「元木大介」の版間の差分
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: セントラル・リーグ分のTemplateについて (Template:読売ジャイアンツの選手・スタッフ) - log |
||
327行目: | 327行目: | ||
* {{Instagram|daisuke_motoki2}} |
* {{Instagram|daisuke_motoki2}} |
||
{{読売ジャイアンツ}} |
{{読売ジャイアンツの選手・スタッフ}} |
||
{{読売ジャイアンツ1990年ドラフト指名選手}} |
{{読売ジャイアンツ1990年ドラフト指名選手}} |
||
{{福岡ダイエーホークス1989年ドラフト指名選手}} |
{{福岡ダイエーホークス1989年ドラフト指名選手}} |
2023年1月27日 (金) 04:37時点における版
読売ジャイアンツ 一軍作戦兼内野守備コーチ #77 | |
---|---|
2019年4月2日 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府豊中市 |
生年月日 | 1971年12月30日(52歳) |
身長 体重 |
180 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手、外野手 |
プロ入り | 1990年 ドラフト1位 |
初出場 | 1992年4月8日 |
最終出場 | 2005年10月5日(引退試合) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
| |
この表について
|
元木 大介(もとき だいすけ、1971年12月30日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、タレント、野球指導者。右投右打。2019年シーズンより読売ジャイアンツのコーチ。愛称は長嶋茂雄が命名し、自叙伝の題にもなった「クセ者」など。
経歴
プロ入り前
幼少時代は南海ホークスファンで、たびたび大阪スタヂアムに足を運び、ホークス友の会に入会していた他、南海OBによって運営されていた少年野球チーム・ジュニアホークスにも入っていた。小学6年生の頃、当時巨人の監督だった王貞治と対面し、一緒に記念撮影をした際、「プロ野球に入るなら巨人に来いよ」と激励されたことに感激して以来巨人ファンに転向したという[注 1]。
上宮高校で甲子園に3回出場[1]。1989年、3年時の夏の甲子園では1試合2本塁打を放つなど注目された。同校同期には種田仁、小野寺在二郎、星田英利、1学年下に宮田正直、2学年下には薮田安彦、中村豊、市原圭、久保孝之。高校通算24本塁打。甲子園通算6本塁打は清原和博に次いで歴代2位タイ(桑田真澄、中村奨成と同数)、選抜通算4本塁打は清原と並ぶ歴代最多タイ記録である。
3年時の夏は大フィーバーで、大阪大会や甲子園練習には女性ファンが殺到。開会式当日、出場校は球場の外で待機することになっているが、混乱を避けるために上宮だけ隔離されるという異例の措置も取られた。
1989年の夏の甲子園3回戦の対八幡商高で内野フライを放ち、一塁へ走るのをやめたことがあった。ところが、そのフライを相手内野手が落球。走るのをやめてしまっていた元木は一塁でアウト。ベンチに戻ってきたところを山上監督に怒鳴られるシーンが全国に中継された。
1989年10月14日に電車の中で近鉄の監督である仰木彬と乗り合わせ、握手をしてもらっていた。当日は近鉄の優勝が決まるかというタイミングで仰木の出勤シーンを撮りにテレビのカメラマンがついてきており、その模様がニュースで放映されていた。
同年のドラフト会議では読売ジャイアンツへの入団希望を公言していたが、巨人は同じく巨人入りを希望していた大森剛を1位指名。元木は福岡ダイエーホークスから野茂英雄の外れ1位で指名されるがこれを断り、1年間ハワイに野球留学する[2][3]。実際にはハワイの環境では本格的な野球練習はできないが、大学・社会人に進むと次回ドラフト指名まで年数がかかるためそれを避ける行動だったといわれる。この野球留学中、学生だったベニー・アグバヤニ(後に千葉ロッテマリーンズ)とチームメイトになり、知り合いになったという。
プロ入り後
1990年のドラフト会議で巨人より1位指名を受けて入団する。契約金9000万円[4]。
