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牟呂町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 愛知県 > 豊橋市 > 牟呂町
牟呂町
町丁
地図北緯34度45分9.91秒 東経137度20分59.22秒 / 北緯34.7527528度 東経137.3497833度 / 34.7527528; 137.3497833座標: 北緯34度45分9.91秒 東経137度20分59.22秒 / 北緯34.7527528度 東経137.3497833度 / 34.7527528; 137.3497833
都道府県 愛知県の旗 愛知県
市町村 豊橋市
人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在[WEB 1]
 人口 7,820 人
 世帯数 3,078 世帯
面積(2010年(平成22年)10月1日現在[WEB 2]
  2.442115996 km²
人口密度 3202.14 人/km²
郵便番号 441-8087[WEB 3]
市外局番 0532[WEB 4]
ナンバープレート 豊橋[WEB 5]
ウィキポータル 日本の町・字
愛知県の旗 ウィキポータル 愛知県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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牟呂町(むろちょう)は、愛知県豊橋市の地名。

地理

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河川・池沼

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交通

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施設

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字一覧

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  • 一本木(いっぽんぎ)[WEB 6]
  • 内田(うちだ)[WEB 6]
  • 扇田(おうぎだ)[WEB 6]
  • 大塚(おおつか)[WEB 6]
  • 奥山(おくやま)[WEB 6]
  • 奥山新田(おくやましんでん)[WEB 6]
  • 北汐田(きたしおだ)[WEB 6]
  • 古田(こでん)[WEB 6]
  • 古幡焼(こばたやき)[WEB 6]
  • 郷社(ごうしや)[WEB 6]
  • 郷社西(ごうしやにし)[WEB 6]
  • 境松(さかいまつ)[WEB 6]
  • 坂津(さかつ)[WEB 6]
  • 水神(すいじん)[WEB 6]
  • 築根(つきね)[WEB 6]
  • 外神(とがみ)[WEB 6]
  • 中西(なかにし)[WEB 6]
  • 西明治圦添(にしめいじいりぞえ)[WEB 6]
  • 西明治沖坪(にしめいじおきのつぼ)[WEB 6]
  • 西明治川東(にしめいじかわひがし)[WEB 6]
  • 西明治源助堀(にしめいじげんすけぼり)[WEB 6]
  • 西明治新右前(にしめいじしんうぜん)[WEB 6]
  • 西明治大道下(にしめいじだいどうした)[WEB 6]
  • 八王子(はちおうじ)[WEB 6]
  • 東里(ひがしさと)[WEB 6]
  • 東明治圦裏(ひがしめいじいりうら)[WEB 6]
  • 東明治沖坪(ひがしめいじおきつぼ)[WEB 6]
  • 東明治川添(ひがしめいじかわぞえ)[WEB 6]
  • 東明治郷下(ひがしめいじごうした)[WEB 6]
  • 東明治橋下(ひがしめいじはしした)[WEB 6]
  • 百間(ひやつけん)[WEB 6]
  • 松崎(まつざき)[WEB 6]
  • 松島(まつしま)[WEB 6]
  • 松島東(まつしまひがし)[WEB 6]
  • 松東(まつひがし)[WEB 6]
  • 三ツ山(みつやま)[WEB 6]
  • 南汐田(みなみしおだ)[WEB 6]
  • 若宮(わかみや)[WEB 6]

歴史

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地名の由来

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沿革

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  • 江戸時代 - 三河国渥美郡牟呂村として所在[1]三河吉田藩[1]
  • 享保年間ごろ - 上牟呂村・中牟呂村・下牟呂村として3つに分離[1]
  • 1884年(明治17年) - 渥美郡磯辺村の一部により、同郡牟呂村が成立[1]。江戸時代の村名でいえば、上牟呂村・中牟呂村・下牟呂村・富田新田・松島新田の領域に相当する[1]
  • 1889年(明治22年) - 市制町村制による牟呂村となる[1]。大字はなし[1]。村の地先の埋め立て地(神野新田)の一部を編入[1]
  • 1894年(明治27年) - 吉田方村・牟呂村地先の埋め立て地(西吉前新田)の一部を編入[1]
  • 1906年(明治39年) - 牟呂吉田村大字牟呂となる[1]
  • 1932年(昭和7年) - 合併に伴い、牟呂吉田村大字牟呂は豊橋市往完町・牟呂町・吉前町神野新田町にそれぞれ編入される[1]。また、同市牟呂町が成立[1]
  • 1936年(昭和11年) - 神野新田町の一部を編入する[1]
  • 1952年(昭和27年) - 一部が羽根井町に編入される[1]
  • 1972年(昭和47年) - 一部が往完町・羽根井西町東脇市場にそれぞれ編入される[1]

人口の変遷

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国勢調査による人口および世帯数の推移。

1995年(平成7年)[WEB 7] 3011世帯
10048人

2000年(平成12年)[WEB 8] 3651世帯
11364人

2005年(平成17年)[WEB 9] 2295世帯
6379人

2010年(平成22年)[WEB 10] 2450世帯
6385人

2015年(平成27年)[WEB 11] 2758世帯
7192人

2020年(令和2年)[WEB 1] 3078世帯
7820人

出身人物

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  • 海山宗恪(僧侶、当時渥美郡牟呂村)[2]

脚注

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WEB

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  1. ^ a b 総務省統計局 (2022年2月10日). “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等” (CSV). 2023年8月2日閲覧。
  2. ^ 愛知県豊橋市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2023年4月13日閲覧。
  3. ^ 読み仮名データの促音・拗音を小書きで表記するもの(zip形式) 愛知県” (zip). 日本郵便 (2024年2月29日). 2024年3月26日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧” (PDF). 総務省 (2022年3月1日). 2022年3月22日閲覧。
  5. ^ ナンバープレートについて”. 一般社団法人愛知県自動車会議所. 2024年1月21日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 愛知県豊橋市牟呂町の住所一覧”. ゼンリン. 2024年12月14日閲覧。
  7. ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
  8. ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
  9. ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
  10. ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
  11. ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。

書籍

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参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5 
  • 郷土豊橋を築いた先覚者たち編集委員会 編『郷土豊橋を築いた先覚者たち』豊橋市教育委員会、1986年8月。NDLJP:12259162 

関連項目

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外部リンク

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  • ウィキメディア・コモンズには、牟呂町に関するカテゴリがあります。