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[[2008年]](平成20年)10月に親会社'''エイチ・ツー・オーリテイリング'''は[[髙島屋]]と3年以内の経営統合を前提に業務・資本提携して株式を10%ずつ保有しあい、[[2009年]](平成21年)からは一体感を高めて統合作業を円滑に進めるため相互に社外取締役を派遣しあった<ref name="yomiuri-np-2009-4-11">{{Cite news | title = 高島屋と阪急阪神百貨店、相互に社外取締役を選任 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2009-4-11 }}</ref>。 |
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ピーク時の[[1991年]](平成3年)は売上高約171億円を上げていた<ref name="sankei-np-2010-8-21">{{Cite news | title = 終わらぬ既存店改革 阪急阪神百貨店「四条河原町阪急」あす閉店 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2010-8-21 }}</ref>。デザイナーズブランドブームが去ると競合店に客足を奪われ<ref name="kobe-np-2010-3-3">{{Cite news | author = 西井由比子 | title = 瀬戸際の百貨店(1)相次ぐ閉店「選択と集中」都市部に | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2010-3-3 }}</ref>、業績が低迷した。 |
ピーク時の[[1991年]](平成3年)は売上高約171億円を上げていた<ref name="sankei-np-2010-8-21">{{Cite news | title = 終わらぬ既存店改革 阪急阪神百貨店「四条河原町阪急」あす閉店 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2010-8-21 }}</ref>。デザイナーズブランドブームが去ると競合店に客足を奪われ<ref name="kobe-np-2010-3-3">{{Cite news | author = 西井由比子 | title = 瀬戸際の百貨店(1)相次ぐ閉店「選択と集中」都市部に | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2010-3-3 }}</ref>、業績が低迷した。 |
2020年6月15日 (月) 21:41時点における版
阪急百貨店(はんきゅうひゃっかてん、英: Hankyu Department Store)は、エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社傘下の株式会社阪急阪神百貨店が運営する日本の百貨店。
創業者は五代友厚など同じ関西の財界に携わった関西財界の雄と言われる小林一三で、大阪市の梅田に本店を置く。本店所在地は大阪府大阪市北区角田町8番1号である。
法人としての株式会社阪急百貨店は、次の2つが存在した。
- 初代法人:1947年3月7日 - 2007年9月30日。現在のエイチ・ツー・オー リテイリング株式会社。
- 2代目法人:2007年10月1日 - 2008年9月30日。2008年(平成20年)10月1日付で株式会社阪神百貨店と合併し、株式会社阪急阪神百貨店に商号変更。
歴史・概要
創業から第2次世界大戦まで
1920年(大正9年)11月1日に、5階建ての阪急梅田ビル1階に東京・日本橋の老舗呉服店系百貨店・白木屋を招致して[1]白木屋梅田出張店が開店した[2]。55坪の店舗で食料品や日用雑貨の販売を行わせ[3]、11月5日[4]、2階に阪急直営である大衆食堂の阪急食堂を開設したのが始まりである[2]。
この白木屋の店舗を売上歩合制の家賃として売上実績のデータを入手し[5]、そのデータから梅田駅でのターミナルデパートの可能性を固く信じた小林一三は[5]、契約期間が満了を理由に白木屋との契約を解除して1925年(大正14年)6月1日に阪急梅田ビル2・3階に[1]自社直営の食料品や生活雑貨中心のスーパーに近い形態[6]の阪急マーケット[1]、4・5階に直営の阪急食堂を移設して開業し[7]、直営でのターミナルデパートの第一歩を踏み出した[6]。
その後、梅田駅ビルを地上8階地下2階に全面改築して大幅に拡張し[6]、敷地面積328坪で延べ床面積3,280坪[8]という百貨店に相応しい規模の店舗を作って1929年(昭和4年)4月15日に鉄道会社直営=電鉄系百貨店として阪急百貨店を開業した[1][9]。
この開業を日本初のターミナルデパート[6][10](ターミナルデパートは欧米にない日本独特のもの[8]のため同時に世界初となる)とする見方も多いが、現・近鉄大阪上本町駅に設けられた三笠屋百貨店を最初のターミナルデパートとする見方もある[11][12]。
開業直前の1929年(昭和4年)4月13日・14日掲載の開店新聞広告に「どこよりもよい品物を、どこよりも安く売りたい」とのコピーを入れた[2]ように開業当初は大衆向けの路線を採り[13]、沿線の行楽に向かう人々への弁当販売を手がける等、今日のターミナルデパートの雛形となった存在としても知られる。
経営の中心であった[2]7・8階の大食堂は[6]、高層階からの眺望や食券方式などの目新しさにより、人気を博した[14]。看板メニューとして当時高級品だったライスカレーをコーヒー付き25銭で提供するなど、ランチも名物として話題となった[2]。
開業直後に襲った昭和恐慌の時代に、ライスのみを注文してテーブルに備えられていた[15]ウスターソースをかけただけで食べるソーライスが流行した[16]際は、他の店舗[16]や当店の大食堂の店員が締め出しを図ろうとした[15]。しかし、創業者の小林一三は「今は貧しいが、やがて結婚し子供ができる。その時ここでの食事を思い出し、家族で来てくれるだろう」と考えて「ライスだけの客歓迎」と張り紙をさせ[15]、福神漬けまで付けて提供する[16]など、話題となった。
開業当初は雑貨の品揃えは悪くなかったものの、知識や経験の不足により呉服類が見劣りがして駅の賑やかさ故にやや落ち着かないとされ[17]、売上高も1日平均約2万円だった[8]。しかし、1931年(昭和6年)11月に敷地面積628坪で延べ床面積6,191坪として1日平均3.1万円の売上を上げ[8]、1932年(昭和7年)12月に延べ床面積12,000坪で1日平均5万円の売上[8]へと阪急梅田ビルの増築工事を完成させて増床を行って[1]大衆路線が受けたことと合せて売上を順調に伸ばし[13]、1936年(昭和11年)に阪急梅田ビルの第4期増築工事が完成して[7]売り場面積53,435m2にまで拡大した[18]。
1932年(昭和7年)12月の増床時に古美術品売場と茶室福寿荘開設が行われると共に大阪で指折りの古美術店10店を集めて組織した充美会を結成してノウハウの不足を補って美術品の取り扱いの第一歩を踏み出した[13]。
1934年(昭和9年)9月に洋家具売場の一角に洋画陳列場を開設して春秋会洋画展を開設して洋画の取り扱いを始めるなど比較的早くから美術品の取り扱いを充実させていった[13]。
1937年(昭和12年)発行の機関誌阪急美術1号は、小林一三が「買つて置いて必ず損のないもの」と記述するように、これら美術品の販売でも百貨店全体の大衆路線が展開され、サラリーマンが購入できる美術品が取り扱われた[13]。
1934年(昭和9年)に直営製菓工場とアイスクリーム工場を開設して自社ブランドの菓子類の販売に乗り出す[2]など開業が比較的早い時期から食品関連の自社生産を開始するなど食堂から発展した百貨店[7]らしい事業展開も行っていった。
一般の小売店による百貨店規制運動に対応して1933年(昭和8年)4月20日に創立総会を開催した。設立の認可申請をした日本百貨店商業組合に当店も設立時から参画していて[19]、同組合は支店や分店の新設を制限する営業統制案を設立総会前日の19日に決定していた[20]。
この日本百貨店組合による営業統制規程第三条を受けて、そごうは阪神元町食堂の営業委託がその規定に抵触するとして断った[21]。それにも関わらず、阪神急行電鉄は駅に食堂を付属させることは当然認められるサービスだと主張して神戸・三宮に建設していた駅ビルへの食堂設置[21]などを強行し、1936年(昭和11年)4月11日に阪神急行電鉄神戸駅に完成した神戸阪急ビル内に神戸支店を開業して多店化に乗り出した[2]。
1937年(昭和12年)5月1日に豊中駅構内東改札口に配給所という小型店を開業した。同所で受けた注文を直ちに梅田の百貨店に連絡し、30分ごとに電車便を使って商品を配送して受注から1時間後に商品を届けた。これが好評だったため、同年12月4日までに同様の店舗を住吉、芦屋、帝塚山など合計38ヶ所展開して沿線での需要に応えた[3]。
1938年(昭和13年)1月1日に施行された百貨店法(第1次)により禁止されるまで、鉄道利用者の利便性を考慮して夜間営業も行ったが、同法により午後7時までに営業時間が規制されて夜間営業を廃止した[22]。
第2次世界大戦後の独立と多店化
1945年(昭和20年)8月28日に解散した京阪デパート[3]の建物を買収して1946年(昭和21年)に同店跡に食堂付きの天満橋マーケットを開業し[23]、1947年(昭和22年)3月7日に株式会社阪急百貨店を設立して4月1日から新会社で営業を開始して阪急電鉄から独立し[2]、天満橋マーケットも阪急天満橋支店として新装開店した[23]。
1953年(昭和28年)11月23日に東京大井店を開業して東京へ進出し、1956年(昭和31年)5月29日にマツダビルディングに数寄屋橋阪急を開業して銀座の一角へ進出して[9]など東京と近畿の双方に店舗を構える百貨店チェーンに成長した。
