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「東急ストア」の版間の差分

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基礎情報 会社
 
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{{Otheruses|関東地方を中心に展開するスーパーマーケット|<br />北海道札幌市を中心にかつて札幌東急ストアを展開した企業|東光ストア|<br />北海道北見市を中心にかつて北見東急ストアを展開した企業|北海道北見バス|<br />岡山県[[倉敷市]]を中心に展開するスーパーマーケット|東久ストア}}
{{Otheruseslist|関東地方を中心に展開するスーパーマーケット|北海道札幌市を中心にかつて札幌東急ストアを展開した企業|東光ストア|北海道北見市を中心にかつて北見東急ストアを展開した企業|北海道北見バス}}
{{混同|x1=岡山県[[倉敷市]]を中心に展開されていたスーパーマーケット|東久ストア|東京ストアー|x2=石川県を営業基盤としていた}}
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{{基礎情報 会社
{{基礎情報 会社
|社名 = 株式会社東急ストア
|社名 = 株式会社東急ストア
|英文社名 = TOKYU STORE CHAIN CO., LTD.<!--有価証券報告書上の英訳名-->
|英文社名 = TOKYU STORE CHAIN CO., LTD.<!--有価証券報告書上の英訳名-->
|ロゴ =
|ロゴ = Tokyu Store Logo.png
|ロゴサイズ = 250px
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|画像説明 = 東急ストア本社(中目黒東急ストア)
|画像サイズ = 250px
|種類 = [[株式会社]]
|画像説明 = 本社(中目黒東急ストア)
|市場情報 = {{上場情報 | 東証1部 | 8197 | 1982年12月 | 2008年6月25日}}
|種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
|市場情報 = {{上場情報 | 東証1部 | 8197 | 1982年12月15日<ref group="広報" name="tokyu-annual-report-142-2011">『東京急行電鉄 第142期有価証券報告書』 東京急行電鉄、2011年6月29日。</ref> | 2008年6月25日}}
|略称 = とうきゅう・TOKYU
|略称 = とうきゅう・TOKYU
|国籍 = {{JPN}}
|国籍 = {{JPN}}
|本社郵便番号 = 153-8577
|本社郵便番号 = 153-8577
|本社所在地 = [[東京都]][[目黒区]][[上目黒]]一丁目21番12号
|本社所在地 = [[東京都]][[目黒区]][[上目黒]]一丁目21番12号<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1998">『流通会社年鑑 1998年版』 [[日本経済新聞社]]、1997年12月2日。</ref>
|本社緯度度 = 35|本社緯度分 = 38|本社緯度秒 = 42.2|本社N(北緯)及びS(南緯) = N
|設立 = [[1947年]][[12月12日]]<br />(テー・エム工業株式会社)
|本社経度度 = 139|本社経度分 = 41|本社経度秒 = 57.2|本社E(東経)及びW(西経) = E
|座標右上表示 = Yes
|本社地図国コード = JP
|設立 = [[1956年]]([[昭和]]31年)10月10日<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1998" />
|業種 = 小売業
|業種 = 小売業
|統一金融機関コード =
|統一金融機関コード =
|SWIFTコード =
|SWIFTコード =
|事業内容 = スーパーマーケッ
|事業内容 = チェーンストア事業
|代表者 = 須田 清([[取締役会|代表取締役]][[社長]]執行役員)
|代表者 = 代表取締役社長 須田清
|資本金 = 1億円(2020年2月29日現在)<ref group="広報" name="fy">{{Cite web|和書|date= |url=https://www.tokyu-store.co.jp/Portals/0/PDF/denshikoukoku/202002kessan.pdf |title=2020年2月期決算公告 |format=PDF |publisher= |accessdate=2021-05-14}}</ref><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|資本金 = 108億3800万円<br />(2010年2月28日時点)
|売上高 = 連結: 31025300万円<br />単独: 2528億4700万円<br />(2010年2月期)
|売上高 = 20197500万円<br />(2020年2月期)<ref group="広報" name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|営業利益 = 連結: 563800万円<br />単独: 38億4400万円<br />(2010年2月期)
|営業利益 = 317500万円<br />(2020年2月期)<ref group="広報" name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|経常利益 = 28億1400万円<br />(2020年2月期)<ref group="広報" name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|純利益 = 連結: △65億5700万円<br />単独: △68億6700万円<br />(2010年2月期)
|純利益 = 26億7200万円<br />(2020年2月期)<ref group="広報" name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|純資産 = 連結: 319億7700万円<br />単独: 302億2500万円<br />(2010年2月28日時点)
|純資産 = 224億2700万円<br />(2020年2月29日現在)<ref group="広報" name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|総資産 = 連結: 1197億7500万円<br />単独: 1001億4200万円<br />(2010年2月28日時点)
|総資産 = 705億3500万円<br />(2020年2月29日現在)<ref group="広報" name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|従業員数 = 連結: 2,979人、単独:2,122人<br />(2010年2月28日時点)
|従業員数 = 6,222人<br />(2022年2月29日現在)
|決算期 = 2月末日
|決算期 = 2月末日
|主要株主 = [[東行電鉄]] 100%
|主要株主 = [[東急]] 100%
|主要子会社 =
|主要子会社 =
|関係する人物 =
|関係する人物 = [[木下雄治]](元社長)
|外部リンク = [http://www.tokyu-store.co.jp/ www.tokyu-store.co.jp]
|外部リンク = {{Official URL}}
|特記事項 = 1981610日に現商号へ商号変更。198531日に株式額面変更のため株式会社東急ストア(19561010日設立。実質上存続会社吸収合併。
|特記事項 = [[1975]](昭和50年)31日に現商号へ変更<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />1982(昭和57年)3月に株式額面変更のため株式会社東急ストア([[1947]](昭和22年)12月設立の旧・テー・エム工業株式会社)吸収合併<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1998" />
}}
}}
株式会社'''東急ストア'''(とうきゅうストア)は、[[東京急行電鉄]]子会社の[[スーパーマーケット]][[チェーンストア|チェーン]]。[[東急グループ]]の企業の一つである
'''株式会社東急ストア'''(とうきゅうストア、{{Lang-en-short|TOKYU STORE CHAIN CO., LTD.}})は、[[東京都]][[目黒区]]に本社を置く、[[東急]]子会社の[[スーパーマーケット]][[チェーンストア|チェーン]]や、[[東急電鉄]]の駅構内の[[売店]]や[[コンビニエンスストア]]などを運営する企業。[[東急グループ]]の企業の一つ。


「'''とうきゅう'''」「'''フレル'''(fullel)」「'''東急ストア'''」「'''プレッセ'''(Precce)」「'''東急ストアフードステーション'''」の5業態で[[関東地方]]を中心に店舗を展開する。[[東急カード|TOKYUポイント]]加盟店。
[[関東地方]]を中心に主力業態のスーパーマーケット「'''東急ストア'''」を展開するほか、東急電鉄沿線では駅売店「'''[[toks]]'''」運営する。[[東急カード|TOKYUポイント]]加盟店。


== 沿革 ==
== 歴史 ==
=== 百貨店法の制約を避けるために誕生 ===
1956年(昭和31年)6月に施行の百貨店法により、[[百貨店]]が新店舗の出店や増床などに制約が課されることになったことから、その制約を受けずに事業展開を行うために同年10月10日に「東横興業株式会社」を設立したのが始まりである<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989">『東急ストアのあゆみ』 東急ストア、1989年。</ref>。

当社の1号店として1956年(昭和31年)11月22日に開設された'''武蔵小杉東興店'''は<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、東横線と国鉄線の[[武蔵小杉駅]]のはす向かいにあたる[[川崎市]][[小杉町 (川崎市)|小杉町]]1丁目403番地に<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />[[第一生命]]が建設した第一生命住宅の店舗部分への出店で<ref name="shogen-sengo-shogyoshi-1983-1">奥住正道 『証言・戦後商業史 流通を変えた 100人の記録』 [[日本経済新聞出版社]]、1983年1月。ISBN 978-4532093037</ref>、従前からの出店の約束を果たす側面もあるものであった<ref name="shogen-sengo-shogyoshi-1983-1" />。

また、同年1月に東急グループ入りしていた百貨店の[[白木屋 (デパート)|白木屋]]は、1928年(昭和3年)12月18日の五反田分店と<ref name="shirokiya-300-1957-439">『白木屋三百年史』 [[白木屋 (デパート)|白木屋]]、1957年3月18日。 pp439</ref>1929年(昭和4年)2月の大森分店<ref name="shirokiya-300-1957-440">『白木屋三百年史』 [[白木屋 (デパート)|白木屋]]、1957年3月18日。 pp440</ref>という戦前に開設した2分店の他に<ref name="shirokiya-300-1957-3-18">『白木屋三百年史』 [[白木屋 (デパート)|白木屋]]、1957年3月18日。</ref>、1952年(昭和27年)12月に中央線[[高円寺駅]]北口の駅ビルに開設した高円寺分店を運営していたが<ref name="shirokiya-300-1957-3-18" />、百貨店分店の形式では百貨店法の規制対象となるとして、こちらも「白木興業株式会社」を設立して3店の営業を譲渡することで規制を逃れさせることになった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

こうして設立された2社を経営統合することになり、1957年(昭和32年)4月1日に「東横興業株式会社」が「白木興業株式会社」を吸収合併して五反田と大森、高円寺の3店の営業を引き継ぎ、チェーン店の展開へ乗り出すことになった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

同年9月20日、より一般的で親しみ易い名称として「'''株式会社東光ストア'''」へ社名変更するとともに、社紋(シンボルマーク)も[[セイヨウウスユキソウ|エーデルワイス]]をかたどったものへ変更した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

そして[[東横百貨店]](現・[[東急百貨店]]東横店)西館地下と壁一枚で隣接する[[渋谷地下街]]が開業する際には、百貨店の増床許可が出た時点で東横百貨店に変換する条件で当社が1957年(昭和32年)12月に渋谷店を出店し、契約通り1962年(昭和37年)8月東横百貨店に返還したほか、同じく東横百貨店が核店舗として出店する構想で進められていた[[東急文化会館]]の店舗部分も当社が運営する「文化特選街」とするなど、百貨店法の制約を受けずに店舗展開を進めるという戦略を担う形で出店が進められていった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />

こうした設立時の経緯もあり、東横百貨店から130名、白木屋系の旧白木興業234名の社員が当社へ出向していたが、当社が軌道に乗った後、役職者と一部の専門職員を除いて百貨店へ復帰させる人事を行っており、現場は当社として採用した社員が中心となって運営する形態へ移行する形となった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

=== セルフサービス方式導入によるスーパーマーケット事業への進出 ===
設立当初は百貨店と同様の対面販売方式で、小型百貨店というべき運営形態であったが、1957年(昭和32年)2月に「スーパーマーケット設立準備委員会」を発足して八幡製鉄所購買会(現・[[スピナ]])の見学や研修会への参加などを通じて[[セルフサービス]]方式の導入へ向けた準備を進められた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

1958年(昭和33年)10月に高円寺店2階に木製ゴンドラケースによるオープン陳列を行ってセルフサービス方式を導入し、スーパーマーケット事業参入の第一歩を踏み出すことになった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。この高円寺店へのセルフサービス方式の導入に当たっては、生鮮食料品の販売効率が現状でも高かったうえ、当時は予め包装などを行っておくプリパッケージができない商品と考えられていたことから、1階の食料品売り場は従来通り対面販売が継続されていた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。だが高円寺店のセルフサービス方式の導入は、利点を理解しながらもスーパーマーケット事業への進出に二の足を踏むことが多かった百貨店などの大手資本によるものとしては先駆けとなったため、業界紙などから注目を集めることになった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

1958年(昭和33年)12月13日に開設した鷹番町店は新店舗で開設時からセルフサービス方式の導入を行った1号店であるのみならず、部門別に色分けした名刺大の札を商品に添付して、それを基にレジで精算を行う方式で食品売り場にもセルフサービス方式の導入しており、高円寺店での実験をさらに一歩進めるものとなった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。ただし、この鷹番町店でも食料品全てをセルフサービス方式とすることはできず、対面販売部分が残る状態となっていた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

その後、1959年(昭和34年)3月27日に同社では初の本格的なスーパーマーケットとして、[[日本住宅公団]]桜堤団地内に鉄骨造り1階建ての武蔵境店を開設した際には、様々な合理化策を導入すると共に、その成果を委員会を設けて検証するなどスーパーマーケット事業の本格的な展開を目指した実践と研究を重ねて行った<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

セルフサービス方式の導入を進めるうえでは、商品の事前包装や値札付けといったプリパッケージ技術が必要であったことなどが、こうした漸進的な導入の背景となっており、当社が全商品をセルフサービス方式で販売するようになったのは1959年(昭和34年)11月に開設した荻窪店が最初の店舗となった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。プリパッケージで問題を抱えていたのは、先述した食料品だけでなく、衣類や雑貨類などでも同様であり、価格のみならず、素材や大きさ、洗濯方法なども付記した包装の導入などのセルフサービス方式に合わせた商品の形態が模索され、実践に移されていくことになった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

また、商品を各店舗にスムーズに配送するために、1961年(昭和36年)12月に東横線[[都立大学駅]]の高架下にベルトコンベヤーを導入した本部検品所と商品倉庫を兼ねた施設を開設して合理化を図った<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。その他にもメーカーの販促活動の機会に安く大量に仕入れるなど大量仕入れ・大量販売というスーパーマーケット事業の強みを生かすための仕入れ政策にも取り組み、徐々にスーパーマーケット事業を軌道に乗せて行くことになった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

1964年(昭和39年)7月に開設した三軒茶屋店では、中央食品(現・[[セントラルフーズ]])による完全包装された精肉販売が導入され、店舗における厨房機能の縮小と大量陳列による買い易さが両立することで更なる合理化が図られることになった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

こうしてセルフサービス方式の導入を進めたことにより、合理化が進んだ半面で店員と顧客との間でのふれあいが不足しがちになることから、それを補って顧客の固定化を図ることを目的に1961年(昭和36年)2月に「東光セルフサービスチケット」を導入するなどセルフサービス方式の欠点の是正策も並行して導入された<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

東急グループの企業らしく[[文化]]事業にも早くから力を入れ、1966年(昭和41年)11月より主な顧客層である[[主婦]]を対象とした文化講演会「東光ストア ママ大学」を開始し、その後社名変更により[[1975年]]10月から「東急ストア ママ大学」に改題された。また、かつて[[文化放送]]で午前11時過ぎに長年にわたり「東急ストア ママ大学」というタイトルでコーナー提供をしていたが、『[[くにまるワイド ごぜんさま〜]]』の番組途中で終了している。

=== ショッピングセンター形式の大型店の出店 ===
1971年(昭和46年)4月に[[京王線]][[調布駅]]から100mの場所に建設された地下1階・地上8階建てのビルの地下1階から地上3階までを使用して当社初の[[ショッピングセンター]]となる調布店('''調布とうきゅう''')を開設し、大型店の運営に参入することになった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

調布店は、都心に流出している購買力を地元に引き付ける狙いから有力な店舗を[[テナント]]として導入する戦略をとったため、テナント比率が高まったものの、土地・建物ともに自社所有であることから高い収益力を持つ店舗となった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

こうした大型店舗でのテナントの導入はその後も続けられ、当社としては2番目のショッピングセンターである厚木店では地元の老舗などからなる暖簾街の導入が図られ、水戸店では外国の有名メーカーのライセンス生産によるファッションを扱う売り場の導入をしたほか、水戸店では[[陶器]]類も扱うなど徐々に品ぞろえを拡充していくことになった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

また同年10月に開設した大和店では郊外型の週末中心の来客を想定して、[[喫茶店]]や[[ビアガーデン]]などの飲食施設や遊戯施設、休憩所など物販以外の施設の充実を図った<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。同年11月に[[鎌倉駅]]前に開設した鎌倉店では、百貨店や専門店が当社のようなスーパーに陳列されるのを嫌がるような海外メーカーの服などを扱ったため、取り扱いを中止させようとする動きが一部で見られるような状況まで生じた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

このように大型店の出店に伴い、衣料品や雑貨類の販売比率が増大することになり、店舗間の販売力などに大きな差が生じたことから、店舗を規模や立地などで5分類して各々の戦略を立てる形へ変化していくことになった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

=== 出店エリアの拡大 ===
母体となった東急沿線の他に、東急電鉄や東急不動産が進めている地域開発型の不動産事業展開の一環として出店したほか、比較的高所得者層が多いとされる[[湘南]]地区や神奈川県中央部など首都圏の人口急増が生じていた地区に出店を集中的に行う[[ドミナント戦略|ドミナントエリア]]とする出店戦略を採った<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

このため、東急沿線では溝の口店(1970年(昭和45年)10月開店)や学芸大学店(1970年(昭和45年)11月開店)、祐天寺店(1970年(昭和45年)11月開店)、二子玉川店(1970年(昭和45年)12月開店)、湘南地区では辻堂店(1969年(昭和44年)11月開店)や鎌倉店(1971年(昭和46年)11月開店)、神奈川県中央部では厚木店(1971年(昭和46年)5月開店)や大和店(1971年(昭和46年)10月開店)等の出店を行うことになった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

また、東急電鉄や東急不動産が進めている地域開発型の不動産事業展開の一環として1966年(昭和41年)8月に青葉台店を開設したほか、同年9月の狭山店や南柏店などグループ戦略に伴う出店も行った<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

東急グループが[[東海地方]]に[[鯱バス|東急鯱バス]]を運営していたことから、[[富士製鉄]]の依頼を受けて同社が従業員向けに建設した宮津団地内で商業施設の運営を引き受けることになり、1969年(昭和44年)4月に東海東光ストアを設立し、[[知多半島]]へ進出することになった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。東海東光ストアは1969年(昭和44年)8月に宮津店を開設したのを皮切りに、翌年1970年(昭和45年)5月に上野台店、1974年(昭和49年)3月に粕谷台店、1980年(昭和55年)に知多店を開設するなど知多半島への出店を進めて行った<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

1972年(昭和47年)7月15日に<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1998" />定山渓鉄道(現・[[じょうてつ]])66.6%、東光ストア33.3%の出資比率で株式会社定鉄商事(現:[[東光ストア]])を設立して<ref name="nissyoku-2002-9-30-9B">“札幌東急ストア創業30周年特集:小林悠二社長に将来展望を聞く”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2002年9月30日)</ref>同年10月に第1号店となる木の花店を開設したほか<ref name="nissyoku-1997-12-3-24B">“定鉄商事・札幌東急ストア特集 25周年に寄せて 八社会・杉本尚専務”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (1997年12月3日)</ref>、これとは別に1974年(昭和49年)7月1日に北海道東急ストアを設立して同年10月13日に宮の森店を開設。東急ストアの名称は本州より先に北海道で使われることとなった<ref group="広報" name=":12">{{Cite web|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/history/chapter04_6_2/ |title=4-6-2-2 東光ストアから東急ストアへ |access-date=2023-11-17 |publisher=東急}}</ref><ref group="広報">{{Cite web|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/history/pdf/tokyu100th_data_41_timeline_02.pdf |title=年表(1973年〜2023年) |access-date=2023-11-17 |publisher=東急}}</ref>。{{main|東光ストア}}

このように東急グループの拠点がある地域へ出店する戦略を採っていった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

さらに、[[長崎屋]]と提携して同社が得意とする衣料品との相乗効果を狙い、長崎屋サンショッピングセンター内で食料品や雑貨を扱う店舗をスーパーマーケットを出店する契約を結ぶなど、他社と提携した出店戦略も展開していった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

こうした積極的な出店の一方で、1969年(昭和44年)1月に芦花公園店を閉鎖したのを皮切りに、1970年(昭和45年)8月に(初代)阿佐谷店、同年9月に荏原店、1971年(昭和46年)12月には(初代)本八幡店と不採算店舗の閉鎖も進めたほか、1972年(昭和47年)から1974年(昭和49年)にかけて26店舗の改装を行うなど既存店の活性化も進めて行った<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

=== 関連会社の設立や吸収による商品力の強化 ===
1971年(昭和46年)8月20日に渋谷米穀店と荻窪米穀店を母体にして東光食糧販売株式会社(現・東光食糧)を設立して米穀の精製・販売に乗り出し、1973年(昭和48年)7月に当社の青果部門のテナントや直営青果部門への納入業者であったミツバ商店を傘下に入れて東光青果を設立して青果部門を直営化した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

同年10月には水産部門の東光水産、同年12月25日に東光デイリー食品株式会社(現・東光食品)を設立して、1974年(昭和49年)1月30日に水戸内原工場を完成させて同年8月9日から日配品の製造・販売に乗り出すなど食品の販売力強化を目指した関連会社の設立を進めた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

また、日本国内の紳士靴大手である日本製靴との合弁で1975年(昭和50年)7月14日にトップシューズを設立し、同年8月の荻窪店を皮切りに靴売り場を展開したほか、1976年(昭和51年)11月25日には株式会社東光ドラッグを設立するなど専門性が必要な分野の商品を扱う関連会社の設立も進めて営業力の強化を図っていった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

1979年(昭和54年)2月に東光青果株式会社と東光水産株式会社を吸収合併したほか、東光デイリー食品と東光ピクルスの販売部門、レストラン東急の総菜部門の譲渡を受けて食料品の主要部門を完全に直営化することになった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

=== 社名変更と店舗網の見直し ===
東急ストアの名称は本州より先に北海道東急ストアで使われていたが、これに次いで東光ストアは1975年3月に社名を東急ストアに変更した。
食料品を中心としたスーパーマーケット店(以下、SM店)の名称を同じく「東急ストア」に改め、名実共に東急グループの一員としての看板を掲げることとなった。

東急ストアの名称は本州より先に北海道東急ストアで使われていたが、これに次いで東光ストアは1974年(昭和49年)には売上高が1000億円を突破して東急百貨店と共に東急グループの流通部門の基幹企業となり、「名実ともに東急グループとしての一員であることを明確にする」ため、1975年(昭和50年)3月1日に社名を'''株式会社東急ストア'''に変更した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。食料品を中心としたスーパーマーケット店の名称を同じく東急ストアに改め、名実共に東急グループの一員としての看板を掲げることとなった<ref group="広報" name=":13">{{Cite web|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/history/chapter04_6_2/ |title=4-6-2-2 東光ストアから東急ストアへ |access-date=2023-11-17 |publisher=東急}}</ref>。それに合わせて同年5月、定鉄商事の札幌東光ストアも'''札幌東急ストア'''へ店名変更した<ref name="nissyoku-1997-12-3-24G">“定鉄商事・札幌東急ストア特集 25周年に寄せて 日本ハム・大社啓2社長”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (1997年12月3日)</ref><ref name=":02">{{Cite web|和書|title=東光ストア楠美秀一社長インタビュー「50周年の蓄積を生かして次の成長を目指す」 |url=https://hre-net.com/keizai/ryutu/59655/ |website=北海道リアルエコノミー |access-date=2022-08-05 |language=ja}}</ref>。また、1975年(昭和50年)11月1日に生活情報誌『ファミリー109』を創刊している<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

その一方でグループの開発戦略上の役割を果たした店舗などを中心に、1978年(昭和53年)12月に狭山店を閉鎖したのを皮切りに、1979年(昭和54年)3月に元石川店、同年7月に本八幡店と溝の口店(初代)、同年8月につくしが丘店、同年12月に大谷ロ店、1980年(昭和55年)1月に三軒茶屋店と上大岡店、同年9月に水戸店、同年12月に久が原店と2年強で10店舗の閉鎖を行うなど、店舗網の見直しを進めた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

