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2020年3月17日 (火) 09:29時点における版
オリビア・ニュートン=ジョン | |
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2012年 | |
基本情報 | |
生誕 |
1948年9月26日(76歳) イングランド ・ケンブリッジ |
出身地 | オーストラリア ビクトリア州メルボルン |
ジャンル | ポップ、カントリー |
職業 | 歌手、女優 |
担当楽器 | ドラム、ギター、ピアノ、リコーダー |
活動期間 | 1963年 - |
公式サイト | olivianewton-john.com |
デイム・オリビア・ニュートン=ジョン (英: Dame Olivia Newton-John AC DBE[1]、1948年9月26日 - )は、イギリス生まれ、オーストラリア育ちのポピュラー歌手、実業家。オーストラリア勲章および大英帝国勲章を授章されている。
1970年代から1980年代半ばにかけて数多くのヒット曲を放ち、世界的な人気を博した。現在もレコーディング、コンサート、自社ブランドのオーナーなど、多方面で活躍する。公称身長は、167.5 cm(5フィート6インチ)。
概要
イングランド・ケンブリッジ生まれ。母方の祖父はアインシュタインとも親しかったドイツ出身のユダヤ系でノーベル賞受賞物理学者マックス・ボルン (Max Born)、ウェールズ人の父親はケンブリッジ大学のドイツ語教授であった。母方の曾祖母の父は法学者のルドルフ・フォン・イェーリングである。
5歳の時に父がオーストラリアの大学に移り、家族とともに移住。14歳の頃から学友とバンドを組んで、バーなどで歌い始めた。1965年、出演したオーディション番組で優勝。その懸賞で英国に戻り、1966年にデビューした。
クリフ・リチャードのバック・コーラスなど下積みの時期がしばらく続いたが、1970年にヴァル・ゲスト監督による『オリビア・ニュートン・ジョンのトゥモロー』Toomorrow で映画主演し、歌も披露。1971年にボブ・ディランがジョージ・ハリスンに提供した曲のカバー『イフ・ノット・フォー・ユー』If Not For You がヒットしたのをきっかけにスターの階段をのぼり、可愛らしいルックスとカントリー系の素朴な路線で着実に人気を集めた。1973年頃よりMOR、コンテンポラリー色を強め、1974年のシングル『愛の告白』I Honestly Love You が全米1位を獲得、グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞に輝いた。1975年にアメリカに移住した後も『そよ風の誘惑』 Have You Never Been Mellow などのヒットを連発する。
女優としては1978年のミュージカル映画『グリース』でジョン・トラボルタと共演。興行成績は大成功を収め、サントラからも『愛のデュエット』、アカデミー賞歌曲賞候補となった『愛すれど悲し』、『想い出のサマー・ナイツ』が連続ヒットし、押しも押されもせぬ世界的なスターとなる。1980年の映画『ザナドゥ』に主演。興行成績は不発に終わるも、サントラ曲『マジック』、ELOとの『ザナドゥ』、クリフ・リチャードとのデュエット『恋の予感』(日本ではシングルにならず『春風の誘惑』Suspended in Time がシングル・カット)がヒット。トラボルタと再度共演した『セカンド・チャンス』のサントラ曲『運命のいたずら』、『ディスペレイト・タイムス』といったヒットを挟み、アンディ・ギブと『愛は微笑みの中に』など、AOR系のデュエット曲を発表。
1981年にはロック色を強め、アップテンポなディスコ調の『フィジカル』をリリース。全米でビルボード10週連続1位、キャッシュボックス8週連続1位、1982年度の年間チャート1位という爆発的ヒットを記録(エアプレイ中心のラジオ&レコーズでは『フィジカル』は1位にならず、ビルボード、キャッシュボックスで『フィジカル』に抑えられ2位どまりだったフォリナーの『ガール・ライク・ユー』が逆に1位を独走していた)。最終的にこの曲はビルボードにおいて、80年代の全米チャートで最もヒットした曲となった。当時のフィットネスブームを意識し、ミュージックビデオではレオタード姿でエアロビクスを踊るという強烈なイメージ戦略があたり、オリビアのセールスはこの頃にピークを迎えた。しかし、その意味深な歌詞のせいもあって、保守色の強い州南部などの一部の放送局では、この曲の放送を自粛する動きも見られた。
