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「1982年のヤクルトスワローズ」の版間の差分

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== 概要 ==
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キャンプインを前に[[チャーリー・マニエル]]の自由契約が発表され、[[ジョン・スコット (野球)|ジョン・スコット]]も怪我で退団したチームは外国人選手を一新してシーズンに臨んだが、外野手の[[ラリー・ハーロー]]は[[読売ジャイアンツ|巨人]]との開幕戦で拙守を連発し、打撃不振もあり7月に解雇。もう1人の[[デビッド・デントン]]は開幕を2軍で迎え、5月になってようやく1軍昇格という体たらくで、チーム打率がリーグ最下位、チーム防御率も5位のチームは5月上旬に8連敗で最下位に転落。7月と8月にそれぞれ4連勝するなど若干持ち直したが、最終的に3年ぶりの最下位で優勝の[[中日ドラゴンズ|中日]]に23.5ゲーム差を、5位の[[横浜DeNAベイスターズ|大洋]]に9ゲーム差をそれぞれ付けられシーズンを終えた。投手陣はエース[[尾花高夫]]が12勝をあげたが、打線の援護なく2桁敗戦を喫し大エース[[松岡弘]]も防御率3点台ながら9勝13敗と負け越し、[[梶間健一]]・[[立野政治]]も2桁敗戦を喫するなど打線の援護不足に泣いた。マニエル・スコットが相次いで退団した打撃陣は7月から[[ダン・ブリッグス]]が加入したものの、[[大杉勝男]]や[[大矢明彦]]など[[1978年]]のV1戦士が衰え始め、世代交代の足音が聞こえ始めた。
キャンプインを前に[[チャーリー・マニエル]]の自由契約が発表され、[[ジョン・スコット (野球)|ジョン・スコット]]も怪我で退団したチームは外国人選手を一新してシーズンに臨んだが、外野手の[[ラリー・ハーロー]]は[[読売ジャイアンツ|巨人]]との開幕戦で拙守を連発し、打撃不振もあり7月に解雇。もう1人の[[デビッド・デントン]]は開幕を2軍で迎え、5月になってようやく1軍昇格という体たらくで、チーム打率がリーグ最下位、チーム防御率も5位のチームは5月上旬に8連敗で最下位に転落。7月と8月にそれぞれ4連勝するなど若干持ち直したが、最終的に3年ぶりの最下位で優勝の[[中日ドラゴンズ|中日]]に23.5ゲーム差を、5位の[[横浜DeNAベイスターズ|大洋]]に9ゲーム差をそれぞれ付けられシーズンを終えた。投手陣はエース[[尾花髙夫|尾花高夫]]が12勝をあげたが、打線の援護なく2桁敗戦を喫し大エース[[松岡弘]]も防御率3点台ながら9勝13敗と負け越し、[[梶間健一]]・[[立野政治]]も2桁敗戦を喫するなど打線の援護不足に泣いた。マニエル・スコットが相次いで退団した打撃陣は7月から[[ダン・ブリッグス]]が加入したものの、[[大杉勝男]]や[[大矢明彦]]など[[1978年]]のV1戦士が衰え始め、世代交代の足音が聞こえ始めた。


== チーム成績 ==
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*25 [[鈴木正幸 (野球)|鈴木正幸]]
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*26 [[井原慎一朗]]
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*32 [[尾花高夫]]
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*33 [[鳥原公二]]
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*34 [[黒坂幸夫]]
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2020年12月23日 (水) 05:14時点における版

1982年のヤクルトスワローズ
成績
セントラル・リーグ6位
45勝75敗10分 勝率.375[1]
本拠地
都市 東京都新宿区
明治神宮野球場
球団組織
オーナー 松園尚巳
経営母体 ヤクルト本社
監督 武上四郎
« 1981
1983 »

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1982年のヤクルトスワローズ(1982ねんのヤクルトスワローズ)では、1982年のヤクルトスワローズの動向をまとめる。

この年のヤクルトスワローズは、武上四郎監督の3年目のシーズンである。

概要

キャンプインを前にチャーリー・マニエルの自由契約が発表され、ジョン・スコットも怪我で退団したチームは外国人選手を一新してシーズンに臨んだが、外野手のラリー・ハーロー巨人との開幕戦で拙守を連発し、打撃不振もあり7月に解雇。もう1人のデビッド・デントンは開幕を2軍で迎え、5月になってようやく1軍昇格という体たらくで、チーム打率がリーグ最下位、チーム防御率も5位のチームは5月上旬に8連敗で最下位に転落。7月と8月にそれぞれ4連勝するなど若干持ち直したが、最終的に3年ぶりの最下位で優勝の中日に23.5ゲーム差を、5位の大洋に9ゲーム差をそれぞれ付けられシーズンを終えた。投手陣はエース尾花高夫が12勝をあげたが、打線の援護なく2桁敗戦を喫し大エース松岡弘も防御率3点台ながら9勝13敗と負け越し、梶間健一立野政治も2桁敗戦を喫するなど打線の援護不足に泣いた。マニエル・スコットが相次いで退団した打撃陣は7月からダン・ブリッグスが加入したものの、大杉勝男大矢明彦など1978年のV1戦士が衰え始め、世代交代の足音が聞こえ始めた。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 渋井敬一
2 角富士夫
3 若松勉
4 大杉勝男
5 杉浦享
6 ハーロー
7 渡辺進
8 大矢明彦
9 鈴木康二朗
1982年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 広島 -- 巨人 -- 巨人 -- 中日 --
2位 大洋 2.5 中日 1.0 巨人 1.0 中日 1.0 中日 4.0 巨人 0.5
3位 中日 3.0 広島 1.0 中日 3.0 広島 2.0 阪神 8.0 阪神 4.5
4位 広島 大洋 3.0 大洋 4.0 大洋 6.5 広島 11.0 広島 8.0
5位 ヤクルト 5.5 ヤクルト 7.0 阪神 4.5 阪神 7.5 大洋 13.5 大洋 14.5
6位 阪神 7.0 阪神 12.0 ヤクルト 17.5 ヤクルト 19.0 ヤクルト 23.5 ヤクルト 23.5


1982年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 中日ドラゴンズ 64 47 19 .577 優勝
2位 読売ジャイアンツ 66 50 14 .569 0.5
3位 阪神タイガース 65 57 8 .533 4.5
4位 広島東洋カープ 59 58 13 .504 8.0
5位 横浜大洋ホエールズ 53 65 12 .449 14.5
6位 ヤクルトスワローズ 45 75 10 .375 23.5

オールスターゲーム1982

  • ファン投票
選出なし
  • 監督推薦
尾花高夫
杉浦享

選手・スタッフ

[2]

表彰選手

リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選出なし
ダイヤモンドグラブ賞
選出なし

ドラフト

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 荒木大輔 投手 早稲田実業高 入団
2位 新谷博 投手 佐賀商業高 拒否・駒澤大学進学
3位 阿井英二郎 投手 東京農業大学第二高 入団
4位 広瀬哲朗 内野手 駒澤大学 拒否・本田技研入社
5位 上地和彦 内野手 二松學舍大学附属高 入団
6位 西沢浩一 投手 武蔵村山高 入団

出典

  1. ^ 年度別成績 1982年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2016年11月23日閲覧。
  2. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7