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1947年(昭和22年)6月に東急から派遣されていた川又貞次郎(元・[[小田原急行鉄道]]常務)ら役職員は、経営民主化を理由に[[過度経済力集中排除法]]を盾に東急が保有する相鉄の株式(発行済み株式の約70%、約8万株)を取得して東急から独立。厚木線(東急委託時代に神中線から改名)を新たな経営基盤として戦後の再スタートを切ることとなった。ただし、独立後もしばらくは、相鉄の筆頭株主は東急であった。
1947年(昭和22年)6月に東急から派遣されていた川又貞次郎(元・[[小田原急行鉄道]]常務)ら役職員は、経営民主化を理由に[[過度経済力集中排除法]]を盾に東急が保有する相鉄の株式(発行済み株式の約70%、約8万株)を取得して東急から独立。厚木線(東急委託時代に神中線から改名)を新たな経営基盤として戦後の再スタートを切ることとなった。ただし、独立後もしばらくは、相鉄の筆頭株主は東急であった。


その後[[1952年]](昭和27年)に、米国の[[スタンダード・オイル]]社から横浜駅西口の土地24688[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]を買収。これを開発し[[付加価値]]をつけて売り出すことで、相鉄の経営基盤を安定的なものとした。後にこの地に[[島屋|横浜高島屋]]や[[相鉄ジョイナス]]といった系列のデパートが建つことになる。[[不動産会社|不動産事業]]のみではなく、[[高度経済成長]]の時代であり、鉄道事業も順調に進んでいった。しかし、その2年前の[[1950年]](昭和26年)頃に[[東急グループ]]が小田急電鉄を通じて再買収の動きを起こした<ref group="注">東急が直接買収を行わなかった理由として、首謀者とされる東急の[[五島慶太]]の[[公職追放]]がまだ解かれていないことから表立って活動できなかったこと、小田急電鉄社長 [[安藤楢六]]は[[大東急]]時代に五島の部下であったこと、当時の相模鉄道副社長 鳥居菊造(のちの相模鉄道10代目社長)は[[鉄道院]]出身の官僚であり、五島は鉄道院時代の先輩で、五島には逆らえなかったことなどが考えられている。</ref>。東急は鉄道よりも、むしろこの横浜駅西口の土地が目当てであった。相鉄の経営の立ち直りが見えてきた矢先に買収を仕掛けてきた東急の行動には相模鉄道の川又社長・穴水清彦専務も憤慨し<ref group="注">川又は[[東京山手急行電鉄|帝都電鉄]]の役員だった頃、東急の[[五島慶太]]とは犬猿の仲であり、これが原因で川又は相模鉄道に左遷されたという経緯がある。また穴水(のちの相模鉄道11代目社長)は、父親が京王電鉄の社長[[穴水熊雄]]であるため、東急に執着はなかった。そのため五島に対する敵対心があった。</ref>、経営陣は既存株主に対して売却しないように働きかけた。[[1951年]](昭和26年)9月6日の臨時株主総会にて、株式の第三者割り当てによる敵対的買収の阻止を目的とした資本金の倍増案<ref group="注">資本金を資本金6,000万円から1億2,000万円に倍増。</ref>が僅差で可決され、買収は阻止された。なお[[三井銀行]]社長の[[佐藤喜一郎]](横浜市出身)が「我が町の鉄道会社を守れ」と積極的に川又側の後ろ盾になり、同行を通じて防戦資金を融資した。この結果、現在も相鉄のメインバンクは[[三井住友銀行]]であり、[[株主|筆頭株主]]は小田急電鉄になっている。後にこの一件が引き金となって東急の[[多摩田園都市]]開発に対抗し、[[相鉄いずみ野線|いずみ野線]]沿線開発を行った一方、東急は相鉄沿線で[[二俣川]]東急ニュータウンや東急[[中白根|白根]]ニュータウンといった大規模開発を行うなどの競争が見られた。
その後[[1952年]](昭和27年)に、米国の[[スタンダード・オイル]]社から横浜駅西口の土地24688[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]を買収。これを開発し[[付加価値]]をつけて売り出すことで、相鉄の経営基盤を安定的なものとした。後にこの地に[[島屋|横浜高島屋]]や[[相鉄ジョイナス]]といった系列のデパートが建つことになる。[[不動産会社|不動産事業]]のみではなく、[[高度経済成長]]の時代であり、鉄道事業も順調に進んでいった。しかし、その2年前の[[1950年]](昭和26年)頃に[[東急グループ]]が小田急電鉄を通じて再買収の動きを起こした<ref group="注">東急が直接買収を行わなかった理由として、首謀者とされる東急の[[五島慶太]]の[[公職追放]]がまだ解かれていないことから表立って活動できなかったこと、小田急電鉄社長 [[安藤楢六]]は[[大東急]]時代に五島の部下であったこと、当時の相模鉄道副社長 鳥居菊造(のちの相模鉄道10代目社長)は[[鉄道院]]出身の官僚であり、五島は鉄道院時代の先輩で、五島には逆らえなかったことなどが考えられている。</ref>。東急は鉄道よりも、むしろこの横浜駅西口の土地が目当てであった。相鉄の経営の立ち直りが見えてきた矢先に買収を仕掛けてきた東急の行動には相模鉄道の川又社長・穴水清彦専務も憤慨し<ref group="注">川又は[[東京山手急行電鉄|帝都電鉄]]の役員だった頃、東急の[[五島慶太]]とは犬猿の仲であり、これが原因で川又は相模鉄道に左遷されたという経緯がある。また穴水(のちの相模鉄道11代目社長)は、父親が京王電鉄の社長[[穴水熊雄]]であるため、東急に執着はなかった。そのため五島に対する敵対心があった。</ref>、経営陣は既存株主に対して売却しないように働きかけた。[[1951年]](昭和26年)9月6日の臨時株主総会にて、株式の第三者割り当てによる敵対的買収の阻止を目的とした資本金の倍増案<ref group="注">資本金を資本金6,000万円から1億2,000万円に倍増。</ref>が僅差で可決され、買収は阻止された。なお[[三井銀行]]社長の[[佐藤喜一郎]](横浜市出身)が「我が町の鉄道会社を守れ」と積極的に川又側の後ろ盾になり、同行を通じて防戦資金を融資した。この結果、現在も相鉄のメインバンクは[[三井住友銀行]]であり、[[株主|筆頭株主]]は小田急電鉄になっている。後にこの一件が引き金となって東急の[[多摩田園都市]]開発に対抗し、[[相鉄いずみ野線|いずみ野線]]沿線開発を行った一方、東急は相鉄沿線で[[二俣川]]東急ニュータウンや東急[[中白根|白根]]ニュータウンといった大規模開発を行うなどの競争が見られた。
臨時株主総会で買収計画が失敗した後も買収計画を諦めず、筆頭株主の地位を盾に相鉄の経営に口を挟みつづけたことから、相模鉄道は1951年(昭和26年)7月26日に[[公正取引委員会]]に審査を申し立てた。9月12日に「小田急電鉄が相模鉄道の経営に干渉する行為は、はなはだしく競争を制限する行為であるため、小田急が所有する相鉄の株式をただちに放出しなければならない。」という趣旨の裁定が下された。また10月には事態収拾のために国鉄総裁の[[長崎惣之助]]が仲裁に乗り出し、長崎と相模鉄道社長の川又貞次郎・小田急電鉄社長の[[安藤楢六]]の3者の間で、3カ条の覚書<ref group="注">合併を含む提携強化を図る、小田急が所有する株数は発行済み株式の16%、小田急出身の役員を2人受け入れの3つが定められた。ただし合併を含む提携強化については、実際には行われなかった。</ref>が交わされ、手打ちとなった<ref>神奈川サンケイ新聞社 編『ヨコハマ再開発物語』 日刊工業新聞社、1982年1月、ISBN 4-8191-0510-8、89-99ページ</ref>。
臨時株主総会で買収計画が失敗した後も買収計画を諦めず、筆頭株主の地位を盾に相鉄の経営に口を挟みつづけたことから、相模鉄道は1951年(昭和26年)7月26日に[[公正取引委員会]]に審査を申し立てた。9月12日に「小田急電鉄が相模鉄道の経営に干渉する行為は、はなはだしく競争を制限する行為であるため、小田急が所有する相鉄の株式をただちに放出しなければならない。」という趣旨の裁定が下された。また10月には事態収拾のために国鉄総裁の[[長崎惣之助]]が仲裁に乗り出し、長崎と相模鉄道社長の川又貞次郎・小田急電鉄社長の[[安藤楢六]]の3者の間で、3カ条の覚書<ref group="注">合併を含む提携強化を図る、小田急が所有する株数は発行済み株式の16%、小田急出身の役員を2人受け入れの3つが定められた。ただし合併を含む提携強化については、実際には行われなかった。</ref>が交わされ、手打ちとなった<ref>神奈川サンケイ新聞社 編『ヨコハマ再開発物語』 日刊工業新聞社、1982年1月、ISBN 4-8191-0510-8、89-99ページ</ref>。



