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不破郡

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
不破評から転送)

岐阜県不破郡の位置(1.垂井町 2.関ケ原町 薄黄:後に他郡に編入された区域 水色:後に他郡から編入した区域)

不破郡(ふわぐん)は、岐阜県美濃国)の

人口31,103人、面積106.37km²、人口密度292人/km²。(2024年10月1日、推計人口

以下の2町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のほか、以下の区域にあたる。

先史~近世

美濃国と岐阜県の西端にある。歴史的には畿内東海道東山道諸国を結ぶ交通・軍事上の要地で、古代には不破関が置かれた。

7世紀に置かれた。初見は『日本書紀斉明天皇6年(660年)10月条にあり、百済から唐の捕虜100余人が献上されたことにつき、「今の美濃国の不破・片県二郡の唐人たちである」とある。今とは書紀の編纂時の8世紀初めを指すので、660年に不破郡があったという証拠にはならない。不破に郡があったことがわかる最古の記事は、天武天皇元年672年である。この年の壬申の乱のとき、6月27日に不破に入った大海人皇子(天武天皇)が郡家の近くで高市皇子の出迎えを受けた。不破は大海人皇子が東国から集めた軍勢の集結地になった。ここでいう郡は書紀が編纂当時の制度にあてはめて書いたもので、はじめは不破評として置かれ、大宝元年(701年)に他の評とともに郡に改められた。

別に、不破郡が当芸郡(多芸郡)から分割されたとする説もある[1]。『古事記』には倭建命が当芸野上に到ったとする記述があり、通説は「当芸野の上」と読むが[2]、不破郡の野上にあてれば野上がかつて当芸に属していたと解すことができる。また、不破氏に伝わる系譜が、壬申の乱の直後に当芸郡から不破郡が分割されたと伝える[3]

先史

  • 縄文土器を使用する。(御祭田遺跡、中野遺跡など)
  • 弥生土器を使用する。
  • 4世紀後半 ‐ 親ヶ谷古墳が作られる。その後、朝倉古墳など前方後円墳がつくられる。
  • 7世紀前半 ‐ 南大塚古墳がつくられる。

古代

中世

近世

  • 1589年 ‐ 伊吹・岩手で太閤検地が行われる。
  • 1593年 ‐ 伏見城築城の用材が表佐湊に陸揚げされる。
  • 1600年 ‐ 関ヶ原の戦いがおこる。関ケ原や垂井が戦の舞台となる。
  • 1600年 ‐ 垂井城(平塚為広の居城)が廃城となる。
  • 1600年 ‐ 竹中重門竹中氏陣屋に居を移す。
  • 1624年~1811年にかけて中山道朝鮮通信使が通行する。(計 9回)
  • 1640年 ‐ 垂井宿関ヶ原宿助郷の指定をされる。
  • 1642年 ‐ 関ヶ原の戦いで焼失した、南宮大社を再建する。
  • 1691年 ‐ 松尾芭蕉が垂井に滞在する。
  • 1729年 ‐ 垂井から美濃路経由でが通る。
  • 1755年 ‐ 垂井宿で大火がおこる。
  • 1760年 ‐ 関ヶ原宿でも大火がおこる。
  • 1827年 ‐ 中山道をラクダが通る。
  • 1830年 ‐ 中山道をヒョウが通る。
  • 1861年 ‐ 和宮が中山道を通過する。

近代以降

町村制以前の沿革

知行 村数 村名
幕府領 幕府領 19村 綾戸村、室原村、福田村、綾野村、桧村、久徳村、荒川村、栗原村、塩田村、●今須村、青野村、野上村、●垂井村、●宮代村、松尾村、青墓村、大滝村、島村、表佐村
旗本領 8村 平尾村、梅谷村、市之尾村、岩手村、関ケ原村、玉村、山中村、藤下村
藩領 美濃大垣藩 11村 徳光村、中曽根村、矢道村、荒尾村、昼飯村、赤坂村、長松村、若森村、青柳村、与市新田、牧野新田[4]
尾張名古屋藩 5村 伊吹村、十六村、敷原村、榎戸村、笠毛村
幕府領・藩領 幕府領・旗本領・名古屋藩 1村 府中村
旗本領・名古屋藩 2村 大石村、新井村

