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川部修詩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川部守一から転送)
かわべ しゅうじ
川部 修詩
別名義 川部 守一 (かわべ しゅいち)
秋田 謙三 (あきた けんぞう)
生年月日 (1922-04-17) 1922年4月17日
没年月日 (2006-04-03) 2006年4月3日(83歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京府豊多摩郡渋谷町
死没地 日本の旗 日本
職業 俳優脚本家映画評論家雑誌編集者
ジャンル 劇場用映画現代劇成人映画)、テレビ映画記録映画テレビドラマ
活動期間 1945年 - 2006年
配偶者
著名な家族 川部爽介 (父)
主な作品
主演
0歳の女』(1964年)
艶説四谷怪談』(1965年)
主著
『B級巨匠論 中川信夫研究』(1983年)
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川部 修詩(かわべ しゅうじ、1922年4月17日 - 2006年4月3日)は、日本の俳優脚本家映画評論家雑誌編集者である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13]。旧芸名川部 守一(かわべ しゅいち)[2]。筆名の秋田 謙三(あきた けんぞう)では、テレビ台本の執筆、記録映画の製作を行う[1][2][3][4][14]日本映画ペンクラブ会員[2]麹町区第22代区長の川部爽介[15]は実父である[1]

人物・来歴

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新東宝創成期の『東宝千一夜』(1947年)に出演した。

東宝から新東宝へ

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1922年(大正11年)4月17日、東京府豊多摩郡渋谷町(現在の東京都渋谷区)に生まれる[1][2][3][4][9]。父の爽介は、川部が満3歳であった1925年(大正14年)8月に東京府東京市麹町区(現在の東京都千代田区)の区長に就任し、川部が満7歳を目前にし尋常小学校就学直前であった1929年(昭和4年)3月まで同職を務めた[15]

江古田校舎に移転後の日本大学法文学部芸術学科映画美学専攻(現日本大学藝術学部映画学科)に進学したが[1][2][3]第二次世界大戦の戦局押し迫った1943年(昭和18年)12月1日に応召、陸軍東部第73部隊に入隊した[2]。同学の学籍については、学徒出陣のため翌1944年(昭和19年)12月、同学を繰上卒業した[1][2][3]。戦時中は無線暗号に従事したが、1945年(昭和20年)8月15日の終戦とともに復員した[1][2]

戦後は、終戦の年の10月、東宝に入社して俳優になる[1][2]。1946年(昭和21年)、阿部豊が監督した島崎藤村の同名小説の映画化『破戒』に川部 守一の名で出演、教員の「青瓶箪」役を演じた記録があるが[9]、同年3月に第1次、同年10月に第2次の東宝争議が起きたため、同作の公開は見送られた[16]。第2次争議の最中である同年11月、大河内伝次郎ら組合員俳優が「十人の旗の会」を組織、これに賛同する斎藤寅次郎渡辺邦男市川崑らスタッフを含めた組合員約400名が日映演東宝支部を脱退、第二撮影所を拠点に映画製作を開始、1947年(昭和22年)3月に「株式会社新東宝映画製作所」(のちの新東宝)として東宝から分離する[16][17]。川部はこれに参加[1][2]、東宝作品のアーカイヴ・フッテージを「十人の旗の会」メンバーを中心に、市川崑が「中村福」の偽名で再編集した『東宝千一夜』に「助監督」役で出演、同作は同年2月25日に東宝が配給して公開された[9][11]。満25歳になる同年、川部は結婚した[1]

同社は、1948年(昭和23年)4月25日に「株式会社新東宝」として正式に独立、社長に佐生正三郎が就任、東宝側は争議が収束して自主製作を再開したため、新東宝は1949年(昭和24年)、自主配給を開始する[17][18]。川部は同年11月8日に公開された、大河内伝次郎主演、清水宏監督による『小原庄助さん』で飯田蝶子演じる「おせき」の息子の「幸一」を演じた[9][10][11]。1950年代初め、『キネマ旬報』の「新人論壇」に投稿を開始[1][2]、それが掲載されたため、同社から仕事を干されたという[1]。そのため端役が続き、1956年(昭和31年)4月18日に公開された『ノイローゼ兄さんガッチリ娘』(監督倉田文人)を期に川部 修詩と改称する[6][7][8][9][10][11][12][13]。それでも川部は執筆活動をやめず、1957年(昭和32年)5月以降、『キネマ旬報』に川部の作品批評が掲載されている[5]

