第16回天皇杯全日本サッカー選手権大会
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(第16回全日本総合蹴球選手権大会から転送)
開催国 | 日本 |
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開催期間 | 1936年6月19日-21日 |
参加チーム数 | 5 |
優勝 | 慶應BRB |
準優勝 | 普成専門 |
試合総数 | 4 |
ゴール数 | 35 (1試合平均 8.75点) |
← 1935 1937 → |
この項目では1936年6月19日から同月21日まで開催された全日本蹴球選手権大會(ぜんにほんそうごうしゅうきゅうせんしゅけんたいかい)について記載する。なお、本大会は天皇杯全日本サッカー選手権大会の第16回大会に当たる。
概要
[編集]この年にはベルリン五輪があった影響で、日本代表選手不在の大会となった。日本代表は4月から合宿に入り、6月20日に日本を出発した[1]。6月6日にあった関東予選の決勝では、主力を数多く日本代表に取られた早稲田大学を慶應BRBが6-2で下した[1]。
本大会には各地方予選を勝ち抜いた5チームが参加。試合はすべて東京都新宿区の陸軍戸山学校グラウンドで行われた。関東、関西、朝鮮代表の実力が抜きん出ており[2]、その中でも大会前から優勝候補の筆頭と対抗格に目されていた普成専門と慶應BRBが決勝に勝ち上がった[1]。普成専門は、主将の裴宗鎬など前回優勝の全京城蹴球団で主力だった選手を何人も擁していた[1]。慶應BRBは、日本代表でチームを離れる選手が右近徳太郎のみと比較的影響が少なく、そこにOBの松丸貞一らを補強していた[1]。決勝は2-2で迎えた後半39分、慶應BRBがスローインを起点としてチャンスを作り、駒崎が決勝ゴールを決めた[3]。
試合時間は1回戦及び準決勝が70分(延長20分)、決勝が90分であった。
なお、2006年に日本サッカー殿堂に選出された福島玄一が本大会で初めて線審を務めた。
出場チーム
[編集]1回戦 | 準決勝 | 決勝 | ||||||||
1936年6月19日、15:30 (主審:井出) |
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普成専門 | 10 | |||||||||
1935年6月20日、14:00 (主審:高山(英)) | ||||||||||
東北学院大学 | 1 | |||||||||
普成専門 (延長) | 4 | |||||||||
関西学院大学 | 2 | |||||||||
1936年6月21日、15:00 (主審:井出) | ||||||||||
普成専門 | 2 | |||||||||
慶應BRB | 3 | |||||||||
1936年6月20日、16:00 (主審:伊藤) |
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慶應BRB | 13 | |||||||||
名古屋薬専門 | 0 | |||||||||
決勝戦メンバー
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参考資料
[編集]- 第94回天皇杯全日本サッカー選手権大会大会パンフレット (p. 55)
注釈
[編集]- ^ 『天皇杯六十五年史』および第94回天皇杯パンフレット(p.55)では「東北学院大学」の表記だが、『蹴球』第四巻 第三号と『サッカーマガジン』1968年6月号では「東北学院倶楽部」「東北学ク」となっており、翌年度に出版された『運動年鑑 昭和12年度 朝日新聞社出版』においても「東北學院倶」と表記 (※国立国会図書館デジタルコレクションの原本、146コマ目245頁参照 ) されている
出典
[編集]- ^ a b c d e f 轡田三男 「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権 (4)」『サッカーマガジン』 ベースボール・マガジン社、1968年6月号、115-118頁。
- ^ a b “蹴球 第四巻 第三号” (PDF). pp. 18-26頁 (1936年). 2009年2月17日閲覧。
- ^ a b 鈴木武士編著 『天皇杯六十五年史』 財団法人日本サッカー協会、1987年、92-93頁。