こうした店舗閉鎖だけでなく、1979年(昭和54年)11月に伊勢原店を増築して増床し、1980年(昭和55年)2月には五反田店を都市型大型店として新装開業したほか、同年4月には厚木店で鮮魚など生鮮食料品売場の強化を図ったのを皮切りに各店で生鮮食料品売り場の強化を図り、当社の初期の大型店である調布店や鎌倉店なども大型店の大規模な改装を進めて黒字転換を目指すなど店舗網の強化を図った<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

そうした大型店強化の一環として、東急グループが開発を進めていた[[多摩田園都市]]全域を商圏として、延べ床面積約19,270[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]に9,492m<sup>2</sup>の売り場を配した大型店であるさぎ沼店(現:フレルさぎ沼店)を1978年(昭和53年)9月に開設した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。さぎ沼店は食品や衣料品だけでなく、家具やインテリアなどの住関連商品まで幅広く取り扱うと共に専門店街も充実させ、1980年(昭和55年)度に当社で初めて年間売上高が100億円を突破する当社の主力店の一つとなった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

さらに、1984年(昭和59年)9月には国鉄(現在のJR) 大森駅ビルプリモの開設に伴って大森店を同ビル内に移転して71店舗のテナントを併設した大型店とし、翌年1985年(昭和60年)10月に取手駅西口駅前再開発事業によって建設された地下1階・地上8階建てのビルほぼ全館を借り入れて取手店を開設したほか、同年度には中央林間店を開設するなど大型店の出店を進めた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

こうした大型店は順調に売り上げを伸ばし、当社はさぎ沼店と五反田店、中央林間店、取手店と年商100億円を超える店舗を4店舗持つようになった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

また、この間の1982年(昭和57年)12月15日に[[東京証券取引所]]第二部に[[上場]]し<ref group="広報" name="tokyu-annual-report-142-2011" />、1987年(昭和62年)8月1日に東京証券取引所第一部へ昇格しており<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、東急グループとしては10番目の一部上場企業となった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

=== 食品特化の小型店の展開 ===
大型店の強化の一方で、食品を中心にして日用雑貨や肌着などの日用衣料品を扱う食品スーパー業態の店舗として、1988年(昭和63年)4月に成田線布佐駅前に布佐店、同年11月に[[阿佐ケ谷駅]]前に阿佐谷店と[[根岸駅 (神奈川県)|根岸駅]]前に根岸店を開業したほか、既存店13店舗の全面改装を実施するなど小型店の強化も並行して進められた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。これら小規模店舗の改装においては、住関連商品や日用品の取扱の縮小と生鮮食料品の強化を図り、食品スーパーへの業態特化が図られた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

こうした小型店戦略の一環として、半径500mを商圏とした売場面積250から500m<sup>2</sup>の小型スーパーでドミナント戦略を強化することになり、1987年(昭和62年)8月にマインズ第1号店桂台店(売場面積445m<sup>2</sup>)を開店したのを皮切りに多店化を進め、1988年(昭和63年)5月には'''株式会社マインズ'''として独立させた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。マインズ店舗では、生鮮食品を新設した加工センターで一括加工で店内での処理廃止して床面積の約80%を売り場とすることや、[[パートタイマー]]の比率を高めることで正社員を減らすなどで経費を抑制すると共に、午前10時から午後9時までという当時としては長時間の営業をすることで採算確保を目指した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

=== 東急グループの開発に乗った出店 ===
東急グループが中心となって開発が進められていた[[千葉県]]の[[あすみが丘ニュータウン]]の一角にある[[土気駅]]前に開設された「バーズモール」内に<ref name="samejima-machinami-49-2004-3">鮫島泰洋 『[まちなみ計画]“街(ハード)”から“まち(ソフト)”へ あすみが丘そしてあすみが丘東へ(千葉市緑区)』 家とまちなみ 第49号 ([[住宅生産振興財団]]) (2004年3月)</ref>1989年(平成元年)4月に土気店を開設したほか<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、同年6月には東急沿線に新丸子店と溝の口店(2代目)を開設した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

東急グループの住宅開発に合わせて[[筑紫野市]]美しが丘南に<ref name="nissyoku-2006-11-29-4d">“東急ストア、筑紫野とうきゅう閉店で九州撤退”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2006年11月29日)</ref>1993年(平成5年)5月18日に筑紫野店を開店して[[九州]]へ進出したほか<ref name="nissyoku-1993-5-21-5">“東急ストアが最大規模で九州に初進出”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1993年5月21日)</ref>、あすみが丘ニュータウン中心部に2000年(平成12年)10月6日に開業した<ref name="nissyoku-2000-10-6-3G" />ショッビングセンター「プランニューモール」<ref name="samejima-machinami-49-2004-3" />の核店舗として土気あすみが丘店を開店する<ref name="nissyoku-2000-10-6-3G" />など東急グループ開発を生かした出店戦略を展開した。

=== 東急沿線への回帰とグループの再編 ===
だがその後は東急沿線から遠く離れた地区での店舗網の縮小を進め、2003年(平成17年)1月31日に'''北見東急ストア'''を解散して5店全店舗を閉鎖した<ref name="nissyoku-2002-10-28-2E">“北見東急ストア解散へ、大型店進出で経営悪化”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2002年10月28日)</ref>。2007年(平成19年)3月には近隣に大型商業施設が相次いで開業した影響で赤字が続いたため筑紫野店を閉店して九州から撤退した<ref name="nissyoku-2006-11-29-4d" />。2009年(平成21年) 10月30日には札幌東急ストアが株式会社[[アークスグループ|アークス]]の子会社となって東急グループから離脱する<ref name="nissyoku-2009-9-16-1a">清水豊 (2009年9月16日). “アークス、札幌東急ストアを子会社化 道内初、売上げ3000億円超規模へ”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社)</ref><ref name="nissyoku-2009-11-9-2a">“札幌東急ストア、東光ストアに社名変更”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2009年11月9日)</ref>。

首都圏以外の遠隔地に限らず、2010年(平成22年)2月期に青山店など5店舗、翌年2011年(平成23年)2月期に取手店など首都圏でも沿線以外の不採算店舗の整理統合を進める一方で、東急沿線の駅前立地に小型店を出店するなど親会社の沿線等への店舗網の集約を進めている<ref name="nikkei-mj-2009-10-7">“食品スーパー、店舗再配置を加速、東急ストア、来期も5店前後閉鎖”. [[日経MJ]](日本経済新聞社). (2009年10月7日)</ref>。不採算店の閉鎖は、[[2013年]](平成25年)8月に馬込店、さらに[[2014年]](平成26年)だけでも錦糸町オリナス店(1月10日閉店<ref name="nissyoku-2014-1-15-14">“カスミ、東京23区内初進出 錦糸町に居抜き出店”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2014年1月15日)</ref>)・金沢シーサイド店(1月20日閉店<ref name="taihan-news-2014-1-23-5">“閉店ニュース 1月20日(月)金沢シーサイド東急ストア”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2013年1月23日)</ref>)・橋本店・武蔵小山店<ref>パルム武蔵小山・武蔵小山駅ビル両店は存続</ref>・上尾店・矢口店・プレッセ日本橋店・中野店・白金台店が閉店するなど、東急沿線を含めた首都圏でも進められた。

また、1999年(平成11年)12月に[[八王子駅]]南口再開発ビルへの出店に関する覚書を締結し、建設中の[[サザンスカイタワー八王子]]の核店舗テナントとして出店を予定していたが、2008年(平成20年)4月に東急側の都合により白紙撤回(理由は不明)。結局出店は見送りとなり、同ビルには地元企業の[[スーパーアルプス]]が出店した。八王子駅南口市街地地区再開発組合は東急ストアに対し「[[損害賠償]]を請求する」としていた<ref>[http://hachioji.keizai.biz/headline/303/ 八王子南口再開発ビル、核店舗に「スーパーアルプス」-東急ストア白紙撤回で] [[みんなの経済新聞ネットワーク|八王子経済新聞]]、2009年6月5日、2019年12月31日閲覧。</ref>。が、その後の展開は不明。{{要出典範囲|date=2024年9月|なお、八王子駅近辺の東急グループの商業施設としては[[八王子オクトーレ|八王子東急スクエア]]がある(東急ストアは出店していない)。}}

{{要出典範囲|date=2024年9月|消費者の[[食の安全]]への関心の高まりを受け、2006年(平成18年)11月より「手紙のついた野菜と果物」という青果ブランドを立ち上げ、野菜や果物等を販売している。商品パッケージに付記された[[QRコード]]、[[URL]]を携帯電話やパソコンから検索すると、生産者や産地等の情報が閲覧可能。内容は[[トレーサビリティー]]はもちろんの、生産者の情緒や産地の栽培環境や取組み、農産物の食べ方等が「手紙」という形式で表現されている。}}

2008年(平成20年)に上場廃止し、同年7月1日付で簡易株式交換により東京急行電鉄の完全[[子会社]]となっている<ref group="広報" name="tokyu-annual-report-142-2011" />。

2011年(平成23年)5月20日に<ref name="nissyoku-2011-6-1-22a">“惣菜特集:東急ストア、選ぶ楽しさ追求 女性目線で商品開発 「フレルさぎ沼東急ストア」”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2011年6月1日)</ref>総合スーパー(GMS)業態であった[[鷺沼駅]]前の「さぎ沼とうきゅう」をリニューアル、テナント店舗を大幅に導入してショッピングセンター「フレルさぎ沼」とするなど、大型店についてはショッピングセンターへの業態転換も模索している<ref name="nissyoku-2011-3-16-12a">“東急ストア、GMSをSCに転換 「フレル」で新展開”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2011年3月16日)</ref>。同年5月27日には[[自由が丘]]に新業態「フレル」2号店「フレル・ウィズ自由が丘」が開店した。どちらもキーテナントとして東急ストアが出店する形態になっている。

2022年(令和4年)3月1日には東急電鉄各線の駅構内売店などを運営していた[[東急ステーションリテールサービス]]を吸収合併し、同社が運営していた業態(MY SWEETSのみ[[東急モールズデベロップメント]]が継承)を東急ストアが引き継いだ<ref group="広報" name="tokyu-20211227">{{Cite press release |和書 |date=2021-12-27 |url=https://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20211227-1.pdf |title=株式会社東急ストアと株式会社東急ステーションリテールサービスを合併 |format=PDF |publisher=東急、東急ストア、東急ステーションリテールサービス |accessdate=2022-01-22}}</ref>。

{{要出典範囲|date=2024年9月|2023年 LINEと東急ポイントカードを連携したサービスを開始。}}

== 年表 ==
* [[1956年]]([[昭和]]31年)
* [[1956年]]([[昭和]]31年)
** 10月10日 - 東横百貨店(現・[[東急百貨店]])の全額出資により、'''東横興業株式会社'''として設立。
** 10月10日 - 東横百貨店(現・[[東急百貨店]])の全額出資により、'''東横興業株式会社'''として設立<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />
** 11月 - 1号店として、武蔵小杉店開店。
** 11月22日 - 1号店として、武蔵小杉店開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />
* [[1957年]](昭和32年)
* [[1957年]](昭和32年)
** 4月 - [[白木屋 (デパート)|白木興業]]株式会社を合併、大森店・五反田店・高円寺店の営業を引き継ぎ、これにより[[チェーンストア]]指向の方針を固める。
** 4月1日 - [[白木屋 (デパート)|白木興業]]株式会社を合併<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、大森店・五反田店・高円寺店の営業を引き継ぎ<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、これにより[[チェーンストア]]指向の方針を固める。
** 9月 - '''株式会社東光ストア'''に商号変更。
** 9月20日 - '''株式会社東光ストア'''に商号変更<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />
* [[1958年]](昭和33年)10月 - 高円寺店で[[セルフサービス]]方式を導入。以降スーパーマーケットの本格的チェーン展開を開始。
* [[1958年]](昭和33年)10月 - 高円寺店で2階に[[セルフサービス]]方式を導入。以降スーパーマーケットの本格的チェーン展開を開始。
* [[1966年]](昭和41年)3月 - 東京急行電鉄の関連会社となる。
* [[1966年]](昭和41年)3月 - 東京急行電鉄の関連会社となる。
* [[1969年]](昭和44年)
** 4月 - 東海東光ストアを設立<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
** 8月 - 東海東光ストア第1号店・宮津店を開設<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* [[1970年]](昭和45年)6月 - 東光ストアグループの[[シンボルマーク]](現・ファミリーマーク)制定。
* [[1970年]](昭和45年)6月 - 東光ストアグループの[[シンボルマーク]](現・ファミリーマーク)制定。
* [[1971年]](昭和46年)8月 - 東光食糧販売株式会社(現・東光食糧)を設立。
* [[1971年]](昭和46年)8月20日 - 東光食糧販売株式会社(現・東光食糧)を設立<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />
* [[1973年]](昭和48)12月 - 東光デイリー食品株式会社(現・東光食品を設立。
* [[1972年]](昭和47年)
** 7月15日<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1998" /> - 定山渓鉄道(株)(現・じょうてつ)などと共に(株)定鉄商事(現・[[東光ストア]])を設立<ref name="nissyoku-2002-9-30-9B" />。
* [[1975年]](昭和50年)3月 - '''株式会社東急ストア'''に商号変更。
** 10月27日 - 定鉄商事第1号店・札幌東光ストア木の花店を開設<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* [[1976年]](昭和51年)11月 - 株式会社東光ドラッグを設立。
* [[1973年]](昭和48年)12月25日 - 東光デイリー食品株式会社(現・東光食品)を設立<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* [[1978年]](昭和53年)9月 - 東急ストアとして初の総合スーパー「鷺沼とうきゅう」開店。
* [[1974年]](昭和49年)
* [[1979年]](昭和54年)2月 - 東光青果株式会社、東光水産株式会社を[[合併 (企業)#会社の合併の種類|吸収合併]]。
** 1月1日 - 北海道東急ストアを設立<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* [[1982年]](昭和57年)12月 - [[東京証券取引所]](東証)2部[[上場]]。
** 1月30日 - 東光デイリー食品水戸内原工場を完成<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* [[1983年]](昭和58年) - 東光サービス株式会社を設立。
** 10月13日 - 北海道東急ストア1号店として宮の森店を開設<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* [[1987年]](昭和62年)8月 - 東証1部指定替え。
* [[1975年]](昭和50年)
* [[1988年]](昭和63年)2月 - 株式会社東急フローラ(現・東光グリーン・フーズ)を設立。
** 3月1日 - '''株式会社東急ストア'''に商号変更<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。札幌東光ストアも札幌東急ストアへ店名変更<ref name="nissyoku-1997-12-3-24G" />。
* [[1997年]]([[平成]]9年)11月 - 新業態店「プレッセ」の1号店・美しが丘店開店。
** 7月14日 - トップシューズを設立<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* [[1976年]](昭和51年)
** 6月 - 日魯漁業からジョイマート6店舗を買収<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
** 11月25日 - 株式会社東光ドラッグを設立<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1998" />。
* [[1978年]](昭和53年)9月21日 - 東急ストアとして初の総合スーパー「鷺沼とうきゅう」開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* [[1979年]](昭和54年)2月 - 東光青果株式会社、東光水産株式会社を[[合併 (企業)# 吸収合併・新設合併|吸収合併]]。
* [[1982年]](昭和57年)
** 3月 - 株式額面変更のため株式会社東急ストア([[1947年]](昭和22年)12月設立の旧・テー・エム工業株式会社)に吸収合併<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1998" />。
** 12月15日 - [[東京証券取引所]](東証)2部[[上場]]<ref group="広報" name="tokyu-annual-report-142-2011" />。
* [[1983年]](昭和58年)11月1日 - 東光サービス株式会社を設立<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* [[1987年]](昭和62年)8月1日 - 東証1部指定替え<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* [[1988年]](昭和63年)
** 1月22日 - 株式会社東急フローラ(現・東光グリーン・フーズ)を設立<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
** 5月 - 株式会社マインズを設立<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* [[1997年]]([[平成]]9年)
** 4月 - 宮の森店と北広島店の営業を東急ストアから定鉄商事(札幌東急ストア)へ譲受<ref name="nissyoku-1997-4-21-4A">“定鉄商事、3店舗を相次ぎ開業 札幌ドミナント化に拍車”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1997年4月21日)</ref>。
** 11月13日 - 新業態店「プレッセ」の1号店・美しが丘店開店<ref name="nissyoku-1997-11-19-1c">“東急ストア、新業態高級スーパー「プレッセ・美しが丘店」開店”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1997年11月19日)</ref>。
* [[1998年]](平成10年)
** 4月 - 東急グループの北見バスの経営再建策の一環として北見バス興産を整理し、同社の「北見東急ストア」9店舗のうち5店舗の営業を譲受し<ref name="nissyoku-1998-2-27-1A">“定鉄商事、北見バス興産の5店舗譲受”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1998年2月27日)</ref>、札幌東急ストア(現・東光ストア)とじょうてつ共同出資で(株)北見東急ストアを設立<ref name="nissyoku-1998-3-30-2I">“北見東急ストア新社長に安藤正伸氏”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1998年3月30日)</ref>。
** 4月1日 - (株)定鉄商事が(株)札幌東急ストアに社名変更<ref name="nissyoku-1998-3-27-4C">“定鉄商事、4月から「(株)札幌東急ストア」社名変更に”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1998年3月27日)</ref>。
* [[2003年]](平成15年)1月31日 - 北見東急ストアを解散し、5店全店舗を閉鎖<ref name="nissyoku-2002-10-28-2E" />。
* [[2004年]](平成16年)
** 9月1日 - 神奈川県川崎市川崎区東扇島に常温加工食品用の自社物流センター「一般食品ディストリビューションセンター棟」を開設<ref name="nissyoku-2004-9-1-3a">“東急ストア、東扇島に加工食品の自社DC稼働、物流費を大幅削減へ”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2004年9月1日)</ref>。
** 10月14日 - 札幌東急ストア(現・東光ストア)と商品調達(仕入れ)や物流、人事、システムで業務提携すると発表<ref name="nissyoku-2004-10-18-1F">“札幌東急ストア、東急ストアと業務提携 道内流通3強に対抗”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2004年10月18日)</ref>。
* [[2005年]](平成17年)
** 3月1日 - 札幌東急ストア(現・東光ストア)との連携を強化するためSTSプロジェクトを設置<ref name="nissyoku-2005-3-9-5F">“東急ストア、3月1日付組織変更・人事異動”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2005年3月9日)</ref>。
** 6月10日 - 札幌東急ストア社長に当社出身の加固正好が就任<ref name="nissyoku-2005-4-20-2K">“札幌東急ストア、新社長に加固正好氏”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2005年4月20日)</ref>。
** 11月 - じょうてつが保有する全株式の譲渡を受け、東京急行電鉄が札幌東急ストア(現・東光ストア)の持株比率を61%として子会社化<ref name="nissyoku-2005-11-23-2K">“東京急行電鉄、株式取得で札幌東急ストアを子会社に 北海道のSMテコ入れ”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2005年11月23日)</ref>。
* [[2006年]](平成18年)
* [[2006年]](平成18年)
** 3月 - 札幌東急ストア(現・[[東光ストア]])を連結子会社化。
** 2月 - 札幌東急ストア(現・東光ストア)の株式の50.2%取得して連結子会社化<ref name="nissyoku-2006-6-30-4G">“北海道ライジング特集:トップに聞く=札幌東急ストア・加固正好社長”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2006年6月30日)</ref>
** [[4月1日]] - 東急[[ポイントサービス|ポイントカード]]「TOP&現金専用カード」の取り扱い開始。
** {{要出典範囲|date=2024年9月|[[4月1日]] - 東急[[ポイントサービス|ポイントカード]]「TOP&現金専用カード」の取り扱い開始。}}
** 8月 - サービス介助士を全店に配置。
** {{要出典範囲|date=2024年9月|8月 - サービス介助士を全店に配置。}}
* [[2007年]](平成19年)2月 - 東急百貨店運営の総合スーパー「[[東急バラエティストア]]」の営業権を取得。「[[市が尾駅|市が尾]]東急ストア」として営業を開始。
* [[2007年]](平成19年)2月 - 東急百貨店運営の総合スーパー「[[東急バラエティストア]]」の営業権を取得。「[[市が尾駅|市が尾]]東急ストア」として営業を開始。
* [[2008年]](平成20年)
* [[2008年]](平成20年)
** 4月10日 - 新業態「東急ストアフードステーション」の1号店・西小山店開店。
** 4月10日 - 新業態「東急ストアフードステーション」の1号店・西小山店開店<ref name="nissyoku-2008-4-16-4a">“SM各社、都市型新業態相次ぐ 立地に合わせ店作り”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2008年4月16日)</ref>
** 6月25日 - 上場廃止。
** 6月25日 - 上場廃止。
** 7月1日 - [[簡易株式交換]]により東京急行電鉄の完全子会社となる。
** 7月1日 - [[簡易株式交換]]により東京急行電鉄の完全子会社となる<ref name="nissyoku-2008-6-30-6A">“本紙主催「北海道・21世紀日食フォーラム」開催 札幌東急ストア・加固正好社長が講演”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2008年6月30日)</ref><ref group="広報" name="tokyu-annual-report-142-2011" />
* [[2009年]](平成21年)
* [[2009年]](平成21年)
** 10月 - 札幌東急ストアが株式会社[[アークスグループ|アークス]]の子会社となり、グループから離脱。
** 10月30日 - 札幌東急ストアが株式会社[[アークスグループ|アークス]]の子会社となり、グループから離脱<ref name="nissyoku-2009-11-9-2a" />
* [[2011年]](平成23年)
* [[2011年]](平成23年)
** 3月1日 - 東光ドラッグを合併。
** {{要出典範囲|date=2024年9月|3月1日 - 東光ドラッグを合併。}}
** 5月20日 - 新業態「フレル」の1号店・さぎ沼店開店。
** 5月20日 - 新業態「フレル」の1号店<ref name="nissyoku-2011-3-16-12a" />・さぎ沼店開店<ref name="nissyoku-2011-6-1-22a" />
** 5月27日 - 新業態「フレル」の2号店・ウィズ自由丘店開店。
** {{要出典範囲|date=2024年9月|5月27日 - 新業態「フレル」の2号店・ウィズ自由丘店開店。}}
* [[2020年]]([[令和]]2年)
** 9月1日 - [[楽天ポイント]]サービスを全店舗に導入<ref>{{Cite web|和書|title=東急ストアで楽天ポイントが使える・たまるように 従来ポイントと二重取り可 |url=https://www.bcnretail.com/market/detail/20200817_186776.html |website=BCN+R |access-date=2022-08-07 |language=ja |last=BCN+R}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=東急グループ店舗、「楽天ポイントカード」と「楽天ペイ」を導入へ――楽天と東急でデータマーケティング新会社を設立 |url=https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1274002.html |website=ケータイ Watch |date=2020-08-31 |access-date=2022-08-07 |language=ja |last=株式会社インプレス}}</ref>。
* [[2022年]]([[令和]]4年)
** 3月1日 - 東急ステーションリテールサービスを合併<ref group="広報" name="tokyu-20211227" />。


