「丹陽郡 (江蘇省)」の版間の差分

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[[秦]]のとき'''故鄣郡'''が立てられた。
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[[後漢]]のとき、丹陽郡は宛陵・溧陽・丹陽・故鄣・於潜・涇・歙・黝・陵陽・蕪湖・秣陵・湖熟・句容・江乗・春穀・石城の16県を管轄した<ref>『[[後漢書]]』郡国志四</ref>。
[[後漢]]のとき、丹陽郡は宛陵・溧陽・丹陽・故鄣・於潜・涇・歙・黝・陵陽・蕪湖・秣陵・湖熟・句容・江乗・春穀・石城の16県を管轄した<ref>『[[後漢書]]』郡国志四</ref>。

2021年7月3日 (土) 01:37時点における版

丹陽郡(たんよう-ぐん)は、中国にかつて存在した丹楊郡とも書かれる。漢代から唐代にかけて、現在の江蘇省長江以南に設置された。

概要

のとき故鄣郡が立てられた。

紀元前109年元封2年)、故鄣郡が丹陽郡と改められた。前漢の丹陽郡は揚州に属し、宛陵於潜江乗春穀秣陵故鄣句容丹陽石城胡孰陵陽蕪湖溧陽宣城の17県を管轄した。

後漢のとき、丹陽郡は宛陵・溧陽・丹陽・故鄣・於潜・涇・歙・黝・陵陽・蕪湖・秣陵・湖熟・句容・江乗・春穀・石城の16県を管轄した[1]

西晋のとき、丹陽郡は建業江寧・丹楊・于湖・蕪湖・永世・溧陽・江乗・句容・湖熟・秣陵の11県を管轄した[2]

318年大興元年)、東晋が建てられ、建康に都が置かれたことから、丹陽郡は丹陽尹と改められた。

南朝宋のとき、丹陽尹は建康・秣陵・丹楊・江寧・永世・溧陽・湖熟・句容の8県を管轄した[3]

南朝斉のとき、丹陽尹は建康・秣陵・丹陽・溧陽・永世・湖熟・江寧・句容の8県を管轄した[4]

589年開皇9年)、南朝陳を滅ぼすと、丹陽尹は廃止されて、蔣州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、蔣州は丹陽郡と改称された。丹陽郡は江寧・当塗・溧水の3県を管轄した[5]

620年武徳3年)、唐が杜伏威を屈服させると、丹徒県潤州を置いた。742年天宝元年)、潤州は丹陽郡と改称された。758年乾元元年)、丹陽郡は潤州と改称され、丹陽郡の呼称は姿を消した[6]

脚注

  1. ^ 後漢書』郡国志四
  2. ^ 晋書』地理志下
  3. ^ 宋書』州郡志一
  4. ^ 南斉書』州郡志上
  5. ^ 隋書』地理志下
  6. ^ 旧唐書』地理志三