クインシー・ジョーンズ
クインシー・ジョーンズ Quincy Jones | |
---|---|
(1980年撮影) | |
基本情報 | |
出生名 | Quincy Delight Jones Jr. |
別名 | Q |
生誕 |
1933年3月14日 アメリカ合衆国 イリノイ州、シカゴ |
出身地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク |
死没 |
2024年11月3日 (91歳没) アメリカ合衆国 カリフォルニア州、ロサンゼルス |
ジャンル | ジャズ、フュージョン、ソウル、R&B、ポップ・ミュージック |
職業 | 音楽プロデューサー |
担当楽器 | トランペット、シンセサイザー、ピアノ、ドラム、ホルン |
活動期間 | 1951年 - 2024年 |
レーベル |
マーキュリー A&M ワーナー・レコード/クウェスト・レコード |
クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones、1933年3月14日 - 2024年11月3日[1])は、アメリカ合衆国のジャズ・ミュージシャン、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家。マイケル・ジャクソンと共同プロデュースしたアルバムにて売上世界一のギネス記録保持者。1950年代から第一線で活躍を続け、グラミー賞をはじめとする音楽賞を多数受賞している。ブラックミュージック界のみならず、アメリカのポピュラー音楽界における著名人の一人。また、米FOXテレビの人気コメディ番組『MADtv』の製作総指揮も担当。
来歴
[編集]生い立ち - 1970年代までの活動
[編集]イリノイ州シカゴ出身。少年時代にトランペットを学ぶ。10歳の頃にワシントン州に転居。そこで盲目のピアノ・プレーヤーの少年レイ・チャールズと知り合い、ともにバンド活動を始める。1951年、バークリー音楽大学を卒業後、トランペット・プレーヤーとしてライオネル・ハンプトン楽団[2] に参加。そこでアレンジャーとしての才能を見出され、カウント・ベイシー、デューク・エリントンら多くのジャズミュージシャンのアレンジを手がけるようになった。
1957年にパリへ渡り、作曲・音楽理論などを学ぶ。フランスのマーキュリー・レコード社長の知己を得てヨーロッパでも数々のビッグバンドを率いて活躍し、自身のバンドでも成功を収めた。1964年には、マーキュリー・レコードニューヨーク支社の副支社長となり、同時に映画音楽の分野へも活動の幅を広げる。
1960年代からはプロデューサーとしても活躍し始め、1962年には『ビッグ・バンド・ボサ・ノヴァ』を発表。同アルバムに収録の「ソウル・ボサ・ノヴァ」は彼の代表曲[3]ともなり、1963年にレスリー・ゴーアの「涙のバースデイ・パーティ」をビルボード1位にしたのをはじめ、マイルス・デイヴィス、フランク・シナトラらのプロデュースを手がけた。また映画『夜の大捜査線』や『ゲッタウェイ』のサウンドトラックも評判となった。テレビ映画、ドラマでは『鬼警部アイアンサイド』や『ルーツ』のサウンドトラックも担当した。自身の作品でも数々のヒット作を残し、1978年にはファンキー・ディスコ調の『スタッフ・ライク・ザット』がポップ・チャートでもヒットした。
1978年、映画『ウィズ』の現場でマイケル・ジャクソンと出会う。
そこでマイケルが「誰か僕に合うプロデューサーはいないかな」と言ったところ「僕じゃ駄目かな?」とクインシーが返答したという逸話が残っている[4]。
そうして翌年のアルバム『オフ・ザ・ウォール』よりタッグを組むことになる[4]。
1980年代以降の活動
[編集]1981年、自身のアルバム『愛のコリーダ (The Dude)』収録の「愛のコリーダ」(チャス・ジャンケルによる1979年録音のアルバム『愛のコリーダ (Chas Jankel)』収緑曲のカヴァー。タイトルの由来は、大島渚監督の同名映画)は、ポップ・チャートでもヒットした。
1982年のマイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』はギネス・ワールド・レコーズに史上最も売れたアルバムとして認定され、その地位は不動のものとなる[4]。同年、自主レーベルのクウェスト・レコードを設立、1985年までA&Mレコードが供給したが、後にワーナー・ブラザース・レコードに売却される。また同年には、アメリカのスーパースターが一堂に会して録音したチャリティー曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」のプロデュースも手がけた。
