高橋幸宏
高橋幸宏 | |
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2008年 | |
基本情報 | |
別名 | 高橋ユキヒロ |
生誕 | 1952年6月6日(72歳) |
出身地 | 日本東京都目黒区 |
学歴 | 武蔵野美術大学中退 |
ジャンル |
J-POP ニュー・ウェイヴ テクノ エレクトロニカ |
職業 |
シンガーソングライター 音楽プロデューサー ドラマー 作曲家 |
担当楽器 |
ドラム ボーカル ギター |
活動期間 | 1969年 - |
レーベル | EMIミュージック・ジャパン |
事務所 | ヒンツ・ミュージック |
共同作業者 |
ガロ サディスティック・ミカ・バンド サディスティックス イエロー・マジック・オーケストラ スケッチ・ショウ pupa |
高橋 幸宏(たかはし ゆきひろ、1952年6月6日 - )は日本のミュージシャン。
概要
シンガーソングライターであると同時に、ドラマー、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーとして活動している。また、ファッション・デザイナー、文筆家としての顔も持つ。立教中学校(現:立教池袋中学校)・立教高等学校(現:立教新座高等学校)卒業(高校の3年後輩に佐野元春がいる)。武蔵野美術大学中退。ソロ・デビューした1978年から1980年前半までは、「高橋ユキヒロ」とカタカナ表記の名前を名乗っていた。
高校在学中からスタジオ・ミュージシャンとして活動。サディスティック・ミカ・バンドやイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のメンバーとしての活動が有名。その他、鈴木慶一と共に結成した「ビートニクス」、細野晴臣とのユニット、スケッチ・ショウとしての活動を始め、様々なミュージシャンとのコラボレーションやプロデュースも手掛けている。山本耀司のパリ・コレ出展の際の音楽を担当したり、椎名誠監督の映画の音楽監督を務めたこともある。近年は自身の体調などの関係から、披露される機会が少なくなったが、本職はドラマーである。その厳格なまでに正確なリズムと少ない音数で多彩な表現を可能とする独特のタイトな演奏は、特にYMO世代のミュージシャン達から高くリスペクトされている。
音楽活動の他に、これまでに「Brother」(BUZZ SHOP CO.)、「Buzz Brother」(BUZZ SHOP CO.)、「Bricks」(BUZZ SHOP CO.)、「Bricks Mono」(PLAN・NET-WERK CO.)、「YUKIHIRO TAKAHASHI COLLECTION」(WAG Inc.)といった自身のファッション・ブランドのデザイナーも務めている。1983年には、『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めた。その他、映画やCMへの出演、エッセイの発表など、その活動は多岐に渡っている。映画『四月の魚』では堂々の主演、それも他の出演者に守り立てられながら中心で風格で勝負するといった、スター映画的な作りのロマンティックコメディである。俳優の竹中直人と交流が深く、『竹中直人の恋のバカンス』、『デカメロン』などに出演した際には、シュールなコントに挑戦している。
趣味は釣り。神経症の治療のために始めたものだが、以来すっかり夢中になってしまい、ラジオ番組で中継を行ったことすらある。釣り同好会「東京鶴亀フィッシングクラブ」(旧・東京鶴亀磯釣り会)の会長である。
兄は、元ザ・フィンガーズで音楽プロデューサー高橋信之。姉は、日本のファッション界における広報の第一人者である伊藤美恵。ファッション・ブランド「soe」のデザイナー伊藤壮一郎は伊藤美恵の息子、高橋の甥にあたる。近代文学研究者の高橋世織は、従兄弟。
略歴
1952年東京に生まれる。小学校5年生頃にはすでにドラムを叩いていたという。立教中学時代、同級生の東郷昌和と「ブッダズ・ナルシィーシィー」というバンドを結成。主にパーティー等で活動していた(後に東郷は高橋の兄・信之のプロデュースでフォークグループ「バズ」としてデビューする)。高校在学中からスタジオミュージシャンとして活動を開始。1969年にフォーク・グループ「ガロ」のバックバンドに加わる。しかし、『学生街の喫茶店』のヒット以後の歌謡曲路線に合わず、小原礼とともにガロを脱退。
武蔵野美術大学在学中の1972年、加藤和彦の誘いを受け、脱退した角田ひろ(現:つのだ☆ひろ)の後任として「サディスティック・ミカ・バンド」に加入。ミカ・バンドは海外(とりわけイギリス)において評価され、アルバム『黒船』は日本のロック史に残る名盤として現在まで語られている。1974年にはロキシー・ミュージックの全英ツアーにおいてオープニング・アクトを務めた。帰国後、解散。
