四国支社制作の番組は2008年10月まで16:9SDによる放送であった。また移転作業のため、2006年度より毎週1回高松から放送されていたイブニングDonDonさぬきは移転前1ヶ月間、スタジオではなく琴平町ゆめタウン高松などからの公開生放送を実施した。

カイロ支局

前述にもあるとおり、かつてはエジプトカイロに支局を設けており、エジプトを中心に周辺の中近東諸国も取材対象となっていた。当初はレバノンベイルートに設けていたが情勢悪化で閉鎖、カイロに移した。

当時は自局のニュース、特に『RSKイブニングニュース』で中近東からのリポートが放送されることがあり、『RSKイブニング5時』のニュースコーナーで昼前の『JNNニュース』で放送された映像を使う際に必ず「カイロからRSK、○○記者の報告です」と付け加えていた。

現在の代表取締役会長である原憲一は湾岸戦争当時のカイロ支局長だった。

JNN海外支局再編の為、2012年3月をもって閉鎖された。

RSKメディアコム

RSKメディアコム

岡山市中区浜に建てられていた山陽放送が所有していた貸しオフィスビルで、当初は関連会社等が入居していた。2009年4月からは岡山市の政令指定都市移行時に同施設の1 - 3階に中区役所として暫定利用されていた。その後土地建物は岡山市に買収され、2016年12月に同敷地内にて区役所新庁舎が完成した後は旧庁舎は閉鎖された。現在は、建物は取り壊されて区役所の平面駐車場となっている。

資本構成

企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[8][9][10][11][12]

