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| 所属事務所 = [[81プロデュース]]
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| 職歴 = [[テレビ朝日]]アナウンサー
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== 来歴・人物 ==
== 来歴・人物 ==
* 1958年東京都に生まれ、小学校の途中で[[埼玉県]][[入間市]]へ移り住んだ。
* 1958年東京都に生まれ、小学校の途中で[[埼玉県]][[入間市]]へ移り住んだ。
* 入間市立豊岡小学校、入間市立豊岡中学校、[[埼玉県立川越女子高等学校]]、[[東京都立大学]]人文学部社会学科卒業。
* 入間市立豊岡小学校、入間市立豊岡中学校、[[埼玉県立川越女子高等学校]]、[[東京都立大学 (1949-2011)]]人文学部社会学科卒業。
* [[1981年]]、[[テレビ朝日]]入社(同期は[[坪内純子]]、[[原麻里子]]、[[廣瀬雅子]]、[[野崎由美子]]、[[迫文代]]。)[[1985年]]10月スタートの『[[ニュースステーション]]』の初代サブキャスターを務め、[[久米宏]]とのコンビで視聴者の支持を集める。[[1991年]]に退社し、フリーに。フリーとしての初仕事は大ファンである[[小田和正]]へのロングインタビューであった([[1992年]]1月、[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK-BS2]]で『追いかけて、追い続けて〜小田和正の世界』として放映)。しかし、フリー転身後も古巣・テレビ朝日と長らく専属契約を結んでいた事情等から、テレビ朝日(系列)以外の放送局の番組にはあまり出演してこなかった。
* [[1981年]]、[[テレビ朝日]]入社(同期は[[坪内純子]]、[[原麻里子]]、[[廣瀬雅子]]、[[野崎由美子]]、[[迫文代]]。)[[1985年]]10月スタートの『[[ニュースステーション]]』の初代サブキャスターを務め、[[久米宏]]とのコンビで視聴者の支持を集める。[[1991年]]に退社し、フリーに。フリーとしての初仕事は大ファンである[[小田和正]]へのロングインタビューであった([[1992年]]1月、[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK-BS2]]で『追いかけて、追い続けて〜小田和正の世界』として放映)。しかし、フリー転身後も古巣・テレビ朝日と長らく専属契約を結んでいた事情等から、テレビ朝日(系列)以外の放送局の番組にはあまり出演してこなかった。



2020年3月24日 (火) 22:59時点における版

こみや えつこ
小宮 悦子
プロフィール
愛称 えっちゃん
出身地 日本の旗 日本 東京都
生年月日 (1958-04-18) 1958年4月18日(66歳)
血液型 A型
最終学歴 東京都立大学 (1949-2011)人文学部社会学科卒業
所属事務所 81プロデュース
職歴 テレビ朝日アナウンサー
活動期間 1981年 -
ジャンル 報道・情報
配偶者 独身(離婚歴あり)
担当番組・活動
出演経歴ニュースステーション
スーパーJチャンネル
サンデー・フロントライン

小宮 悦子(こみや えつこ、1958年4月18日 - )は、日本フリーアナウンサーニュースキャスター。元テレビ朝日アナウンサー東京都出身の埼玉県入間市育ち。ニックネームはえっちゃん。所属事務所は81プロデュース

来歴・人物

  • 2011年9月に自身唯一の在京局でのレギュラー番組だったテレビ朝日『サンデーフロントライン』が打ち切りとなり、並びに在京局制作のレギュラー番組がなくなった。同時にテレビ朝日との専属契約も終了となった。
  • NPO法人ジャパンハート理事
  • 東急不動産ホールディングス アドバイザリーボード委員
  • 日本経済新聞・トップ対談特集「Search Next」 インタビュアー

