コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

上座部仏教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大寺派から転送)
仏教の主要な3つの分類を表した図。赤色がパーリ語仏典を用いる上座部仏教。黄色は漢訳仏典、青色はチベット語仏典を用いる大乗仏教
シュエダゴン・パゴダ(ミャンマー)
アショーカ王と師の目犍連帝須(もくけんれんたいしゅ)僧
スリランカの仏像(5世紀)
若いビルマの僧

上座部仏教(じょうざぶぶっきょう、: Theravāda: Sthaviravāda: เถรวาท, thěeráwâat: Theravada Buddhism)は、仏教の分類のひとつで「長老派」を意味しており[1][2]、現存する最古の仏教の宗派である[1][2]上座仏教[注釈 1]テーラワーダ仏教(テーラヴァーダ仏教)[注釈 2]。 上座部仏教は、南伝仏教とも呼ばれ[5]パーリ語三蔵を伝えていることからパーリ仏教ともいう[6]

仏典にはパーリ仏典を採用し、釈迦の教えが保存されている[1][2]パーリ仏典は古代インド言語であるパーリ語で記され、現存する唯一の完全な仏典であり、上座部においては典礼言語[2]および リングワ・フランカ[7]として機能している。スリランカミャンマータイカンボジアラオスの主要な宗教である[5]

名称

[編集]

仏教は、一般に、初期仏教部派仏教大乗仏教に分類される[8]。部派仏教とは、初期仏教教団の根本分裂によって上座部大衆部が生じ、これがさらに分派して多くの部派が分立した時代の仏教を総称するために明治期の日本で使われ始めた仏教学用語である[9]。今日の南方諸国に伝わる仏教は「上座部」(テーラヴァーダ)の名をもって自ら任じており、部派仏教時代の仏教の末裔とされる[10][注釈 3]

近代以降に上座部仏教と呼ばれるようになった仏教の源流はスリランカの上座部である(他の部派は消滅)[12]。歴史上、スリランカ上座部には三つの派が存在したが、そのうちの大寺派タイミャンマーカンボジアラオス等の諸国にも伝わって今も存続している[13]

「上座」 (thera) とはサンガ内で尊敬される比丘のことで、「長老」とも漢訳される[14][注釈 4]東アジアチベットベトナムへ伝わった大乗仏教(北伝仏教)とは異なる歴史経過をたどった。「小乗仏教」と呼ばれることもあるが、南伝仏教側の自称ではなく、そのように呼称するのは不適切とされる[16][注釈 5]

上座部の歴史

[編集]

発祥

[編集]

釈迦在世の仏教においては、出家者に対する戒律は多岐にわたって定められていたが、釈迦の死後、仏教が伝播すると当初の戒律を守ることが難しい地域などが発生した。仏教がインド北部に伝播すると、食慣習の違いから、正午以前に托鉢を済ませることが困難であった。午前中に托鉢・食事を済ませることは戒律の一つであったが、正午以降に昼食を取るものや、金銭を受け取って食べ物を買い正午までに昼食を済ませる出家者が現れた。戒律の変更に関して、釈迦は生前、重要でない戒律はサンガの同意によって改めることを許していたが、どの戒律を変更可能な戒律として認定するかという点や、戒律の解釈について意見が分かれた。また、その他いくつかの戒律についても、変更を支持する者と反対する者にわかれた。

この問題を収拾するために、会議(結集第二結集)が持たれ、この時点では議題に上った問題に関して戒律の変更を認めない(金銭の授受等の議題に上った案件は戒律違反との)決定がなされたが、あくまで戒律の修正を支持するグループによって大衆部が発生した。大衆部と、戒律変更を認めない上座部との根本分裂を経て枝葉分裂が起こり、部派仏教の時代に入ることとなった。厳密ではないが、おおよそ戒律維持を支持したグループが現在の上座部仏教に相当する。

部派仏教時代

[編集]