1992年から一軍で出場。バッテリーを除く全てのポジション(主に内野)を守れるユーティリティープレイヤーとして活躍する。オールスターゲームでは、初出場の1998年は遊撃手、翌1999年は三塁手のファン投票で選ばれるも、1998年は代打のみ、1999年は二塁手で試合に出場した。
2000年9月24日の中日ドラゴンズ戦(東京ドーム)で「2番・左翼手」として先発出場し、8回まで被安打5・無四球無失点と、好投を続けていた前田幸長からライト前ヒットで出塁、2番手エディ・ギャラードから江藤智が同点満塁弾、二岡智宏がサヨナラ本塁打を放ち、巨人が4年ぶりにリーグ優勝を決定する口火を切った。シーズン前の1月24日、大神いずみと入籍し、シーズン終了後の12月2日に結婚式・披露宴を執り行った。その模様はテレビで生中継され、仲人は長嶋茂雄夫妻であった[5]。
2003年以降は度重なる故障に悩まされ、2005年は堀内恒夫監督のチーム若返りの方針により後半戦は戦力構想から外れて二軍生活を送り、9月に戦力外通告を受ける。オリックス・バファローズや東北楽天ゴールデンイーグルスなどから入団の誘いがあった[注 2]ものの、浪人してまで巨人入団を1年待った経緯もあり、「ジャイアンツが好きだから、入団したときからこのチームでいらないと言われたら辞めようと決めていた」と33歳で現役を引退。後藤孝志と共に自ら身を引く形となり、世代交代する巨人に迷惑をかけたくなかったという。最終戦で引退試合に出場[6]。いずれは指導者として巨人復帰を希望する旨を示していた。
引退後
2018年、カル・リプケンU12世界少年野球大会における日本代表監督に就任。チームは優勝し、3連覇を達成した[7]。就任したのは、星野仙一が推薦してくれたからだという[8]。
巨人コーチ時代
2018年10月22日、以前から希望していたように2019年から巨人の一軍内野守備兼打撃コーチに就任することを球団が発表、13年ぶりの球界復帰となる[9]。背番号は「77」。
コーチ就任のオファーは原辰徳から直々に電話がかかってきたもので、背番号77は星野仙一の番号から取ったという[8]。引退後にタレント活動を主体にしていた人物がNPB一軍球団に指導者として就任するのは、同じく2019年からコーチに就任した宮本和知と揃って珍しい例である。攻撃時は三塁ベースコーチを担当した。
2020年から一軍ヘッドコーチに昇格。9月16日に虫垂炎のため緊急入院、同日から阿部慎之助二軍監督が一軍ヘッドコーチ代行としてベンチ入りした。
2020年11月23日未明に公式インスタグラム(元木大介 (@motoki_daisuke) - Instagram)[リンク切れ]が第三者に不正ログインされたと24日に所属事務所が発表[10]。その後、そのアカウントは閉鎖し、新たに公式インスタグラムアカウント(元木大介 (@daisuke_motoki2) - Instagram)を開設した[11]。
2022年からは、一軍ヘッド兼オフェンスチーフコーチ[12]。
2023年からは、一軍作戦兼内野守備コーチ[13]。
タレント時代
もとき だいすけ 元木 大介 | |
---|---|
生年月日 | 1971年12月30日(52歳) |
出生地 | 日本・大阪府豊中市 |
血液型 | O型 |
活動期間 | 2005年 -2018年 |
活動内容 | タレント |
配偶者 | 大神いずみ[14] |
事務所 | アワーソングスクリエイティブ |
2005年、ケイダッシュグループのアワーソングスクリエイティブに所属するようになり、シーズンオフから日本テレビ系THE・サンデーのスポーツコーナーにレギュラー出演。野球解説者(TBS「S☆1」、日テレG+「徳光和夫の週刊ジャイアンツ)、タレント業、Vシネマ中心の俳優業などで活動を始めた。
2006年よりTBSラジオ野球解説者、スポーツ報知評論家となった。30代半ばの時期は若いこともあり、中継の際は必ず年上・年下問わず「XX選手」と言うようにしていた。
2007年から、マスターズリーグ・東京ドリームスに参加している。内野手登録で、背番号は2となっている。
2008年12月頃から最終回まで、クイズ!ヘキサゴンIIにレギュラー出演する。司会の島田紳助などから、共演していた南明奈の愛称「アッキーナ」をもじって「モッキーナ」と呼ばれる。
2009年5月16日に収録された「クイズ!ヘキサゴンII」のコーナー、「みんなで跳ぼう!縄跳びクイズ!」で転倒して左アキレス腱を断裂する重傷を負った[15]。
2010年9月に台東区上野(仲御徒町駅前)、2012年9月に広尾にラーメン店「元福」をオープンしたものの両店舗とも閉店。2013年6月から足立に本店を構えたが2014年暮れに閉店した[16]。この件に関しては、後に『しくじり先生』に出演した際に詳細を語っている[17]。