1985年のシングル『ソウル・キッス』がミディアム・ヒットに終わってセールスが一段落すると、ポーランド人のダンサーであるマット・ランタッジとの結婚生活に入り、音楽界と若干の距離を置く。その後、出産、乳癌手術などを経て、環境保護活動やがん啓蒙活動といった社会運動に取り組みはじめ、ユニセフ親善大使もつとめた。
1994年の音楽界復帰後は定期的なライブツアーを行なうほか、2000年のシドニーオリンピック開会式で「Dare To Dream」を披露した。
2012年、約35年ぶりに、ジョン・トラボルタと共演したデュエットアルバム『The Christmas』をリリース[2]。自身が鬱病との闘病生活を送っている事を告白。
2018年、前年2017年に3度目の癌となる脊髄の癌を患っていることを告白した[3]。
来日記録
- 1972年 - クリフ・リチャードの日本公演のバックコーラスとして初来日。
- 1973年 - 東京音楽祭出場のために2度目の来日。
- 1976年 - ソロとして初来日。
- 1978年 - 2度目のソロ公演。4月の公演は彼女が日本のイルカ駆除に反対したため延期となり、半年後に開催された(後に壱岐の漁民が生きる為の手段であった事を知り、日本公演の際にイルカと人間が共存できる研究の為に千葉県の海洋生物研究所に2万ドル寄付した。)[4]。
- 1981年 - 5度目の来日。
- 1990年 - 環境親善大使として来日。
- 1991年 - 24時間テレビチャリティコンサート出演のために来日し、都庁で歌を披露。
- 2003年 - 25年ぶりのソロ公演で来日。
- 2006年3月 - ソロ公演で来日。
- 2009年3月 - 乳がん撲滅キャンペーンのため来日。
- 2010年 - 10月にデビュー40周年記念CDのキャンペーンで来日。11月 - 12月にかけて4都市(東京都・金沢市・名古屋市・尼崎市)でライヴ・ツアー。
- 2015年4月・5月 - デビュー45周年を記念した来日公演[5]、5月に震災追悼公演「Pray For Fukushima」を開催[6]。
ディスコグラフィー
主なシングル
- イフ・ノット・フォー・ユー If Not For You (1971)・・・ビルボード25位
- バンクス・オブ・ジ・オハイオ Banks of the Ohio(1971)
- 美しき人生 What Is Life(1972)
- レット・ミー・ビー・ゼア Let Me Be There (1974)・・・ビルボード6位
- カントリー・ロード Take Me Home, Country Roads (1974)・・・当初はイギリスとヨーロッパ圏の一部の国のみ発売。1976年に「たそがれの恋」との両A 面で日本でシングルカットされオリコンBEST10入り。オリコン洋楽チャートで1976年11月29日付から15週連続1位を獲得[7]
- 青空の天使 Long Live Love(1974)
- 愛しい貴方 If You Love Me (Let Me Know) (1974)・・・ビルボード5位
- 愛の告白 I Honestly Love You (1974)・・・ビルボード1位
- そよ風の誘惑 Have You Never Been Mellow (1975)・・・ビルボード1位
- プリーズ・ミスター・プリーズ Please Mr. Please (1975)・・・ビルボード3位
- 秋風のバラード Something Better To Do(1975)
- レット・イット・シャイン Let It Shine(1975)
- フォロー・ミー Follow Me(1975)
- フライ・アウェイ Fly Away(1975) -(ジョン・デンバーのEPに参加 Duet with John Denver)
- 一人ぼっちの囁き Come On Over(1976)
- ジョリーン Jolene (1976)・・・オーストラリア・日本・ヨーロッパ圏の一部の国で発売。
- たそがれの恋 Don't Stop Believin'(1976)
- 恋する瞳 Compassionate Man(1976)・・・日本のみ発売
- サム Sam(1976)