2019年4月1日

資本金 発行済株式総数 株主数
1億円 100株 1
株主 株式数 比率
RSKホールディングス 100株 100.00%

過去の資本構成

歴史

天満屋バスステーション
かつて、ここの敷地に山陽放送本社(1953年9月 - 1962年4月)があった。
2005年10月23日撮影
RSK浜野ラジオ送信所跡
民放初の社宅もこの敷地内にあった。
2007年4月19日撮影
  • 1953年(昭和28年)
  • 1954年(昭和29年)9月1日 - 浜野ラジオ送信所が、ラジオ送信所としては全国初の完全無人化[18]。本社からの遠隔操作に。
  • 1955年(昭和30年)10月1日 - 津山ラジオ放送局(コールサインJOYO、周波数800kc)開局。
  • 1957年(昭和32年)8月12日 - 新見ラジオ放送局(コールサインJOYE、周波数1060kc)開局。
  • 1958年(昭和33年)6月1日 - アナログテレビジョン放送の本放送開始(全国7番目。東京・大阪などの大都市圏以外では初の民放テレビジョン放送)。
    • コールサイン:JOYR-TV11ch、呼出名称:ラジオさんようテレビジョン、愛称:ラジオ山陽テレビ、送信所は金甲山(岡山市郡字甲の峰)に設置された[19]
    • 開局当初は、全体の80%がネット受け番組[20] で、残り20%はほとんどが番組購入で占められていた。
  • 1959年(昭和34年)
    • 8月1日 - この日発足したJNNに加盟、正式にKRT(現在のTBS)系列となる。
    • 10月1日 - 岡山ラジオ放送局の増力(出力1kW→3 kW)と周波数の変更(1280kc→1260kc)が行われる。
    • 10月29日 - この日をもって、NTV制作のネット番組が全て終了する。
      • 前年8月中旬にNTVからネット番組の終了通告が行われて、順次番組が終了していた。
        ただし、香川県へのエリア拡大まで、広島テレビ(HTV)制作のブロックネット番組については一部放送された。
  • 1960年(昭和35年)4月5日 - 岡山ラジオ放送局の周波数が1260kc→1420kcに再度変更。
  • 1961年(昭和36年)
    • 7月1日 - 笠岡ラジオ放送局開局。
      • 親局完全同期・精密同一周波数実用化実験局。コールサインJO5A、周波数1420kc。
    • 9月1日 - 愛称を「ラジオ山陽」から社名と同じ「山陽放送」に統一。
  • 1962年(昭和37年)
    • 5月1日 - 岡山市丸の内の旧岡山市立図書館跡地に現本社(山陽放送会館)が落成、この日から全部の業務が現本社へ移転。
      • 岡山市内3か所に分散していた本社機能が集約され、金甲山送信所にあったテレビマスターも移転(同時に金甲山送信所の無人化を実施)した[21]
    • 5月8日 - ラジオ呼出名称を「ラジオさんよう」から「さんようほうそう」、テレビ呼出名称を「ラジオさんようテレビジョン」から「さんようほうそうテレビジョン」にそれぞれ変更。
    • 10月1日 - 岡山ラジオ放送局の出力が3kW→5kWに増力。
  • 1963年(昭和38年)12月4日 - 津山ラジオ放送局の周波数が800kc→1060kcに変更。岡山県北部のラジオ放送局の周波数が統一。
  • 1964年(昭和39年)6月1日 - 香川県での活動拠点として高松市に高松支局(その後高松支社→現在の四国支社)を開設。
  • 1965年(昭和40年)
    • 5月2日 - ラジオ放送のネットとして、この日発足したJRNに加盟。
    • 7月1日 - 笠岡ラジオ放送局、実用化試験局から標準放送局に変更。
  • 1966年(昭和41年)4月1日 - 電電公社の高規格マイクロ回線(カラー回線)運用開始に合わせて、テレビジョンカラー放送開始。
  • 1967年(昭和42年)10月1日 - EDPS稼動開始民放初のトータルシステム処理を主体に運用[22]
  • 1968年(昭和43年)
    • 3月1日 - 名古屋・姫路・高松・津山各支局を支社に改称[23]
    • 4月1日 - ラジオの岡山局・笠岡局、周波数を1420kc→1490kcに変更。
    • 9月30日 - ローカルニュースのカラー放送開始。
  • 1970年(昭和45年)3月1日 - 岡山ラジオ放送局を都窪郡吉備町撫川(現在の岡山市北区撫川)の吉備ラジオ送信所(現在地)に移転。この日から新しい送信所からの放送を開始。
  • 1971年(昭和46年)10月 - 日本の民放テレビ局で初となる夕方のローカルワイドニュース番組『山陽TVイブニングニュース』が放送開始。
  • 1972年(昭和47年) - 山陽新幹線岡山開業にあわせ新装された岡山駅に芸術家岡本太郎のレリーフ「躍進」を設置。国鉄への寄贈ではなく「山陽放送の広告」という形であった。以降岡山駅の待ち合わせ場所として親しまれる。
  • 1973年(昭和48年)
    • 4月1日 - 創立20周年記念を機にCI導入。現在の局ロゴ・社名ロゴを制定(それまでは、円の中に“S”を電波の形にデザインしたものをあしらい、電波の中に“RSK”を配していた)。
    • 10月1日 - 備前ラジオ放送局(周波数1490kHz)開局。
    • 12月1日 - JNNの要請で、レバノンベイルートに支局を開設。
  • 1974年(昭和49年)5月18日 - RSKバラ園が開園(子会社のアールエスケイランドが経営)
  • 1976年(昭和51年)
  • 1977年(昭和52年)
  • 10月1日 - 岡山本社と高松支社とのマイクロ回線が開通。同時にENGシステム導入[25]
  • 1978年(昭和53年)
    • 4月3日 - 高松支社屋上のお天気カメラ運用開始。[26]
    • 11月23日 - ラジオの岡山局・笠岡局・備前局の周波数を1490kHz→1494kHzに、津山局・新見局の周波数を1060kHz→1062kHzにそれぞれ変更。