1957年(昭和32年)6月12日と1961年(昭和36年)4月25日と1969年(昭和44年)11月23日に相次いで阪急梅田ビルの増築工事が相次いで竣工してうめだ本店の増床を行い[24]、本店の営業力の拡大・強化も図っていった。
京阪電気鉄道の淀屋橋駅までの延伸工事の際に地下を新線が通過する為に解体が決まったため1961年(昭和36年)に天満橋支店を閉鎖して京阪電気鉄道へ建物を返還した[23]が、1970年(昭和45年)3月11日に大阪の千里ニュータウンに千里阪急、1976年(昭和51年)10月15日に京都市の四条河原町交差点角に四条河原町阪急(阪急京都本線河原町駅直結)、1982年(昭和57年)10月8日にうめだ本店の別館として阪急イングスを相次いで開業させて近畿の店舗網の強化・拡大を進めた[9]。
その後も1984年(昭和59年)10月6日に東京の有楽町マリオンに有楽町阪急、1989年(平成元年)4月4日に兵庫県川西市に川西阪急、1992年(平成4年)10月1日に神戸ハーバーランドに神戸阪急、1993年(平成5年)4月15日に宝塚阪急と相次いで出店し、近畿と東京の2地区で店舗網を拡充していった[9]。
バブル崩壊後の出店
2000年(平成12年)3月17日に横浜市の港北ニュータウンに都筑阪急を核店舗とするショッピングセンターモザイクモール港北[25]を開業させて初日に約10万人の客を集め[26]、神奈川県への進出と郊外のショッピングセンターへの進出を図った。
2004年(平成16年)10月28日に堺市に開業したダイヤモンドシティ・プラウの核店舗として堺 北花田阪急[27]を正式に開業し[28]、2005年(平成17年)9月15日に兵庫県三田市のJR三田駅前に子会社の食品スーパー阪急オアシスと一体型の小型店の三田阪急を開業した[29]。実現はしなかったものの2006年(平成18年)に長谷工コーポレーションなどが進めていた[30]大阪市の京阪電気鉄道と大阪市営地下鉄北浜駅に直結する三越大阪店跡地の超高層マンションの低層部の商業施設部分に[31]三田阪急と同様に阪急オアシスの食品スーパーと百貨店の衣料品売場などを組み合わせる形式での出店を構想して交渉を進める[30]など、売上高のうめだ本店の依存率が50%を超える体質から脱して[27]主力地盤である関西地区での営業基盤の強化を図ろうとした[30]。
しかし、これらの郊外型店は期待したほど収益を上げなかったため、集客力のある駅ビル進出を目指し[32]、2006年(平成18年)3月24日に博多駅ビルへの進出に向けて九州旅客鉄道と本格的な交渉に入ることを取締役会で決定して[32]同年4月3日に正式に合意したことを発表し[33]、2011年(平成23年)3月3日に入居するJR博多シティと共に博多阪急を開業した[34]。
2008年(平成20年)11月26日に、阪急西宮ガーデンズの核店舗の一つとして西宮阪急が開業した[35]。当店は2012年(平成24年)3月期に前年比6.6%増の売上高約231.97億円を上げるなど[36]、順調に売上を伸ばしている。
食品スーパー事業の再編・強化
子会社の阪急共栄物産が2001年(平成13年)2月期の連結決算で売上高約238億円で当期純損失が7.3億円の赤字に陥る[37]など業績が伸び悩んだため、2003年(平成15年)1月1日付で阪急共栄物産を事業別に分社化して食品スーパー事業を行う資本金1億円の阪急ファミリーストアなど5社を設立し[38]、同年3月1日に阪急共栄物産を吸収合併して100%出資子会社化した[38]。
2006年(平成18年)3月27日に医療機器大手で食品スーパーも経営していたニプロから食品スーパー子会社のニッショーを約100億円で買収することを決定して[39]同日発表し[40]、ニッショーストアを傘下に収めて経営規模をほぼ倍増させるなど規模拡大を図った[39]。
2006年(平成18年)9月に傘下の食品スーパーや食品メーカーなどの食品事業を統括する阪食を設立して阪急オアシスなど8社を同社の完全子会社とした[41]。
不振店舗の業態転換や閉鎖
2004年(平成16年)8月31日に数寄屋橋阪急としての営業を終了して子会社の阪急ショッピングセンター開発に運営を移管し、同年10月8日に専門店ビルモザイク銀座阪急として開業し[42]、2011年(平成23年)7月18日に有楽町阪急としての営業を終了して同年10月15日に全面改装して阪急メンズ・トーキョーとして開業して[43]黒字転換を図った[44]。
2010年(平成22年)8月22日に四条河原町阪急[45]、2012年(平成24年)3月11日に神戸阪急[46]と相次いで閉店させるなど不採算店の閉鎖を進めて収益性の高いうめだ本店などへの経営資源の集約を図った[47]。
うめだ本店の建て替えと別館
2005年(平成17年)8月16日に解体工事が着工された後、うめだ本店は売り場を北側に移すために18日まで一時休業した[48]。その後、19日から営業を再開し、同年9月14日未明から本格的な解体工事に着手した[49]。
この建て替えに伴い、1929年(昭和4年)から76年間供用された旧阪急梅田駅コンコース[50]も解体されることになった。当コンコースは、伊東忠太が設計した鳳凰、竜、ペガサス、獅子などが描かれたモザイク壁画や、天井からシャンデリアが吊されるなど、希少価値が高いことにより保存運動も起きた[51]が、ビルの基礎部分から建て替えるため取り壊さざるを得ない[51]として解体された[52]。しかし、解体の際に壁画やシャンデリアは保存され[50]、第2期工事完成後に、13階のレストランフロアに旧阪急梅田駅コンコースから撤去されたモザイク壁画が復元されることになった[52]。
1階コンコースのエレベーター横など2カ所の大理石でできた壁のパネルに埋まっていた、夏休みの宿題や自由研究の題材などとして子供たちの人気を集めてきた、直径3 - 5センチの巻き貝の化石も取り壊されることになった[53]。しかし、化石は壁そのものをくり抜き、裏側を加工した後、2005年(平成17年)9月12日・13日に、当建て替え工事に伴って不要となった備品類を販売する「もったいないチャリティー入札大会」で落札された[54]。
入札で工事を請け負った大成建設は、採算が合わないとして建設工事の正式な請負契約を結ばずに受注を辞退した[55]。2006年(平成18年)末までに[55]大成建設は旧建物の南側地上部分の解体を終えた段階で業務を終了した[56]ため、2007年(平成19年)1月15日から大林組が新たな施工業者となって地下部分の解体工事に入った。工事の途中で施工業者が交代するのは極めて異例である[56]。
地下に過去の建造物が残っているにもかかわらず、建設当時の図面が完全な形で保存されていないため正確な構造が把握出来ない[57]上、周辺のビル・地下鉄・地下街も考慮しつつ[58]百貨店の営業を継続しながら半分ずつ解体・建設するという難工事[56]のため、工事の進捗は当初の予定よりも大幅に遅れた[59]。
南側部分の第1期棟は2009年(平成21年)9月3日に売り場面積約27,000m2の百貨店部分が開業し[60]、2010年(平成22年)4月1日にオフィスタワーを含む第1期棟全体が竣工し[61]、同年5月6日に中高層部のオフィスタワーが開業した[62]。建て替え後の梅田阪急ビルは地上41階、地下2階の建築物[61](高さ187メートル[55])となった。
第1期棟百貨店部分の営業開始を受けて北側部分の第2期棟部分の解体工事に入ったが[60]、第2期の工事も難航したため[58]2011年(平成23年)4月22日に3度目の全面開業時期の延期が報道される状況になった[57][58][59]。
2012年(平成24年)4月17日に同年11月下旬に当初の予定から約1年半遅れて開業することを発表した[63]。
2012年(平成24年)10月25日に開業済みの第1期分(南側部分)と合せて新店舗の8割に当たる第2期分(北側部分)を先行開業させた後[64]、スポーツ用品などの売場を本館8階の「スポーツファッション イングス」へ移設するため同年11月18日にイングス館を閉鎖し[65]、同年11月21日に新店舗を全館開業した[66]。
2008年(平成20年)2月1日に、同じ阪急グループの商業施設であるHEPナビオ内に、約16,000m2[67]に約300のブランドを集めた阪急メンズ館を開店し、開業初年度の目標だった250億円を上回る売上高約265億円を上げた[68]。
その一方で、1990年代前半に売上高約120億円を上げていた子供服とスポーツ用品を扱うイングス館は2010年(平成22年)3月期に売上高約80億円に落ち込み[69]、面積的にも顧客が満足する品揃えが困難だとして、増築工事完成後の本館に集約するため2012年(平成24年)11月18日に閉鎖される[65]など、うめだ本店周辺の別館で明暗が分かれている。
阪神百貨店との経営統合
2005年(平成17年)10月1日に村上世彰が率いるM&Aコンサルティング(村上ファンド)が阪神百貨店の株式18.19%を保有していることが判明し、他の株式と同様に阪神電気鉄道株式に交換されて村上ファンドがもつ阪神電気鉄道の持ち株比率が38.1%となった[70]ため、阪急ホールディングス(現・阪急阪神ホールディングス)がホワイトナイトとして村上ファンドが所有していた阪神電気鉄道の全株を取得し、一般の株主から買収した分を合わせると、阪神電気鉄道の発行済株式の64.76%を保有することとなり、阪神電気鉄道は阪急ホールディングスの子会社となった。
そのため、阪神電気鉄道の子会社で長年のライバルだった阪神百貨店と提携の検討が阪急阪神ホールディングスの統合後[71]からなされ、2007年(平成19年)10月1日に株式会社阪神百貨店を株式会社阪急百貨店(初代)が経営統合してエイチ・ツー・オー リテイリングとなり[72]、新たに完全子会社としての株式会社阪急百貨店(2代目)が設立されて同社が運営する体制へ移行した[72]。