ミカ・バンド解散後、「サディスティックス」を経て、1978年からはソロ活動を開始。そして同年、細野晴臣、坂本龍一とともに「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成。1979年から1980年にかけて2度にわたるワールドツアーを敢行した。YMOは世界的な大成功を収め、日本のみならず世界の音楽シーンに多大な影響を与えた。高橋の作曲としては「ライディーン」が有名(坂本龍一が論理的な作曲法を用いるのに対して、高橋幸宏はこの曲を鼻歌から作っている)。結成当初、YMOのメンバーはヴォーカルを取らない(ゲスト・ミュージシャンに任せる)という意向を細野は持っていたが、坂本の推挽で高橋が「中国女」のボーカルを手がけたことにより、ボーカリストとしての才能も発揮。またファッション・デザインの才も発揮して衣装のデザインも手掛けていた。高橋は当時、自身のブランド「Bricks」や「Bricks-MONO」のデザイナーだった。YMO結成前、当時の坂本龍一のぞんざいな服装を見た高橋が「君はちゃんとした服装をすれば格好よく見えるのに」と服を大量に用意してコーディネートしている。1980年には「POP THE HERO '80s」(ラジオ関東)のパーソナリティを(準レギュラーに当時のマネージャー伊藤洋一と供に)担当。ソロやYMOの活動の一方で、1981年には鈴木慶一と供に「The Beatniks(ビートニクス)」を結成し、活動を開始する。1983年4月より、「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)のパーソナリティを担当。同年12月、YMO「散開」(解散)とともに放送終了。
YMO散開以降、ソロ活動を本格化させ、また「ビートニクス」としてもマイペースに活動。1989年には「サディスティック・ミカ・バンド」が桐島かれんを迎えて一時再結成。1992年3月には山本耀司、高橋信之、田中信一と共に、「AGENT CON-SIPIO」を設立。翌1993年には録音スタジオ「CONSIPIO STUDIO」とレコードレーベル「CONSIPIO RECORDS」を発足。97年には自らも「CONSIPIO RECORDS」に移籍したが、現在は休眠状態である。1993年にはYMO「再生」(再結成)。アルバムを発表し、東京ドームにてコンサートを行う。
2002年からは細野晴臣と共にYMO以来のユニット「スケッチ・ショウ」を結成、活動を開始する。2004年にはスケッチ・ショウ+坂本龍一のユニット「ヒューマン・オーディオ・スポンジ(HAS)」として、エレクトロニカイベント「sonar」に出演。
2005年には再び東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)と契約。翌2006年3月に7年ぶりのソロアルバム「BLUE MOON BLUE」をリリース。スケッチ・ショウで実践したエレクトロニカの手法を通過させた新機軸のポップ路線を展開した。アルバム発表後は高野寛、高田漣、権藤知彦を主要メンバーに迎え、ライブハウスからロックフェスまで、各地でライブを精力的にこなした。10月には恵比寿ガーデンホールで開催された「SONAR」への出演を交えながら、新宿ICC、仙台メディアテーク、東京都現代美術館の3箇所で「ミュージアムツアー」と称したライブを行い、インプロヴィゼーション中心のクオリティの高い演奏を披露、新たなる次への展開をうかがわせた。
また2006年、キリンラガービールのテレビCMとの連動企画で「サディスティック・ミカ・バンド」が木村カエラをボーカルに迎えて二度目の再結成。10月にはアルバムをリリースした。同じく2007年には同CMの企画でYMOがこれも二度目の再結成。CMでは「ライディーン」のセルフカバー版「RYDEEN 79/07」を披露し、同時にネット配信を開始。5月にはチャリティ団体「Smile Together Project」主催のライヴに(HASとして)出演、また7月には「ライヴ・アース」に出演。ワールドハピネスの主催。
2008年、新バンドpupaを、原田知世、高野寛、高田漣、権藤知彦、堀江博久と共に結成。同年7月2日にアルバム「floating pupa」リリースした。
2009年3月11日にはオリジナル・アルバムとしては22作目となるニュー・アルバム「Page By Page」がリリース。小山田圭吾をサポートに迎え同年6月6日には3年ぶりのソロ・ライヴ、7月には自ら「念願だった」というフジロック・フェスティバルに出演、10月にはフェス形式のライブハウス公演に登壇するなど単発的ながら充実のライブ活動を展開した。
活動実績
音楽プロデュース
竹中直人、安田成美、高野寛、山下久美子、中原理恵、シーナ&ザ・ロケッツ、立花ハジメ、ピンクレディー、門あさ美、SMOOTH ACE、NOKKO、桐島かれん、TOKIO、EBIなど。
作詞・作曲