1987年のマイケル・ジャクソンのアルバム『バッド』も同一アルバムからのシングルカットが5つのナンバーワン・ヒットを記録[4]。このアルバムを最後にマイケルとのタッグを解消する。
さらに1990年代のクインシー自身のアルバムからは「シークレット・ガーデン」のヒットが生まれた。1990年代のクラブ・シーンでは、1960年代のファンキーなジャズ作品が再評価され、「ソウル・ボサ・ノヴァ」は、映画『オースティン・パワーズ』のテーマ曲としても使用された。日本では、テレビ番組『ウイークエンダー』のジングルとして『鬼警部アイアンサイド』のテーマが再度注目された。
1994年度の第67回アカデミー賞においてジーン・ハーショルト友愛賞を受賞[5]。
1999年、クインシー、ボブ・ゲルドフ、U2のボノが中心になって、マイケル・ジャクソン、マドンナ、スティング、ポール・マッカートニーほか多数のミュージシャンがサポートした世界の貧困救済を唱えるジュビリー2000の運動に参加した(2005年のチャリティ・コンサート、LIVE 8へと発展していった)。
2003年、クインシー・ジョーンズ生誕70周年ベスト・アルバムがリリースされる。
2006年、北京オリンピック組織委員会の芸術顧問になったが、後にダルフール紛争に関する中国政府の姿勢に抗議してクインシーは、スティーヴン・スピルバーグらと芸術顧問を辞任した[6]。
2007年に、2008年度のグラミー賞レコーディングアカデミー50回大記念の大使に任命された。「現在18,000ものミュージックメーカーで構成されたグラミー賞の創始者の一人として誇りに感じている」とコメントし、50周年を祝う数々のセレモニーを企画している。
2022年にはジム・キャリーと共に、ザ・ウィークエンドのアルバム『Dawn FM』の制作に関わった[7]。
2024年11月17日、第15回ガバナーズ賞においてアカデミー名誉賞(第97回)が授与される予定だったが[5]、同年11月3日の夜、ロサンゼルスのベルエア地区にある自宅で死去。91歳没[8]。後に死因は膵臓癌だとわかった[9]。
家族
[編集]- 女優のジェリ・コードウェル(1957年結婚、1966年離婚)との間に一女(ジョリー・ジョーンズ・リーバイン)。
- スウェーデン人女優のウラ・ジョーンズ (1967年結婚、1974年離婚) との間に一男(作曲家のクインシー・ジョーンズ3世)一女(マルティナ)。
- 女優のペギー・リプトン(1974年結婚、1990年離婚)との間に二女 (女優のキダーダ・ジョーンズ、ラシダ・ジョーンズ)。
- 愛人のキャロル・レイノールズとの間に一女(レイチェル・ジョーンズ)。
- ドイツ人女優のナスターシャ・キンスキー(1991年結婚、1995年離婚)との間に一女(モデルのケーニャ・キンスキー・ジョーンズ)。
ディスコグラフィ
[編集]リーダー・アルバム
[編集]- 『ジャズ・アブロード』 - Jazz Abroad (1955年、EmArcy) ※with ロイ・ヘインズ
- 『私の考えるジャズ』 - This Is How I Feel About Jazz (1956年、ABC-Paramount)
- 『ゴー・ウェスト・マン』 - Go West, Man! (1957年、ABC-Paramount)
- Quincy's Home Again (1958年、Metronome) ※EP
- 『バンドの誕生』 - The Birth of a Band! (1959年、Mercury) ※旧邦題『バース・オブ・ア・バンド』
- 『グレイト・ワイド・ワールド・オブ・クインシー・ジョーンズ』 - The Great Wide World of Quincy Jones (1959年、Mercury)
- 『アイ・ディグ・ダンサーズ』 - I Dig Dancers (1960年、Mercury)
- 『ビッグ・バンド・ジャズ世界旅行』 - Around the World (1961年、Mercury)
- 『クインシー・ジョーンズ・アット・ニューポート'61』 - Newport '61 (1961年、Mercury)
- 『グレイト・ワイド・ワールド・オブ・クインシー・ジョーンズ・ライヴ!』 - The Great Wide World of Quincy Jones Live (in Zurich!) (1961年、Mercury)
- 『ザ・クインテッセンス』 - The Quintessence (1961年、impulse!)