2020年6月15日 (月) 23:18時点における版

相模鉄道株式会社
Sagami Railway Co., Ltd.
相鉄本社ビル
種類 株式会社
略称 相鉄(そうてつ)
本社所在地 日本の旗 日本
220-0004
神奈川県横浜市西区北幸二丁目9番14号
北緯35度27分58.87秒 東経139度36分53.61秒 / 北緯35.4663528度 東経139.6148917度 / 35.4663528; 139.6148917座標: 北緯35度27分58.87秒 東経139度36分53.61秒 / 北緯35.4663528度 東経139.6148917度 / 35.4663528; 139.6148917
設立 1964年昭和39年)11月24日
(株式会社大関[注 1]
業種 陸運業
法人番号 5020001022615 ウィキデータを編集
事業内容 旅客鉄道事業
代表者 千原広司代表取締役社長
資本金 1億円
(2019年3月31日現在)[1]
発行済株式総数 7億株
(2012年3月31日現在)
売上高 334億9000万円
(2019年3月期)[1]
営業利益 75億8100万円
(2019年3月期)[1]
経常利益 72億4500万円
(2019年3月期)[1]
純利益 47億9300万円
(2019年3月期)[1]
純資産 508億8600万円
(2019年3月31日現在)[1]
総資産 1293億5700万円
(2019年3月31日現在)[1]
従業員数 1163人
(2018年7月1日現在[2]
決算期 3月31日
主要株主 相鉄ホールディングス株式会社 100%
(2019年3月31日現在)[3]
関係する人物 岡崎久次郎(初代社長)
滝澤秀之(元社長)
外部リンク https://www.sotetsu.co.jp/train/
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相模鉄道株式会社(さがみてつどう、: Sagami Railway Co.,Ltd.)は、神奈川県中央部を基盤に鉄道事業を行う会社である。略称は相鉄(そうてつ、SOTETSU)。本社は神奈川県横浜市西区北幸二丁目の相鉄本社ビルに所在。持株会社である相鉄ホールディングスの主要事業子会社で、相鉄グループの中核企業である[4]。日本の大手私鉄の一つ。

会社概要

相鉄グループの中核企業。かつては経営の多角化を推し進める過程で、バス事業、不動産事業などを自社で行っていた。その後、経営効率化のために1990年代後半から2000年代半ばにかけて、これら鉄道以外の事業を相次いで分社化して組織のスリム化を図った。さらに2009年9月16日付で旧・相模鉄道を相鉄グループの統括だけを目的とする相鉄ホールディングスに商号を変更、鉄道事業はこれに先立ち、休眠状態だった完全子会社の株式会社大関[注 2] を2009年1月22日付で業態変更の上、相鉄準備会社株式会社に商号を変更し宅建業などの許認可を取得させた上で同年9月16日に旧・相模鉄道の鉄道事業を承継、商号を相模鉄道株式会社に変更するかたちで分社した。このために新旧の相模鉄道は厳密には別会社であるが、本項では相鉄グループ内で鉄道事業を行い、相模鉄道を名乗る会社として2009年9月までの相模鉄道(現:相鉄ホールディングス)および、以後の現行会社について述べる。

太平洋戦争後は経営の多角化を進めたこと、地盤である神奈川県を含む首都圏への人口集中により急速に成長、「準大手私鉄の雄」などと評された。その後、1990年5月31日付けで「大手私鉄」に格上げされた[注 3]。大手私鉄16社の中では営業距離が最短であるとともに[注 4]、社員数が最も少ない会社でもある。また、「特急」を運行していない唯一の大手私鉄であったが[注 5]2014年4月27日のダイヤ改正時より導入された[5][6]。首都圏の大手私鉄で唯一東京都内に乗り入れておらず、また他社との相互直通運転も行っていなかったが[注 6]2019年11月30日からJR東日本との直通運転が開始され[注 7]、2022年には東急電鉄などとの直通運転による東京・埼玉乗り入れが予定されている(後節も参照)。

労働組合の力が比較的強く、過去にストライキが計画されることの多い会社であり、賃上げ要求や分社化による社員の転籍問題を巡って2004年3月や2009年6月にストライキを実施している[7]。2014年3月にも春闘の労使交渉にて賃上げを求めたが会社側と折合わず相模鉄道労働組合が3月20日始発から24時間ストライキを開始し、約2時間後の午前6時半頃には解除されたものの窓口や改札では早朝の利用者から不満の声があがった[8]。なお、相鉄労働組合(私鉄総連加盟団体)の組合員には鉄道事業やバス事業以外のグループ会社の社員も含むが、電車・バスのストライキが主となる。また、鉄道車両技術には保守的な傾向が強く、他社では廃れていった技術を用いた鉄道車両が近年まで多くみられた(詳細は後節参照)。

社紋・グループマーク

社紋は車輪と相模の「相」を組み合わせたものである[9]。制定日は1959年(昭和34年)2月1日[注 8]となっているが[10]、同種の意匠は開業当初より使用されていた[11][9]

1987年(昭和62年)には創立70周年を記念してシンボルマークが制定された。相鉄グループとして一体感を持たせるため、グループ各社もシンボルマークに社名を添えたマークを使用したほか、運輸業は淡緑、建設業は緑と業種によって色調を統一していた[12]

2006年(平成18年)にはシンボルマークに替わる象徴としてグループマークが制定された[12]。グループマークはアルファベットの「S」を(無限)を想起される形状に図案化し、グループ各社の躍動、融和を表現している。グループマークに使用する2色はグループカラーでもあり、「SOTETSUブルー」は知性、信頼、安心を、「SOTETSUオレンジ」は活力、きらめき、楽しさを表している[13]

グループマークにはSOTETSUの文字と共に「ときめきと やすらぎをつなぐ」というグループブランドメッセージが添えられる。これらのカラーには「SOTETSUグレー」が用いられる[13]

歴史

相模鉄道は、現在の東日本旅客鉄道(JR東日本)相模線である茅ケ崎駅 - 橋本駅間を開業させた鉄道会社である。一方、現在の相鉄本線にあたる横浜駅 - 海老名駅間を開業させた鉄道会社は神中鉄道(じんちゅうてつどう)である。1943年昭和18年)に相模鉄道は神中鉄道を吸収合併するが、翌年に元の相模鉄道の路線であった茅ケ崎駅 - 橋本駅間が国有化され、元の神中鉄道であった区間が相模鉄道の路線として留まった。以下に年代を含め詳しく記述する。

相模鉄道と神中鉄道

相模鉄道

相模鉄道1917年大正6年)12月18日に創立総会を開催し、翌年1月4日に当時の高座郡茅ヶ崎町(現:茅ヶ崎市)で設立された。1921年(大正10年)9月に茅ケ崎駅(神奈川県茅ヶ崎市) - 寒川駅(同県高座郡寒川町)間を開業し、1931年(昭和6年)4月に橋本駅(同県相模原市)まで全通した。同年11月からは八王子駅東京都八王子市)まで直通列車を走らせるなど意欲的であったが、業績が不振であったため沿線の西寒川に製造拠点を有していた昭和産業が経営権を取得。1940年(昭和15年)12月には相模原駅 - 上溝駅 - 水郷田名間の乗合自動車事業も開始した。

相模鉄道の資本関係は昭和産業と東京横浜電鉄(東横電鉄、現在の東京急行電鉄の前身の一つ)が半々の状態だったが、1941年(昭和16年)6月に昭和産業が持ち株を東横電鉄に譲渡し、相模鉄道は完全な東横傘下となる[注 9]

神中鉄道

相模平野を走る神中鉄道の汽車(1927年頃)
神中鉄道の機関車(3号機関車)および客車(ハ20形24号客車)

神中鉄道は、鎌倉郡瀬谷村(現:横浜市瀬谷区)の素封家、小島政五郎らが中心となって起業し、1917年(大正6年)12月2日に創立総会を開催、同月15日に神中軌道として設立された。翌々年の1919年(大正8年)6月10日には神中鉄道への商号変更を行っている。こちらは厚木駅から建設を始め、1926年(大正15年)5月12日二俣川駅 - 厚木駅間を開業させた。その2か月後の7月には寒川方面から厚木駅に乗り入れた相模鉄道と接続し、旅客輸送や相模川砂利輸送の営業を行った。

神中鉄道の開業当時は、厚木駅・相模国分駅(現:相模国分信号所)・相模大塚駅(現在のさがみ野1号踏切北側のマンションの場所にあった)・大和駅瀬谷駅二ツ橋駅(三ツ境2号踏切から海老名方50 m付近)・三ツ境・二俣川の各駅で営業を開始した。相鉄社内報(1977年10月)に掲載されている座談会によれば、開業当時の話として「二俣川駅には駅長と駅手4名の合計5名。厚木駅には、運輸課長代理兼務の駅長と助役2名、駅夫4名、出札掛1名、車掌2名がいた。中間駅は、駅長と出札・改札を兼ねた駅手1名の2名のみ。全線でも26名しか駅にはいなかった。」とある。また、「機関庫には、機関士機関助手検査掛、炭水夫がいた。」とも話している。

