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ケートス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コリントス産の壺に描かれたケートス、ペルセウスアンドロメダー[注 1]
くじら座 としてのケートス(ヨハン・バイエル
アンドロメダーの救出(シャルル=アメデー=フィリップ・ヴァン・ロー
ヘーシオネーをケートスから救うヘーラクレース
アンドロメダーが縛り付けられたとされる岩(ドイツ語版

ケートス古希: κῆτος, kētos)はクジラ類やアザラシなどの「海獣」を意味するギリシア語だが、ギリシア神話においては本来の姿をやや離れ、一種の怪物として登場する。また、ラテン語化された「ケートゥス」や「セタス」(cetus)の呼称で参照されることもある。

今日において鯨類を「Cetacean」や「Cetacea」と呼ぶのはケートスが語源とされる。

また、ケートスに因んで「Cetus」や「megakētēs[注 2]」などの呼称が船舶の名前に用いられる事例もあった[1]

概要

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個別の存在だけでなく巨大な海洋生物全般を指す場合もある。

大きく膨れたクジライルカに似た胴体に、イノシシライオンワニなどにも似た頭部を持ち、アシカの様な胸びれまたは犬やライオンの様な前足を持つ。下半身は魚の様で鱗を持ち、尾鰭は扇形で二つに割れている。口や鼻から水を吹くとされることもある。

頭蓋骨の長さが12メートル以上、背骨は1キュビットの厚さがあり、横たわる骨格だけでゾウよりも高さがあったとされる[注 3][2]

後述の通り、ケートスをドラゴン)と混同する事例が多いため、数々の絵画にてドラゴンや大蛇の様な姿をしていたり、口から火炎や煙を吐く描写がされていたり、後ろ足や翼や長い牙を持ち上陸している場合もある。

概して、人間側の視点から見た英雄によって倒される怪物としての印象が強いが、登場するすべての説話において神々に仕える存在(神獣)として描写されており、後述の通り、神々や重要人物等を助けたり、人間の魂を導くなどの伝承も残されている。

なお、古典的なスキュラカリュブディスゴルゴーンメドゥーサ[注 4]の描写には、ケートスとデザイン上の共通性がみられる[3]。メドゥーサに関しては、物語上の役割(ケートスに対して使われた武器)にフンババとの類似性を指摘する声もある[4]

ギリシア神話や関連神話におけるケートス

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出自についてはゼウスないしポセイドーンによって作られたとも、テューポーンエキドナの間に生まれた[5]とも言われており、伝承によって物語上の描写に差異がある。

最も有名なエピソードに於いて、ケートスはポセイドーンによって作り出され、エチオピア人の王国を崩壊させるために送り込まれている。王妃カッシオペイアが自らの美貌を誇示し、女神ヘーラーや海のニュンペー達よりも美しいと吹聴したため、ポセイドーンの怒りを買った。

ポセイドーンが仕向けたケートスを鎮めるには、国王と王妃は愛娘(王女)であるアンドロメダーを生贄にするしかなく、アンドロメダーは鎖に繋がれてヤッファの海岸の岩(ドイツ語版)に縛り付けられた。ほどなくしてケートスが海から現れ、束縛されたアンドロメダーがケートスに喰われようとした今際に、メドゥーサを退治した英雄ペルセウス[注 5]がこの地を通りかかった。王女を救うためにペルセウスは怪物と戦うことを決意し、激しい攻防の末にケートスはペルセウスによって退治され[注 6]、アンドロメダーは無事に救われてペルセウスの妻となったという。

ヘーシオネーを救うために(ペルセウスの子孫である)ヘーラクレースによって倒される逸話もある[6]

上記の通り、神々の意思によって暴れる恐ろしい怪物としてだけでなく、ケートスがイーノーメリケルテースを救う描写[注 7][7]ネーレーイス天使等を運ぶ等の描写が様々なレリーフ等にて見られる事例も少なくない。