町村制以降の沿革

これより先は垂井町関ケ原町を参照。

変遷表

自治体の変遷
旧郡 明治22年以前 明治初年 - 明治22年 明治22年
7月1日
町村制施行
明治30年
4月1日
郡制施行
明治30年 - 昭和30年 昭和31年 - 昭和40年 昭和41年 - 現在 現在
不破郡 栗原村 栗原村 栗原村 合原村 合原村 昭和29年11月3日
養老郡養老町
養老郡養老町 養老郡養老町 養老郡
養老町
室原村 室原村 室原村 昭和29年12月1日
垂井町に編入
垂井町 垂井町 垂井町
今須村 今須村 今須村 今須村 今須村 昭和29年9月1日
関ケ原町
関ケ原町 関ケ原町 関ケ原町
玉村 玉村 玉村 玉村 玉村
関原村 関原村 関原村 関原村 昭和3年4月1日
町制改称 関ケ原町
松尾村 松尾村 松尾村
藤下村 藤下村 藤下村
山中村 山中村 山中村
野上村 野上村 相川村
伊吹村 一部[9] 伊吹村 岩手村 岩手村
一部[9]を除く 昭和29年9月10日
垂井町
垂井町 垂井町 垂井町
大石村 大石村 大石村
岩手村 一部[6]を除く 岩手村 岩手村
一部[6] 明治8年1月
府中村
府中村 府中村 府中村
府中村
平尾村 平尾村 平尾村
梅谷村 梅谷村 梅谷村
敷原村 敷原村 敷原村
市之尾村 市之尾村 市之尾村
大滝村 大滝村 大滝村
新井村 新井村 新井村
垂井町 垂井町 垂井町 垂井町 垂井町
宮代村 宮代村 宮代村 宮代村 宮代村
表佐村 表佐村 表佐村 表佐村 表佐村
綾戸村 綾戸村 綾戸村 荒崎村 荒崎村
長松村 長松村 長松村 昭和29年10月1日
大垣市に編入
大垣市 大垣市 大垣市
十六村 十六村 十六村
島村 島村 島村
塩田村 明治8年1月
静里村
静里村 静里村 昭和15年2月11日
大垣市に編入
大垣市
徳光村
荒川村 荒川村 荒川村
久徳村 久徳村 久徳村
中曽根村 中曽根村 中曽根村
桧村 桧村 桧村
福田村 明治18年7月15日
福田村
福田村 宇留生村
笠毛村
荒尾村 荒尾村 荒尾村
牧野新田 明治20年
改称 牧野村
牧野村
綾野村 綾野村 綾野村 綾里村 昭和22年10月1日
大垣市に編入
多芸郡 野口村 野口村 野口村
不破郡 青墓村 青墓村 青墓村 青墓村 青墓村 昭和29年9月1日
赤坂町
赤坂町 昭和42年9月1日
大垣市に編入
青野村 青野村 青野村
榎戸村 榎戸村 榎戸村
矢道村 矢道村 矢道村
昼飯村 昼飯村 昼飯村
赤坂村 明治8年1月
赤坂村
赤坂村 赤坂村 明治34年5月22日
町制 赤坂町
与市新田
安八郡 池尻村 池尻村 池尻村 北杭瀬村
の一部
昭和3年4月15日
赤坂町に編入
興福地村 興福地村 興福地村
草道島村 草道島村 草道島村 南平野村
の一部
昭和29年4月1日
赤坂町に編入
青木村 明治8年1月
四成村の一部
四成村
の一部
池田郡 市橋村 一部 市橋村 市橋村 揖斐郡
八幡村
の一部
揖斐郡八幡村の一部 昭和30年4月1日
揖斐郡池田町の一部
昭和31年4月1日
赤坂町に編入


行政

歴代郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治12年(1879年)2月18日
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により廃官

その他

本郡と大垣市のうち旧不破郡の地域では、垂井式アクセントという京阪式アクセントの変種(京阪式アクセントから内輪東京式アクセントへの移行アクセント)が用いられる。

本地域の市外局番は全て0584(大垣MA)である。

脚注

  1. ^ 田中卓「不破の関をめぐる古代氏族の動向」156-159頁
  2. ^ 『古事記』岩波文庫版126頁。
  3. ^ 田中卓「不破の関をめぐる古代氏族の動向」157頁に『不破家寿麻呂家譜』の一部の紹介がある。
  4. ^ 記載なし。
  5. ^ 明治8年1月岐阜県第17号布達
  6. ^ a b c 字野庵分
  7. ^ 宇石田・勝沼分・町浦・北田分および堤外・井川上河原畑の各一部
  8. ^ 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)。
  9. ^ a b c 現在の大高。

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 21 岐阜県、角川書店、1980年9月1日。ISBN 4040012100 
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 岐阜県市町村合併等経過一覧表 - ウェイバックマシン(2014年8月8日アーカイブ分)、岐阜県地域計画局市町村室、pp.7-8,54-55。
  • 倉野憲司・校注『古事記』(岩波文庫)、岩波書店、1963年。
  • 田中卓「不破の関をめぐる古代氏族の動向」、『壬申の乱とその前後』、国書刊行会、1985年。初出は『神道史研究』6巻4号(前編)、5号(後編)、1958年7月(前編)、9月(後編)。
  • 消防年報 平成26年刊行 第44号(1954年(昭和29年)9月以降における不破郡の概要):不破消防組合消防本部。
  • 不破のあゆみ:不破郡教育振興会

関連文献

  • 岐阜県不破郡教育会 編『不破郡史. 上巻』不破郡教育会、1926年。NDLJP:1020208