== 店舗業態 ==
== 店舗業態 ==
=== 食品スーパー ===
[[ファイル:Tokyu Store Mitaka.jpg|thumb|200px|三鷹東急ストア]]
[[ファイル:Tokyu Store Mitaka (New).jpg|thumb|200px|東急ストア三鷹店]]
以下の5種の業態を展開している。出店エリアは首都圏の1都3県([[東京都]]・[[神奈川県]]・[[千葉県]]・[[埼玉県]])と[[静岡県]](東急グループの1つである[[伊豆急行]]沿線地域のみ)。各業態とも東急グループ各線を中心とした[[レールサイド戦略]]による展開(グループ内の[[東急百貨店]]同様)が中心となっており、公式サイトの店舗検索にも「地域別検索」「五十音検索」のほか、「沿線別検索」がある。
[[ファイル:Nakayama Tokyu.jpg|thumb|200px|中山とうきゅう]]
以下の4種の業態を展開している。出店エリアは首都圏の1都3県([[東京都]]・[[神奈川県]]・[[千葉県]]・[[埼玉県]])と[[静岡県]](東急グループの1つである[[伊豆急行]]沿線地域のみ)。各業態とも東急グループ各線を中心とした[[レールサイド戦略]]による展開(グループ内の[[東急百貨店]]同様)が中心となっており、公式サイトの店舗検索にも「地域別検索」「五十音検索」のほか、「沿線別検索」がある。なお、千葉県と埼玉県はにはかつて複数店舗存在したが、現在は1店舗づつである。


各店舗の詳細については公式サイト「[http://www.tokyu-store.co.jp/shop/ 店舗のご案内]」を参照。
各店舗の詳細については公式サイト「店舗のご案内」を参照。


==== 東急ストア ====
;とうきゅう
* 東急ストアの主力業態。[[スーパーマーケット#食品スーパーマーケット|食品スーパーマーケット]]。
:[[総合スーパー|ゼネラルマーチャンダイズストア]](GMS)。東急ストアのノウハウを集約した大型店舗。[[ショッピングセンター]]の核テナントとなっている事例も多い。
: [[食品|食料品]]や[[日用品|日用雑貨]]がメインだが、[[衣類|衣料品]]を取り扱っている店舗も存在する。逆に日用雑貨を取り扱っていない店舗もある。
:現在は14店舗(東京都6店舗・神奈川県7店舗・静岡県各1店舗)を展開する。
: 主に東急沿線の[[駅ナカ]]店舗や、東急グループをはじめとする商業施設の[[キーテナント]]として出店する店舗も多い。
: 消費者の嗜好変化に対応し、後述の高級スーパー「プレッセ」から業態転換した店舗もある。


==== とうきゅう ====
;フレル(fullel)
* [[総合スーパー|ゼネラルマーチャンダイズストア]](GMS)。東急ストアの[[総合スーパー]]業態の大型店舗。
:[[ショッピングセンター]]。東急グループリテール戦略の一環で、東京急行電鉄との連携で既存GMS業態「とうきゅう」からの業態転換で東急ストアを核店舗とする。
:1号店は調布とうきゅう。
:現在はフレルさぎ沼店(神奈川県)、フレル・ウィズ自由が丘店(東京都)の2店舗のみ。いずれも[[PASMO]]・[[Suica]]([[Suicaショッピングサービス]])等の交通系電子マネーが利用可能。


==== プレッセ (Precce) ====
;東急ストア
* 「食の専門館」を標榜する高級志向の食品スーパー<ref name="nissyoku-1997-11-19-1c" />。
:[[スーパーマーケット#食品スーパーマーケット|食品スーパーマーケット]]。東急ストアの主力業態。暮らしの便利を追求し、地域に密着したサービスを提供するスーパーマーケット。[[食品|食料品]]や[[日用品|日用雑貨]]がメインだが、[[衣類|衣料品]]を取り扱っている店舗も存在する。逆に日用雑貨を取り扱っていない店舗もある。消費者の嗜好変化に対応し、後述の「プレッセ」から転換した店舗もある。
: [[シェフ]]が店内で調理する[[総菜]]売り場など、高品質な商品とサービスを提供する<ref name="nissyoku-1997-11-19-1c" />。
:各エリアに計70店舗(東京都39店舗・神奈川県26店舗・千葉県1店舗・埼玉県2店舗・静岡県2店舗)を展開する。うち一部店舗ではPASMO・Suica等の交通系電子マネーが利用可能。
: 店舗名「Precce」の由来は、[[フランス語]]の「preceder」(先行する)からの造語で「先駆ける店」の意<ref group="広報">[https://www.tokyu-store.co.jp/precce/ プレッセ] 東急ストア公式サイト</ref>。
:4店舗のみ。


==== フレル (fullel) ====
;プレッセ(Precce)
: 東急グループリテール戦略の一環で、2011年より展開開始した店舗ブランド。
:ハイレベルな品質とサービスを提供する「食の専門館」を謳う、高級志向の食品スーパー。
: 東京急行電鉄との連携で、既存GMS業態「とうきゅう」からの業態転換により、東急ストアを核店舗とする[[ショッピングセンター]]としたもので2店舗のみ。
:[[田園調布]]店(東急スクエア ガーデンサイト内)、[[中目黒]]店([[中目黒ゲートタウン]]内)、[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]店([[日本橋一丁目ビルディング|コレド日本橋]]内)、[[目黒駅|目黒]]店(JR東急目黒ビル内)、プレミアム東京ミッドタウン店([[東京ミッドタウン]]内)の5店舗のみ。うち一部店舗ではPASMO・Suica等の交通系電子マネーが利用可能。
: [[フレルさぎ沼]]と、ウィズ自由が丘がある。


;東急ストアフードステーション
==== 東急ストアフードステーション ====
:2008年から展開する業態。単身世帯や[[DINKS]]の多い地域特性に合わせ、[[惣菜]]などの[[外食産業#中食・その他|中食]]需要に対応したスーパーマーケット。
: 2008年から展開する業態。
: 単身世帯や[[DINKS]]の多い地域特性に合わせ、[[惣菜]]などの[[中食]]需要に対応したスーパーマーケット。
: 中延店からは[[公共料金]][[ファクタリング#収納代行|収納代行]]などの[[コンビニエンスストア]]と同様のサービスも行っており、コンビニエンスストア等との競合を意識した店舗<ref name="nissyoku-2014-4-11-1">“東急ストア、コンビニ機能付加 小型新業態で多店舗展開へ”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2014年4月11日)</ref>。
:現在は西小山店(東京都)、大倉山店(神奈川県)の2店舗のみ。いずれもPASMO・Suica等の交通系電子マネーが利用可能。
: 2022年4月現在、11店舗のみ<ref group="広報">{{Cite web|和書|title=検索結果一覧 |url=https://www.tokyu-store.co.jp/shop/result.html?cator=8&cmid=602 |website=www.tokyu-store.co.jp |access-date=2022-04-24}}</ref>。


=== 駅売店・コンビニエンスストア ===
== 閉鎖した店舗 ==
2022年3月に[[東急ステーションリテールサービス]]から運営を継承し、社内に設置されたステーションリテール事業室が運営する。
=== とうきゅう ===
==== トークス(toks) ====
* [[北海道]]
{{see also|toks}}
*: かつて直営で3店舗を運営していたが、すべて当時子会社の札幌東急ストアに譲渡。
: 東急線各駅に設置されている売店。[[東急電鉄]]の主要駅などに展開。
** まこまない(現・東光ストア自衛隊駅前店)・宮の森(現・東光ストア宮の森店)・きたひろしま(現・東光ストア北広島店)
* 千葉県
** [[我孫子市|我孫子]] - 跡地には[[ニュー・クイック|富士ガーデン]]我孫子店が営業。
** [[あすみが丘ニュータウン|土気あすみが丘]] - [[東急不動産]]が開発した[[あすみが丘ニュータウン]]([[ワンハンドレッドヒルズ]]など)周辺を商圏とし、2000年10月に複合商業施設「ブランニューモール」の完成と同時に開店。[[東急レクリエーション]]運営のボウリング場やカルチャーセンターが併設されていた。2011年7月31日閉店。ブランニューモール内の一部店舗([[LIXILビバ|ビバホーム]]など)は営業を継続し、1階のとうきゅう跡には[[カスミ|カスミフードスクエア]]が2011年11月に開店。
* 埼玉県
** 和光 - [[サミット (チェーンストア)|サミット]]として営業。
* [[茨城県]]
** [[取手駅|取手]] - 1985年開店。2010年8月31日をもって閉店。1,2階に東急ストア、3階~8階に専門店・飲食店が入るビルであったが、ストア・専門店全てが撤退。これによって一時期空きビルとなり、取手駅前の商業施設は[[駅ビル]]の[[ボックスヒル]]だけが残る形となったが、2012年12月6日に「リボンとりで」としてリニューアルした。キーテナントは[[西友]]である。
* [[福岡県]]
** 筑紫野(ちくしの) - 1994年(平成6年)開店。東急グループの住宅開発の関係で福岡県[[筑紫野市]]にも1店出店していたが、近隣に大型商業施設が相次いで開業した影響で赤字が続いたため、2007年(平成19年)3月で閉店し、九州から撤退することになった。なお、施設自体は[[京都市]]の不動産会社に売却し、2007年(平成19年)10月31日に九州を基盤とする大手スーパー、[[サンリブ]]をキーテナントとする商業施設「筑紫野ベレッサ」として再オープンした。


=== 東急ス ===
==== ローソン・ークス(LAWSON+toks) ====
: [[ローソン]]と東急電鉄の業務提携によって、ローソンの[[フランチャイズ|フランチャイジー]]として営業。一部は「[[ナチュラルローソン]]+toks」として営業。
* 東京都
** 渋谷([[東急文化会館]]内) - 解体。
** 竹の塚([[足立区]][[竹ノ塚|竹の塚]]5丁目7)
** 松が丘([[中野区]][[松が丘]]2丁目) - 閉店後は[[住宅|人家]]。
** [[荻窪 (杉並区)|荻窪]]([[杉並区]][[天沼]]3丁目) - [[オリンピック (企業)|オリンピック]]となったあとに解体されたうえで、2009年現在[[パチンコ店]]・[[ゲームセンター]]などの娯楽総合ビルとなる。
** [[高井戸]](杉並区高井戸西2丁目34) - 閉店後は[[オオゼキ]]。
** [[大森 (大田区)|大森]](大田区大森北) - 初代店→[[アトレ|移転]]→[[東京海上日動火災保険]]の事務所に。
** [[桜堤団地]]([[武蔵野市]]) - [[サンドラッグ]]になった後、取り壊され[[マンション]]となる。
** [[西立川駅|西立川]]([[立川市]]富士見町1丁目35番13号) - [[2004年]](平成16年)[[8月30日]]開店の比較的新しい店舗だったが、[[2009年]](平成21年)[[5月1日]]閉店。- 閉店後は株式会社丸北が生鮮西立川として営業(中規模チェーンのスーパー)。
** [[忠生]]([[町田市]]忠生)、[[2009年]](平成21年)[[7月31日]]閉店。閉店後は[[ウエルシア関東|ウエルシア薬局]]。
** [[北青山|青山]] - 閉店後はオリンピック。
** [[雑色駅|雑色]]([[大田区]]仲六郷3丁目)- 閉店後は[[オーケー|オーケーストア]]。
** [[阿佐谷]]([[杉並区]]阿佐谷北2丁目) - 2010年(平成22年)[[5月10日]]閉店。
** [[一之江駅|一之江]] ([[江戸川区]]) - 2011年7月20日閉店。取り壊されマンションとなる。
** [[武蔵小金井駅|SSC武蔵小金井]]([[小金井市]]) - 2012年5月20日閉店。[[長崎屋]]小金井店に出店。
** [[唐木田]]([[多摩市]]) - 2013年2月25日閉店。
** [[馬込]](大田区) - 2013年8月31日閉店。
* 神奈川県
** 大和([[大和市]]大和東1丁目2) - [[ユザワヤ]]として営業。
** [[鶴見駅|鶴見]]栄町(横浜市鶴見区栄町通2丁目) - 閉店後は[[パシオス]]鶴見栄町店。
** 上大岡([[横浜市]][[港南区]]) - [[1969年]]、[[上大岡駅]]前に建設された商業ビル「上大岡センター」(オサダビル)の地階及び2階に出店。撤退後、[[1980年]]に[[三越|三越エレガンス]]となり、後に三越サンプラザとなる。三越移転後、建物は解体され、跡地に再開発ビル「[[ミオカ|mioka]]」が建設された。
** 金沢文庫(横浜市[[金沢区]]) -[[1968年]]に公団住宅の1,2階部分に開業した[[京急サニーマート]]B棟に出店。 現在は[[京急ストア]]となっている。
** 金沢シーサイド店別館 - 金沢シーサイド店に隣接する商店街に出店していた小規模店で[[文房具]]や[[玩具]]、[[自転車]]を扱っていた。閉店後は[[第一生命保険]]の事務所を経て、現在は空き店舗。
** [[二俣川]](横浜市[[旭区 (横浜市)|旭区]]中沢2丁目1番8号) - 閉店後は[[ファミリーマート]]。
** 白根(横浜市旭区[[中白根]]3丁目) - 閉店後はTESCO白根旭台店([[テスコジャパン]])、[[CFSコーポレーション|ハックドラッグ]]白根旭台店。
** [[東戸塚駅]]西口 - 移転し、モレラ東戸塚店となる。
** [[辻堂]]([[藤沢市]]辻堂1698。住居表示実施後は辻堂二丁目7番1号) - [[1969年]](昭和44年)開店、[[1972年]](昭和47年)増築、[[1978年]](昭和53年)[[5月29日]]に{{PDFlink|[http://www.bousaihaku.com/bousaihaku2/images/exam/pdf/b002.pdf 半焼]}}し、取り壊しの後に再築し再開店。後に閉店し、店舗を取り壊し、湘南パールビルが建てられた。
** つきみ野([[大和市]]つきみ野5丁目16) - 閉店後はマンション。
** 厚木([[厚木市]]) - 閉店後、羽澤屋→[[パルコ|パルコDUE]]→[[シダックス]]→2009年(平成21年)現在は解体され駐車場。
** 毛利台(厚木市毛利台) - 閉店後、いちかわストア( - 2008年9月)→[[テスコジャパン|つるかめ]](2009年2月 - )。


=== 薬局・ドラッグストア ===
* 埼玉県
; 東光ドラッグ
** 草加松原([[草加市]]草加3丁目) - 旧[[忠実屋]]→[[ダイエー]]草加店。2010年現在のダイエー草加店〔ダイエー→[[Dマート]]→ダイエー〕とは別:2007年(平成19年)2月25日閉店、その後は[[サンベルクス|ベルクス]]として営業。
: 自社直営の[[調剤薬局]]。2011年2月までは子会社が運営していた。東林間店(東急ストア内)のみ現存。
** こま武蔵台([[日高市]]武蔵台1丁目23-9) - [[高麗駅|こま武蔵台ニュータウン]]内
; [[マツモトキヨシ]]
* 群馬県
: 旧東急ステーションリテールサービスがフランチャイジーとして運営していたものを継承。主に東急線の駅構内で営業し、全店が調剤薬局機能を持たない物販専門店。
** 太田([[太田市]]浜町) - 閉店後は太田パークレーン。
* 千葉県
** [[誉田駅|誉田]](ほんだ、[[千葉市]][[緑区 (千葉市)|緑区]]誉田3丁目46番地1) - 2008年(平成20年)1月27日閉店。元「ショッピングプラザいまい」の店舗施設を借り受けて営業していたが撤退。同年4月25日よりスーパー「新鮮市場」が入居営業。2009年(平成21年)3月25日より、「[[ナリタヤ|フレッシュなりたや誉田店]]」として営業。
** 小金原([[松戸市]]小金原6丁目5番1号) - [[小金原団地]]開設と同時に開店。2008年(平成20年)5月26日閉店。閉店後は1階[[サンドラッグ]]小金原店・2階[[大創産業|ザ・ダイソー]]松戸小金原店。
** [[増尾駅|増尾]]([[柏市]]加賀3丁目22番10号) - 2003年(平成15年)1月閉店。閉店後はライフケア増尾会堂(葬祭場)。
** [[土気駅]]前 - 2011年8月31日閉店。
** [[布佐駅|布佐]](我孫子市) - 2011年(平成23年)2月28日閉店。閉店後は同年5月20日より[[ランドロームジャパン|ランドローム]]布佐南口店が営業している。
* [[愛知県]]
** にしの台([[知多市]]にしの台2丁目100番6号) - 東急グループ([[東急鯱バス]])の住宅開発の関係などで出店していたが、近隣に大型商業施設([[イトーヨーカドー]]知多店)が開業した影響などで1999年(平成11年)頃閉店。その後建替えられて、[[ヤマナカ]]知多フランテ館が営業している。
** 粕谷台(かすやだい、知多市南粕谷2丁目47番192号) - 東急鯱バスが従業員輸送を行う[[新日鉄名古屋製鉄所]]の従業員向け団地として、[[東急建設]]によって開発された粕谷台団地(南粕谷)に出店していたが、2001年(平成13年)頃に東急ストアの愛知県撤退に伴い閉店した。閉店後はヤマナカ粕谷台店が営業中。店の前には東急鯱バスの乗り場がある。
** 上野台([[東海市]]富木島町上野台地区) - 粕谷台と同じく、新日鉄の従業員向け団地として開発された上野台にも出店していた。2001年(平成13年)8月31日閉店。


=== プレッセ ===
=== 無人販売店舗 ===
; 東急ストア無人決済店舗
* 神奈川県
: 無人決済システムを活用した東急ストアの小型[[無人店舗]]で、主に東急グループの従業員休憩室やオフィスビル内に、2022年2月から出店開始<ref group="広報" name="news20230814">{{Cite web|和書|title=オフィスビル「南町田5丁目ビル」内に無人決済店舗をOPEN |url=https://www.tokyu-store.co.jp/Portals/0/PDF/newsrelease/2023/2023.8.17ttg.pdf |website=www.tokyu-store.co.jp |access-date=2023-08-14}}</ref>。
**美しが丘(横浜市[[青葉区 (横浜市)|青葉区]][[美しが丘 (横浜市)|美しが丘]]4丁目) - 閉店後は[[マンション]]に。
: 2023年8月現在、2店舗を展開。商品供給は近隣の東急ストア店舗が行うため、供給元の店舗が休業の場合は、無人店舗も休業となる<ref group="広報" name="news20230814" />。
* 埼玉県
; Little
**草加店当時は、店舗2階建てで、イトーヨーカドー草加寮前に、店舗があったが、寮は、現在マンションとなっている。(草加市氷川町2141‐8)店舗閉店日2004年8/14日
: [[自動販売機]]集積型の無人店舗で、東急沿線の駅構内空き店舗に<ref group="広報" name="news20230731">{{Cite web|和書|title=『Littleつくし野』がオープン! |url=https://www.tokyu-store.co.jp/Portals/0/PDF/newsrelease/2023/2023.7.31%20Little%20tsukusino.pdf |website=www.tokyu-store.co.jp |access-date=2023-07-31}}</ref>、2023年1月から出店開始<ref group="広報">{{Cite web|和書|title=自動販売機集積型の無人店舗『Little』業態の展開を開始! |url=https://www.tokyu-store.co.jp/Portals/0/PDF/oshirase/oshirase2023/0126%20little.pdf |website=www.tokyu-store.co.jp |access-date=2023-01-26}}</ref>。
<!--
: 2023年8月現在、3店舗を展開<ref group="広報" name="news20230731" />。
===当時のフロア図===
*(開店日1989年5/3日~閉店日2004年8/14日)
*地下1階とうきゅう食品売場・マクドナルド草加氷川店・東光フローラ・銘店(和菓子・菓子店)
*1階日用品・生活雑貨・本
*2階衣料品・寝具・専門店・東光食品・東光食糧草加支社
===当時の店内放送===
*『いらっしゃいませ東急ストア草加店へようこそ』
-->


=== 過去に存在した業態 ===
== TOKYUポイントカード ==
; マインズ
{{see also|東急カード#種類}}
:半径500mを商圏とした売場面積250から500m<sup>2</sup>の小型スーパー。ドミナント戦略を強化するために展開された<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
[[ポイントサービス]]として「TOKYUポイントカード」のサービスを提供している。2006年4月1日開始。現金専用カードの「TOP&現金専用カード」と、[[クレジットカード]]機能の付随した「[[東急カード|TOP&カード]]」がある。
:生鮮食品を新設した加工センターで一括加工で店内での処理廃止して床面積の約80%を売り場とすることや短時間労働者(パート)の比率を高めることで正社員を減らすなどで経費を抑制すると共に、午前10時から午後9時までという当時としては長時間の営業をすることで採算確保を目指す業態であった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
:1987年(昭和62年)8月に第1号店桂台店(売場面積445m<sup>2</sup>)を開店したのを皮切りに多店化を進め、1988年(昭和63年)5月には株式会社マインズとして独立した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。


* 桂台店(1987年(昭和62年)8月開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - 閉店)
前者は発行手数料・年会費無料で、カードの最終利用日から3年間有効(新たな利用があれば有効期間が延長される)。後者は[[東急カード]]の発行する[[クレジットカード]]で、東急ストア以外の利用でもポイントがたまるシステムとなっている。
*:田園都市線青葉台駅西北1.5kmに位置する桂台に開設された第1号店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。1988年(昭和63年)6月に当社から株式会社マインズへ営業譲渡<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* 矢口店(1987年(昭和62年)10月開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - 閉店)
*:1988年(昭和63年)6月に当社から株式会社マインズへ営業譲渡<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* 田奈店(横浜市緑区田奈15-7<ref name="fiber-retail-overview-1986-1198">『全国繊維小売総覧 東日本篇 1986』 東京[[信用交換所]]、1985年11月30日。pp1198</ref>)
*:1988年(昭和63年)2月に全面改装してマインズへ業態転換<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。1988年(昭和63年)6月に当社から株式会社マインズへ営業譲渡<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* 二俣川店([[旭区 (横浜市)|旭区]]中沢2丁目1番8号<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:1988年(昭和63年)2月に全面改装してマインズへ業態転換<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。1988年(昭和63年)6月に当社から株式会社マインズへ営業譲渡<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* 柿の木台店(1988年(昭和63年)5月開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - 閉店)
*:株式会社マインズが開設<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* 荏田南店(1988年(昭和63年)5月開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - 閉店)
*:株式会社マインズが開設<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。


== 過去に存在した店舗 ==
ポイントの付与率に差がある(クレジット機能付きの方が付与率が高い)が、両者とも、月間の利用額に応じてボーナスポイントが付与される。たまったポイントは東急グループの加盟店で利用可能(直接利用またはお買物券に交換して使用)。また、ポイントを[[PASMO]](相互利用可能な[[Suica]]を含む)にチャージすることも可能。
=== 北海道 ===
==== 北海道東急ストア ====
直営で店舗を運営していた時期もあったが、すべて当時子会社の札幌東急ストアに譲渡。
2009年(平成21年)10月30日付けで札幌東急ストアの全株式を[[アークス (北海道の企業)|アークス]]が取得して東急グループを離脱し、同年11月5日に商号を「[[東光ストア]]」へ変更した<ref group="広報" name="arcs-annual-short-report-2010-4-13">『アークス 平成22年2月期 決算短信』 アークス、2010年4月13日。</ref>。
{{See2|当社として営業していない(札幌東急ストアとしてのみ営業された)店舗については[[東光ストア#歴史]]を}}


