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利用者:Psjk2106/砂場

編成[編集]

JR東日本[編集]

現在の配置車両基地[編集]

豊田車両センター[編集]

以前は300番台の3両編成×12本・6両編成×1本[1]・訓練車編成(4両)x1本[2]の総数46両が配置されていたが、6両編成のM40編成と4両編成の訓練車編成が廃車となり、300番台の3両編成×12本の総数36両が配置されていたが、2014年12月7日以降は、同センターの115系の運用が長野総合車両センターの211系N編成で運用されることになり、全編成が運用を離脱している。現在順次長野総合車両センターに回送されている[3]

M1 - M12編成

特徴としては三鷹区時代から先頭車の貫通幌が長野方クハ115形に装着されていたが、近年では長野総合車両センター所属車に合わせて新宿方クモハ115形装着に変更されているほか、モハ114形では1998年から集電用パンタグラフがシングルアーム式のPS35A・B形に交換されている[4]

M9編成が車両更新工事を施工されたほか、M1編成などがリニューアル工事を施工済である。
また保安装置はATS-P・SNを搭載し、デジタル無線および運転台への簡易モニター設置が施工済である。このため、運転台後ろロングシート上の荷棚部には機器箱も設置される。
さらに多くの編成が耐雪ブレーキを装備しており、列車番号表示機はLED式を助士席側に設置する。車内の座席モケットは薄茶色を基調としたものである[2]
M40編成
2000年に松本へ転出したグループ内で唯一廃車されず、2002年に当センターへ再転入した6両貫通編成である。モハ114-374には霜取用にPS23形パンタグラフを搭載[2]、サハ115-319は最後まで残った300番台サハ[5]など数々の特徴を持ち合わせていた。
2014年1月27日に中間車3両(モハ114-374+モハ115-348+サハ115-319)を後述のW2編成に組み込み長野総合車両センターへの回送が実施された[6]。残った3両も2014年7月26日付で廃車されている[7]
W編成
訓練車編成[8]でモヤ115形が組み込まれた4両編成である[9]
前照灯は白熱灯用大型ケーシングをそのまま流用したシールドビーム化改造が施工済である[10]
2014年1月28日に廃車[6]
高崎車両センター[編集]
T1142編成 (4両編成)
T1142編成
(4両編成)
T1040編成 (3両リニューアル未施工編成)
T1040編成
(3両リニューアル未施工編成)
T1043編成 (3両リニューアル施工編成)
T1043編成
(3両リニューアル施工編成)
リニューアル施行車両の内装
リニューアル施行車両の内装

2005年の組織変更による統合で新前橋電車区から名称変更された。識別記号『T』と編成に組み込まれるモハ114形車両番号を組み合わせる編成番号を付与された[11]1000番台3両編成11本(33両)ならびに4両編成11本(44両)計77両が配置されている[12]

高崎車両センター所属車は全車両が湘南色塗装である。保安装置はATS-P・SNを搭載。デジタル無線装置を装備し、機器は運転席後方の荷物棚に設置される[13]。2014年現在、宇都宮線小山~宇都宮間を除き、通年で扉が半自動扱いとなっている。

4両編成
先頭車がクハ115形同士で組成されるT1090・T1091・T1133・T1142 - 1147編成とクモハ115形とクハ115形で組成されるT1044・T1159編成[13]が在籍する。
  • T1090編成は訓練車兼用。ただし他の編成が投入される場合もある。
  • T1133編成は小山宇都宮などの駅名が緑色で表示される宇都宮線用の方向幕を搭載しており、壁面化粧板の色なども若干異なる。
  • T1044・T1159編成はサハ115形を切り離し3両編成で運用されることもある。
  • T1159編成のサハ115形を除いた3両は三鷹電車区に横須賀色で新製配置された唯一の1000番台車である[注釈 1]
  • 2010年7月にT1090・T1133編成には群馬デスティネーションキャンペーンのPRラッピング[注釈 2]ヘッドマーク[14]が施されたが[15][16]、翌2011年9月末のキャンペーン終了に伴い同10月上旬までに剥離された。
  • 2003年5月に1編成が廃車された。この時から当センターの車両配置数に変動はない[11]
  • T1044・T1159編成に含まれるサハ115-1007・1019は、5両のみが残存するサハ115-1000番台のうちの2両である[13]
3両編成リニューアル未施工車
T1030・T1040編成の2本[13]
  • T1030編成は元長野所属車で1997年の長野新幹線開業前日に廃止となる信越本線横川 - 軽井沢を通過した最終上り普通列車に充当され高崎到着後に返却されずにそのまま転入した編成であり、同センター唯一のモハ115形1000番台改造のクモハ115-1566が組み込まれている[13]
  • T1040編成のクハ115-1030を除くモハ114-1040・クモハ115-1030は、すべての窓ガラス支持が新製当時の白Hゴムであったが、2011年頃に一部が黒Hゴムに交換された。
3両編成リニューアル施工車
T1022・T1032・T1036 - T1039・T1041・T1043・T1046編成の9本。
  • リニューアル施工車は補助電源装置のSIV化・CPの除湿機能付きスクリュータイプへの更新・AU720B形集中式冷房装置・座席・つり革・内壁などの交換が施工済み。
  • ドア横アクリル製袖仕切りの有無・暖房稼動時の高温対策用座席下金属部カバーの有無など編成ごとに細かい施工内容が異なる。
長野車両センター[編集]
初代長野色
初代長野色
2代目長野色
2代目長野色
コカ・コーラ広告電車(N12編成)
コカ・コーラ広告電車(N12編成)
2代目長野色のN12編成
2代目長野色のN12編成
横須賀色に塗装変更されたC1編成
横須賀色に塗装変更されたC1編成
前面種別表示幕『普通』のバリエーション 白地に黒文字のC12編成(上) 青地に白文字のC3編成(上)
前面種別表示幕『普通』のバリエーション
白地に黒文字のC12編成(上)
青地に白文字のC3編成(上)

国鉄時代の1986年11月1日ダイヤ改正で松本運転所から信越本線の運用を移管し配置車両基地となった。2014年10月1日現在では、3両のN編成×15本(45両)と6両貫通のC編成×11本(66両)および訓練車編成(3両)の計114両が配置される[17]。なおN編成とC編成が混用されることはない。

2014年4月1日現在では、3両のN編成×27本(81両)と6両貫通のC編成×14本(84両)および訓練車訓練車編成(3両)の計168両が配置される[18]。なおN編成とC編成が混用されることはない。

車両面の特徴としてパンタグラフをシングルアーム式のPS35形への交換とATS-Psを搭載。また約半数の車両にはリニューアル工事が施工されたほか、ドア横座席端に風除け用透明仕切り板を設置する工事も実施された[19]

JR化後に塗装を白を基調に緑のラインを組み合わせた旧長野色に変更したが、1998年の長野オリンピックにあわせて新長野色(フォギーグレー+アルパインブルー+リフレッシュグリーン[注釈 3])への再変更を実施。2013年現在も引続き採用される[20]

ただし例外として1987年に当時のN12編成[注釈 4]が、コカ・コーラ広告電車として運用され[21]、以下の仕様変更が実施された。
  • 車体をコカ・コーラのイメージカラーである赤一色に変更
  • ドア間窓下にロゴを貼付け車両番号表記は中央ドア下へ移設
  • モハ114形にコカ・コーラ社製品の自動販売機を設置
1993年の契約終了後にすべて復元。
N編成(3両)
N1 - 16編成までが緑色、N21 - 33編成が桃色の編成番号札を掲出する。
  • 緑色札掲出編成はしなの鉄道線ならびにJR東海乗入れ対策施工車を示し、JR東海ATS-STに対応する速度照査機能付加のATS-SN[注釈 5]と対応方向幕を装備搭載する。
N29編成(クモハ115-1019+モハ114-1025+クハ115-1018[22])は1987年3月にトイレ対向部を除いて全てロングシート化されたが、2002年12月にリニューアル工事が施工されセミクロスシートに戻された。天井につり革増設時の支柱ネジ穴痕跡が残存する。
211系の転入により置き換えが進んでいる。2014年度上半期にN8・22・23・26・28・30・31編成は廃車され[7]、N3・6・11・14・25編成は新潟車両センターに転属した[23]。2015年1月にはN12・N21編成がしなの鉄道に譲渡されている[24]</ref>。
C編成
2007年3月18日にそれまで松本車両センターが担当していた中央本線・篠ノ井線運用を当センターへ移管・転入した6両編成x14本である(詳細は後述)[1]
首都圏の列車無線デジタル化に伴う新型無線機搭載工事が全編成に施工済だが、本グループでは編成・車両ごとの形態がバラエティに富んでいる特徴がある。
  • 1000番台車中心であるがC6・9編成全車とC13編成の長野方MM'ユニット1組が300番台車[17][注釈 6]
  • 1000番台車は以前松本・北松本・長野・新前橋・小山・三鷹・岡山へのいずれかに配置経歴があるが、新潟地区に配置された経歴を持つ車両はない。
  • C6 - 11編成はリニューアル工事が施工済[注釈 7]
  • C9・10編成はTcMM'TMM'Tc'の7両が同一ロットで製造され、松本転属時にサハ115形のみ抜き取られたのみで組成変更がない。
  • C1編成はTcMM'MM'Tc'6両が同一ロットで製造。小山区時代には既存のサハ115形が組み込まれていた編成で組成変更がない[注釈 8]
  • C8編成の立川方先頭車クハ115-1512は唯一の形式間改造車で、種車のサハ115-1027時代の新製配置は三鷹区であったため横須賀色→湘南色→2代目長野色への塗装変更経歴を持つ。また長野方3両はAU720形冷房装置を搭載していたが、2013年現在ではAU75型に再換装された。
  • C12編成のクハ115-1065は、長野所属車で唯一転落防止幌を新前橋区所属時代に設置された。転入時は他にも設置車両が存在したが撤去された。
  • 前面種別表示幕の『普通』表示は白地の黒文字と青地に白文字の2種類が混在する。
  • 一部車両を除いて列車番号表示器のLED化を施工。
  • C13編成は立川方3両の客用扉の窓が他の編成と異なる。
  • C1編成は2014年3月25日に信州色から横須賀色へ塗装変更され翌26日から運用復帰[25]
211系の転入により置き換えが進んでいる。2014年度上半期にC2・4・5編成が廃車された[7]
訓練車
  • 初代
    • 1991年に湘南色非冷房のクモハ115-1+モヤ114-1(元・モハ114-801)+クハ115-611(元・サハ115-1)[26]の3両編成が配置されたが、2002年に老朽廃車。
  • 2代目
    • 初代と入れ替わる形で横須賀色のクモハ115-326+モハ114-362+クハ115-392[注釈 9]によるN00編成が訓練車に改造された。2007年1月に3代目が落成したために廃車となった。
  • 3代目
    • クモハ115-1074+モハ114-1180+クハ115-1222のN15編成を湘南色に変更した上で新訓練車に改造した[27]。乗務員室後部仕切の一部撤去・訓練用防護無線ならびに車両用信号炎管の追加・一部席への机の設置・家庭用コンセント配線設置などの改造が施工された。
新潟車両センター[編集]

1999年12月4日ダイヤ改正で長岡運転所(現・長岡車両センター)に配置されていた車両が移管され新潟地区の本系列は当センターに集約された。ワンマン対応の2両Y編成・ワンマン非対応の2両S編成・3両のN編成・4両のL編成と訓練車が配置される。また、2013年現在でAU712形冷房装置を搭載するのは本センター所属車のみである[28]

1次新潟色
1次新潟色
2次新潟色
2次新潟色
3次新潟色
3次新潟色
2次弥彦色
2次弥彦色

当センターの特色として塗装が最大で6タイプが同時に存在していたことがある。

  • 湘南色
  • 1次新潟色(白地に赤の細い帯と青い帯で現在でも同地区のキハ40系気動車残存)
  • 1次弥彦色
  • 工場控車専用塗装(クハ2両のみ)
  • 横須賀色(小山からの借入車)
  • 2次新潟色
  • 3次新潟色

1次・2次新潟色には塗装の細部が異なる車両も存在したが[注釈 10]、現在はすべて統一されている。

このほかに弥彦線用ワンマン運転対応車の塗色として2次弥彦色が存在する[20]。またJR東日本も出資するJリーグ・ジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)の広告電車がRN31編成を使用して運転されていたこともあったが、同地区に本拠地を置き地元での人気を博している「アルビレックス新潟」が存在するため、更新時に他の編成と同じ3次新潟色に変更され消滅した。2014年現在は「2次弥彦色」(ホワイトイエローのツートーンカラーにライトグリーンの帯を巻いたカラー[30] Y編成)「2次新潟色」(白地に黄緑と緑帯[注釈 11] S・N・L編成)に加え、リニューアル工事を施し塗装を「3次新潟色(白地に淡い青と青の帯[30]、2次新潟色のN編成が塗装変更対象)と呼ばれるものに変更[注釈 12][31]した3タイプと湘南色及び長野色が存在する[32]

  • C1編成(訓練車)が湘南色であるほか、2011年にL6編成およびN2編成が湘南色に復元[33]、2014年にL9編成及びN23編成も湘南色となっている[32]
  • N2編成の塗装変更前はリニューアル工事を施した3次新潟色編成であり[34]、このためM'のパンタグラフがシングルアーム式PS35形を装備したまま湘南色に塗り替えられている。

所属車両は1000番台・1984年の越後・弥彦線電化開業用に転入した基本番台・沼津機関区から転入のクハ115形2000番台が主で、首都圏で300番台などが大量廃車される一方で耐寒耐雪強化改造を受けた基本番台がY編成全車とS・L編成の一部に未だ残存しており[32]、鋼製ドアの車両もある。

