牟呂町
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牟呂町 | |
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町丁 | |
北緯34度45分9.91秒 東経137度20分59.22秒 / 北緯34.7527528度 東経137.3497833度座標: 北緯34度45分9.91秒 東経137度20分59.22秒 / 北緯34.7527528度 東経137.3497833度 | |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 豊橋市 |
人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在[WEB 1]) | |
人口 | 7,820 人 |
世帯数 | 3,078 世帯 |
面積(2010年(平成22年)10月1日現在[WEB 2]) | |
2.442115996 km² | |
人口密度 | 3202.14 人/km² |
郵便番号 | 441-8087[WEB 3] |
市外局番 | 0532[WEB 4] |
ナンバープレート | 豊橋[WEB 5] |
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地理
[編集]河川・池沼
[編集]交通
[編集]施設
[編集]- 愛知県立豊橋西高等学校
- 豊橋市西部窓口センター
- 牟呂八幡宮
- 豊橋市立汐田小学校
字一覧
[編集]- 一本木(いっぽんぎ)[WEB 6]
- 内田(うちだ)[WEB 6]
- 扇田(おうぎだ)[WEB 6]
- 大塚(おおつか)[WEB 6]
- 奥山(おくやま)[WEB 6]
- 奥山新田(おくやましんでん)[WEB 6]
- 北汐田(きたしおだ)[WEB 6]
- 古田(こでん)[WEB 6]
- 古幡焼(こばたやき)[WEB 6]
- 郷社(ごうしや)[WEB 6]
- 郷社西(ごうしやにし)[WEB 6]
- 境松(さかいまつ)[WEB 6]
- 坂津(さかつ)[WEB 6]
- 水神(すいじん)[WEB 6]
- 築根(つきね)[WEB 6]
- 外神(とがみ)[WEB 6]
- 中西(なかにし)[WEB 6]
- 西明治圦添(にしめいじいりぞえ)[WEB 6]
- 西明治沖坪(にしめいじおきのつぼ)[WEB 6]
- 西明治川東(にしめいじかわひがし)[WEB 6]
- 西明治源助堀(にしめいじげんすけぼり)[WEB 6]
- 西明治新右前(にしめいじしんうぜん)[WEB 6]
- 西明治大道下(にしめいじだいどうした)[WEB 6]
- 八王子(はちおうじ)[WEB 6]
- 東里(ひがしさと)[WEB 6]
- 東明治圦裏(ひがしめいじいりうら)[WEB 6]
- 東明治沖坪(ひがしめいじおきつぼ)[WEB 6]
- 東明治川添(ひがしめいじかわぞえ)[WEB 6]
- 東明治郷下(ひがしめいじごうした)[WEB 6]
- 東明治橋下(ひがしめいじはしした)[WEB 6]
- 百間(ひやつけん)[WEB 6]
- 松崎(まつざき)[WEB 6]
- 松島(まつしま)[WEB 6]
- 松島東(まつしまひがし)[WEB 6]
- 松東(まつひがし)[WEB 6]
- 三ツ山(みつやま)[WEB 6]
- 南汐田(みなみしおだ)[WEB 6]
- 若宮(わかみや)[WEB 6]
歴史
[編集]地名の由来
[編集]沿革
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- 江戸時代 - 三河国渥美郡牟呂村として所在[1]。三河吉田藩領[1]。
- 享保年間ごろ - 上牟呂村・中牟呂村・下牟呂村として3つに分離[1]。
- 1884年(明治17年) - 渥美郡磯辺村の一部により、同郡牟呂村が成立[1]。江戸時代の村名でいえば、上牟呂村・中牟呂村・下牟呂村・富田新田・松島新田の領域に相当する[1]。
- 1889年(明治22年) - 市制町村制による牟呂村となる[1]。大字はなし[1]。村の地先の埋め立て地(神野新田)の一部を編入[1]。
- 1894年(明治27年) - 吉田方村・牟呂村地先の埋め立て地(西吉前新田)の一部を編入[1]。
- 1906年(明治39年) - 牟呂吉田村大字牟呂となる[1]。
- 1932年(昭和7年) - 合併に伴い、牟呂吉田村大字牟呂は豊橋市往完町・牟呂町・吉前町・神野新田町にそれぞれ編入される[1]。また、同市牟呂町が成立[1]。
- 1936年(昭和11年) - 神野新田町の一部を編入する[1]。
- 1952年(昭和27年) - 一部が羽根井町に編入される[1]。
- 1972年(昭和47年) - 一部が往完町・羽根井西町・東脇・市場にそれぞれ編入される[1]。
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口および世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 7] | 3011世帯 10048人 |
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2000年(平成12年)[WEB 8] | 3651世帯 11364人 |
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2005年(平成17年)[WEB 9] | 2295世帯 6379人 |
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2010年(平成22年)[WEB 10] | 2450世帯 6385人 |
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2015年(平成27年)[WEB 11] | 2758世帯 7192人 |
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2020年(令和2年)[WEB 1] | 3078世帯 7820人 |
出身人物
[編集]- 海山宗恪(僧侶、当時渥美郡牟呂村)[2]
脚注
[編集]WEB
[編集]- ^ a b 総務省統計局 (2022年2月10日). “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等” (CSV). 2023年8月2日閲覧。
- ^ “愛知県豊橋市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2023年4月13日閲覧。
- ^ “読み仮名データの促音・拗音を小書きで表記するもの(zip形式) 愛知県” (zip). 日本郵便 (2024年2月29日). 2024年3月26日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧” (PDF). 総務省 (2022年3月1日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ “ナンバープレートについて”. 一般社団法人愛知県自動車会議所. 2024年1月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al “愛知県豊橋市牟呂町の住所一覧”. ゼンリン. 2024年12月14日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
書籍
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 郷土豊橋を築いた先覚者たち編集委員会 編『郷土豊橋を築いた先覚者たち』豊橋市教育委員会、1986年8月。NDLJP:12259162。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、牟呂町に関するカテゴリがあります。