その後、百貨店の運営会社を1社に統合するため2008年(平成20年)10月1日に株式会社阪急百貨店が株式会社阪神百貨店を吸収合併して商号を株式会社阪急阪神百貨店へ変更して株式会社阪急百貨店としての歴史に終止符を打ったため[73]、現在は同社の運営となっている[74]。
他社との提携
三越と伊勢丹が2008年(平成20年)4月に経営統合することになったことに伴い、2007年(平成19年)12月25日に伊勢丹との業務提携の解消が発表された[75]。
2008年(平成20年)10月に親会社エイチ・ツー・オーリテイリングは髙島屋と3年以内の経営統合を前提に業務・資本提携して株式を10%ずつ保有しあい、2009年(平成21年)からは一体感を高めて統合作業を円滑に進めるため相互に社外取締役を派遣しあった[76]。
その業務提携の第1弾として2009年(平成21年)4月15日からインターネットでの通信販売における販売促進活動の共同化を行った[77]。
しかし、経営戦略や統合比率やトップ人事などで協議を進めるほどに差異が露わになり、統合後の重点投資先などを巡る経営方針が折り合わないとして、2010年(平成22年)3月25日に経営統合を断念したと発表すると共に同日付で互いに派遣していた非常勤取締役を引き揚げた[78]。
経営統合の断念後も10%の株式を持ち合う資本提携や、備品・資材の共同購入や中元・歳暮商戦で商品の共通化などの業務提携は継続しており[78]、洋菓子の新ブランドPURE FORESTを共同開発して2011年(平成23年)春から順次展開を始めている[79]。
2011年(平成23年)8月10日に親会社エイチ・ツー・オーリテイリングは近鉄百貨店と次世代情報システムの構築で提携することを発表した[80]。
独自の食品販売
1934年(昭和9年)に直営製菓工場とアイスクリーム工場を開設して自社ブランドの菓子類の販売に乗り出す[2]など、早くから独自の食品販売に取組んでいる。
1989年(平成元年)に京都で「寺子屋料理塾」を運営していた料理研究家の故・首藤夏世の協力を得て、京都の家庭料理京のおばんざいを商品化した。商品を販売するのは阪急デリカが運営する和惣菜の六齋であり、売上は食品関連の全テナントの売上でロック・フィールドの「RF1」に次ぐ第2位、和惣菜部門ではトップの売上である[81]。
その他にも2003年(平成15年)9月に農業生産法人有限会社阪急泉南グリーンファームを設立して[82]大阪府南部を中心に農家の休耕地などを借り受けて[83]2004年(平成16年)4月から[84]無農薬の有機野菜の栽培を行い[83]、当店及びグループの各店舗で販売をしている[84]。
店舗
阪急うめだ本店
阪急百貨店の本店。通称「うめだ阪急」。ファッションやコスメ・ビューティー関連の商品力で近畿随一と言われ、「東の新宿伊勢丹・西のうめだ阪急」と呼ばれるほど(一時期、伊勢丹と阪急百貨店は業務提携をしていたが、現在は提携を解消した)、女性ファッションの流行発信基地として幅広い年齢層の女性に人気の高い店舗である。店舗別年間売上高は伊勢丹新宿店に次いで国内2位であり、関西において高いブランド力と知名度を誇る。ファッション・高級イメージを打ち出すことで、食に強みを持ち庶民的なイメージの阪神百貨店梅田本店との違いを明確にし、隣接する同じグループの店舗との差別化を図っている。
2008年9月30日までは(株式会社阪急百貨店の)「大阪・うめだ本店」と称していたが、会社合併の際の百貨店ブランド維持方針に基づき(すなわち「阪神百貨店梅田本店」との兼ね合いから)「阪急うめだ本店」に2008年10月1日に改称された。
阪急電鉄大阪梅田駅南部の梅田阪急ビルに入居する本館と、HEP NAVIOに入居する阪急メンズ大阪(旧:阪急百貨店メンズ館)[68]で構成される。かつてはスポーツ用品や子供服などを扱う阪急イングス館(旧:阪急イングス)も存在したが、2012年10月25日に子供服・玩具売場が新本館11階に移転し[65]、同年11月21日の新本館全面開業[66]時に新本館の8階に「スポーツファッション・イングス」として開業した[65]ことから、同年11月18日に閉鎖された[65]。
「阪急うめだ本店」と「阪急メンズ大阪」の合計の売場面積は96,000mと日本最大の近鉄百貨店あべのハルカス本店に次ぐ規模である。
神戸阪急(3代目)
2019年(令和元年)9月30日まで営業していたそごう神戸店を引き継いだ店舗。阪急百貨店ではあるが、阪神神戸三宮駅隣接の三宮阪神ビルをはじめとした複数の建物から構成されている。新館も存在する。 百貨店直営の売場の他、そごう神戸店時代より引き続き、紀伊国屋書店、ロフトなどが入居している。
なお、1995年1月までは三宮阪急(初代神戸阪急)が阪急三宮駅(閉店当時)の神戸阪急ビルに入居しており、三宮では24年8ヶ月ぶりの再開店となる。また、2012年までは神戸ハーバーランドにて神戸阪急(2代目)が営業していた。
高槻阪急
2019年(令和元年)9月30日まで営業していた西武高槻店を屋号転換した店舗。最寄り駅はJR高槻駅。阪急京都本線高槻市駅も徒歩圏内である。
高槻市の「国鉄高槻駅前再開発事業」に対応して、西武百貨店が1971年「株式会社西武百貨店関西」を設立して関西1号店として出店。1973年に大規模小売店舗立地法が施行されたのを受け直営売場を削って各フロアに専門店を入居させる試みを行った、モール併設型店舗の先駆けであった。西武末期時点で紀伊国屋書店、ユニクロ、ロフト、タワーレコード、アカチャンホンポ、関西スーパーなどが入居しており、阪急転換後もそのまま残った。
千里阪急
千里阪急 | |
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店舗概要 | |
座標 | 北緯34度48分35.2秒 東経135度29分45.4秒 / 北緯34.809778度 東経135.495944度 |
開業日 | 1970年(昭和45年)3月11日[9] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店千里阪急 |
施設管理者 | 阪急阪神百貨店 |
敷地面積 | 4,299 m² |
延床面積 | 21,894 m² |
商業施設面積 | 13,803[43] m² |
最寄駅 | 北大阪急行電鉄千里中央駅 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
Hankyu |
1970年(昭和45年)3月11日に千里ニュータウンの中心的な商業地区とされた北大阪急行電鉄千里中央駅に隣接する地区に開業した[9]。
阪急百貨店が近畿で初めて郊外に出店した百貨店である。
2005年(平成17年)3月期で売上高約181.65億円[85]、2006年(平成18年)3月期で売上高約189.34億円[86]、2007年(平成19年)3月期で売上高約191.55億円[87]、2008年(平成20年)3月期で売上高約193.56億円[88]と順調に売上を伸ばした。
リーマンショックが期中にあった2009年(平成21年)3月期に前年比でマイナスになって売上高約187.01億円[89]となり、翌年からも2010年(平成22年)3月期に売上高約172.54億円[90]、2011年(平成23年)3月期で売上高約173.17億円[91]、2012年(平成24年)3月期で売上高約172.65億円[43]と売上の減少が続いているものの減少幅は徐々に縮小し始めている。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は北摂地域の店舗や西宮と共に近畿の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[92]。
西宮阪急
西宮阪急 | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒663-8204 兵庫県西宮市高松町14番1-3号 |
座標 | 北緯34度44分37.6秒 東経135度21分34.3秒 / 北緯34.743778度 東経135.359528度 |
開業日 | 2008年(平成20年)11月26日[35] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店西宮阪急 |
施設所有者 | 阪急電鉄 |
商業施設面積 | 25,000[43] m² |
最寄駅 | 阪急電鉄神戸線・今津線西宮北口駅[93] |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
Hankyu |
2008年(平成20年)11月26日に兵庫県西宮市の阪急西宮スタジアム跡地に開業した阪急西宮ガーデンズ[35]の核店舗として268店舗と共に[93]開業した[35]。
阪急電鉄西宮北口駅から動く歩道も設置された歩行者デッキで直結している[94]。
高級住宅地を擁する西宮や芦屋を商圏とする特性を踏まえ、「西宮上質生活」をコンセプトとしているが、うめだ本店との差別化や都心ではない郊外型店としての日常性重視の観点から、メインエントランス周辺への海外高級ブランドではなくアクセサリーや化粧品など身近な雑貨を並べている[93]。
子育て中の団塊ジュニア世代らの人口が増えている商圏の特性を踏まえ[95]、うめだ本店を大幅に上回る子供服や玩具の売場を設け[93]、教育熱心で富裕な家庭が多いため玩具売場の取扱商品もテレビアニメのキャラクター玩具は置かずに木製の知育玩具に注力し[93]、子供服売り場に無料で絵本を読めるスペースや育児教室を設置して百貨店から足が遠のいていた団塊ジュニア世代の集客に成功している[95]。
当店で初めて設置されたコトコトステージという各売場に設けられた顧客参加型のイベント広場で調理教室や食育、着こなしやコーディネートの講座など取扱商品に関連するイベントを開いて生活シーンや使用価値を提案する仕組みは成功し[95]、博多阪急にも展開された[95]ほか、全館開業後のうめだ本店でも展開している[96]。