2013年に元プロ野球選手が9人出演する仁侠映画『ダイヤモンド』に出演し、映画初出演[18]。これをきっかけに俳優業にも意欲を見せ[19]、翌年以降Vシネマを中心に仁侠ものの作品に出演し始めている。
選手としての特徴
高校時代は甲子園通算6本塁打を記録したスラッガーだったが、プロ入り後はつなぎ役に徹していた[20]。また1998年には得点圏打率1位となるなど勝負強かった[20]。
現役時代は隠し球や状況を読んだ打撃などの卓越した技術とセンスによるプレーから、監督の長嶋茂雄に「くせ者」「スーパーサブ」と評された[21][5]。カル・リプケンU12世界少年野球大会における日本代表監督に推薦した星野仙一からも生前は「巨人で一番嫌だったのはオマエだ」と言わしめた[22]。打撃に関しては投手の癖やデータ分析を重視するタイプで、当時巨人のスコアラーだった三井康浩には試合前のアドバイスに加え、試合中にもサインでの情報を求めていた[23]。
守備では内野ならどこでもこなす他、外野手としても出場した[20]。出場試合数が一番多かったのは三塁である[24]。
入団当初は俊足という評価もあり[25]代走として起用されることもあったが、鈍足であった。しかし、相手の癖や配球を考えた上での走塁技術には自信はあったことをかつて新聞の連載で述べている[26]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1992 | 巨人 | 34 | 72 | 59 | 7 | 11 | 2 | 0 | 0 | 13 | 2 | 2 | 2 | 2 | 0 | 10 | 0 | 1 | 15 | 2 | .186 | .314 | .220 | .534 |
1993 | 80 | 222 | 186 | 25 | 44 | 7 | 1 | 4 | 65 | 15 | 1 | 3 | 3 | 0 | 32 | 0 | 1 | 25 | 7 | .237 | .352 | .349 | .701 | |
1994 | 90 | 248 | 218 | 26 | 61 | 6 | 0 | 4 | 79 | 25 | 1 | 2 | 6 | 1 | 21 | 0 | 2 | 23 | 3 | .280 | .349 | .362 | .711 | |
1995 | 67 | 219 | 197 | 13 | 48 | 11 | 1 | 3 | 70 | 25 | 5 | 3 | 5 | 1 | 15 | 0 | 1 | 23 | 5 | .244 | .300 | .355 | .655 | |
1996 | 91 | 326 | 288 | 34 | 66 | 14 | 1 | 9 | 109 | 35 | 3 | 2 | 6 | 4 | 25 | 0 | 3 | 51 | 5 | .229 | .297 | .378 | .675 | |
1997 | 101 | 337 | 312 | 33 | 88 | 10 | 1 | 9 | 127 | 32 | 1 | 1 | 7 | 2 | 14 | 0 | 2 | 46 | 6 | .282 | .317 | .407 | .724 | |
1998 | 114 | 456 | 397 | 49 | 118 | 18 | 3 | 9 | 169 | 55 | 3 | 2 | 6 | 3 | 45 | 0 | 5 | 56 | 18 | .297 | .376 | .426 | .802 | |
1999 | 114 | 372 | 327 | 28 | 75 | 12 | 0 | 6 | 105 | 34 | 0 | 1 | 8 | 1 | 36 | 1 | 0 | 49 | 11 | .229 | .306 | .321 | .627 | |
2000 | 114 | 353 | 310 | 40 | 85 | 17 | 0 | 5 | 117 | 29 | 0 | 2 | 7 | 1 | 34 | 1 | 1 | 47 | 7 | .274 | .348 | .377 | .725 | |
2001 | 123 | 441 | 391 | 51 | 114 | 16 | 3 | 9 | 163 | 39 | 3 | 0 | 9 | 2 | 37 | 3 | 2 | 51 | 13 | .292 | .356 | .417 | .773 | |