一方で新潟地区に新製投入された1000番台や2000番台全車が更新対象から外れており、一部の編成は老朽化が進んでいるが近年は全車が枕バネや軸バネのエリゴバネへの交換や車両内外の低い位置にドアレールヒータに関する注意を促すステッカーが至るところに張られるなどの変化が見られるほか、一部車両にはリニューアル改造と別にアコモデーション改良を目的に以下の工事を施工された車両が存在する[35]

  • 座席モケットをリニューアル工事施工車と類似したものに張替[36]
  • 化粧版や床仕上げ材を交換
  • トイレの改装
  • パンタグラフ増設工事を4両に施工[35]

所属車両はほぼ全車がATS-Psを搭載するが、ATS-P搭載車(3両のみ)[35]EB取付工事施工車も在籍する[36]。このほか在籍するクハ115形2000番台は転入した7両全てが奇数向きだったが、現在は2129を除き方転され、2035 - 2041となっている[35]

Y1 - 3編成

McMc'の2両編成でY1 - Y3編成の3編成がある。塗色は黄色を基調に黄緑色のラインを配した色である[35]

弥彦線のワンマン運転に対応した2両編成で運賃箱や自動放送装置・ドアチャイムなどを取り付ける改造を施工済。
  • 全車0番台からの改造車でトイレはなく、冷房装置はSC24形SIVからの給電によるAU712形を搭載する[35]ため、MG交換は実施されていない。
S1 - 14編成
ワンマン非対応の2両編成で[36]1999年の集約化により長岡運転所より転入した。
S1 - 12編成は1500番台。S13・14編成は500番台でSC24形SIVからの給電によるAU712形冷房装置を搭載[35]。よってY編成と同じくMG交換は未施工。
当初は全編成トイレなしであったが、サービス上問題となったため1992年以降にS1 - 3・7・10 - 12編成のクモハ114形にトイレ設置改造が施工された[36]
  • トイレ設置工事では側窓部分は埋められたことや汚物処理装置を真空式としたため外観が特徴的となった。
トイレなし編成は単独で長時間運転となる列車に投入されることは稀で他のトイレ付き編成と組み合わせて運用されるように配慮されている。
S1編成は、2007年7月16日新潟県中越沖地震の際に柏崎駅で脱線転覆したが、長野総合車両センターでの修復を受け運用を再開した[37]
S1編成はS編成の中で唯一先頭車化改造車でないクモハ115-1060が含まれている[36]
S15編成は、2014年7月に廃車された[7]
N1 - 39編成
3両編成でMcM'Tcで組成される[36]。クハ115形は1244 - 1247・1601の改造車グループと2000番台(2両のみ)ならびに1000番台車である[35]。リニューアル工事も新潟支社独自の施工またはJR東日本全車標準のいずれかが過半数に施工済である。
  • 施工内容はCPをスクリュー式へ交換・MGをメンテナンスフリーのSIVへの変更[38]・化粧板や座席モケットの張替・ロングシートとドアの間に新規にアクリル防風板を追加するなどである[注釈 13][35]
N編成は編成・車両ごとの形態がバラエティに富んでおり以下の特徴がある。
  • パンタグラフは、新潟3次色塗装の車両はシングルアーム式のPS35C形に交換済[39]。またリニューアル改造施工車はPS35B形に交換されている[35]
  • N4・N6・N8・N14編成は霜取対策でPS23形パンタグラフが2基搭載される。
  • 原則として菱形パンタグラフ搭載車もPS23形に交換されているが、N28編成のモハ114-1109のみPS16形を搭載する。
  • N編成にはAU712形冷房装置を搭載している車両は無く、全車両がAU75形冷房装置を搭載するが、N24編成は当初、廃車発生品を利用して冷房化改造されたため、車両中央部のみに冷房吹き出し口があり、扇風機や運転台上部の箱型通風器も残されるなど他編成との相違が目立っていた。リニューアル改造後もそのままであったが、現在は他のAU75形冷房装置搭載車と同じ仕様に改造され、扇風機や箱型通風器も撤去されている:* N25編成のクハ115-1245は、クハ115-1142時代に小山・新前橋配置であったためにATS-Pを搭載する。
  • N22 - 32編成は、1995年12月でE127系の投入に伴い一旦長岡に転出したあと集約化で本センターに出戻った編成である。
  • N2編成は上記リニューアル改造を施行され後に湘南色塗装となったが、後述のL6編成と同様に「JR」の塗装はない[9][38]
  • クハ115-1601はN27編成に含まれているほか、クハ115-1245:N25編成、1246:N31編成、1247:N32編成に含まれている。新潟区ではこれら3両のみATS-Pを搭載している[35]
  • N34 - 38編成は、2014年度上半期に長野から転入した編成である[23]。パンタグラフはシングルアーム式で先頭車はATS-Pを搭載する[32]
  • N39編成は、L14編成から2014年7月にサハ115-1002を廃車し[7]、3両編成化したものである。
L編成
湘南色のL6編成
4両編成。1000番台が中心だが基本番台・2000番台も含まれるために編成・車両ごとの形態がバラエティに富んでおり以下の特徴がある。
  • L1 - 11・99編成はTcMM'Tc'、L12・13編成はMcM'TTc'で組成される。うちL1 - L6編成は電動車が基本番台、L7 - L11編成は全車1000番台である[36]
  • Tc'の一部は首都圏からの転入車でATS-Pを搭載。
  • AU75形冷房装置搭載準備車でありながら、AU712形で冷房改造が施工された車両が存在する。それらの車両の電源は静止形インバータSC24である[36]
  • AU712形冷房装置を搭載している車両は主に基本番台のMM'ユニット、およびそのユニットと組成されたTcTc'の編成で、L1 - 6編成がそれにあたる。これらの編成にはクハ115 - 552・553・613などが組み込まれる[35]
  • MM'ユニットの一部は小山からの転入車である。 
  • L6編成はリニューアル改造を施工されたが、JRマークは省略された[9][38]
  • L99編成は長野総合車両センターの旧C3編成が転入したものであるが、2015年5月に中間車2両が廃車となり、以降、大宮総合車両センター入場時の伴走車として使用されている。
  • L編成には奇数向きのサハ115形1000番台に奇数向きに運転台を取り付けたクハ115-1501 - 1504が組み込まれている。
  • L編成の一部には基本番台からの先頭車化改造車が含まれている[36]
  • L3編成は2014年7月に廃車され[7]、L14編成は上述の通りN39編成となった。
訓練車編成(C1編成)
長岡区時代から引き継いだ編成であるが、初代は非冷房の4両編成[注釈 14]で1次新潟色最後の車両。2代目は冷房搭載の湘南色[9]2両編成[注釈 15][26]である。現在は車番変更によりクモヤ115-1+クモヤ114-1[40]となった。

過去の配置[編集]

松本車両センター[編集]
B編成

2000年12月に中央本線・大糸線・篠ノ井線関係の運用を長野総合車両所(当時)に移管し、豊田電車区が担当していた中央本線小淵沢以西の長野支社管内運用が分離移管されることになった。これにより豊田区から転入した基本番台・300番台初期車から3両編成x2本による6両のB編成が組成された。また3両編成のB編成のうちB36・B35編成[注釈 16]は伊豆急行に譲渡され同社の200系となった[41]。さらにE231系電車配置で余剰となったものの状態の良かった小山所属の300番台後期・1000番台車に置換えられた。

小山車両センター[編集]
Y427編成

小山車両センターの所属車両は基本編成7両+付属編成4両という編成が基本であった[42]。(ただし、4両編成のみでの運用もあった[43]。)また湘南新宿ラインでも運用されたため[44]先頭車前面の種別表示器に「横須賀線直通」「宇都宮線直通」などのコマも追加された[45]。また2000年頃から当センター在籍のロングシート車には客室窓下段を固定する(窓戸錠を撤去)工事が施工された。

この車両所で最後まで残った115系は4両編成のY427編成である。この編成は訓練車や臨時列車用として用いられたが、E231系の付属編成が増備されたため配置が終了した。

JR東海[編集]

静岡車両区[編集]

身延色 (赤2号・クリーム10号)
身延色
(赤2号・クリーム10号)
2日間だけ存在した茶色が地色の身延色 (ぶどう色2号・クリーム10号)
2日間だけ存在した茶色が地色の身延色
(ぶどう色2号・クリーム10号)
B5編成
B5編成

新製投入時は赤2号地色にクリーム10号帯の通称「身延色」に塗装されたが、JR化後に順次湘南色へと塗り替えられた[46]

身延線では昼間帯がワンマン運転となるため留置が多く、以下の特徴を持つ編成が在籍した。

B編成
B4編成(クモハ115-2004+モハ114-2604+クハ115-2025)
  • 1998年(平成10年)の身延線全通70周年記念として約1年間限定で「身延色」に復元された編成[46]
B5編成(クモハ115-2005+モハ114-2605+クハ115-2026)
  • S4編成が車両故障で運用を離脱したため代替として2006年12月にS編成運用に転用された。
  • 運用から外れたS4編成は修復されることなく2007年に廃車となった。
B8編成
  • モハ114-2608は霜取対策のため381系の廃車発生品パンタグラフを搭載し、1999年以降パンタグラフを2基に増設したJR東海所属唯一のモハ114形であった[47]。以前はクモハ115形+モハ114形+モハ114形(サハ代用)+クハ115形の変則4両編成で霜取を実施していたが、解消のため改造された[46]。このため同編成は、冬期間は身延線限定運用としたほか、2007年の営業運転終了後も残存した。
S編成

クモハ115形1000・1500番台+モハ114形1000番台+クハ115形基本番台・600番台・1000番台から組成される編成。S1 - 7編成は国鉄時代には松本運転所に所属していた車両で、分割民営化に中央西線がJR東海に管轄されることから神領電車区(現・神領車両区)に転入した編成。中央本線中津川以北で運用されていたが、飯田線で運用されていた165系が2扉のため通勤・通学輸送時の運用に障害があったことから、入れ替わる形で静岡区に転入してきた編成である。またクハ115形は室内化粧板・鋼製ドア・背もたれの手摺が未更新の車両中心でS2編成のクハ115-616のみ室内化粧板・ドアをクリーム系色に交換・塗装変更が施工された。

以下の特徴を持つ編成が在籍した。

S1編成(クモハ115-1039+モハ114-1053+クハ115-1040)
  • C-AU711系集約分散式冷房装置の試作改造車。室内冷房風道形状が量産改造車では室内灯と一体化されているのに対し、単独であるなどの相違が見られた。同編成は2006年9月に廃車解体された。
S8編成(クモハ115-1523+モハ114-1171+クハ115-188)
  • 電動車ユニットは1986年11月改正までは松本運転所所属で主に大糸線で運用されていた。同ユニットと入れ替る形でクモハ115-520+モハ114-831が岡山電車区へ転出。
  • クハ115形は1985年に三鷹電車区から転入。原型前照灯のまま2006年11月に廃車となり、同年12月2日に浜松工場で解体された。

JR西日本[編集]

EB・TE整備車
EB・TE整備車

福知山電車区[編集]

2012年8月30日付で京都地域色に塗装変更[48]された2両のR1編成のみが所属する。当区所属の113系2両編成と共通で、舞鶴線[注釈 19]山陰本線綾部 - 城崎温泉[50]で運用される。

R編成車内
当区には国鉄時代に行われた福知山線電化開業により113系800番台が配置されていたが、JR化後の1988年11月に運用数が増加したため岡山電車区から4両編成2本(K13・K14編成)が転入した[51]のが本系列配置のはじまりである。
K14編成は1993年度に組成変更され3両のY1編成となった。なお同編成は1999年5月に消滅した。
1999年10月の舞鶴線電化開業により網干区および岡山区所属のクモハ115形+モハ114形ユニット5組10両がモハ114形のクモハ114形化・ワンマン運転対応などの6000番台化改造工事を施工されR編成[52]5本(R1 - R5)として転入。4両のK13編成と合わせて計14両の配置となり以下の運用に投入された。
K13編成[53]は、2004年6月に運用を離脱。下関地域鉄道部に転出しC43編成となる。K・S編成による福知山線運用は同年10月16日ダイヤ改正で消滅した。
R編成は、2008年から223系5500番台が投入されたためR1編成を除き下関総合車両所に転出[54]。2010年3月13日ダイヤ改正で山陰本線(綾部 - 京都)での運用を終了し、現状に至る。
編成のうち、クモハ115-6510はクモハ115 - 1510に応荷重装置を設置したもので、クモハ115-6123はモハ114 - 1123に運転台と応荷重装置を取り付けたものである。両車とも体質改善工事施行済みである[52]が、座席はボックスシートである[49][50]
K10編成(現在は廃車)
旧福知山色塗装
R編成
 
綾部・東舞鶴
城崎温泉
塗色 高速化・先頭車化・トイレ増設を受けた期日・車両区 転属
形式 クモハ115 クモハ114◇◇
区分 Mc Tc
編成 R1 6510 6123 近畿地区統一色 1999年9月21日・吹田 現存
R2 6536 6106 ____体質改善色____ 1999年10月8日・吹田 広セキT-11編成
クモハ115 クモハ114
R3 6537 6621 ____体質改善色____ 1999年9月27日・鷹取 広セキT-12編成
R4 6538 6625 ____体質改善色____ 1999年8月7日・吹田 広セキT-13編成
R5 6539 6627 ____体質改善色____ 1999年8月29日・鷹取 広セキT-14編成
備考 クモハ114は切妻改造運転台。クモハ114-6123・6106はパンタグラフ2機搭載車。トイレ増設はMc車。
消滅した編成

