新本町 (豊橋市)
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新本町 | |
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北緯34度46分0.3秒 東経137度23分13.16秒 / 北緯34.766750度 東経137.3869889度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 豊橋市 |
面積 | |
• 合計 | 0.03919324 km2 |
人口 (2015年(平成27年)10月1日現在)[WEB 2] | |
• 合計 | 363人 |
• 密度 | 9,300人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
440-0892[WEB 3] |
市外局番 | 0532[WEB 4] |
ナンバープレート | 豊橋 |
地理
[編集]豊橋市中央部に位置する[1]。東は札木町・魚町、西は萱町、南は花園町、北は関屋町に接する[1]。
歴史
[編集]町名の由来
[編集]人口の変遷
[編集]国勢調査による人口および世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 5] | 103世帯 329人 |
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2000年(平成12年)[WEB 6] | 130世帯 321人 |
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2005年(平成17年)[WEB 7] | 112世帯 300人 |
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2010年(平成22年)[WEB 8] | 157世帯 377人 |
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2015年(平成27年)[WEB 9] | 146世帯 363人 |
沿革
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
施設
[編集]- 輪くぐり神社[1]
出身人物
[編集]- 四時庵北莱(当時は吉田指笠町)[2]
- 大河戸晩翠(当時は吉田指笠町)[3]
- 下村快雨(当時は豊橋指笠町)[4]
- 小野杜堂(当時は吉田本町)[5]
- 佐野蓬宇(当時は吉田本町)[6]
- 小野久四郎(当時は吉田本町)[7]
脚注
[編集]WEB
[編集]- ^ “愛知県豊橋市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2023年4月13日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ “愛知県豊橋市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2023年4月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧” (PDF). 総務省 (2022年3月1日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
書籍
[編集]- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1788.
- ^ 郷土豊橋を築いた先覚者たち編集委員会 1986, p. 275.
- ^ 郷土豊橋を築いた先覚者たち編集委員会 1986, p. 264.
- ^ 郷土豊橋を築いた先覚者たち編集委員会 1986, p. 240.
- ^ 郷土豊橋を築いた先覚者たち編集委員会 1986, p. 238.
- ^ 郷土豊橋を築いた先覚者たち編集委員会 1986, p. 236.
- ^ 郷土豊橋を築いた先覚者たち編集委員会 1986, p. 216.
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 郷土豊橋を築いた先覚者たち編集委員会 編『郷土豊橋を築いた先覚者たち』豊橋市教育委員会、1986年8月。NDLJP:12259162。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、新本町 (豊橋市)に関するカテゴリがあります。
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