二俣川駅から先は細切れに延伸されたが、業績は不況下で低迷した。同年12月1日には星川駅(現・上星川駅)まで、1927年(昭和2年)には北程ヶ谷駅(現・星川駅)まで、1929年(昭和4年)には西横浜駅までと細切れに開業した。1931年(昭和6年)10月25日に西横浜 - 平沼橋間の省線側線を借り入れて営業を開始し、1933年(昭和8年)12月27日になってやっと横浜駅に乗り入れた。全通により乗客は増加したが、業績は低迷したままで開業以来の赤字は拡大する一方であったため、1939年(昭和14年)9月に同駅で接続する東京横浜電鉄の傘下に入り、取締役社長に五島慶太が就任。再建を図ることとなった。

1941年(昭和16年)1月20日には相模国分駅から海老名駅への新線建設(0.5 km)に着手し、同年11月25日に完成した。同時に小田急小田原線相模厚木駅(現:本厚木駅)へディーゼル自動客車での乗り入れを開始し(1964年〈昭和39年〉11月5日中止)、神中鉄道発足時からの悲願であった厚木町(現・厚木市)乗り入れを他社線直通運転ながら達成した。しかし、小田急1943年(昭和18年)3月31日まで同社の海老名国分駅を移転せず、海老名駅(現在より新宿方に200 m程の位置)の共同使用まで客扱いをせずにいた。また、神中鉄道の海老名延長に伴い相模国分駅-厚木駅間は厚木線となり貨物輸送のみとなった。

相模鉄道による神中鉄道の吸収合併

こうして前述の厚木で隣接していた両社は、1943年(昭和18年)4月に経営合理化のため合併に踏み切る[14]。相模鉄道が神中鉄道を吸収合併し、それぞれ「相模鉄道相模線」「相模鉄道神中線」となる。

しかし、1944年(昭和19年)6月に戦時体制下における東海道本線中央本線間のバイパス路線として相模線が国有化されて運輸通信省(国有鉄道)に編入されたため、神中線部分のみが相模鉄道(以下相鉄)として存続するという憂き目にあう。こうして経営基盤とも言える相模線を失う一方で、厚木飛行場の開設などにより神中線の乗客や貨物輸送は急増した。しかしながら、脆弱な神中線の輸送力はもはや限界であり、これを克服するにはもはや相鉄の手には負えない事態となってしまった。このため、1945年(昭和20年)6月から1947年(昭和22年)5月までの間に親会社である東急へ鉄道事業一切を委託し、戦時下・終戦直後の混乱期を乗り切ることとなった。この当時、現在の本線は「東急厚木線」または「東急神中線」と呼ばれていた。

東急からの独立と買収危機

1947年(昭和22年)6月に東急から派遣されていた川又貞次郎(元・小田原急行鉄道常務)ら役職員は、経営民主化を理由に過度経済力集中排除法を盾に東急が保有する相鉄の株式(発行済み株式の約70%、約8万株)を取得して東急から独立。厚木線(東急委託時代に神中線から改名)を新たな経営基盤として戦後の再スタートを切ることとなった。ただし、独立後もしばらくは、相鉄の筆頭株主は東急であった。

その後1952年(昭和27年)に、米国のスタンダード・オイル社から横浜駅西口の土地24688m2を買収。これを開発し付加価値をつけて売り出すことで、相鉄の経営基盤を安定的なものとした。後にこの地に横浜高島屋相鉄ジョイナスといった系列のデパートが建つことになる。不動産事業のみではなく、高度経済成長の時代であり、鉄道事業も順調に進んでいった。しかし、その2年前の1950年(昭和26年)頃に東急グループが小田急電鉄を通じて再買収の動きを起こした[注 10]。東急は鉄道よりも、むしろこの横浜駅西口の土地が目当てであった。相鉄の経営の立ち直りが見えてきた矢先に買収を仕掛けてきた東急の行動には相模鉄道の川又社長・穴水清彦専務も憤慨し[注 11]、経営陣は既存株主に対して売却しないように働きかけた。1951年(昭和26年)9月6日の臨時株主総会にて、株式の第三者割り当てによる敵対的買収の阻止を目的とした資本金の倍増案[注 12]が僅差で可決され、買収は阻止された。なお三井銀行社長の佐藤喜一郎(横浜市出身)が「我が町の鉄道会社を守れ」と積極的に川又側の後ろ盾になり、同行を通じて防戦資金を融資した。この結果、現在も相鉄のメインバンクは三井住友銀行であり、筆頭株主は小田急電鉄になっている。後にこの一件が引き金となって東急の多摩田園都市開発に対抗し、いずみ野線沿線開発を行った一方、東急は相鉄沿線で二俣川東急ニュータウンや東急白根ニュータウンといった大規模開発を行うなどの競争が見られた。 臨時株主総会で買収計画が失敗した後も買収計画を諦めず、筆頭株主の地位を盾に相鉄の経営に口を挟みつづけたことから、相模鉄道は1951年(昭和26年)7月26日に公正取引委員会に審査を申し立てた。9月12日に「小田急電鉄が相模鉄道の経営に干渉する行為は、はなはだしく競争を制限する行為であるため、小田急が所有する相鉄の株式をただちに放出しなければならない。」という趣旨の裁定が下された。また10月には事態収拾のために国鉄総裁の長崎惣之助が仲裁に乗り出し、長崎と相模鉄道社長の川又貞次郎・小田急電鉄社長の安藤楢六の3者の間で、3カ条の覚書[注 13]が交わされ、手打ちとなった[15]

その後の発展

戦中から戦後にかけては、厚木飛行場への輸送が行われた関係で路線基盤の増強などが進んだ。1942年(昭和17年)6月から現在の東急東横線からの配電で横浜 - 西谷間が600 V電化されたのを皮切りに、1943年(昭和18年)8月から現在の小田急小田原線からの配電で海老名 - 相模大塚間が1,500 V電化され、1944年(昭和19年)9月には二俣川駅を境に電圧が異なるものの、本線の全線電化が完成している。なお、1946年(昭和21年)12月に現在の京急本線からの配電に変更して全線が1,500 V化され、厚木貨物線(現:厚木線)の電化も1949年(昭和24年)11月に行われた。全線の複線化も飛行場への対策としてすでに敷地を確保してあったため進捗が早く、1951年(昭和26年)11月から西横浜 - 上星川間の複線化を皮切りに翌1952年(昭和27年)12月までに数度に分けて希望ヶ丘駅までが複線化された。横浜方向も当時の国鉄から西横浜 - 横浜間の貨物線部分の譲渡を受けるなどして1957年(昭和32年)1月に複線化されている。その名残りで相鉄下り線(二俣川方面)の架線柱はJR線と共用になっているところがある。その後も1960年(昭和35年)11月までには数度に分けて大和駅までが複線化され、1964年(昭和39年)11月には相模大塚駅までが複線化されたが、この部分は1961年(昭和36年)1月に墜落した米軍機が線路を横切って不通となる事故を起こされたため(この付近では1959年〈昭和34年〉と1962年〈昭和37年〉にも墜落事故が起きている)、その対策を兼ねて線路を掘り下げ、防護トンネルを通過する形にしている。1966年(昭和41年)4月には大塚本町駅(当時、現在のかしわ台駅東口)まで複線化し、1967年(昭和42年)4月にはかしわ台工機所(車両基地)の完成とともにここまで複線化され、1973年(昭和48年)9月には相模国分(信号場)まで複線化し、本線の全線複線化が完成したのは海老名駅の移転後となる翌1974年(昭和49年)3月となった。

いずみ野線の建設と大手私鉄認定

新線の計画として1958年(昭和33年)1月に杉田海岸から二俣川駅を経て原町田に通じる免許を申請したが、米軍上瀬谷通信施設電波障害問題で難航した。その後この免許を取り下げる代わりに都市交通審議会の答申に沿う形で1967年(昭和42年)2月に二俣川駅から平塚市方面への新線の免許を申請し、1970年代に入りいずみ野線として建設することになる。まず1976年(昭和51年)4月に二俣川駅 - いずみ野駅間を開通し、その後しばらくの間宅地開発に専念して沿線の住民を増加させた後、1990年平成2年)4月にいずみ中央駅まで延伸された。この開通により日本民営鉄道協会における大手としての要件を満たしたため、同年5月31日には正式に大手民鉄としての認定を受けている。この開発には前述のように東急への対抗心があったとされ、「東急田園都市線と多摩田園都市構想」に対しての「いずみ野線と緑園都市構想」と言われている。また、この時期は車両の冷房化を促進した。

同時期、日本国有鉄道(国鉄)末期に民営化議論がまだ強く推進される前に、電化されて長編成の冷房通勤電車が走る相鉄本線に対して、非電化ローカル線として取り残されていた国鉄相模線を国有化前の経営母体である相鉄に返還譲渡するという検討がされた。だが、現職の国鉄職員を含めての引き取り条件が妥結せず、実現しなかった。その後の對馬好次郎社長就任時には相模線買取を検討したものの、果たせなかった。当時の相模線が、営業係数400を超える赤字路線であったことが実現しなかった理由として挙げられる。なお、同線はそのまま1987年(昭和62年)4月1日にJR東日本へ継承され、1991年(平成3年)3月16日に電化されている。

