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森浩之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森広之から転送)
森 浩之
福岡ソフトバンクホークス 
コーディネーター(野手) #022
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府泉南市
生年月日 (1965-02-04) 1965年2月4日(59歳)
身長
体重
177 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1986年 ドラフト2位
初出場 1987年10月11日
最終出場 1990年7月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 福岡ダイエーホークス
    福岡ソフトバンクホークス (1993 - 2002, 2009 - 2012, 2017 - )

森 浩之(もり ひろゆき、1965年2月4日 - )は、大阪府泉南市出身の元プロ野球選手捕手)。右投右打。

1991年から1997年の登録名は森 広之

来歴

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PL学園高では、2年次の1981年秋から正捕手となる。2年次秋の府予選の決勝で公立の桜宮高に敗れるまで無敗を続け、続く近畿地区大会でも準決勝まで勝ち上がった。1982年第54回選抜大会では、榎田健一郎投手を擁して、前年西川佳明投手や吉村禎章主将らを擁した81年春の優勝に引き続きセンバツ甲子園連覇を果たす。昭和5・6年の第一神港商以来52年ぶり、戦後では初となる春のセンバツ甲子園連覇を達成した[1]。準決勝で三浦将明投手擁する横浜商に3x-2でサヨナラ勝ち、決勝で二松學舍大附高に15対2と大勝した。この15点は2006年までセンバツ決勝戦の最多得点記録であり、13点差は最多得点差、両チーム合計17点も最多得点記録であった。夏は府予選準々決勝で、優勝した田宮実投手(のち早大)の府立春日丘高に5-6で敗退した。

1983年、高校卒業後東洋大学に進学。1984年の大学2年生時、巧みなリードと強肩に加え打撃でも一皮剥け、春の東都リーグでベストナイン。秋には打撃ベストテン入り。1985年、3年生の春のリーグでもベストナイン。6月の全日本大学野球選手権大会では、東洋大は4年生北島広行(東芝府中)、3年生日野伸一(本田技研)と弘田旬(大丸)らの投手陣を擁して、準決勝で2年松永幸男投手擁する九州東海大に1-0(延長10回)で辛勝。決勝では法政大先発の3年猪俣隆投手に1-4で敗れ準優勝に終わる。7月の日米大学野球選手権大会では3試合に先発マスクを被った。1986年主将になった4年生の春に東洋大を優勝に導き、MVPとベストナインを獲得した。6月の大学野球選手権決勝では2年生保坂彰茂(新日鐵名古屋)や4年生日野伸一両投手を擁して流経大を下し初優勝を飾った。自身も打率.368で6打点と大活躍をした。7月の日米大学野球と世界アマ野球では全日本の主将を務めた[2]

1986年のプロ野球ドラフト会議南海ホークスから2位指名を受け入団[1]

プロ1年目の1987年から一軍初出場を果たし、1989年にようやく初安打を放つ。しかし自身の打力不足に加え、吉永幸一郎らの台頭などもあって、1991年に自由契約となり、プロ5年で引退した。

引退後はチームスタッフとなり、ブルペン捕手を経て1993年から2002年までブルペン担当コーチ[1]。ホークス戦のテレビ中継では、先発投手のブルペンでの調子について「森ブルペン担当の談話」としてコメントを出すことがあった。

2003年以降はコーチ職ではないブルペン担当スタッフとして職務を得ていたが、2009年に7年ぶりにコーチ登録され、二軍のコーチ補佐(バッテリー担当)を務めた。その後、2013年からはスコアラーを務め、2017年からは一軍作戦コーチ兼バッテリーコーチ補佐として再び現場に復帰[3]2019年からは達川光男の後任として一軍ヘッドコーチを担当した[1]

2021年は三軍監督を務め、2022年からは再び一軍ヘッドコーチを担当[4]2023年4月4日には、藤本博史監督が身内の不幸に伴いチームを離脱したため、監督代行を務めた。

2023年11月1日、2024年からはコーディネーター(バッテリー)を務めると発表された[5]

人物

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  • 妻は、歌手の三田明の妹。
  • PL中学からの進学組である。PL中学から進学し、プロまで進んだ選手として、他には金森栄治山中潔がいる。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1987 南海
ダイエー
3 8 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 .000 .000 .000 .000
1988 7 6 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 2 0 .000 .167 .000 .167
1989 3 5 4 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 .250 .200 .250 .450
1990 15 26 21 5 3 0 0 2 9 5 0 0 0 0 3 0 2 5 1 .143 .308 .429 .737
通算:4年 28 45 37 5 4 0 0 2 10 6 0 0 1 1 3 0 3 8 2 .108 .227 .270 .497
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

年度別守備成績

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年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1987 3 6 1 .143
1988 6 0 0 ----
1989 3 1 2 .667
1989 14 10 4 .286
通算 26 17 7 .292

記録

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初記録

背番号

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  • 22(1987年 - 1989年)
  • 63(1990年)
  • 46(1991年)
  • 117(1992年)
  • 99(1993年 - 2002年, 2009年 - 2012年)
  • 86(2017年 - 2023年)
  • 022(2024年 - )

登録名

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  • 森 浩之(もり ひろゆき、1987年 - 1990年、1998年 - )
  • 森 広之(もり ひろゆき、1991年 - 1997年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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