  • 1979年(昭和54年)
  • 1980年(昭和55年)7月7日 - この日開局した真庭ラジオ放送局(現在の落合ラジオ放送局)と既存の津山局・新見局の周波数を1494kHzに統一。これによってラジオ全局同一周波数で放送開始(全国初)。
  •  1981年(昭和56年)
    • 6月1日 - 高松支社を四国支社に改組[28]
    • 6月8日 - 四国支社を日本生命高松ビル1・2階に移転。同時にテレビ・ラジオのサテライトスタジオを開設[28]
    • 6月12日 - 四国支社催事場「RSK高松プラザ」オープン[29]
  • 1982年(昭和57年) 10月1日 - 高梁ラジオ放送局(周波数1494kHz)開局。
  • 1983年(昭和58年)
    • 3月9日 - RSKメディアコムがオープン。
    • 4月1日 - テレビ呼出名称を「さんようほうテレビジョン」から「さんようほうそうおかやまテレビジョン」に変更。
  • 1985年(昭和60年)3月27日 - 高松テレビ中継局開局。香川県に設置した最初のテレビ中継局。
  • 1987年(昭和62年)10月1日 - 岡山ラジオ放送局の出力を5kW→10kWに増力。
  • 1992年(平成4年)10月5日 - ラジオ岡山局・高梁局でAMステレオ放送スタート(全国で11局目)。
  • 1997年(平成9年)
    • 10月1日 - ラジオのNRNに加盟。これに伴い「オールナイトニッポン」などNRN番組の放送を開始。またプロ野球ナイター中継も連日JRNナイターを放送していたのを、火曜・土曜・日曜のみに改め、水曜 - 金曜は他のNRN加盟局と同様にNRNナイター(キー局ニッポン放送)に切り替えるといったクロスネット局と同じ編成になった[30]
    • 12月5日 - 一連の豊島報道で山陽放送報道部が中坊公平弁護士とともに第45回菊池寛賞を受賞(地方局の受賞は初)。
  • 2001年(平成13年)4月9日 - アナログ・データ多重放送ビットキャスト方式)「RSKデータパレード」サービス開始。
    • アナログ・データ多重放送は中四国以西の放送局では初。
  • 2004年(平成16年)4月 - RSK放送ライブラリーセンターをRSKメディアコム3階に設置。
  • 2005年(平成17年)
  • 2006年(平成18年)
  • 2007年(平成19年)
  • 2008年(平成20年)6月2日 - 岡山・香川地区のテレビ局で初の、地上デジタル放送のワンセグ独立放送[35] を実施。
  • 2009年(平成21年)
    • 2月2日 - ラジオにおける緊急地震速報の運用を開始(岡山・香川地区の民放ラジオ局では初の運用開始)[36]
    • 3月2日 - RSKメディアコム1 - 3階に岡山市中区役所が設置される[37]
    • 4月1日 - ラジオにおけるニュース枠をそれまでの「山陽新聞ニュース」から「RSKラジオニュース」にリニューアル。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月21日 - 高梁ラジオ放送局でのAMステレオ放送を終了。
    • 3月28日 - 岡山ラジオ放送局でのAMステレオ放送を終了。これによりラジオのAMステレオ放送を全て終了。
    • 7月24日 - 正午をもってアナログテレビジョン放送を終了ののちに停波する。
  • 2012年(平成24年)
    • 3月 - JNNの海外支局再編に伴い、カイロ支局を閉鎖。
    • 9月12日 - テレビ放送における新聞・テレビ情報誌の表記が「山陽放送テレビ」から「RSKテレビ」、ラジオ放送における新聞表記が「山陽ラジオ」「山陽」から「RSKラジオ」「RSK」にそれぞれ変更される。
  • 2014年(平成26年)
    • 3月 - RSKメディアコムの土地・建物を岡山市へ売却[38]
    • 12月1日 - 岡山・香川地区のラジオ局で初めてIPサイマルラジオ「radiko」に参加。この日から岡山県内を配信エリアとして配信を開始。ちなみに音声はステレオでの配信であるが、他局制作の番組でモノラル音声で配信されている番組はradikoの音声もモノラル音声になり、この番組の番宣コマーシャルもモノラルになる[39]。同時に、radikoの有料配信サービス「radiko.jpプレミアム」による日本全国への配信も開始[40]
  • 2015年(平成27年)4月 - 岡山映像ライブラリーセンターを岡山市北区丸の内にオープン[41]
  • 2016年(平成28年)3月5日 - テレビのウォーターマークが、地上デジタルテレビ放送開始以来使用されていた「RSK」から、リモコンキーIDを入れた「RSK6」に変更。
  • 2017年(平成29年)
  • 2018年(平成30年)
    • 3月21日 - FM補完中継局「RSK岡山FM」が開局。周波数91.4MHz、出力700W、金甲山に置局[43][44]
    • 5月25日 - 認定放送持株会社に移行する計画であると発表、同日付で分割準備会社である「山陽放送分割準備」を資本金1,000万円で設立[45]
    • 12月19日 - 岡山市北区天神町の新社屋「RSKイノベイティブ・メディアセンター」の建設工事に着手。2020年夏に竣工し、2021年度に本社機能の大部分を移転する予定[46][47]
  • 2019年(平成31年)4月1日 - 放送法などの手続や総務大臣の認可などを経て、同日付で山陽放送の商号を「RSKホールディングス」に変更。全国で10社目、大都市圏以外の民放局では初めて放送持株会社体制へ移行[45]。また、分割準備会社である山陽放送分割準備に放送事業などを継承したうえで、「RSK山陽放送」(以下「新社」と略記)を発足、RSKホールディングスに新株を割り当てる形で1億円に増資。新社ではテレビ放送事業とラジオ放送事業を分割せず、従来のラ・テ兼営体制を継続する[45]