バブル崩壊以後・都心直通プロジェクト

バブル崩壊以後の近年は大きくなったグループ再編が目立つ。不採算事業からの撤退・売却のほか、主力業種についても相次いで分社化が進められ、相鉄バス相鉄不動産となった。そして、2009年(平成21年)には前述のようにグループ統括事業を相鉄ホールディングスに任せ、鉄道事業を分社している。また、2000年代にはJR・東急線乗り入れ構想も発表されている。

2014年(平成26年)4月27日のダイヤ改正時より「特急」を日中(10 - 16時台)に導入することが発表された。特急の停車駅は本線が横浜・二俣川・大和・海老名の各駅で、いずみ野線が横浜・二俣川・いずみ野・湘南台の各駅。これと同時に日中の列車種別に限り、「急行」の取りやめや「快速」の適用系統の変更(いずみ野線系統から本線系統への切り替え)も行われ、朝・夕のラッシュ時は急行といずみ野線快速を継続するなど現行と大きな変化はないが、日中は特急と各駅停車、本線快速のパターン運転となる。また特急の導入により、所要時間は横浜 - 海老名が最短26分、横浜 - 湘南台が最短24分に短縮されるなど、速達性の向上が図られる[5][6]。これは東京都心に乗り入れる計画が発表され、横浜駅発着路線の空洞化が進行する可能性があるとの懸念から、相鉄グループ全体を挙げてのプロジェクトの一環である[16]。ただし相鉄新横浜線・JR東日本および東急・都営地下鉄・東京メトロ方面からの流入客の方が西谷 - 横浜間利用客の減少分以上の利用が需要予測されているため、相鉄全体では逆に利用客が増加すると見込まれている。なお、特急の導入には追い越しスペースの確保が必要なことから、瀬谷駅を上り線(横浜方面)のみ待避可能な2面3線から上下線待避可能な2面4線に整備する工事が事前に行われている。

同年2月末より駅ナンバリングとして、アルファベット2文字「SO」と2桁の数字で構成される駅番号を全駅に順次導入している[17][18](詳細は後節参照)。

2019年(令和元年)11月30日相鉄新横浜線西谷駅 - 羽沢横浜国大駅間が開業し、相鉄・JR直通線として営業を開始した[19]

安全対策への姿勢

1968年(昭和43年)に瀬谷駅構内で車両同士の衝突事故を起こしており、それ以来全線にATS(自動列車停止装置)[注 14] を設置している。2005年(平成17年)のJR福知山線脱線事故を機にATSの追加設置などが行われた。なお相鉄・JR直通線の開業に先立ち、2014年に全線でJR東日本と同じATS-Pに変更している。また、運転士が意識を失っても車両の暴走を止めるEB装置の設置も進んでいる。

車両以外の対策も進んでおり、特に鉄道人身障害事故などのホームからの転落事故を防ぐ目的で横浜駅のホームに柵を設置したり、万が一転落した時避難するスペースを確保したりする工事が進んでいる。また、視覚や聴覚に障害を持つ人のために全ての駅に文字と音で列車の接近を知らせる接近案内表示器を設置している。また、2013年(平成25年)10月より約1年間の期間限定であるが、首都圏3駅で実施される開発中ホームドアの現地試験の一環で、いずみ野線の弥生台駅にて「昇降バー式ホームドア」の試験導入が実施された(詳細は「弥生台駅#昇降バー式ホームドアの試験導入」を参照)。また、弥生台駅で試験されたものとは別のタイプのホームドアが横浜駅の3番線で2016年3月6日の始発から運用を開始した。その後、2016年12月に2番線、2017年2月に1番線で運用を開始し、横浜駅の全てのホームでホームドアの導入が完了した。 横浜駅以外の駅についても設置も進め、海老名駅は2019年度末までに、二俣川駅大和駅湘南台駅は2020年度末までに、その他の20駅に関しても、2022年度末までに乗り入れて来るJR東日本・東急・都営地下鉄・東京メトロの車両にも対応するホームドアを設置する予定である[20]

路線

現有路線

路線図 (クリックで拡大)

以下の4路線(総延長40.2 km)を有するが、一般の旅客が利用できるのは本線・いずみ野線・相鉄新横浜線の3路線のみである。

直通運転

東日本旅客鉄道(JR東日本)
相鉄・JR直通線」・埼京線川越線羽沢横浜国大駅 - 武蔵小杉駅 - 新宿駅 - 大宮駅 - 川越駅
  • 相鉄の車両は、川越駅まで試運転が行われ埼玉県に進出したものの[21]、2019年11月30日の開業時点では通常時は東京都内の新宿駅までの乗り入れとなる[22]

過去の路線

過去には以下の路線を所有していた。

また、相鉄本線からは以下の専用線が分岐していた。

相模線と西寒川支線は1944年(昭和19年)6月に国有化、また同時に西寒川駅 - 四之宮駅 0.5kmが廃止された。相模線貨物支線は1931年(昭和6年)に廃止。保土ケ谷駅までの貨物線は、東海道線・横須賀線の分離に伴う1979年(昭和54年)の東海道貨物線の移転と同時に廃止された。このほか、相模大塚駅から分岐する在日米軍の専用線(厚木航空隊線)があり、1998年(平成10年)まで相模線等からの米軍厚木基地への航空燃料輸送を一部担っていたが、輸送終了後は廃止されており、線路や架線等のみがほぼそのままの状態で残っている。航空燃料は専用線による輸送終了後はタンクローリーで輸送を行っている。

計画路線

未成線

以下は神中鉄道時代に失効。

  • 厚木 - 伊勢原間 7.4km … 相陽鉄道から譲受、1933年12月13日免許失効[24]
  • 平塚 - 伊勢原 - 大山間 12.9km … 相陽鉄道から譲受、1933年12月13日免許失効[24]

鉄道車両

特徴

電車に関しては、主に1950年代半ばまでの中古車時代、以後2000年代初頭までの自社開発車時代、2010年代後半までの他社の亜流車時代、2010年代後半以降の自社開発車再導入時代に分けられる。以下では主に「自社開発時代」の「電車」について記す。

なお、大手私鉄では唯一、これまで鉄道友の会のBL賞(ブルーリボン賞ローレル賞)を一度も受賞していなかったが、2019年のローレル賞に20000系が選ばれた。

製造メーカー

蒸気機関車については初期は国外製、後に国産に切り替えられた。続く気動車の時代は日本車輌製造汽車製造といった蒸気機関車時代の取引先との関係を続けた。

電車の自社開発が始まった1950年代以降は、新造車の発注は日立製作所笠戸事業所へ、大規模な改造は地元の神奈川県に工場を持つ東急車輛製造へ統一するようになり、これが長く続いていた。

しかし、1990年代以降は東急車輛製造やJR東日本、これらの鉄道車両事業を継承した総合車両製作所にも新造車を発注するようになった。日立への新造車発注は1999年で一度途絶えたが、2017年に落成した東急直通用車両20000系電車で18年ぶりに日立への発注を再開した[25][26][27]

主制御機器(モーターの制御装置)、電動機(モーター)、電動発電機(MG)や空気圧縮機(CP)などの艤装品は日立のほかにも東洋電機製造三菱電機や日本エヤーブレーキ(後のナブコ。現・ナブテスコ)などのメーカーも参加している。

相鉄グループ全体でエレベーターエスカレーターはおろか、蛍光灯などの小物類・メインフレームHITACシリーズ)まで全てが日立製であった時期があった。これには初の自社開発車両を日立に発注したからという逸話がある[注 16]

車体外観

戦中から終戦直後の頃は経営基盤も弱く、車両は他社の中古車両が主体であり、その外観も直線基調の無骨なものばかりであった。

最初の転機は1955年(昭和30年)に初の自社開発電車、初代5000系電車の登場である。この車両は当時流行の丸みを帯びた「湘南顔」と言われる前面を持つなど、スタイリングに工夫があった。しかし、当時の日本は高度経済成長に突入し、漸次増える輸送量に対して車両には柔軟な運用が求められており、構造上連結面に貫通扉を設置が困難な5000系は編成組み換えの自由度が低く、次に登場する6000系電車ではこの点を改善し、直線基調で分割・併合のしやすい、機能を重視したデザインに変更された。これが以後20年の相鉄の標準デザインとなってゆくが、編成を組みかえることがほぼ無くなり、1980年代からは再び見た目を重視し、新7000系電車では流行のスタイルを、1990年代には8000系電車や9000系電車で丸みを帯びた左右非対称のスタイルを採用した。

車両限界はJRの在来線と同等で、他の大手私鉄の路線よりも大きめである。これは第二次世界大戦後の混乱期に運輸省(当時)から割り当てられた63形電車の導入により、この時に鉄道施設を63形の走行に基準を合わせている[注 17]。このため、1970年代から幅広の車両が度々導入されている(20000系のみ、乗り入れ予定先の東急目黒線都営地下鉄三田線の車両限界の関係で、東急他3者が制定した「相互直通運転における東急目黒線・南北線・三田線・埼玉高速鉄道線との車両申し合わせ事項」に準拠した車両となったため、他の相鉄車両と比較して車体幅が狭くなっている[28])。