- 『ソウル・ボサ・ノヴァ』 - Big Band Bossa Nova (1962年、Mercury)
- 『ザ・ヒップ・ヒッツ』 - Quincy Jones Plays Hip Hits (1963年、Mercury)
- 『ミュージック・オブ・ヘンリー・マンシーニ』 - Quincy Jones Explores the Music of Henry Mancini (1964年、Mercury)
- 『ゴールデン・ボーイ』 - Golden Boy (1964年、Mercury) ※旧邦題『サイドワインダー』
- 『ウィー・ハド・ア・ボール』 - I/We Had a Ball (1964年、Limelight) ※ミュージカル・サウンドトラック(オムニバス)
- 『プレイズ・フォー・プッシーキャッツ』 - Quincy Plays for Pussycats (1965年、Mercury)
- 『クインシーのニュー・バッグ』 - Quincy's Got a Brand New Bag (1965年、Mercury)
- 『ウォーキング・イン・スペース』 - Walking in Space (1969年、A&M)
- 『グラ・マタリ』 - Gula Matari (1970年、A&M)
- 『スマックウォーター・ジャック』 - Smackwater Jack (1971年、A&M)
- 『バッド・ガール』 - You've Got It Bad Girl (1973年、A&M)
- 『ボディ・ヒート』 - Body Heat (1974年、A&M)
- 『メロー・マッドネス』 - Mellow Madness (1975年、A&M)
- 『アイ・ハード・ザット!!』 - I Heard That!! (1976年、A&M)
- 『スタッフ・ライク・ザット』 - Sounds...and Stuff Like That!! (1978年、A&M)
- 『ライヴ・アット武道館』 - Quincy Jones Live at the Budokan (1981年、A&M)
- 『愛のコリーダ』 - The Dude (1981年、A&M)
- 『至上の愛』 - Blanchard: New Earth Sonata / Telemann: Suite In A Minor (Overture/Air A L'Italien/Rejouissance) (1985年、CBS Masterworks) ※with ヒューバート・ロウズ、チック・コリア
- 『バック・オン・ザ・ブロック』 - Back on the Block (1989年、Qwest)
- 『ライヴ・アット・モントルー』 - Miles & Quincy Live at Montreux (1993年、Warner Bros.) ※with マイルス・デイヴィス
- 『Q'Sジューク・ジョイント』 - Q's Jook Joint (1995年、Qwest)
- 『Q ライヴ・イン・パリ1960』 - Q Live in Paris circa 1960 (1996年、Qwest)
- 『ベイシー&ビヨンド』 - Basie and Beyond (2000年、Warner Bros.) ※ザ・クインシー・ジョーンズ/サミー・ネスティコ・オーケストラ名義
- The Original Jam Sessions 1969 (2004年、Concord Jazz) ※with ビル・コスビー
- 『Q:ソウル・ボサ・ノストラ』 - Q Soul Bossa Nostra (2010年、Interscope)
- 『マドモアゼル・ド・パリ』 - Mademoiselle De Paris (2013年、SSJ) ※with アンディ・ウィリアムス
サウンドトラック
[編集]映画
[編集]- 『質屋』 - The Pawnbroker(1965年)シドニー・ルメット監督
- 『蜃気楼』 - Mirage(1965年)エドワード・ドミトリク監督
- 『いのちの紐』 - The Slender Thread(1965年)シドニー・ポラック監督
- 『歩け走るな!』 - Walk, Don't Run(1966年)チャールズ・ウォルタース監督
- 『恐怖との遭遇』 - The Deadly Affair(1967年)シドニー・ルメット監督
- Enter Laughing(1967年)カール・ライナー監督
- 『夜の大捜査線』 - In the Heat of the Night(1967年)ノーマン・ジュイソン監督
- 『冷血』 - In Cold Blood(1967年)リチャード・ブルックス監督
