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阿部内閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿部信行内閣から転送)
阿部内閣
総理官邸で記念撮影に臨む閣僚
内閣総理大臣 第36代 阿部信行
成立年月日 1939年昭和14年)8月30日
終了年月日 1940年(昭和15年)1月16日
与党・支持基盤 挙国一致内閣
内閣閣僚名簿(首相官邸)
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阿部内閣(あべないかく)は、予備役陸軍大将阿部信行が第36代内閣総理大臣に任命され、1939年昭和14年)8月30日から1940年(昭和15年)1月16日まで続いた日本の内閣

閣僚の顔ぶれ・人事

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国務大臣

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1939年(昭和14年)8月30日任命[1]。在職日数140日。

職名 氏名 出身等 特命事項等 備考
内閣総理大臣 36 阿部信行 予備役陸軍大将
陸大19期
外務大臣兼任 初入閣
外務大臣 53 阿部信行 予備役陸軍大将
(陸大19期)
内閣総理大臣兼任 初入閣
1939年9月25日免兼[2]
54 野村吉三郎 予備役海軍大将
海兵26期
初入閣
1939年9月25日任[2]
内務大臣 52 小原直 貴族院
無所属
同和会
厚生大臣兼任
大蔵大臣 40 青木一男 貴族院
無所属
研究会
企画院総裁兼任 初入閣
陸軍大臣 28 畑俊六 陸軍大将
陸大22期
対満事務局総裁兼任 初入閣
海軍大臣 20 吉田善吾 海軍中将
甲種13期
初入閣
司法大臣 39 宮城長五郎 司法省 初入閣
文部大臣 50 河原田稼吉 貴族院
無所属
(研究会)
農林大臣 14 伍堂卓雄 貴族院
無所属
(研究会)
予備役海軍造兵中将
商工大臣兼任 1939年10月16日[3]
15 酒井忠正 貴族院
無所属
(研究会)
伯爵
初入閣
1939年10月16日任[3]
商工大臣 18 伍堂卓雄 貴族院
無所属
(研究会)
予備役海軍造兵中将
農林大臣兼任
逓信大臣 45 永井柳太郎 衆議院
立憲民政党
鉄道大臣兼任
鉄道大臣 17 永井柳太郎 衆議院
立憲民政党
逓信大臣兼任 1939年11月29日免兼[4]
18 永田秀次郎 貴族院
無所属
(同和会)
1939年11月29日任[4]
拓務大臣 16 金光庸夫 衆議院
立憲政友会
(金光派)
初入閣
厚生大臣 3 小原直 貴族院
無所属
(同和会)
内務大臣兼任 1939年11月29日免兼[4]
4 秋田清 衆議院
無所属
(第一議員倶楽部)
初入閣
1939年11月29日任[4]
  1. 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
  2. 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
  3. 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。

内閣書記官長・法制局長官

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1939年(昭和14年)8月30日任命[1]

職名 氏名 出身等 特命事項等 備考
内閣書記官長 42 遠藤柳作 貴族院
無所属
(研究会)
法制局長官 39 唐沢俊樹 内務省
  1. 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
  2. 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
  3. 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。

政務次官

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1939年(昭和14年)9月19日任命[5]

職名 氏名 出身等 備考
外務政務次官 多田満長 衆議院/立憲民政党
内務政務次官 加藤鯛一 衆議院/国民同盟
大蔵政務次官 清瀬規矩雄 衆議院/立憲政友会
陸軍政務次官 宮沢胤勇 衆議院/立憲民政党
海軍政務次官 西岡竹次郎 衆議院/立憲政友会
司法政務次官 森田福市 衆議院/立憲政友会
文部政務次官 作田高太郎 衆議院/立憲民政党
農林政務次官 村上国吉 衆議院/立憲民政党
商工政務次官 横川重次 衆議院/立憲政友会
逓信政務次官 田中萬逸 衆議院/立憲民政党
鉄道政務次官 原惣兵衛 衆議院/立憲政友会
拓務政務次官 津雲国利 衆議院/立憲政友会(久原派)
厚生政務次官 三浦虎雄 衆議院/国民同盟

参与官

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1939年(昭和14年)9月19日任命[5]

職名 氏名 出身等 備考
外務参与官 依光好秋 衆議院/立憲政友会(久原派)
内務参与官 福井甚三 衆議院/立憲政友会
大蔵参与官 豊田豊吉 衆議院/立憲民政党
陸軍参与官 小山田義孝 衆議院/立憲政友会
海軍参与官 真鍋儀十 衆議院/立憲民政党
司法参与官 真鍋勝 衆議院/立憲民政党
文部参与官 伊豆富人 衆議院/国民同盟
農林参与官 小笠原三九郎 衆議院/立憲政友会(中島派)
商工参与官 小山倉之助 衆議院/立憲民政党
逓信参与官 東条貞 衆議院/立憲政友会(久原派)
鉄道参与官 坂東幸太郎 衆議院/立憲民政党
拓務参与官 笠井重治 衆議院/無所属
厚生参与官 永山忠則 衆議院/無所属(第一議員倶楽部)

勢力早見表

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※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。

出身 国務大臣 政務次官 参与官 その他
りつけんせいゆうかい立憲政友会 1 6 5
りつけんみんせいとう立憲民政党 1 5 5 国務大臣のべ2
こくみんとうめい国民同盟 0 2 1
たいいちきいんくらふ第一議員倶楽部 1 0 1
けんきゆうかい研究会 3 0 0 内閣書記官長
国務大臣のべ4
かようかい同和会 1 0 0
むしよそく無所属 0 0 1
くんふ軍部 3 0 0 国務大臣のべ4
かんりよう官僚 1 0 0 法制局長官
11 13 13 国務大臣のべ14

内閣の動き

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阿部内閣は、平沼内閣総辞職を受けて、予備役陸軍大将の阿部信行が組閣した内閣である。昭和陸軍の下剋上の風潮の中で、有末精三少佐が実質的に成立を主導したとされる[6]。組閣直後の1939年(昭和14年)9月、ドイツナチス・ドイツ)がポーランドに侵攻したことにより、イギリスフランスが9月3日に対ドイツ宣戦布告して、第二次世界大戦が勃発。阿部内閣は大戦不介入の方針[注釈 1][7]を採り、日中戦争の解決に努めたものの、不調により内閣総辞職。天津事件ではイギリスと、日米通商航海条約ではアメリカと、ノモンハン事件ではソ連と対立した日本、おまけに独ソ不可侵条約が成立した情勢では孤立無援に陥った状態であった。

脚注

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注釈

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  1. ^ 1939年9月4日に「今次欧州戦争勃発に際しては帝国は之に介入せず、専ら支那事変の解決に邁進せんとす」の声明を出した。

出典

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  1. ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和14年8月30日
  2. ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和14年9月25日
  3. ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和14年10月16日
  4. ^ a b c d 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和14年11月29日
  5. ^ a b 『官報』第3814号「叙任及辞令」、昭和14年9月20日
  6. ^ 『謀略の昭和裏面史 : 特務機関&右翼人脈と戦後の未解決事件!』宝島社、2006年、166-169頁
  7. ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 172ページ

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。

関連項目

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外部リンク

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