桜田淳子、竹内まりや、田原俊彦、高岡早紀、浅香唯、小坂一也、藤真利子、堀ちえみ、ピエール・バルー、高井麻巳子、杉本彩、サンディー&サンセッツ、宮本典子(現mimi)、伊藤つかさ、ザ・ベンチャーズ、冨田ラボ、安田成美など提供作品多数。
演奏参加
BUZZ、山下達郎、荒井由実、矢沢永吉、太田裕美、キャンディーズ、浅野ゆう子、山口百恵、桑名正博、草刈正雄、岩崎宏美、オフコース、泉谷しげる、加藤和彦、矢野顕子、大貫妙子、八神純子、ビル・ネルソン、アグネス・チャン、堀ちえみ、海援隊、来生たかお、浜田省吾、南佳孝、鈴木茂、ブレッド&バター、Zaine Griff、郷ひろみ、松井常松、テイ・トウワ、東京スカパラダイスオーケストラ、EPO、山本達彦、渡辺香津美、高中正義、やくしまるえつこ、小林武史 小椋桂など多数の作品に参加(ドラムをはじめ、キーボード、コーラスなど)。
その他
山本耀司のパリ・コレクション出展用の音楽を制作、椎名誠監督映画『ガクの冒険』では音楽監督を務めた。
カシオのリズムマシン「RZ-1」に内蔵されたドラム音の監修を行った。
ソロ・ディスコグラフィ
シングル
- キングレコードSEVEN SEASレーベル
- C'EST SI BONセ・シ・ボン(1978年6月21日)
- 音楽殺人(1980年6月21日)
- 悲しきブルーカラーワーカー(1980年12月5日)
- アルファレコード¥・E・Nレーベル
- ARE YOU RECEIVING ME?(1983年1月1日)
- 前兆(1983年6月25日)
- 「四月の魚」テーマソング -Poisson D'avril(1985年4月25日)
- キャニオンレコードT・E・N・Tレーベル
- Weekend(1986年8月21日)
- 東芝EMIイーストワールドレーベル
- Look of Love(1988年11月9日)
- 1%の関係(1990年2月15日)
- X'MAS DAY IN THE NEXT LIFE(1990年11月14日)
- 愛はつよい stronger than iron(1991年2月20日)
- 元気ならうれしいね(1991年11月27日)
- 素敵な人(1992年3月18日)
- 青空(1994年10月19日)
- 精一杯の微笑み(1995年4月8日)
- water melon(1995年4月28日)ダイスオーケストラ名義
- さえない気持ち(1995年9月27日)
- 名もない恋愛(1996年10月16日)
- アゲントコンシピオコンシピオレコードレーベル
- 手をのばせば〜A touch of Love〜(1997年6月18日)
コラボレート・シングル
- キャニオンレコードT・E・N・Tレーベル
- STAY CLOSE(1986年2月21日)高橋幸宏&スティーヴ・ジャンセン
- 12インチシングル。当時ジャパンのドラマーだったスティーヴ・ジャンセンとのコラボレート。
スタジオ・アルバム
オリジナルリリース | タイトル | 順位 | |
1 | 1978年6月21日 | サラヴァ! | - |
2 | 1980年6月21日 | 音楽殺人 | 12位 |
3 | 1981年5月24日 | NEUROMANTIC | 21位 |
4 | 1982年6月21日 | WHAT, ME WORRY? | 35位 |
5 | 1983年8月25日 | 薔薇色の明日 | 11位 |
6 | 1984年11月10日 | WILD&MOODY | 13位 |
7 | 1985年11月1日 | Once A Fool,... | 11位 |
8 | 1986年8月21日 | ...Only When I Laugh | 24位 |
9 | 1987年5月21日 | La Pensee | 60位 |
10 | 1988年11月16日 | EGO | 16位 |
11 | 1990年4月4日 | BROADCAST FROM HEAVEN | 11位 |
12 | 1991年3月20日 | A Day In The Next Life | 37位 |
13 | 1992年3月18日 | Life Time, Happy Time | 22位 |
14 | 1994年11月16日 | MR.YT | 33位 |
15 | 1995年10月25日 | Fate Of Gold | 49位 |
16 | 1996年11月13日 | Portrait With No Name | 49位 |
17 | 1997年9月19日 | A Sigh of Ghost | 99位 |
18 | 1998年3月18日 | A Ray Of Hope | - |
19 | 1999年10月20日 | The Dearest Fool | 88位 |
20 | 2006年3月15日 | BLUE MOON BLUE | 93位 |
21 | 2009年3月11日 | Page By Page | 56位 |
ライブ・アルバム
- tIME aND pLACE(1984年1月25日/13位)