当店の地方の物産展開催に合せて西宮ガーデンズ内のカフェでその物産を使ったメニューを出すなどショッピングセンター内の他店と連携したイベント展開を行い、開業初年度の売上高が最多というケースがほとんどの郊外型ショッピングセンターの常識を覆して阪急西宮ガーデンズの売上高が初年度の約659億円から開業2年目に約676億円へ伸びた[97]。
当店も2010年(平成22年)3月期の売上高約191.9億円[90]から2011年(平成23年)3月期は売上高約217.63億円、2012年(平成24年)3月期で前期比6.6%増の売上高約231.97億円[36]とリーマンショック後の消費低迷の状況にもかかわらず2010年(平成22年)1月以降27ヶ月連続で前年を上回って売上を伸ばしている[98]。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は北摂地域の店舗と共に関西の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[92]。
川西阪急
川西阪急 | |
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店舗概要 | |
座標 | 北緯34度49分35.4秒 東経135度24分45.8秒 / 北緯34.826500度 東経135.412722度 |
開業日 | 1989年(平成元年)4月4日[9] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店川西阪急 |
施設管理者 | 川西都市開発[99] |
延床面積 | 約74,000[99] m² |
商業施設面積 | 15,528[43] m² |
最寄駅 |
阪急電鉄川西能勢口駅 JR川西池田駅[99] |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
Hankyu |
阪急川西能勢口駅とJR川西池田駅の間にある約130店舗が入るショッピングセンターアステ川西の核テナントとして[99]1989年(平成元年)4月4日に開業した[9]。
1995年(平成7年)に開業当初の2倍に売上を伸ばし、紀伊國屋書店などと共に再開発ビル6棟が立ち並ぶ駅前の賑わいの中核の一つとなっている[100]。
2005年(平成17年)3月期で売上高約192.66億円[85]、2006年(平成18年)3月期で売上高約198.72億円[86]、2007年(平成19年)3月期で売上高約206.69億円[87]、2008年(平成20年)3月期で売上高約210.88億円[88]と順調に売上を伸ばし、リーマンショックが期中にあった2009年(平成21年)3月期は前年比でマイナスになったものの売上高約201.52億円[89]と年間売上高約200億円を数年間安定していた。
2010年(平成22年)3月期はリーマンショック後の消費低迷を受けて前年比で大幅なマイナスになり売上高約186.36億円[90]、2011年(平成23年)3月期で売上高約184.58億円[91]、2012年(平成24年)3月期で売上高約181.05億円[43]と売上は落ち込んだものの、年間売上高約180億円以上を維持し続けている。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は北摂地域の店舗や西宮と共に近畿の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[92]。
当店の近隣で、阪急阪神百貨店の子会社である阪急商業開発がショッピングセンターモザイクボックス川西を運営している[42]。
宝塚阪急
宝塚阪急 | |
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店舗概要 | |
座標 | 北緯34度48分34.3秒 東経135度20分31.2秒 / 北緯34.809528度 東経135.342000度 |
開業日 | 1993年(平成5年)4月15日[9] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店宝塚阪急 |
施設所有者 | 阪急電鉄・阪急バス・ソリオ宝塚都市開発[86] |
施設管理者 | 阪急阪神百貨店 |
商業施設面積 | 7,191[43] m² |
最寄駅 | 阪急電鉄宝塚駅 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
Hankyu |
1993年(平成5年)4月15日に阪急電鉄宝塚駅の新ターミナルビル内に開業した[9]。
当初は開業直前の1993年(平成5年)1月に設立された子会社の株式会社宝塚阪急が経営していたが、2002年(平成14年)4月に阪急百貨店が株式会社宝塚阪急を吸収合併している[86]。
売場面積は小さいものの、2005年(平成17年)3月期で売上高約98.46億円[85]、2006年(平成18年)3月期で売上高約101.48億円[86]、2007年(平成19年)3月期で売上高約105.12億円[87]、2008年(平成20年)3月期で売上高約107.68億円[88]と順調に売上を伸ばし、リーマンショックが期中にあった2009年(平成21年)3月期は前年比でマイナスになったものの売上高約102.88億円[89]と年間売上高100億円を数年間安定して上回り続けた。
2010年(平成22年)3月期はリーマンショック後の消費低迷を受けて前年比で大幅なマイナスになり売上高約93.02億円[90]、2011年(平成23年)3月期で売上高約91.67億円[91]、2012年(平成24年)3月期で売上高約89.06億円[43]と売上は落ち込み続けているものの、売場面積辺りの売上では他店と比べて比較的高い金額を維持し続けている。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は北摂地域の店舗や西宮と共に近畿の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[92]。
三田(さんだ)阪急
三田阪急 | |
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店舗概要 | |
座標 | 北緯34度53分16.8秒 東経135度13分44.1秒 / 北緯34.888000度 東経135.228917度 |
開業日 | 2005年(平成17年)9月15日[101] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店三田阪急 |
施設所有者 | 三田地域振興株式会社ほか[102] |
施設管理者 | 三田地域振興株式会社[102] |
延床面積 | 21,740[102] m² |
商業施設面積 | 2,143[43] m² |
最寄駅 | JR宝塚線・神戸電鉄三田駅 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
Hankyu |
日本一の人口増加を10年間続けた兵庫県三田市の旧市街地本町に近いJRと神戸電鉄の三田駅前[103]で1982年(昭和57年)に再開発ビル建設の計画が浮上して百貨店大丸の出店が決まっていたが1993年(平成5年)に出店を断念したため、当社が出店することになったのが始まりである[102]。
しかし、商圏人口が予想より伸び悩んだことを理由に1994年(平成6年)に全フロアでの出店を取り止めて2フロアのみへ縮小する方針を打ち出し、保留床も買取から賃貸へ変更となった[102]。
2フロアの内1階の食品売場部分もグループの食品スーパー阪急オアシスが運営し、2階のファッション売場のみを直営としてうめだ本店の菓子の取り寄せサービスなどで規模の小ささを補う営業形態となっており、人口の少ない郊外立地の実験店としての性格を持たせている[29]。
2005年(平成17年)9月13日のビルの竣工式[102]を受けて、その翌々日の15日に三田駅前一番館(キッピーモール)の核店舗として開業した[101]。
当店の入居するビルは3階と4階は専門店街で5階がレストラン街、6階に市が運営する「まちづくり協働センター」などが入居する複合施設となっている[101]。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は郊外の小型店を担当する第三店舗事業部の所属となり、販売と仕入を同一の部門が担当する体制に移行した[92]。
博多阪急
2011年(平成23年)3月3日にJR博多シティの核テナントとして開業し[34]、九州へ初進出[104]した。
「暮らしの学校」をコンセプトとして[105]西宮阪急で成功したコトコトステージという各売場に設けられた顧客参加型のイベント広場で調理教室や食育、着こなしやコーディネートの講座など取扱商品に関連するイベントを開いて生活シーンや使用価値を提案する仕組みを導入して2階を除く全フロアに大小20カ所設置してするなど物販以外のスペースが店舗面積の約15%を占めているほか、男性向けのコーディネート支援サービスも導入するなど提案型のサービス機能に注力している[95]。
20代OLが低単価でも頻繁に買い物に来訪するをことを企図してファッションビル並みの低単価のレディスファッションを扱うハカタシスターズを設け、高級婦人服を扱う特選売場を設置しないなど主力の婦人服売場の商品の多くを単価1万円未満に抑えるなど、従来の百貨店の品揃えと大きく異なる商品展開を行っている[95]。大手百貨店が大都市の主要店舗で展開する富裕層や法人を対象とする外商を設置しないなど、珍しい営業戦略を採る[95]。