社史・記念誌関連

  • 1956年伸びゆくRSK』を発行(山陽放送株式会社・編、20ページ)。
  • 1963年10月1日RSK十年小史』を発行(山陽放送株式会社・編、60ページ)。
  • 1978年4月 『山陽放送二十五年史』を発行(山陽放送株式会社・編、484ページ)。
  • 1993年4月 『山陽放送40年の歩み』を発行(134ページ)。
  • 2003年4月 『山陽放送の50年 1953-2003』を発行(山陽放送50年史編集委員会・編集、185ページ)。

RSK山陽放送の全国初

RSK山陽放送は、北日本放送同様、地方局ながら開局当初から主に技術面で全国初が多いのが特徴となっている。

  • ラジオ送信所の完全無人化とラジオマスター(本社)からの遠隔操作化(1954年9月1日
    • 現在では一般的になっている現用と予備[48] の2台の送信機を設置することと、緊急時に本社から予備機に即座に切り替える遠隔操作を行うことで送信所の無人化を実現した。
  • 民間放送局初の社宅(1955年7月30日落成)
  • FMラジオ放送の開設免許申請(1956年4月1日民間放送では初の申請)
    • FMラジオ放送の将来性を見据えての免許申請であった。43年後のこの日にFM岡山が開局しており、加えてFM補完中継局として1991年の北日本放送を皮切りに、2014年から15年にかけて在京・在阪など全国各地で普及していることからRSKには先見の明があったということになる。そしてRSKのFM補完中継局も2018年3月21日に開局して最初の開設免許申請から約62年の時を経て実現した。
  • 放送波中継(再送信)方式による番組のネット(1958年のテレビ開局当初、大阪テレビ放送(現在の朝日放送テレビ)との間)
    • 当時、東京・福岡間のマイクロ回線が1回線しかなく、ネット番組の確保の為大阪テレビ放送の理解を得て行った苦肉の策。現在CATVなどで実施されている区域外再放送のさきがけとなった[49]
  • ラジオの親局との精密同一周波数放送(1961年7月1日開局の笠岡局(開局当初は実用化試験局))
  • ラジオの全局同一周波数放送(1980年7月7日1982年12月6日には全局完全同期放送に)
  • 親局との精密同一周波数によるAMステレオ放送(1992年10月5日高梁局。世界初)