エトルリア神話におけるケートス

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エトルリアに伝わったケートスは、この地における信仰英語版において死者の魂を来世に運ぶプシュコポンポス英語版)の役割を担ったため、骨壷や石棺に多くのケートスや海豚海馬ヒッポカムポス)が描かれている[8][9]

また、ネタンスはケートスを象徴した兜を装着する描写がされる場合がある。

キリスト教や他の神話におけるケートス

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アスピドケロンとケートスを同一視する絵画(ベルンのフィシオログス

ギリシャ語訳聖書七十人訳聖書)のヨナ書第二章の中で、嵐を鎮めるために海に投げ込まれたヨナを救うために、神はケートスを遣わしたとされている[8]。他にも創世記マタイによる福音書の記述にもケートスが登場する。

ギリシャ語訳聖書が一般的だった初期キリスト教の教会装飾には、ケートスと考えられる海獣のモチーフが多く見られる。しかし、ギリシャ語訳聖書の原本であるヘブライ語聖書や、その翻訳である共同訳聖書では神が遣わしたのは「大きな魚」となっており、ケートスが現れるのはギリシャ語訳聖書とウルガタ聖書の一部である。古代ローマ文化の影響が過去となり、ギリシャ語訳聖書を使用しなくなった西方キリスト教圏では、ゴシック期にはケートスのイメージは巨大魚のイメージに置き換わっている[8]

タンニーン英語版七十人訳聖書ウルガタにてケートスと混同され、「クジラ」や「ドラゴン)」という翻訳がされる場合もある[10][11]

ユダヤの神話では、リヴァイアサンラハブ英語版)と混同される場合もあった[12]

また、北欧の伝承にある怪物であるアスピドケロンがケートスと同一視される事例も散見される。

竜やドラゴンやマカラ等との関連性

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ネーレーイス智天使を運ぶケートス(ガンダーラ[注 8][13]
アプロディーテーに付き従う海豚型の生物や、マカラ等の初期のデザインの一部[注 9]

ケートスとギリシャ神話の「ドラコン [注 10]」には、姿だけでなく神話上の類似性が目立ち、ケートス自体がドラゴンとして扱われる場合もある[2][3][14]。また、ケートス自体が現在の「ドラゴン」の源流を形作ったという意見もある[15]

ケートスの姿は、東洋におけるマカラ[注 11]に影響を与えたという意見もある[13][16]ジョン・ボードマン英語版による調査[16]では、古代ギリシャの文化が各地に拡散して影響していく中で、同様にシルクロードによってギリシャ神話などにおける神々や伝説上の生物のイメージが東方に伝わり[注 12]、竜[注 13]やマカラ[注 14]のデザインがケートスとの接触後に近代の姿の原型に変化したとされる[注 15][16]。 後年ではラクダの頭を持つとされる中国の竜は、最初期の竜のデザインの一つが「猪竜」または「玉猪竜(zhūlóng)」と呼ばれる物であり[注 16]、ケートス[17][2]の他にもギリシャ神話や古代西洋美術にて普遍的にみられる海豚の描写の一つであるに似た頭を持つ点と類似性がある。

ティアマトのイメージや、竜の姿をした神であるヤムと彼の兄弟であるモートが、リヴァイアサンと共にケートスのイメージに影響を与えたという説も存在する[2]が、ケートスが由来するギリシア神話の形成は紀元前15世紀にまで遡り、リヴァイアサンの起源である旧約聖書よりも古い。

七十人訳聖書ウルガタにおいては、ケートス自体が「リヴァイアサンレヴィアタン)」として翻訳されたり、シュメール神話の七つ頭の大蛇(英語版[注 17]やロタン(英語版)と混同される場合もある[10][11]

上記の通り、ユダヤの神話の中でリヴァイアサンラハブ英語版)などのドラゴンがケートスと混同される場合もあった[12]

鯨類ドラゴンに該当する存在 [注 18]を関連付ける伝承は、上記の通りケートスと混同されてきたヨナ書の「大魚」[18]タンニーン英語版リヴァイアサン[19]およびバハムートの他、古代中国や韓国やベトナムの鯨神[20]マオリ神話タニファ[21]十二支[22][23]等世界各地に存在し、鯨類の骨がドラゴン)伝承の発端となった可能性もある[24][25]