当店の開業半年間での売上は約200億円で計画を約8%上回っただけに留まった[106]が、2012年(平成24年)3月期の売上高が約372.59億円と、初年度目標の370億円を少し上回り[107]、エイチ・ツー・オーリテイリングの連結決算も前期比8.7%増の売上高約5055.88億円で3年ぶりの増収となるなど順調な滑り出しを見せている[36]。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[92]。
阪急メンズ・トーキョー
阪急メンズ・トーキョー | |
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阪急メンズ・トーキョー(旧:有楽町阪急時代のもの) | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒100-0006 東京都千代田区有楽町二丁目5番1号 |
座標 | 北緯35度40分25秒 東経139度45分44.7秒 / 北緯35.67361度 東経139.762417度 |
開業日 |
2011年(平成23年)10月15日[43] 有楽町阪急:1984年(昭和59年)10月6日[9] |
閉業日 | 有楽町阪急:2011年(平成23年)7月18日[43] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店阪急メンズ・トーキョー |
施設所有者 | 東宝[86] |
施設管理者 | 有楽町センタービル管理 |
延床面積 | 18,099[86] m² |
商業施設面積 | 11,445[43] m² |
前身 | 有楽町阪急 |
最寄駅 |
JR・東京メトロ有楽町線有楽町駅 東京メトロ日比谷線・丸ノ内線・銀座線銀座駅 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
Hankyu |
1984年(昭和59年)10月6日にグループ企業の東宝が朝日新聞社などと共に建設した有楽町マリオン内に有楽町西武と共に開業した[9]。
同じ有楽町マリオン内の別棟に進出して情報発信型百貨店を標榜した有楽町西武と共にマリオン現象と呼ばれるほどのブームを巻き起こし[108]、有楽町から銀座の人の流れを変えたといわれた[109]。
当初は地下食料品売り場が存在したが2000年(平成12年)7月月末で食料品売場を閉鎖して9月からファッション売場としてファッション専門百貨店となった[110]。
若い女性の根強い支持を集めて[111]2005年(平成17年)3月期に売上高約140.99億円[85]、2006年(平成18年)3月期に売上高約145.76億円[86]、2007年(平成19年)3月期に売上高約145.78億円[87]と比較的安定した売上を保っていた。
しかし、同様に若い女性の根強い支持を集めている丸井[111]が2007年(平成19年)10月12日に有楽町マルイを直ぐ近くに開業させて[112]競争が激化したことに対応して化粧品売場などの改装を行ったが[88]、主力の婦人服が低迷して2008年(平成20年)3月期で前期比5.0%減の売上高約138.5億円と売上が減少に転じた[88]。
さらに、リーマンショック後の消費低迷を受けて2009年(平成21年)3月期に売上高約121.45億円[89]、2010年(平成22年)3月期に売上高約98.85億円[90]、2011年(平成23年)3月期で売上高約84.62億円[91]と急速に売上が落ち込み、売り場面積が小さいため増床した三越銀座店などと婦人衣料で競争し続けるのは困難だとして有楽町西武の跡にルミネが開業するのに合せて業態転換を図ることになった[113]。
2011年(平成23年)7月18日に有楽町阪急としての営業を終了し[43]、同年10月15日に全面改装のうえ、メンズファッション専門館である「阪急メンズ・トーキョー」として開業して[43]黒字転換を図り[44]、改装後の売上は前年同期比で61.0%の増加として売上を回復させた[98]。
新装開店時のキャッチフレーズは「世界が舞台の、男たちへ。」、イメージキャラクターに、歌舞伎俳優の市川海老蔵が起用された。
複数のブランドの商品を一緒に並べた自主編集の売場が主体となっていて、顧客が自由に手に取って商品を見比べることが出来ると同時に複数ブランドを合せた提案を店員が出来る点で近隣の銀座地区に多い有名ブランドの路面店との差別化を図っている[74]。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[92]。
同じ有楽町マリオン内にあった有楽町西武は2010年(平成22年)12月25日に[114]閉店し[115]、その跡地にJR東日本グループのファッションビルであるルミネが2011年(平成23年)10月28日に開店している[116]。
都筑阪急
都筑阪急 | |
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都筑阪急を核店舗とするモザイクモール港北 | |
店舗概要 | |
所在地 | 神奈川県横浜市都筑区中川中央1-31-1 |
座標 | 北緯35度33分17.7秒 東経139度34分41.2秒 / 北緯35.554917度 東経139.578111度 |
開業日 | 2000年(平成12年)3月17日[25] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店都筑阪急 |
施設所有者 | 第一共同開発[86] |
施設管理者 | 阪急商業開発(エイチ・ツー・オーリテイリンググループ)[117] |
延床面積 | 91,352[86] m² |
商業施設面積 | 6,736[118] m² |
最寄駅 | 横浜市営地下鉄センター北駅 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
Hankyu |
2000年(平成12年)3月17日に横浜市の港北ニュータウンに子会社が開業させたショッピングセンターモザイクモール港北の核店舗として[25]開業した[26]。
開業初日に約10万人の客を集めて順調な滑り出しを見せた[26]が、2005年(平成17年)3月期で売上高約81.32億円[85]、2006年(平成18年)3月期で売上高約86.21億円[86]と業績の低迷が続いた。
そのため、周辺人口の増加や近隣商業施設の業態転換などの環境変化に対応して催事やポイントカード会員の拡大などを行って2007年(平成19年)3月期に前期比8%増の売上高約93.25億円[87]に伸ばしたものの、翌年度の2008年(平成20年)3月期で売上高約92.2億円[88]、2009年(平成21年)3月期に売上高約91.71億円[89]とその後は伸び悩んだ。
リーマンショック後の消費低迷を受けて2010年(平成22年)3月期に売上高約83.39億円[90]、2011年(平成23年)3月期で売上高約79.91億円[91]、2012年(平成24年)3月期で売上高約78.27億円[43]と一段と売上が落ち込み、赤字と見られているが低コスト運営などで黒字転換を目指している[44]。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は郊外の小型店を担当する第三店舗事業部の所属となり、販売と仕入を同一の部門が担当する体制に移行した[92]。
他店の業態転換により関東地区の店舗では最後の総合百貨店業態となっていた。しかし、徐々にフロアを縮小し、1階フロアも2020年1月19日をもって都筑阪急としての営業を終了した。その後も、地下1階の食料品フロアは営業を継続する。
阪急大井食品館
阪急大井食品館 | |
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大井食品館の入る阪急大井町ガーデン | |
店舗概要 | |
所在地 | 東京都品川区大井1丁目50番4[119] |
座標 | 北緯35度36分20.6秒 東経139度44分2.3秒 / 北緯35.605722度 東経139.733972度 |
開業日 |
新店舗:2011年(平成23年)3月16日[43] 旧店舗:1953年(昭和28年)11月23日[9] |
閉業日 | 旧店舗:2008年(平成20年)3月31日[88] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店阪急大井食品館 |
施設管理者 | 阪急阪神百貨店 |
敷地面積 | 9,856[119] m² |
延床面積 | 約55,000[119] m² |
商業施設面積 | 2,121[43] m² |
前身 | 阪急百貨店東京大井店(大井阪急)[86] |
最寄駅 | JR・東京急行電鉄大井町駅[88] |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
Hankyu |
1953年(昭和28年)11月23日に東京大井店として開業した首都圏第1号店[9]。
1971年(昭和46年)に店舗に隣接して一体的に増築された建物内にビジネスホテル[120]阪急ホテル(後にホテル阪急→阪急イン→アワーズイン阪急という流れで名称変更)を開業した。
2000年(平成12年)4月に大井阪急をショッピングセンターに業態変換して阪急大井町デイリーショッパーズとし、その中で大井町食品館として営業していた[86]。
2005年(平成17年)3月期で売上高約59.79億円[85]、2006年(平成18年)3月期で売上高約59.8億円[86]、2007年(平成19年)3月期に売上高約60.48億円[87]、2008年(平成20年)3月期で売上高約63.04億円[88]と安定して年間約60億円前後の売上を上げていた。
周辺環境の変化や建物の老朽化に対応するために全面的に建替える当店を含む再開発が行われることになったため[121][120]、2008年(平成20年)3月31日に旧店舗を閉店した[88]。