- 『愛は心に深く』 - For Love of Ivy(1968年)ダニエル・マン監督
- 『汚れた七人』 - The Split(1968年)ゴードン・フレミング監督
- 『マッケンナの黄金』 - Mackenna's Gold(1969年)J・リー・トンプソン監督
- 『ミニミニ大作戦』 - The Italian Job(1969年)ピーター・コリンソン監督
- 『失われた男』 - The Lost Man(1969年)ロバート・アラン・アーサー監督
- 『ボブ&キャロル&テッド&アリス』 - Bob & Carol & Ted & Alice(1969年)ポール・マザースキー監督
- 『サボテンの花』 - Cactus Flower(1969年)ジーン・サックス監督
- 『ジョンとメリー』 - John and Mary(1970年)ピーター・イェーツ監督
- 『続・夜の大捜査線』 - They Call Me Mister Tibbs!(1970年)ゴードン・ダグラス監督
- 『バンクジャック』 - $(1971年)リチャード・ブルックス監督
- 『ショーン・コネリー/盗聴作戦』 - The Anderson Tapes(1971年)シドニー・ルメット監督
- 『センチュリアン』 - The New Centurions(1972年)リチャード・フライシャー監督
- 『ホット・ロック』 - The Hot Rock(1972年)ピーター・イェーツ監督
- 『ゲッタウェイ』 - The Getaway(1972年)サム・ペキンパー監督
- 『ウィズ』 - The Wiz(1978年)シドニー・ルメット監督
- 『カラーパープル』 - The Color Purple(1985年)スティーヴン・スピルバーグ監督
テレビシリーズ
[編集]- 『鬼警部アイアンサイド』 - Ironside(1967年 - 1975年)
- 『ルーツ』 - Roots(1977年)
作曲、指揮、編曲、プロデュース(抜粋)
[編集]- 1955年 ヘレン・メリル、Helen Merrill with Clifford Brown
- 1955年 ソニー・スティット、Sonny Stitt Plays Arrangements from the Pen of Quincy Jones
- 1961年 ペギー・リー、If You Go
- 1962年 ペギー・リー、Blues Cross Country
- 1963年 エラ・フィッツジェラルド、Ella and Basie!
- 1964年 フランク・シナトラ、It Might as Well Be Swing
- 1966年 フランク・シナトラ、Sinatra at the Sands with Count Basie
- 1979年 マイケル・ジャクソン、Off the Wall
- 1982年 マイケル・ジャクソン、Thriller
- 1984年 フランク・シナトラ、L.A. Is My Lady
フィルモグラフィ
[編集]- 『ファンタジア2000』 - Fantasia 2000 (1999年) – 自身役 (「ラプソディ・イン・ブルー」の断片)
- 『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』 - Austin Powers in Goldmember (2002年) – 自身役
- 『すばらしき映画音楽たち』 - Score: A Film Music Documentary (2017年) – 自身役
- 『サンディ・ウェクスラー』 - Sandy Wexler (2017年) – 自身役
- 『クインシーのすべて』 - Quincy (2018年) – 自身役
- 『ブラック・ゴッドファーザー : クラレンス・アヴァントの軌跡』 - The Black Godfather (2019年) – 自身役
- Jay Sebring....Cutting to the Truth (2020年) – 自身役
受賞とノミネート
[編集]日本公演
[編集]- 7月6日 日本武道館、7日 神戸国際会館、9日 日本武道館、10日 福岡サンパレス
- ※東京のNHKスタジオでライブのリハーサルが行われた。武道館公演を収めたライブ・アルバム『LIVE AT THE BUDOKAN』[10]を後にリリース。「ラザマタズ」が来日記念シングルとして日本独自のジャケットでリリースされた。
- 2013年 The 80th Celebration Live Gala Party
- 7月28日 Blue Note Tokyo、31日、8月1日 東京国際フォーラムホールA