その後、部派仏教の時代には、上座部系部派の説一切有部が大きな勢力を誇った。新興の大乗仏教が主な論敵としたのはこの説一切有部、もしくはそのうちの一派であるとされる[18]。大乗仏教側は論難に際して、(自己の修行により自己一人のみが救われる)小乗(しょうじょう;ヒーナヤーナ、Hīnayāna)と呼んだとされる。なお、大乗の語や音写語の摩訶衍は、初期仏教の聖典として伝存する[19][注釈 6]阿含経の漢訳や、部派教典の論蔵の漢訳にもみられる[21][信頼性要検証]大乗仏教北インドから中央アジアを経て東アジアに広がった。

各部派では、仏説とされるとが伝承され、それらを註釈したが作られた(経蔵律蔵論蔵三蔵[22]。南方上座部の伝える経蔵(パーリ・ニカーヤ)は五部に分かれており、「小部」を除く4つは漢訳の4つの阿含経と一定の対応関係がある[23]大正新脩大藏經では、漢訳の阿含経は阿含部に収載[24]法句経など一部は本縁部他に収蔵)。論蔵 (Abhidhamma-piṭaka) には上座部仏教が受持する7種の論蔵と漢訳された説一切有部の7部の論蔵があるが、両者に共通点がないことから部派仏教時代以降の確立とみられ[25]、論蔵の成立は部派仏教の大きな特徴のひとつである[26]。この時代にはアビダルマ(「ダルマに対して」の意;対法)とは論書を指した[27]。各部派においてそれぞれの論を通じて教義の整備が進められた状況があったと考えられ、部派仏教アビダルマ仏教と呼ぶこともある[26]。なお、中国チベットベトナム朝鮮日本等の地域に伝わったのが大乗仏教で、いわゆる北伝仏教である。

南伝以後

[編集]

南アジアに存在した諸部派のうち、スリランカを本拠地としてインド本土へも進出した「上座部」(Theravāda) を名乗る一派[注釈 7]が、今日に至るまで存続している上座部仏教の源流である[31][注釈 8]。スリランカ上座部は、紀元前3世紀にインドから上座部系の一部派が伝わったことに始まるとされる[13]。スリランカの伝承では、当地に仏教を伝えたのはマウリア朝アショーカ王の師モッガリプッタ・ティッサの弟子にしてアショーカ王の子マヒンダであったという[35]。スリランカ上座部の成立年代は考古学資料等から紀元後3-4世紀と推定される[32]5世紀には、南インドから来島したブッダゴーサが『清浄道論』をはじめとする註釈文献を編纂して上座部の教学を大成し、その後もダンマパーラ等の学匠が南インドで活動していたことから、スリランカ上座部のネットワークが当時の南インドに広がっていた様子がうかがわれる[36]12世紀には、スリランカの国家政策によって当地の上座部三派は大乗を非仏説として斥ける大寺派に一本化され、その結果、大乗仏教スリランカから一掃された[37]

上座部仏教はミャンマータイなど東南アジア方面にも伝播した。南伝仏教という呼称はこの背景に由来する。ミャンマーでは11世紀に上座部のサンガが招来され、13世紀にはタイとカンボジアにもスリランカ上座部が伝来した[38]。その後、大交易時代に成立した東南アジア諸王朝では、王権の主導によって上座部大寺派が主流の宗教となった[39]

スリランカでは16世紀以降、ポルトガル・オランダ・イギリスによる植民地化も一因となり、仏教が衰退した。現在のスリランカの仏教三大宗派であるシャム派(1753年設立)・アマラプラ派(1803年設立)・ラーマンニャ派(1864年設立)は、いずれも18世紀以降にタイやビルマの仏教を介して新たに復興させたものである(スリランカの仏教#伝播・復興)。

上座部仏教の仏典結集は、紀元前1世紀にスリランカで第4結集が(南伝仏教でのカウント。北伝仏教では、2世紀のカニシカ王の時の仏典結集を第4結集とカウントする)、1871年に英国に併合される(1886年)前のビルマで第5結集が、1954年に同じくビルマで第6結集が行われた(結集#近代以降)。

現状

[編集]

上座部仏教が多数宗教である地域

[編集]