阪急大井町ガーデンの第1期分[120]が完成したため2011年(平成23年)3月16日に大井阪急食品館として新店舗を開業した。2012年(平成24年)3月期で売上高約47.45億円を上げ、2倍以上の売場面積を持つ阪神・にしのみややあまがさき阪神を上回った[43]。
当店と同様に建て替えに伴い閉鎖されていたビジネスホテルのアワーズイン阪急も第1期の完成に伴い、地上30階高さ約100mで1,100室(全てシングルルーム)へ高層化して拡大し(フロントは3階、6階 - 29階に客室)、再開業した(現:アワーズイン阪急・シングル館)[119]。
このホテルは阪急阪神百貨店の100.0%出資子会社の大井開発が運営している[43]。
第2期として地上14階地下1階の建物の建設が進められ、2014年3月に開業した。全館完成後は約18,000m2が商業施設として使用されているほか、5階 - 14階はアワーズイン阪急のツイン館(客室数288室、フロントは3階)としても使用されている[119]。
過去に存在した店舗
イングス館
天満橋阪急
天満橋阪急 | |
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店舗概要 | |
開業日 | 1946年(昭和21年)[23] |
閉業日 | 1961年(昭和36年)[23] |
正式名称 | 阪急百貨店阪急天満橋阪急 |
施設所有者 | 京阪電気鉄道 |
施設管理者 | 阪急阪神百貨店 |
前身 |
京阪デパート[3] 阪急天満橋マーケット[23] |
後身 | 松坂屋大阪店 |
最寄駅 | 京阪電気鉄道天満橋駅 |
Hankyu |
第二次世界大戦中の戦時企業統合政策(陸上交通事業調整法)下で阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併し京阪神急行電鉄が発足したため(1943年(昭和18年))旧・天満橋駅ビルの建物自体が旧・京阪電気鉄道から京阪神急行電鉄へと所有権が移り、1945年(昭和20年)8月28日に解散した京阪デパート[3]の建物を買収して1946年(昭和21年)に同店跡に食堂付きの天満橋マーケットとして開業した[23]大阪市内で2店目の店舗であった。
1947年(昭和22年)に株式会社阪急百貨店を設立して阪急電鉄から独立した[2]ことに伴い、天満橋マーケットも阪急天満橋支店として新装開店した[23]。
京阪電気鉄道の淀屋橋駅までの延伸工事の際に地下を新線が通過する為に解体が決まったため1961年(昭和36年)に閉鎖して京阪電気鉄道へ建物を返還してその歴史に終止符を打った[23]。
神戸阪急(初代)→三宮阪急
三宮阪急 | |
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店舗概要 | |
開業日 | 1936年(昭和11年)4月11日[9] |
閉業日 | 1995年(平成7年)1月[86] |
正式名称 | 阪急百貨店三宮阪急[86] |
施設所有者 | 阪急電鉄 |
施設管理者 | 阪急阪神百貨店 |
前身 | 神戸阪急 |
最寄駅 | 阪急電鉄三宮駅 |
Hankyu |
一般の小売店による百貨店規制運動に対応し、1933年(昭和8年)4月20日に創立総会を開催して設立を認可申請した日本百貨店商業組合に、当店も設立時から参画[19]しており、同組合は支店や分店の新設を制限する営業統制案を設立総会前日の19日に決定し[20]、この営業統制規程第三条を受けてそごうが阪神元町食堂の営業委託がその規定に抵触するとして断っていた[21]。
しかし、京阪神急行電鉄は駅に食堂を付属させることは当然認められるサービスと主張し、神戸・三宮に建設していた駅ビルに食堂設置[21]などを強行し、1936年(昭和11年)4月11日に阪神急行電鉄神戸駅に完成した神戸阪急ビル内に神戸支店を開業した最初の支店だった[2]。
地階で食料品を、1階で服飾品を取り扱う小型店舗であった。
神戸ハーバーランドに新店舗を開設した際に、新店舗を神戸阪急とすることになったため、以降は三宮阪急として営業を続けていたが、1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災により神戸阪急ビル東館被災(建物の大部分は解体されたが三宮阪急の部分はほぼ無傷で震災後も数日間は営業していた)修復工事のため退去してそのまま閉店となった[86]。
ビル解体後跡地は1999年(平成11年)に地上22階地下1階の三宮阪急ビルを2004年(平成16年)完成で建設する計画が発表されたが景気の低迷から断念し、暫定的なビルを建設して使用している[122]。地階は、いかりスーパー阪急三宮店が入居していたが、2016年1月に閉店した[123]。
同年4月25日、一度は断念された「神戸阪急ビル東館」の建て替え計画が発表された。
夏頃の着工・2021年の完成を目指すとのことである[124]。
なお、2019年10月1日付でそごう神戸店(2017年10月1日付でそごう・西武からエイチ・ツー・オー リテイリングに譲渡済み)が阪急百貨店に転換され、「神戸阪急(3代目)」となることが発表されており、阪急百貨店としては24年ぶりに三宮へ再進出することになる。
神戸阪急(2代目)
1992年(平成4年)9月に街開きした神戸ハーバーランド内の店舗で、ダイエーや神戸モザイク[注釈 1]と同時に1992年(平成4年)10月1日に開業した[9][126]。開業当初の運営会社は同年4月に設立された子会社の株式会社神戸阪急だったが、2001年(平成13年)12月に営業の全てを阪急百貨店が引継いで株式会社神戸阪急は解散している[86]。
1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災の被害が神戸最大の商業中心地である三宮よりも少なかったため[127]震災の約2カ月後に営業再開し[128]、その直後は集客力がアップして売上が伸び、1995年(平成7年)3月期と1996年(平成8年)3月期の2年間だけは黒字となり[46]、1996年(平成8年)3月期に売上高約259億円を上げた[44]。
客層の変化[127]などに対応するため2004年(平成16年)にベビー用品のアカチャンホンポを誘致したり[127]、2005年(平成17年)のダイエーの撤退[129]を受けて2006年(平成18年)2月1日にグループのスーパーマーケットの阪急オアシスを導入したり[130]、2006年(平成18年)3月期に子供関連売場のエンターテインメント性強化[86]などてこ入れを行ったが[127]、2011年(平成23年)3月期の売上高が約89億円と落ち込んだことから[129]、2012年(平成24年)9月末の賃借契約が切れる前の同年3月11日に閉店した[46]。
当店の閉店に伴い、隣接して営業しているモザイクの運営会社タクトの株式40%全てを大家である三菱倉庫に譲渡して経営権も移行し、当地区から完全に撤退した[125]。
店舗跡は隣接するHa・Re(ハレ)やモザイクと共に施設を所有する三菱倉庫などからイオンモールが受託して大型のショッピングセンターとして一体的に再開発し[131]、2013年(平成25年)4月18日にumieとして開業した[132]。
四条河原町阪急
1976年(昭和51年)10月15日に開業した[9]阪急京都本線河原町駅に直結するターミナル百貨店[133]。売場面積が広くなく、大丸・髙島屋といった近隣の老舗百貨店との差別化を図るため、デザイナーズブランドを中心とした若者向けのファッションに特化した店舗展開を行った[133][134]。
ピーク時の1991年(平成3年)は売上高約171億円を上げていた[135]。デザイナーズブランドブームが去ると競合店に客足を奪われ[136]、業績が低迷した。
業績の改善を目指して2000年(平成12年)以降に2度の大規模な改装を行ったり[133]、2007年(平成19年)10月にグループの阪急電鉄が当店の向かい側の四条河原町北東角に商業施設「コトクロス阪急河原町」を開業した際、共同でスタンプラリーを行って四条河原町地区への集客力向上を図った[137]が、京都駅周辺との競争の激化や[138]低価格の衣料専門店の台頭による「百貨店離れ」[139]などの影響により[133]売上高の減少に歯止めがかからず赤字が続き[135]、小規模な店舗で鉄道の乗降客数に大きく影響するほどの集客力を持たないことから[133]、2010年(平成22年)11月末のビルを所有する住友不動産との賃貸契約が切れる前[139]の同年8月22日に閉店した[45]。
当店閉店後の跡地には、2011年(平成23年)4月27日に京都マルイが開業した[140]が、これも2020年(令和2年)5月12日に閉店した。
数寄屋橋阪急
数寄屋橋阪急 | |
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店舗概要 | |
開業日 | 1956年(昭和31年)5月29日[9] |
閉業日 | 2004年(平成16年)8月31日[42] |
正式名称 | 阪急百貨店数寄屋橋阪急 |
施設所有者 | 東急不動産 |
施設管理者 | 阪急阪神百貨店 |
後身 | モザイク銀座阪急[42] |
最寄駅 |
JR・東京メトロ有楽町線有楽町駅 東京メトロ日比谷線・丸ノ内線・銀座線銀座駅 |
Hankyu |
東京都心初の店舗として、1956年(昭和31年)5月29日にマツダビルディングに数寄屋橋阪急を開業した[9]。 (マツダビルディングはその後銀座東芝ビルへ名称変更し、東急不動産が買収したことに伴い銀座TSビルに名称変更している[117]。)
2004年(平成16年)8月31日に数寄屋橋阪急としての営業を終了して子会社の阪急ショッピングセンター開発に運営を移管し、同年10月8日に専門店ビルモザイク銀座阪急として開業し[42]、服飾店や雑貨店などのテナント[141]48店が入居して2010年(平成22年)3月期に売上高約50億円を上げている[142]。