所属時全車両が体質非改善車だった。

岡山電車区[編集]

三鷹区から転入直後の横須賀色車 1987年 岡山
三鷹区から転入直後の横須賀色車
1987年 岡山

1990年代中期までは基本番台・800番台の非冷房車も所属しており、非冷房のまま1992年に廃車されたモハユニット・クハ115形トップナンバーの最終配置も当区所属であった[注釈 20]

300番台は1986年に三鷹電車区から転入のMc+M'+Tc元横須賀色車[注釈 21]と小山電車区から下関転出後の1993年に岡山へ再転入してきた車両で当区新製配置車両は1000番台のみである。

2007年よりATS-P搭載工事が施工開始され2009年度にG編成を除き完了した[注釈 22]

A編成
A-04編成
関西更新色塗装
 
A-13編成
湘南色塗装
4両編成9本計36両のグループ[56]。300番台で組成されるA13編成以外は全て1000番台体質改善車で構成される。体質改善工事は以下の要領で施工[56]
  • 40N:A02編成・A10編成のクハ115-1206を除く3両[注釈 23][57]
  • 30N:A01・03・04・06・07・12編成・A10編成のクハ115-1206[注釈 23]
濃黄色への塗装変更は2013年10月現在以下の要領で施工[56][58]
  • A04(関西更新色)・13(湘南色)編成以外の全編成
 
姫路
岩国
塗色 体質改善工事を受けた期日 編成の組み換え
形式 クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
区分 Tc M M' Tc
編成 A1 1107 1032 1093 1219 瀬戸内地区統一色 2002年4月18日
A2 1111 1105 1177 1217 瀬戸内地区統一色 1999年6月9日
A3 1112 1042 1103 1244 瀬戸内地区統一色 2003年10月17日
A4 1118 1055 1208 1241 ____体質改善色____ 2002年9月27日 奇数向き2両は福フチK14編成から
A5 1120 1059 1122 1405 湘南色 編成解体後 相生寄りクハは広セキC25編成、他はモハ115が先頭車化されD28編成
A6 1139 1084 1148 1068 瀬戸内地区統一色 2002年11月13日
A7 1152 1093 1157 1236 瀬戸内地区統一色 2003年7月5日
A8 1151 1111 1195 1032 湘南色 編成解体後 相生寄りクハは広セキC24編成、他はモハ115が先頭車化されD31編成
A9 1113 6553 6616 6240 湘南色 相生寄りクハは広セキC14編成、他はモハ115が先頭車化、編成全体が高速化解除されD29編成
A10 1146 1086 1150 1206 瀬戸内地区統一色 2000年10月30日
A11 1141 1063 1126 1079 湘南色 編成解体後 相生寄りクハは広セキC13編成、他はモハ115が先頭車化されD30編成
A12 1083 1115 1199 1082 瀬戸内地区統一色 2004年2月10日
A13 325 316 316 326 湘南色 施行されていない
備考 体質改善工事を受けた工場は全車後藤工場。太字は40N、太斜字は30N。消滅編成の塗色は編成解体か廃車時のもの。
D編成
D06編成 40N体質改善工事施工車 現在は濃黄色に塗装変更
D06編成
40N体質改善工事施工車
現在は濃黄色に塗装変更
D07編成 30N体質改善工事施工車 現在は濃黄色塗装に変更
D07編成
30N体質改善工事施工車
現在は濃黄色塗装に変更
D27編成 「こんぴら編成」塗装 現在は湘南色に塗装変更
D27編成
「こんぴら編成」塗装
現在は湘南色に塗装変更
D-27編成(湘南色)
D-27編成(湘南色)
D28編成(体質改善色) 現在は濃黄色に塗装変更
D28編成(体質改善色)
現在は濃黄色に塗装変更
3両編成31本計93両のグループ[56]。岡山地区短編成化に伴い組成された3両編成グループが元である[59]。1985年4月の時点で18編成、1986年10月の時点で40編成が存在した[59][60]。当時は1000番台で構成されたD1 - 34編成[注釈 24]と三鷹区から転入300番台で組成されたF1 - F6編成に区分され、F編成は当初の「山スカ色」から「湘南色」への塗装変更が施工された。
京阪神地区輸送力増強用として1992年に5編成が網干区に、1999年舞鶴線電化用として2編成が福知山区に転出し、2001年に伯備線ワンマン運転用として8編成がG編成として改造分離された。網干区転出編成のうち300番台2編成は1996年に再転入、2004年には運用増加に伴い4編成がA編成から改造・編入し現在に至る。
本グループは以下に細分化される。
300番台体質改善工事未施工グループ
D22 - 27編成で塗装は以下に分類される[56]
  • D22・23・25編成:濃黄色。
  • D24・26・27編成:湘南色[61]
1000番台体質改善工事施工グループ[57]
  • D01・06・13編成:40N[56]
  • D02 - 05・07 - 12・14 - 21・28 - 31編成:30N。
さらに編成ごとでは以下の特徴を持つ。
  • D01 - 21編成:クモハ115形は先頭車化改造車1500番台[56]
  • D17編成・D27編成: クーラーがAU75形からWAU709A形に変更されている[62]
  • D18編成:2004年の台風16号による高潮のため宇野線宇野駅構内で留置中に水没。一時使用不能となったが網干総合車両所で長期にわたる修理の後に復帰した。
  • D25 - 27編成:耐雪ブレーキ非装備[57]
  • D27編成:2003年10月 - 2006年12月[注釈 25]に独自の黄色塗装がされていた通称「こんぴら編成」。
  • D28 - 31編成:A編成を3両化した編成[57]。クモハ115形は先頭車化改造車1600番台[56]で2012年4月24日までに濃黄色塗装へ変更済[63]


 
姫路
宇野・琴平・新郷・府中・西条
現在の塗色 体質改善工事/高速化解除(D22・D23編成[64])を受けた期日 元の編成
形式 クモハ115 モハ114 クハ115
区分 Mc M' Tc
編成 D1 1501 1094* 1066 瀬戸内地区統一色 2000年7月27日
D2 1502 1096 1067 瀬戸内地区統一色 2002年9月25日
D3 1547 1202 1238 瀬戸内地区統一色 2006年9月6日
D4 1504 1100 1069 瀬戸内地区統一色 2005年2月25日
D5 1548 1204 1239 瀬戸内地区統一色 2009年8月4日
D6 1506 1104* 1071 瀬戸内地区統一色 2001年2月19日
D7 1507 1108 1073 瀬戸内地区統一色 2003年2月24日
D8 1549 1206 1404 瀬戸内地区統一色 2002年7月31日
D9 1509 1119 1070 瀬戸内地区統一色 2004年12月17日
D10 1550 1207 1235 瀬戸内地区統一色 2007年6月28日
D11 1511 1149 1203 瀬戸内地区統一色 2005年7月3日
D12 1512 1151 1204 ____体質改善色____ 2006年2月24日
D13 1513 1153 1205 ____体質改善色____ 1999年3月19日
D14 1514 1156 1088 瀬戸内地区統一色 2003年3月31日
D15 1540 1154 1401 瀬戸内地区統一色 2003年12月9日
D16 1541 1155 1220 瀬戸内地区統一色 2005年3月30日
D17 1542 1158 1207 瀬戸内地区統一色 2006年1月17日
D18 1543 1191 1402 瀬戸内地区統一色 2003年8月9日
D19 1544 1192 1233 瀬戸内地区統一色 2003年4月25日
D20 1545 1200 1237 瀬戸内地区統一色 2005年8月20日
D21 1546 1201 1403 瀬戸内地区統一色 2006年7月4日
D22 301 329 348 瀬戸内地区統一色 2008年11月23日
D23 302 330 350 瀬戸内地区統一色 2008年5月20日
D24 323 359 408 湘南色 未施工
D25 320 356 406 瀬戸内地区統一色
D26 321 357 404 湘南色
D27 324 360 410 湘南色
D28 1659 1122 1405 瀬戸内地区統一色 2004年4月20日 A5編成
D29 1653 1116 1240 瀬戸内地区統一色 2004年6月11日 A9編成
D30 1663 1126 1079 瀬戸内地区統一色 2004年9月29日 A8編成
D31 1711 1195 1032 瀬戸内地区統一色 2004年11月22日 A11編成
備考 D28 - 31編成のクモハ115は切妻形。体質改善工事はD2編成は下関、D3・4・14編成は吹田、他は後藤で施行。*のあるモハ114はパンタグラフ2基搭載[56]
G編成
G01編成(濃黄色)
 
G07編成(体質改善色)
現在は濃黄色に塗装変更
2001年にD編成からクハ115形を外しモハ114形のクモハ114形化改造により組成された編成で赤穂線伯備線・山陰本線米子地区乗り入れ用ワンマン運転対応の2両編成8本計16両のグループ[56]
上り向き先頭車は国鉄時代の先頭車化改造施工車であるクモハ115形1500番台を連結[57]。全車トイレを設置。
下り向き先頭車は切妻型非貫通先頭車であるクモハ114形1000番台を連結。G07編成のクモハ114-1196を除いてパンタグラフは2基搭載[57]
改造と同時に40N体質改善工事を施工[56]されたが、車内はセミクロスシート(クロスシートはボックスシート)のままである。
2011年10月3日までに全編成が濃黄色塗装に変更済み[65][56]
 
和気・播州赤穂
西出雲
塗色 体質改善・トイレ増設(Mc)を受けた期日・車両区 改造元
形式 クモハ115 クモハ114◇◇
区分 Mc Mc'*
編成 G1 1503 1098 瀬戸内地区統一色 2001年5月31日・後藤
G2 1505 1102 瀬戸内地区統一色 2001年6月29日・後藤
G3 1508 1117 瀬戸内地区統一色 2001年5月22日・下関
G4 1515 1173 瀬戸内地区統一色 2001年5月21日・後藤
G5 1516 1178 瀬戸内地区統一色 2001年6月30日・下関
G6 1517 1194 瀬戸内地区統一色 2001年9月12日・後藤
G7 1518 1196 瀬戸内地区統一色 2001年9月27日・後藤
G8 1551 1118 瀬戸内地区統一色 2001年9月27日・下関 福フチY1編成より
備考 クモハ114は切妻改造運転台。G7編成以外はパンタグラフを2機搭載
K編成
K02編成(リニューアル前)
 
K06編成(関西更新色)
電動車ユニットが117系改造車の3500番台で組成される4両編成7本計28両のグループ[56]。A編成と同じ4両編成であるが、限定運用が組まれる。
岡山地区短編成化に伴い組成された4両編成が祖となるが[59]以下の変遷で現在のK編成に至る。
  • 当初は下り向き先頭車が非冷房のクハ115形0・600番台、そのほか3両が1000番台で組成さた[注釈 26]
  • 1992年に京阪神地区の輸送量増大により113系のみでは車両不足となったこと。221系の投入により宮原所属の117系に余剰発生していたことからから車両交換をする形で上述編成の電動車ユニットが網干区に転出。117系はモハ115・114形3500番台に改造の上で転入し編成組成された。
  • 1994年から非冷房の下り向き先頭車を冷房車のクハ115形300・600・1000番台に組み替え全車冷房化された。
  • さらに600番台は、2001年のG編成組成で捻出されたクハ115形1000番台に置換えられた。
本グループはクハ115形の違いにより以下に細分化される。
  • K01 - 03・07編成:クハ115形が1000番台[57]
  • K04 - 06編成:クハ115形が300番台。電動車ユニットのみ30N体質改善工事を施工[56]。ただし塗色は全て体質改善色[57]もしくは濃黄色となっている[66]
  • K03・04・07編成:濃黄色塗装[56]
 
三石・播州赤穂
新見・広島
現在の塗色 体質改善工事を受けた期日
形式 クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
区分 Tc M M' Tc
編成 K1 1117 3501 3501 1147 ____体質改善色____ 2009年5月20日
K2 1121 3504 3504 1150 ____体質改善色____ 2007年3月29日
K3 1122 3510 3510 1234 瀬戸内地区統一色 2005年5月24日
K4 305 3507 3507 306 瀬戸内地区統一色 2005年11月21日
K5 331 3505 3505 332 ____体質改善色____ 2007年1月16日
K6 311 3506 3506 312 ____体質改善色____ 2005年9月28日
K7 1153 3511 3511 1216 瀬戸内地区統一色 2006年5月2日
備考 体質改善工事を受けた工場は全車後藤工場。斜字は30N。パンタグラフはモハ115に搭載されている。

なお過去に存在したが現在は消滅した編成について以下で解説する。

B編成(現在は消滅)
1976年に転入してきた0番台非冷房車で組成された6両編成グループ(TcMM'MM'Tc)が、短編成化のため1985年3月ダイヤ改正でMM'ユニット1組を減車して組成された。
1985年4月時点で14編成[59]、1986年11月時点で12編成が在籍した[60]。編成バリエーションには中間にクモハ115形を組み込む編成(TcMcM'Tc)も存在したが、京阪神地区からの103系(冷房車)の転入や編成短縮などによる余剰車での置換えが進行し、1997年までに消滅した。

下関総合車両所広島支所[編集]

L02編成 40N体質改善工事施工車 L09編成 40N体質改善工事施工車 黄5号単色塗装 L19編成 30N体質改善工事施工車
L02編成
40N体質改善工事施工車
L09編成
40N体質改善工事施工車
黄5号単色塗装
L19編成
30N体質改善工事施工車

