神野新田町
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神野新田町 | |
---|---|
北緯34度44分45.38秒 東経137度20分18.1秒 / 北緯34.7459389度 東経137.338361度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 豊橋市 |
町名制定 | 1932年(昭和7年)9月1日 |
人口 | |
• 合計 | 7,025人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
441-8077[2] |
市外局番 | 0532(豊橋MA)[3] |
ナンバープレート | 豊橋 |
神野新田町(じんのしんでんちょう)は、愛知県豊橋市の町名。55の小字が存在する。
地理
[編集]豊橋市西部に位置し、東は王ケ崎町・牟呂町、南は船渡町・大山町・駒形町・神野ふ頭町、北は問屋町・富久縞町・吉前町に接する[5]。
河川
[編集]小字
[編集]- イノ割(いのわり)
- ロノ割(ろのわり)
- ハノ割(はのわり)
- ニノ割(にのわり)
- ホノ割(ほのわり)
- ヘノ割(へのわり)
- トノ割(とのわり)
- チノ割(ちのわり)
- リノ割(りのわり)
- ヌノ割(ぬのわり)
- ルノ割(るのわり)
- ヲノ割(おのわり)
- ワノ割(わのわり)
- カノ割(かのわり)
- ヨノ割(よのわり)
- タノ割(たのわり)
- レノ割(れのわり)
- ソノ割(そのわり)
- ツノ割(つのわり)
- 子ノ割(ねのわり)
- ナノ割(なのわり)
- ラノ割(らのわり)
- ムノ割(むのわり)
- ウノ割(うのわり)
- ヰノ割(いのわり)
- ノノ割(ののわり)
- オノ割(おのわり)
- クノ割(くのわり)
- ヤノ割(やのわり)
- マノ割(まのわり)
- ケノ割(けのわり)
- フノ割(ふのわり)
- コノ割(このわり)
- エノ割(えのわり)
- テノ割(てのわり)
- アノ割(あのわり)
- サノ割(さのわり)
- キノ割(きのわり)
- ユノ割(ゆのわり)
- メノ割(めのわり)
- ミノ割(みのわり)
- シノ割(しのわり)
- ヱノ割(えのわり)
- ヒノ割(ひのわり)
- モノ割(ものわり)
- セノ割(せのわり)
- スノ割(すのわり)
- 京ノ割(きょうのわり)
- 江縁(えぶち)
- 会所前(かいしょまえ)
- 品井潟(しないかだ)
- 水神下(すいじんした)
- 中島(なかじま)
- 中洲(なかす)
- 中道東(なかみちひがし)
柳生川以西の小字は「○ノ割」となっており、京ノ割を除きいろは順となっている。
当初の小字表記は「神野新田○○」であったが、1950年(昭和25年)3月14日、1952年(昭和27年)3月18日、同年7月15日の3回に分けて先頭の「神野新田」の文字が削除された[6]。
世帯数と人口
[編集]2021年(令和3年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
神野新田町 | 3,452世帯 | 7,025人 |
学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校普通科 |
---|---|---|---|
字イノ割~ユノ割・会所前(95-3) | 豊橋市立牟呂小学校 | 豊橋市立牟呂中学校 | 三河学区 |
字メノ割~スノ割・京ノ割 | 豊橋市立吉田方小学校 | 豊橋市立吉田方中学校 | |
字江縁・沖ノ島・品井潟・水神下・ 中島・中洲・中道東・宮前 |
豊橋市立磯辺小学校 | 豊橋市立南陽中学校 | |
字会所前(上記以外) | 豊橋市立汐田小学校 豊橋市立磯辺小学校 |
豊橋市立牟呂中学校 豊橋市立南陽中学校 |
歴史
[編集]神野新田は、渥美郡牟呂村地先の海面に第百十国立銀行の取締役[8]だった毛利祥久によって、当初「毛利新田」として開発されたものである。1888年(明治21年)4月15日に新田築堤の起工式が行われ、1890年(明治23年)5月に総面積1049町3反7畝の新田が完工した[9]。新田は1891年(明治24年)に牟呂村・磯辺村・大崎村の各村に編入された[10]。
しかし、1892年(明治25年)9月4日の暴風雨等、度重なる災害によって壊滅的な打撃を受けた。毛利祥久は修復を断念し、1893年(明治26年)4月に、資産家の神野金之助に売却されて再開発された。1895年(明治28年)6月に、牟呂村・磯辺村・大崎村各村会の議決により「神野新田」と改称した[9]。
1906年の町村合併から1932年の豊橋市編入まで、当地は牟呂吉田村と高師村に属していた。
町名の由来
[編集]新田開発者の神野金之助の姓による[10]。
沿革
[編集]- 1932年(昭和7年)9月1日 - 渥美郡牟呂吉田村大字牟呂および高師村大字磯辺・大崎の各一部を豊橋市へ編入し、同市神野新田町が成立[10][11]。
- 1936年(昭和11年)11月11日 - 一部を牟呂町へ編入[10][12]。
- 1977年(昭和52年) - 一部が神野ふ頭町となる[10]。
- 1981年(昭和56年) - 一部が問屋町となる[10]。
史跡
[編集]施設
[編集]- シーパレス
- 豊橋総合スポーツ公園
- とよはし産業人材育成センター
- 豊橋自動車検査登録事務所
- 豊橋市西部環境センター
- 豊橋市立牟呂中学校
- 豊橋市西部共同学校給食調理場
- 豊橋市バイオマス利活用センター
- 三郷保育園
- 三郷公民館
- 豊橋警察署牟呂交番
- ジャンボエンチョー豊橋神野店
- ドミー神野店
- コジマ×ビックカメラ豊橋店
- ニトリ豊橋店
- ゴルフクラブハーバー・ビュー
- 中京テレビハウジング豊橋南
- JA豊橋水稲育苗センター
- JAあいち経済連東三河営農物流センター
- サーラエナジー豊橋供給センター
- 東亜道路工業豊橋工場
- 神野新田資料館
- 牟呂神社
- 圓龍寺
- 大法寺
- 牟呂神富神明社
-
豊橋市総合体育館
-
アクアリーナ豊橋
-
豊橋自動車検査登録事務所
交通
[編集]- 国道23号(名豊道路豊橋バイパス)
- 豊橋港IC・神野新田IC・豊川橋南IC
- 愛知県道388号大山豊橋停車場線
- 愛知県道393号豊橋港線(みなと大通り)
その他
[編集]日本郵便
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “行政町別人口(平成元年 5月~)”. 豊橋市 (2021年4月1日). 2023年7月19日閲覧。
- ^ a b “愛知県豊橋市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2023年7月19日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ “愛知県豊橋市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年7月22日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1788.
- ^ 吉川利明 1976, p. 39.
- ^ “校区検索”. 豊橋市. 2023年7月19日閲覧。
- ^ “(株)山口銀行『山口銀行史』(1968.09)”. 渋沢社史データベース. 2023年9月20日閲覧。
- ^ a b 豊橋百科事典編集委員会 2006, p. 296.
- ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 712.
- ^ 吉川利明 1976, p. 28.
- ^ 吉川利明 1976, p. 33.
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年5月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 吉川利明『豊橋の町名の変遷』豊橋文化協会、1976年11月20日。
- 豊橋百科事典編集委員会 編『豊橋百科事典』豊橋市、2006年 。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、神野新田町に関するカテゴリがあります。