- A Night In The Next Life(1991年8月23日/74位)
- Run After You Yukihiro Takahashi Live 1998(1998年9月18日)
- A Night in The Next Life-Perfect Premium Discs-(2009年3月11日/300位)
セルフカバー
- Heart of Hurt(1993年1月27日/28位)
サウンドトラック
- 四月の魚 - Poisson D'avril(1985年4月25日/28位)
- ガクの冒険(1991年8月23日)
- うみ・そら・さんごのいいつたえ(1992年1月25日)
- あひるのうたがきこえてくるよ(1993年8月30日)
- しずかなあやしい午後に(1996年11月10日)
- The Show vol.6 Yohji Yamamoto Collection Music(1996年12月10日)
ベストアルバム
- The Brand New Day(1985年11月28日)
- The Best Way(1993年5月21日)
- I'm Not In Love. The Best Of Yukihiro Takahashi 1988 - 1995(1995年6月7日/36位)
- Collection SNGLES & MORE 1988 - 1996(1998年2月25日)
- colors (best of yt cover tracks vol.1)(1999年6月17日)
- colors (best of yt cover tracks vol.2)(1999年7月7日)
- A Dog Smiled(2002年11月20日)
- Turning The Pages Of Life ALFA Years 1981 - 1985(2009年3月11日/113位)
- Turning The Pages Of Life EMI Years 1988 - 1996(2009年3月11日/211位)
ライブビデオ
- BOYS WILL BE BOYS(1983年11月18日)
ユニット・ディスコグラフィ
- 出口主義 - Exitentialism(1981年)
- ビートで行こう - Exitentialist A Go Go(1987年/37位)
- The Show vol.4 Yohji Yamamoto Collection Music(1996年/サウンドトラック)
- M.R.I.(2001年)
- LAST TRAIN TO EXITOWN (2011年/68位)
SADISTIC MICA BAND、SADISTIC MIKAELA BAND
- 天睛(1989年/3位)
- 睛天 ライブ・イン・トーキョー1989 (1989年/21位/ライブ)
- ナルキッソス - Narkissos (2006年/6位)
- Live In Tokyo (2007年/34位/ライブ)
- パルス・バイ・パルス - Pulse × Pulse(1997年)
作品を発表したレコード会社
出演映画
- だいじょうぶマイフレンド(1983年)
- A Y.M.O. FILM PROPAGANDA(1984年)
- 天国にいちばん近い島(1984年) - 桂木次郎 役
- 四月の魚(1986年) - 根本昌平 役(主演)
- 異人たちとの夏(1988年)
- 男はソレを我慢できない(2006年)
- 20世紀少年 <最終章> ぼくらの旗(2009年) - ビリー 役
- ノルウェイの森(2010年)
ゲーム音楽
著書
テレビ番組
テレビアニメ
- The World of GOLDEN EGGS (Episode26、ノーマン役)
CM
- トヨタ・MR2(SW20型、1989年) - CMソング
- 学生援護会『サリダ』(1990年)
- アサヒ飲料「KAFEO」(1996年)- ウェイター役で出演。
- 麒麟麦酒「クラシックラガー」(2007年)※YMOとして出演。
- サッポロビール・エビスビール(2009年)
- 江崎グリコ「ポッキー」(2010年) ※YMOとして出演。
他、多数。
関連項目
- ガロ
- サディスティック・ミカ・バンド
- サディスティックス
- イエロー・マジック・オーケストラ
- ビートニクス
- スケッチ・ショウ
- ヒューマン・オーディオ・スポンジ
- 高橋信之
- 伊藤美恵
- 伊藤壮一郎
- 高橋世織
- スティーヴ・ジャンセン
- デヴィッド・パーマー
- 高野寛
- 奥村靫正
- ニューロマンサー
外部リンク
- 高橋幸宏 (@room66plus) - X(旧Twitter)
- 高橋幸宏 - Myspace
- 高橋幸宏 - Discogs
- 「オフィスインテンツィオ」公式サイト
- 高橋のマネジメントが関連会社「株式会社ヒンツ・ミュージック」に移った旨の記述有