2002 | 121 | 381 | 343 | 39 | 88 | 12 | 1 | 6 | 120 | 52 | 1 | 0 | 8 | 5 | 23 | 2 | 0 | 58 | 19 | .257 | .303 | .350 | .653 | |
2003 | 60 | 153 | 143 | 11 | 32 | 9 | 0 | 0 | 41 | 14 | 0 | 0 | 3 | 0 | 5 | 1 | 2 | 19 | 6 | .224 | .260 | .287 | .547 | |
2004 | 55 | 128 | 121 | 11 | 29 | 5 | 0 | 2 | 40 | 13 | 0 | 1 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 24 | 3 | .240 | .276 | .331 | .607 | |
2005 | 41 | 120 | 105 | 9 | 32 | 4 | 0 | 0 | 36 | 8 | 1 | 1 | 4 | 1 | 9 | 0 | 1 | 21 | 2 | .305 | .365 | .343 | .708 | |
通算:14年 | 1205 | 3828 | 3397 | 376 | 891 | 143 | 11 | 66 | 1254 | 378 | 21 | 20 | 74 | 22 | 312 | 8 | 21 | 508 | 107 | .262 | .328 | .369 | .697 |
年度別守備成績
年 度 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | 外野 | |||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | |
1992 | - | 13 | 19 | 21 | 0 | 2 | 1.000 | - | 14 | 10 | 24 | 6 | 0 | .850 | - | |||||||||||||||
1993 | - | 51 | 74 | 114 | 2 | 21 | .989 | 6 | 2 | 12 | 1 | 3 | .933 | 15 | 6 | 6 | 1 | 3 | .923 | - | ||||||||||
1994 | - | 57 | 97 | 141 | 2 | 29 | .992 | 21 | 6 | 16 | 2 | 0 | .917 | 9 | 10 | 16 | 0 | 3 | 1.000 | - | ||||||||||
1995 | - | 47 | 68 | 87 | 4 | 18 | .975 | 6 | 1 | 2 | 1 | 0 | .750 | 19 | 30 | 56 | 1 | 8 | .989 | - | ||||||||||
1996 | - | 77 | 188 | 222 | 2 | 57 | .995 | 8 | 3 | 5 | 1 | 0 | .889 | 16 | 14 | 22 | 1 | 6 | .973 | - | ||||||||||
1997 | - | 35 | 72 | 90 | 1 | 22 | .994 | 42 | 23 | 64 | 4 | 6 | .956 | 28 | 33 | 50 | 0 | 13 | 1.000 | - | ||||||||||
1998 | - | 15 | 26 | 35 | 0 | 5 | 1.000 | 60 | 45 | 64 | 5 | 8 | .956 | 51 | 74 | 115 | 2 | 27 | .990 | - | ||||||||||
1999 | - | 11 | 20 | 25 | 1 | 5 | .978 | 88 | 55 | 117 | 4 | 10 | .977 | 4 | 6 | 10 | 0 | 2 | 1.000 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
2000 | 6 | 15 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | 7 | 14 | 11 | 0 | 2 | 1.000 | 34 | 15 | 25 | 1 | 1 | .976 | 54 | 67 | 98 | 7 | 22 | .959 | 28 | 15 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2001 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 3 | 2 | 2 | 0 | 1 | 1.000 | 19 | 4 | 13 | 0 | 1 | 1.000 | 83 | 92 | 194 | 4 | 42 | .986 | 35 | 39 | 3 | 0 | 1 | 1.000 |