* 宮の森店(現・東光ストア宮の森店、[[札幌市]]中央区北5条西29丁目<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、1974年(昭和49年)10月13日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - 閉店)
== その他 ==
*:北海道東急ストア1号店として開店した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。1984年(昭和59年)6月に北海道東急ストアから譲り受けて開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。定鉄商事に譲渡され、1997年(平成9年)4月17日に札幌東急ストア宮の森店として新装開店した<ref name="nissyoku-1997-4-21-4A" />。売場面積841m<sup>2</sup><ref name="nissyoku-1997-4-21-4A" />。
* かつて[[文化放送]]で午前11時過ぎに長年に亙り「'''東急ストア ママ大学'''」というタイトルでコーナー提供をしていたが、『[[くにまるワイド ごぜんさま〜]]』の番組途中で終了している。なお、「ママ大学」は[[1975年]]から続いている東急ストア主催の文化講演会のタイトルでもある。
*: 売場面積は約976m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990">『流通会社年鑑 1990年版』 [[日本経済新聞社]]、1990年11月24日。</ref> → 841m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-annual-data-2005-5-19">投資家向け説明会 参考資料 (Report). 東京急行電鉄. (2005年5月19日).</ref>。
* 北広島店(現・東光ストア北広島店、[[札幌郡]][[北広島市|広島町]]、1978年(昭和53年)10月9日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:1984年(昭和59年)6月に北海道東急ストアから譲り受けて開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。定鉄商事に譲渡され、1997年(平成9年)4月25日に札幌東急ストア北広島店として新装開店した<ref name="nissyoku-1997-4-21-4A" />。売場面積4,026m<sup>2</sup><ref name="nissyoku-1997-4-21-4A" />。
*: 売場面積は約4,461m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990" /> → 4,026m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-annual-data-2005-5-19" />。
* 真駒内店(現・東光ストア自衛隊駅前店、札幌市南区澄川3-6<ref name="hokkaido-np-2003-12-30">“お酒で春味わって 7割が九州銘柄 焼酎売り場盛況 札幌のスーパー 自衛隊員に人気”. [[北海道新聞]] (北海道新聞社). (2003年12月30日)</ref>、1976年(昭和51年)1月14日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:売場面積は2,833m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-annual-data-2005-5-19" />。
*:なお「東光ストア真駒内店」はこれとは別の店舗である(地元百貨店「[[丸井今井]]」グループの丸井店舗開発から譲受した店舗で2001年(平成13年)4月17日に開業<ref name="nissyoku-2001-4-25-8B">“札幌東急ストア、丸井店舗開発から継承の3店舗が相次ぎ開店”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2001年4月25日)</ref>)。


==== 北見東急ストア ====
* [[八王子駅]]南口に建設中の[[サザンスカイタワー八王子]]の核店舗テナントとして出店を予定していたが、東急側の都合により[http://hachioji.keizai.biz/headline/303/ 白紙撤回をしている](出店見送り)。なお、同地には[[スーパーアルプス]]が出店した。
東急グループの北見バスの関連会社の北見バス興産が運営していたが、北見バスの経営再建策の一環として同社が整理された<ref name="nissyoku-1998-2-27-1A" />。
その際に、9店舗のうち5店舗の営業は<ref name="nissyoku-1998-2-27-1A" />、札幌東急ストア(現・東光ストア)とじょうてつ共同出資で設立された(株)北見東急ストアが継承した<ref name="nissyoku-1998-3-30-2I" />。
しかし、業績低迷のため、2003年(平成15年)1月31日に北見東急ストアを解散し、5店全店舗が閉鎖となった<ref name="nissyoku-2002-10-28-2E" />。
* 清見店(?開店 - 2003年(平成15年)1月31日閉店<ref name="nissyoku-2002-10-28-2E" />)
*:店舗跡は2003年(平成15年)3月7日に「グリーンキャロット」が開店したが<ref name="hokkaido-np-2003-3-4">“東急ストア継承の「グリーンキャロット」 正社員30人 地元採用 パート90人も再雇用 北見”. [[北海道新聞]] (北海道新聞社). (2003年3月4日)</ref>、グリーンキャロットの破産により2006年(平成18年)10月2日に閉店した<ref name="hokkaido-np-2006-10-3-1">“常連客「突然すぎる」 グリーンキャロット 北見の2店も閉店”. [[北海道新聞]] (北海道新聞社). (2006年10月3日)</ref>。
* きたみ東急店(?開店 - 2003年(平成15年)1月31日閉店<ref name="nissyoku-2002-10-28-2E" />)
* 高栄店(北見市高栄西町<ref name="hokkaido-np-2002-12-28">“東急ストア 継承の方向 再雇用1人でも多く グリーンキャロット 面接始める”. [[北海道新聞]] (北海道新聞社). (2002年12月28日)</ref>、?開店 - 2003年(平成17年)1月31日閉店<ref name="nissyoku-2002-10-28-2E" />)
*:店舗跡は「グリーンキャロット高栄店」が開店したが2003年(平成17年)11月30日に閉店した<ref name="hokkaido-np-2003-11-29">“生鮮食料品量販店「グリーンキャロット」 高栄店あす閉店 市内3店舗化で体質強化 北見”. [[北海道新聞]] (北海道新聞社). (2003年11月29日)</ref>。
* ピアソン通り店(?開店 - 2003年(平成15年)1月31日閉店<ref name="nissyoku-2002-10-28-2E" />)
* わかば店(?開店 - 2003年(平成15年)1月31日閉店<ref name="nissyoku-2002-10-28-2E" />)
*:店舗跡は2003年(平成15年)5月10日に「グリーンキャロットわかば店」が開店したが<ref name="hokkaido-np-2003-5-9">“東急ストアを継承のグリーンキャロット わかば店あす再開”. [[北海道新聞]] (北海道新聞社). (2003年5月9日)</ref>、グリーンキャロットの破産により2006年(平成18年)10月2日に閉店した<ref name="hokkaido-np-2006-10-3-1" />。
==== 東京都 ====
===== 渋谷区 =====
*(初代)渋谷店(1957年(昭和32年)12月開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - 1962年(昭和37年)8月東横百貨店に返還<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:ハチ公の銅像の真下辺りの渋谷地下街への出店で、売場面積は2,340m<sup>2</sup>で地下街全体の60%の面積であった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:百貨店が増床許可を得た際には百貨店に返還するという条件で契約が締結されていた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />ため、[[東急百貨店#渋谷地区|東急百貨店東横店]]食品売場の一部となった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

*(2代目)渋谷店([[渋谷区]]渋谷2丁目21番12号<ref name="fiber-retail-overview-1986-267">『全国繊維小売総覧 東日本篇 1986』 東京[[信用交換所]]、1985年11月30日。pp267</ref>、1961年(昭和36年)2月開店<ref name="fiber-retail-overview-1986-267"/>)
*:売場面積570m<sup>2</sup><ref name="fiber-retail-overview-1986-267"/>。
*:[[東急文化会館]]の地下1階に出店していた<ref name="fiber-retail-overview-1986-267"/>。

* 文化特選街([[渋谷区]]渋谷2丁目21番12号<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、1961年(昭和36年)12月17日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - 閉店)
*: 店舗面積902㎡<ref name="supermarcket-yearbook-1970-235">『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 [[商業界]]、1970年。pp235</ref>
*:[[東急文化会館]]の商業施設の核として、地上階に銀座にある衣料品や雑貨の有名専門店を招致した専門店街形式の店舗「文化特選街」を出店していた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:元々は百貨店の出店が予定されていたが、映画館が大きな面積を占めて本格的な売場づくりが難しくなったため、百貨店法による規制を避けることも兼ねて当社が営業にあたった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:東急文化会館は解体されて地下4階・地上34階建ての[[渋谷ヒカリエ]]が建設され、地下3階から地上5階に東急百貨店が運営するシンクス(ShinQs)が開設されることになった<ref name="nissyoku-2011-12-14-12">“東急百貨店、4月に新型百貨店「シンクス」開店 効率的な店舗モデル構築へ”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2011年12月14日)</ref>。

* 文化店([[渋谷区]]渋谷2丁目21番12号<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156">『流通会社年鑑 1979年版』 [[日本経済新聞社]]、1978年10月20日。 pp156</ref>、1961年(昭和36年)12月17日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - 閉店)
*: 店舗面積588㎡<ref name="supermarcket-yearbook-1970-235" /> → 1,921m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>。
*:[[東急文化会館]]の商業施設の核として、地下に輸入食品や高級洋酒などを扱う文化スーパ—ストア、地上階に銀座にある衣料品や雑貨の有名専門店を招致した専門店街形式の店舗「文化特選街」を出店していた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

===== 港区 =====
* 青山店(港区[[北青山]]3-3-7-B101<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/><ref name="national-foodsuper-list-1973-289">『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 [[食品新聞社]]、1973年1月20日。pp289</ref>、1963年(昭和38年)4月27日開店<ref name="national-foodsuper-list-1973-289"/> - 2010年(平成22年)2月期に閉店<ref name="nikkei-mj-2009-10-7" />)
*:売場面積1,249m<sup>2</sup><ref name="national-foodsuper-list-1973-289"/> → 833m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>。

* [[白金台]]店(2004年(平成16年)9月30日開店<ref name="nissyoku-2004-10-22-3C">“東急ストア、「白金台店」オープン SMで差別化”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2004年10月22日)</ref> - 2014年(平成26年)8月25日閉店)
*:白金台駅から約100mの場所にあるJR目黒駅東口約700mの地上8階建てのビルの1階に出店していた<ref name="nissyoku-2004-10-22-3C" />。
*:売場面積は約740m<sup>2</sup><ref name="nissyoku-2004-10-22-3C" />。
*:店舗跡は[[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]]が、2015年(平成27年)5月29日にプラチナドン・キホーテ白金台店が売場面積約945m<sup>2</sup>で開業した<ref name="nissyoku-2015-6-3-12">板倉千春(2015年6月3日). “ドン・キホーテ、高級DS「白金台店」で実験 都心一等地出店狙う”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社)</ref>。

===== 中央区 =====
* プレッセ[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]店([[日本橋一丁目ビルディング|コレド日本橋]]地下1階、2004年(平成16年)3月30日開店<ref name="nissyoku-2004-4-14-3g">“東急ストア、「プレッセ日本橋店」で仕出し弁当宅配、都心のMSに対応”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2004年4月14日)</ref> - {{要出典範囲|date=2018年8月|2014年(平成26年)3月30日閉店}})
*:売場面積622m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-annual-data-2005-5-19" />。

===== 文京区 =====
* 駕籠町店([[文京区]]西丸町19<ref name="kasen-supermarcket-list-1963-54">『全国スーパーマーケットストア・スーパーチェーン名簿』 [[日本化学繊維協会]]、1963年10月。pp54</ref><ref name="food-industry-yearbook-1964-12-138">『食品工業総合名鑑 1964年版』 [[光琳書院]]、1964年4月28日。pp12-138</ref>、1957年(昭和32年)9月開店<ref name="syogyokai-20years-1967-110">『商業界二十年 日本商業20年譜 1948-1967』 [[商業界]]、1967年。pp110</ref> - 1964年(昭和39年)6月28日閉店<ref name="syogyokai-20years-1967-191">『商業界二十年 : 日本商業20年譜 1948-1967』 [[商業界]]、1967年。pp191</ref>)
*:売場面積304m<sup>2</sup><ref name="food-industry-yearbook-1964-12-138"/>。
*:道路拡幅のために閉店となった<ref name="syogyokai-20years-1967-191"/>。

===== 目黒区 =====
* 鷹番町店([[目黒区]][[鷹番]]2-16-18<ref name="supermarcket-yearbook-1970-223">『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 [[商業界]]、1970年。pp223</ref>、1958年(昭和33年)12月13日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /><ref name="supermarcket-yearbook-1970-223" /> - 1970年(昭和45年)10月31日閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:東横線[[学芸大学駅]]東口の商店街の駅から100mほど入ったところに建設された[[日本住宅公団]]の鉄筋4階建てアパートの1階に、売場面積約462m<sup>2</sup>で出店し、当社としては初めて開業時からセルフサービス方式を導入した店舗だった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。ただし全面的なセルフサービス方式導入は実現せず、一部で対面販売の売り場があった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。高円寺店や三軒茶屋店と共に当社の果物販売直営化1号店となった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:学芸大学駅の東横線高架下に学芸大学店の開設が決定したのを機に閉店した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

* (初代)祐天寺店(目黒区[[祐天寺]]2-13-6<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>、1970年(昭和45年)11月20日開店<ref name="national-foodsuper-list-1973-291">『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 [[食品新聞社]]、1973年1月20日。pp291</ref> - ?閉店)
*:売場面積1,181m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>。
*:2代目祐天寺店(祐天寺東急ストア)が2015年(平成27年)10月21日に売場面積約1,031m<sup>2</sup>で開業した<ref name="nissyoku-2015-11-4-10">山本仁(2015年11月4日). “東急ストア、祐天寺店で最新MD構築 年商26億円超目標”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社)</ref>。
*[[武蔵小山]]パルム店
*:{{要出典範囲|date=2023年4月|元[[阪急共栄ストア]]。老朽化により、2021年5月16日閉店後、解体新築後は2023年春に[[成城石井]]・[[ニトリ|デコホーム]]・[[くら寿司]]。}}

===== 世田谷区 =====
* (初代)三軒茶屋店([[世田谷区]][[太子堂]]2-16-5<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-155">『流通会社年鑑 1979年版』 [[日本経済新聞社]]、1978年10月20日。 pp155</ref>、1964年(昭和39年)7月1日開店<ref name="supermarcket-yearbook-1970-205">『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 [[商業界]]、1970年。pp205</ref> - 1980年(昭和55年)1月閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*: 店舗面積701㎡<ref name="supermarcket-yearbook-1970-205" />
*:1964年(昭和39年)7月に改装。高円寺店や鷹番町店と共に当社の果物販売直営化1号店となった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:1996年(平成8年)11月20日に三軒茶屋・太子堂4丁目地区市街地再開発ビル[[キャロットタワー]]の核店舗として(2代目)「三軒茶屋とうきゅう」が開店<ref name="nissyoku-1996-11-15-4C">“東急ストア、「三軒茶屋とうきゅう」20日開店”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1996年11月15日)</ref>。

* 二子玉川店(世田谷区[[玉川 (世田谷区)|玉川]]2-22-13<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-155"/><ref name="fiber-retail-overview-1986-267"/>。、1970年(昭和45年)11月開店<ref name="fiber-retail-overview-1986-267"/>。 - [[2000年代]]後半に閉店)
*:売場面積1,648m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-155"/>。
*: {{要出典範囲|date=2023年4月|[[東急玉川線]][[二子玉川駅#歴史|二子玉川園駅]](1969年(昭和44年)5月11日廃止)の跡地に出店。[[二子玉川駅]]前にはのちに高級スーパー「プレッセ」も出店した。ともに二子玉川駅前[[再開発事業]]に伴い閉店、店舗は撤去された。}}
*: {{要出典範囲|date=2023年4月|[[二子玉川ライズ]]開業に伴い「東急ストア二子玉川ライズ店」として再出店。}}
*: {{要出典範囲|date=2023年4月|[[駅ナカ]]小型店舗「東急ストア フードステーションミニ 二子玉川駅構内店」も二子玉川駅構内に出店している。}}
* 芦花公園店(世田谷区、1965年(昭和40年)7月開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - 1969年(昭和44年)1月31日閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)

===== 品川区 =====
* 武蔵小山店([[品川区]][[武蔵小山|小山]]3-22-3<ref name="fiber-retail-overview-1986-268">『全国繊維小売総覧 東日本篇 1986』 東京[[信用交換所]]、1985年11月30日。pp268</ref>、1980年(昭和55年)8月開店<ref name="fiber-retail-overview-1986-268"/> - {{要出典範囲|date=2016年1月|2014年(平成26年)[[2月3日]]閉店}})
*:売場面積927m<sup>2</sup><ref name="fiber-retail-overview-1986-268"/>。
*:{{要出典範囲|date=2023年4月|跡地はオオゼキ(2015年3月開店)}}
*:2003年(平成15年)6月12日開業のパルム武蔵小山店<ref name="nissyoku-2003-6-20-3D">“東急ストア、「パルム武蔵小山店」オープン、個食化対応でバラ売り”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2003年6月20日)</ref>と2010年(平成22年)9月17日開業の武蔵小山駅ビル店<ref name="nissyoku-2010-9-22-4">“オープン情報=東急ストア「武蔵小山駅ビル東急ストア」”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2010年9月22日)</ref>は存続。

* 荏原店(品川区中延4-1420<ref name="food-industry-yearbook-1964-12-138"/>、1960年(昭和35年)4月6日開店<ref name="supermarcket-yearbook-1970-195">『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 [[商業界]]、1970年。pp195</ref> - 1970年(昭和45年)9月閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*: 店舗面積532㎡<ref name="supermarcket-yearbook-1970-195" />

===== 大田区 =====
* 久が原店([[大田区]][[久が原]]2-15-6<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>、?開店 - 1980年(昭和55年)12月31日閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:売場面積896m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-annual-data-2005-5-19" />。

* (初代)大森店(大田区[[大森 (大田区)|大森北]]1-5-1-101<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-155"/>、1929年(昭和4年)2月開店<ref name="japan-department-yearbook-1938-546">『日本百貨店年鑑 昭和13年版』 [[日本百貨店通信社]]、1938年。 pp546</ref> - 1984年(昭和59年)8月31日閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*: 店舗面積1,828㎡<ref name="supermarcket-yearbook-1970-197">『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 [[商業界]]、1970年。pp197</ref>
*:元[[白木屋 (デパート)|白木屋]]大森分店として開店した店舗で、1956年(昭和31年)6月施行の第2次百貨店法による規制を避けるため白木興業として分離独立した後、1957年(昭和32年)4月1日に合併により当社の店舗となった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:1984年(昭和59年)9月14日に<ref name="distribution-&-systems-1985-3-68">関川ひとみ “わが国最大級のJAN・POSスタート 東急ストア・大森店のシステムを探る”. 流通とシステム 1985年春季特大号 ([[流通システム開発センター]]) (1985年3月).pp68</ref>大森駅ビルプリモ(後の[[アトレ]])へ2代目大森店が開設されたため閉店した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:{{要出典範囲|date=2023年4月|店舗跡は[[東京海上日動火災保険]]の事務所になった。}}

* 馬込店(大田区南馬込5-27-14<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>、1976年(昭和51年)6月開店<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1998" /> - {{要出典範囲|date=2017年2月|2013年(平成25年)8月31日閉店}})
*:売場面積628m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>。

* 矢口店(大田区矢口3-28-7<ref group="広報" name="tokyu-store-annual-report-2004-5">『東急ストア第65期事業報告書』 東急ストア、2004年5月。</ref> 東急ドエルアルス多摩川1階、?開店 - {{要出典範囲|date=2018年8月|2014年(平成26年)3月27日閉店}})
*:売場面積537m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-annual-data-2005-5-19" />。

* [[雑色駅|雑色]]店(大田区[[仲六郷]]3丁目8-9<ref name="national-shopping-town-map-1995">『週刊東洋経済 臨時増刊 全国都市再開発マップ 1992年版』 [[東洋経済新報社]]、1995年5月24日。</ref>、1993年(平成5年)10月開店<ref name="national-shopping-town-map-1995" /> - 2003年(平成15年)閉店)
*:「雑色石田ビル」に出店していた<ref name="national-shopping-town-map-1995" />。
*:売場面積は2,880m<sup>2</sup><ref name="national-shopping-town-map-1995" />。
*:閉店後は「雑色石田ビル」には[[オーケー]]仲六郷店が出店した<ref name="national-big-store-list-japan-2008">『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2008年版』 [[東洋経済新報社]]、2008年。</ref>。

===== 中野区 =====
* 松が丘店([[中野区]][[松が丘 (中野区)|松が丘]]2-11-8<ref name="fiber-retail-overview-1986-267"/>、1976年(昭和51年)6月開店<ref name="fiber-retail-overview-1986-267"/>。 - ?閉店)
*:売場面積687m<sup>2</sup><ref name="fiber-retail-overview-1986-267"/>。

* 中野店(中野区[[中野 (中野区)|中野]]4丁目3番地1号<ref name="kaihatsu-orai-1995-3-29">“完成した東京・中野4丁目東地区市街地再開発事業を語る なかのサンクォーレ”. 開発往来 1995年3月号 ([[開発行政懇話会]]) (1995年3月1日).pp29</ref>、1994年(平成6年)11月開店<ref name="national-big-store-list-japan-2008" /> - {{要出典範囲|date=2018年8月|2014年(平成26年)6月16日閉店}})
*:敷地面積8,158.74m<sup>2</sup><ref name="kaihatsu-orai-1995-3-29"/><ref name="uraja-1998-3-29">野久保洋 “「なかのサンクォーレ」 中野四丁目東地区第一種市街地再開発事業”. 再開発コーディネーター 第72号 ([[再開発コーディネーター協会]] (1998年3月15日).pp29</ref>、鉄骨鉄筋コンクリート造一部鉄骨造地下4階地上26階建て塔屋1階<ref name="kaihatsu-orai-1995-3-29"/>、延べ床面積64,059.116m<sup>2</sup><ref name="kaihatsu-orai-1995-3-29"/>(店舗11,185.64m<sup>2</sup><ref name="kaihatsu-orai-1995-3-29"/>)、
*:中野四丁目東地区第一種市街地再開発事業で建設されたなかのサンクオーレの核店舗として店舗部分の約9割を使って出店していた<ref name="uraja-1998-3-29"/>。
*:店舗跡には[[イトーヨーカ堂|食品館イトーヨーカドー]]中野店が<ref name="nissyoku-2014-9-24-4">“オープン情報=イトーヨーカ堂「食品館イトーヨーカドー中野店」”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2014年9月24日)</ref>、2014年(平成26年)10月3日に開業した<ref name="nissyoku-2014-10-22-10">“都市型SM最大規模「食品館イトーヨーカドー中野店」 即食コーナーに初挑戦”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2014年10月22日)</ref>。{{要出典範囲|date=2023年4月|2020年6月1日に[[ヨーク (小売業)|ヨーク]]に譲渡され、「ヨークフーズ中野店」に屋号変更。}}

===== 杉並区 =====
* [[荻窪 (杉並区)|荻窪]]店([[杉並区]][[天沼 (杉並区)|天沼]]3-2-7<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1976-121">『流通会社年鑑 1976年版』 [[日本経済新聞社]]、1975年11月13日。 pp121</ref>、1959年(昭和34年)11月28日開店<ref name="supermarcket-yearbook-1970-197" /><ref name="syogyokai-20years-1967-136">『商業界二十年 日本商業20年譜 1948-1967』 [[商業界]]、1967年10月17日。pp136</ref> - ?閉店)
*: 店舗面積1,445㎡<ref name="supermarcket-yearbook-1970-197" />
*:中央線沿線への多店舗展開の中核として位置づけられていた各階660m<sup>2</sup>の4階建ての店舗で、当社としては初めて全品セルフサービス方式を導入した店舗だった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。3階の一部と4階全体を日本生命に賃貸して開業したが、1966年(昭和41年)11月に当社としては初めてのエス力レーターを荻窪店に設置して全館を売場とする形などの改装を行って増床した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