現在、上座部仏教は、スリランカ、タイ、ミャンマーラオスカンボジアの各国で多数宗教を占める。またベトナム南部に多くの信徒を抱え、インド、バングラデシュマレーシアインドネシアにも少数派のコミュニティが存在する。中国の雲南省・貴州省などに分布するタイ系の諸民族の間でも信仰されている。

これらの地域では、上座部仏教は人びとに精神的支柱を提供し、また仏教的理念にもとづく人権擁護や社会的和解を模索する運動も見られる[40]が、その一方で、さまざまな問題もある。

スリランカでは、シンハラ仏教ナショナリズムの行き過ぎによって政治と経済が混乱し、2022年には大統領が国外へ逃亡する事態となった[41]。2012年に仏教僧が設立したボドゥ・バラ・セナ(BBS)は仏教過激派グループで、反イスラム暴動を扇動し、死傷者を出したと告発されている(仏教と暴力#スリランカ)。またシャム派はゴイガマ・カースト(農民)だけを入団させるなど[42]、スリランカの上座部仏教は身分差別的なカースト制度と今も密接に結びついている。

タイでは、僧侶の腐敗事件などが続発した結果、サンガの権威は大きく動揺し、上座部仏教の社会的影響力も低下が顕著であり、お守りに頼ったり現世利益のみを求める行動がさかんとなっている[40]。近年も、僧侶による汚職、殺人、薬物取引に関連する逮捕や重大なスキャンダルが立て続けに起こっている[43]。1970年代には、プラ・キティウットーのような民族主義的な仏教僧が、共産主義者を殺しても仏教の戒律に違反しないと主張していた[44](仏教と暴力#タイ)。

ミャンマーでも、民族主義的な僧侶が、民衆の暴力行為を扇動してきた(仏教と暴力#ミャンマー)。ラカイン州では、仏教徒であるアラカン人(ラカイン人)とイスラーム教徒であるロヒンギャの間で死者の出る衝突が頻発しているが、強硬派仏教徒集団「マバタ」はミャンマー市民のロヒンギャに対する憎悪を煽っている[45]

比丘尼の僧伽(サンガ)の不在

[編集]

上座部においては古代スリランカにおける戦乱の時代に比丘と比丘尼(尼僧)僧伽(サンガ)が両方とも滅亡した。比丘の僧伽はビルマに伝播していたために復興がかなったが、比丘尼の僧伽はこれによって消滅となった。だが近年、台湾に残存する、中国仏教の比丘尼の伝統を使って上座部の比丘尼の僧伽の復興がはかられているが、その正統性は、上座部が大乗を異端とみなしているということもあいまって教義的に問題視されている。教義に抵触しない形での女性の出家形態として、タイではメーチー (mae chi)、ミャンマーではティラシン (thila shin) と呼ばれている、正式な比丘尼とはみなされないものの、実質的には尼僧としての出家生活を営む女性たちがいる。

欧米との関係

[編集]

アジアの上座部仏教圏のほとんどは西欧列強植民地支配を受けた。宗主国で、支配地の文化研究が植民地政策の補助として奨励されたため、仏教、ヒンドゥー教イスラム教の経典・教典の文献学的研究はイギリス(スリランカとミャンマーの旧宗主国)を中心に欧州で早くから進んだ。ロンドンパーリ・テキスト協会から刊行されたパーリ三蔵(PTS版)は過去の仏教研究者のもっとも重要な地位を占めた。その後イギリスは植民地の宗主国としての地位を喪失し、大学でも日本のようなインド哲学科が設置されることはなく、サンスクリット語研究はオックスフォード大学で細々と行われている。一方で欧米人の中から上座部仏教の比丘になる者や、またスリランカでは大学を卒業し英語の堪能なスリランカ出身の比丘が中心となり(公用語はシンハラ語タミル語。連結語として英語も憲法上認められている)、大学という枠組みの外でパーリ三蔵の翻訳が活発である。