4両のL編成22本(L01 - 22編成)88両が在籍し[67]、山陽本線[68]・呉線[50]で運用される。所属車の大半が2000番台車であるが、L15・16編成全車とL17編成[注釈 27]下関側クハ115形は1000番台車[67]。L編成は下関本所所属時代にはC編成と呼称されていたが、1999年以降に編成全体で以下の体質改善工事が施工され現名称に変更された。

  • 1999年 - 2001年10月施工のL01 - 13編成は40N[69]
  • 2002年 - 2004年施工のL14 - 22編成は30N[67]

当初は全車が体質改善工事施行車色であったが[69]、2014年10月現在、L01 - 04・06 - 10・12 - 16・20 - 22編成が濃黄色に塗装変更された[67]が、以下のラッピングが施工された編成がある。

  • 2012年3月にL02編成へプロ野球シーズン開催期間中「カープ応援ラッピングトレイン」を施工[70]
  • 2013年3月にL13編成へプロ野球シーズン開催期間中「カープ応援ラッピングトレイン」を施工[71]
  • 2013年7月5日より広島県デスティネーションキャンペーンの一環としてL-12編成が「まんぷく宝しま号」として走行[72]
  • 2014年3月23日からL01編成がプロ野球期間中「カープ応援ラッピングトレイン」として走行した[73]
  • 2015年3月22日からL11編成がプロ野球期間中「カープ応援ラッピングトレイン」として走行中[74]

L01 - 13・L20・L21編成は方向幕がLED化されている[69]

 
和気
下関・可部
塗色 体質改善工事を受けた期日
形式 クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
区分 Tc M M' Tc
編成 L-01 2102 2003 2003 2003 瀬戸内地区統一色 1999年1月18日
L-02 2105 2004 2004 2002 瀬戸内地区統一色 1999年2月4日
L-03 2103 2005 2005 2004 瀬戸内地区統一色 1999年4月27日
L-04 2117 2007 2007 2005 瀬戸内地区統一色 1999年7月29日
L-05 2116 2011 2011 2007 広島地区体質改善色 1999年10月27日
L-06 2113 2019 2019 2015 瀬戸内地区統一色 2000年10月10日
L-07 2118 2026 2026 2019 瀬戸内地区統一色 2000年7月18日
L-08 2119 2027 2027 2020 瀬戸内地区統一色 2000年12月15日
L-09 2121 2028 2028 2018 瀬戸内地区統一色 2001年3月30日
L-10 2120 2029 2029 2021 瀬戸内地区統一色 2001年2月8日
L-11 2101 2001 2001 2001 カープ応援ラッピング 2001年8月9日
L-12 2104 2006 2006 2008 瀬戸内地区統一色 2001年6月18日
L-13 2110 2009 2009 2006 瀬戸内地区統一色 2001年10月29日
L-14 2108 2012 2012 2011 瀬戸内地区統一色 2002年6月4日
L-15 1119 1057 1120 1072 瀬戸内地区統一色 2002年8月16日
L-16 1155 1119 1203 1080 瀬戸内地区統一色 2002年12月4日
L-17 2115 2023 2023 1081 広島地区体質改善色 2003年4月14日
L-18 2111 2015 2015 2013 広島地区体質改善色 2003年6月20日
L-19 2107 2010 2010 2009 広島地区体質改善色 2004年5月7日
L-20 2112 2017 2017 2016 瀬戸内地区統一色 2003年12月12日
L-21 2109 2022 2022 2014 瀬戸内地区統一色 2004年2月26日
L-22 2106 2008 2008 2010 瀬戸内地区統一色 2004年5月7日
備考 体質改善工事を受けた工場は全車下関工場。太字は40N、太斜字は30N。

下関総合車両所運用検修センター[編集]

瀬戸内色(クリーム1号青20号[9]

2014年10月1日現在、182両が所属[75]。主に山陽本線[68]・呉線・可部線[50]で広島シティネットワーク内の普通列車や快速列車として運用される。当センター所属車には以下の特徴がある。

  • 体質改善車と編成を組む非体質改善車は、広島更新色に塗装変更されている編成がある。
  • 網干からの転入車で6000番台110km/h運転対応電動車ユニットは、高対応機器撤去で原番号の1000番台へ復元。
  • 原形前照灯を存置する車両も多数在籍していたが、前照灯交換により全て消滅。T01・03編成の原形前照灯を持つクモハは、廃車されたクハの運転台部分を再利用したものであるが、2006年から再開したシールドビーム化工事を施工。

また近畿圏内で余剰となったクハ111形合計10両が2012年度中にクハ115形2500・2600番台に改造され、経年車が置換えられた[76]

C-13編成(瀬戸内色) C-18編成(瀬戸内色)
C-13編成(瀬戸内色)
C-18編成(瀬戸内色)

所属編成について以下で解説を行う。

C-24編成(現・R-06編成)
C編成
C-34編成(濃黄色) C-43編成(広島地区体質改善色)
C-34編成(濃黄色)
C-43編成(広島地区体質改善色)
0(クハのみ)・300・600・1000・2000番台で組成される4両編成13本計52両のグループ[75]。C13・14・16・21・30 - 37・41編成が組成され、C14・30 - 37・41編成は濃黄色塗装に変更済である[75]
編成番号である程度グループ分けされており以下に分類される。
  • C13・14・16・21編成:MM'ユニットが全車2000番台でユニット車両番号下2桁が編成番号と一致する。編成単位で体質改善工事が施工された編成はL編成に、先頭車両が3000番台の編成は応荷重装置を搭載してO編成に分離された。
  • C30 - 37編成:分割民営化直前に小山電車区などから転入の300番台で組成。体質改善工事は未施工。
  • C41編成:MM'ユニットが網干区から転入の1000番台。
1999年から体質改善工事を施工し、編成単位で施工された編成はL・O編成として分離された。現在所属する編成のうち、C13・14・16・21編成の以下の車両を除いて30N体質改善工事を施工済[75]
  • C13・14・21編成:下関側クハ115形
  • C16編成:両端クハ115形
福知山色のC43編成
 
三石
下関・可部
塗色 編成変更 編成変更/廃車された時期
形式 クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
区分 Tc M M' Tc
編成 C-02 3115 2002 2002 3015 広島地区体質改善色 O01編成 2009年4月上旬
C-13 1141 2013 2013 608 広島地区体質改善色 なし
C-14 1113 2014 2014 219 瀬戸内地区統一色
C-16 191 2016 2016 218 広島地区体質改善色
C-18 556 2018 2018 2012 広島地区体質改善色 R-05編成 2013年初頭
C-20 3113 2020 2020 3013 広島地区体質改善色 O-02編成 2009年5月上旬
C-21 2114 2021 2021 192* 広島地区体質改善色 なし
C-24 1151 2024 2024 654 広島地区体質改善色 R-06編成 2013年初頭
C-25 1120 2025 2025 2017 瀬戸内色 O-03編成 2008年10月中旬
C-30 315 310 310 316 瀬戸内地区統一色 なし
C-31 317 311 311 318 瀬戸内地区統一色
C-32 319 312 312 320 瀬戸内地区統一色
C-33 321 313 313 322 瀬戸内地区統一色
C-34 329 319 319 330 瀬戸内地区統一色
C-35 333 321 321 334 瀬戸内地区統一色
C-36 335 322 322 336 瀬戸内地区統一色
C-37 337 323 323 338 瀬戸内地区統一色
C-39 1140 1088 1152 1078 _______瀬戸内色_______ O-04編成 2009年3月上旬
C-41 165 1044 1105 152 瀬戸内地区統一色 なし
C-42 199 1061 1124 652 _______瀬戸内色_______ R-07編成 2013年初頭
C-43 1108 1034 1095◇◇ 604 広島地区体質改善色 R-02編成 2013年初頭
備考
H編成
H01編成(瀬戸内色時代) 濃黄色のH01編成
H01編成(瀬戸内色時代)
濃黄色のH01編成
4両編成1本が所属。MM'ユニットは網干区から転入の6000番台から復元した1000番台、両先頭車は福知山電車区から転入のクハ111-811・812で組成[77]
当初は福知山区から転入の113系800番台のみで編成が組成されたが、2002年にMM'ユニットが本系列に組み替えられた。その際にクハ111形の主幹制御器交換を実施したため抑速ブレーキおよびノッチ戻し機能が使用可能のほか、寒冷地対応で客用扉半自動回路も装備する。2013年10月15日付で車体塗装が濃黄色に変更された[75]
 
三石
下関・可部
旧塗色 現在の塗色
形式 クハ111 モハ115 モハ114 クハ111
区分 Tc M M' Tc
編成 H-01 811 1100 1172 812 瀬戸内色 瀬戸内地区統一色
備考
N編成
N19編成(広島更新色、現在は黄5号単色塗装) N05編成(黄5号単色塗装)
N19編成(広島更新色、現在は黄5号単色塗装)
N05編成(黄5号単色塗装)
広島快速色のN-21編成
L編成の広島転出と入れ替わる形で転入した4両編成19本計76両のグループ[75]。N1 - N21編成が付番されるが、クハ115形車両番号下2桁と編成番号が一致しているため13・15が欠番である。
全車30N体質改善工事を施工済。
電動車ユニットが3500番台であるN14・16 - 21編成のほかは全て3000番台で組成される。N1 - 12編成は編成中にパンタグラフを2基搭載するほか、主制御器がマイコン化<されている[77]
  • 当初は広島快速塗装であったが、2008年にN21編成の30N体質改善工事との同時施工で体質改善色に塗装変更を施行[78]
  • ただしN12編成は1999年5月1日に開業したしまなみ海道のPRのため「しまなみ海道'99」特別塗装を施され岩国 - 岡山間を中心に運用された[79]
  • N06編成は2015年放送の大河ドラマ花燃ゆ」のラッピングとなっている[80]
  • 2010年1月20日に出場したN-05編成から濃黄色に塗装変更[81]。2014年10月現在、N04・05・07・08・10 - 12・14・16・17・19・20編成が濃黄色に塗装変更されている[75]
 
三石
下関・可部
塗色 体質改善工事が施工された日時
形式 クハ115 モハ115 モハ114◇◇ クハ115
区分 Tc M M' Tc
編成 N-01 3101 3001 3001 3001 広島地区体質改善色 2005年6月6日
N-02 3102 3002 3002 3002 広島地区体質改善色 2007年4月12日
N-03 3103 3003 3003 3003 広島地区体質改善色 2005年9月17日
N-04 3104 3004 3004 3004 瀬戸内地区統一色 2005年7月21日
N-05 3105 3005 3005 3005 瀬戸内地区統一色 2005年12月2日
N-06 3106 3006 3006 3006 広島地区体質改善色 2007年11月16日
N-07 3107 3007 3007 3007 瀬戸内地区統一色 2008年3月31日
N-08 3108 3008 3008 3008 瀬戸内地区統一色 2006年12月4日
N-09 3109 3009 3009 3009 広島地区体質改善色 2006年5月8日
N-10 3110 3010 3010 3010 瀬戸内地区統一色 2004年8月31日
N-11 3111 3011 3011 3011 瀬戸内地区統一色 2005年3月8日
N-12 3112 3012 3012 3012 瀬戸内地区統一色 2005年2月2日
クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
N-14 3114 3514 3514 3014 瀬戸内地区統一色 2005年6月6日
N-16 3116 3512 3512 3016 瀬戸内地区統一色 2006年7月14日
N-17 3117 3513 3513 3017 瀬戸内地区統一色 2006年9月5日
N-18 3118 3502 3502 3018 広島地区体質改善色 2007年1月11日
N-19 3119 3502 3502 3019 瀬戸内地区統一色 2005年11月14日
N-20 3120 3508 3508 3020 瀬戸内地区統一色 2006年1月8日
N-21 3121 3509 3509 3021 広島地区体質改善色 2008年11月5日
備考
O編成
1000・2000・3000番台から組成される4両編成4本計16両のグループ。C編成からの変更時に全車30N体質改善工事[82]・応荷重装置の搭載が施工された。O-01・02編成は両先頭車が3000番台、電動車ユニットが2000番台の、2扉車と3扉車の混成となっている[77]
 
三石
下関・可部
現在の塗色 元の編成 編成変更された期日
形式 クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
区分 Tc M M' Tc
編成 O-01 3115 2002 2002 3015 広島地区体質改善色 C-02編成 2009年4月上旬
O-02 3113 2020 2020 3013 広島地区体質改善色 C-20編成 2009年5月上旬
O-03 1120 2025 2025 2017 瀬戸内地区統一色 C-25編成 2008年10月中旬
O-04 1140 1088 1152 1078 広島地区体質改善色 C-39編成 2009年3月上旬
備考
T編成(T-11 - 14編成)
T-13編成
T-13編成
山陽本線岩国 - 下関間で限定運用される2両編成4本計8両である[1]
本グループは老朽化廃車となったT-01 - 04編成の置換え名目で投入されたが、福知山電車区への223系5500番台導入で捻出転入された110km/h運転対応の6000番台から原状復帰させた1000番台で組成される[83]。40N体質改善工事も施工されているが、車内はセミクロスシートのままである。
  • 2012年10月1日に出場したT14編成を皮切りに全車両とも濃黄色に塗装変更された[84][75]
 
← 岩国
下関 →
現在の塗色 改造元 高速化解除の日時
形式 クモハ115 クモハ114
区分 Mc Mc'
編成 T-11 1536 1106◇◇ 瀬戸内地区統一色 福フチR2編成 2008年12月1日
T-12 1537 1621 瀬戸内地区統一色 R3編成 2009年2月19日
T-13 1538 1625 瀬戸内地区統一色 R4編成 2009年4月21日
T-14 1539 1627 瀬戸内地区統一色 R5編成 2009年1月30日
備考 Mc'は切妻改造運転台。T11編成はパンタグラフを2機搭載。体質改善、先頭車化、便所増設は福フチ時代にうけている。
R編成
R07編成(濃黄色)
電動車ユニットが旧G編成もしくはC編成。クハ115形は広島支所に所属していた113系F編成のクハ111形改造車の750・2500・2600番台で組成される4両編成7本計28両のグループ[85]
 