宇津井健主演の『スーパージャイアンツ』シリーズには全作に出演しており、1958年(昭和33年)4月28日に公開された『スーパー・ジャイアンツ 宇宙怪人出現』(監督三輪彰)では「一本足の男」役、1959年(昭和34年)4月24日に公開された『続スーパー・ジャイアンツ 毒蛾王国』(監督赤坂長義)では「毒殺魔」役を演じた[6][7][8][9][10][11]

テレビ映画と記録映画の時代

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1960年(昭和35年)12月1日の大蔵貢退陣を経て、翌1961年(昭和36年)8月の新東宝の倒産まで、同社に所属して出演を継続したが、これを機にフリーランスになる[1][2]宣弘社プロダクションが製作し、同年7月25日に放映された『恐怖のミイラ』第4話『墓地の怪人』を皮切りに、同社の『隠密剣士』(1962年)、東映テレビプロダクションの『特別機動捜査隊』(1963年)といった多くのテレビ映画への出演を開始する[10][13]

元新東宝社長の大蔵貢が大蔵映画成人映画を中心とした劇場用映画の製作・配給業務を開始すると、同社が1962年(昭和37年)5月1日に配給・公開した『不完全結婚』(監督木元健太小林悟)に出演、1964年(昭和39年)には、元新東宝の小森白が設立した小森プロダクション(東京興映)が製作し、新東宝の旧関西支社が独立した新東宝興業(現在の新東宝映画)が配給した成人映画『0歳の女』に可能かづ子とともに主演、同社では『青い乳房の埋葬』(1964年)、『渇いた唇』(1964年)、『女ざかり』(1965年)に出演、翌1965年(昭和40年)5月に公開された『艶説四谷怪談』(監督藤田潤八、製作東京放映)には、左京未知子とともに主演した[1][2][6][7][8][9][10][11]。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子香取環新高恵子松井康子西朱実朝日陽子火鳥こずえ華村明子森美沙湯川美沙、光岡早苗、路加奈子有川二郎里見孝二佐伯秀男とともに川部の名を挙げている[19]。しかしながら、1966年(昭和41年)1月に公開された『番頭お色け日記』(監督藤田尚、配給ヒロキ映画)を最後に独立系成人映画に出演した記録は見当たらず、まさに黎明期にのみ活躍した人物であった[6][7][8][9][10][11]

俳優としてのテレビ映画出演に並行し、秋田 謙三の名でテレビ台本の執筆、記録映画文化映画の製作・演出を行った[1][2]岩手県平泉をテーマにした短篇映画『まぼろしの都 平泉』を1968年(昭和43年)11月に完成、翌1969年(昭和44年)に発表している[14]

雑誌編集と大河ドラマの時代

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1970年(昭和45年)に入ると、『特別機動捜査隊』や『江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎』といったテレビ映画へのゲスト出演をしていたが、同年、出版社サンデーアートに入社、航空貨物専門誌『ワールド・エアー・カーゴ』の編集者になる[2]。しばらく俳優業を控えていたが、1973年(昭和48年)5月12日に公開された『さえてるやつら』(監督吉松安弘、配給東宝)に出演、3年ぶりに俳優業に復帰、以降、ふたたび『特別機動捜査隊』を中心に俳優業も兼業した[6][7][8][9][10][11][12][13]。1977年(昭和52年)に放送された大河ドラマ花神』(原作司馬遼太郎)に「鷹司政通」役に起用され、以降、『おんな太閤記』(1981年)では「増田長盛」役、『徳川家康』(1983年)では堺の豪商「今井宗久」役をはじめ、NHKの大河ドラマに出演することになる[13]。1978年(昭和53年)には、田宮二郎の遺作になるテレビドラマ『白い巨塔』に「浪速大学医学部付属病院長」の「則内教授」役でセミレギュラー出演した[13]