ヒートポンプ式冷暖房機搭載車の車内(6021号

また、新7000系以前の車両には側面の行き先表示幕が無く、列車種別の表示のみである。これは路線が短く、基本的なダイヤパターンが「急行」は本線直通、「各停」は支線(いずみ野線)直通と、単純だった頃の名残である。特急が登場するなどダイヤパターンが大きく変わった2014年4月27日のダイヤ改正に合わせて幕が更新され、行き先表示幕が無い7000系と新7000系がいずみ野線直通運用に入る時は、種別の下に「いずみ野線」と表記された幕が使用されるようになった。なお、「いずみ野線」と表記された幕を使用するのは下り列車のみであり、上り列車では通常の種別のみが表記された幕を使用する。

屋根上には冷房装置や集電用のパンタグラフが設置されている。相鉄の冷房装置は基本的に大きな集中式が一つ搭載されているだけであるが、9000系のみ集約分散式が採用された。なお、相鉄は冷房化の開始時期や進捗が早く、1987年(昭和62年)には、戦後の新規開業路線を除いた関東地方の私鉄で初めて冷房化率100%を達成している[注 18]。一部の車両についてはヒートポンプを用いたものを試行し、のちにこれを採用した車両もある。パンタグラフについて、1975年までの新車は旧型国電車両等に使われていたPS-13形を搭載していた。通常ではパイプ製であるが、この旧式のPS-13形パンタグラフは鉄板製だった。また、相鉄ではパンタグラフを車両形式ごとに固定しておらず、全形式で使い回されていたため、最新鋭車両に旧式のPS-13形が搭載されたり、1編成の中に3種類のパンタグラフが混在したりしていることもあったが、新型のシングルアーム式パンタグラフの導入も比較的早く、1994年には実車試験も行われた。2000年代には採用車両が製造され、その後も増え続けている。

車体の配色
新6000系、右は旧標準色復活編成(2004年3月16日、厚木操車場に留置された様子)
9000系のリニューアル車、グループカラー新塗装車、旧塗装車が並んだ様子(2016年4月9日、相模大塚駅構内の撮影会イベントにて)

1970年以降の車体の配色については、形式ごとに異なるのが特徴であった(2100系と5100系、6000系と3010系はそれぞれ同様の配色)。5000系以前の電車はベージュのツートーン(それ以前は茶色)だったが、1960年代以降の車両は紺色灰色を配色し、複雑なデザインとなった。その後、1970年代以降に導入された軽量性に優れるアルミニウム合金を素材とした車両(6000系モハ6021にて試作車として製造され、2100系にて編成単位で初導入、さらに5000系もアルミ車体に載せ替えられた)は、アルミ地の銀色にアクセントとして赤に近いオレンジ色朱色)を配し、今までの車両とは全く印象の異なるカラーリングで登場。普通鋼製の車両(3010系6000系)も、1970年代に淡い緑(黄緑)を基調とし、濃い緑(上部)とオレンジ色(下部)の帯を配した明るい配色に塗り替えられている。1990年代に入ると赤色の帯を配した8000系9000系が登場。さらに2002年に登場した10000系では、再び青緑(ピーコックグリーン)と黄色(サフランイエロー)にするなど、ここ30年ほどの間、緑色系統と銀色にオレンジ色系統、または赤色系統の3種が混在している状態が続いていた。しかし、JRと東急への直通運転が決まったことで2006年7月にCIを導入し、2007年3月には車体の配色をCIで制定されたグループカラーへ統一することが発表された[29][30]。新しい配色は、青と黄色みの強いオレンジ色の帯を用いており、車体には新グループマークも付加されている。この配色を標準カラーとする方針で、車体塗装の変更が順次実施されることとなった[31]。当初の発表では、新塗装への変更は2010年度末に完了する予定としていた[29]が延期となり、最終的には2014年度中の完了に向け塗装の変更が進められていた[32]

ところが、この塗装への全車両の塗り替えは完了せず、2015年11月には相鉄グループの100周年と都心相互直通運転に向けて「デザインブランドアッププロジェクト」が本格始動し(プロジェクト自体は準備などを含めて2013年より開始[33])、くまモンの生みの親であるクリエイティブ・ディレクター水野学および空間プロデューサー洪恒夫監修の下、車体塗装の配色を再度変更して、横浜の海をイメージした「YOKOHAMA NAVYBLUE(ヨコハマネイビーブルー)」に統一することが発表された[34][35][36]。まずは2016年4月にこの配色に変更した9000系リニューアル車が登場。[35][36]他の形式も7000系などを除きリニューアルを実施し、相鉄新横浜線が全線開業する2022年度下期までに全車両のうち8割程度を「YOKOHAMA NAVYBLUE」で統一する予定[37])。さらに、相鉄JR直通用車両となる12000系および東急線・都営地下鉄三田線直通用車両となる20000系については落成時より「YOKOHAMA NAVYBLUE」を採用している[28][38]。なお、同プロジェクトでは車体の配色以外にも内装・設備や駅舎、駅隣接の商業施設、制服などもリニューアルし、デザインコンセプトの統一を図る計画となっている[35][36]

車内設備

他社に比べて特異な車内設備が多い。以下はそれらの中の代表的な例である。

  • 油圧式パワーウィンドウ(車内の表示は「自動窓」) - ただし10000系、11000系、12000系、20000系には設置されていない。
  • 4つドアの通勤型電車にセミクロスシート(ボックスシートとロングシートの2種類を設置するもの)[注 19] - 7000系の7755×10、8000系、9000系のみ。
  • 車内に備え付けられた - ただし10000系、11000系は設置されていない。
  • つり革の数が多い。
    • 他社車両よりも狭い間隔で設置されている。ただし、後年横方向に設置されたつり革は間隔を広げた。また、持ち手は丸型・白色だったが、10000系で三角形のつり革が導入されたことを機に、後年新7000系以降の全車両で持ち手を三角形・灰色のものに交換した。後述のマスコットキャラクター「そうにゃん」型のつり革が1車両に2本採用されている。通常の車両のそうにゃん型つり革はオレンジ色だが、「そうにゃんトレイン」のそうにゃん型つり革は金色である。
  • 乗客が自由に作動させることができる位置にある扇風機のスイッチ。- 7000系の7713×8(廃車時点)以前の車両形式、編成のみ。
    • 扇風機は天井だけでなく、乗務員室後ろの扉上部にも設置されている。扇風機のスイッチは、他社では国鉄の気動車等に多く見られたが、それ以外の旅客車両では乗務員室に設置されており、車掌が一括で操作することが多い。

このうち、パワーウィンドウは関西の私鉄などに、セミクロスシートは東京近郊の路線の4ドア化を進めていたJR東日本などに影響を与えた。

走行設備

気動車時代はディーゼルエンジンが生み出す回転力を発電機に入力し、出力された電気を用いてモーターを回す、いわゆる電気式気動車を日本で初めて導入するなど画期的な面もあった(「日本の電気式気動車#相模鉄道キハ1000形」を参照)。自社開発電車の技術は他社に比べて新技術の採用に乏しく、非常に保守的であった。

初の自社開発電車である5000系は「直角カルダン駆動」や「電磁直通ブレーキ」など当時の最新技術を盛り込んだ意欲作であった。しかし、技術が進歩するなか、他社では廃れた後もこれらの技術に固執し、近年まで採用を続けていた。以下はそれらの中の代表的な例。

  • 直角カルダン駆動 (他社では平行カルダン駆動に移行)
  • 車輪外側に設置したディスクブレーキ(一般的なディスクブレーキは車輪内側に設置されるが、狭軌かつ直角カルダン駆動だと設置場所が無いため、外側へ設置している。他にブレーキではモーターを発電機として利用し減速する発電ブレーキを嫌い、摩擦ブレーキだけでの減速に拘っていた時期もあった)
  • 日立式電磁直通ブレーキ (これは指令伝達方式が非常に珍しく、日立が開発した独自規格。正式名称は「電磁直通弁式電磁直通空気ブレーキ」、運転操作も自動空気ブレーキと同じで独特である)
  • モーターの制御方式は抵抗制御

このうち後者2つは1990年代前半までに解消されたものの、前者2つは2001年まで固執し続けていた。なお、モーターの制御方式は国鉄やほかの大手私鉄では一般的であったチョッパ制御を経ずに、可変電圧可変周波数制御(VVVFインバーター制御)へと移行した[注 20]。VVVF車の導入と普及自体は日本でも早い方であり、1980年代の中頃から末にかけて改造で3000系と5000系、新造で新7000系が相次いでVVVFインバータ制御で登場している。

車両の標準化

このように特殊な設備が多かった相鉄の車両であるが、2002年(平成14年)に導入された10000系電車は、思想を180度方針転換したものとなった。この車両は大手私鉄では一般的な「車両はオーダーメイド」という慣習には沿わず、他の鉄道事業者が既に運行している車両を基に設計したもの、つまりレディ・メイドのものを細かい部分のみ、自社向けにアレンジして導入したものである。これは最新技術を低コストで導入する方法としては一般的な方法だが、自社開発を基本とする当時の大手私鉄はもとより、日本ではあまり例のないことであった。