エピソード

  • 小学校時代
    • 小学校時代の担任は「勉強はオールマイティー。それでいて優越感に浸ることもなかった。よく前に出て、自分の言葉で分からない子に説明したりもしていた。学級委員や児童会の役員なんかもしてよくクラスをまとめてくれてた」と話している。『私と先生』と題した朝日新聞のインタビュー記事で小宮は「小学校5・6年の時、早くも人生の黄金時代を迎えてしまったんです。何の屈託もなくて、何もかも思い通りにいって…。そういう楽しい2年間だったんですよ」と語っている。
    • 埼玉県の小学生読書感想文コンクールで銀賞、タイトルは「あしながおじさんを読んで」。
  • 中学校時代
    • 入間市立豊岡中学校時代はバスケットボール部に所属し生徒会の役員。2年先輩にニュースキャスターの辛坊治郎がいた。
    • 運動会にリレー選手として出場したがバトンミスで失格、悔し泣きをする。
    • 本人いわく「ずる休みをするような子になっちゃいました」と語っているが、「前向きな姿勢で何ごとにも取り組む子で頭もよかった。生徒会の役員もやって、ほかの生徒と1ランク水をあけるだけの力を持っていました。何かの行事のときにでも彼女に任せておけば安心で担任としては随分助けられました」と中学時代の先生の証言。
  • 高校時代
    • 高校時代は放送研究会に所属。高1の終わりから2年の初めまで急性肝炎にかかって入院し、2か月休学。
    • 高2の時に浦和高校の男子生徒らと「スイッチ・オン」というバンドを結成、ボーカルを担当。荒井由実かぐや姫ハイ・ファイ・セットなどをレパートリーとし、高校の文化祭や地域の公民館などでコンサートを開いていた。なお、バンド仲間として後に結婚する最初の夫と出会っている。
  • 大学時代
    • 学費はアルバイトで大卒の初任給に負けないくらい稼いでいたが、一番時給が高かったのは家庭教師だった。
  • 社会人
    • 1983年に広告代理店勤務の同い年の男性と結婚。夫が標榜するDINKs(ダブル・インカム・ノー・キッズ=子供を持たない共稼ぎ)式結婚の理想カップルとして雑誌の取材にもよく登場したが、自身が番組スタッフ男性宅から“朝帰り”したところを写真週刊誌に激写されたことが原因で、昭和最後の日であった1989年1月7日に離婚。
    • 1985年8月12日に起きた日本航空123便墜落事故で、搭乗者の中に同姓同名(読みも同じ)の「小宮悦子」という女性がおり、年齢も彼女とほぼ同じだったため多くの人に勘違いされ、テレビ朝日に視聴者から多数の問い合わせがあったという(なお小宮とこの犠牲者の女性は全くの無関係である)。
    • 1994年12月31日に10歳年下の当時『ニュースステーション』のディレクターと再婚したが、その後夫の不倫が発覚し、2007年3月に離婚。
    • 『ニュースステーション』にゲスト出演した当時オリックス監督の仰木彬始球式を務めることを任されて快諾したが、試合は雨天中止になった。
    • 1992年に貴花田(後の貴乃花親方)が宮沢りえと婚約をした際、韓国の夕刊紙・国民日報が誤報で「若花田(花田勝)と小宮悦子が結婚」と報じた。
    • 岡田斗司夫が“彼女はあんがいオタク”とした上で、小宮が「実は私、流星号になりたかったんです」「もの言わぬ流星号になって、スーパージェッターを乗せて飛び回りたかったんです」と週刊誌の対談で述べたと紹介している[1]
    • 平仮名で書くサインに久米宏から 「君、そのサインどうにかならないの?」 と言われて 「考えておきます」と言ったが、20数年が経過したが現在も変わっていない。
    • 『…ウワサの真相 年内決着スペシャル』で司会を務めた時に、ゲストの篠原勝之から「小宮さん、今日はスカートじゃないんだ? 俺は小宮さんの脚が見たかったんだよな」この後に小宮を慌てさせる発言をし、生放送の怖さを思い知らされた。
    • クレヨンしんちゃん』初期の原作とアニメでは主人公の野原しんのすけが小宮のファンという設定で、劇中にも頻繁に登場していた。その縁で、1994年公開の映画『クレヨンしんちゃん ブリブリ王国の秘宝』で本人役の声優を務めた。

出演

テレビ

ラジオ

映画

CM

DVD

著書

翻訳

  • だいじょうぶ?だいじょうぶさ! ダビッド・モリション 小学館 1998.12 ISBN 978-4097272670
  • きいろかな、みどりかな ベッキー・ブルーム(著) ダビッド・モリション(イラスト) 小学館 2000.5 ISBN 978-4097272175
  • とらねこビスケット ベッキー・ブルーム(著) パスカル・ビエット(イラスト) 小学館 2000.12 ISBN 978-4097273134

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 岡田斗司夫『岡田斗司夫の未来玩具』グリーンアロー出版社、1999年11月。ISBN 978-4766332933 

関連項目

外部リンク