- きらめく光のように Making A Good Thing Better(1977)
- サッド・ソング Sad Songs(1977)・・・日本のみ発売
- 愛のデュエット You're The One That I Want (1978)・・・ビルボード1位 -(ジョン・トラボルタとのデュエット)
- 愛すれど悲し Hopelessly Devoted To You (1978)・・・ビルボード3位
- 想い出のサマー・ナイツ Summer Nights (1978)・・・ビルボード5位
- 愛は魔術師(マジジャン) A Little More Love(1978)・・・ビルボード3位
- さよならは一度だけ Totally Hot(1978)
- 愛の炎 Deeper Than The Night(1979)
- 愛は微笑みの中に Rest Your Love On Me(1979) -(アンディ・ギブとのデュエット Duet with Andy Gibb)
- アイ・キャント・ヘルプ・イット I Can't Help It(1979) -(アンディ・ギブとのデュエット Duet with Andy Gibb)
- マジック Magic (1980)・・・ビルボード1位
- ザナドゥ Xanadu (1980) with ELO・・・ビルボード8位 -ソフトバンクモバイル『ホワイトプラン』CMソング
- 恋の予感 Suddenly(1980) -(Duet with Cliff Richard)
- 春風の誘惑 Suspended In Time(1980)
- フィジカル Physical (1981)・・・ビルボード1位。オリコン洋楽チャートで1982年1月25日付から9週連続1位を獲得[8]
- ムーヴ・オン・ミー Make A Move On Me (1982)・・・ビルボード5位
- ランドスライド Landslide(1982)
- ハート・アタック Heart Attack(1982)・・・ビルボード3位
- タイド・アップ Tied Up(1983)
- 運命のいたずら Twist of Fate (1984)・・・ビルボード5位
- テイク・ア・チャンス Take A Chance(1984) -(ジョン・トラヴォルタとのデュエット)
- ディスペレイト・タイムス Livin' In A Desperate Times(1984)
- ソウル・キッス Soul Kiss(1985)・・・ビルボード20位
- 恋愛専科 Toughen Up(1985)
- ベスト・オブ・ミー The Best of Me(1986) -(デイヴィッド・フォスターとのデュエット)
- 噂 The Rumour(1988)
- 愛を抱きしめて Can't We Talk It Over In Bed(1988)
- リーチ・アウト・フォー・ミー Reach Out For Me(1989)
- アイ・ニード・ラブ I Need Love(1992)
- ドント・カット・ミー・ダウン Don't Cut Me Down(1994)
- 愛の告白 I Honestly Love You (1998)・・・「愛の告白(1974)」のセルフカバー
- Back With A Heart (1998)
- Love Shouldn't Hurt (1998, チャリティ・シングルCD) with All 4 One, Michael Bolton, Jordan Hill, Carnie, Ann & Wendy Wilson, Stephen Bishop, Bobby Caldwell, Gregory Curtis, Laura Davis, Owen Elliott, Emmanuel Officer, Stephen & Chris Stills, Richard Stites, Tamia
- Dare To Dream (2000) -(ジョン・ファーナムとのデュエット。シドニー・オリンピック・テーマ曲)
- Physical (2010) -(Duet with Jane Lynch (from "Glee") iTunes配信シングル)
- Hotel Sessions (2014) -(配信 EP)
スタジオ・アルバム
- If Not For You
- Olivia
- Music Makes My Day (別名:Let Me Be There)[9]
- Long Live Love