2007年(平成19年)にビルを取得した東急不動産が老朽化に伴う建て替えを理由に立ち退きを提案し[142]、「建て替えが必要なほど老朽化はしておらず、正当な立ち退き理由にならない」と主張して反論していたところ[142]、2009年(平成21年)4月に東急不動産が東京地方裁判所に立ち退きを求める訴訟を起こした[117]。
2011年(平成23年)3月4日に東急不動産が立退補償金として60億円を支払って2012年(平成24年)8月末で賃貸借契約を解除することなどで和解が成立した[142]ため、2012年(平成24年)8月31日までに営業を終了することを発表した[141]。
1963年(昭和38年)封切の東宝映画『社長外遊記』『続社長外遊記』で「丸急デパート」として登場した。現在の形態へと変貌を遂げる1980年代以前の姿が映し出されている。
堺 北花田阪急
堺 北花田阪急 | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒591-8008 大阪府堺市北区東浅香山町4丁目1番12号[42] |
座標 | 北緯34度35分4.9秒 東経135度30分54.1秒 / 北緯34.584694度 東経135.515028度 |
開業日 | 2004年(平成16年)10月28日[28] |
閉業日 | 2017年(平成29年)7月31日 |
正式名称 | 阪急阪神百貨店堺北花田阪急 |
施設管理者 | イオンモール |
商業施設面積 | 16,000[43] m² |
最寄駅 | 大阪市営地下鉄御堂筋線北花田駅[42] |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
Hankyu |
大阪府堺市(のちの堺市北区)に開設されたダイヤモンドシティ・プラウ[27](現在のイオンモール堺北花田)の2核1モールの核店舗の一つとして2004年(平成16年)10月28日に開業した[28]。
売上高の本店依存率が50%を超える体質から脱却を目指して[27]車社会の進展に伴う郊外型ショッピングセンターへの進出を目指す[42]郊外型百貨店のプロトタイプとして出店した戦略店舗であった[27]。
「地域に融合したコミュニティー百貨店」をコンセプトに生鮮食料品や百貨店ならではの総菜や菓子類などを取り揃えた食品売場に注力して売上の約50%を食料品売場で上げることを目指すと共に、2階の大型こども広場もくもく広場を開設したり、地元の幼稚園児から募集したタイルを飾ったり、地元の主婦から募集したレシピを元にした総菜を並べるなど地域に密着した日常性の高い売場となっている[42]。
売上高100億円で営業利益3億円[42]を目標に営業を開始したが、2006年(平成18年)3月期で売上高約87.64億円[86]と開業当初は低迷した。
そのため、ポイントカード顧客を中心に来店促進施策を強化して顧客の固定化を進めると共に、2005年(平成17年)秋に化粧品の品揃えを拡充、2007年(平成19年)春に婦人ファッションを強化するなど見直しを進め、2007年(平成19年)3月期で売上高約95.71億円[87]、2008年(平成20年)3月期で売上高約104.3億円[88]にまで増加させて軌道に乗せた。
同店は2017年7月31日をもって閉店した。
統一阪急百貨
2006年(平成18年)(中華民国暦95年)3月に統一企業グループと百貨店の運営に関して業務提携したのが始まりである[143]。
2007年(平成19年)(中華民国暦96年)5月12日に台湾第二の都市である高雄市に完成した当時台湾最大のショッピングセンターだった夢時代購物中心の核店舗として統一阪急百貨高雄店を開店して営業を開始した[144]。
2010年(平成22年)(中華民国暦99年)10月7日に台湾の首都で最大の都市である台北市の超高層バスターミナルビル「市府転運站」に2号店の統一阪急百貨台北店を開店している[145]。
2006年(平成18年)(中華民国暦95年)3月の提携開始当時から現在まで阪急阪神百貨店(当初は阪急百貨店)側は出資を全くしていない純粋な業務提携となっているため阪急阪神百貨店の出資比率は0%である[143][146]。
2016年2月17日、阪急阪神百貨店との業務提携を解除し、名称を「統一時代百貨」に変更すると発表した。3月3日、新名称での営業を開始。
実現しなかった店舗
北浜阪急
開発業者からの招致を受けて[147]2006年(平成18年)から長谷工コーポレーションなどが進めていた[30]大阪市の京阪電気鉄道と大阪市営地下鉄北浜駅に直結する三越大阪店跡地の超高層マンションの低層部の商業施設部分に[31]三田阪急と同様に阪急オアシスの食品スーパーと百貨店の衣料品売場などを組み合わせる形式での出店を構想して交渉を進め[30]、ライバルの百貨店が撤退した跡地への進出として注目を集めたが[147]、オフィスビルが多い立地で日常の買い物を行う住民が少ない立地のため出店効果が薄い上[147]、条件面でも開発業者側と折り合わないとして2007年(平成19年)6月14日に出店を断念したこと明らかにした[147]。
当店が出店断念したため、京都府本社のスーパーマーケットフレスコ北浜プラザ店を中核店舗とする「The Kitahama(ザ・キタハマ)」はこの再開発ビル下層の商業施設として開業した[148]。
なかもず阪急
大阪府堺市の中百舌鳥駅前再開発事業の商業施設として、そごうや西武百貨店などとともに入札したが、西武が落札した。しかし、景気悪化などを受けて最終的に西武も断念。
奈良阪急
ダイヤモンドシティ(現:イオンモール)により積極的に郊外型ショッピングセンターの建設を計画していたジャスコ(現:イオン)は、郊外立地の将来性を確信し、日本で初めてとなる2つの核店舗を持つ郊外型ショッピングセンターの計画を立てた。
当時郊外立地の出店を考える百貨店は少なく消極的だったこともあり難航。 そんな中で当社が関心を示したが、最終的には他社資本の進出を嫌った母体・近畿日本鉄道の意向で近鉄百貨店がダイヤモンドシティと共同出資の新会社「ダイヤモンドファミリー」を1970年12月に設立。1972年3月14日、「ならファミリー」及び同ショッピングセンター内に県内初の百貨店として近鉄百貨店奈良店が開業した。
沿革
阪神急行電鉄→京阪神急行電鉄直営時代
- 1925年(大正14年)6月1日 - 阪神急行電鉄梅田駅(現・阪急電鉄梅田駅)に隣接した阪急ビル(梅田阪急ビル)に阪急直営マーケットを開業[1]。
- 1929年(昭和4年)4月15日 - 鉄道会社直営のターミナルデパートとしては世界初の阪急百貨店(現・うめだ本店)を創業した[1]。
- 1936年(昭和11年)4月11日 - 阪神急行電鉄神戸駅(現・阪急電鉄神戸三宮駅)ターミナルビルに神戸阪急(初代)が開店[9]。
(初代)株式会社阪急百貨店
- 1947年(昭和22年)
- 1953年(昭和28年)11月23日 - 国鉄大井町駅(現・JR大井町駅)前に大井阪急が開店[9]。
- 1956年(昭和31年)5月29日 - 数寄屋橋阪急(マツダビルディング内)が開店[9]。
- 1970年(昭和45年)3月11日 - 北大阪急行電鉄千里中央駅隣接地に千里阪急が開店[9]。
- 1976年(昭和51年)10月15日 - 阪急電鉄河原町駅隣接地に四条河原町阪急が開店[9]。
- 1982年(昭和57年)10月8日 - 阪急電鉄梅田駅東側に阪急イングスが開店[9]。
- 1984年(昭和59年)10月6日 - 国鉄有楽町駅(現・JR有楽町駅)前に有楽町阪急が開店[9]。
- 1989年(平成元年)4月4日 - 阪急電鉄川西能勢口駅前に川西阪急が開店[9]。
- 1992年(平成4年)10月1日 - 神戸ハーバーランドに神戸阪急(2代目)が開店[9]。これを機に、三宮駅にあった神戸阪急は三宮阪急となる。
- 1993年(平成5年)4月15日 - 阪急電鉄宝塚駅新ターミナルビル内に宝塚阪急が開店[9]。
- 1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災により三宮阪急が被災(そのまま閉店)[86]。
- 2000年(平成12年)
- 2003年(平成15年)3月1日 - 阪急共栄物産株式会社を合併[38]。
- 2004年(平成16年)
- 4月19日 - 阪急イングスがうめだ阪急イングス館としてリニューアルされる。
- 8月31日 - 数寄屋橋阪急が閉店[42]
- 10月8日 - 数寄屋橋阪急がモザイク銀座阪急となり阪急ショッピングセンター開発に運営移行)[42]。
- 10月28日 - 北花田駅前のダイヤモンドシティ・プラウ(現・イオンモール堺北花田)に堺 北花田阪急が開店[28]。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)
- 7月11日 - うめだ本店南側部分の取り壊し開始。
- 9月1日 - 阪急オアシス、阪急ファミリーストア、阪急ニッショーストアなど計8社を完全子会社とする中間持株会社「阪食」を設立し阪急食品工業と分担して阪食の株主となる[41]。
(2代目)株式会社阪急百貨店
- 2007年(平成19年)10月1日 - (初代)株式会社阪急百貨店が純粋持株会社「エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社」へ移行するのに伴い会社分割(新設分割)により(2代目)株式会社阪急百貨店が設立され、阪急百貨店の事業を承継[72]。
- 2008年(平成20年)3月31日 - 大井阪急食品館が再開発のため閉店[88]。
株式会社阪急阪神百貨店
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 8月31日 - うめだ本店の北側部分を閉鎖。新店舗の開店準備が行われる。
- 9月3日 - うめだ本店の新店舗・南側部分(第1期分)が先行開業[60]。同日、仮設売場として設置された「サン広場館」が閉鎖。引き続き、残る北側部分の解体・建替工事が行われた。