三石
下関・可部
現在の塗色 元の編成(MM'ユニット) 編成変更された時期
形式 クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
区分 Tc M M' Tc
編成 R-01 2620 1114 1198 2517 瀬戸内地区統一色[85] G-01編成 2009年4月上旬
R-02 1108 1034 1095◇◇ 2515 広島地区体質改善色 C-43編成 2003年4月14日
R-03 2642 320 320 2516 瀬戸内地区統一色 G-02編成 2009年5月上旬
R-04 2616 1109 1193 2520 _____瀬戸内色[86]_____ G-03編成 2008年10月中旬
R-05 2645 2018 2018 2012 広島地区体質改善色 C-18編成 1999年7月29日
R-06 1151 2024 2024 759 瀬戸内地区統一色 C-24編成 2000年10月10日
R-07 199 1061 1124 2539 瀬戸内地区統一色 C-42編成 2002年12月4日
備考
G-01編成
G-01編成
G-02編成 黄5号単色塗装
G-02編成
黄5号単色塗装
G-02編成のドアスイッチ。
G-02編成のドアスイッチ。

なお現在は消滅した編成については以下の2つがある。

G編成
下り方先頭車は600番台車、上り方先頭車は奈良電車区から転入のクハ111形で組成された4両編成でG01 - 03編成の3本が在籍していた。老朽化に加えて客用扉の半自動回路は未装備で扱いができないことから、2012年中にすべてR編成化された。
  • 電動車ユニットは未更新車。G02編成は300番台車で元岡山電車区所属。G01・03編成は網干電車区所属110km/h運転対応工事を施工し原番号+5000とされた1000番台車である。
  • クハ111形は主幹制御器の交換をはじめとする抑速ブレーキ対応改造工事が施工済。
  • G01編成は最も遅くまで前照灯が原形のままであったが、2008年5月にシールドビーム化された[87][88]。下り方先頭車がクハ115 - 605、電動車ユニットが1000番台、上り方先頭車がクハ111 - 268となっている[77]
  • G02編成は以下の特徴をもつ。
    • 2010年6月3日に黄色一色に塗装変更された[89]。岡山側先頭車のクハ111-139は前照灯シールドビーム改造車である。
    • 下関側先頭車のクハ115-622は張上屋根化と化粧板ならびに座席番号を広島運転所L編成と同品に交換。ただし網棚とセミクロスシートは未交換の簡易リニューアル工事施工車。このクハ2両は2012年7月のR編成化時に廃車。
 
三石
下関・可部
現在の塗色 組み換え後の編成(MM') 編成変更された時期
形式 クハ111 モハ115 モハ114 クハ115
区分 Tc M M' Tc
編成 G-01 268 1114 1198 605 _______瀬戸内色_______ R-01編成 2009年4月上旬
G-02 139 320 320 622 瀬戸内地区統一色 R-03編成 2009年5月上旬
G-03 91 1109 1193 607 広島地区体質改善色 R-04編成 2008年10月中旬
備考
T編成(T01 - 04編成)
T01編成
先頭車化改造されたクモハ115形+クモハ114形550番台で組成された2両編成。車内はバケットタイプのオールクロスシートに木目化粧板の仕様とされ、105系冷房改造車と同じ直流1,500V直接駆動によるWAU202形を搭載した。福知山区から上述したT11 - 14編成編成の転入により2008年12月にT01編成が、2009年にT02・03編成が、最後まで残っていたT04編成が2010年1月に廃車となった[90]
 
← 岩国
下関 →
廃車時の塗色 編成組成の日時 廃車の日時
形式 クモハ115 クモハ114
区分 Mc Mc'
編成 T-01 551 551 ___瀬戸内色___ 1989年3月4日 2008年12月8日
T-02 552 552 ___瀬戸内色___ 2009年2月12日
T-03 553 553 ___瀬戸内色___ 1989年6月9日 2009年3月30日
T-04 554 554 ___瀬戸内色___ 1990年6月12日 2010年1月8日
備考 組成・廃車は幡生工場で行われた。

過去の配置 網干総合車両所(神ホシ)[編集]

1992年に新快速運用が減少した宮原電車区(現・網干総合車両所宮原支所)の117系が岡山に転出となったため、それと入れ替わる形で岡山電車区からの転入によって配置された。転入に際して#高速化改造が行われた。

所属する113系と同様に7両編成および4両編成を組んだが、7両編成ではクモハ115形を含む6M1T(Mc+M'+M+M'+M+M'+Tc)と電動車比率が高い編成も存在した。この編成は1999年5月10日ダイヤ改正で運用を終了し[91]、クモハ115形+モハ114形ユニット計6両は舞鶴線電化用として転用された。

以後はクハ111形およびサハ111形と4両及び7両編成を組成したが、2004年10月16日ダイヤ改正で運用を失い、下関区に転属した。

しなの鉄道[編集]

しなの鉄道S10編成
しなの鉄道S10編成
「あの夏で待ってる」ラッピング車
「あの夏で待ってる」ラッピング車
N56編成 (現・S21編成)
N56編成
(現・S21編成)
しなの鉄道所属車両の車内
しなの鉄道所属車両の車内

しなの鉄道所属車は、全車JR東日本から車両番号を変更せず[92]に譲渡された車両である。グループとしては、1997年(平成9年)10月1日長野新幹線開業による信越本線軽井沢 - 篠ノ井間移管の際に169系電車とともに所属となった3両編成11本計33両と、2013年3月16日のダイヤ改正で運用終了となった169系電車の代替として所属となった元長野総合車両センター所属2両編成7本計14両の2グループに分かれる[93]。なお、2013年7月にS5編成が長野総合車両センターに回送された[94]

S1 - S4・S6 - S16編成

S11編成までは1997年に譲渡されたグループであるが、S5編成は2013年7月に長野総合車両センターに回送後[95]、翌8月に廃車[96]されたために現在は3両編成x10本計30両が所属する。

元松本運転所所属の1000番台で組成された編成であるが、S8・9編成のクモハ115形は先頭化改造車の1500番台である。

  • JR東日本時代は移管区間に長野総合車両所所属車が投入されていたが、同所の編成は高崎 - 横川間でも運用されることからATS-P形を搭載していた。一方で移管区間はATS-SN形のため長野所属車と松本所属のATS-P形未搭載編成と交換した上で譲渡された。

譲渡後は以下の改造・変更が実施された。

  • 塗装は赤と灰色を基調に変更。
  • S3編成は譲渡直前の1997年9月25日に実施、最後に変更された編成は2004年3月10日のS10編成である[97]
  • ドア上部に広告用液晶ディスプレイとドアチャイムを搭載。
  • 車外スピーカーを設置し列車番号表示機を撤去。
  • ワンマン運転対応設備の設置搭載。
  • トイレは閉鎖し使用不可とした。
  • S8編成はJR時代にバイオトイレへ改造施工されているが同様の処置。
  • 床・窓・カーテン・CPなどの取替、ならびにMGのSIVへ交換などの更新改造工事が進行中である。

また編成毎に以下の特徴を持つ。

S12 - S16編成は2015年に譲渡された元長野総合車両センター所属の3両編成で、3両編成x5本計15両が所属する。

S21 - S27編成

元長野総合車両センター所属の2両編成(N51 - 54・56 - 58編成)[103]7本計14両で構成されるグループ。

2013年3月16日改正より長野総合車両センター所属・長野支社塗装・黄色の編成番号札を装着したままの状態でしなの鉄道での運用を開始し、6月1日付で譲渡された[96]。譲渡後には側面のJRマーク部分と前面貫通扉にしなの鉄道のステッカーを貼付た上で編成番号をS21 - 27に変更した[104]

S23編成は2013年9月に「AC長野パルセイロ」のラッピングが施工された[105]

譲渡に際し以下の改造工事を施工した。

  • JR東日本所属だった2012年から2013年にかけてワンマン運転対応化設備の設置搭載[96]
  • クモハ114形車端部に設置されるトイレ[注釈 28]は2013年3月16日以降使用停止[96]

運用の変遷[編集]

国鉄時代とJR化後に分割して解説を行う。

国鉄時代[編集]

本項では投入された地域ごとに分けて行うものとする。本来の運用とは別に1970年代の一時期はに東北本線・高崎線・中央東線・房総西線(現・内房線)の急行列車(いわゆる遜色急行[106]にも投入されたほか、通常はEF63形による推進・牽引となる信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)での自力走行試験も実施された(詳細は後述)[107]

東北本線および高崎線上野口・上越線・日光線・両毛線[編集]

上野口は本系列が最初に投入された地域であり、80系電車電気機関車牽引による客車で運転されていた東北本線宇都宮線)・高崎線普通列車の置換え・新性能化が目的である[注釈 29][108]

東北本線には1963年1月から、高崎線には1964年から投入された。当初の配置車両区は宇都宮運転所新前橋電車区とされたが、1966年には宇都宮配置車が小山車両区へ移籍。新前橋電車区投入時から両毛線日光線の運用も担当した[109]。1968年10月まで運行された新前橋 - 富士間の東北・東海道線直通列車にも使用されていた[110]

当初は基本4両編成の増結による最大12両編成を組成して運用され、投入開始から2年後の1965年10月には東北・高崎線の普通列車新性能化は一部客車による列車を除き完了。1968年10月のダイヤ改正では上野 - 長岡間客車列車の置換えで直通夜行列車にも充当された。1969年10月からは上野 - 東北本線小金井・高崎線籠原までのホーム延伸が完成したのを機に輸送力強化を行い、サハ115形組み込みの7両編成が基本編成、4両が付属編成となり最大15両による運用を開始した[109]。これらの増備車両30両は昭和43年第4次債務で製造され、7月11日千倉までの電化が完成した房総西線海水浴客向け夏季臨時輸送に充当された。この運用は1971年まで続いた[107]

1973年には冷房付きモデルチェンジ車の300番台が投入開始された。製造開始と同時期に上尾事件が発生したため、通勤輸送の改善を目的に1977年まで113系1000'番台とともに当初予定数よりも大量製造された。

300番台の大量増備には地方に残る旧形国電置換えの名目もあり、1976年から小山・新前橋の両電車区の基本番台車は、長岡・岡山・広島に転出する車両[113]と冷房改造で引き続き運用される車両に分かれた。

1978年3月時点の車両所別の運用は次のようになっている

115系の配置線区別運行路線[114]
小山電車区 新前橋電車区 長岡電車区
東北本線 上野 - 黒磯 上野 - 宇都宮
高崎線 大宮 - 高崎
上越線 高崎 - 水上 高崎 - 長岡
日光線 宇都宮 - 日光
両毛線 小山 - 新前橋
吾妻線 渋川 - 大前
信越本線 高崎 - 横川 高崎 - 中軽井沢

1978年10月のダイヤ改正では高崎地区に残存していた旧形国電置換えと東北本線・高崎線規格ダイヤ化による増発のため1000番台も投入開始。1982年には新幹線リレー号にも運用された[115]。その後も増発が繰り返され、1984年2月のダイヤ改正では既に新造車の製造が打ち切られていたために岡山・広島に一旦転出していた基本番台と1000番台が、長岡からはサハ115形1000番台が、1985年3月のダイヤ改正では三鷹・松本・長岡・沼津から運用の見直しによる捻出車が転入。小山・新前橋区合計で859両[注釈 30]と本系列のほぼ半分が投入された。

しかしこの頃が本系列のピークで、同年12月からは211系電車の投入が開始され、分割民営化直前の1986年11月のダイヤ改正では、広島地区の111系置換えのため基本番台・300番台約60両が広島・下関へ転出となり、状態が悪かった初期車の廃車も実施されたが、それでも分割民営化時には約700両が引き続き運用に投入された。

中央東線[編集]

1966年の中央東線松本電化の際に三鷹電車区に既存の客車列車[10]70系置換え用として投入された[109]。1968年10月からはローカル列車のみならず定期2往復、不定期3往復の急行「かいじ」・「かわぐち」にも投入され、富士急行線河口湖まで乗り入れする運用にも対応した[117][118]。一部の列車には、クモユニ82クモニ83を併結する列車もあった[110]

  • 「かいじ」運用では1970年10月から1972年10月まで約2年間サロ165形を連結していた実績がある。これは新前橋電車区所属のサロ165-14・15のジャンパ連結器と引通し線を変更して三鷹電車区に貸し出したもので、うち14は横須賀色に塗色変更した上で運用された[109]。なお、改造に伴う改番はない[注釈 31][106]

1975年3月のダイヤ改正では300番台車を新製投入し、一部残存していた客車・70系電車による普通列車を置換えた[注釈 32]。なお捻出された70系電車は呉線に転用された[113]

1978年3月時点では、中央本線では三鷹電車区の車両のみが運用されていた。三鷹電車区の車両は新宿 - 長野間で走っていた[114]

1984年2月1985年3月のダイヤ改正でサハ115形基本番台が制御車化改造用種車となり各地に転出し、1986年11月1日のダイヤ改正では豊田電車区への移管のため三鷹の配置がなくなった[10]

新潟地区[編集]

1976年に上野口への300番台投入で捻出された基本番台で、70系電車の置換えを目的に長岡運転所へ投入開始された[109]