一方で、イギリスの旧植民地のスリランカビルマ、タイから移民や難民がアングロサクソン系のイギリス、カナダアメリカ合衆国オーストラリアに大規模に流入した関係で、欧米への布教伝道も旺盛に行われている。欧米にはチベット密教系や東アジアの禅宗系と並んで、あるいはそれ以上に数多くの、上座部仏教の寺院団体がある。

日本との関係

[編集]

中国仏教では部派仏教全体を指して小乗仏教と呼び、日本もそれを受け継いだが、「小乗」とは「大乗」に対して「劣った教え」という意味でつけられた蔑称であり、上座部仏教側が自称することはない。世界仏教徒の交流が深まった近代以降には相互尊重の立場から批判が強まり、徐々に使われなくなった。1950年6月、世界仏教徒連盟の主催する第一回世界仏教徒会議がコロンボで開催された際、小乗仏教という呼称は使わないことが決議されている。

仏教伝来以来、長く大乗相応の地とされてきた日本では、明治にスリランカに留学した日本人僧である釈興然(グナラタナ)によって、上座部仏教の移植が試みられた。また日本は明治以降欧米に留学した仏教学者によって、北伝仏教の国としてはもっとも早く『パーリ仏典』の翻訳(「南伝大蔵経」)と研究が進められた国である。しかし伝統的な仏教勢力が大勢を占めるなかで、上座部仏教の社会的認知度は低かった。

上座部仏教に由来する瞑想法であるヴィパッサナー瞑想が1970年代頃から世界的に広まったが、この時期には日本では普及しなかった。またオウム真理教に代表される新興宗教がパーリ仏典や用語などを転用したため風評被害を受けた。1990年代からアルボムッレ・スマナサーラの布教活動を中心にして上座部仏教は、ヴィパッサナー瞑想とともに日本に浸透しつつある。現在はタイ、ミャンマー、スリランカ出身の僧侶を中心とした複数の寺院や団体を通じて布教伝道活動がなされているほか、戒壇が作られたこともあって日本人出家者(比丘)も誕生している。

特徴

[編集]
八正道を示した法輪

聖典

[編集]

上座部における聖典の本質は、書写された経巻そのものにあるのではなく、それが有情によって記憶・実践・暗誦されていることにこそある(清水2018[46]pp.26-27)。

大乗仏教では後代の仏説ごとに仏典が作られたが、上座部仏教では同一の内容をシンハラ文字など各民族の文字によって記したパーリ三蔵が継承されている。上座部仏教の仏典は「読む」書物というよりも「詠む」書物であり、声を介して仏典を身体に留める伝統が培われた[47]。仏典の継承は口授によって行われるため、戒法の継承は文字経典を求めるより戒や教説を体得した僧侶を招く形で行われる[47]

教義

[編集]

上座部仏教では具足戒(出家者の戒律)を守る比丘・僧伽(サンガ(教団))と彼らを支える在家信徒の努力によって初期仏教教団、つまり釈迦の教えを純粋な形で保存してきたとされる。しかし、各部派の異同を等価に捉え、漢訳・チベット語訳三蔵に記録された部派仏教の教えや、さらに近年[いつ?]パキスタンで発見された部派仏教系の教典と上座部のパーリ教典を比較研究する仏教学者の立場からは、上座部は部派仏教時代の教義と実践を現在に伝える唯一の宗派であると評価されるに留まる。

教義では、次のようにされている。限りない輪廻を繰り返す生は「苦しみ (dukkha)」である[48]。この苦しみの原因は、無明[注釈 9]によって生じる執着である。そして、無明を断ち輪廻から解脱するための最も効果的な方法は、戒律の厳守、瞑想の修行による八正道の実践(paṭipatti)であるとする[50][51]。上座部仏教では、釈迦によって定められた戒律と教え、悟りへ至る智慧慈悲の実践を純粋に守り伝える姿勢を根幹に据えてきた。古代インドの俗語起源のパーリ語で記録された共通の三蔵 (tipitaka) に依拠し、教義面でもスリランカ大寺派の系統に統一されている点など、大乗仏教の多様性と比して特徴的である。