1979年(昭和54年)10月23日に発行された『日本映画俳優全集・男優編』によれば、同年当時は『ワールド・エアー・カーゴ』編集長である[1]。1981年(昭和56年)には、日本映画ペンクラブ会員になり、映画評論家としての活動を強化した[2]。1983年(昭和58年)8月には、最初の著書として中川信夫の研究所『B級巨匠論 中川信夫研究』を上梓する[4][5]。同書については、瀬川昌治もその著書『乾杯!ごきげん映画人生』でたびたび引用し、高く評価している[20]

1980年代後半に始まる、フジテレビジョンのいわゆる「トレンディドラマ」、いわゆる「月9」にも、ゲストであるが多く顔を出すようになる[13]。1970年代から、世田谷区桜新町に居を構えていた[1]。川部が編集長を務めた『ワールド・エアー・カーゴ』は1991年(平成3年)9月に発行した通巻294号を最後に廃刊したが[21]、当時まで川部が編集を行っていたかどうかはわからない。同年1月に発行された『100万人の映画ファンが選んだ名画パラダイス365日』では、「川部修詩(映画評論家・67歳)」として、『狂恋の女師匠』(監督溝口健二、1926年)、『東海道四谷怪談』(監督中川信夫、1959年)、『異人たちとの夏』(監督大林宣彦、1988年)、『雨月物語』(監督溝口健二、1953年)、『怪談累が淵』(監督中川信夫、1957年)、『亡霊怪猫屋敷』(監督中川信夫、1958年)、『都会の怪異七時三分』(監督木村荘十二、1935年)等を「怪談映画ベスト」に挙げた[22]

2006年(平成18年)4月3日、死去した。満83歳没。

フィルモグラフィ

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特筆以外はすべて「川部修詩」名義、「出演」である[1][6][7][8][9][10][11][12][13]東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵[7]状況についても記す[7]

1940年代

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  • 花ひらく』 : 製作阿部豊、監督市川崑、原作野上弥生子、脚本八住利雄、主演高峰秀子、製作新東宝映画製作所、配給東宝、1948年4月13日公開 - 「川部守一」名義で出演・「重役」役、85分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 富士山頂』 : 製作筈見恒夫、監督佐伯清、原作橋本英吉、脚本八田尚之、主演藤田進、製作新東宝、配給東宝、1948年6月23日公開 - 「川部守一」名義で出演・「息子五郎」役
  • 望みなきに非ず』 : 製作藤本真澄、監督佐伯清、原作石川達三、脚本八木隆一郎、主演小杉勇、製作新東宝・渡辺プロダクション、配給東宝、1949年4月18日公開 - 「川部守一」名義で出演・「坂本(友人坂本)」役、93分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 流星』 : 製作青柳信雄、監督阿部豊、原作富田常雄、脚本館岡謙之助・阿部豊、主演山口淑子、製作・配給新東宝、1949年5月3日公開 - 「川部守一」名義で出演、82分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 小原庄助さん』 : 製作岸松雄、監督清水宏、脚本清水宏・岸松雄、主演大河内伝次郎、製作新東宝、配給東宝、1949年11月8日公開 - 「川部守一」名義で出演・「伜幸一」役、91分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 帰國 (ダモイ)』 : 製作佐藤一郎、監督佐藤武、監修渡辺邦男、脚本岸松雄、主演井上正夫、製作新東宝、配給東宝、1949年11月22日公開 - 「川部守一」名義で出演、90分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]