- Have You Never Been Mellow (そよ風の誘惑) (1975.4.20)
- Clearly Love (クリアリー・ラブ) (1975.11.20)
- Come on Over (水のなかの妖精) (1976.4.20)
- Don't Stop Believin' (たそがれの恋) (1976.11.25)
- Making a Good Thing Better (きらめく光のように) (1977.7.20)
- Totally Hot (さよならは一度だけ) (1978.11.5)
- 虹色の扉 (Physical) (1981.11.1)
- 麗しの瞳 (Soul Kiss) (1985.10.21)
- The Rumour (噂)
- Warm and Tender (美しい星と子供たちに〜ウォーム・アンド・テンダー)
- Gaia (ガイア〜新たなる旅立ち〜)
- Back With a Heart
- (2) (デュエット・ウィズ・オリヴィア)
- Indigo: Women of Song
- Stronger Than Before
- Grace and Gratitude
- Liv On
ベスト・アルバム (一部)
- Olivia Newton-John's Greatest Hits (詩小説) (1977.11.5)
- Olivia's Greatest Hits Vol. 2 (1982.10.21)
- Back to Basics: The Essential Collection 1971–1992 (オリビア・ニュートン・ジョン・スーパー・ベスト・1971-1992)
- Magic: The Very Best of Olivia Newton-John
- オリビア〜ベスト・オブ・オリビア・ニュートン・ジョン (The Definitive Collection)
- Gold
- 40/40〜ベスト・セレクション (40/40 The Best Selection)
その他
- 『グリース』で共演したジョン・トラボルタとはその後も良き友人である。また、カーペンターズのカレン・カーペンターとも友人であった。
- 『オリビアを聴きながら』 - 作詞・作曲が尾崎亜美で、杏里が最初に歌った楽曲で、歌詞に Making Good Things Better と出てくるのはオリビアの歌『きらめく光のように』 Making A Good Thing Better を複数形にしたもの。
- 1992年に乳癌と診断され、2013年に再発し肩に転移し闘病しながら活動していたが、2017年に3度目となる脊髄の癌を発病した[3]。乳癌の際には、自ら簡易乳癌検査器具(触診用)のリヴエイドをプロデュースした。製造はシルバー精工。また、オーストラリアのメルボルンにがんセンター「オリビア・ニュートン・ジョン・がん健康研究センター」を設立している[10]。
出典・脚注
- ^ 英語発音: [oʊˈlɪviə ˈnjuːtən dʒɑn] オウリーヴィア・ニュートゥン=ジャ(ー)ン、または、[əˈlɪviə ˈnjuːtən dʒɑn] ァリーヴィア・ニュートゥン=ジャ(ー)ン
- ^ ジョン・トラボルタ&オリビア・ニュートン・ジョンのクリスマス・アルバム、11月13日リリース - Barks
- ^ a b 歌手オリビア・ニュートン・ジョンさん、3度目のがんを告白(CNN、2018年9月11日)
- ^ 『海からの使者イルカ』藤原英司 朝日新聞社 261頁 ISBN 402260770X
- ^ オリビア・ニュートン・ジョン、「そよ風の誘惑」とともに5年振りの来日公演が決定 - Barks
- ^ オリビア・ニュートン・ジョン、5月に福島公演「Pray For Fukushima」の開催が決定 - ロッキング・オン
- ^ コンピレーション・アルバム『ナンバーワン70s ORICON ヒッツ』の裏ジャケット。ナンバーワン 70s 80s 90s オリコン・ヒッツも参照。
- ^ コンピレーション・アルバム『ナンバーワン80s ORICON ヒッツ』の裏ジャケット。ナンバーワン 70s 80s 90s オリコン・ヒッツも参照。
- ^ 日本で『レット・ミー・ビー・ゼア』のタイトルで発売されたLPは、タイトル及びジャケットは同一だが別内容。
- ^ 2009年3月24日・日本テレビ系列のスッキリ!!にて。