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「陸軍大将」の版間の差分

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2020年7月22日 (水) 04:46時点における版

陸軍大将(りくぐんたいしょう/英:General・仏:Général d'Armée)は陸軍将官階級。通常陸軍中将の上に位置するが、上位の階級は国や時代により、異なる。

陸上自衛隊旧軍と同一の階級呼称は用いていないが、旧軍の中将にあたる陸将が階級としては最上位で、陸軍大将にあたる階級はない。しかし、陸将たる者が統合幕僚長または陸上幕僚長に就任している間は諸外国の大将と同じ地位にあるものとして4つ桜(星にあたる)の階級章を用いる。

英語呼称の“General”は、陸軍元帥から陸軍准将までの陸軍の将官(General officer)への敬称としても用いられる。このような場合の“General”の和訳語としては、将軍が用いられる。他の将官の階級と区別したい場合はFull Generalと表現する。

ドイツ軍の“General”は、日本では「大将」と訳されているが、ナチス・ドイツ時代までのドイツ陸軍や空軍では〝General”の上に“Generaloberst”(日:上級大将・英:Colonel General)があり、英米では“Generaloberst(独)”を“General(英)”と扱っている[1]。なお蛇足ながら、海軍上級大将は‶Generaladmiral(独)”と呼称する。

大日本帝国陸軍の大将

陸軍大将肩章(- 1938年)
陸軍大将襟章(1938年 - 1945年)

戦前日本陸軍では陸軍大将は官吏区分の最上級である親任官に位置し、内閣総理大臣枢密院議長と同じ格付けであった。

中将から大将への進級は法的には「陸軍武官進級令」に依り、同令第10条には「中将ヲ大将ニ進級セシムルニハ歴戦者又ハ枢要ナル軍務ノ経歴ヲ有スル者ニシテ功績特ニ顕著ナル者ノ中ヨリ特旨ヲ以テ親任スルモノトス」とある。初期の武官進級令では条件が歴戦者で功績顕著な者であったが、日露戦争以後これといって戦時がなかったため1906年(明治39年)、「枢要ナル軍務ノ経歴」が加えられた。

ここでいう枢要なる軍務とは陸軍三長官である陸軍大臣参謀総長教育総監の他、航空総監陸軍次官参謀次長築城本部長技術本部長等の本部長職・軍司令官師団長警備司令官造兵廠長官を指す。

次の階級へ進級する目安となる実役停年は内規によって6年(令では4年)で、これを満たした中将の内先任順に審議を以って天皇に奏上する。尤もこの内規の6年は1941年(昭和16年)11月に5年に短縮されることとなる。これは東條英機中将の首相就任に伴い、年数の満たない東條を進級させるための特例である。従前の規定では篠塚義男中将が先に大将進級の議にかけられるはずであったが東條に先を越され、篠塚は大将に進級することはなかった。

大将のいわゆる定年(実役定限年齢)は65歳と定められており、65歳までに終身現役である元帥に列せられなければ予備役に編入される。太平洋戦争大東亜戦争)末期の1944年(昭和19年)に内閣総理大臣に就任した小磯國昭は、1938年(昭和13年)に予備役となっており、以後拓務大臣朝鮮総督を務めていたものの大戦の戦況が全くわからない状態だった。首相就任後に戦争の概略を知らされたものの、以後の戦況を把握するために設置した最高戦争指導会議は殆ど機能せず、小磯は大本営のメンバーにもなれなかったため首相在任中に天皇の御前で今後の作戦について下問されても答えることができなかった。

対米開戦以後は中将の戦死者が続出したことから、武功顕著で親補職を2年以上経験した者の中から陸海軍の協議により大将へ進級させる内規ができた。この内規によって7名の中将が進級した。栗林忠道はこの年限が足りないものの、特旨によって進級した。

陸軍では兵科のみ大将があり、主計・軍医などの各部将校相当官(陸軍に於いては1937年(昭和12年)2月以降より各部将校とされる)は、海軍と同じく中将までとされ大将がなかった。

大日本帝国軍陸軍大将一覧

大日本帝国陸軍では、陸軍中将への進級者が1200名を超えるのに対し、陸軍大将に任官した者は僅か134名だった。このうち17名が元帥府に叙された。阿部信行は金鵄勲章を持たない。[2]