1950年代

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  • 女の防波堤』 : 監督小森白、原作田中貴美子、脚本小山一夫・村山俊郎、主演小畑絹子、製作・配給新東宝、1958年1月4日公開(映倫番号 10499) - 出演、87分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 女王蜂』 : 製作大蔵貢、企画佐川滉、監督田口哲、原作牧源太郎、脚本内田弘三、助監督武部弘道、主演久保菜穂子、製作・配給新東宝、1958年2月15日公開(成人映画・映倫番号 10489) - 出演・「宮川」役、70分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • スーパー・ジャイアンツ 宇宙怪人出現』 : 製作大蔵貢、監督三輪彰、脚本宮川一郎・三輪彰、主演宇津井健、製作・配給新東宝、1958年4月28日公開(映倫番号 10613) - 出演・「一本足の男」役
  • スター毒殺事件』 : 製作大蔵貢、監督赤坂長義、脚本蓮池義雄葭原幸造、主演天知茂、製作・配給新東宝、1958年5月3日公開(映倫番号 10672) - 出演・「スチールマン」役
  • 不如帰』 : 製作大蔵貢、監督土居通芳、原作徳富蘆花、脚本村山俊郎・小山一夫、主演和田桂之助・高倉みゆき、製作・配給新東宝、1958年5月24日公開(映倫番号 10635) - 出演・「写真屋」役
  • 人喰海女』 : 製作大蔵貢、監督小野田嘉幹、脚本渡辺祐介川上茂、主演三原葉子、製作・配給新東宝、1958年7月27日公開(映倫番号 10734) - 出演・「記者田村」役
  • ソ連脱出 女軍医と偽狂人』 : 製作大蔵貢、監督曲谷守平、原作舟崎淳、脚本杉本彰、助監督土屋啓之助、主演細川俊夫、製作・配給新東宝、1958年8月31日公開(映倫番号 10717) - 出演、60分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 重臣と青年将校 陸海軍流血史』 : 製作大蔵貢、監督土居通芳、脚本村山俊郎、主演宇津井健、製作・配給新東宝、1958年9月28日公開(映倫番号 10802) - 出演・「田中清」役
  • 大東亜戦争と国際裁判』 : 総指揮大蔵貢、監督小森白、脚本館岡謙之助、主演高田稔、製作・配給新東宝、1959年1月3日公開(映倫番号 10898)
  • 女吸血鬼』 : 製作大蔵貢、監督中川信夫、原作橘外男、脚本中沢信・仲津勝義、助監督石川義寛、主演和田桂之助、製作・配給新東宝、1959年3月7日公開(映倫番号 11075) - 出演、78分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 続スーパー・ジャイアンツ 毒蛾王国』 : 製作大蔵貢、監督赤坂長義、脚本宮川一郎、助監督深町幸男、主演宇津井健、製作富士映画、配給新東宝、1959年4月24日公開(映倫番号 11180) - 出演・「毒殺魔」役、55分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 東支那海の女傑』 : 製作大蔵貢、監督小野田嘉幹、原作小泉譲、脚本内田弘三・下村堯二、主演高倉みゆき、製作・配給新東宝、1959年5月15日公開(映倫番号 11193) - 出演・「劉哲選」役
  • 人形佐七捕物帖 鮮血の乳房』(『人形佐七捕物帖 鮮血の血房』) : 製作大蔵貢、監督小野田嘉幹、原作横溝正史、脚本金田光夫小宮一彦、主演中村竜三郎、製作・配給新東宝、1959年8月4日公開(映倫番号 11307) - 出演・「居酒屋の亭主」役
  • 婦系図 湯島に散る花』 : 製作大蔵貢、監督土居通芳、脚本金田光夫、主演天知茂・高倉みゆき、製作・配給新東宝、1959年10月1日公開(映倫番号 11388) - 出演・「医者」役
  • 人形佐七捕物帖 裸姫と謎の熊男』 : 製作大蔵貢、監督山田達雄、原作横溝正史、脚本宮川一郎、主演中村竜三郎、製作・配給新東宝、1959年12月13日公開(映倫番号 11462) - 出演・「越後屋」役