* 高井戸店(杉並区[[高井戸|高井戸西]]2丁目3-45、1977年(昭和52年)11月開店<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1998" /> - 2000年(平成12年)3月閉店)
*:売場面積は1,640m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1998" />。
*:{{要出典範囲|date=2023年4月|跡地はオオゼキ(2000年(平成12年)5月開店)}}

* (初代)阿佐谷店([[杉並区]][[阿佐谷]]1-836<ref name="food-industry-yearbook-1964-12-138"/>、1961年(昭和36年)10月20日開店<ref name="food-industry-yearbook-1964-12-138"/><ref name="syogyokai-20years-1967-159">『商業界二十年 日本商業20年譜 1948-1967』 [[商業界]]、1967年。pp159</ref> - 1970年(昭和45年)8月閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:売場面積628m<sup>2</sup><ref name="food-industry-yearbook-1964-12-138"/>。
*:1966年(昭和41年)12月に当社で初めて果物を自社で販売した生鮮食料品直営化の第1号店であった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

* (2代目)阿佐谷店([[杉並区]][[阿佐谷|阿佐谷北]]2丁目13-2<ref group="広報" name="tokyu-store-annual-report-2004-5">『東急ストア第65期事業報告書』 東急ストア、2004年5月。</ref>、1988年(昭和63年)11月開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />- {{要出典範囲|date=2018年8月|2010年(平成22年)[[5月10日]]閉店}})
*:中央線阿佐ケ谷駅前に出店していた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:売場面積は994m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-annual-data-2005-5-19" />。
*:{{要出典範囲|date=2023年4月|店舗跡には[[イトーヨーカ堂]]が都市型食品スーパーマーケットの1号店として「食品館イトーヨーカドー阿佐谷店」を2010年(平成22年)10月1日に開業した。2020年6月1日に[[ヨーク (小売業)|ヨーク]]に譲渡され、「ヨークフーズ中野店」に屋号変更。}}

===== 板橋区 =====
* 大谷口店([[板橋区]]大谷口北町49<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>、?開店 - 1979年(昭和54年)12月閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:売場面積740m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-annual-data-2005-5-19" />。

===== 練馬区 =====
* 練馬中村橋店([[練馬区]]中村北2-3-3<ref name="nissyoku-2012-6-20-4">“オープン情報=ライフコーポレーション「ライフ練馬中村北店」”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2012年6月20日)</ref>、?開店 - ?閉店)
*:店舗跡には[[ライフコーポレーション|ライフ]]練馬中村北店が<ref name="taihan-news-2012-7-5-10">“ライフ練馬中村北店 東京都練馬区 「練馬中村橋東急ストア」跡地”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2012年7月5日)</ref>2012年(平成24年)6月20日に開店した<ref name="nissyoku-2012-6-27-16">“ライフコーポレーション、都心小型店開発へ 絞込み・生鮮強化”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2012年6月27日)</ref>。

===== 墨田区 =====
* [[錦糸町]]店([[墨田区]]太平4丁目1-5<ref name="nissyoku-2014-4-9-10">“オープン情報=カスミ「フードスクエアカスミオリナス錦糸町店」”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2014年4月9日)</ref> [[オリナス|オリナスコア]]内、2006年(平成18年)4月19日開店<ref name="taihan-news-2006-5-29-12">“錦糸町東急ストア 4月19日(水)オープン 東京都墨田区”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2006年5月29日)</ref> - [[2014年]](平成26年)1月10日閉店<ref name="nissyoku-2014-1-15-14" />)
*:店舗跡は[[カスミ]]が<ref name="nissyoku-2014-1-15-14" />2014年(平成26年)4月1日にフードスクエアカスミ オリナス錦糸町店を出店した<ref name="nissyoku-2014-4-9-10" />。

===== 江戸川区 =====
* [[一之江]]店 ([[江戸川区]]一之江6-9-47<ref group="広報" name="tokyu-store-annual-report-2004-5" />、1997年(平成9年)4月23日開店<ref name="nissyoku-1997-4-30-5A">“東急ストア、「一之江東急ストア」開店 こだわり商品で“らしさ”訴求”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1997年4月30日)</ref> - 2011年(平成23年)7月20日閉店)
*:1階に約470坪の食品売場、2階に衣料品とドラッグストア的な売り場を配置した約970坪の店舗だった<ref name="nissyoku-1997-4-30-5A" />。
*:{{要出典範囲|date=2024年12月|店舗跡地はマンション「ザ・パークハウス一之江」。}}

===== 足立区 =====
* 梅島店([[足立区]]梅田7-34-12<ref name="fiber-retail-overview-1986-266">『全国繊維小売総覧 東日本篇 1986』 東京[[信用交換所]]、1985年11月30日。pp266</ref>、1976年(昭和51年)1月28日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - 閉店)
*:「山田ビル」に出店していた<ref name="national-shopping-town-map-1995" />。
*:売場面積2,092m<sup>2</sup><ref name="fiber-retail-overview-1986-266"/>。
*:閉店後は「山田ビル」にはココスナカムラ梅島店が出店した<ref name="national-big-store-list-japan-2008" />。

* 竹の塚店([[足立区]][[竹ノ塚|竹の塚]]5-7<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1976-121"/>、1970年(昭和45年)6月開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - ?閉店)
*:売場面積3,199m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1976-122">『流通会社年鑑 1976年版』 [[日本経済新聞社]]、1975年11月13日。 pp122</ref>。
*:建物は地上5階地下3階建ての古庄ビルに出店していた<ref name="nissyoku-1996-7-26-4f">“生鮮館核に「竹の塚ジョイプラザ」リフレッシュ開店 外食分野も激戦様相”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1996年7月26日)</ref>。
*:店舗跡は改装されて1996年(平成8年)にサンドラッグや肉のオオクボと青果のベスト、鮮魚の魚力で構成された「パワーズ生鮮館」、酒DSサリといった各分野のディスカウントストアを集めた[[パワーセンター]]型の商業施設「竹の塚ジョイプラザ」となった<ref name="nissyoku-1996-7-26-4f" />。

===== 武蔵野市 =====
* 武蔵境店([[武蔵野市]][[武蔵境駅|境]]5-25-14<ref name="fiber-retail-overview-1986-268"/><ref name="supermarcket-yearbook-1970-238">『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 [[商業界]]、1970年。pp238</ref>、1959年(昭和34年)3月27日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /><ref name="supermarcket-yearbook-1970-238" /> - ?閉店)
*:売場面積698m<sup>2</sup><ref name="fiber-retail-overview-1986-268"/>。
*:当社初の本格的なスーパーマーケットとして、[[日本住宅公団]][[桜堤団地]]内に開店した鉄骨造り1階建ての店舗だった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:当店で展開された省力化などの近代化策は当社の経営合理化審議会で検討が重ねられて他の店舗へ展開された<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

* (初代)三鷹店(武蔵野市中町1-3068<ref name="food-industry-yearbook-1964-12-139">『食品工業総合名鑑 1964年版』 [[光琳書院]]、1964年4月28日。pp12-139</ref>、1960年(昭和35年)4月27日開店<ref name="food-industry-yearbook-1964-12-139"/> - [[2023年]](令和5年)[[6月9日]]閉店<ref group="広報" name="prt2023-06-09">{{Cite web|和書 |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000045.000081528.html |title=6月14日(水)、東急ストア三鷹店OPEN! |publisher=東急ストア |date=2023-06-09 |accessdate=2024-09-10}}</ref>)
*:売場面積581m<sup>2</sup><ref name="food-industry-yearbook-1964-12-139"/>。
*:「シティハウス武蔵野」内の(2代目)三鷹店開店に伴って、移転する形で閉店となった<ref group="広報" name="prt2023-06-09"/>。

===== 立川市 =====
* 西立川店([[立川市]]富士見町<ref name="nissyoku-2004-9-10-3d">“東急ストア、西立川店オープン、新店初のポイントカード、曜日セール導入”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2004年9月10日)</ref> 1丁目35番13号、[[2004年]](平成16年)[[8月30日]]開店<ref name="nissyoku-2004-9-10-3d" /> - [[2009年]](平成21年)[[5月1日]]閉店)
*:[[西立川駅]]南口の15階建てのマンションの1階に出店していた。売場面積は690m<sup>2</sup><ref name="nissyoku-2004-9-10-3d" />。

===== 八王子市 =====
* みなみ野店([[八王子市]][[みなみ野]]1-3-1、[[1997年]](平成9年)開店 - [[2002年]](平成14年)5月閉店<ref name="tokyu-store-h15">「東急ストア 平成15年2月期中間決算短信(連結)」</ref>)
*:[[八王子みなみ野駅]]西口の駅前暫定施設「トワみなみ野」に出店していた小規模店舗。売場面積は369m<sup>2</sup><ref name="tokyu-store-h15" />。
*:「トワみなみ野」の解体後、2011年4月27日に[[DCMホーマック]]八王子みなみ野店<ref group="広報">[http://www.homac.co.jp/shop_detail/id=19 DCMホーマック 八王子みなみ野店]{{出典無効|date=2024-09-09 |title=店舗跡への出店との記述が無い為、この記述の出典とすることはできません。}}</ref>が開店した<ref>{{Cite web|和書|title=4/27【開店】ホーマックスーパーデポ八王子みなみ野店|url=https://kaiten-heiten.com/homac-superdepo-hachiouji/|website=開店閉店.com|date=2011-04-27|accessdate=2020-05-22|language=ja|last=|publisher=}}{{出典無効|date=2023-10-07 |title=「開店閉店.com」は個人サイトの為、Wikipediaの出典とすることはできません。}}</ref>。

===== 町田市 =====
* 忠生店([[町田市]][[忠生]]3-1-12<ref name="food-retaling-1992-12-44">“東急ストア忠生店(1490m²、16億円)GMSの周辺固める生鮮、日配68%の近隣型SM”. 食品商業 1992年12月号 ([[商業界]]) (1992年12月).pp44-45</ref>、1989年(平成元年)10月31日開店<ref name="food-retaling-1992-12-44"/> - {{要出典範囲|date=2018年8月|[[2009年]](平成21年)[[7月31日]]閉店}})
*:売場面積は1,490m<sup>2</sup><ref name="food-retaling-1992-12-44"/>。
*:店舗跡は[[ウエルシア薬局|ウエルシア]]町田忠生店<ref group="広報">[http://www.itabashigumi.co.jp/2010/04/post_61.html (仮称)ウエルシア薬局町田忠生店改装工事](株)板橋組{{リンク切れ|date=2024年9月}}</ref>が出店(2012年11月30日閉店<ref>{{Cite web|和書|title=11/30【閉店】ウエルシア 町田忠生店|url=https://kaiten-heiten.com/welcia-kanto-machidatadao/|website=開店閉店.com|date=2012-11-29|accessdate=2020-05-22|language=ja|last=|publisher=}}</ref>{{出典無効|date=2023-10-07 |title=「開店閉店.com」は個人サイトの為、Wikipediaの出典とすることはできません。}})。その後、2017年7月20日に生鮮マーケット トーセー町田店<ref group="広報">[http://www.tousei-sy.com/shop/ 株式会社東清実業]{{リンク切れ|date=2024年9月}}</ref>が出店<ref>{{Cite web|和書|title=町田街道 下根岸交差点の黒潮市場跡に「生鮮マーケット トーセー町田店」オープン|url=https://kawariyuku-machida.com/article/450774664.html|website=変わりゆく町田の街並み<地域情報サイト>|accessdate=2020-05-22|language=ja|publisher=|date=2017-07-22}}{{出典無効|date=2024-09-09 |title=「変わりゆく町田の街並み」は個人サイトの為、Wikipediaの出典とすることはできません。}}</ref>(2019年6月5日閉店<ref>{{Cite web|和書|title=下根岸バス停前の「生鮮マーケット トーセー町田店」営業再開から2ヶ月で休業に|url=https://kawariyuku-machida.com/article/22369.html|website=変わりゆく町田の街並み<地域情報サイト>|accessdate=2020-05-22|language=ja|publisher=|date=2019-06-07}}{{出典無効|date=2024-09-09 |title=「変わりゆく町田の街並み」は個人サイトの為、Wikipediaの出典とすることはできません。}}</ref>)、2017年10月12日に[[ツルハ|ビッグダウン]]町田忠生店([[ディスカウントストア|ディスカウント]][[ドラッグストア]])<ref group="広報">[http://www.tsuruha.co.jp/shop/?cm=v&id=1869 町田忠生店] ツルハドラッグ{{出典無効|date=2024-09-09 |title=店舗跡へ出店したことの記載がない為、この記述の出典とすることはできません。}}</ref>が出店<ref>{{Cite web|和書|title=町田街道に、ツルハのディスカウントドラッグ「ビッグダウン町田忠生店」10/12open!|url=https://kawariyuku-machida.com/article/453281640.html|website=変わりゆく町田の街並み<地域情報サイト>|accessdate=2020-05-22|language=ja|publisher=|date=2017-10-11}}{{出典無効|date=2024-09-09 |title=「変わりゆく町田の街並み」は個人サイトの為、Wikipediaの出典とすることはできません。}}</ref>(2019年5月16日、[[ツルハ|ツルハドラッグ]]町田忠生店に業態変更<ref group="広報">{{Cite web|和書|title=ビッグダウン町田忠生店は、ツルハドラッグ町田忠生店に変わりました!|お知らせ|url=https://www.tsuruha.co.jp/news/?cm=v&id=2724|website=ツルハドラッグ|accessdate=2020-05-22|publisher=|date=2019年05月16日}}{{出典無効|date=2024-09-09 |title=リンクのページに当該記載がない為、Wikipediaの出典とすることはできません。}}</ref>)。

===== 小金井市 =====
* SSC武蔵小金井店([[小金井市]]本町5-11-2<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-155"/>、1971年(昭和46年)10月29日開店<ref name="japan-comerce-yearbook-1972-564">『日本商業年鑑 1972年版』 [[商業界]]、1972年5月20日。 pp564</ref> - {{要出典範囲|date=2018年8月|2012年(平成24年)5月20日閉店}})
*:売場面積1,919m<sup>2</sup><ref name="japan-comerce-yearbook-1972-564"/>。
*:[[武蔵小金井駅]]北口の[[過去に存在した長崎屋の店舗#東京都|長崎屋小金井店]](現在の[[ドン・キホーテ (企業)|MEGAドン・キホーテ]]武蔵小金井駅前店)の地下1階に出店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。売場面積は1,462m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990" />。
*:店舗跡には、[[くまざわ書店]]武蔵小金井北口店が入居<ref group="広報">[http://www.kumabook.net/pages/body4.html くまざわ書店]{{リンク切れ|date=2024年9月}}</ref>。

* 唐木田店([[多摩市]][[唐木田]]1-1-7>『東急ストア第65期事業報告書』 東急ストア、2004年5月。1993年(平成5年)4月18日開店<ref name="nissyoku-1993-4-14-4b">“東急ストア、4月18日に85店舗目「唐木田東急ストア」オープン 寿司など強化”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1993年4月14日)</ref> - {{要出典範囲|date=2018年8月|2013年(平成25年)2月25日閉店}})
*:[[唐木田駅]]前のマンション「プラザ唐木田」1階に出店していた。売場面積は1,144m<sup>2</sup><ref name="nissyoku-1993-4-14-4b" />。
*:店舗跡の一部には2013年7月10日<ref group="広報">{{Cite web|和書|title=7月10日、ファミリーマート唐木田駅前店がオープン致します。|url=https://www.facebook.com/ikeeifoods/posts/549656911737249|website=池栄フーズ株式会社 公式Facebook|accessdate=2020-05-22|language=ja|publisher=[[Facebook]]|date=2013-07-02}}</ref>にファミリーマート唐木田駅前店<ref>[http://as.chizumaru.com/famima/detailMap?account=famima&bid=21862 ファミリーマート唐木田駅前店]}{{出典無効|date=2024-09-09 |title=リンクのページに店舗跡への記載がない為、Wikipediaの出典とすることはできません。}}</ref>が開店し、{{要出典範囲|date=2024年9月|残りの部分には}}2015年(平成27年)7月23日に[[マルエツ]]唐木田駅前店(売場面積は748m<sup>2</sup>)が開店した<ref name="nissyoku-2015-7-29-4-2">“オープン情報=マルエツ「マルエツ唐木田駅前店」”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2015年7月29日)</ref><ref>{{Cite web|和書|title=15/7/23【開店】マルエツ唐木田駅前店|url=https://kaiten-heiten.com/maruetsu-karakidaekimae/|website=開店閉店.com|date=2015-07-23|accessdate=2020-05-22|language=ja|last=|publisher=}}{{出典無効|date=2023-10-07 |title=「開店閉店.com」は個人サイトの為、Wikipediaの出典とすることはできません。}}</ref>。

===== 青梅市 =====
[[ファイル:Ome_KabeTown_Building_2.JPG|thumb|right|河辺とうきゅう([[河辺タウンビル]]A棟)]]
* 河辺とうきゅう([[青梅市]][[河辺町]]10-7-1<ref name=":2" />、2007年(平成19年)4月20日開店 - 2019年(平成31年)4月30日閉店<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=イオンスタイル河辺/「河辺とうきゅう」跡地3カ月で居抜き出店|url=https://www.ryutsuu.biz/report/l080945.html|website=流通ニュース|accessdate=2020-05-22|last=|publisher=株式会社ロジスティクス・パートナー|date=2019年08月09日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【閉店】河辺とうきゅう|url=https://kaiten-heiten.com/kawabe-tokyu/|website=開店閉店.com|date=2019-03-02|accessdate=2020-05-22|language=ja|last=|publisher=}}</ref>{{出典無効|date=2023-10-07 |title=「開店閉店.com」は個人サイトの為、Wikipediaの出典とすることはできません。}})
*:[[河辺駅]]前の[[都市再開発|再開発]]ビル「[[河辺タウンビル]]」A棟に出店していた<ref name=":0" />。駅前再開発によりビル完成時に出店。
*:店舗跡には2019年8月9日に[[イオン (店舗ブランド)|イオンスタイル]]河辺<ref name=":2">{{Cite web|和書|title=イオンスタイル河辺 {{!}} お買物情報やお得なチラシなど|url=https://www.aeon.com/store/イオン/イオンスタイル河辺|website=イオンスタイル河辺|accessdate=2020-05-22}}</ref>が出店<ref name=":0" /><ref name=":1">{{Cite web|和書|title=わずか約3カ月!スピード居抜き出店したイオンスタイル河辺の革新性!|url=https://diamond-rm.net/store/39023/|website=小売・流通業界で働く人の情報サイト ダイヤモンド・チェーンストアオンライン|date=2019-08-13|accessdate=2020-05-22|language=ja|publisher=[[ダイヤモンド社]]}}</ref>。河辺とうきゅうに出店していたテナントは、1階フードコートの[[ミスタードーナツ]]河辺とうきゅうショップ<ref>{{Cite web|和書|title=ミスタードーナツ 河辺とうきゅうショップ (河辺/ドーナツ)|url=https://tabelog.com/tokyo/A1330/A133003/13177830/|website=食べログ|accessdate=2020-05-22|language=ja|publisher=}}</ref>が同年1月15日<ref>{{Cite web|和書|title=【閉店】ミスタードーナツ 河辺とうきゅうショップ|url=https://kaiten-heiten.com/misterdonut-kawabe-tokyu/|website=開店閉店.com|date=2018-12-30|accessdate=2020-05-22|language=ja|last=|publisher=}}</ref>{{出典無効|date=2023-10-07 |title=「開店閉店.com」は個人サイトの為、Wikipediaの出典とすることはできません。}}、3階の[[パシオス]]河辺店が同年5月12日に閉店<ref>{{Cite web|和書|title=5/12(日)パシオス河辺店 閉店のお知らせ|url=http://www.paseos.co.jp/news/2019051233606.html|website=パシオス – Paseos website –|accessdate=2020-05-22|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【閉店】パシオス 河辺店|url=https://kaiten-heiten.com/paseos-kawabe/|website=開店閉店.com|date=2019-05-15|accessdate=2020-05-22|language=ja|last=|publisher=}}</ref>{{出典無効|date=2023-10-07 |title=「開店閉店.com」は個人サイトの為、Wikipediaの出典とすることはできません。}}。4階の[[大創産業|ダイソー]]、1階食品フロアの[[サンジェルマン (製パン)|サンジェルマン]]、[[文明堂東京|文明堂]]、[[伊藤園]]はイオンスタイル河辺に引き継がれた<ref name=":1" />。河辺とうきゅうの撤退後、地元からの強い要望で3か月での居抜き出店となったことから<ref name=":0" />、店舗設備は河辺とうきゅうの什器・備品の多くを引き継ぎ<ref name=":0" /><ref name=":1" />、[[非常勤|パート]]従業員約40名も河辺とうきゅうからイオンスタイル河辺へ転職した<ref name=":0" /><ref name=":1" />。

==== 神奈川県 ====
===== 横浜市 =====
====== 鶴見区 ======
* 鶴見店([[佃野町]]23-35<ref name="fiber-retail-overview-1986-1197">『全国繊維小売総覧 東日本篇 1986』 東京[[信用交換所]]、1985年11月30日。pp1197</ref>(旧・鶴見町字佃屋687<ref name="japan-comerce-yearbook-1972-558">『日本商業年鑑 1972年版』 [[商業界]]、1972年5月20日。pp558</ref>)、1970年(昭和45年)12月11日開店<ref name="japan-comerce-yearbook-1972-558"/> - ?閉店)
*:売場面積2,117m<sup>2</sup><ref name="japan-comerce-yearbook-1972-558"/>。
*:長崎屋サンショッピングセンターへ出店していた<ref name="japan-comerce-yearbook-1972-558"/>。

* 鶴見栄町店([[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]栄町通<ref name="nissyoku-2004-3-26-3B">“東急ストア、新オープンの「鶴見栄町店」で初のオール電化店”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2004年3月26日)</ref> 2丁目、2004年(平成16年)2月26日開店<ref name="nissyoku-2004-3-26-3B" /> - 2009年4月閉店)
*:鶴見駅・京急鶴見駅から約1.3kmの工場や住宅が混在する郊外に立地していた<ref name="nissyoku-2004-3-26-3B" />。売場面積約980m<sup>2</sup>の店舗であった<ref name="nissyoku-2004-3-26-3B" />。

====== 緑区 ======
* 元石川店(美しが丘3-35-1<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>(旧・元石川町字金井塚2923<ref name="supermarcket-yearbook-1970-266">『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 [[商業界]]、1970年。pp266</ref><ref name="national-foodsuper-list-1973-313">『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 [[食品新聞社]]、1973年1月20日。pp313</ref>)、1967年(昭和42年)5月19日開店<ref name="national-foodsuper-list-1973-313"/> - 1979年(昭和54年)3月閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*: 売場面積268m<sup>2</sup><ref name="supermarcket-yearbook-1970-266" /><ref name="national-foodsuper-list-1973-313"/>
*:開設時から鮮魚や青果の直営での販売が行われた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