2002 | 19 | 93 | 3 | 0 | 3 | 1.000 | 27 | 35 | 62 | 0 | 11 | 1.000 | 60 | 28 | 67 | 6 | 5 | .941 | 30 | 41 | 63 | 0 | 13 | 1.000 | - | |||||
2003 | 11 | 27 | 2 | 0 | 1 | 1.000 | 16 | 25 | 49 | 0 | 8 | 1.000 | 42 | 18 | 41 | 1 | 3 | .983 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | |||||
2004 | - | 1 | 2 | 5 | 0 | 1 | 1.000 | 5 | 1 | 0 | 1 | 0 | .500 | 23 | 32 | 63 | 1 | 13 | .990 | - | ||||||||||
2005 | 11 | 66 | 0 | 0 | 7 | 1.000 | 13 | 22 | 29 | 2 | 7 | .962 | 8 | 4 | 6 | 0 | 2 | 1.000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | |||||
通算 | 48 | 202 | 6 | 0 | 12 | 1.000 | 373 | 664 | 893 | 14 | 189 | .991 | 399 | 205 | 432 | 27 | 39 | .959 | 348 | 415 | 717 | 23 | 152 | .980 | 64 | 56 | 3 | 0 | 1 | 1.000 |
記録
- 初記録
- 初出場:1992年4月8日、対阪神タイガース2回戦(東京ドーム)、7回裏に大森剛の代走として出場
- 初安打:1992年4月15日、対広島東洋カープ3回戦(東京ドーム)、8回裏に北別府学から中前安打
- 初先発出場:1992年4月28日、対中日ドラゴンズ4回戦(東京ドーム)、7番・二塁手として先発出場
- 初打点:1992年5月5日、対阪神タイガース5回戦(阪神甲子園球場)、6回表に猪俣隆から
- 初盗塁:1992年5月30日、対阪神タイガース11回戦(阪神甲子園球場)、4回表に二盗(投手:渡辺伸彦、捕手:山田勝彦)
- 初本塁打:1993年5月12日、対阪神タイガース5回戦(東京ドーム)、3回裏に門奈哲寛の代打として出場、仲田幸司から左越ソロ
- 節目の記録
- 1000試合出場:2002年7月23日、対阪神タイガース16回戦(阪神甲子園球場)、7回表に川中基嗣の代打として出場 ※史上379人目
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:2回(1998年、1999年)
背番号
- 37(1991年 - 1993年)
- 2(1994年 - 2005年)
- 77(2019年 - )
登場曲
- 「Shooter」Jim Johnston(2001年)※WWEカート・アングル入場曲
- 「2000 Watts」Michael Jackson(2002年)
- 「Boom」P.O.D.(2003年)
- 「Dirt Off Your Shoulder」Jay-Z(2004年)
- 「海の家」TUBE(2004年)
- 「Nasty Girl」Nitty(2005年)
- 「Party Starter」Will Smith(2005年)
関連情報
著書
単著
- 『クセ者:元木大介自伝』(双葉社、2006年3月、ISBN 4575298794)
- 『元木大介の1分で読めるプロ野球テッパン話88』(ワニブックス、2009年9月、ISBN 9784847018497)
監修
- 『野球少年必見!打撃上達パーフェクトマニュアル:みるみる打球が変わるバッティングの強化書』(ベースボール・マガジン社、2008年12月、ISBN 9784583615714)
- 『少年野球上達パーフェクトマニュアル』(川崎憲次郎共監修、ベースボール・マガジン社、2010年5月、ISBN 9784583102603)
出演
