コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「高橋昌也 (俳優)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 「原始島」等の改名に伴うリンク修正依頼 (人間の壁) - log
187行目: 187行目:
* 市川馬五郎一座顛末記 浮草日記(1955年、独立映画)
* 市川馬五郎一座顛末記 浮草日記(1955年、独立映画)
* 不良女学生(1957年、[[東映]])
* 不良女学生(1957年、[[東映]])
* [[人間の壁 (映画)|人間の壁]](1959年、[[新東宝]])
* [[人間の壁]](1959年、[[新東宝]])
* [[名もなく貧しく美しく]](1961年、[[東宝]])
* [[名もなく貧しく美しく]](1961年、[[東宝]])
* 青年の椅子(1962年、[[日活]])
* 青年の椅子(1962年、[[日活]])

2021年3月28日 (日) 21:47時点における版

たかはし まさや
高橋 昌也
生年月日 (1930-03-16) 1930年3月16日
没年月日 (2014-01-16) 2014年1月16日(83歳没)
出生地 日本の旗 日本東京市牛込区
(現・東京都新宿区[1]
死没地 日本の旗 日本山梨県
職業 俳優演出家
ジャンル テレビドラマ映画舞台
活動期間 1954年 - 2014年
配偶者 加藤治子1958年 - 1973年
藤井八千代(1974年 - 1999年
一般女性(1999年 - 2014年
主な作品
テレビドラマ
赤い絆
不良少女とよばれて
年下の男
受賞
第14回日本映画批評家大賞助演男優賞
透光の樹』(2004年
テンプレートを表示

高橋 昌也(たかはし まさや、1930年3月16日 - 2014年1月16日)は、日本俳優演出家東京府出身。東京都立第四中学校卒業。

来歴・人物

俳優座養成所卒業後、1954年に劇団新人会設立に参加。

1956年劇団四季に参加。

1961年から文学座へ入団するが、1963年芥川比呂志高木均岸田今日子らと脱退し劇団雲結成に参加(杉村春子からは「昌也が出て行くのだけは惜しい」と悔しがられた)。

1975年、劇団の分裂により、演劇集団 円に参加。主に演出家として別役実作品を一手に手掛けた。

1987年、円を退団して銀座セゾン劇場の芸術総監督に就任、1999年の閉館まで務めた。

1993年、末期の食道癌と診断され食道を全摘出する手術を受けたが回復。

1996年からは銀座セゾン劇場(後のル テアトル銀座 by PARCO)での黒柳徹子主演舞台・海外コメディシリーズの演出を飯沢匡に代わり手掛けた。俳優業は総監督就任に伴い休業していたが2000年以降再開した。

2014年1月16日呼吸不全により死去。83歳没[2]

テレビドラマでは一連の大映ドラマに常連出演していた。

上記のように、黒柳の舞台演出を手掛けたりし、足掛け60年近くの親交があったという。

結婚

  • 1958年に女優の加藤治子と結婚するも1973年に離婚。
  • 1974年に当時、赤坂及び軽井沢で著名だった鶏料理店「若松」のオーナー兼女将の藤井八千代と再婚、翌年45歳にして長女を授かるも1999年に離婚。
  • 同年には38歳年下の女性と再々婚した。

出演作品

テレビドラマ

映画

舞台

  • 文学座公演『女の一生』(出演)
  • 劇団雲公演『榎本武揚』(出演・榎本武揚役)
  • 円公演『壊れた風景』(演出)
  • パルコ『マレーネ』(演出)
  • バルコ『33の変奏曲』(演出)

吹き替え

俳優

洋画・海外ドラマ

劇場アニメ

バラエティー番組

関連人物

脚注

外部リンク