関連画像

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脚注

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注釈

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  1. ^ ΚΗΤΟΣ」 の字が添えられている。
  2. ^ μεγακήτης(ケートスの異名)」
  3. ^ 骨格の高さだけでも船舶と変わらないほどに大きいとされる場合もある。
  4. ^ ペルセウスがケートスを討伐する際に、メドゥーサの首を使うのは普遍的な描写の一つである。
  5. ^ ペガサスグリフォンに乗って現れるとする場合と、魔法の靴によって空を飛んで現れるとする場合などがある。
  6. ^ 剣で倒されたとする話と、メドゥーサの首を突き付けられ石と化したとする話とがある。
  7. ^ パライモーンを救った海豚の代役になっている。
  8. ^ ガンダーラで発見されたマカラレリーフにもケートスの影響を指摘する声もある。
  9. ^ グラフトン・エリオット・スミス(1919年)『The Evolution of the Dragon』より。
  10. ^ drakōn」、後の西洋のドラゴンの原型とされる。
  11. ^ や金毘羅(クンビーラ)等のルーツともされる。
  12. ^ 本著では、ケートスの他にも、タイカオ・サム・カエオ遺跡英語版におけるグリフォンの彫像や、甘粛省靖遠県にてヒョウに跨るディオニューソスの彫像が発見されていることも言及されている(第222頁)。
  13. ^ 前漢以前と以降では、中国の竜の頭部のデザインに明確な変化が見られるとされ、様々な古代ギリシャの文化が拡散していった時期と合致しており、該当時代のケートスと竜のデザインの類似性が指摘されている(第221-224頁)。
  14. ^ ヘレニズム時代に見られたアプロディーテーに付き従う海豚型の生物とマカラの類似性が強く(第212頁)、ケートスとマカラのデザインの共通性も見られるとされ(第260頁、第287頁、第360頁)、また、コルカタ博物館に展示されているまぐさ石では、ケートスとマカラとキューピッドが同一のレリーフ内にて互いに接触している(第364頁)。
  15. ^ 同著では、ギリシャ神話とアジアの神話の比較神話学上の関連性については言及されていない。
  16. ^ 燭陰Zhulong)とは異なる。
  17. ^ ドラゴン(英語版)等と共に「七英雄」に属し、ギリシャ神話の七つ頭の大蛇(英語版)や黙示録の獣とは異なる。
  18. ^ 竜神竜王等を含む。

