「ペイシストラトス (ギリシア神話)」の版間の差分
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'''ペイシストラトス'''({{lang-grc-short|'''Πεισίστρατος'''}}, {{ラテン翻字|el|Peisistratos}}, {{lang-la|Pisistratus}})は、[[ギリシア神話]]の人物である。[[ピュロス (ギリシャ)|ピュロス]]の王[[ネストール]]の子で、[[ペルセウス]]、ストラティコス、アレートス、エケプローン、[[アンティロコス]]、[[トラシュメーデース]]、[[ペイシディケー]]、ポリュカステーと兄弟<ref>アポロドーロス1巻9・9。</ref><ref>『オデュッセイア』3巻。</ref>。同名の子ペイシストラトスの父<ref>[[パウサニアス]]、2巻18・8。</ref>。 |
'''ペイシストラトス'''({{lang-grc-short|'''Πεισίστρατος'''}}, {{ラテン翻字|el|Peisistratos}}, {{lang-la|Pisistratus}})は、[[ギリシア神話]]の人物である。[[ピュロス (ギリシャ)|ピュロス]]の王[[ネストール]]の子で、[[ペルセウス]]、ストラティコス、アレートス、エケプローン、[[アンティロコス]]、[[トラシュメーデース]]、[[ペイシディケー]]、ポリュカステーと兄弟<ref>アポロドーロス1巻9・9。</ref><ref>『オデュッセイア』3巻。</ref>。同名の子ペイシストラトスの父<ref>[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]、2巻18・8。</ref>。 |
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* [[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年) |
* [[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年) |
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* 『[[オデュッセイア]]/[[アルゴナウティカ]]』[[松平千秋]]・[[岡道男]]訳、[[講談社]](1982年) |
* 『[[オデュッセイア]]/[[アルゴナウティカ]]』[[松平千秋]]・[[岡道男]]訳、[[講談社]](1982年) |
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* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年) |
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年) |
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* [[ヘロドトス]]『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]](中)』[[松平千秋]]訳、岩波文庫(1972年) |
* [[ヘロドトス]]『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]](中)』[[松平千秋]]訳、岩波文庫(1972年) |
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* [[ホメロス]]『オデュッセイア(上・下)』松平千秋訳、岩波文庫(1994年) |
* [[ホメロス]]『オデュッセイア(上・下)』松平千秋訳、岩波文庫(1994年) |
2021年11月15日 (月) 10:39時点における版
ペイシストラトス(古希: Πεισίστρατος, Peisistratos, ラテン語: Pisistratus)は、ギリシア神話の人物である。ピュロスの王ネストールの子で、ペルセウス、ストラティコス、アレートス、エケプローン、アンティロコス、トラシュメーデース、ペイシディケー、ポリュカステーと兄弟[1][2]。同名の子ペイシストラトスの父[3]。
テーレマコスがオデュッセウスの消息を尋ねるためにピュロスを訪問したとき、ネストールの命でテーレマコスをスパルタのメネラーオスのもとに案内した[4][5]。このときペイシストラトスは槍の扱いに長け、武将としての実力を備えていたが、まだ青年で妻もいなかった[6]。またトロイア戦争で戦死した兄アンティロコスとは面識がない[7]。
一説に紀元前6世紀頃のアテナイの僭主ペイシストラトスはネストールの子孫とされ、その名前もペイシストラトスにちなんで名づけられたという[8]。しかし『オデュッセイア』のペイシストラトスはむしろ僭主ペイシストラトスのために創造された登場人物であり、したがって『オデュッセイア』は前6世紀頃のアテナイで現在の形にまとめられたという説がある[9]。
脚注
参考文献
- アポロドーロス『ギリシア神話』高津春繁訳、岩波文庫(1953年)
- 『オデュッセイア/アルゴナウティカ』松平千秋・岡道男訳、講談社(1982年)
- パウサニアス『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年)
- ヘロドトス『歴史(中)』松平千秋訳、岩波文庫(1972年)
- ホメロス『オデュッセイア(上・下)』松平千秋訳、岩波文庫(1994年)
- 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、岩波書店(1960年)