辰馬鎌藏
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(辰馬鎌蔵から転送)
辰馬 鎌藏(辰馬 鎌蔵、たつうま けんぞう、旧姓・中尾、1882年(明治15年)2月[1] - 1959年(昭和34年)5月11日[2])は、日本の土木技術者、内務技監[3][4]、実業家。土木学会会長。
人物
[編集]大阪府・中尾又一郎の五男[1][3][4]。兵庫県西宮の酒造家辰馬悦蔵先々代悦叟の養子となり、1912年、分家する[1][3][4]。
1907年、京都帝国大学理工科大学土木工学科卒業[1][5]。内務技手となり1909年、内務技師に任じ、大阪、下関、東京各土木出張所勤務を経て1924年、欧米各国へ出張を命ぜられる[1]。帰朝後名古屋土木出張所長、東京土木出張所長を経て1936年、内務技監に任ぜられ[4]、1939年、退官する[1]。
退官後、広島工業港、東京都水道、鳥取市、兵庫県等の顧問として指導にあたる[2]。1951年、共栄興業会社を創立し、社長となる[2]。住所は東京都渋谷区[3]。
家族・親族
[編集]- 辰馬家
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第13版 下』タ220頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月29日閲覧。
- ^ a b c 土木学会歴代会長紹介、公益社団法人 土木学会公式サイト。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』タ222頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月29日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第11版 下』タ293-294頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月30日閲覧。
- ^ 『京都帝国大学一覧 明治41-42年』各分科大学卒業生340頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 『京都帝国大学一覧 明治41-42年』京都帝国大学、1898 - 1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937 - 1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。