テレビ
- 徳光和夫の週刊ジャイアンツ(日テレジータス)- 解説
- S☆1(TBS)- 解説
- World Baseballエンタテイメント たまッチ!(2007年3月25日 - 2018年11月11日、フジテレビ)- レポーター(不定期出演)
- クイズ!ヘキサゴンII(2008年12月 - 2011年9月、フジテレビ)
- THE・サンデー(- 2008年、日本テレビ) - リポーターもしくはスポーツコメンテーター
- オールスター感謝祭(TBS)
- 午後は○○おもいッきりテレビ(日本テレビ) - コメンテーター
- M・Mメジャーゴルフ(2006年10月 - 2018年、サンテレビ) - 司会
- しくじり先生 俺みたいになるな!!(テレビ朝日) - 2014年11月21日「王道からはみ出しちゃった先生」、2015年9月14日「ラーメン屋を立て続けに潰しちゃった先生」
- 元木大介がセレクト!ビジネス隠し玉企業2017(2017年4月8日 - 2017年12月30日、チバテレ)
- 元木商店「商売繁盛してまっか?」(2018年1月6日 - 7月28日、チバテレ)
- フルーツ宅配便 第2話(2019年1月19日、テレビ東京)- 本人役
- ライオンのグータッチ(フジテレビ) - グータッチサポーター
ラジオ
- TBSラジオ エキサイトベースボール(2006年 - 2017年、TBSラジオ)- 解説
- 元木大介のエキサイトサタデー(2006年10月7日 - 2007年3月31日、TBSラジオ) - パーソナリティ
- 元木大介のエキサイトベースボールサタデー(2007年10月6日 - 2008年3月29日)
映画
- ダイヤモンド(オールインエンタテインメント、2013年8月3日公開)[18] - 北野組組員 / 草野球チーム「北野キラーズ」選手
- 鷲と鷹(ユナイテッドエンタテインメント、2014年5月24日公開)
- 表と裏 シリーズ(オールインエンタテインメント) - 捜査一課 刑事 安住秀幸
- 表と裏(2015年3月14日公開)
- 表と裏 第2章(2015年8月29日公開)
- 表と裏 最終章(2016年2月6日公開)
- CONFLICT 〜最大の抗争〜(オールインエンタテインメント、2016年5月28日公開) - 天道会鷲尾組本部長 遠藤亘
- 聖域 組長の最も長い一日(2018年) - 岡崎(店長)
Vシネマ
- 暴力水滸伝(2014年) - 社長
- 極サギ シリーズ(2014年 - 2015年) - 情報屋
- YOKOHAMA BLACK1 - 4(2016年) - 神奈川県警組対 警部 真壁二郎
- 修羅の男と家なし少女 シリーズ(2016年 - 2017年) - 清流会 国立
- 若頭暗殺史 修羅の男たち シリーズ(2016年 - 2017年) - 山東連合会若宮組若頭補佐 石橋謙三
- CONFLICT 最大の抗争 第三章(2018年) - 天道会鷲尾組本部長 遠藤亘
- GRAY ZONE2(2017年) - 仁道会桐生組
- 極道天下布武 シリーズ(2017年) - 警視庁 刑事 萩原正也
- 虎狼の群れ1・2(2017年、コンセプトフィルム、オールインエンタテインメント)[27] - 黒龍会柏田組若頭
- ギャングシティ 大阪黙示録(2018年) - 堂島組組長 堂島勝也
- 覇者の掟 第一章(2018年、コンセプトフィルム) - 竹下建設社長 竹下
- YOKOHAMA BLACK6(2018年6月、オールインエンタテインメント) - 神奈川県警 刑事 真壁二郎[28]
- 日本抗争烈島 三極志(2019年) - 林田組 萩原亨(スイーパー)
CM
- ファミリー引越センター
CD
- 風をさがして -(「矢口真里とストローハット」名義)
- 泣いてもいいですか -(「ヘキサゴンオールスターズ」名義)
DVD
- 産経新聞創刊85周年記念作品 平成三十年史(2018年) - ナレーション
脚注
注釈
出典
- ^ 甲子園大会の結果は、2年生の春がベスト8、3年生の春が準優勝、3年生の夏がベスト8。
- ^ 元木大介氏激白 「なぜボクはダイエーの1位指名を拒否しハワイへ野球留学したのか」(1/6) 日刊ゲンダイ 2015年3月25日
- ^ [1]
- ^ 元木大介氏激白 「なぜボクはダイエーの1位指名を拒否しハワイへ野球留学したのか」(6/6) 日刊ゲンダイ 2015年3月25日
- ^ a b 結婚式は仲人・長嶋監督の挨拶で大盛り上がり 日刊ゲンダイ 2015年7月8日