出家者と在家信者の関係は、衆生の無知蒙昧を上から啓蒙するといった、上から下への一方的な関係ではない。自力救済を目指し修行する出家者とは、在家者にとっては自分になり変わって悪行を避ける営みに専念する存在である[47]。俗世の損得で言えば無用な存在ながら、脱俗し悪行を避けて生きる出家者を肯定し布施することで在家者は功徳を積む。十波羅蜜をとるが、波羅蜜は人格形成のための日常的な所作としての位置づけで、大乗仏教のものと順序や名称が異なる[52]

タブー

[編集]

国民の90%以上が上座部仏教徒であるタイについて[53]、外務省から教義に則した注意喚起が発信されている[54]

  • 寺院や儀式を侮辱したり、妨害したりする行為は厳しく罰せられる
  • 仏像は倒壊したものであっても神聖なものとされている
  • 仏像の無断持ち出し禁止
  • 僧侶は、絶対に女性(子供を含む)に触れたり、触れられたりしてはいけない
  • 身体のうち、頭部は精霊が宿る場所として神聖視されており、頭部に触れることはタブーとされている。子供の頭をなでることもトラブルの原因となる(同様の考えを持つ国として、ベトナムラオスミャンマーも挙げられている[55]
  • 足は不浄とされているので、足裏を第三者に向けて座ったり、間違っても足で人を指すような仕草をすることは避ける

画像集

[編集]

脚注

[編集]

註釈

[編集]
  1. ^ この名称は前田慧學の説による[3]
  2. ^ テーラヴァーダとは「長老の教え」という意味[4]
  3. ^ 佐々木閑は、大乗仏教が部派横断的に多発した運動群であったという考えから、現存の南方上座仏教は一部派というよりも部派の概念では捉えられない前部派的な形態の仏教集団と見ることができるという見解を提出している[11]
  4. ^ また、: Mahā thera で「大上座」と訳される[15]
  5. ^ 「小乗」は「ヒーナ(捨てられた、卑しい、劣った)[17]ヤーナ(乗り物)」の翻訳であり大乗仏教側から見た差別的意味を含む。
  6. ^ ただし、現存する阿含経典は根本分裂後の部派を経由して伝えられたものであり、口伝で伝承されていた初期仏教の時代の経そのままではないと指摘される[20]
  7. ^ スリランカの年代記『島史』や『大史』によると、この部派の呼称は「上座部」(テーラヴァーディン)または「分別説部」(ヴィバッジャヴァーディン)である。また、インド北伝の伝承では、「有分識」を説く部派を玄奘訳の『摂大乗論』無性釈においては「分別説部」とし[28]、また、九心輪思想を唱える分別説部を「上座部」とも呼んでいる[29]。ただし佐々木閑は、上座部大衆部を除く諸部派の総称でもあり、この呼称をスリランカなどの南方諸国に伝わる部派のみを指す固有名として用いるべきか明らかでないと指摘している[30]
  8. ^ テーラヴァーダという言葉の初出は、スリランカの史書『島史』における第一結集にかんする記述のなかにある。ここでは、500人の長老(上座)たちによって結集された法と律の集合が Theravāda と呼ばれている。上座部仏教の研究者である馬場紀寿によれば、これは後発の部派であったと考えられるスリランカ上座部が自らを第一結集の仏説を継ぐ正統派であると主張したことを示すものである[32](馬場紀寿は『島史』のこの文脈において、Theravāda という語を「上座たちによる法と律の集約」については「上座説」、それを継承する集団については「上座部」と二通りに読み[32][33]、上座説を「結集仏説」とパラフレーズしている[34])。
  9. ^ 法を理解しないこと、すなわち四諦十二縁起などに対する無知[49]