この相鉄の動きを契機に「通勤・近郊電車の標準仕様ガイドライン」が制定され、日本の他の鉄道事業者にも影響を与えた。

再び独自仕様へ

一時期は他社車両をベースとした車両のみを導入していた相鉄だが、2018年(平成30年)より導入の20000系電車では、「デザインブランドアッププロジェクト」のコンセプトを反映することと、東急目黒線に乗り入れする各者によって制定された直通車両規格である「相互直通運転における目黒線・南北線・三田線・埼玉高速鉄道線との直通車両申し合わせ事項」に準拠させる目的から、再び一部に独自の仕様を取り入れることとなった。これまでの通勤車両では見られない斬新なデザインを取り入れ、かつての相鉄車両で特徴的な車内の鏡も復活する[25][28]

地方私鉄への譲渡

自社で車両を新造するようになってからは、上記の技術的特徴や、大手私鉄で最も大きい車両限界等を理由に、地方の私鉄や日本国外への車両払い下げ自体が敬遠されている。1970年代に伊豆箱根鉄道へ旧型車2000系の車体を転出(150形、事業用として1両が残存→「伊豆箱根鉄道モハ151形電車」を参照)した以降は、転出や譲渡の例がない。

過去には、地方私鉄で使いやすい車両が揃っていて、比較的コンスタントに譲渡車があった。旧相模鉄道・神中鉄道時代の車両も含めると、電車から気動車、客車、果てはSLや貨車に至るまで100両ほどあり、譲渡先からの再転出分も含めるとほぼ日本全国で足跡を残している。

編成表記

相模鉄道の車両の編成は、「横浜方先頭車の番号×両数」で表記される[39][注 21]。また、この「両数」は「一度に連結されている車両の数」を指すため、異系列の混結がされていても「横浜方先頭車の系列の一部」として扱われる[注 22]

  • 例:
    • 700系の編成表記:701×4, 703×9等
    • 10000系の第6編成の編成表記:10706×8
    • 12000系の第1編成の編成表記:12101×10

車両番号の付け方

10000系までの電車では車両番号には車両の役割に応じたものを付けるようにしており、百の位の数字で区別できるようになっている。例外もあり詳しくは各系列の記事に譲るものの、以下に主な例を示す。

  • 000番台…横浜側に組成される制御電動車(例:6000系の6021、5000系の5053)
  • 100・200・300番台…中間電動車(例:8000系の8119、8000系の8219、10000系の10301)
  • 500番台…海老名・湘南台側に組成される制御車(例:9000系の9502)
  • 600番台…中間付随車(例:9000系の9604)
  • 700番台…横浜側に組成される制御車(例:9000系の9702)

ただし、11000系電車以降の形式はこれらの法則に当てはまらない。また、11000系電車と20000系電車以降の形式の間でも車両番号の付け方の法則が異なる。 また、事業用車のモヤ700系もこの番号の付け方の法則は成り立たない。

現有車両

事業用の車両を含め、現在在籍するすべての系列は電車である。各系列の在籍期間、車両数、運用などについては、それぞれの記事を参照されたい。前述のように、現在車両の塗装変更が進んでいる。

乗客の増加とともに、1編成当たりの車両数を徐々に増やし、準大手私鉄時代末期には8両編成以上の列車編成となり、大手私鉄昇格時には既に編成単独(ここで言う「単独」とは他の編成と連結して長編成としていない貫通編成という意味で称したものである)での6両編成を所有していなかった(大手私鉄ではその後2003年に京阪が、さらにその後2017年に西鉄でも編成単独の6両編成を廃止し、現在の大手私鉄では相鉄・京阪・西鉄の3社のみが、編成単独での6両編成の車両を有していない状況であるが、西鉄では2 - 3編成を連結した6両編成での運用は存在している)。また、1980年代前半からは10両編成を中心に製造してきたが、近年は利用者の減少などで2002年の10000系20両以来中断されていた。しかし、JR直通を意識して2009年に登場した11000系では、再び10両編成車の製造が行われている。なお、20000系の量産車では東急目黒線(および三田線・南北線)などに直通対応の8両編成と東急東横線直通対応の10両編成を製造する計画である[40]

かつては相模川砂利セメント輸送、在日米軍基地の貨物輸送を行っていた関係で、貨車や電気機関車も在籍していた。ただし、多くの貨車は私有貨車であったために、相模鉄道として所有するものは少ない。また、前述のように近年の車両は走行設備が特殊な車両が多く、地方私鉄への譲渡車両は30年以上全く出ていない状況が続いている。

一般型車両

事業用車両

  • モヤ700系 - 7000系から改造された検測・救援用電車。

このほかに車籍は有しないものの、各種保線用のモーターカーがある。

廃系列

一般型車両(電車)

事業用車・貨車

  • 2000系モニ2000形 - 事業用電車(元は旅客車両で荷物電車を経て事業用に改造)。1両がかしわ台車両センターに保存されている。
  • ED10形 - 電気機関車。1両がかしわ台車両センターに保存されている。
  • トフ400形 - 貨車。1両がかしわ台車両センターに保存されている。
  • トム260形 - 貨車。
  • トム600形 - 同上。
  • ホキ800形 - 同上。

車両基地・工場

車両工場を1つ持ち、いくつかの駅に隣接して車両基地(留置線)がある。

このほかに星川駅二俣川駅大和駅いずみ野駅湘南台駅では車両の夜間滞泊が行われる。

乗務員区

  • かしわ台車掌区

旅客専務車掌」(JRでいう乗客専務車掌、車内での乗客サービスのみを行う)による車内巡回が行われており(主に本線急行列車)、乗り越し精算他社線連絡乗車券の発売などを行っていたが、2014年3月31日をもって車内精算業務を終了した。以前は6000系の柄のものなど車掌区オリジナルのパスネットも発売していた。

相鉄ではワンマン運転が実施されていない[注 23]ため、全ての列車で運転士のほかに必ず車掌が乗務する。次停車駅、乗り換え路線等の車内案内放送も基本的に車掌の肉声で案内するが、自動放送装置が搭載されている9000系(9701×10を除く)、10000系11000系12000系20000系電車の場合は自動放送の補足案内(列車の接続・待避、お知らせなど)が主となることが多い。

乗車券

運賃

大人普通旅客運賃(小児半額・ICカードの場合は1円未満切り捨て、切符購入の場合は10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定[47]

キロ程 運賃(円)
ICカード 切符購入
初乗り3km 147 150
4 - 7 178 180
8 - 11 199 200
12 - 15 231 240
16 - 19 262 270
20 - 23 283 290
24 - 26 314 320

以下の区間に跨って乗車する場合は、乗車区間・キロ数に応じた加算運賃が必要となる。

乗車キロ数 6kmまで 7 - 9 km
二俣川 - いずみ中央 20円 40円
いずみ中央 - 湘南台 30円
西谷 - 羽沢横浜国大 30円

各区間を跨って乗車する場合はそれぞれの額の合計が加算額となる(例:いずみ野駅 - 湘南台駅間の場合はいずみ野駅 - いずみ中央駅間が2.2kmなので「二俣川駅 - いずみ中央駅6kmまでの加算額20円」 + 「いずみ中央駅 - 湘南台駅の加算額30円」 = 50円)。

1日乗車券

相鉄全線(路線バスを除く)が乗り降り自由な「相鉄・鉄道全線1日乗車券」を発売している。発売額は大人740円・小児260円(2020年現在[48])。発売期間は初めて発売された2005年と翌2006年が8月1日 - 11月30日であったが、2007年以降は7月下旬からに拡大され、2013年からは8月までに縮小されている。2013年には夏に加えてゴールデンウィークにも[49]、2015年以降は3月中旬から4月中旬にも[50]、2016年以降は12月中旬 - 翌年1月にも[51]発売され、2020年3月14日より通年での発売となった[48]

フリーパス

相鉄は、上記の経緯により小田急電鉄との関係が深く、小田急線で発売している各種フリーパスも発売している。特典には相鉄線乗車駅から小田急線乗り換え駅(大和駅または海老名駅)までの往復割引乗車券が追加されている(湘南台駅乗り換えは発売していないため、いずみ中央駅などいずみ野線内で江の島・鎌倉フリーパスを購入しても大和駅経由になる)。そのため、パンフレットも小田急と同じものが使われている。

また横浜都心部の観光用に以下の2つのチケット(フリーパス)を発売している。

特別乗車券

ゆめきぼ切符
自社路線に存在する希望ヶ丘駅ゆめが丘駅の間の乗車券で、駅名にかけて「夢と希望を結ぶ」として縁起物として売り出しているものである。以前は往復乗車券の様式で発売していたが、現在は「希望ヶ丘駅→ゆめが丘駅」と「ゆめが丘駅→希望ヶ丘駅」の2種類で発売されている。年中販売しているが、特に受験シーズンは人気のため「ゆめきぼ切符キャンペーン」として12月から3月(2014年度は12月25日 - 翌年3月31日)までの購入者には特製の絵馬がプレゼントされる。これに合わせて両駅には絵馬掛けが設置され、掛けられた絵馬はシーズンオフになると寒川神社に奉納した上で「お焚き上げ」される。なお2013年度には「ゆめきぼ切符ミニタオル」もプレゼントされたほか、2014年度には「そうにゃんピンズ」もプレゼントされたが好評で完売したため代わりに「ゆめきぼ切符クリアファイル」をプレゼントした[52]
横浜瀬谷八福神めぐり往復割引乗車券
沿線にある瀬谷八福神めぐりのため、12月から1月ごろ(2014年度は12月25日 - 翌年1月31日[53])まで相鉄線内から瀬谷駅までの2日間有効の往復割引乗車券が瀬谷駅以外の各駅で発売される。
特製入場券
特に告知していないが、相鉄線各駅では硬券入場券を販売している。昔の駅舎写真を印刷したポストカードがもらえることがある。なお、創立90周年を記念して入場券セットを発売したことがある。