姓名 図片 昇任時期 出生地 最終職位
西郷隆盛 1873年(明治6年)5月10日 鹿児島
有栖川宮熾仁親王 1877年(明治10年)10月10日 皇族
山縣有朋 1890年(明治23年)6月7日 山口
小松宮彰仁親王 1890年(明治23年)6月7日 皇族
大山厳 1891年(明治24年)5月17日 鹿児島 内大臣
野津道貫 1895年(明治28年)3月18日 鹿児島
北白川宮能久親王 1895年(明治28年)12月8日 皇族
佐久間左馬太 1898年(明治31年)9月28日 山口 台湾総督
川上操六 1898年(明治31年)9月28日 鹿児島
桂太郎 1898年(明治31年)9月28日 山口 内閣総理大臣
黒木為楨 1903年(明治36年)11月3日 鹿児島
奥保鞏 1903年(明治36年)11月3日 福岡 議定官
山口素臣 1904年(明治37年)3月17日 山口
岡沢精 1904年(明治37年)6月6日 山口 議定官
長谷川好道 1904年(明治37年)6月6日 山口 朝鮮総督
西寛二郎 1904年(明治37年)6月6日 鹿児島 軍事参議官
児玉源太郎 1904年(明治37年)6月6日 山口 参謀総長
乃木希典 1904年(明治37年)6月6日 山口 軍事参議官
伏見宮貞愛親王 1904年(明治37年)6月28日 皇族
小川又次 1905年(明治38年)1月15日 福岡 第4師団長
川村景明 1905年(明治38年)1月15日 鹿児島 議定官
大島義昌 1905年(明治38年)10月18日 山口 軍事参議官
大島久直 1906年(明治39年)5月29日 秋田 軍事参議官
大迫尚敏 1906年(明治39年)5月29日 鹿児島 第7師団長
立見尚文 1906年(明治39年)5月29日 三重 第8師団長
寺内正毅 1906年(明治39年)11月21日 山口 内閣総理大臣
井上光 1908年(明治41年)8月7日 山口 第4師団長
大久保春野 1908年(明治41年)8月7日 静岡
土屋光春 1910年(明治43年)8月26日 愛知 第4師団長
鮫島重雄 1911年(明治44年)9月6日 鹿児島
上田有澤 1912年(明治45年)2月14日 徳島
浅田信興 1912年(大正元年)8月10日 埼玉 軍事参議官
閑院宮載仁親王 1912年(大正元年)11月27日 皇族 議定官
福島安正 1914年(大正3年)9月15日 長野
安東貞美 1915年(大正4年)1月25日 長野 台湾総督
中村覚 1915年(大正4年)1月25日 滋賀
上原勇作 1915年(大正4年)2月15日 宮崎 議定官
一戸兵衛 1915年(大正4年)8月10日 青森 学習院長
内山小二郎 1915年(大正4年)8月10日 鳥取
大迫尚道 1915年(大正4年)8月10日 鹿児島 軍事参議官
神尾光臣 1916年(大正5年)6月24日 長野
井口省吾 1916年(大正5年)11月16日 静岡
大谷喜久蔵 1916年(大正5年)11月16日 福井 教育総監
秋山好古 1916年(大正5年)11月16日 愛媛 教育総監
松川敏胤 1918年(大正7年)7月2日 宮城 軍事参議官
仁田原重行 1918年(大正7年)7月2日 福岡 軍事参議官
本郷房太郎 1918年(大正7年)7月2日 兵庫
明石元二郎 1918年(大正7年)7月2日 福岡 台湾総督兼軍司令官
柴五郎 1919年(大正8年)8月26日 福島
島川文八郎 1919年(大正8年)11月25日 三重 技術本部長
宇都宮太郎 1919年(大正8年)11月25日 佐賀
大井成元 1919年(大正8年)11月25日 山口 軍事参議官
由比光衛 1919年(大正8年)11月25日 高知 軍事参議官
立花小一郎 1920年(大正9年)8月16日 福岡
大庭二郎 1920年(大正9年)12月28日 山口 教育総監
河合操 1921年(大正10年)4月9日 大分 参謀総長
田中義一 1921年(大正10年)6月7日 山口 軍事参議官
福田雅太郎 1921年(大正10年)12月19日 長崎
山梨半造 1921年(大正10年)12月19日 神奈川 軍事参議官
尾野実信 1922年(大正11年)5月10日 福岡 軍事参議官
町田経宇 1922年(大正11年)5月10日 鹿児島
久邇宮邦彦王 1923年(大正12年)8月6日 皇族
梨本宮守正王 1923年(大正12年)8月6日 皇族
菊池慎之助 1923年(大正12年)8月6日 茨城 教育総監
田中弘太郎 1924年(大正13年)8月20日 京都 技術本部長
鈴木荘六 1924年(大正13年)8月20日 新潟 参謀総長兼議定官
奈良武次 1924年(大正13年)8月20日 栃木
白川義則 1925年(大正14年)3月28日 愛媛 上海派遣軍司令官
宇垣一成 1925年(大正14年)8月1日 岡山 軍事参議官
菅野尚一 1925年(大正14年)8月1日 山口 軍事参議官
森岡守成 1926年(大正15年)3月2日 山口 軍事参議官
武藤信義 1926年(大正15年)3月2日 佐賀 関東軍司令官
井上幾太郎 1927年(昭和2年)2月16日 山口 軍事参議官