出典

[編集]
  1. ^ a b c Gyatso, Tenzin (2005). Bodhi, Bhikkhu. ed. In the Buddha's Words: An Anthology of Discourses from the Pali Canon. Somerville, Massachusetts: Wisdom Publications. p. ix. ISBN 978-0-86171-491-9. https://books.google.com/books?id=11X1h60Qc0IC&printsec=frontcover 
  2. ^ a b c d Theravada”. britannica.com. Encyclopaedia Britannica (2018年). 2018年1月閲覧。
  3. ^ パーリ学仏教文化学会 上座仏教事典編集委員会編、『上座仏教事典』、めこん、2016年、pp.22-23.
  4. ^ 立川武蔵 『ブッダをたずねて - 仏教2500年の歴史』〈集英社新書〉、集英社、2014年、18頁。
  5. ^ a b 「仏教」 - 世界大百科事典 第2版
  6. ^ 水野 2006, p. 51.
  7. ^ Crosby, Kate (2013), Theravada Buddhism: Continuity, Diversity, and Identity, p. 2.
  8. ^ 竹村牧男 『インド仏教の歴史 「覚り」と「空」』 講談社、講談社学術文庫、2005年7月、6頁。
  9. ^ 岩波 仏教辞典 2002, pp. 886–887, 「部派仏教」.
  10. ^ 佐々木 2011, pp. 74–75.
  11. ^ 佐々木 2011, pp. 74–74, 91–92.
  12. ^ 馬場 2011, p. 140.
  13. ^ a b 岩波 仏教辞典 2002, p. 781, 「南伝仏教」.
  14. ^ 岩波 仏教辞典 2002, p. 521, 「上座」.
  15. ^ 『パーリ仏教辞典』 村上真完, 及川真介著 (春秋社)1488-1489頁。
  16. ^ 岩波 仏教辞典 2002, p. 781, 「南伝仏教」; p. 526, 「小乗」.
  17. ^ 水野弘元『増補改訂パーリ語辞典』春秋社、2013年3月、増補改訂版第4刷、p.372
  18. ^ 中村 & 三枝 1996, pp. 337–338.
  19. ^ 中村 2011, p. 33.
  20. ^ 平岡 2015, pp. 38–41.
  21. ^ 大乗 (阿含部・毘曇部)摩訶衍 (阿含部) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
  22. ^ 平岡 2015, pp. 39–40.
  23. ^ 平岡 2015, pp. 41–42.
  24. ^ 中村 & 三枝 1996, pp. 113, 125.
  25. ^ 岩波 仏教辞典 2002, p. 1077, 「論」.
  26. ^ a b 中村 & 三枝 1996, p. 241.
  27. ^ 岩波 仏教辞典 2002, p. 14, 「阿毘達磨」.
  28. ^ 日暮 1928, p. 103.
  29. ^ 高井 1921, p. 33.
  30. ^ 佐々木閑 『インド仏教変移論』 大蔵出版、2000年、386頁。
  31. ^ 馬場 2011, pp. 140, 155.
  32. ^ a b c 馬場 2011, p. 155.
  33. ^ 馬場紀寿「ブッダゴーサ作品の文献学的研究」三島海雲財団助成研究報告書 (PDF)
  34. ^ 馬場紀寿「小部の成立を再考する : 説一切有部との比較研究」『東洋文化研究所紀要』第171号、東京大学東洋文化研究所、2017年3月、320(157), 319(158)、NAID 120006027335 
  35. ^ 馬場 2011, pp. 155–156.
  36. ^ 馬場 2011, pp. 156–157.
  37. ^ 馬場 2011, pp. 159–160.
  38. ^ 岩波 仏教辞典 2002, pp. 781-782, 「南伝仏教」.
  39. ^ 馬場 2011, p. 160.
  40. ^ a b 東南アジア上座部仏教社会における社会動態と宗教意識に関する比較研究 科研費 1997 年度 実績報告書
  41. ^ 「国民を「こじき」にした一族支配、行き過ぎた仏教ナショナリズム──スリランカ崩壊は必然だった」 ニューズウィーク日本版 2022年7月22日(金)18時20分
  42. ^ 橘堂 1995, p. 27.
  43. ^ ギャビン・バトラー「薬物検査でタイの仏教寺院の僧侶が陽性、追放へ」 2023年5月13日
  44. ^ Jerryson, Michael K. (2011), Buddhist Fury: Religion and Violence in Southern Thailand, Oxford University Press, ISBN 978-0-19-979324-2
  45. ^ 「ロヒンギャを迫害する仏教徒側の論理」 ニューズウィーク日本版 2018年11月20日(火)14時45分
  46. ^ 清水俊史「パーリ上座部における正法と書写聖典」、『佛教大学仏教学会紀要 23』pp.19-41, 2018-03-25
  47. ^ a b c 南 2014, pp. 155–176.
  48. ^ パーリ仏典, ダンマパダ 11 Jarāvaggo, Sri Lanka Tripitaka Project
  49. ^ ウ・ウェープッラ & 戸田 2013, p. 234.
  50. ^ Gethin 1998, pp. 81–83.
  51. ^ Anderson 2013, pp. 64–65.
  52. ^ 「ブッダの智慧で答えます」(Q&A) - 日本テーラワーダ仏教協会ホームページ。
  53. ^ 宗教 タイ王国.com
  54. ^ タイ 外務省海外安全情報
  55. ^ 新潟大学発HELP YOU PROJECT(@helpyou_niigata) 2020年10月14日午前6:52のTweet