駅の設備・サイン表示関連

駅ホームに設置されている待合室(いずみ野駅
駅ナンバリングが導入された平沼橋駅の駅名標

待合室の設置

一部駅には冷暖房空調)完備の待合室が設置されており、今後はその他の駅にも設置していくことが検討されている[54]。なお、待合室内の椅子の色は当初は横浜方面(上り)がブルー、反対方面(下り)がオレンジとなっていたが、デザインブランドアッププロジェクト始動後はオリジナルデザインのベンチが設置されている。

バリアフリー・安全対策

近年のバリアフリー化に伴い、エスカレーターエレベーターの設置を順次進めている。また駅ホームの点字ブロックでは、転落防止対策を施した「内方線付き点状ブロック」への交換が順次行われている[54]

駅ナンバリング

駅ナンバリングを2014年2月末より各駅に順次導入している[17][18]アルファベット2文字「SO」と各駅を表す2桁の数字(例:横浜駅は「01」)で構成されており、数字部分は本線の駅が00 - 10番台、いずみ野線の駅(二俣川駅は本線の数字のみのため除く)が30番台に、相鉄新横浜線の駅(西谷駅は本線の数字のみのため除く)が50番台にそれぞれ振られている。

案内サイン

駅の案内サインを2007年12月中旬に変更したさがみ野駅を皮切りに、バリアフリーユニバーサルデザインを取り入れ、LED照明を利用した省エネタイプのものに順次交換している。このサイン計画はかつての営団地下鉄みなとみらい線等、多くの公共空間のサイン計画を主導した黎デザイン総合計画研究所が手がけている。新サイン計画では、一部に中国語韓国語の表記も用いられている上、改札付近には近隣鉄道のネットワーク図も新たに設けられている。

通訳機の配備

話しかけると74言語間で意思疎通できる人工知能 (AI) 利用の通訳機を全25駅に配備した[55]

一日平均乗降人員上位15駅

関東交通広告協議会横浜市統計書藤沢市統計年報 より。

増加減少は、右欄の乗降人員と比較して増(増加)、減(減少)を表す。

順位 駅名 路線名 2015年度 2010年度 2005年度 2000年度 特記事項
1 横浜駅 本線 減少 421,948 減少 428,224 減少 437,354 459,965 各社局線総合では世界第5位
2 海老名駅 本線 増加 118,279 減少 113,687 減少 117,323 119,519  
3 大和駅 本線 増加 112,126 増加 109,762 104,302  
4 二俣川駅 本線
いずみ野線
減少 77,843 増加 80,329 減少 78,009 81,623  
5 三ツ境駅 本線 減少 58,533 減少 59,664 減少 60,515 63,899 他路線と接続しない単独駅として第1位
6 鶴ヶ峰駅 本線 増加 57,367 増加 56,455 減少 53,946 56,637  
7 瀬谷駅 本線 増加 44,474 増加 42,887 増加 41,517 40,330  
8 さがみ野駅 本線 増加 37,876 増加 36,926 36,503
9 希望ヶ丘駅 本線 増加 34,916 増加 34,735 減少 33,302 34,114  
10 星川駅 本線 増加 29,366 増加 27,506 増加 24,605 22,601  
11 湘南台駅 いずみ野線 増加 27,533 増加 26,741 24,440  
12 天王町駅 本線 減少 27,413 減少 27,606 減少 29,773 31,459  
13 緑園都市駅 いずみ野線 減少 26,171 増加 26,671 増加 26,498 24,398  
14 上星川駅 本線 増加 25,032 増加 23,407 減少 21,905 22,027  
15 西谷駅 本線
相鉄新横浜線
減少 23,398 減少 23,930 減少 25,636 27,346  

相模鉄道で最も乗降人員が多い駅は横浜駅であり、一日平均乗降人員は40万人を超える。次いで海老名駅、大和駅、二俣川駅の順に乗降人員が多く、これらの4駅はいずれも特急が停車する。三ツ境駅は特急通過駅であるが、他路線と接続しない単独駅で最も乗降人員が多く、2008年度まで一日平均乗降人員は6万人を超えていた。上位10駅はいずれも本線の駅であり、県央地域から横浜駅への輸送を一手に担っている。

その一方でいずみ野線は全体的に乗降人員が少なく、二俣川駅を除く全駅で一日平均乗降人員は3万人を割り込む。いずみ野線も2014年から特急が運転されていたが、相鉄新横浜線が開業した2019年のダイヤ改正で廃止された。本線のみ設定される急行は横浜駅 - 二俣川駅間をノンストップで結ぶのに対し、いずみ野線にも設定される快速は星川駅、西谷駅、鶴ヶ峰駅に停車し、遠近分離が図られている。このうち鶴ヶ峰駅は急行通過駅であるが、一日平均乗降人員は5万人を超える。

今後の予定・計画・構想

連続立体交差事業

和田町駅東方から天王町駅保土ケ谷区東部地域)まで約1.8kmの連続立体交差事業が着工されており、2021年度に竣工する予定である[56]。完成後は星川駅が2面4線(高架化前と同じ)の高架駅に改築される。これに関連して星川駅構内にあった留置線と車掌区は西横浜駅へ移転した。

これ以外にも鶴ヶ峰駅周辺と瀬谷駅周辺の2か所において、横浜市は、連続立体交差を検討していた[57]。その結果、鶴ヶ峰駅周辺にて、2016年度から連続立体交差事業を着手することが明らかになった[58]。構造形式は、地下化を採用する方針で、2022年度に事業認可を取得し、2033年度に事業を完了する予定である[59]

東京都心・埼玉県方面への乗り入れ計画

かつて運輸政策審議会の答申による「神奈川東部方面線」として、相鉄側がいずみ野線を二俣川駅から延伸して新横浜駅までを建設し、東京急行電鉄東横線大倉山駅から新横浜駅まで新線を建設。これら2路線を接続させて相互直通運転を行う計画が持ち上がったが、計画は長らく進まなかった上バブル崩壊のあおりも受け、この計画は事実上頓挫していた。

その後、相鉄はJR東日本に対して相互直通運転の計画を持ちかけ、2004年9月にJRとの相互直通運転計画を相鉄側が発表した。さらに2006年には東急との相互直通運転も実施すると発表され、JRとの相互直通運転を「相鉄・JR直通線」、東急との相互直通運転を「相鉄・東急直通線」とし、当初の神奈川東部方面線とは多少経路が変更されているものの、これら2路線を合わせて「神奈川東部方面線」を形成することとし、2010年より着工した。

2018年12月13日、相鉄・JR直通線西谷駅 - 羽沢横浜国大駅間および相鉄・東急直通線の羽沢横浜国大駅 - 新横浜駅間の正式路線名を「相鉄新横浜線」とすることを決定した(東急側〈新横浜駅 - 日吉駅間〉の路線名は相鉄区間との識別のため、東急を冠した「東急新横浜線」となる)[23]

同年12月31日までに、埼京線川越線にも直通する方向で、相鉄新横浜線の一部区間(相鉄・JR直通線西谷駅 - 羽沢横浜国大駅間)を2019年12月に開業させることでJR東日本と調整を開始した[60][61][62]。2019年3月28日には相鉄・JR直通線が2019年11月30日に開業することが両社より発表された[63]

相鉄・東急直通線側では、東急東横線・目黒線のほか、東京都交通局が運営する都営地下鉄三田線および東京地下鉄(東京メトロ)が運営する東京メトロ南北線への相互直通計画がある[64][65][66]

これにあたり、相鉄では2018年2月に東急・都営地下鉄・東京メトロ直通対応(他者への直通も準備工事)の新型車両20000系を導入している[67]。一方、JR直通線対応車両としては2019年4月に別形式となる新型車両12000系を導入している[41][42]

小田急線との相互乗り入れ構想(海老名駅)

老朽化のため海老名駅において駅改良工事を行うこととなり(小田急は新築、相鉄は一部改良)、2006年4月16日には当時の厚木市長の呼び掛けにより厚木ロイヤルパークホテル(現:レンブラントホテル厚木)で両者関係者出席の下、相鉄線の駅から小田急小田原線本厚木駅への乗り入れに関するシンポジウムが開催された。相鉄側では、小田急線のみならず他社線との相互直通(乗り入れ)については利便性向上や沿線価値の向上、新たな輸送需要喚起になるため今後の研究課題としているが、前述の海老名駅における新築計画を見直す必要があることに加え、