1978年3月時点で長岡電車区の車両は信越本線柏崎 - 新潟間、上越線高崎 - 長岡間で運用されていた。他に上越線には新前橋電車区の車両が乗り入れていた[120]

1978年からは1000番台投入により、捻出された基本番台は岡山地区に転出して80系を置換えたほか[121]、1982年には水上以北での減車化(6連→5連へ変更)に伴う運用見直しで長岡運転所所属サハ115形1000番台19両が小山・新前橋の両電車区へ転出した。

1984年の越後線弥彦線電化開業により本系列が投入されることになり、一旦山陽地区に転出した基本番台(先頭車化改造車)や身延線用2000番台が転入したため、現在でも新潟地区には基本・1000・2000各番台が混在した状態が続いている[36]

長野地区[編集]

1977年に80系電車の置換えを目的に松本運転所に新製配置された。当時配置されたのは冷房準備車の5両編成(McM'MM'Tc)と3両編成(McM'Tc)である。その後大糸線の旧形国電も置換えられることになり、該当する車両は3両編成で1981年より松本運転所北松本支所に配置された。1983年からはフリークェントサービスを行うための短編成化のため電動車に運転台を取り付ける改造も行われた。その際反対向きの制御車が不足するため他の車両区の付随車に運転台を設置した[注釈 33]。さらに2両編成での運用も行うためモハ114を改造し、クモハ114も登場したことで2両編成での運用が可能となった[122]

  • 北松本支所は1985年3月に松本運転所に統合された、

1986年11月1日に一部運用と車両は長野運転所(現・長野総合車両センター)に移管・転属となったが、中央西線が分割民営化時にJR東海管轄となるため神領電車区にも転出した車両も存在する。

1978年3月時点では松本電車区の車両は篠ノ井線松本 - 長野間、信越本線軽井沢 - 柏崎で運用されていた。他に篠ノ井線では全線で三鷹電車区の車両が運用されていた[114]

なお、国鉄時代の長野地区配置車両はすべて1000番台新造車で他地区からの転入車は皆無である。

静岡地区[編集]

1979年、御殿場線用旧形国電置換え用に小山電車区から基本番台4両編成11本計48両が沼津機関区へ転入した。後の減車化(4連→3連へ変更)により車種間改造を含む広域転配が実施された。

1981年には身延線用旧形国電置換え用に2000番台が新製配置され、開業当時からの車両などの旧型電車は1982年8月に運用を終了。車体更新車のモハ62系も1984年2月のダイヤ改正で運用を終了し、1986年に廃車となった。

1986年11月のダイヤ改正で分割民営化に備えて中央西線用車両が神領電車区に、飯田線用車両が豊橋機関区に、また沼津配置車は静岡運転所に配置の見直しが行われた。

山陽地区(岡山・広島・下関)[編集]

新潟地区と同様に、1976年から旧形国電置換えを目的に関東地区に新製配置された300番台で捻出された基本番台が岡山・広島に配置された[109]。下関への配置は1984年からである。

50系51系などの旧形車置き換え・短編成化・列車増発・電化開業により新造車も配置された。1978年から、岡山地区向け1000番台と広島地区向け(山陽本線姫路以西の旧形車置き換え名目)2000番台の新製配置が行われた。これらは6両編成が主とされ、一部が4両編成とされた。

1978年時点で、岡山電車区の車両は山陽本線姫路 - 広島間、赤穂線と宇野線の全線で運用されていた。また広島運転所の車両は山陽本線三石 - 小郡(現・新山口)間、呉線海田市 - 呉間で運用されていた[114]。 1982年には伯備線が電化開業することから6両編成1000番台が岡山電車区に追加投入され、電化開業時の1982年7月現在で6両編成61本の306両(0番台非冷房車が20編成120両、1000番台冷房車が31編成186両)が配置された。また、広島地区旧形車置き換えならびに列車増発目的(ひろしまシティ電車)として3000番台の投入が行われたが、こちらは4両編成が投入された。

「ひろしまシティ電車」は乗客数6%増と成功を収め、同様の手法が1984年に岡山地区にも導入されることになった。6両編成を3・4両編成に短縮し、奇数向きクハ115形が余剰となって首都圏に転出し、不足する偶数向きクハ115形が新前橋から転入した。

1984年の越後線・弥彦線電化開業、1985年の御殿場線短編成化をはじめ関東地区との車両転配も数多く実施されており、分割民営化直前には211系投入により捻出された300番台も転入した。

特殊な試験運用[編集]

碓氷峠自走用115系の編成図
PJRPJRNC
碓氷峠自力走行試験用の115系(1963年)
← 軽井沢
高崎 →
クハ115 クハ115 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 クハ115
Tc Tc M M' M M' M M' M M' Tc'
  • 緑色は死重(荷重車)

上述の通常運用とは別に落成直後の1963年に粘着運転化された信越本線横川 - 軽井沢間で、電車の自力走行が計画され試験用車両に本系列が投入された。

  • 本区間で電車列車はEF63形補機により無動力で推進・牽引されるため最大編成長は8両に制限されていたことから、将来的な輸送力増強やスピードアップが狙いである。
  • 走行試験はMT54形主電動機の試験も兼ねて1963年9月19・20日に行われたが、停電のリスクを回避するためディーゼルエンジン式空気圧縮機が搭載された。

試験の結果、MT54形主電動機は熱容量に問題があることが確認された。その後1980年代に187系電車などが計画されたが、予算等の問題から実現していない[107]

JR東日本[編集]

分割民営化後も引続き運用されたが、E231系電車への置き換えにより2000年から廃車が開始され、高崎線では2001年11月30日に、東北本線上野口では2004年10月のダイヤ改正で本系列の運用は終了した[44]。他地区では引き続き運用されてはいるが、状態の良い300番台後期車や1000番台で初期車を置き換えるなどの転配が行われた。また、伊豆急行200系電車の第3編成以降としなの鉄道115系は、ともにJR東日本が保有していた本系列を譲受・改装したものである。

現在の配置車両基地[編集]

豊田車両センター(八トタ)[編集]

所属車両は70系電車時代から継続し[10]、横須賀線色を採用する[9]

運用面では、1993年12月のダイヤ改正以前は新宿乗り入れ[注釈 34]2000年12月のダイヤ改正以前は中央本線篠ノ井線経由で長野までの広域運用が存在したが、それ以降は甲府以西の運用が長野支社に移管されたため所属車が大量に松本運転所へ転出した経緯がある[10]

M1 - 12編成
M7編成ほか6両
中央本線 相模湖 - 高尾
 
M3編成が代走する快速「むさしの」
M40編成 快速「むさしの」 快速「ホリデー快速鎌倉」
M40編成
快速「むさしの」
快速「ホリデー快速鎌倉」
急行「なつかしの115系かいじ号」 快速白い砂
急行「なつかしの115系かいじ号」
快速白い砂
3両編成または6両編成で中央本線立川[34][注釈 35] - 小淵沢八王子支社管内)ならびに富士急行線河口湖までの運用[注釈 36][9]塩山 - 甲府 - 韮崎の区間列車で3両編成を中心に運用されていたが[注釈 37][2]、2014年12月7日からは、これらの運用を長野総合車両センターの211系N編成で運転されることになり、全編成が運用を離脱している。運用離脱前の2014年12月5日には、一部の編成が豊田車両センターから豊田車両センター武蔵小金井派出に疎開回送されており[123]、2014年12月9日と10日には、M1・M2・M4・M6編成が長野総合車両センターに廃車回送されている[124]
中央本線での主な運用では、小淵沢発着の5往復に充当されている。このうちの1往復と立川発の1本はセンターからの出入庫車となる。豊田車両センターで夜を明かすのは1本のみで、残りは全て外泊となる。なお、高尾以東に入る列車は3本のみである。これは青梅線直通列車の増加などによる立川駅のホーム不足が原因である[2]
富士急行に直通するのは1日1往復のみである。河口湖行の便は大月まで2編成が併結して運行し、大月で1編成が解放され、1編成のみが富士急行に乗り入れる。河口湖発の便の場合は甲府から来た編成に富士急行から来た編成が併結し、高尾まで運行する[2]
臨時運用では以下の列車に投入された実績がある。
  • 「快速スイッチバック街道」(2007年秋 長野 - 聖高原
  • 「惜別スイッチバック街道羽尾号[125]」(2008年7月 長野 - 聖高原):長野総合車両センター所属のクモユニ143-1・3と連結した5両編成[126]で運転
  • 「115系大糸リレー」(2008年9月 松本 - 南小谷[127]
  • 「ひまわり号」(2010年10月・11月 立川 - 千葉四街道 - 立川)[128]:M4編成を充当
  • さだまさし3776号」(2010年7月運転[129]):M7編成を充当
M40編成
他の編成と異なり本来の中央本線運用には投入されず、武蔵野線快速「むさしの」(2010年12月3日で終了)[130]・「ホリデー快速鎌倉[130](2013年9月23日で終了[131])の定期運用をほぼ専従としたほか、長野総合車両センター所属車C編成定期運用の代走[132]・波動輸送[130]・乗務員訓練[133]などに投入されたが、2014年1月27日に中間車3両が訓練車であるW2編成とともに長野総合車両センターへ回送された[134]
主な波動輸送運用
高崎車両センター(髙タカ)[編集]
107系の代走運用(日光線鹿沼駅

2005年の組織変更による統合で新前橋電車区から名称変更された。識別記号『T』と編成に組み込まれるモハ114形車両番号を組み合わせる編成番号を付与された[11]1000番台3両編成11本(33両)ならびに4両編成11本(44両)計77両が配置されている[1][13]

1963年から小山車とともに東北本線・高崎線上野口の普通列車の主力として最大15両編成で運用されていたが、上野口での運用が終了した2010年現在では上越線高崎 - 水上間・信越本線高崎 - 横川間・吾妻線両毛線[149][9]・東北本線(宇都宮線)小山 - 宇都宮間[15]で運用される。主に3両または4両編成で、朝夕の時間帯では2編成を組み合わせた6両編成で運用される。

また同センター配置の107系100番台の代走で黒磯まで入線することもあるほか、訓練や日光線用107系0番台代走名義で[150]小山車両センターへの貸出も行われる[151]

最大で3両+3両の6両での運用がある。信越本線は3両、6両の運用が1往復ずつあるほかは4両での運用である。また午前中の列車の一部は107系の運用である。上越線では3両編成の運用が主体であり、4両編成や107系の運用は少ないが、ラッシュ時には6両編成での運用もある。両毛線は全列車の半分程度が115系での運用であり[13]、ラッシュ時には上越線と同様に6両での運用もある。また両毛線から宇都宮線に直通する一往復が東北本線における唯一の運用である。吾妻線は区間列車[152]と午前中・夕方の2往復を除いて115系が充当される。これらはほとんどが3両編成であり、4両編成が運用されるのは3往復のみである[注釈 38]。6両編成は運用されていない[153]

長野総合車両センター(長ナノ)[編集]

国鉄時代の1986年11月1日ダイヤ改正で松本運転所から信越本線の運用を移管し配置車両基地となった。2013年10月1日現在では、3両のN編成28本(84両)と6両貫通のC編成14本(84両)および訓練車編成(3両)の計171両が配置される[153]。なおN編成とC編成が混用されることはない。

1997年以前のEF63形との
推進・牽引運用
JR東海区間乗り入れのN13編成 坂下 - 落合川間 飯田線に直通する「みすず」
JR東海区間乗り入れのN13編成
坂下 - 落合川
飯田線に直通する「みすず
快速「むさしの」C1編成代走運用
(長野色時代)

運用面では、1997年の長野新幹線開通以前は碓氷峠を越えて高崎までの運用が存在したほか、以後は数度にわたり松本車両センターからの移管が実施された。

また、長野オリンピックの際には小山電車区から7両編成1本からサハを抜いた6両を長野 - 直江津で、新前橋電車区から4両編成1本を小諸 - 直江津で限定運用する借り受けを行った。4両編成は小諸での夜間滞留が採られたほか、側面方向幕は対応する駅名コマがないため白表示としサボによる運用となった。

2007年の松本車両センターから中央東線運用移管ならびにC編成転入実施後は大きな変化はなかったが、2013年3月16日ダイヤ改正で2両編成のN51 -54・56 - 58編成をしなの鉄道での運用に転用[154]、同年6月1日付でしなの鉄道への譲渡を実施[93][96]。また首都圏から211系の転入や2014年3月15日ダイヤ改正でN編成のJR東海飯田線辰野 - 飯田・中央本線塩尻 - 中津川への乗入れ運用が終了するなど状況に変化が現れている。

N1・2・4・5・7・9・10・12・13・16・21・24・29・32・33編成
同センターの最大勢力ともいえる3両編成[155]で中央本線甲府 - 松本 - 塩尻辰野支線も含む)・篠ノ井線・信越本線篠ノ井 - 直江津 - 柿崎[注釈 39]・大糸線松本 - しなの鉄道篠ノ井 - 小諸間と比較的広域運用が設定されている[153]。2014年まではJR東海管内の飯田線辰野 - 飯田・中央本線塩尻 - 中津川間にも乗り入れていた[注釈 40]
またJR東海区間には速度照査機を搭載したN1 - 16編成(N15編成は訓練車)が運用につく[157]
2015年の北陸新幹線開業に伴い信越本線がしなの鉄道、えちごトキめき鉄道に移管されたため、定期運用がなくなった[158]
N編成は以下の臨時運用にも使用された。
  • 高遠さくらまつり号(N24編成):2008年・2009年4月[159]
  • スワいち号:2008年2月23日[160]
  • 木曽漆器まつり号:2008年6月6日 - 8日[161]
  • ほろよい上諏訪街道号:2009年10月10日[162]
  • 懐かしの115系湘南色号:2014年7月21日[163]
C1・3・6 - 14編成
2007年3月18日にそれまで松本車両センターが担当していた中央本線・篠ノ井線運用を当センターへ移管・転入した6両編成14本である(詳細は後述)[1]
定期運用はが立川 - 松本ローカル列車専従でに投入される。その他は出入庫を兼ねた松本 - 長野1往復・篠ノ井線松本→明科区間列車[注釈 41]のみのため松本・小淵沢・甲府・大月・高尾・豊田で夜間滞泊が続くのが特徴であるが、以下の代走や臨時投入の実績がある。
N51 - 54・56 - 58編成(現在は譲渡)