出典

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  1. ^ The Kosmos Society, 2019年, The Idealized Ship | Part 2: Huge, hollow and swallowing, Center for Hellenic Studies英語版, ハーバード大学
  2. ^ a b c d Joseph Eddy Fontenrose英語版), 1974年, Python: A Study of Delphic Myth and Its Origins, 第289-294頁, Biblo and Tannen Publishers(Canaveral Press, 英語版
  3. ^ a b Daniel Ogden, 2013年, Drakon: Dragon Myth and Serpent Cult in the Greek and Roman Worlds,Drakon: Dragon Myth and Serpent Cult in the Greek and Roman Worlds, Fights with Kētē, Sea-Serpents, 116-147頁, オックスフォード大学出版局
  4. ^ Judith McKenzie, A.T. Reyes and A. Schmidt-Colinet, "Faces in the rock at Petra and Medain Saleh," Palestine Exploration Quarterly 130 (1998) 37, 39 with references. Not all decapitation scenes are identifiable as Gilgamesh and Humbaba: in 1928 C. Opfer claimed to find only one (Opfer, "Der Tod des Humbaba," Altorientalische Forschungen 5 (1928:207ff).
  5. ^ 久保田悠羅, F.E.A.R., 2002年, 『ドラゴン』, 「Truth In Fantasy」シリーズ, 新紀元社
  6. ^ Perseus: ビブリオテーケー 2.4.3. ヘラクレス: ホメーロス イーリアス 21.441, Apollodorus 2.5.9.
  7. ^ Leveson Venables-Vernon-Harcourt英語版), 1838年, The doctrine of the Deluge; vindicating the scriptural account from the doubts cast upon it, Vol.1, 385頁
  8. ^ a b c 金沢百枝, 2008年, 『ロマネスクの宇宙:ジローナの『天地創造の刺繍布』を読む』, 116-129頁, 東京大学出版会, ISBN 978-4-13-086037-6
  9. ^ ナンシー・トムソン・デ・グラモンド英語版, 2006年, 『Etruscan Myth, Sacred History, and Legend』, The Journey to the Afterlife, 212頁, ペンシルベニア大学考古学人類学博物館
  10. ^ a b Gen. 1:21 (欽定訳聖書).
  11. ^ a b Isa. 27:1 (欽定訳聖書).
  12. ^ a b Heider, George C. (1999), “Tannîn”, in Toorn, Karel van der; Bob Becking(オランダ語版); Horst, Pieter Willem van der, Dictionary of Deities and Demons in the Bible英語版), 2nd ed., グランドラピッズ: William B. Eerdmans Publishing Company(英語版, https://books.google.com/books?id=yCkRz5pfxz0C&pg=PA834 
  13. ^ a b 唐草とともにある聖獣(2) - マカラ
  14. ^ Sharon Khalifa-Gueta, 2018年, The Evolution of the Western Dragon (PDF), 265-290頁, Athens Journal of Mediterranean Studies, Volume 4, Issue 4, Center for European and Mediterranean Affairs, Athens Institute for Education and Research
  15. ^ 金沢百枝, 2008年, 『古代地中海の怪物ケートスの系譜とドラゴンの誕生--ジローナ《天地創造の刺繍布》における二匹の海獣に関する一考察』, 「地中海学研究 = Mediterraneus」, 第24巻, 3-28頁, 地中海学会, ISBN:09118802
  16. ^ a b c ジョン・ボードマン英語版 (2015). The Greeks in Asia. テームズ・アンド・ハドソン. pp. 212, 221-224, 260, 287, 360, 364. ISBN 0500252130 
  17. ^ John K. Papadopoulos, Deborah Ruscillo, 2002年, A Ketos in Early Athens: An Archaeology of Whales and Sea Monsters in the Greek World, American Journal of Archaeology英語版 , Vol. 106, No. 2 (2002年4月), アメリカ考古学研究所英語版
  18. ^ Scott B. Noegel, 2015年, Jonah and Leviathan - Inner-Biblical Allusions and the Problem with Dragons, 236-260頁, Articles / Articoli
  19. ^ Danielle Gurevitch, 2014年, Symbolism and Fantasy of the Biblical Leviathan: From Monster of the Abyss to Redeemer of the Prophets, 50-68頁, JISMOR 10
  20. ^ 李 善愛, 1999年, 『護る神から守られる神へ : 韓国とベトナムの鯨神信仰を中心に』, 195-212頁, 国立民族学博物館調査報告, 第149巻
  21. ^ ニュージーランド・ジオグラフィック英語版, 2019年, The whales are back
  22. ^ Rasulid Hexaglot. P. B. Golden, ed., 2000年, The King's Dictionary: The Rasūlid Hexaglot英語版 – Fourteenth Century Vocabularies in Arabic, Persian, Turkic, Greek, Armenian and Mongol, tr. T. Halasi- Kun, P. B. Golden, L. Ligeti, and E. Schütz, HO VIII/4, Leiden
  23. ^ Jan Gyllenbok英語版, 2018年, Encyclopaedia of Historical Metrology, Weights, and Measures, Volume 1, 244頁, Birkhaeuser
  24. ^ Joseph Stromberg, 2012年, Where Did Dragons Come From?, スミソニアンマガジン, スミソニアン博物館
  25. ^ 藤沢と龍のはなし

参考文献

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関連項目

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