- 2010年(平成22年)
- 8月22日 - 四条河原町阪急が閉店[45]。
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 2019年(平成31年・令和元年)
阪急阪神百貨店吹奏楽団
1960年(昭和35年)に創設された阪急百貨店吹奏楽団が前身。阪急阪神百貨店グループに勤務する従業員のみで構成される職場バンドである。2008年(平成20年)10月1日、阪神百貨店との合併により現在の名称に変更された。
全日本吹奏楽コンクールの常連で、アマチュア吹奏楽団としては名実共に日本一の実力と伝統を誇る。かつては団員の育成機関として阪急商業学園を擁し、阪急少年音楽隊(現早稲田摂陵高等学校吹奏楽コース)としてのセミプロ的活動も活発に行われていた。阪急ブレーブスの存続時は西宮球場での応援歌演奏も担当していた。
プロ野球の優勝・応援セールの扱い
- 1967年(昭和42年)の初優勝以来、阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)が優勝した年(1968年(昭和43年)・1969年(昭和44年)・1971年(昭和46年)・1972年(昭和47年)・1975年(昭和50年)-1978年(昭和53年)・1984年(昭和59年))に、パ・リーグや日本選手権シリーズで優勝した直後から、梅田店店頭に吊るされたくす玉を割り、盛大な優勝記念セールを開催した。
- しかし1988年(昭和63年)を最後に、オリエントリース(現オリックス)に譲渡されて以後は、オリックスの優勝セールは神戸阪急(2代目)のみの実施となった反面、百貨店と球団が同一グループでなくなったため、そごう神戸店・大丸神戸店など神戸市内に店舗を構える同業者も参入していた。2003年(平成15年)と2005年(平成17年)に阪神タイガースがセ・リーグ優勝を決めた際に「大阪バンザイセール」を開催したことがある。これは阪神と阪急が当時競合関係にあったため[注釈 2]、阪神球団から「タイガース優勝セール」の使用許諾が得られず、直接的に「タイガース」と表現できなかったからである。
- その後2008年(平成20年)10月に、前年2007年(平成19年)10月に経営統合した持株会社・エイチ・ツー・オーリテイリング傘下の百貨店事業会社が合併し「阪急阪神百貨店」が発足したことで、その合併記念セールの一環として、「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(セントラルリーグ・クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で開催された。
- 2010年(平成22年)にも阪神タイガースが、同年度のセントラルリーグの公式戦での順位が2位に確定したことにより、同年10月9日から12日まで「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で行われた。
- 博多阪急では、2011年(平成23年)10月2日-8日に「祝・リーグ優勝 目指せ日本一応援SALE」と題して福岡ソフトバンクホークスの優勝セールを開催した。阪神タイガースとはリーグが違うことや、地域性を考慮しての実施と思われる[注釈 3]。
- 阪急阪神百貨店に運営権を委譲された西武高槻店とそごう神戸店では、他のそごう・西武各店と異なり2018年の埼玉西武ライオンズの優勝セールを行わなかった[注釈 4]。特に、1980 - 1990年代に西武の優勝セールが恒例化し、年度によっては西武球団所属選手も招かれるなど大規模に行われていた西武高槻店では、優勝セールを行わないことと阪急阪神東宝グループが運営している旨の掲示が行われていた。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g 『75年の歩み』阪急電鉄、1982年。
- ^ a b c d e f g h i j k 『株式会社阪急百貨店25年史』阪急百貨店、1976年9月。
- ^ a b c d e 谷内正往 (2012-6-1). “戦前京阪デパートの創立”. 梅信 2012年6月号 (近畿大学 通信教育部).
- ^ 『京阪神急行電鉄五十年史』京阪神急行電鉄、1959年。
- ^ a b 「このデータが入手できれば耳々の大体の利益も把握できることになり、梅田におけるターミナルデパートの採算が立つか否かの検討資料が得られることになる」と小林一三が述べたとしている岩堀女三『偉才小林一三の商法-阪急を創始した経営哲学 (改定新版)』評言社、1978年。
- ^ a b c d e “【大阪の20世紀】(24)小林一三 宝塚歌劇、沿線開発型鉄道…“夢”咲かせ続けた経営者”. 産経新聞 (産経新聞社). (1999年10月10日)
- ^ a b c 栗本智代. “大阪再発見VOL2 大阪ターミナルものがたり 梅田と駅のアイデンティティ”. 季刊誌CEL 60号 (大阪ガスエネルギー・文化研究所) (2002-3).
- ^ a b c d e 谷内正往 (2009-7-31). “戦前のターミナル・デパート-大鉄百貨店の創立”. 生駒経済論叢 第7巻第1号 (近畿大学 経済学会).
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 50年史編集委員会『株式会社阪急百貨店50年史』阪急百貨店、1998年4月。
- ^ 中井祐 (2001-6). “フォト・エッセイ 土木エンジニアたちの群像 小林一三の描いた模範的郊外生活”. 建設業界 June 2001 通巻589号 (社団法人日本土木工業協会).
- ^ 大阪市史編纂所は「1926年8月31日上本町6丁目に大軌ビル竣工(ビル内に大阪最初の三笠屋百貨店開店) 」としており、三笠屋百貨店を最初のターミナルデパートとしている。 8月のできごと 大阪市史編纂所 大阪市(ウェブサイト)
- ^ 「大正15年8月に完成した。ビルには本社事務所、直営食堂およびテナントの三笠屋百貨店、ストア、銀行等が入居、9月16日には大阪の東玄関にふさわしい一大ターミナルとしてお目見えした。 」近畿日本鉄道80年の歩み 近畿日本鉄道
- ^ a b c d e 山本真紗子 (2010). “阪急百貨店美術部と新たな美術愛好者層の開拓”. コア・エシックス Vol.6 (立命館大学大学院先端総合学術研究科).
- ^ “阪急大食堂73年の歴史に幕 面影残して全面改装へ”. 京都新聞 (京都新聞社). (2002年8月16日)
- ^ a b c “<気流>ソーライス。文字通りソースをかけただけの白飯…”. 西日本新聞 (西日本新聞社). (2011年3月4日)
- ^ a b c “産経抄”. 産経新聞 (産経新聞社). (2008年1月4日)
- ^ “商戦も白熱化の大阪百貨店を見る(一) 覇を争う七大百貨店”. 中外商業新報 (中外商業新報社). (1930年10月2日)
- ^ 谷内正往. “戦前、 阪神の百貨店構想 ‐大阪駅前の土地争いを中心として”. 梅信 No.568 (近畿大学 通信教育部) (2012-1-1).
- ^ a b “百貨店の…商業組合の正体(上)”. 中外商業新報 (中外商業新報社). (1933年4月25日)
- ^ a b “百貨店の…商業組合の正体(中)”. 中外商業新報 (中外商業新報社). (1933年4月26日)
- ^ a b c d “阪急三宮食堂が投げた渦紋の石 日本百貨店組合の裁定如何「そごう」折返し注進”. 大阪朝日新聞 (大阪朝日新聞社). (1936年3月18日)
- ^ “春遠し"首の心配" 夜間営業の廃止が実現したら百貨店員は大整理”. 大阪朝日新聞 (朝日新聞社). (1937年12月24日)
- ^ a b c d e f g h i 『京阪70年のあゆみ』京阪電気鉄道、1980年4月。
- ^ 阪急阪神ホールディングス株式会社グループ経営企画部(広報担当)編集『100年のあゆみ』阪急阪神ホールディングス、2008年3月。
- ^ a b c d “阪急百貨店の郊外S・Cモザイクモール港北 3月17日オープン 横浜市都筑区”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年3月13日)
- ^ a b c “モザイクモール港北初日10万人の顧客で上々のスタート 都筑阪急百貨店”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年4月13日)
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関連会社
関連項目
- ソーライス - 昭和初期の逸話。
- 名鉄百貨店 - 名古屋鉄道が阪急百貨店との提携によりオープンした。
- グランデュオ - JR立川駅南口・蒲田駅にある駅ビル。運営会社のジェイアール東日本商業開発株式会社は阪急百貨店・東日本旅客鉄道(JR東日本)とルミネの合弁会社。
- 毎日放送 - 前身の新日本放送は開局時、阪急百貨店屋上のスタジオより放送を行った。その後、阪急グランドビル内に、ラジオのサテライトスタジオが設置されたこともあった。現行の局舎は茶屋町の阪急百貨店流通センター跡地に建てられている。
- べっぴんさん - NHK総合テレビジョン連続テレビ小説(2016年度下半期)。実際にファミリアの直営第1号店を阪急梅田店にオープンさせているが、ドラマではそれをモデルにした「キアリス」の第1号店を、当百貨店をモデルにした「大急百貨店」にオープンさせたという設定で登場する。
- まんぷく - 同じくNHK総合テレビジョン連続テレビ小説(2019年度下半期)。実際にチキンラーメンの試食販売が阪急梅田店で行われていたが、ドラマではそれをモデルにした「まんぷくラーメン」の試食販売がやはり「大急百貨店」で行われたという設定で登場する。
- 岩倉具光(岩倉具視の孫、電鉄の元百貨店担当取締役)