ラジオ

テレビ

アナウンサー

  • RSK山陽放送のアナウンサーは岡山・香川地区の放送局で最も人数が多いのが特徴である。また、局アナとしての在籍年数も長いのも特徴(特に男性アナ)である。
  • 最近は、定年を迎えた元アナウンサー(男性の場合)や、関連会社の山陽放送サービスが主催する「RSKアナウンス塾」(現在は中止)出身者(女性の場合)が番組のパーソナリティとして活躍している。
  • 前述の通り、山陽放送の局アナの在籍年数は長いが、中堅クラスのアナウンサーが退職してフリーアナウンサー等に転向する人は比較的多い(鍋島昭茂篠田和之早田和泰など)。
  • 春・秋を中心に「RSK夢フェスタ」と題した自社主催イベントでアナウンサーが集合してのイベントが開催されている。
  • 他にもほぼ岡山県内で開催される祭り・イベントにも登場している。なお報道部所属のアナウンサーは定時ニュースや取材で参加できなかったり、途中参加・途中退席するので全員集合とまではいかない。2003年春の夢フェスタでは開局時からも含め歴代在籍していたアナウンサーが全員とまでは行かないながらも出演した。現在はラジオのみ会場から生中継されるが、かつてはテレビ・ラジオ同時放送を行なったこともある。
  • アナウンサー出身以外の歴代アナウンス責任者として、梶正一(1953年の開局時の放送部長。東京大学大学院修了、元NHK。後に企画部長、常任監査役、山陽放送学術文化財団幹事を歴任)、服部正彦(1970年時点のアナウンス部長。後に企画局長(1982年時点)を歴任)等がいる。
  • 近年のアナウンス部長経験者はラジオ部署の管理職で定年を迎える傾向が強い。
  • 年号は入社年。契約アナウンサーやタレントは載せていない。

現在

報道局アナウンス部に所属。

過去

●は元アナウンス部長。〇の人物は現在、RSKの番組に出演をしている。

以上6名はRSKのラジオ放送開始前に有楽町毎日新聞東京本社新館内のラジオ東京で研修を受けた。当時の講師は中村要輔坂本荘吉田謙司小坂秀二大塚矩男渡辺仁三(全員NHK出身の当時のラジオ東京アナウンサー)。

  • 1959年
    • 安田了三●(1985年よりアナウンス部長。1997年定年退職)
  • 1966年
    • 井上凱文●(後にラジオ局長を経て、2004年定年退職)
  • 1970年
    • 鈴木俊光(-1971年9月。後に東北放送)、
    • 原憲一(後にjNNカイロ支局長や報道制作局長、代表取締役社長などを経て、現在はRSKホールディングス代表取締役会長)
  • 1971年
    • 岩根宏行(後に制作部や報道部を経て、2008年定年退職、現在は岡山市内で「アンクル岩根のギャラリー」を運営)
  • 1972年
    • 浜家輝雄●〇(後にラジオセンター長を経て、2008年定年退職)
    • 横田真理子
  • 1977年
    • 滝沢忠孝●〇(後にラジオセンター制作担当部長、同センターラジオ制作部長を経て、2015年定年退職)
  • 1978年
    • 太田雅仁(後に人事部人事部長を経て、2015年定年退職)
  • 1981年
    • 石田好伸●○(-2019年3月、現在は執行役員四国支社長)
  • 1997年
    • 小林章子(制作部)
    • 阪上彰子
    • 武田博志○(1999年-2003年はラジオ制作部、2003年-2006年は報道部、2006年-2008年は四国支社報道部、報道部、営業部主査、2019年より報道部)
    • 中村恵美〇(-2000年9月)

所属アスリート

地元(岡山県)出身のアスリートへの支援を通して社会貢献を図る目的で、2018年より女子ゴルファーのサポートを行っている[55]。所属選手の渋野日向子全英女子オープンに出場した際には、マネージャーとして派遣した自局社員が青いアフロのかつらをかぶっていたことから、海外のメディアから注目を浴びた[56][57]