しなの鉄道の運用参照

新潟車両センター(新ニイ)[編集]

定期運用は白新線越後線弥彦線えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン妙高高原 - 信越本線直江津[168] - 長岡 - 新潟間・上越線[注釈 43]水上 - 長岡間[156]羽越本線新津 - 村上間を担当するが[注釈 44][44]、臨時運用として2000年代後半以降から諏訪湖花火観客輸送で通常は長野総合車両センターが担当する信越本線運用の一部を代走するケースがある。なお、2014年度から新型車両のE129系が新潟地区に投入されることが決定している[169]

また新潟地区では2両 - 7両編成が運用される。7両編成は弥彦線では1往復のみの運用[168]

Y1 - 3編成
ワンマン装置を取り付けた2両編成で、弥彦線の運用向けである。121・122の2運用がある。
弥彦線弥彦 - 吉田の全列車[156]・吉田 - 東三条の一部列車・出入庫を兼ねた越後線吉田 - 新潟間1往復[170])で運用されており、近年では同地区のE127系の代走で白新・羽越本線に入線することもある。
S1 - 15編成

ワンマン非対応の2両編成。トイレ付き編成とトイレなし編成で運用が分かれている。

トイレ付き編成の運用
  • 801-805運用がある。主に信越本線直江津まで、上越線水上まで、越後線吉田まで、弥彦線東三条 - 吉田、白新・羽越本線村上までの間で使用されるが、信越本線や越後線での運用が多く、白新線以東での運用は少ない。上越線の長岡 - 水上間は 石打 → 水上 → 長岡 → 石打)[注釈 45]の1往復である。また信越本線長岡 - 直江津間の運用のうち1往復と先述の上越線の運用はトイレのない編成との併結である。他の編成との併結運用は少なく、新潟 - 長岡間の列車や、長岡 → 内野間の越後・信越本線直通便、信越本線の新潟 - 新津間の列車、越後線の新潟 - 内野間の列車でN編成と併結し、5両編成として運用される程度である[170]
共通運用
  • 201-208運用の8運用がある。主に信越本線直江津まで、越後線吉田まで、白新・羽越本線村上までの間で運用される。ほか上越線の越後湯沢まで往復運用がある[注釈 46]。この運用は単独で運用されることはなく、トイレ付きの2両 - 4両編成の偶数向きに併結する[170]
N1 - 32編成
出雲崎駅に停車するN32編成(2007年)

3両編成。31-57の運用があり、新潟車両センター所属車両の運用範囲のうち、越後線吉田 - 柏崎間および弥彦線吉田 - 弥彦間以外の全範囲で運用されている[168]。併結する運用は4両+3両の7両編成、3両+3両の6両編成、3両+2両の5両編成がある[171]

上越線
越後線・弥彦線
  • 弥彦線の越後線に直通する列車
信越本線
  • 直江津以東の運用の主力である。また妙高高原までの運用があった時、新潟車による運用は1本のみであった[171]。また二本木までの運用は柏崎発・長岡行の上り・下り各1本のみである[171]

パンタグラフを増設した車両を組み込む編成は、331-333運用として冬季に雪の特に多い地区の列車に重点的に充当される。信越本線・越後線直通便や新潟 → 長岡の1本、上越線の上り・下り1本、越後線や、白新線の一便に充当される[171]

白新線での6両での運用。
併結編成
6両編成
  • 信越本線、白新線、越後線で運用の設定がある[171]
5両編成
  • 上越線の長岡 - 越後湯沢間の列車(土曜・休日のみ運行)
  • 信越本線の新潟 - 柏崎間と新潟 - 長岡間(うち2便は越後線の吉田、内野まで直通)および新潟 - 新津間を運行する列車
  • 越後線の新潟 - 吉田間、新潟 - 内野間を運行する列車(1本は長岡より直通)
  • 白新・羽越本線の新潟 - 村上間の列車と越後・白新・羽越本線直通のうち越後曽根始発のもの。
L1 - 14編成
  • L編成運用範囲は以下の区間[172]で、1 - 13の運用がある。かつては上越線は越後中里までであり、羽越本線新発田 - 村上間の運用もあった[168]
  • 白新線・越後線全線
    • 越後線では吉田 → 羽生田、新潟 → 越後曽根などの区間列車のほか信越本線直通列車の一部が7両編成で運用される。白新線では羽越・信越本線を直通する列車、白新線・越後線直通の列車が7両編成で運行される。また越後線・信越本線上りの列車と、越後線・弥彦線直通便、越後線の列車の一部(区間列車含む)が4両+2両の6両編成で運用される[171]
  • 信越本線:新潟‐柏崎
    • 信越本線では越後線から直通の便の一部は7両編成で、越後線直通便の一部と信越本線の一本は4両+2両の6両編成である[171]
  • 弥彦線:東三条吉田
    • L編成は6往復に充当される。そのうち越後線直通便は4両+2両の6両編成で運行される[171]
  • 上越線:長岡‐水上間
    • 越後中里までだった時は、L編成は3往復あった[171]
  • かつての羽越本線の運用は5往復あった。

過去の配置車両基地[編集]

小山車両センター(宮ヤマ)[編集]
Y427編成で運用される「むさしの奥多摩」
宇都宮線で運用される115系

1966年(昭和41年)に宇都宮運転所より移管されて以来、新前橋電車区所属車とともに最大15両編成で東北本線・高崎線の上野口普通列車の主力として運用されていたほか、タウン・アーバンスイフト・ラビットなどの快速列車でも運用された[173]。当時は基本編成7両・付属編成4両の11両[174]のほか、4両編成2組を繋いだ8両を中心に運用され[175]2001年12月から2002年7月にかけては湘南新宿ライン運用にも投入された[44]

E231系の増備により、2002年7月24日のダイヤ改正で湘南新宿ライン[176]、2003年に高崎線での運用が終了[51]。最後まで残存した東北本線での定期運用も2004年10月ダイヤ改正で終了し[注釈 47][注釈 48]、2005年1月にさよなら運転を実施した[51]

その後は4両のY427編成のみが大宮支社管内の予備・訓練車兼用として使用するため残存した。訓練車として宇都宮運転所・黒磯駅川越車両センター大宮総合車両センター東京支社への貸出も行われたほか、営業運転では日光線青梅線などホーム有効長が短い路線での臨時列車にも投入された。しかし最後まで残っていた大宮 - 奥多摩間の快速「むさしの奥多摩」運用が201系四季彩」に置換えられ、2007年3月にE231系付属編成(U-118編成)の増備により訓練には当日予備の車両を使用する体制となったため2007年12月1日付で廃車となり、同センターの本系列配置は終了した。

松本車両センター(長モト)[編集]

国鉄末期の松本運転所時代には長野鉄道管理局の全運用を担当していたが、分割民営化直前の1986年11月1日ダイヤ改正で信越本線の運用は長野運転所に移管され、中央本線甲府以西・大糸線・篠ノ井線の運用を担当した。

長野新幹線が開業した1997年には当所配置車両がしなの鉄道へ譲渡されたほか、2000年には基本番台・800番台車が伊豆急行に譲渡された。

しかし2007年3月18日に長野総合車両センターに運用移管されることになり全車転出。本系列の配置がなくなった[19]

長岡車両センター(新ナカ)[編集]

1999年12月4日のダイヤ改正で所属車両は全て上沼垂運転区(現・新潟車両センター)に転属した[36]。所属車両は現在のS編成にあたる。

JR東海[編集]

99両が継承され当初は静岡車両区・神領電車区・豊橋機関区に配置されたが、1988年に静岡に配置が集約され、東海道本線・御殿場線・身延線・飯田線などで運用された。2000年代に突入しても大きな変化はなかったが、以下の要領で運用が縮小された。

これにより1979年(昭和54年)以来続いてきた同社管内での本系列による営業運転が終了した[47]。2008年4月に残存していた静岡車両区B1・7・8・11編成の4本12両が廃車され、同社からは本系列が全廃となった[46]

なお、中央本線塩尻 - 中津川と飯田線飯田以北ではJR東日本長野総合車両センター所属車による運用が現在も存在する[68]

静岡車両区(静シス)[編集]

2006年4月1日時点で残存していたB編成13本とS編成8本(いずれも3両編成)について解説する。

B編成

クモハ・クハ115形2000番台と身延線低断面トンネル対応のモハ114形2600番台から組成される編成で東海道本線・御殿場線・身延線・飯田線で運用。

S編成

東海道本線・御殿場線・飯田線のほか、快速「みすず」でJR東日本管内に中央本線・篠ノ井線を経由し長野まで乗り入れる運用が1日1往復あった。

JR西日本[編集]

広島地区のラッシュ輸送に対応する岡山所属車
広島地区のラッシュ輸送に対応する岡山所属車

国鉄民営化時に590両を継承し[177]、2014年(平成26年)10月現在でも福知山電車区岡山電車区下関総合車両所(本所・広島支所)に445両が配置されている[178]

同社の車両の特徴として約8割の車両が40Nもしくは30Nの体質改善工事を施工されており、EBリセットスイッチなどの機器類更新はもちろんのこと、内装も223系並みに換装されており、転換クロスシート車の比率も増加している。他社では運用撤退が続いているが、経年車を淘汰した上で今後も継続して使用される予定である。ただし、広島地区で運用されている車両については2015年(平成27年)春以降、ATS-M形の導入とともに227系に置き換える予定である[179][180]

運用面では、岡山・広島・下関の各車両基地では山陽本線での長距離運用や広島地区のラッシュ時運用で相互乗り入れ・併結などの旅客需要に応じた柔軟な対応が行われている。

福知山電車区(福フチ)[編集]

R編成は、かつては山陰本線の京都 - 城崎温泉間で運用があったが、2010年3月13日のダイヤ改正で221系・223系5500番台に置き換えられ、現在は山陰本線では綾部以北のみの運用が残る。京都 - 園部間では京都総合運転所(現・吹田総合車両所京都支所)所属の113系C編成と併結する運用もあった。また舞鶴線でも運用され、この運用には福知山電車区のS編成も共通運用される。

K編成・Y編成は福知山線全線で、113系と共通運用されていた。

岡山電車区(岡オカ)[編集]

サンライナー運用時の115系 A編成とD編成の併結運用
サンライナー運用時の115系
A編成とD編成の併結運用
K編成とD編成の併結運用 D編成同士の併結運用
K編成とD編成の併結運用
D編成同士の併結運用

2014年10月1日現在300・1000番台を中心に173両が配置され[56]、山陽本線[68]・伯備線・福塩線福山 - 府中[注釈 49]・赤穂線・宇野線[注釈 50][49]・呉線・可部線[182]で運用される。

A編成
山陽本線姫路 - 岩国間、赤穂線相生 - 播州赤穂備前片上 - 東岡山間、呉線全線、伯備線倉敷 - 新見間で運用される。D編成と併結した7両編成での運用もある。広島 → 糸崎の一便は広島 - 西条間で下関検修センターのN編成と併結し、8両で運行する[183]
K編成
山陽本線三石 - 広島間、赤穂線全線、伯備線倉敷 - 新見間で運用される。A編成と同じくD編成と併結した7両編成での運用もある。糸崎 → 岡山の便の中にはN編成との併結し8両で運行するものもある[183]
D編成
山陽本線姫路 - 西条間、赤穂線全線、伯備線倉敷 - 新郷間、福塩線福山 - 府中間、宇野線全線、瀬戸大橋線全線、JR四国管轄の予讃線宇多津 - 多度津間、土讃線多度津 - 琴平間で運用される。D編成同士を併結した6両編成、および先述の7両編成での運用もある[183]
G編成
山陽本線和気 - 倉敷間、伯備線全線、山陰本線伯耆大山 - 西出雲間で運用される。2両編成を2つ併結して4両編成での運用もある[183]

下関総合車両所広島支所(広ヒロ)[編集]

山陽本線[68]和気 - 下関間・呉線全線[50]で運用される。かつては可部線全線でも運用されていた[69]

4両編成を2両併結して8両編成で運用されることもある。岡山電車区や下関検修センターの編成とも併結する運用もある。

体質改善工事施工直後は呉線快速「安芸路ライナー」で運用されていたが、広島シティネットワークでの快速列車本格導入に伴い快速「シティライナー」「通勤ライナー」などほぼ山陽本線限定運用に近い形態となった。しかし現在は快速列車の激減により、普通列車を中心に運用される。

下関総合車両所運用検修センター(広セキ)[編集]

4両編成

山陽本線三石 - 下関間、呉線、可部線の全線で運用される。4両編成を2本併結した8両編成もある。N編成はT編成との併結もある[83]。体質改善車と非改善車は混用される。

T編成

山陽本線岩国 - 下関間で運用される。T編成を2本併結した4両での運用や、N編成との併結もある[83]

しなの鉄道[編集]

S21 - 27編成
譲渡前の本グループは、中央本線・篠ノ井線富士見 - 岡谷 - 松本 - 長野辰野支線の運用を含む)・大糸線松本 - 信濃大町間での定期運用[注釈 51]のほか、松本車両センター所属の123系検査・故障時の代走に投入された[121]