====== 港北区 ======
* (初代)綱島店 → 綱島駅前店<ref name="nissyoku-2004-11-19-3C">“東急ストア、「綱島東急ストア」開店 近隣店と機能分担へ”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2004年11月19日)</ref> ([[綱島|綱島西]]1-1-8<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>(旧・南綱島町713<ref name="national-foodsuper-list-1973-313"/>)、1963年(昭和38年)1月29日開店<ref name="national-foodsuper-list-1973-313"/> - 2016年(平成28年)1月8日閉店<ref name="daily-industrial-np-2016-1-15">“東急ストアが東急東横線「綱島駅」に冷蔵ロッカー設置”. [[日刊工業新聞]] (日刊工業新聞社). (2016年1月15日)</ref>)
*: 売場面積約496m<sup>2</sup><ref name="national-foodsuper-list-1973-313"/> → 約384m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>。
*: 東急東横線綱島駅南口に直結しており<ref name="nissyoku-2004-11-19-3C" />、1977年(昭和52年)9月9日に改装して新装開店した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*: 2004年(平成16年)10月28日に(2代目)綱島店が綱島駅から北約200mの綱島街道沿いの綱島東に開店した<ref name="nissyoku-2004-11-19-3C" />。
*: (2代目)綱島店の開店後は簡便食材や日用品に品揃えを集中すると共に24時間営業することで役割分担を目指した<ref name="nissyoku-2004-11-19-3C" />。
*: 閉店後の2016年(平成28年)1月12日に<ref name="nikkei-np-2016-1-12">“ネットスーパー商品を駅ロッカーで受け取り 東急電鉄が実証”. [[日本経済新聞]](日本経済新聞社). (2016年1月12日)</ref>綱島駅構内に東急ストアネットスーパー購入商品受取用冷蔵ロッカーを設置した<ref name="daily-industrial-np-2016-1-15" />。

====== 港南区 ======
* 上大岡店([[港南区]]上大岡町266<ref name="shopping-center-list-1976-198">『ショッピングセンター名鑑 1976年度版』 [[日本ショッピングセンター協会]]、1976年4月30日。pp198</ref>、1969年(昭和44年)10月3日開店<ref name="shopping-center-list-1976-198"/><ref name="supermarcket-yearbook-1970-244">『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 [[商業界]]、1970年。pp244</ref> - 1980年(昭和55年)1月31日閉店<ref name="shopping-center-1982-7-40">“その2 上大岡三越サンプラザ(キーテナントの入れ替え)”. ショッピングセンター 1982年7月号 ([[日本ショッピングセンター協会]]) (1982年7月1日).pp40</ref>)
*: 敷地面積約2,780.9m<sup>2</sup><ref name="shopping-center-list-1976-198"/>、鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建て<ref name="shopping-center-list-1976-198"/>、延べ床面積約16,010.14m<sup>2</sup><ref name="shopping-center-list-1976-198"/>、店舗面積約8,453.7m<sup>2</sup><ref name="shopping-center-list-1976-198"/>(直営店舗面積約2,911.2m<sup>2</sup><ref name="shopping-center-list-1976-198"/>)、駐車台数約40台<ref name="shopping-center-list-1976-198"/>。
: 売場面積2,295m<sup>2</sup><ref name="supermarcket-yearbook-1970-244" /> → 3,199m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1976-122"/>。
*:[[上大岡駅]]前に建設された商業ビル「上大岡センター」の地下1階から地上2階までに核店舗として出店していた<ref name="specialty-store-collaboration-1970-196">清水滋 『専門店の協業化戦略』 [[ビジネス社]]、1970年1月25日。pp196</ref>。
*:店舗跡は[[1980年]](昭和55年)5月1日に「上大岡三越サンプラザ」として新装開店し<ref name="shopping-center-1982-7-40"/>、[[三越|三越エレガンス]]が核店舗として出店した<ref name="shopping-center-1982-7-39">“その2 上大岡三越サンプラザ(キーテナントの入れ替え)”. ショッピングセンター 1982年7月号 ([[日本ショッピングセンター協会]]) (1982年7月1日).pp39</ref>。{{要出典範囲|date=2018年8月|三越移転後、建物は解体され、跡地に再開発ビル「[[ミオカ|mioka]]」が建設された}}。

====== 金沢区 ======
* 金沢八景店([[金沢区]]泥亀1-25-2-A<ref name="shopping-center-list-1988-566">『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 [[日本ショッピングセンター協会]]、1988年12月27日。pp566</ref>、[[1968年]](昭和43年)[[10月1日]]開店<ref name="shopping-center-list-1988-566"/> - ?閉店)
*: 敷地面積約12,364m<sup>2</sup><ref name="shopping-center-list-1988-566"/>、鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建て塔屋2階<ref name="shopping-center-list-1988-566"/>、延べ床面積約11,674m<sup>2</sup><ref name="shopping-center-list-1988-566"/>、店舗面積約6,123m<sup>2</sup><ref name="shopping-center-list-1988-566"/>(直営約店舗面積1,662m<sup>2</sup><ref name="shopping-center-list-1988-566"/>)、駐車台数約200台<ref name="shopping-center-list-1988-566"/>。
{{要出典範囲|date=2018年8月|[[1968年]]に公団住宅の1,2階部分に開業した[[京急サニーマート]]B棟に出店。 現在は[[京急ストア]]となっている}}。

* 金沢シーサイド店(金沢区並木1丁目17番地<ref name="fiber-retail-overview-1986-1197"/>、[[1982年]](昭和57年)6月開店<ref name="fiber-retail-overview-1986-1197"/> - 2014年(平成26年)1月20日閉店<ref name="town-news-2013-11-14">“並木の東急ストアが閉店”. タウンニュース 金沢区 ([[タウンニュース社]]). (2013年11月14日)</ref>)
*:1970年代に埋立地に造成されたマンションが多数ある金沢シーサイドタウンのショッピングセンター「金沢センターシーサイド」内に出店していたが、近くに進出したビアレヨコハマなどとの競合や住民の高齢化による需要縮小などで客足が減り、ショッピングセンターに同居するセンターシーサイド名店会も物販系の小売店が減少するなどして環境が悪化したため閉店することになった<ref name="town-news-2013-11-14" />。
*: 売場面積385m<sup>2</sup><ref name="fiber-retail-overview-1986-1197"/> → 2,879m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990" /><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1998" />。
* {{要出典範囲|date=2018年8月|金沢シーサイド店別館(金沢区、?開店 - ?閉店)}}

====== 磯子区 ======
* 杉田店([[磯子区]][[杉田 (横浜市)|杉田]]1-17-1<ref name="uraja-1996-5-16">山田隆 “「プララ杉田」 杉田駅東口地区第一種市街地再開発事業”. 再開発コーディネーター 第66号 ([[再開発コーディネーター協会]] (1996年5月).pp16</ref>、[[1993年]](平成5年)4月開店<ref name="uraja-1996-5-11">山田隆 “「プララ杉田」 杉田駅東口地区第一種市街地再開発事業”. 再開発コーディネーター 第66号 ([[再開発コーディネーター協会]] (1996年5月).pp11</ref>)
*:鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上12階建て塔屋1階<ref name="uraja-1996-5-13">山田隆 “「プララ杉田」 杉田駅東口地区第一種市街地再開発事業”. 再開発コーディネーター 第66号 ([[再開発コーディネーター協会]] (1996年5月).pp13</ref>、延べ床面積約26,573m<sup>2</sup><ref name="uraja-1996-5-13"/>、店舗面積約5,500m<sup>2</sup><ref name="sogoshokuhin-1989-1-55">“ストアニュース”. 総合食品 1989年1月号 ([[総合食品研究所]]) (1989年1月).pp55</ref>。
*:杉田駅東口地区第一種市街地再開発事業で建設された「プララ杉田」の核店舗として出店していた<ref name="uraja-1996-5-17">山田隆 “「プララ杉田」 杉田駅東口地区第一種市街地再開発事業”. 再開発コーディネーター 第66号 ([[再開発コーディネーター協会]] (1996年5月).pp17</ref>。

====== 青葉区 ======
* 青葉台店(緑区青葉台1-9<ref name="japan-staff-record-2-1970-to157">『日本職員録 第13版 中』 [[人事興信所]]、1970年11月18日。ppと157</ref>、1966年(昭和41年)8月20日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - 1967年(昭和42年)1月18日閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:青葉台駅前に建設された青葉台サービスセンター内の264m<sup>2</sup>を賃借して出店していたが、1967年(昭和42年)1月18日に閉店した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。同年7月には東横百貨店(現・東急百貨店)との共同出資によって設立した東光ホームマートと東光フードマートが出店した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />

====== 旭区 ======
* [[二俣川]]店([[旭区 (横浜市)|旭区]]中沢2丁目1番8号<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、1966年(昭和41年)9月21日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - 2007年(平成19年)閉店)
*:敷地面積694m<sup>2</sup><ref name="town-development-50history-1973-218">『街づくり五十年』 [[東急不動産]]、1973年12月17日。 pp218</ref>、延べ床面積182m<sup>2</sup><ref name="town-development-50history-1973-218"/>、売場面積139m<sup>2</sup><ref name="town-development-50history-1973-218"/> → 220m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-annual-data-2005-5-19" />。
*:東急グループの不動産開発の一環で東光ストア二俣川ニュータウン店として開業した<ref name="town-development-50history-1973-218"/>。
*:1988年(昭和63年)2月に設備や什器を一新してミニスーパーマインズへの業態転換<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

* 白根店(旭区中白根3-1-1<ref group="広報" name="tokyu-store-annual-report-2004-5" />(旧・白根町字拾六町歩1028-24<ref name="fiber-retail-overview-1986-1198"/>)、1978年(昭和53年)12月20日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> -{{要出典範囲|date=2018年8月| 2009年(平成21年)1月閉店}})
*:売場面積は1,289m<sup>2</sup><ref name="fiber-retail-overview-1986-1198"/>。
*:{{要出典範囲|date=2024年9月|店舗跡はTESCO白根旭台店([[イオンエブリ|テスコジャパン]])、[[CFSコーポレーション|ハックドラッグ]]白根旭台店。→ビッグ・エー 横浜中白根店およびファミリーマート 中白根店}}

====== 戸塚区 ======
* [[東戸塚駅]]西口店 - 移転し、2009年(平成21年)3月31日にモレラ東戸塚店が開店した<ref name="nissyoku-2009-4-8-4-2">“東急ストア、初の環境配慮型店に挑戦「モレラ東戸塚東急ストア」 電気12%削減など”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2009年4月8日)</ref>。
* プレッセ美しが丘(横浜市[[青葉区 (横浜市)|青葉区]][[美しが丘 (横浜市)|美しが丘]]4丁目9-1<ref name="nikkei-commerce-yearbook-2003">{{Cite | coauthors = | title = 流通会社年鑑 2003年版 | publisher = [[日本経済新聞社]] | date = 2002-12-20 | pages = 279-282 | isbn = }}</ref>、1997年(平成9年)11月13日開店<ref name="nissyoku-1997-11-19-1c" /> - 2009年(平成21年)5月7日閉店)
*:シェフが店内で調理する総菜売り場などこだわり商品に特化した高級スーパーとして開店した<ref name="nissyoku-1999-2-5-3b">“東急ストア「プレッセ美しが丘店」開店1年、こだわり特化で固定客”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1999年2月5日)</ref>。
*:売場面積は1,023m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-annual-data-2005-5-19" />。

===== 川崎市 =====
* (初代)溝の口店(高津区[[溝ノ口]]字南耕地304<ref name="supermarcket-yearbook-1970-266" />、1965年(昭和40年)11月20日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /><ref name="supermarcket-yearbook-1970-266" /> - 1971年(昭和46年)12月閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*: 売場面積は1,332m<sup>2</sup><ref name="supermarcket-yearbook-1970-266" />

* (2代目)溝の口店(高津区溝ノ口414<ref name="japan-comerce-yearbook-1972-558"/>、1970年(昭和45年)10月31日開店<ref name="japan-comerce-yearbook-1972-558"/> - 1979年(昭和54年)7月閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:売場面積1,572m<sup>2</sup><ref name="japan-comerce-yearbook-1972-558"/>。
*:長崎屋サンショッビングセンターへ出店していたが、長崎屋が食品売り場の直営化のため返還を求められたため閉店した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:1989年(平成元年)6月に (3代目)溝の口店が開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。[[溝の口駅]]直結の店舗となり、24時間営業となった。

* 向ヶ丘遊園店([[多摩区]][[登戸 (川崎市)|登戸]]2130番地2<ref group="広報" name="mukogaoka2008">[https://www.tokyu-store.co.jp/Portals/0/PDF/newsrelease/2008/2008.10.29mukougaoka.pdf 「向ヶ丘遊園東急ストア」のオープンについて]東急ストア(2008年10月29日)</ref>、2008年(平成20年)11月6日開店<ref group="広報" name="mukogaoka2008" /> - 2023年(令和5年)5月31日閉店)
*: 売り場面積は693m<sup>2</sup><ref group="広報" name="mukogaoka2008" />
*: [[向ヶ丘遊園駅]]北口の高層マンション「アトラスタワー向ヶ丘遊園」の1階に出店<ref group="広報" name="mukogaoka2008" />。

===== 綾瀬市 =====
* かしわ台店([[綾瀬市]]寺尾北1丁目10番18号<ref name="fiber-retail-overview-1986-1198"/>、1975年(昭和50年)11月28日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - 2002年(平成14年)6月閉店<ref name="tokyu-store-h15" />)
*:売場面積1,147m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>。

===== 厚木市 =====
* 厚木店([[厚木市]]中町2-10-21<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-155"/>、1971年(昭和46年)5月2日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - {{要出典範囲|date=2018年8月|1992年閉店}})
*:売場面積4,311m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-155"/>。
*:呉服店羽根澤屋が一番街通り商店街に建設した鉄骨鉄筋地下1階5階建てのビルの地下1階から地上5階まで5,387m<sup>2</sup>に出店していた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:20年の借地契約の延長を行わずに閉店し、店舗跡を改装して「厚木パルコ2」が開店した<ref name="shopping-center-1994-5-13">“日本のSC 厚木パルコ”. ショッピングセンター 1994年5月号 ([[日本ショッピングセンター協会]]) (1994年5月1日).pp13</ref>。

* 毛利台店(厚木市毛利台1丁目25番1号<ref name="fiber-retail-overview-1986-1199">『全国繊維小売総覧 東日本篇 1986』 東京[[信用交換所]]、1985年11月30日。pp1199</ref>、1977年(昭和52年)6月3日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - ?閉店)
*:売場面積は685m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1998" />。

===== 藤沢市 =====
* 辻堂店([[藤沢市]][[辻堂 (藤沢市)|辻堂]]1698<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1976-121"/>、住居表示実施後は辻堂二丁目7番1号。 [[1969年]](昭和44年)11月開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - [[1972年]](昭和47年)増築 - 1978年(昭和53年)5月29日火災で閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:売場面積は2,487m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1976-122"/>。
*:[[1978年]](昭和53年)[[5月29日]]に4階の日用雑貨玄関マット売場付近から火災が発生して顧客が死亡する火災事故が発生して同日閉店となった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*{{要出典範囲|date=2024年9月|2018年8月取り壊しの後に再築し再開店。後に閉店し、店舗を取り壊し、湘南パールビルが建てられた。}}

===== 大和市 =====
* 大和店([[大和市]]大和東1丁目2番1号<ref name="japan-comerce-yearbook-1972-572">『日本商業年鑑 1972年版』 [[商業界]]、1972年5月20日。pp572</ref>、1971年(昭和46年)10月23日開店<ref name="japan-comerce-yearbook-1972-572"/> - 1993年(平成5年)閉店<ref name="capital-comerce-map-1995">東洋経済新報社,社会調査研究所共同編集 『東洋経済臨時増刊 首都圏商業地図マップ』 [[東洋経済新報社]]、1995年5月24日。</ref>)
*:敷地面積約1,730m<sup>2</sup><ref name="japan-comerce-yearbook-1972-572"/>、鉄筋コンクリート造地下2階地上5階建て塔屋2階<ref name="japan-comerce-yearbook-1972-572"/>、延べ床面積約8,491m<sup>2</sup><ref name="japan-comerce-yearbook-1972-572"/>、店舗面積約5,064m<sup>2</sup><ref name="japan-comerce-yearbook-1972-572"/>、駐車台数約32台<ref name="japan-comerce-yearbook-1972-572"/>。
*:当社のショッビングセンター第4号店として大和駅前にあった地下1階から地上5階まで全館を利用して出店した店舗で売場面積4,099m<sup>2</sup>の店舗であった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

* つきみ野店([[大和市]][[つきみ野]]5丁目16番1号<ref name="fiber-retail-overview-1986-1198"/>、1979年(昭和54年)9月開店<ref name="fiber-retail-overview-1986-1199"/> - 2001年(平成13年)12月31日閉店)
*:[[つきみ野駅]]前に出店していた店舗で、売場面積は923m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1998" />。
*:店舗は取り壊され、跡地はマンション「リーデンススクエアつきみ野ソレイユコート」が建設された<ref>[http://www.homes.co.jp/archive/b-32709686/]HOME'S</ref>。

===== 相模原市 =====
* 橋本店([[相模原市|相模原市緑区]]橋本5丁目1番<ref group="広報" name="tokyu-store-annual-report-2004-5" />、2003年(平成15年)5月29日<ref name="nissyoku-2003-6-6-3C">“東急ストア、「橋本東急ストア」開店、生鮮の調理加工を強化、健食コーナー導入”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2003年6月6日)</ref> - {{要出典範囲|date=2018年8月|2014年(平成26年)1月31日閉店}})
*:複合商業施設「ラ・フロール」の核店舗として出店していた総合スーパー<ref name="nissyoku-2003-6-6-3C" />。

===== 伊勢原市 =====
* 伊勢原店(伊勢原市桜台1丁目3番3号<ref name="fiber-retail-overview-1986-1198"/>、1976年(昭和51年)11月23日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - {{要出典範囲|date=2018年8月|2016年(平成28年)1月31日閉店}})
*:売場面積は、開業時点では6,250m<sup>2</sup>で、1979年(昭和54年)11月に増床後は9,135m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:[[伊勢原駅]]前に、地下1階・地上5階建て売場面積6,250m<sup>2</sup>で開業し、1979年(昭和54年)11月に隣接地を取得して売場面積9,135m<sup>2</sup>へ増床した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:店舗跡には、2016年(平成28年)6月29日に複合商業施設「いせはらcoma」が開業した<ref>[https://www.ryutsuu.biz/topix/i062910.html 小田急伊勢原駅/複合商業施設「いせはらcoma」オープン]流通ニュース</ref><ref>[http://iseharacoma.com いせはらcoma]</ref>。

==== 埼玉県 ====
* 狭山店([[狭山市]]大字月見野571<ref name="supermarcket-yearbook-1969-153">『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 [[商業界]]、19694年。pp153</ref>、1966年(昭和41年)9月19日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /><ref name="supermarcket-yearbook-1969-153" /> - 1978年(昭和53年)12月閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:敷地面積859m<sup>2</sup><ref name="town-development-50history-1973-218"/>、延べ床面積182m<sup>2</sup><ref name="town-development-50history-1973-218"/>、売場面積139m<sup>2</sup><ref name="town-development-50history-1973-218"/> → 508m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1998" />。
*:東急グループの不動産開発の一環で東光ストア狭山若葉台店として開業した<ref name="town-development-50history-1973-218"/>。

* こま川店([[入間郡]]日高町大字下鹿山字高根527<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>(現・[[日高市]])、1972年(昭和47年)10月31日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - ?閉店)
*:売場面積506m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>。

* こま武蔵台店(日高市武蔵台1丁目23番9号<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、1978年(昭和53年)4月開店<ref name="kawagoe-cbd-plan-2009-6">『川越市中心市街地活性化基本計画 平成21年6月30日認定 平成22年3月23日変更 平成23年3月31日変更 平成24年3月29日変更 平成25年3月29日変更』 川越市、2013年3月29日。</ref> - 2008年(平成20年)4月閉店<ref name="yomiuri-np-2009-6-12">古沢由紀子、前田利親、田中洋史、斎藤圭史、宮木優美 (2009年6月12日). “買い物難民(3)免許返納 自転車が足”. [[読売新聞]] (読売新聞社)</ref>)
**:売場面積は699m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-annual-data-2005-5-19" />。
*:[[高麗駅|こま武蔵台ニュータウン]](閉店前後の人口は約2200戸、6000人)内唯一のスーパーだったが、車で5分ほどの場所にも競合店が出店するなどして不採算となったため閉店した<ref name="yomiuri-np-2009-6-12" />。

* 和光店([[和光市]]本町31番1号<ref name="fiber-retail-overview-1986-1008">『全国繊維小売総覧 東日本篇 1986』 東京[[信用交換所]]、1985年11月30日。pp1008</ref>、1983年(昭和58年)4月15日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />- ?閉店)
*:売場面積3,862m<sup>2</sup><ref name="fiber-retail-overview-1986-1008"/>。 {{要出典範囲|date=2016年4月|[[サミット (チェーンストア)|サミット]]として営業}}。
* {{要出典範囲|date=2018年8月|草加店([[草加市]]、?開店 - ?閉店)}}
*:{{要出典範囲|date=2018年8月|当時は、店舗2階建てで、イトーヨーカドー草加寮前に、店舗があったが、寮は、現在マンションとなっている。(草加市氷川町2141‐8)店舗閉店日2004年8月14日}}

* 草加松原店([[草加市]]草加3丁目9-13<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、?開店 - ?閉店)
*:売場面積2,329m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-annual-data-2005-5-19" />。

* 上尾店([[上尾市]]大字小敷谷卞大久保880番地<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-155"/>、1968年(昭和43年)2月3日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - {{要出典範囲|date=2018年8月|2014年(平成26年)[[5月9日]]閉店}})
*:売場面積は1,451m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-155"/>。

==== 千葉県 ====
===== 千葉市 =====
* 土気駅前店(千葉市緑区あすみが丘1-20-4<ref group="広報" name="tokyu-store-annual-report-2004-5" />(旧・千葉市土気町1758-18<ref name="revolution-in-retailing-1991-2-84">前田吉治 “オープンモールSCのモデル(?)あすみが丘バーズモール”. 販売革新 1991年2月号 ([[アール・アイ・シー]]) (1991年2月).pp84-87</ref>)、1989年(平成元年)4月25日開店<ref name="revolution-in-retailing-1991-2-84"/> - {{要出典範囲|date=2018年8月|2011年(平成23年)8月31日閉店}})
*:売場面積は1,495m<sup>2</sup><ref name="revolution-in-retailing-1991-2-84"/>、駐車台数約214台<ref name="revolution-in-retailing-1991-2-84"/>。
*:[[土気駅]]前に1989年(平成元年)に開業したショッビングセンター「バーズモール」へ出店していた<ref name="samejima-machinami-49-2004-3" />。

* 土気あすみが丘店(千葉市緑区あすみが丘7丁目1番地<ref name="nissyoku-2000-10-6-3G">“オープン情報=東急ストア”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2000年10月6日) </ref>、2000年(平成12年)10月6日開店<ref name="nissyoku-2000-10-6-3G" /> - {{要出典範囲|date=2018年8月|2011年(平成23年)7月31日閉店}})
*:延べ床面積約35,166m<sup>2</sup><ref name="1to10ken-1999-6-60">“流通ニュース”. いっとじゅっけん 1999年6月号 ([[経済産業調査会]]) (1999年6月).pp60-61</ref>、売場面積12,355m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-annual-data-2005-5-19" />。