所属選手

関連会社

関連項目

脚注

  1. ^ 旧山陽放送(現・RSKホールディングス)単独の従業員数。
  2. ^ 会社設立時の設立趣意書の社名はラジオ山陽株式会社だったが、同年2月にNHKがアナログテレビジョン放送を開始したのに伴い、将来のテレビジョン放送をにらんで山陽放送株式会社で会社設立登記を行った逸話がある。
  3. ^ 近年はテレビせとうちと大口出資で関係を強化しており、山陽新聞とTSCの本社屋を共有している。なお、山陽放送の筆頭株主である岡山県はテレビせとうちの第4位株主でもある。
  4. ^ https://www.sanyonews.jp/article/875997 岡本太郎氏のレリーフ撤去始まる 岡山駅からRSK新本社へ移設-山陽新聞2019年3月1日
  5. ^ 同ビルにはRSKのほかOHKとKSBの各広島支社も同ビルに所在する。
  6. ^ 移転後の東明ビルがある周辺は公示地価として香川県内最高値を示している一帯であり、入居する東明ビルも2006年に調査地点が変更されるまでは調査地点として実際に地価が公表されており、香川県内最高値点としてメディアなどでビル名が採り上げられていた。なお、同ビルは東京海上日動火災保険明治安田生命保険が共有していることから、両社の頭文字を取っている。
  7. ^ 高松にある四国支社で制作された番組を香川県でテレビ視聴していても、映像は一旦岡山にある本社に送られ、その後最寄の送信所や中継局を経由して視聴しているため
  8. ^ 有報リーダー”. Lafla. 2016年1月1日閲覧。
  9. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2015』コーケン出版、2015年11月20日、389頁。 
  10. ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、270頁。 
  11. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、377頁。 
  12. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、398頁。 
  13. ^ 山陽放送 相談役
  14. ^ 試験放送開始の広告が9月上旬から山陽新聞に掲載されていた。その試験放送開始に伴い、山陽新聞のラジオ欄からNHK広島・中国放送・四国放送の欄が消滅し、NHK岡山第一第二、新日本放送、朝日放送、ラジオ東京のみとなった。
  15. ^ 現在天満屋バスステーションがある位置。
  16. ^ 4階部分は開局時に増築。
  17. ^ 1970年の送信所移転後は、関連会社の山陽放送サービス(現・RSKサービス)が2006年まで送信所建物を(1984年〜2006年の間は同社本社として)使用した。その後は更地となり、建築資材置き場などに使用されていたが、2018年に中電工に売却され、2019年4月に同社の岡山統括支社が新築移転した。
  18. ^ 当送信所は当初から無人化を前提とした施設となっていた。
  19. ^ 当初は本社にテレビマスター・テレビスタジオのスペースがなく、現本社落成まで金甲山送信所内にテレビマスターと仮設スタジオ(送信所内のロビーを使用)を設置した。
  20. ^ ラジオ東京テレビ局(KRT)50%、日本テレビ(NTV)20%、大阪テレビ放送(OTV、現在の朝日放送テレビ)10%。
  21. ^ 4月20日に実施。ラジオはテレビに先駆けて4月1日から現本社からの放送をスタートした。
  22. ^ 山陽放送40年の歩み p30 - p31
  23. ^ 山陽放送40年の歩み p32
  24. ^ 山陽放送40年の歩み p51
  25. ^ 山陽放送の歩み p55
  26. ^ 山陽放送40年の歩み p59
  27. ^ a b 山陽放送40年の歩み p65
  28. ^ a b 山陽放送40年の歩み p72
  29. ^ 山陽放送40年の歩み p71
  30. ^ 同時に西日本放送ラジオはJRNに加盟した。
  31. ^ このときTBSテレビ発の全国ニュース番組も「JNNイブニング・ニュース」に変更されている。
  32. ^ この日、岡山にある他のテレビ局3局(NHK岡山放送局岡山放送テレビせとうち)も同時に同放送の本免許が交付された。
  33. ^ 他のTBS系列各局でも同時にサービス開始。
  34. ^ 日本生命高松ビルが建て替えられるために移転を行った。新しい支社1階にあるTVスタジオはスタジオ東側が中央通りに面しており、外からスタジオの様子が見えるオープンスタジオ(一般公募で「RSKおりーぶスタジオ」と命名)となっている。