鈴木孝雄 1927年(昭和2年)7月26日 千葉 軍事参議官
磯村年 1928年(昭和3年)8月10日 滋賀 東京警備司令官
金谷範三 1928年(昭和3年)8月10日 大分
田中国重 1928年(昭和3年)8月10日 鹿児島
菱刈隆 1929年(昭和4年)8月1日 鹿児島
岸本鹿太郎 1929年(昭和4年)8月1日 岡山 東京警備司令官
吉田豊彦 1930年(昭和5年)3月7日 鹿児島 技術本部長
南次郎 1930年(昭和5年)3月7日 大分 参謀本部附
畑英太郎 1930年(昭和5年)5月1日 福島 関東軍司令官
渡辺錠太郎 1931年(昭和6年)8月1日 愛知 教育総監
緒方勝一 1931年(昭和6年)8月1日 佐賀 技術本部長
林銑十郎 1932年(昭和7年)4月11日 石川
真崎甚三郎 1933年(昭和8年)6月19日 佐賀
本庄繁 1933年(昭和8年)6月19日 兵庫
阿部信行 1933年(昭和8年)6月19日 石川 軍事参議官
荒木貞夫 1933年(昭和8年)10月20日 東京
松井石根 1933年(昭和8年)10月20日 愛知
松木直亮 1933年(昭和8年)12月20日 山口 参謀本部附
川島義之 1934年(昭和9年)3月5日 愛媛 陸軍大臣
林仙之 1934年(昭和9年)3月5日 熊本 東京警備司令官
西義一 1934年(昭和9年)11月28日 福島 教育総監
植田謙吉 1934年(昭和9年)11月28日 大阪 参謀本部附
寺内壽一 1935年(昭和10年)10月30日 山口 南方軍司令官
岸本綾夫 1936年(昭和11年)8月1日 岡山 技術本部長
杉山元 1936年(昭和11年)11月2日 福岡 第1総軍司令官
畑俊六 1937年(昭和12年)11月1日 福島 第2総軍司令官
小磯国昭 1937年(昭和12年)11月1日 山形 朝鮮軍司令官
中村孝太郎 1938年(昭和13年)6月30日 石川 東部軍司令官
古荘幹郎 1939年(昭和14年)5月19日 熊本 軍事参議官
朝香宮鳩彦王 1939年(昭和14年)8月1日 皇族 軍事参議官
東久邇宮稔彦王 1939年(昭和14年)8月1日 皇族 内閣総理大臣
西尾壽造 1939年(昭和14年)8月1日 鳥取 軍事参議官
梅津美治郎 1940年(昭和15年)8月1日 大分 軍事参議官
山田乙三 1940年(昭和15年)8月1日 長野 関東軍総司令官
蓮沼蕃 ファイル:Shigeru Hasunuma.jpg 1940年(昭和15年)12月2日 石川
岡村寧次 1941年(昭和16年)4月28日 東京 支那派遣軍総司令官
土肥原賢二 1941年(昭和16年)4月28日 岡山 軍事参議官
多田駿 1941年(昭和16年)7月7日 宮城 軍事参議官
板垣征四郎 1941年(昭和16年)7月7日 岩手 第7方面軍司令官
東條英機 1941年(昭和16年)10月18日 岩手 内閣総理大臣
後宮淳 1942年(昭和17年)8月17日 京都 第3方面軍司令官
前田利為 1942年(昭和17年)9月5日 石川
塚田攻 1942年(昭和17年)12月18日 茨城 第11軍司令官
山下奉文 1943年(昭和18年)2月10日 高知 第14方面軍司令官
岡部直三郎 1943年(昭和18年)2月10日 広島 第6方面軍司令官
藤江恵輔 1943年(昭和18年)2月10日 兵庫 第12方面軍司令官
阿南惟幾 1943年(昭和18年)5月1日 大分 陸軍大臣
今村均 1943年(昭和18年)5月1日 宮城 第8方面軍司令官
田中静壱 1943年(昭和18年)9月7日 兵庫 第12方面軍司令官
冨永信政 1943年(昭和18年)11月9日 東京 参謀本部附
安藤利吉 1944年(昭和19年)1月7日 宮城 第10方面軍司令官
山脇正隆 1944年(昭和19年)9月22日 高知 参謀本部附
小畑英良 1944年(昭和19年)9月30日 大阪 第31軍司令官
河辺正三 1945年(昭和20年)3月9日 富山 第1復員司令官
喜多誠一 1945年(昭和20年)3月9日 滋賀 第1方面軍司令官
栗林忠道 1945年(昭和20年)3月17日 長野 第109師団長
下村定 1945年(昭和20年)5月7日 高知 陸軍大臣兼教育総監
吉本貞一 1945年(昭和20年)5月7日 徳島 第1総軍附
木村兵太郎 1945年(昭和20年)5月7日 東京
鈴木宗作 1945年(昭和20年)6月14日 愛知 第35軍司令官
牛島満 1945年(昭和20年)6月23日 鹿児島 第32軍司令官

脚注

  1. ^ 例:Davis p 219
  2. ^ 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。

参考資料

Brian L Davis; Pierre Turner (1986). German uniforms of the Third Reich : 1933 - 1945 : in colour. Poole u.a.: Blandford Pr.. ISBN 978-0-7137-1927-7 

関連項目