*:あすみが丘ニュータウン中心部に2000年(平成12年)10月6日に開業した<ref name="nissyoku-2000-10-6-3G" />ショッビングセンター「プランニューモール」<ref name="samejima-machinami-49-2004-3" />の核店舗として出店していた総合スーパーである<ref name="nissyoku-2000-10-6-3G" />。売場面積12,355m<sup>2</sup><ref name="nissyoku-2000-10-6-3G" />。[[東急レクリエーション]]運営のボウリング場やカルチャーセンターが併設されていた。ブランニューモール内の一部店舗([[ビバホーム]]など)は営業を継続し、{{要出典範囲|date=2018年8月|1階のとうきゅう跡には[[カスミ|カスミフードスクエア]]が2011年11月に開店}}。

* 誉田店(ほんだ、[[千葉市]][[緑区 (千葉市)|緑区]][[誉田駅|誉田]]3丁目46番地1<ref group="広報" name="tokyu-store-annual-report-2004-5" />、 - {{要出典範囲|date=2018年8月|2008年(平成20年)1月27日閉店}})
*:売場面積は1,173m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-annual-data-2005-5-19" />。
===== 市川市 =====
* (初代)本八幡店([[市川市]]、 - 1971年(昭和46年)12月閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:近くに開設された長崎屋サンショッビングセンターへの出店に伴い閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* (2代目)本八幡店(市川市南八幡4丁目9番1号<ref name="japan-comerce-yearbook-1972-558">『日本商業年鑑 1972年版』 [[商業界]]、1972年5月20日。pp558</ref>、1970年(昭和45年)10月29日開店<ref name="japan-comerce-yearbook-1972-558"/> - 1979年(昭和54年)7月閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:売場面積1,889m<sup>2</sup><ref name="japan-comerce-yearbook-1972-558"/>。
*:長崎屋サンショッビングセンターへ出店していたが、長崎屋が食品売り場の直営化のため返還を求められたため閉店した<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

===== 松戸市 =====
* 小金原店([[松戸市]]小金原6丁目5番1号<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-155"/>、1969年(昭和44年)5月開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1998" /> - 2008年(平成20年)5月26日閉店)
*: {{要出典範囲|date=2018年8月|[[小金原団地]]開設と同時に開店}}。1977年(昭和52年)7月2階部分を増築<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:売場面積約1,116m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-155"/> → 1,697m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
===== 柏市 =====
* 南柏店([[柏市]]新宿字堤下51<ref name="supermarcket-yearbook-1970-187">『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 [[商業界]]、1970年。pp187</ref>、1966年(昭和41年)9月23日開店<ref name="supermarcket-yearbook-1970-187" /> - 1979年(昭和54年)8月閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:敷地面積595m<sup>2</sup><ref name="town-development-50history-1973-218"/>、延べ床面積182m<sup>2</sup><ref name="town-development-50history-1973-218"/>、売場面積139m<sup>2</sup><ref name="town-development-50history-1973-218"/> → 268m<sup>2</sup><ref name="supermarcket-yearbook-1970-187" />。
*:東急グループの不動産開発の一環で東光ストア南柏つくしが丘店として開業した<ref name="town-development-50history-1973-218"/>。

* 北柏店([[柏市]]花野井字尾井戸1811<ref name="fiber-retail-overview-1986-1100">『全国繊維小売総覧 東日本篇 1986』 東京[[信用交換所]]、1985年11月30日。pp1100</ref>、1982年(昭和57年)11月開店<ref name="fiber-retail-overview-1986-1100"/> - ?閉店)
*:売場面積799m<sup>2</sup><ref name="fiber-retail-overview-1986-1100"/>。

* [[増尾駅|増尾]]店(柏市加賀3丁目22番10号<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>、1984年(昭和59年)4月6日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /><ref name="supermarcket-yearbook-1970-187" /> - {{要出典範囲|date=2018年8月|2003年(平成15年)1月閉店}}。
*: 店舗面積405㎡<ref name="supermarcket-yearbook-1970-187" />
===== 我孫子市 =====
* 我孫子店([[我孫子市]][[つくし野 (我孫子市)|つくし野]]3丁目822番5号<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、1977年(昭和52年)7月21日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /><ref name="shopping-center-list-1988-388">『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 [[日本ショッピングセンター協会]]、1988年12月27日。pp388</ref> - ?閉店)
*:敷地面積約63,000m<sup>2</sup><ref name="shopping-center-list-1988-388"/>、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上11階建て<ref name="shopping-center-list-1988-388"/>、延べ床面積約10,000m<sup>2</sup><ref name="shopping-center-list-1988-388"/>、店舗面積約3,045m<sup>2</sup><ref name="shopping-center-list-1988-388"/>(当社店舗面積約1,387m<sup>2</sup><ref name="shopping-center-list-1988-388"/> → 1,450m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989"/>)、駐車台数約28台<ref name="shopping-center-list-1988-388"/>。
* 布佐店(我孫子市布佐平和台1丁目2番1号<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、1988年(昭和63年)4月開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990" /> - {{要出典範囲|date=2018年8月|2011年(平成23年)2月28日閉店)}}
*:鉄骨造地上2階建て<ref name="shopping-center-1987-6-78">“届出情報”. ショッピングセンター 1987年6月号 ([[日本ショッピングセンター協会]]) (1987年6月1日).pp78</ref>、延べ床面積約2,600<sup>2</sup><ref name="shopping-center-1987-6-78"/>、売場面積1,618m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、駐車台数約200台<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:成田線[[布佐駅]]前の<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />[[平和不動産]]の布佐平和台ショッピングセンターに<ref name="shopping-center-1987-6-78"/>食品主体の店舗として出店していた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

==== 茨城県 ====
* 水戸店(水戸市[[南町 (水戸市)|南町]]3丁目6番33号<ref name="japan-comerce-yearbook-1972-555">『日本商業年鑑 1972年版』 [[商業界]]、1972年5月20日。pp555</ref>、1971年(昭和46年)5月30日開店<ref name="japan-comerce-yearbook-1972-555"/> - 1980年(昭和55年)9月15日閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:敷地面積約4,516m<sup>2</sup><ref name="japan-comerce-yearbook-1972-555"/>、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上8階建て塔屋2階<ref name="japan-comerce-yearbook-1972-555"/>、延べ床面積約15,845m<sup>2</sup><ref name="japan-comerce-yearbook-1972-555"/>、店舗面積約10,087m<sup>2</sup><ref name="japan-comerce-yearbook-1972-555"/>(当社店舗面積約1,387m<sup>2</sup><ref name="japan-comerce-yearbook-1972-555"/>)。
*:地下1階地上8階建ての全館を使って出店していた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* 取手店([[取手市]]新町1丁目9番1号<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、1985年(昭和60年)10月6日開店<ref name="Elevator-kai-1986-1-41">花岡和幸 “取手駅西口再開発ビルの昇降機設備”. エレベータ界 1986年1月号 ([[日本エレベータ協会]]) (1986年1月).pp42</ref> - 2010年(平成22年)8月31日閉店<ref name="asahi-np-2012-12-5">“茨城・取手駅前ビルが再オープン 6日、西友など出店”. [[朝日新聞]](朝日新聞社). (2012年12月5日)</ref>)
*:敷地面積約4,695.49m<sup>2</sup><ref name="Elevator-kai-1986-1-41"/>、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上9階建て<ref name="Elevator-kai-1986-1-41"/>、延べ床面積約27,567.11m<sup>2</sup><ref name="Elevator-kai-1986-1-41"/>、売り場面積約12,000m<sup>2</sup><ref name="mainichi-np-2009-7-16" />、駐車台数約1,000台<ref name="Elevator-kai-1986-1-41"/>。
*:常磐線[[取手駅]]西口駅第1種市街地再開発事業で建設された取手駅西口再開発ビルの<ref name="Elevator-kai-1986-1-41"/>ほぼ全館を使用し<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、売り場面積約12,000m<sup>2</sup>に食料品から服飾・雑貨まで幅広く扱う総合的な品ぞろえをして<ref name="mainichi-np-2009-7-16" />、開業当初は年商100億円を突破していた大型店舗であった<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:周辺の地域に競合する大型店舗の出店が相次いで競合が激化した上、つくばエクスプレスが開業して取手駅の利用客が減少するなど集客力が低下して収益の見通しが立たないとして閉店することになった<ref name="mainichi-np-2009-7-16">“東急ストア取手店:来年8月をめどに閉鎖 TX開業で利用客減少”. [[毎日新聞]] (毎日新聞本社). 2009年7月16日)</ref>。
*:閉店に伴い専門店を含めて閉鎖されて一時期空きビルとなり、取手駅前の商業施設は[[駅ビル]]の[[ボックスヒル]]だけが残る形となったが、2012年12月6日に「リボンとりで」としてリニューアルした<ref name="asahi-np-2012-12-5" />。1階が[[西友]]、2階はダイソーなど、3階はドラッグストアやファッション関連店、4階は全フロアが宮脇書店である<ref name="asahi-np-2012-12-5" />。
*:かつて[[1980年代]]から[[1992年]]3月まで[[文化放送]]で放送されていた番組『とうきゅうサウンドパラダイス』は「ショッピングプラザ取手東急」名義での[[一社提供|単独提供]]であり、本店内の特設会場で[[公開収録]]が行われていた<ref group="広報">[[ラジオ番組表|ラジオ新番組速報版]] 1986年春号〜1991年秋号 文化放送番組表より。</ref><ref>月刊[[ラジオパラダイス]]([[三才ブックス]])1988年7月号 100頁</ref>。

==== 群馬県 ====
* 太田店([[太田市]]浜町4-1<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1976-121"/>、1969年(昭和44年)11月29日開店<ref name="gunma-bank-history-50-1983">群馬銀行五十年史編纂室 『群馬銀行五十年史』 [[群馬銀行]]、1983年。</ref> - 1975年(昭和50年)12月31日閉店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />)
*:売場面積2,375m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1976-122"/>。

==== 愛知県 ====
* 宮津店([[知多郡]][[阿久比町]]大字宮津字新海山5<ref name="japanese-supermarcket-1972-40">『特集 日本のスーパーマーケット 食品流通年報1972年版』 [[日本食糧新聞社]]、1971年11月25日。pp40</ref>、1969年(昭和44年)8月21日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - ?閉店)
*:売場面積718m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>。
*:東海東光ストア第1号店で、新日鉄の従業員向け団地として開発された宮津団地に出店していた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

* 知多店([[知多市]]にしの台2丁目100番1号<ref name="shopping-shop-list-1987-278">『ザ・シューズショップ 全国有力靴小売業者名鑑 1987年版』 [[ぜんしん]]、1987年2月28日。pp278</ref>、1980年(昭和55年)1月19日開店<ref name="tokyu-cnst-25history-1985-196">『東急建設の二十五年 資料編』 [[東急建設]]、1985年10月31日。 pp196</ref> - 2002年(平成14年)3月1日閉店<ref name="taihan-news-2002-4-8-7">“東急ストア知多店3月1日で閉店 愛知県知多市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年4月8日)</ref>)
*:売場面積は3,488m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990" />。
*:東急グループ([[鯱バス|東急鯱バス]])の住宅開発の関係などで出店していた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
*:近隣に1997年(平成9年)5月1日に大型商業施設([[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]]知多店)が開業した<ref name="nissyoku-1997-5-14-8B">“イトーヨーカ堂・井坂常務が知多店開店で会見、生鮮一番店目指す”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1997年5月14日)</ref>影響などで閉店。その後建替えられて、2003年(平成15年)5月23日に[[ヤマナカ]]知多フランテ館が開店している<ref name="nissyoku-2003-5-19-15C">“ヤマナカ、品質重視型の食品SM「知多フランテ館」開店”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2003年5月19日)</ref>。

* 粕谷台店(かすやだい、知多市南粕谷町2-1-1<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>、1974年(昭和49年)3月15日開店<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" /> - 2002年(平成14年)閉店<ref name="tokyu-store-h15" />)
*:売場面積879m<sup>2</sup><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979-156"/>。
*:東急鯱バスが従業員輸送を行う[[日本製鉄名古屋製鉄所|新日鉄名古屋製鉄所]]の従業員向け団地として、[[東急建設]]によって開発された粕谷台団地(南粕谷)に出店していたが、東急ストアの愛知県撤退に伴い、知多店と同時期に閉店した。閉店後はヤマナカ粕谷台店が営業中。店の前には東急鯱バスの乗り場がある。

* 上野台店([[東海市]]富木島町東山田7番<ref name="japanese-supermarcket-1972-40"/>、1970年(昭和45年)5月1日開店<ref name="japanese-shopping-center-1971-195">『日本のショッピングセンター ショッピングセンターの現状分析 1971年版』 [[日本繊維経済研究所]]、1971年1月10日。pp19</ref> - 2001年(平成13年)8月31日閉店<ref name="taihan-news-2001-10-4-4">“(株)東急ストア、上野台店を8月31日で閉店 愛知県東海市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年10月4日)</ref>)
*:敷地面積約5,280m<sup>2</sup><ref name="japanese-shopping-center-1971-195"/>、鉄筋コンクリート造地上2階建て<ref name="japanese-shopping-center-1971-195"/>、延べ床面積約5,610m<sup>2</sup><ref name="japanese-shopping-center-1971-195"/>、売場面積約3,507m<sup>2</sup><ref name="japanese-shopping-center-1971-195"/>(直営店舗面積約1,362m<sup>2</sup><ref name="japanese-shopping-center-1971-195"/>)、駐車台数約150台<ref name="japanese-shopping-center-1971-195"/>。
*:粕谷台と同じく、新日鉄の従業員向け団地として開発された上野台にも出店していた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。

==== 福岡県 ====
* 筑紫野店([[筑紫野市]]美しが丘南1丁目12番1号<ref name="nissyoku-2006-11-29-4d" /><ref name="shopping-center-1993-10-2">“船場 広告”. ショッピングセンター 1993年10月号 ([[日本ショッピングセンター協会]]) (1993年10月1日).pp2</ref>、1993年(平成5年)5月18日開店<ref name="nissyoku-1993-5-21-5" /><ref name="shopping-center-1993-10-2"/> - 2007年(平成19年)3月閉店<ref name="nissyoku-2006-11-29-4d" />)
*: 敷地面積約28,681m<sup>2</sup><ref name="sogoshokuhin-1989-9-44">“ストアニュース”. 総合食品 1989年9月号 ([[総合食品研究所]]) (1989年9月).pp44</ref>、地下2階地上3階建て<ref name="nissyoku-1992-8-26-11c">“九州地区夏期特集-東急ストアが九州初進出、来年5月オープンへ”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (1992年8月26日)</ref>、延べ床面積約50,200m<sup>2</sup><ref name="shopping-center-1993-10-2"/>、売場面積17,937m<sup>2</sup><ref group="広報" name="tokyu-annual-data-2005-5-19" />。
*: 5フロアの大型店舗で<ref name="nissyoku-1992-8-26-11c" />、地下2階に<ref name="nissyoku-1992-8-26-11c" />メリーゴーランドやゲームなど、ビデオシアターなどを設置した娯楽施設を併設した郊外型大型ショッピングセンターであった<ref name="nissyoku-2006-11-29-4d" />。
*:東急グループの住宅開発の関係で出店していたが、近隣に大型商業施設が相次いで開業した影響で赤字が続いたため閉店し、九州から撤退することになった<ref name="nissyoku-2006-11-29-4d" />。
*:なお、施設自体は[[京都市]]の不動産会社に売却し<ref name="nissyoku-2006-11-29-4d" />、2007年(平成19年)10月31日に商業施設「[[筑紫野ベレッサ]]」として再オープンし<ref name="pref-city-sc-list-2013-12">都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC (Report). [[日本ショッピングセンター協会]]. (2013年12月)</ref>、{{要出典範囲|date=2015年12月|九州を基盤とする大手スーパー[[サンリブ]]が核店舗として出店していたが、}}2018年現在は[[ルミエール (ディスカウントストア)|ルミエール]]、[[サンドラッグ]]等が出店している<ref group="広報">[http://www.chikushino-belleza.com/ 筑紫野ベレッサ]</ref>。

== ロゴマーク ==
1970年6月、現行の赤い[[シンボルマーク]]「'''ファミリーマーク'''」と店舗[[ロゴマーク|ロゴ]]を制定<ref group="広報">[https://www.tokyu-store.co.jp/company/history.html 会社沿革] 東急ストア公式サイト</ref>。デザインは[[グラフィックデザイナー]]の[[鳥越修治]](東京都[[世田谷区]][[代沢]]在住)<ref group="広報">[http://t-d-c.jp/profile/ プロフィール] 鳥越修治オフィシャルサイト、2019年12月31日閲覧{{リンク切れ|date=2024年9月}}</ref>。

なお、鳥越は東急グループ関連のロゴデザインを多数手がけており、東急ストア系列の[[花屋]]「とうきゅうフローラ」、前述の「マインズ」店舗ロゴデザイン、東急ストアも加盟する[[八社会]]の[[プライベートブランド]]「Vマーク バリュープラス」のロゴデザインや商品パッケージデザイン、[[渋谷]]の[[ファッションビル]]「[[109 (商業施設)]]」の[[命名|ネーミング]]とロゴデザイン、[[東急文化会館]]の[[レストラン]]街「特選食堂街」、東急レストラン各店のロゴデザインなども担当している<ref group="広報">[http://t-d-c.jp/portfolio/ 主な実績] 鳥越修治オフィシャルサイト、2019年12月31日閲覧{{リンク切れ|date=2024年9月}}</ref>。


== 関連会社 ==
== 関連会社 ==
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* 東光サービス - 警備、人材派遣業
* 東光サービス - 警備、人材派遣業


=== 過去の関連会社 ===
※ 以前、「札幌東急ストア」の商号および店舗名でスーパーマーケットおよびショッピングセンターを運営していた子会社は、2010年現在は[[アークスグループ]]傘下の[[東光ストア]]となっており、直接の関連はない。
* [[東光ストア]] - 定鉄商事として設立されて札幌東光ストア(後の札幌東急ストア)を運営していたが<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、2009年(平成21年) 10月30日には札幌東急ストアが株式会社[[アークスグループ|アークス]]の子会社となって東急グループから離脱した<ref name="nissyoku-2009-9-16-1a" />。
* 北海道東急ストア - 北海道下で店舗展開を行っていたが、1984年(昭和59年)6月に当社へ店舗譲渡<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。[[1997年]]4月に、定鉄商事へ移管された。それまでは札幌圏で2社が併存する形で営業していた<ref name="nissyoku-1997-4-21-4A2">“定鉄商事、3店舗を相次ぎ開業 札幌ドミナント化に拍車”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1997年4月21日)</ref>。
* 北見東急ストア - 北見市内で店舗展開を行っていた<ref name="nissyoku-1998-2-27-1A" />。
* 東海東光ストア - 愛知県下で店舗展開を行っていた<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />。
* 協同技術センター - 設備管理<ref group="広報" name="tokyu-store-history-1989" />、リサイクル事業を行っていたが、2011年に[[東急ファシリティサービス]]の関連会社に変更された。


== 脚注 ==
※ かつては設備管理、リサイクル事業を行う「協同技術センター」という関連会社があったが、2011年に[[東急ファシリティサービス]]の関連会社に変更された。
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}
==== 広報資料・プレスリリースなど一次資料 ====
{{Reflist|group="広報"|3}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[八社会]]
* [[八社会]]
* [[白木屋 (デパート)]]
* [[なぎら健壱]] - とうきゅう金町店の元従業員。
* [[アークス (北海道の企業)]]
* [[なぎら健壱]] - 金町店の元従業員


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Tokyu Store}}
* [http://www.tokyu-store.co.jp/ 東急ストア]
* [https://www.tokyu-store.co.jp/ 東急ストア]
* {{Facebook|255001091240615|東急ストア うちの楽レシピ}} - 公式アカウント
* [https://shop.tokyu-bell.jp/tokyu-store/app/common/index 東急ストアネットスーパー]
* [http://www.fullel.com/ fullel フレル]
* 東急ストアグループ
** [http://www.tokyu-flora.com/ とうきゅうフローラ] 株式会社東光フローラ
** [http://www.toko-foods.com/ 東光食品株式会社]
** [http://www.toko-service.co.jp/ 東光サービス株式会社]

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2024年12月22日 (日) 12:53時点における最新版

東急 > 東急ストア
株式会社東急ストア
TOKYU STORE CHAIN CO., LTD.
本社(中目黒東急ストア)
本社(中目黒東急ストア)
種類 株式会社
市場情報
東証1部 8197
1982年12月15日[広報 1] - 2008年6月25日
略称 とうきゅう・TOKYU
本社所在地 日本の旗 日本
153-8577
東京都目黒区上目黒一丁目21番12号[1]
北緯35度38分42.2秒 東経139度41分57.2秒 / 北緯35.645056度 東経139.699222度 / 35.645056; 139.699222座標: 北緯35度38分42.2秒 東経139度41分57.2秒 / 北緯35.645056度 東経139.699222度 / 35.645056; 139.699222
設立 1956年昭和31年)10月10日[1]
業種 小売業
法人番号 8013201004026 ウィキデータを編集
事業内容 チェーンストア事業
代表者 代表取締役社長 須田清
資本金 1億円(2020年2月29日現在)[広報 2]
売上高 2019億7500万円
(2020年2月期)[広報 2]
営業利益 31億7500万円
(2020年2月期)[広報 2]
経常利益 28億1400万円
(2020年2月期)[広報 2]
純利益 26億7200万円
(2020年2月期)[広報 2]
純資産 224億2700万円
(2020年2月29日現在)[広報 2]
総資産 705億3500万円
(2020年2月29日現在)[広報 2]
従業員数 6,222人
(2022年2月29日現在)
決算期 2月末日
主要株主 東急 100%
関係する人物 木下雄治(元社長)
外部リンク www.tokyu-store.co.jp ウィキデータを編集
特記事項:1975年(昭和50年)3月1日に現商号へ変更[広報 3]。1982年(昭和57年)3月に株式額面変更のため株式会社東急ストア(1947年(昭和22年)12月設立の旧・テー・エム工業株式会社)に吸収合併[1]
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株式会社東急ストア(とうきゅうストア、: TOKYU STORE CHAIN CO., LTD.)は、東京都目黒区に本社を置く、東急子会社のスーパーマーケットチェーンや、東急電鉄の駅構内の売店コンビニエンスストアなどを運営する企業。東急グループの企業の一つ。

関東地方を中心に主力業態のスーパーマーケット「東急ストア」を展開するほか、東急電鉄沿線では駅売店「toks」を運営する。TOKYUポイント加盟店。

歴史

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百貨店法の制約を避けるために誕生

[編集]

1956年(昭和31年)6月に施行の百貨店法により、百貨店が新店舗の出店や増床などに制約が課されることになったことから、その制約を受けずに事業展開を行うために同年10月10日に「東横興業株式会社」を設立したのが始まりである[広報 3]

当社の1号店として1956年(昭和31年)11月22日に開設された武蔵小杉東興店[広報 3]、東横線と国鉄線の武蔵小杉駅のはす向かいにあたる川崎市小杉町1丁目403番地に[広報 3]第一生命が建設した第一生命住宅の店舗部分への出店で[2]、従前からの出店の約束を果たす側面もあるものであった[2]