  35. ^ アナログテレビ放送・地上デジタル放送では「オールナイトウェザー」、ワンセグ放送では「こんな遅くまで起きてもワンセグ独立放送を見てくれてありがとうスペシャル「VOICE21」(仮)」を放送。
  36. ^ 山陽放送ラジオ以外の岡山・香川地区の民放ラジオは2009年4月1日に運用を開始した。ちなみに、中国地方の民放AMラジオでは最後の運用開始である。
  37. ^ 山陽放送が岡山市へ賃貸。
  38. ^ “岡山市中区役所新庁舎で業務開始 避難所となるホールや備蓄倉庫新設”. 山陽新聞さんデジ (山陽新聞社). (2016年12月26日). http://www.sanyonews.jp/article/466311 2016年12月26日閲覧。 
  39. ^ 例えば、中四国ライブネットでモノラル音声でネット局に配信している局が制作担当の時はradikoでもモノラル音声になり、この時の番組CMもモノラル音声になる
  40. ^ RSKラジオがスマホでもPCでも聴けるradiko.jp”. 2014年11月17日閲覧。
  41. ^ 岡山映像ライブラリーセンター - RSK山陽放送
  42. ^ a b “後楽館中跡地 山陽放送と優先交渉 岡山市、社屋やホール整備”. 山陽新聞さんデジ (山陽新聞社). (2017年5月26日). http://www.sanyonews.jp/article/537342/1/ 2018年4月17日閲覧。 
  43. ^ a b "岡山県内で初めてのFM補完中継局に予備免許 - FM放送によりAMラジオの難聴を解消 -" (HTML) (Press release). 総務省中国総合通信局. 26 December 2017. 2018年1月18日閲覧
  44. ^ RSKラジオがFMで聴ける! 『ワイドFM』91.4MHzが開局します! - RSK山陽放送、2018年2月8日閲覧。
  45. ^ a b c 山陽放送 吸収分割の決定(臨時報告書)”. IR BANK (2018年5月25日). 2018年5月26日閲覧。
  46. ^ RSK 採用情報 - 山陽放送、2018年12月19日閲覧。
  47. ^ “RSK新本社起工 21年稼働予定 岡山・後楽館校跡、ホールも整備”. 山陽新聞さんデジ (山陽新聞社). (2018年12月19日). http://www.sanyonews.jp/article/840964/1/ 2018年12月19日閲覧。 
  48. ^ 予備機は送信機の予備品を使用して社内で独自に製作。
  49. ^ 岡山市内にはRSKやNHK岡山局がテレビ放送を開始する前から、大型のVHFテレビアンテナでOTVやNHK大阪テレビジョンを受信する世帯があった。
  50. ^ 東京放送 著「III.放送関係 7.アナウンサーの活動記録」、東京放送 編『TBS50年史 資料編』2002年1月、236頁。 
  51. ^ 東京放送編著「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)2002年、東京放送、9頁。
  52. ^ 「角界ニュース」『相撲』第68巻第1号、ベースボール・マガジン社、2018年12月28日、143頁。 
  53. ^ 2003年当時の公式サイトの紹介動画で「岡山へ来て2年目」と公言。
  54. ^ 2010年3月まではアナウンス部。その後四国支社報道部等を経て、現部署。
  55. ^ “渋野と2月に契約のRSK山陽放送、優勝お祝いイベントなど検討”. サンケイスポーツ. (2019年8月6日). https://www.sanspo.com/golf/news/20190806/lpg19080605010015-n1.html 2019年8月6日閲覧。 
  56. ^ “あの青アフロは誰?渋野会見で海外メディア質問殺到”. スポーツニッポン. (2019年8月5日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/08/05/kiji/20190804s00043000451000c.html 2019年8月6日閲覧。 
  57. ^ “渋野が所属のRSK山陽放送「びっくり以外の何物でもない」”. スポーツニッポン. (2019年8月6日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/08/06/kiji/20190805s00041000343000c.html 2019年8月6日閲覧。 
  58. ^ 旧社名は「山陽映画」(2016年10月1日、現在の社名に変更)。山陽放送のテレビ開局にあわせ1957年11月創業(法人としては1958年3月設立)。当初は山陽新聞岡山県との共同出資による第3セクターだったが、その後山陽放送(現・RSKホールディングス)全額出資子会社となった。

外部リンク