1960年代

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  • 女奴隷船』 : 製作大蔵貢、監督小野田嘉幹、原作舟崎淳、脚本田辺虎男、主演菅原文太、製作・配給新東宝、1960年1月3日公開(映倫番号 11593) - 出演・「陳」役
  • 大虐殺』 : 製作大蔵貢、監督小森白、脚本内田弘三、助監督橋田寿久年、主演天知茂・北沢典子、製作・配給新東宝、1960年1月30日公開(映倫番号 11365) - 出演・「武藤勇次郎」役、94分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 地下帝国の死刑室』 : 製作大蔵貢、監督並木鏡太郎、原作棋本捨三、脚本葉山浩三志原弘、主演宇津井健、製作・配給新東宝、1960年2月14日公開(映倫番号 11840) - 出演・「寺西」役
  • 黄線地帯 イエローライン』 : 製作大蔵貢、企画佐川滉、監督・脚本石井輝男、助監督武部弘道、主演吉田輝雄、製作・配給新東宝、1960年4月29日公開(映倫番号 11828) - 出演・「詩人」役、26分短縮版の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 太陽と血と砂』 : 製作大蔵貢、監督小野田嘉幹、脚本佐々木正彦西沢裕子、主演松原緑郎、製作・配給新東宝、1960年7月22日公開(映倫番号 11600) - 出演・「ヨットハーバーの主人」役
  • 反逆児』 : 製作大蔵貢、監督小林悟、脚本金田光夫、主演浅見比呂志、製作富士映画、配給新東宝、1960年8月26日公開(映倫番号 11913) - 出演・「会計係」役
  • 花嫁吸血魔』 : 製作大蔵貢、監督並木鏡太郎、原作七条門、脚本長崎一平、助監督勝俣真喜治、主演池内淳子、製作・配給新東宝、1960年8月27日公開(映倫番号 不明)
  • 女王蜂と大学の竜』(『女王蜂と大学の龍』) : 製作大蔵貢、監督石井輝男、原案牧源太郎、脚本内田弘三・石井輝男、主演三原葉子・吉田輝雄、製作・配給新東宝、1960年9月1日公開(映倫番号 11453) - 出演・「土橋組兄貴株の男」役
  • トップ屋を殺せ』 : 製作大蔵満彦、監督高橋典、脚本石原慎太郎、主演天知茂、製作富士映画、配給新東宝、1960年9月8日公開(映倫番号 11812) - 出演・「中川の秘書官」役
  • 暴力五人娘』 : 製作大蔵貢、監督曲谷守平、脚本岡戸利秋・葉山浩三、主演万里昌代、製作・配給新東宝、1960年12月27日公開(映倫番号 11492) - 出演・「デスク」役
  • 凸凹珍道中』 : 製作・監督近江俊郎、脚本近江俊郎・松井稔、主演由利徹南利明、製作富士映画、配給新東宝、1960年12月27日公開(映倫番号 11778) - 出演、73分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 0歳の女』 : 製作小森白・前川元成、監督大滝翠、脚本西田洋、主演可能かづ子、製作小森プロダクション、配給新東宝興業、1964年4月公開(成人映画・映倫番号 13570) - 主演・役名不明
  • 青い乳房の埋葬』 : 製作小森白、監督・脚本大滝翠、主演森美沙、製作・配給新東宝映画、1964年5月26日公開(成人映画・映倫番号 13609)
  • 『特別機動捜査隊』第139回『密航』 : 監督永野靖忠、脚本村田武雄、主演波島進、製作東映テレビプロダクション、1964年6月24日放映(テレビ映画)
  • 渇いた唇』 : 製作小森白、監督・脚本大滝翠、主演森美沙、製作小森プロダクション、配給新東宝興業、1964年9月2日公開(成人映画・映倫番号 13696)
  • 『特別機動捜査隊』第156回『みだれ』 : 監督奥中惇夫、脚本村田武雄、主演波島進、製作東映テレビプロダクション、1964年10月21日放映(テレビ映画)
  • 特別機動捜査隊』第284回『こどもの暦』 : 監督松島稔、脚本横山保朗、主演波島進、製作東映テレビプロダクション、1967年4月5日放映(テレビ映画)
  • 『特別機動捜査隊』第370回『挑戦』 : 監督松島稔、脚本小川記正、主演波島進、製作東映テレビプロダクション、1968年11月27日放映(テレビ映画)
  • 『まぼろしの都 平泉』 : 撮影沢田勝、製作東京福原フィルムス、1968年11月完成(文化映画) - 解説・「秋田謙三」名義で演出
  • 怪奇ロマン劇場』第4回『美しき亡霊』 : 監督北村秀敏、脚本小林久三、主演市川和子、製作東映、1969年8月2日放映(テレビ映画)

