代州
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代州(だいしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から民国初年にかけて、現在の山西省忻州市一帯に設置された。
魏晋南北朝時代
[編集]446年(太平真君7年)、北魏により設置された肆州を前身とする。
隋代
[編集]隋初には、肆州は1郡3県を管轄した。585年(開皇5年)、肆州は代州と改称された。606年(大業2年)、蔚州の廃止にともない、その管轄県が統合された。607年(大業3年)、郡制施行に伴い、代州は雁門郡と改称され、下部に5県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
隋代の行政区画変遷 | ||||
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区分 | 開皇元年 | 区分 | 大業3年 | |
州 | 肆州 | 蔚州 | 郡 | 雁門郡 |
郡 | 雁門郡 | 霊丘郡 | 県 | 雁門県 崞県 五台県 霊丘県 繁畤県 |
県 | 広武県 石城県 驢夷県 | 霊丘県 大昌県 |
唐代
[編集]618年(武徳元年)、唐により雁門郡は代州と改められた。742年(天宝元年)、代州は雁門郡と改称された。758年(乾元元年)、雁門郡は代州と改称された。代州は河東道に属し、雁門・五台・繁畤・崞・唐林の5県を管轄した[2]。
宋代
[編集]北宋のとき、代州は河東路に属し、雁門・崞・五台・繁畤の4県を管轄した[3]。
1125年(天会3年)、金の粘没喝が代州を陥落させた[4]。金の代州は河東北路に属し、雁門・崞・五台・広武・繁畤の5県と雁門・西陘・胡谷・楼板・興善・石觜・茹越・大石・義興・麻谷・瓶形・梅廻・宝興の13鎮を管轄した[5]。
元代
[編集]明代以降
[編集]1368年(洪武元年)、明により冀寧路は太原府と改められ、代州は太原府に属した。1369年(洪武2年)、代州は代県に降格した。1375年(洪武8年)、代県は代州に昇格した。明の代州は五台・繁峙・崞の3県を管轄した[7]。
1724年(雍正2年)、清により代州は山西省の直隷州に昇格した。代州は五台・崞・繁峙の3県を管轄した[8]。
1912年、中華民国により代州は廃止され、代県と改められた。