伊豆急行[編集]

伊豆急行200系タイプIII

1990年代後半に伊豆急行では開業当初から運用を続けていた100系・1000系電車が老朽化のため代替が検討されており、東急8000系電車による置換えが計画されていた。しかし当時の東急は廃車を予定していなかったこと。サービスを維持するために片側2扉改造での導入は伊東線との直通運転に適していないこともあり、中継ぎとしてJR東日本から113系ならびに本系列を購入し、200系として導入[92]した。以下の2種類が本系列からの改造車である。

タイプII
2001年・2002年に入線。松本運転所を廃車になった基本番台・800番台の3両編成6本18両で、F3 - 8編成となった[92]
タイプIII
2002年・2003年に入線。松本運転所を廃車になった300番台の3両編成3本9両で、F9 - 11編成となった[92]

譲渡に際し自力走行で伊豆急行線に入線し、塗装ならびに仕様変更などの改造工事を伊豆高原電車区で施工した。

2004年から当初予定されていた東急8000系電車が伊豆急行8000系電車として譲渡開始され、2005年増備車から200系の順次置換えを開始。2007年までにタイプII全編成が廃車となり、続いてタイプIIIも2008年7月までに定期運用を終了。同年12月14日にF11編成による「伊豆急200系さよなら運転」をもってすべての運用を終了した[92][184]

塗色[編集]

国鉄時代から存在した塗色[編集]

湘南色[編集]

湘南電車として80系時代から使用されている配色である。当時東海道線は113系が、宇都宮線高崎線には115系が使用されていたため、区別のために113系はV字型に、115系はU字型に塗られている[185]

スカ色[編集]

横須賀線の車両の色として32系の時代から使用されている配色である。横須賀線や、横須賀線と1972年に東京トンネルでつながった総武快速線では113系が使われていたのに対し、115系は1966年から中央本線で使われていたため、山スカ色とも呼ばれる。当初は湘南色同様113系はV字、115系はボックス型に塗り分けられていたが、JR化後にV字型の115系も登場した[186]

身延色[編集]

身延線用2000番台の車両に施された塗装。甲州ぶどうをイメージした赤2号の車体に富士山の雪をイメージした白(色のバランスの関係でクリーム10号)の粘着テープによる飾り帯を貼り付ける[187]。冷房改造にともなって湘南色に塗り替えられた[188]

瀬戸内色[編集]

3000番台が登場する際、車両に施された塗装。クリーム1号を基調に青20号の粘着テープ帯が貼り付けられる[189]。国鉄時代は115系のみだったが、JR化後に103系にも施された[190]

初代新潟色[編集]

白を基調として青と赤の細い帯をまとう色。115系では現在塗られている車両はない。(キハ40系には現在でも塗られている。)また塗装には多くのバリエーションがあり、その一例として前面の青帯が1本の車両もある[186]

初代弥彦色[編集]

弥彦線への115系投入を機に塗られた色。白を基調として赤とオレンジの帯を配していた[191]

JR化後の塗色[編集]

初代長野色[編集]

JR化後に登場。白を基調に緑とえんじ色の帯を巻いていた。2代目の塗色に塗り替えられて消滅した[192]

2代目長野色[編集]

長野オリンピック開催を機に登場した塗装で、現在でも運用されている[192]

2代目新潟色[編集]

白を基調に濃淡の緑色の帯を巻くデザイン。前面全てに帯を巻いた車両、前面の塗装をV字型に切った車両、ハの字型に切った車両があった[191]

3代目新潟色[編集]

白を基調に濃淡の青を塗り分けるデザイン。

2代目弥彦色[編集]

白と黄色のツートンカラーに緑の線を配したデザイン[193]。初代弥彦色から変更された[194]

初代福知山色[編集]

113系には国鉄時代から塗装されていたが、JR化後運用増加により転入してきた115系にも塗装された[193]。後に2代目福知山色に塗り直された[195]

2代目福知山色[編集]

白を基調とした武道色と緑の帯を巻く配色である。JR化後に塗装された[193]

広島快速色[編集]

現在の広島空港開業に伴い快速列車の体系を1993年に一新したため登場。快速列車に使用される車両に用いられた[196]。快速列車の激減により消滅。

岡山更新色(西日本更新色)[編集]

茶色の地にJR西日本のコーポレートカラーである青の線を巻いた色。30N更新工事に伴って登場[55]。通称「カフェオレ」[197]

広島更新色[編集]

広島地区の体質改善工事施工車に施された。(一部車両は未施行のまま塗装のみ変更されている。)車両のベースの色はホワイト[197]

黄色単色[編集]

JR西日本の国鉄型車両単色化によって黄色となった車両[197]

しなの鉄道色[編集]

赤と黒の配色。当初はしなの鉄道の車両は全て2代目長野色だったが、後に全て塗装変更されている[92]

伊豆急行色[編集]

白を基調に赤または青の線が入る配色[198]

特別塗装[編集]

コカコーラ色[編集]

1987年に長野運転所に所属していた当時のN12編成が塗装された[21]。約5年間続き、その間コカコーラの自販機が設置されていた[198]

ジェフ塗装[編集]

JR東日本がスポンサーをするジェフユナイテッド市原を応援する塗装。しかし新潟地区にはアルビレックス新潟があるため消滅した[198]

伊豆急行トランバガテル色[編集]

伊豆急行で採用された塗色。河津バガテル公園のバラにちなんだ塗装である[198]

こんぴら号[編集]

岡山電車区のD27編成に施行された塗装。幸福の黄色いお守りにちなんだ黄色い塗装となっている[199]

アビ丸塗装[編集]

1989年広島県呉市で開催された海と島の博覧会をPRするための塗装。博覧会終了後塗装が解除されたあとも青のベースカラーは残され、単色の塗装として運転されていた[199]

アジア大会ラッピング塗装[編集]

1994年に広島で開かれたアジア大会の協賛ラッピング塗装[199]

しまなみ海道ラッピング塗装[編集]

1999年しまなみ海道の開通を記念したラッピング塗装[199]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同時に新製配置されたサハ115-1027は1992年にクハ115-1512へ改造され、2010年現在は長野総合車両センターC8編成に組み込まれている。
  2. ^ ぐんまちゃんのイラストが描かれていた。
  3. ^ 「JR普通列車年鑑 2012 - 2013」イカロスMOOK、p.49にはアドバンスブルー・フレッシュグリーンとある。
  4. ^ クモハ115-1020+モハ114-1027+クハ115-1019で、後に松本転出を経て現在はしなの鉄道S11編成として車籍を有する。
  5. ^ 非乗入れ車でもN21・N24・N32編成は搭載する。
  6. ^ 旧C5編成も全車が300番台車で、クハ115-443・496・モハ115-417+モハ114-443は300番台最終製造ロットである。
  7. ^ 旧C5編成もリニューアル工事が施工済であった
  8. ^ 旧C2編成も同様
  9. ^ 松本に転入した元豊田所属の電動車ユニットと元小山所属のクハで廃車を免れた車両。
  10. ^ 例として国鉄末期にクハ115-1090などへ施工した塗装(1次色より前面の青色部分の面積が増加した塗色)が存在する[29]
  11. ^ 先頭車両に施された帯は新潟の「N」をイメージしたものである[30]
  12. ^ この塗装は、新潟の水・米、海・川、水田のイメージで地元の大学生によってデザインされた[31]
  13. ^ ただし長野車と異なり防風板に模様は入っていない。
  14. ^ クハ115-111+モヤ115-1+モハ114-59+クモハ115-115
  15. ^ クモハ115-506+クモハ114-506
  16. ^ クハ115-126+モハ114-812+クモハ115-12 クハ115-183+モハ114-810+クモハ115-10 横須賀色でPS35形パンタグラフを搭載[41]
  17. ^ リリース文では「ぶどう色の電車」として書かれていたが、「ワインレッド赤2号)=ぶどうをイメージした色=ぶどう色」という意味で書かれたものを工場側で「ぶどう色=ぶどう色2号」と誤解したことによる。
  18. ^ 同様の塗装ミスに1975年三鷹区へ最初に納入された300番台8両(クモハ115-301・302・モハ114-329・330・クハ115-348・350・サハ115-306・307)の事例がある。この8両は本来横須賀色で製造されるべきところを湘南色で落成させてしまい、製造元の日本車輌製造に一旦返却回送され再塗装の上で納入が行われた。この8両のうちサハ115形を除いた6両は1986年の岡山転属後に、サハ115-306・307は小山転属後に再度湘南色に塗装されている。
  19. ^ 朝夕のみ[49]
  20. ^ 最後まで残存した非冷房車のクハ115-75は1999年に下関地域鉄道部下関車両管理室へ転属後、約2か月運用されただけで廃車された。
  21. ^ 後に高速化対応改造がされ5300・5800番台に区分されていた時期もある。
  22. ^ ATS-P(拠点P)が設置されている山陽本線上郡駅以東へ営業列車として入線するために施工された。
  23. ^ a b 40N体質改善工事を施工された2000年当時のA10編成はクハ115-1146+モハ115-1086+モハ114-1150+クハ115-219であり、0番台であったクハ115-219は外観のみ改修され、内装はセミクロスシートのまま存置された(閑散地区用車体質改善工事を参照)。2001年にクハ115-219はクハ115-1206に差し替えられ、2003年に該当車両のみ30N体質改善工事を施工されたため編成内で40N車と30N車が混在する。
  24. ^ 1983年8月から1984年2月までに改造されたD1 - D18編成は、クモハ115形車両番号下2桁と編成番号が一致する。1986年6月から12月までに改造されたD19 - D34編成はクモハ115形車両番号下2桁から17引いた数と編成番号が一致する(当時)。後年に他区への転出に伴い編成番号整理が行われたため現在の編成番号との整合性がない編成もある。
  25. ^ 後に網干総合車両所で湘南色に変更施工。
  26. ^ 4両編成に短縮するにあたり新製配置された1000番台6両編成 (TcMM'MM'Tc) を編成中間で分割し上り側3両 (TcMM')に制御車 (Tc)を組み込んだ編成であるが、3両編成化による奇数向き制御電動車(クモハ115形1500番台)の増加に対して岡山区全体で偶数向き制御車が不足したため0番台やクハ111形改造編入車の600番台(ともに非冷房車)が充当された。
  27. ^ かつては全車が2000番台で統一されていた[69]
  28. ^ 2000年から2003年にかけて側窓埋め込み・戸袋窓への鉄板ボルト留め処理を施工し、リニューアル車・未更新車ともに向かい側は車いすスペース設置。
  29. ^ この投入で余剰となった80系電車は岡山広島準急ともなどに転用された[108]
  30. ^ そのうち500両以上は小山に投入された[116]
  31. ^ 当時の支社改造工事では改番しないケースも多くあった。
  32. ^ この列車の中には425列車が含まれており、425列車を愛用していた登山客により「425列車を愛する会」が結成された[119]
  33. ^ このクハは早い時期に他区に転属した。
  34. ^ ただし1988年12月以降は夜行列車の441Mのみ。1993年に大月まで短縮の上201系に置換え[10]
  35. ^ 立川までの運用は一部のみで、大半は高尾発着となる[2]
  36. ^ 以前にはダイヤの大幅な乱れにより運用変更が発生し松本まで運用されたケースもあった
  37. ^ これは、1980年3月以前は身延線用62系電車の間合いで運用されていたものが、当時の三鷹電車区へ移管されたことに由来する
  38. ^ このうち昼間に運行される区間列車の1往復は長野原草津口発着であるが、回送列車として羽根尾まで往復する。
  39. ^ 柿崎 - 直江津間は1便のみ[156]
  40. ^ いずれも2往復のみ。うち飯田線は朝夕のみだった[156]
  41. ^ 下りのみで上りは松本へ回送。
  42. ^ 側面方向幕に「むさしの」のコマがないために表示は「快速」のみとなる。また過去にN編成3+3で運用されたケースもある。
  43. ^ 長岡所時代の1991年まで高崎 - 水上間にも定期運用で入線していたが、現在は水上で系統分離されている。
  44. ^ このうち新潟3次色車の運用区間は羽越本線、信越本線、上越線である[30]
  45. ^ 石打で外泊し、全体で1往復を形成する。
  46. ^ 下りは新潟行き。
  47. ^ これに伴いサハ115基本番台車は全車廃車・廃区分番台となった。
  48. ^ 定期運用終了直後の2004年11月 - 12月には水害で故障した幕張車両センター113系6両編成の修理期間中に、300番台7両編成(ロングシート改造車)1本を貸出。サハを抜いた6両編成で湘南色のまま千葉地区で運用されたが、113系との混結を行わない6両単独で総武本線成田線限定運用とされた。
  49. ^ 朝夕の3往復のみ
  50. ^ 赤穂線・宇野線茶屋町 - 宇野間は、2012年3月17日ダイヤ改正時点では固定クロスシート車のみが投入されていたが[49]が、同年9月には転換クロスシート車の充当も確認された[181]
  51. ^ 臨時快速「安曇野」へも投入されたが、この場合は辰野支線からの運用で松本に到着した編成がホームで待機し、時間になって客扱いを行う。臨時快速「はくば」は、この車両が折り返す形で充当され、増結の場合は松本で他の編成を連結する。

出典[編集]

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  3. ^ 豊田車両センター所属の115系5編成が疎開回送される(2014年12月6日)、115系6両が長野総合車両センターに回送される(2014年12月12日)、115系M10/M12編成が長野総合車両センターに回送される(2015年1月8日)
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