1970年代

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  • 『大江戸捜査網』第197回・通算第327回『身代わり親娘 涙の絶唱』 : 監督小澤啓一、原案日活、脚本中野顕彰、主演里見浩太朗、製作三船プロダクション、1978年2月18日放映(テレビ映画)
  • 花神 総集編』第3回 : 演出斎藤暁、原作司馬遼太郎、脚本大野靖子、主演中村梅之助、製作NHK、1978年3月25日放送(連続テレビドラマ・大河ドラマ) - 出演・「鷹司政通」役
  • 『大江戸捜査網』第207回・通算第337回『御用金強奪の罠』 : 監督松尾昭典、原案日活、脚本蘇武道夫、主演里見浩太朗、製作三船プロダクション、1978年4月29日放映(テレビ映画)
  • 続あかんたれ』第140回 : 監督平松敏男、原作・脚本花登筐、主演志垣太郎、製作東宝・東海テレビ放送、1978年9月8日放映(テレビ映画) - 出演・「老紳士」役(大連の港で息子の嫁を待つ)
  • 『大江戸捜査網』第219回・通算第349回『過去を裁く挑戦状』 : 監督小澤啓一、原案日活、脚本服部一久、主演里見浩太朗、製作三船プロダクション、1978年7月22日放映(テレビ映画)
  • 白い巨塔』 : 原作山崎豊子、脚本鈴木尚之、主演田宮二郎、製作田宮企画フジプロダクション(テレビ映画) - 出演・「則内教授」(浪速大学医学部付属病院長)役
    • 第8回 : 監督小林俊一、1978年7月22日放映
    • 第9回 : 監督小林俊一、1978年7月29日放映
    • 第10回 : 監督小林俊一、1978年8月5日放映
    • 第13回 : 監督青木征雄、1978年8月26日放映
    • 第22回 : 監督小林俊一、1978年10月28日放映
  • 『大江戸捜査網』第225回・通算第355回『錠前破り 男の挽歌』 : 監督内出好吉、原案日活、脚本服部一久、主演里見浩太朗、製作三船プロダクション、1978年9月2日放映(テレビ映画)

1980年代

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  • 『女と味噌汁』第38回 : 演出山本和夫、脚本平岩弓枝、主演池内淳子・山岡久乃、製作TBS、1980年1月6日放送(東芝日曜劇場第1204回) - 「川辺修詩」名義で出演
  • 松本清張シリーズ・天才画の女』 : 演出高橋康夫中里毅、脚本高橋玄洋、主演竹下景子、製作NHK、1980年4月5日 - 同19日放送(連続テレビドラマ・土曜ドラマ・全3回) - 出演・「役員」役
  • 『西部警察』 : 主演渡哲也、製作石原プロモーション(連続テレビ映画)
    • 第30回『絶命・炎のハーレー』 : 監督澤田幸弘、脚本峯尾基三、1980年5月4日放映(テレビ映画)
    • 第44回『ロング・グッドバイ』 : 監督西村潔、脚本柏原寛司、1980年8月17日放映(テレビ映画)
    • 第55回『新人ジョーの夜明け』 : 監督小澤啓一、脚本新井光、1980年11月2日放映(テレビ映画)
  • 空の城』 : 演出和田勉、原作松本清張、脚本大野靖子、主演山﨑努、製作NHK、1980年12月5日 - 同13日放映(連続テレビドラマ・全4回) - 出演・「白井頭取(共立銀行頭取)」役
  • 仮面ライダースーパー1』第10回『危うし! 悪魔のクリスマスプレゼント』 : 監督小西通雄、脚本土筆勉、主演高杉俊价、製作東映、1980年12月19日放映(テレビ映画) - 出演・「学者」役

1990年代

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ビブリオグラフィ

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国立国会図書館蔵書を中心とした一覧である[4][5]

論文・随筆

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  • 「『大阪物語』批評」川部修詩 : 『キネマ旬報』第176号通巻第991号所収、キネマ旬報社、1957年5月発行、p.79. - 『大阪物語』論
  • 「『追想』におけるバーグマン」川部修詩 : 『キネマ旬報』第180号通巻第995号所収、キネマ旬報社、1957年7月発行、p.46. - 『追想』論
  • 「『気違い部落』シナリオ批評」川部修詩 : 『キネマ旬報』第185号通巻第1000号所収、キネマ旬報社、1957年9月発行、p.88. - 『気違い部落』論
  • 「あるカツキチの映画史」川部修詩 : 『歴史読本』第24巻第12号通巻第307号所収、新人物往来社、1979年10月発行、p.44-45.

単著

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r キネ旬[1979], p.177.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 川部[1983], p.55.
  3. ^ a b c d e 読売年鑑[2002], p.422.
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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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画像外部リンク
艶説四谷怪談
1965年5月公開
東京放映
女ざかり
1965年11月公開
KPC新東宝興業