  1. 車両や運転保安設備などに互換性がない。
  2. 小田急および他者、特に相鉄と小田急の両方に乗り入れるJR東日本とのダイヤ調整が必要である(過去に行っていた小田急線乗り入れは列車本数増加で廃止になった経緯もある)。
  3. 海老名駅の構造など大規模な設備投資が必要。

などの課題もあり、相鉄の筆頭株主である小田急側は難色を示している。さらに前述の駅改良工事が相鉄側は2009年6月、小田急側は2010年8月にそれぞれ完了しており、当構想の実現は難しい状況にある。

厚木市からしても直通復活は悲願であり、独自に延伸の案も出しているが、こちらも費用が掛かりすぎるため困難な状態となっている[68]

その他

  • いずみ野線湘南台駅 - JR東海道本線平塚駅間の延伸計画もあるが、こちらは前述の相鉄新横浜線が実現した後に取り掛かるとされている。2009年には、相鉄による本延伸計画の免特許期限が切れたが、10年延長されている。また、採算性の問題などから同区間内を大型の鉄道ではなくコストが比較的安価なLRTにより結ぶべきという声もある。2016年4月に公表された国土交通省交通政策審議会の「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について」の答申で、2030年頃までに整備すべき路線として相鉄いずみ野線の延伸(湘南台 - 倉見ツインシティ/約8km)も記載されている(「相鉄いずみ野線#平塚方面への延伸計画」も参照)。
  • 本線の二俣川駅から横浜駅まで地下新線を建設し、複々線化する構想もあったが、乗客数の増加が止まり構想が流れているため、相鉄新横浜線の建設に移行している。

マスコットキャラクター

そうにゃん

そうにゃん
性別 不明
誕生日 3月10日
年齢 不明
出身地 相鉄沿線
職業 当社の広報担当
趣味 カメラ・食べ歩き
特技 新しいものや面白いものを見つけるのが得意
備考 https://www.sounyan.jp/profile
テンプレートを表示

2014年より当社のマスコットキャラクターとして「そうにゃん」が起用されている[69][70]

各種イベントや広報等への登場のほか、特別ラッピング車両そうにゃんトレイン」の運行も行われている[71]。さらに相鉄線の車両では1車両に2本の割合でそうにゃん型のつり革が設置されている。通常のそうにゃん型のつり革はオレンジだが、「そうにゃんトレイン」のつり革は金色となっている。

また、ゆるキャラグランプリの「企業・その他」部門にも毎年エントリーしていた[72]

2018年5月には、初の絵本作品となる『そうにゃんとえきいんさん』(作絵:あんざいみわ)が発売された[73][74]。絵本作品は子供たちを中心に好評で、累計販売数が同社の想定を超えた約7千部となったため、同年11月には続刊となる『そうにゃんとえきちょうさん』も発売された[75]。また2020年4月には、3作目となる『なんじかにゃ?』が発売され、こちらは時計と鉄道の安全を支えるお仕事が学べる内容となっている[76]

その他

かつては「ジャンピングエッグ」という相鉄グループのイメージキャラクターがおり、1990年代のテレビCMや広報誌などに使用されていた[注 24]

提携・相互乗り入れ

ロケーション撮影協力

メディアの撮影を日本で最初に開始した京成電鉄、ドラマの撮影が突出して多い京王電鉄などと同じく、相鉄はロケ撮影協力に積極的なことで知られており[79]、以下の作品が相鉄の関連施設で撮影されている。近年のロケーション実績については「相鉄グループのロケーションガイド 受注実績」も参照。

なお、相鉄沿線が舞台の漫画アニメ作品(未実写化作品)などは後節「関連するその他の作品」を参照。

映画

テレビドラマ

バラエティ番組

  • ジャンクCUP 2010』 - 2010年12月28日にフジテレビで放送された『スーパーアスリートが夢の対決! ジャンクCUP 2010』の「トレインバランス」(アスリートが電車内でバランス感覚を競う)のコーナーのために、西谷駅から海老名駅まで貸し切りの特別列車が運行された。

その他のテレビ番組

CM

PV

関連するその他の作品

ロケーション撮影が行われた作品については、前節「ロケーション撮影協力」を参照。本節ではそれ以外の相鉄線に関連するものや場所等が登場する作品を挙げる。

脚注

注釈

  1. ^ 2009年9月16日に、旧相模鉄道株式会社(現:相鉄ホールディングス株式会社)の会社分割に伴い事業を承継し、商号を相鉄準備会社株式会社から現商号に変更。
  2. ^ 横浜地下街ザ・ダイヤモンドで同名のきしめん店を経営していたが、2006年に事業をグループ外企業に譲渡し(店舗自体も2014年1月いったん閉店し、相鉄ジョイナスに移動して2014年11月に出店)、それ以来休眠状態になっていた。
  3. ^ 2004年に帝都高速度交通営団の民営化で発足した東京地下鉄が大手私鉄となり現在は計16社となった。
  4. ^ 相鉄が大手に入る前は、1974年以降は阪神電気鉄道が最短であり、それ以前は京王電鉄(当時の京王帝都電鉄)が最短だった。
  5. ^ 2008年3月15日小田急ロマンスカー東京メトロに乗り入れを開始して以降。
  6. ^ 相互ではなく片乗り入れなら、歴史節の通り、1964年まで小田急小田原線に乗り入れていたことがある。
  7. ^ 同日より大手私鉄で他社線との直通運転を行っていない事業者は西日本鉄道(西鉄)のみとなった。
  8. ^ 同時に会社略称の「相鉄」、英文略称の「STK」も制定されている。
  9. ^ 大東急時代の名残で、東急資本でありながら「相鉄運輸」と称する企業が近年まであったが、2002年(平成14年)に東急運輸を合併して東急ロジスティックとなり、2006年(平成18年)にはティーエルロジコムへ、2013年(平成25年)にはSBSロジコムへと社名変更している。
  10. ^ 東急が直接買収を行わなかった理由として、首謀者とされる東急の五島慶太公職追放がまだ解かれていないことから表立って活動できなかったこと、小田急電鉄社長 安藤楢六大東急時代に五島の部下であったこと、当時の相模鉄道副社長 鳥居菊造(のちの相模鉄道10代目社長)は鉄道院出身の官僚であり、五島は鉄道院時代の先輩で、五島には逆らえなかったことなどが考えられている。
  11. ^ 川又は帝都電鉄の役員だった頃、東急の五島慶太とは犬猿の仲であり、これが原因で川又は相模鉄道に左遷されたという経緯がある。また穴水(のちの相模鉄道11代目社長)は、父親が京王電鉄の社長穴水熊雄であるため、東急に執着はなかった。そのため五島に対する敵対心があった。
  12. ^ 資本金を資本金6,000万円から1億2,000万円に倍増。
  13. ^ 合併を含む提携強化を図る、小田急が所有する株数は発行済み株式の16%、小田急出身の役員を2人受け入れの3つが定められた。ただし合併を含む提携強化については、実際には行われなかった。
  14. ^ AF併用永久磁石連続速度照査形。詳細は「自動列車停止装置#AF軌道回路方式(連続照査型)」を参照。
  15. ^ 厚木線は基本的に旅客列車の設定がなく、旅客利用ができないため、地図には「貨物線」と記載されることが多い。
  16. ^ 同社のデモンストレーションとしての意味合いが大きい。類似例では全線開通に際して資金面などの協力を受けた新京成電鉄と三菱電機、阪急電鉄東芝京阪電気鉄道と東洋電機製造との関係や、車両メーカー主導による交通システム実用化路線である東京モノレール(日立製作所)・湘南モノレール三菱重工業・三菱電機)などの例がある。
  17. ^ ただし南万騎が原付近の東海道新幹線との交点だけ11000系導入まで若干車両限界が狭かった。該当箇所に脱線防止ガードがあったのはそのため。
  18. ^ 関東地方の大手私鉄では1988年に京浜急行電鉄が冷房化率100%を達成している。当時相鉄は大手私鉄ではなかった。
  19. ^ 4つドアの車両でボックスシートだけの設置なら近鉄2600系電車などに先例がある。
  20. ^ 相鉄のほかにチョッパ制御を採用しなかった大手私鉄は京阪電気鉄道西日本鉄道がある(ただし、京阪は界磁位相制御界磁添加励磁制御の採用実績があり、一方の西鉄は平成に入っても抵抗制御車の導入を続け、相鉄よりもVVVFインバータ制御の導入がかなり遅く、1994年からの導入であったため、大手私鉄全体でも1995年採用開始の阪神電気鉄道の次に遅かった)。
  21. ^ 故に、"F" の編成表記を注釈もなく用いることは誤りである。
  22. ^ 主な例として甲種輸送の時の703×9(703,704+701,702+新系列の車両)や休車中の7707×6(実際には新7000系の車両が連結されていた)など。
  23. ^ 将来乗り入れる計画のある東急目黒線・都営地下鉄三田線・東京メトロ南北線では実施している。
  24. ^ 1990年代後期の相模鉄道公式サイト「Sotetsu Online」1998年5月時点のウェイバックマシンによるウェブアーカイブにも「ジャンピングエッグ」(「そうてつグループ」表記の左で跳ねているキャラクター)の姿が見られる。

出典

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参考文献

関連項目

外部リンク