「エリュシクトーン」の版間の差分
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* [[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年) |
* [[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年) |
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* [[オウィディウス]]『[[変身物語]](上)』[[中村善也]]訳、岩波文庫(1981年) |
* [[オウィディウス]]『[[変身物語]](上)』[[中村善也]]訳、岩波文庫(1981年) |
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* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年) |
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年) |
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* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) |
* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) |
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2021年11月15日 (月) 10:45時点における版
エリュシクトーン(古希: Ἐρυσίχθων, Erysichthōn)は、ギリシア神話の人物である。長母音を省略してエリュシクトンとも表記される。主に、
の2名が知られている。以下に説明する。
トリオプスの子
このエリュシクトーンは、トリオプスの子で、ムネーストラー(メーストラー)の父。エリュシクトーンは傲慢な人物だったので、デーメーテールに罰せられたという。
テッサリアーにデーメーテールの聖森があり、1本の神聖な樫の巨木がそびえていた。これはデーメーテールが大切にしていた木で、その木の下ではニュンペーが舞い踊り、人々もこれを信仰していた。ところがエリュシクトーンはニュムペーの制止も聞かずにデーメーテールの樫を切り倒した。これを知ったデーメーテールは「飢餓」に命じ、エリュシクトーンに決して癒えない飢えを起させた。エリュシクトーンは激しい飢えのためにまたたく間に財産を食いつぶし、残った娘ムネーストラーをも売り飛ばした。ムネーストラーはポセイドーンに助けを求めると、ポセイドーンは彼女に変身する力を与えたので、ムネーストラーは別の人間に変身して逃げ帰った。そこでエリュシクトーンは何度も娘を売り飛ばし、そのたびに彼女は様々な動物に変身して逃げ帰って父を助けた。しかしエリュシクトーンの飢えはひどくなり、巷にさまよい出て乞食となり、ついには自分の指や手足、腹を含む全身を食らった末、骨と皮ばかりとなった体に残された唇を食って死んだという[1]。
系図
アイオロス | エナレテー | ゼウス | エウリュメドゥーサ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ポセイドーン | カナケー | ペイシディケー | ミュルミドーン | ニュクテウス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホプレウス | ニーレウス | トリオプス | ヒスキュラ | エポーペウス | アンティオペー | ゼウス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アローエウス | イーピメデイア | ポセイドーン | ポルバース | エリュシクトーン | ゼートス | アムピーオーン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
パンクラティス | アローアダイ | メーストラー | ポセイドーン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エウリュピュロス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カルコーン | アンタゴラース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ケクロプスの子
このエリュシクトーンは、アテーナイの初代の王ケクロプスとアグラウロスの子で、ヘルセー、アグラウロス、パンドロソスと兄弟[2][3]。
一説によるとアテーナーとポセイドーンがアッティカの領有をめぐって争ったときに勝者の判定したのはエリュシクトーンだった[4]。しかしエリュシクトーンは若くして死に、子もいなかったため、ケクロプスの死後アテーナイの王権はクラナオスにわたった[3]。エリュシクトーンの死は彼がデロス島から帰る航海の途中のことで、プラシアイにはエリュシクトーンの墓があった[5]。なお、アテーナイのエイレイテュイアの神殿にあった最も古い神像はエリュシクトーンがデロス島から持ち帰ろうとしたものであった[6]。