コンテンツにスキップ

「クサントス (ギリシア神話)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m テーバイ王加筆ほか
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: パウサニアスの改名に伴うリンク修正依頼 (パウサニアス (地理学者)) - log
12行目: 12行目:


== プトレマイオスの子 ==
== プトレマイオスの子 ==
この'''クサントス'''は、[[テーバイ]]の王プトレマイオスの子である。プトレマイオスに続いてテーバイの王となった。[[パウサニアス]]はクサントスはテーバイ最後の王と伝えている。アンドロポンポスと一騎打ちで戦ったが、アンドロポンポスの謀略で殺された。その後、テーバイでは[[王政]]は廃止された。
この'''クサントス'''は、[[テーバイ]]の王プトレマイオスの子である。プトレマイオスに続いてテーバイの王となった。[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]はクサントスはテーバイ最後の王と伝えている。アンドロポンポスと一騎打ちで戦ったが、アンドロポンポスの謀略で殺された。その後、テーバイでは[[王政]]は廃止された。


== その他のクサントス ==
== その他のクサントス ==
26行目: 26行目:
== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* [[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年)
* [[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年)
* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)
* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照男訳、[[講談社学術文庫]](2005年)
* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照男訳、[[講談社学術文庫]](2005年)
* [[ホメロス]]『[[イリアス]](上・下)』[[松平千秋]]訳、岩波文庫(1992年)
* [[ホメロス]]『[[イリアス]](上・下)』[[松平千秋]]訳、岩波文庫(1992年)

2021年11月15日 (月) 10:52時点における版

クサントス古希: Ξάνθος, Xanthos, ラテン語: Xanthus)は、ギリシア神話、人物、あるいはである。英語読みでザンザスとも呼称する。主に、

のほか数人が知られている。

アキレウスの馬

このクサントスは、ギリシア神話に登場する名馬の1つである。ハルピュイアポダルゲーと西風ゼピュロスの子で、バリオスと兄弟であり、不死であったとされる。またクサントスとバリオスはペーダソスとともに英雄アキレウスの持つ、3頭の名馬の1つでもあった[1]

クサントスとバリオスはもともとポセイドーンの馬だったが、ペーレウステティスが結婚したさいに贈られた[2]。その後、アキレウスはトロイア戦争に2頭を連れていき、エーエティオーンとの戦争で得た名馬ペーダソスとの3頭で自分の戦車を引かせた。パトロクロスの死によってアキレウスが戦争に復帰したとき、ヘーラーはクサントスの口を借りてアキレウスに死の運命を予言した[3]

アキレウスの死後、クサントスとバリオスは再びポセイドーンの馬になったという[4]

プトレマイオスの子

このクサントスは、テーバイの王プトレマイオスの子である。プトレマイオスに続いてテーバイの王となった。パウサニアスはクサントスはテーバイ最後の王と伝えている。アンドロポンポスと一騎打ちで戦ったが、アンドロポンポスの謀略で殺された。その後、テーバイでは王政は廃止された。

その他のクサントス

脚注

  1. ^ 『イーリアス』16巻。
  2. ^ アポロドーロス、3巻12・5。
  3. ^ 『イーリアス』19巻。
  4. ^ 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』p.194b。
  5. ^ 『イーリアス』20巻、21巻。
  6. ^ ヒュギーヌス、145話。
  7. ^ 『イーリアス』5巻。
  8. ^ ヒュギーヌス、30話。
  9. ^ 『イーリアス』8巻。

参考文献

先代
プトレマイオス
テーバイ王(神話時代)
次代