※上記以外にも、1973年と1975年に来日公演を行っている。なお、ビジネスやプロモーションを含めると1960年代から度々来日しており、1987年に行われたマイケル・ジャクソンの初のソロ来日公演に同行して日本へ来たこともある。
関連項目
[編集]- 久石譲 - ペンネームはクインシー・ジョーンズの名前(ク=久、インシー=石、ジョーンズ=譲)をもじり漢字に当てたものに由来する[11]。
- 大橋巨泉
- 日立製作所 - 平成初期にCM出演。
- ジャズ
- フュージョン
- ニュー・サウンズ・イン・ブラス - 「愛のコリーダ」が収録されている。
- ニュー・サウンズ・イン・ブラス - アメリカン・グラフィティXIVでクインシーのメドレーがある。
- 熱帯JAZZ楽団 - アルバム『熱帯JAZZ楽団 IV 〜La Rumba〜』にクインシーのメドレーがある。
- ウォーレン・ウィービー
- メルバ・リストン
- USAフォー・アフリカ - ウィ・アー・ザ・ワールド
脚注
[編集]- ^ “クインシー・ジョーンズさん死去 91歳 マイケル・ジャクソン「スリラー」など手掛ける”. 毎日新聞. スポニチアネックス. (2024年11月4日) 2024年11月4日閲覧。
- ^ https://www.discogs.com/artist/136133-Lionel-Hampton
- ^ 日本では1980年代に東京モード学園のテレビCMに用いられた他、マイク・マイヤーズ主演の映画「オースティン・パワーズ」シリーズのテーマ曲にも起用された。
- ^ a b c d “Quincy Jones Best Stories About Workinhg With MJ Sinatra And Ray”. 2014年7月13日閲覧。
- ^ a b "THE ACADEMY TO HONOR RICHARD CURTIS, QUINCY JONES, JULIET TAYLOR, MICHAEL G. WILSON & BARBARA BROCCOLI AT 15TH GOVERNORS AWARDS" (Press release) (英語). AMPAS. 2024年6月12日. 2024年7月5日閲覧。
- ^ “ハリウッドスター、北京五輪への抗議の風潮” (HTML). 大紀元 (2008年4月13日). 2018年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月9日閲覧。
- ^ Nast, Condé (2022年1月5日). “The Weeknd Enlists Jim Carrey and Quincy Jones for His New 'Dawn FM' Album” (英語). GQ. 2022年8月30日閲覧。
- ^ Beaumont-Thomas, Ben (2024年11月4日). “Quincy Jones, producer and entertainment powerhouse, dies aged 91” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077 2024年11月4日閲覧。
- ^ “伝説的プロデューサーのクインシー・ジョーンズさん、死因は膵臓がんだった 11月3日に死去/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online (2024年11月15日). 2024年11月15日閲覧。
- ^ “Quincy Jones - Live At Budokan”. Discogs. 2021年12月14日閲覧。
- ^ 前島秀国「久石譲」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 。コトバンクより2023年12月14日閲覧。
外部リンク
[編集]- Home - Quincy Jones - ウェイバックマシン(2022年3月3日アーカイブ分)
- クインシー・ジョーンズ - Myspace
- クインシー・ジョーンズ (@QuincyDJones) - X(旧Twitter)
- クインシー・ジョーンズ (QuincyJones) - Facebook
- Quincy Jones - IMDb
- クインシー・ジョーンズ - Discogs
- Quincy Jones Music Publishing - ウェイバックマシン(2006年6月10日アーカイブ分)
- ユニバーサル ミュージック内
- American Masters - Quincy Jones: The Story of an American Musician
- クインシー・ジョーンズ - allcinema