参考文献

[編集]
  • 中村元・福永光司・田村芳朗・今野達・末木文美士, ed. (2002年10月). 『岩波 仏教辞典 第二版』. 岩波書店. ISBN 4-00-080205-4
  • 水野弘元『仏教要語の基礎知識』(新版)春秋社、2006年(原著1972年)。ISBN 4-393-10604-0 
  • 橘堂, 正弘「スリランカ仏教教団のカースト問題」『パーリ学仏教文化学』1995年5月。 
  • 中村元三枝充悳『バウッダ [佛教]』小学館〈小学館ライブラリー〉、1996年4月(原著1987年)。ISBN 4-09-460080-9 
  • 中村元『原始仏典』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2011年3月(原著1987年)。ISBN 978-4-480-09367-7 
  • 竹村牧男『インド仏教の歴史: 「覚り」と「空」』講談社〈講談社学術文庫〉、2004年2月(原著1992年)。ISBN 4-06-159638-1 
  • 佐々木閑「大乗仏教起源論の展望」『シリーズ大乗仏教 第一巻 大乗仏教とは何か』高崎直道監修、桂紹隆・斎藤明・下田正弘・末木文美士編著、春秋社、2011年6月。ISBN 978-4-393-10161-2 
  • 馬場紀寿「上座部仏教と大乗仏教」『シリーズ大乗仏教 第二巻 大乗仏教の誕生』高崎直道監修、桂紹隆・斎藤明・下田正弘・末木文美士編著、春秋社、2011年12月。ISBN 978-4-393-10162-9 
  • 平岡聡『大乗経典の誕生: 仏伝の再解釈でよみがえるブッダ』筑摩書房〈筑摩選書〉、2015年10月。ISBN 978-4-480-01628-7 
  • 南直人 編『宗教と食』ドメス出版〈食の文化フォーラム〉、2014年、155-176頁。ISBN 9784810708110 
  • 清水, 俊史「パーリ上座部の経蔵に収載される“声聞の所説”の権威性を巡って」『佛教大学仏教学会紀要 20(藤本淨彦教授古稀記念号)』2015年3月。 
  • 『アビダンマッタサンガハ[新装版]』ウ・ウェープッラ、戸田忠 訳注、中山書房仏書林、2013年。 
  • 高井, 觀海「阿頼耶識の史的考察」『智山学報』1921年8月。 
  • 日暮, 京雄「有分識に就て」『大谷学報』1928年5月。 
  • パーリ学仏教文化学会・上座仏教事典編集委員会編、『上座仏教事典』、めこん2016年ISBN 978-4-8396-0299-4
  • Anderson, Carol (2003). “Four Noble Truths”. In Buswell, Robert E.. Encyclopedia of Buddhism. Macmillan Reference Books. ISBN 978-0028657189 
  • Gethin, Rupert (1998), Foundations of Buddhism, Oxford: Oxford University Press, ISBN 978-0192892232, https://archive.org/details/foundationsofbud00rupe 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]