- ^ “引退試合の相手がよりによって外国人投手 あれには参りました|野球IQは高いんです”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2015年6月6日). 2021年4月8日閲覧。
- ^ “元木大介氏、日本代表監督に就任!「チーム星野」を継承、U12世界一に挑む”. スポーツ報知. (2018年7月11日) 2018年8月9日閲覧。
- ^ a b 巨人コーチの元木、背番号は「星野さん」 Lmaga.jp 2018年12月13日
- ^ “来季スタッフ発表…鈴木氏、杉内氏、堂上氏、古城氏、藤村氏らが入閣”. スポーツ報知. (2018年10月22日) 2018年10月22日閲覧。
- ^ “【巨人】元木大介ヘッドコーチの公式インスタグラムが乗っ取り被害で閉鎖”. スポーツ報知. (2020年11月24日) 2020年11月25日閲覧。
- ^ “元木 大介|所属者一覧|アワーソングスクリエイティブ公式WEBサイト”. 株式会社アワーソングスクリエイティブ. 2020年12月19日閲覧。
- ^ Giants(読売巨人軍), Yomiuri. “来季のコーチングスタッフについて”. www.giants.jp. 2022年10月13日閲覧。
- ^ Giants(読売巨人軍), Yomiuri. “来季のコーチングスタッフ について”. www.giants.jp. 2022年10月13日閲覧。
- ^ “大神いずみ、夫・元木氏に「別に寝てほしい!」理解不能な持論に"激怒"”. サンケイスポーツ. (2017年10月20日) 2018年1月28日閲覧。
- ^ 元巨人の元木なわとびで左アキレス腱断裂、2009年5月28日、日刊スポーツ
- ^ 話題集めた元木大介氏のラーメン店 ひっそりと閉店していた - 日刊ゲンダイ 2015年5月27日配信、同日閲覧
- ^ 元木大介 ラーメン店全店閉店の失敗にもめげず懲りずに「ホルモン店をやりたい」 livedoor NEWS 2015年9月15日
- ^ a b “劇場公開作品|オールイン エンタテインメント”. オールイン エンタテインメント 2017年5月9日閲覧。
- ^ “元木大介、俳優業に意欲?「クセになりそう」”. ORICON NEWS. (2013年7月16日) 2018年6月17日閲覧。
- ^ a b c 『日本プロ野球偉人伝 vol.13 1997→99編』ベースボール・マガジン社、2014年、82頁。ISBN 978-4-583-62103-6。
- ^ “ミスターも認めた野球センス…ファンを楽しませた「くせ者」という存在”. BASEBALL KING. (2016年5月7日) 2018年8月9日閲覧。
- ^ ““クセ者”元木大介の巨人再建案「二宮清純のスポーツ一刀両断」”. 日刊大衆 (2018年10月30日). 2019年11月28日閲覧。
- ^ 佐々木朗希もすごいが、山本由伸は「パーフェクト」。名スコアラーが考えた攻略の糸口 - Sportiva・2022年5月25日
- ^ “Daisuke Motoki Japanese Leagues Statistics & History”. Baseball-Reference.com. 2019年11月28日閲覧。
- ^ 読売新聞1993年3月6日21面
- ^ “(2ページ目)【原辰徳】第3次原巨人の組閣着々“クセ者”元木大介氏の入閣が内定”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2018年10月20日). 2019年11月28日閲覧。
- ^ “虎狼の群れ|オールイン エンタテインメント”. www.all-in-ent.com. 2018年7月16日閲覧。
- ^ “YOKOHAMA BLACK6”. all-in-ent.com. 2018年12月7日閲覧。
関連項目
- 大阪府出身の人物一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
- 10.8決戦
- TVおじゃマンボウ - 東京ドームで行われる試合で司会の中山秀征と無言のやり取りをしていた。
- ズームイン!!サタデー
外部リンク
- 個人年度別成績 元木大介 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
- アワーソングスクリエイティブ公式WEBサイトによる公式プロフィール
- 元木大介 (@daisuke_motoki2) - Instagram