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「田名部匡省」の版間の差分

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== 来歴・人物 ==
== 来歴・人物 ==
[[青森県]][[八戸市]]出身。次女は[[国民民主党_(日本_2018-)|国民民主党]]参議院議員の[[田名部匡代]]。元[[アイスホッケー日本代表]][[監督]]。[[北京オリンピックを支援する議員の会]]の副会長を務める。
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[[自由民主党 (日本)|自民党]]出身で、1993年の自民党離党後に[[細川護熙]]・[[羽田孜]][[政権]]に参加、[[鳩山由紀夫]]政権までの間、自民党との[[連立政権]](自社さ・自自公等)に参加することなく、一貫して[[選挙]]による[[政権交代]]を目指した[[国会議員]]の一人である。
[[自由民主党 (日本)|自民党]]出身で、1993年の自民党離党後に[[細川護熙]]・[[羽田孜]][[政権]]に参加、[[鳩山由紀夫]]政権までの間、自民党との[[連立政権]](自社さ・自自公等)に参加することなく、一貫して[[選挙]]による[[政権交代]]を目指した[[国会議員]]の一人である。

2020年12月25日 (金) 08:46時点における版

田名部 匡省
たなぶ まさみ
生年月日 (1934-12-07) 1934年12月7日(89歳)
出生地 日本の旗 日本 青森県八戸市
出身校 立教大学経済学部
前職 岩倉組社員
アイスホッケー日本代表選手・監督
西武鉄道アイスホッケー部監督
田名部組代表取締役社長
所属政党無所属→)
自由民主党→)
(無所属→)
新生党→)
新進党→)
無所属の会→)
民主党
称号 経営学士(立教大学)
旭日大綬章(2010年)
永年在職議員(両院通算)
親族 次女・田名部匡代

内閣 宮澤内閣
宮澤改造内閣
在任期間 1991年11月5日 - 1993年8月4日

選挙区 青森県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1998年7月26日 - 2010年7月25日

選挙区 旧青森1区
当選回数 6回
在任期間 1979年10月8日 - 1996年9月27日

選挙区 八戸市選挙区
当選回数 2回
在任期間 1967年4月23日 - 1975年4月22日
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田名部 匡省(たなぶ まさみ、1934年(昭和9年)12月7日 - )は、日本の元アイスホッケー選手、政治家

1960年スコーバレーオリンピック1964年インスブルックオリンピック日本代表。参議院議員(2期)、衆議院議員(6期)、農林水産大臣(第17代)などを歴任した[1]

来歴・人物

青森県八戸市出身。次女は国民民主党参議院議員の田名部匡代。元アイスホッケー日本代表監督北京オリンピックを支援する議員の会の副会長を務める。

自民党出身で、1993年の自民党離党後に細川護熙羽田孜政権に参加、鳩山由紀夫政権までの間、自民党との連立政権(自社さ・自自公等)に参加することなく、一貫して選挙による政権交代を目指した国会議員の一人である。

地元八戸市では、大島理森との通称「八戸戦争」により、市を二分している状況であることで知られる。

2010年第22回参議院議員通常選挙に出馬せず、政界引退を表明した。民主党からは元アナウンサーの波多野里奈が田名部の後継で出馬したが、自民党公認の山崎力に敗れ、民主党は青森県選挙区の改選議席を失った。

学歴

職歴

  • 株式会社田名部組代表取締役

政歴

エピソード

脚注

  1. ^ [1] アーカイブ 2018年2月13日 - ウェイバックマシン元ホッケー代表・田名部匡省氏(83) 五輪女子代表を激励
  2. ^ JOC - オリンピック歴代日本代表選手全記録[リンク切れ]
  3. ^ Sports-reference.com profile:Masami Tanabu

関連項目

外部リンク

議会
先代
輿石東
日本の旗 参議院国土交通委員長
2004年 - 2005年
次代
羽田雄一郎
先代
島村宜伸
日本の旗 衆議院運輸委員長
1990年 - 1991年
次代
亀井善之
先代
畑英次郎
日本の旗 衆議院逓信委員長
1989年
次代
上草義輝
公職
先代
近藤元次
日本の旗 農林水産大臣
1991年 - 1993年
次代
宮澤喜一