また、同年1月に東急グループ入りしていた百貨店の白木屋は、1928年(昭和3年)12月18日の五反田分店と[3]1929年(昭和4年)2月の大森分店[4]という戦前に開設した2分店の他に[5]、1952年(昭和27年)12月に中央線高円寺駅北口の駅ビルに開設した高円寺分店を運営していたが[5]、百貨店分店の形式では百貨店法の規制対象となるとして、こちらも「白木興業株式会社」を設立して3店の営業を譲渡することで規制を逃れさせることになった[広報 3]

こうして設立された2社を経営統合することになり、1957年(昭和32年)4月1日に「東横興業株式会社」が「白木興業株式会社」を吸収合併して五反田と大森、高円寺の3店の営業を引き継ぎ、チェーン店の展開へ乗り出すことになった[広報 3]

同年9月20日、より一般的で親しみ易い名称として「株式会社東光ストア」へ社名変更するとともに、社紋(シンボルマーク)もエーデルワイスをかたどったものへ変更した[広報 3]

そして東横百貨店(現・東急百貨店東横店)西館地下と壁一枚で隣接する渋谷地下街が開業する際には、百貨店の増床許可が出た時点で東横百貨店に変換する条件で当社が1957年(昭和32年)12月に渋谷店を出店し、契約通り1962年(昭和37年)8月東横百貨店に返還したほか、同じく東横百貨店が核店舗として出店する構想で進められていた東急文化会館の店舗部分も当社が運営する「文化特選街」とするなど、百貨店法の制約を受けずに店舗展開を進めるという戦略を担う形で出店が進められていった[広報 3]

こうした設立時の経緯もあり、東横百貨店から130名、白木屋系の旧白木興業234名の社員が当社へ出向していたが、当社が軌道に乗った後、役職者と一部の専門職員を除いて百貨店へ復帰させる人事を行っており、現場は当社として採用した社員が中心となって運営する形態へ移行する形となった[広報 3]

セルフサービス方式導入によるスーパーマーケット事業への進出

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設立当初は百貨店と同様の対面販売方式で、小型百貨店というべき運営形態であったが、1957年(昭和32年)2月に「スーパーマーケット設立準備委員会」を発足して八幡製鉄所購買会(現・スピナ)の見学や研修会への参加などを通じてセルフサービス方式の導入へ向けた準備を進められた[広報 3]

1958年(昭和33年)10月に高円寺店2階に木製ゴンドラケースによるオープン陳列を行ってセルフサービス方式を導入し、スーパーマーケット事業参入の第一歩を踏み出すことになった[広報 3]。この高円寺店へのセルフサービス方式の導入に当たっては、生鮮食料品の販売効率が現状でも高かったうえ、当時は予め包装などを行っておくプリパッケージができない商品と考えられていたことから、1階の食料品売り場は従来通り対面販売が継続されていた[広報 3]。だが高円寺店のセルフサービス方式の導入は、利点を理解しながらもスーパーマーケット事業への進出に二の足を踏むことが多かった百貨店などの大手資本によるものとしては先駆けとなったため、業界紙などから注目を集めることになった[広報 3]

1958年(昭和33年)12月13日に開設した鷹番町店は新店舗で開設時からセルフサービス方式の導入を行った1号店であるのみならず、部門別に色分けした名刺大の札を商品に添付して、それを基にレジで精算を行う方式で食品売り場にもセルフサービス方式の導入しており、高円寺店での実験をさらに一歩進めるものとなった[広報 3]。ただし、この鷹番町店でも食料品全てをセルフサービス方式とすることはできず、対面販売部分が残る状態となっていた[広報 3]

その後、1959年(昭和34年)3月27日に同社では初の本格的なスーパーマーケットとして、日本住宅公団桜堤団地内に鉄骨造り1階建ての武蔵境店を開設した際には、様々な合理化策を導入すると共に、その成果を委員会を設けて検証するなどスーパーマーケット事業の本格的な展開を目指した実践と研究を重ねて行った[広報 3]

セルフサービス方式の導入を進めるうえでは、商品の事前包装や値札付けといったプリパッケージ技術が必要であったことなどが、こうした漸進的な導入の背景となっており、当社が全商品をセルフサービス方式で販売するようになったのは1959年(昭和34年)11月に開設した荻窪店が最初の店舗となった[広報 3]。プリパッケージで問題を抱えていたのは、先述した食料品だけでなく、衣類や雑貨類などでも同様であり、価格のみならず、素材や大きさ、洗濯方法なども付記した包装の導入などのセルフサービス方式に合わせた商品の形態が模索され、実践に移されていくことになった[広報 3]

また、商品を各店舗にスムーズに配送するために、1961年(昭和36年)12月に東横線都立大学駅の高架下にベルトコンベヤーを導入した本部検品所と商品倉庫を兼ねた施設を開設して合理化を図った[広報 3]。その他にもメーカーの販促活動の機会に安く大量に仕入れるなど大量仕入れ・大量販売というスーパーマーケット事業の強みを生かすための仕入れ政策にも取り組み、徐々にスーパーマーケット事業を軌道に乗せて行くことになった[広報 3]

1964年(昭和39年)7月に開設した三軒茶屋店では、中央食品(現・セントラルフーズ)による完全包装された精肉販売が導入され、店舗における厨房機能の縮小と大量陳列による買い易さが両立することで更なる合理化が図られることになった[広報 3]

こうしてセルフサービス方式の導入を進めたことにより、合理化が進んだ半面で店員と顧客との間でのふれあいが不足しがちになることから、それを補って顧客の固定化を図ることを目的に1961年(昭和36年)2月に「東光セルフサービスチケット」を導入するなどセルフサービス方式の欠点の是正策も並行して導入された[広報 3]

東急グループの企業らしく文化事業にも早くから力を入れ、1966年(昭和41年)11月より主な顧客層である主婦を対象とした文化講演会「東光ストア ママ大学」を開始し、その後社名変更により1975年10月から「東急ストア ママ大学」に改題された。また、かつて文化放送で午前11時過ぎに長年にわたり「東急ストア ママ大学」というタイトルでコーナー提供をしていたが、『くにまるワイド ごぜんさま〜』の番組途中で終了している。

ショッピングセンター形式の大型店の出店

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1971年(昭和46年)4月に京王線調布駅から100mの場所に建設された地下1階・地上8階建てのビルの地下1階から地上3階までを使用して当社初のショッピングセンターとなる調布店(調布とうきゅう)を開設し、大型店の運営に参入することになった[広報 3]

調布店は、都心に流出している購買力を地元に引き付ける狙いから有力な店舗をテナントとして導入する戦略をとったため、テナント比率が高まったものの、土地・建物ともに自社所有であることから高い収益力を持つ店舗となった[広報 3]

こうした大型店舗でのテナントの導入はその後も続けられ、当社としては2番目のショッピングセンターである厚木店では地元の老舗などからなる暖簾街の導入が図られ、水戸店では外国の有名メーカーのライセンス生産によるファッションを扱う売り場の導入をしたほか、水戸店では陶器類も扱うなど徐々に品ぞろえを拡充していくことになった[広報 3]

また同年10月に開設した大和店では郊外型の週末中心の来客を想定して、喫茶店ビアガーデンなどの飲食施設や遊戯施設、休憩所など物販以外の施設の充実を図った[広報 3]。同年11月に鎌倉駅前に開設した鎌倉店では、百貨店や専門店が当社のようなスーパーに陳列されるのを嫌がるような海外メーカーの服などを扱ったため、取り扱いを中止させようとする動きが一部で見られるような状況まで生じた[広報 3]

このように大型店の出店に伴い、衣料品や雑貨類の販売比率が増大することになり、店舗間の販売力などに大きな差が生じたことから、店舗を規模や立地などで5分類して各々の戦略を立てる形へ変化していくことになった[広報 3]

出店エリアの拡大

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母体となった東急沿線の他に、東急電鉄や東急不動産が進めている地域開発型の不動産事業展開の一環として出店したほか、比較的高所得者層が多いとされる湘南地区や神奈川県中央部など首都圏の人口急増が生じていた地区に出店を集中的に行うドミナントエリアとする出店戦略を採った[広報 3]

このため、東急沿線では溝の口店(1970年(昭和45年)10月開店)や学芸大学店(1970年(昭和45年)11月開店)、祐天寺店(1970年(昭和45年)11月開店)、二子玉川店(1970年(昭和45年)12月開店)、湘南地区では辻堂店(1969年(昭和44年)11月開店)や鎌倉店(1971年(昭和46年)11月開店)、神奈川県中央部では厚木店(1971年(昭和46年)5月開店)や大和店(1971年(昭和46年)10月開店)等の出店を行うことになった[広報 3]

また、東急電鉄や東急不動産が進めている地域開発型の不動産事業展開の一環として1966年(昭和41年)8月に青葉台店を開設したほか、同年9月の狭山店や南柏店などグループ戦略に伴う出店も行った[広報 3]

東急グループが東海地方東急鯱バスを運営していたことから、富士製鉄の依頼を受けて同社が従業員向けに建設した宮津団地内で商業施設の運営を引き受けることになり、1969年(昭和44年)4月に東海東光ストアを設立し、知多半島へ進出することになった[広報 3]。東海東光ストアは1969年(昭和44年)8月に宮津店を開設したのを皮切りに、翌年1970年(昭和45年)5月に上野台店、1974年(昭和49年)3月に粕谷台店、1980年(昭和55年)に知多店を開設するなど知多半島への出店を進めて行った[広報 3]

1972年(昭和47年)7月15日に[1]定山渓鉄道(現・じょうてつ)66.6%、東光ストア33.3%の出資比率で株式会社定鉄商事(現:東光ストア)を設立して[6]同年10月に第1号店となる木の花店を開設したほか[7]、これとは別に1974年(昭和49年)7月1日に北海道東急ストアを設立して同年10月13日に宮の森店を開設。東急ストアの名称は本州より先に北海道で使われることとなった[広報 4][広報 5]

このように東急グループの拠点がある地域へ出店する戦略を採っていった[広報 3]

さらに、長崎屋と提携して同社が得意とする衣料品との相乗効果を狙い、長崎屋サンショッピングセンター内で食料品や雑貨を扱う店舗をスーパーマーケットを出店する契約を結ぶなど、他社と提携した出店戦略も展開していった[広報 3]

こうした積極的な出店の一方で、1969年(昭和44年)1月に芦花公園店を閉鎖したのを皮切りに、1970年(昭和45年)8月に(初代)阿佐谷店、同年9月に荏原店、1971年(昭和46年)12月には(初代)本八幡店と不採算店舗の閉鎖も進めたほか、1972年(昭和47年)から1974年(昭和49年)にかけて26店舗の改装を行うなど既存店の活性化も進めて行った[広報 3]

関連会社の設立や吸収による商品力の強化

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1971年(昭和46年)8月20日に渋谷米穀店と荻窪米穀店を母体にして東光食糧販売株式会社(現・東光食糧)を設立して米穀の精製・販売に乗り出し、1973年(昭和48年)7月に当社の青果部門のテナントや直営青果部門への納入業者であったミツバ商店を傘下に入れて東光青果を設立して青果部門を直営化した[広報 3]

同年10月には水産部門の東光水産、同年12月25日に東光デイリー食品株式会社(現・東光食品)を設立して、1974年(昭和49年)1月30日に水戸内原工場を完成させて同年8月9日から日配品の製造・販売に乗り出すなど食品の販売力強化を目指した関連会社の設立を進めた[広報 3]

また、日本国内の紳士靴大手である日本製靴との合弁で1975年(昭和50年)7月14日にトップシューズを設立し、同年8月の荻窪店を皮切りに靴売り場を展開したほか、1976年(昭和51年)11月25日には株式会社東光ドラッグを設立するなど専門性が必要な分野の商品を扱う関連会社の設立も進めて営業力の強化を図っていった[広報 3]

1979年(昭和54年)2月に東光青果株式会社と東光水産株式会社を吸収合併したほか、東光デイリー食品と東光ピクルスの販売部門、レストラン東急の総菜部門の譲渡を受けて食料品の主要部門を完全に直営化することになった[広報 3]

社名変更と店舗網の見直し

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東急ストアの名称は本州より先に北海道東急ストアで使われていたが、これに次いで東光ストアは1975年3月に社名を東急ストアに変更した。 食料品を中心としたスーパーマーケット店(以下、SM店)の名称を同じく「東急ストア」に改め、名実共に東急グループの一員としての看板を掲げることとなった。

東急ストアの名称は本州より先に北海道東急ストアで使われていたが、これに次いで東光ストアは1974年(昭和49年)には売上高が1000億円を突破して東急百貨店と共に東急グループの流通部門の基幹企業となり、「名実ともに東急グループとしての一員であることを明確にする」ため、1975年(昭和50年)3月1日に社名を株式会社東急ストアに変更した[広報 3]。食料品を中心としたスーパーマーケット店の名称を同じく東急ストアに改め、名実共に東急グループの一員としての看板を掲げることとなった[広報 6]。それに合わせて同年5月、定鉄商事の札幌東光ストアも札幌東急ストアへ店名変更した[8][9]。また、1975年(昭和50年)11月1日に生活情報誌『ファミリー109』を創刊している[広報 3]

その一方でグループの開発戦略上の役割を果たした店舗などを中心に、1978年(昭和53年)12月に狭山店を閉鎖したのを皮切りに、1979年(昭和54年)3月に元石川店、同年7月に本八幡店と溝の口店(初代)、同年8月につくしが丘店、同年12月に大谷ロ店、1980年(昭和55年)1月に三軒茶屋店と上大岡店、同年9月に水戸店、同年12月に久が原店と2年強で10店舗の閉鎖を行うなど、店舗網の見直しを進めた[広報 3]

こうした店舗閉鎖だけでなく、1979年(昭和54年)11月に伊勢原店を増築して増床し、1980年(昭和55年)2月には五反田店を都市型大型店として新装開業したほか、同年4月には厚木店で鮮魚など生鮮食料品売場の強化を図ったのを皮切りに各店で生鮮食料品売り場の強化を図り、当社の初期の大型店である調布店や鎌倉店なども大型店の大規模な改装を進めて黒字転換を目指すなど店舗網の強化を図った[広報 3]

そうした大型店強化の一環として、東急グループが開発を進めていた多摩田園都市全域を商圏として、延べ床面積約19,270m2に9,492m2の売り場を配した大型店であるさぎ沼店(現:フレルさぎ沼店)を1978年(昭和53年)9月に開設した[広報 3]。さぎ沼店は食品や衣料品だけでなく、家具やインテリアなどの住関連商品まで幅広く取り扱うと共に専門店街も充実させ、1980年(昭和55年)度に当社で初めて年間売上高が100億円を突破する当社の主力店の一つとなった[広報 3]

さらに、1984年(昭和59年)9月には国鉄(現在のJR) 大森駅ビルプリモの開設に伴って大森店を同ビル内に移転して71店舗のテナントを併設した大型店とし、翌年1985年(昭和60年)10月に取手駅西口駅前再開発事業によって建設された地下1階・地上8階建てのビルほぼ全館を借り入れて取手店を開設したほか、同年度には中央林間店を開設するなど大型店の出店を進めた[広報 3]

こうした大型店は順調に売り上げを伸ばし、当社はさぎ沼店と五反田店、中央林間店、取手店と年商100億円を超える店舗を4店舗持つようになった[広報 3]

また、この間の1982年(昭和57年)12月15日に東京証券取引所第二部に上場[広報 1]、1987年(昭和62年)8月1日に東京証券取引所第一部へ昇格しており[広報 3]、東急グループとしては10番目の一部上場企業となった[広報 3]

食品特化の小型店の展開

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大型店の強化の一方で、食品を中心にして日用雑貨や肌着などの日用衣料品を扱う食品スーパー業態の店舗として、1988年(昭和63年)4月に成田線布佐駅前に布佐店、同年11月に阿佐ケ谷駅前に阿佐谷店と根岸駅前に根岸店を開業したほか、既存店13店舗の全面改装を実施するなど小型店の強化も並行して進められた[広報 3]。これら小規模店舗の改装においては、住関連商品や日用品の取扱の縮小と生鮮食料品の強化を図り、食品スーパーへの業態特化が図られた[広報 3]

こうした小型店戦略の一環として、半径500mを商圏とした売場面積250から500m2の小型スーパーでドミナント戦略を強化することになり、1987年(昭和62年)8月にマインズ第1号店桂台店(売場面積445m2)を開店したのを皮切りに多店化を進め、1988年(昭和63年)5月には株式会社マインズとして独立させた[広報 3]。マインズ店舗では、生鮮食品を新設した加工センターで一括加工で店内での処理廃止して床面積の約80%を売り場とすることや、パートタイマーの比率を高めることで正社員を減らすなどで経費を抑制すると共に、午前10時から午後9時までという当時としては長時間の営業をすることで採算確保を目指した[広報 3]

東急グループの開発に乗った出店

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東急グループが中心となって開発が進められていた千葉県あすみが丘ニュータウンの一角にある土気駅前に開設された「バーズモール」内に[10]1989年(平成元年)4月に土気店を開設したほか[広報 3]、同年6月には東急沿線に新丸子店と溝の口店(2代目)を開設した[広報 3]

東急グループの住宅開発に合わせて筑紫野市美しが丘南に[11]1993年(平成5年)5月18日に筑紫野店を開店して九州へ進出したほか[12]、あすみが丘ニュータウン中心部に2000年(平成12年)10月6日に開業した[13]ショッビングセンター「プランニューモール」[10]の核店舗として土気あすみが丘店を開店する[13]など東急グループ開発を生かした出店戦略を展開した。

東急沿線への回帰とグループの再編

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だがその後は東急沿線から遠く離れた地区での店舗網の縮小を進め、2003年(平成17年)1月31日に北見東急ストアを解散して5店全店舗を閉鎖した[14]。2007年(平成19年)3月には近隣に大型商業施設が相次いで開業した影響で赤字が続いたため筑紫野店を閉店して九州から撤退した[11]。2009年(平成21年) 10月30日には札幌東急ストアが株式会社アークスの子会社となって東急グループから離脱する[15][16]

首都圏以外の遠隔地に限らず、2010年(平成22年)2月期に青山店など5店舗、翌年2011年(平成23年)2月期に取手店など首都圏でも沿線以外の不採算店舗の整理統合を進める一方で、東急沿線の駅前立地に小型店を出店するなど親会社の沿線等への店舗網の集約を進めている[17]。不採算店の閉鎖は、2013年(平成25年)8月に馬込店、さらに2014年(平成26年)だけでも錦糸町オリナス店(1月10日閉店[18])・金沢シーサイド店(1月20日閉店[19])・橋本店・武蔵小山店[20]・上尾店・矢口店・プレッセ日本橋店・中野店・白金台店が閉店するなど、東急沿線を含めた首都圏でも進められた。

また、1999年(平成11年)12月に八王子駅南口再開発ビルへの出店に関する覚書を締結し、建設中のサザンスカイタワー八王子の核店舗テナントとして出店を予定していたが、2008年(平成20年)4月に東急側の都合により白紙撤回(理由は不明)。結局出店は見送りとなり、同ビルには地元企業のスーパーアルプスが出店した。八王子駅南口市街地地区再開発組合は東急ストアに対し「損害賠償を請求する」としていた[21]。が、その後の展開は不明。なお、八王子駅近辺の東急グループの商業施設としては八王子東急スクエアがある(東急ストアは出店していない)。[要出典]

消費者の食の安全への関心の高まりを受け、2006年(平成18年)11月より「手紙のついた野菜と果物」という青果ブランドを立ち上げ、野菜や果物等を販売している。商品パッケージに付記されたQRコードURLを携帯電話やパソコンから検索すると、生産者や産地等の情報が閲覧可能。内容はトレーサビリティーはもちろんの、生産者の情緒や産地の栽培環境や取組み、農産物の食べ方等が「手紙」という形式で表現されている。[要出典]

2008年(平成20年)に上場廃止し、同年7月1日付で簡易株式交換により東京急行電鉄の完全子会社となっている[広報 1]

2011年(平成23年)5月20日に[22]総合スーパー(GMS)業態であった鷺沼駅前の「さぎ沼とうきゅう」をリニューアル、テナント店舗を大幅に導入してショッピングセンター「フレルさぎ沼」とするなど、大型店についてはショッピングセンターへの業態転換も模索している[23]。同年5月27日には自由が丘に新業態「フレル」2号店「フレル・ウィズ自由が丘」が開店した。どちらもキーテナントとして東急ストアが出店する形態になっている。

2022年(令和4年)3月1日には東急電鉄各線の駅構内売店などを運営していた東急ステーションリテールサービスを吸収合併し、同社が運営していた業態(MY SWEETSのみ東急モールズデベロップメントが継承)を東急ストアが引き継いだ[広報 7]

2023年 LINEと東急ポイントカードを連携したサービスを開始。[要出典]

年表

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  • 1956年昭和31年)
    • 10月10日 - 東横百貨店(現・東急百貨店)の全額出資により、東横興業株式会社として設立[広報 3]
    • 11月22日 - 1号店として、武蔵小杉店開店[広報 3]
  • 1957年(昭和32年)
  • 1958年(昭和33年)10月 - 高円寺店で2階にセルフサービス方式を導入。以降スーパーマーケットの本格的チェーン展開を開始。
  • 1966年(昭和41年)3月 - 東京急行電鉄の関連会社となる。
  • 1969年(昭和44年)
    • 4月 - 東海東光ストアを設立[広報 3]
    • 8月 - 東海東光ストア第1号店・宮津店を開設[広報 3]
  • 1970年(昭和45年)6月 - 東光ストアグループのシンボルマーク(現・ファミリーマーク)制定。
  • 1971年(昭和46年)8月20日 - 東光食糧販売株式会社(現・東光食糧)を設立[広報 3]
  • 1972年(昭和47年)
    • 7月15日[1] - 定山渓鉄道(株)(現・じょうてつ)などと共に(株)定鉄商事(現・東光ストア)を設立[6]
    • 10月27日 - 定鉄商事第1号店・札幌東光ストア木の花店を開設[広報 3]
  • 1973年(昭和48年)12月25日 - 東光デイリー食品株式会社(現・東光食品)を設立[広報 3]
  • 1974年(昭和49年)
    • 1月1日 - 北海道東急ストアを設立[広報 3]
    • 1月30日 - 東光デイリー食品水戸内原工場を完成[広報 3]
    • 10月13日 - 北海道東急ストア1号店として宮の森店を開設[広報 3]
  • 1975年(昭和50年)
    • 3月1日 - 株式会社東急ストアに商号変更[広報 3]。札幌東光ストアも札幌東急ストアへ店名変更[8]
    • 7月14日 - トップシューズを設立[広報 3]
  • 1976年(昭和51年)
    • 6月 - 日魯漁業からジョイマート6店舗を買収[広報 3]
    • 11月25日 - 株式会社東光ドラッグを設立[広報 3][1]
  • 1978年(昭和53年)9月21日 - 東急ストアとして初の総合スーパー「鷺沼とうきゅう」開店[広報 3]
  • 1979年(昭和54年)2月 - 東光青果株式会社、東光水産株式会社を[[合併 (企業)# 吸収合併・新設合併|吸収合併]]。
  • 1982年(昭和57年)
    • 3月 - 株式額面変更のため株式会社東急ストア(1947年(昭和22年)12月設立の旧・テー・エム工業株式会社)に吸収合併[1]
    • 12月15日 - 東京証券取引所(東証)2部上場[広報 1]
  • 1983年(昭和58年)11月1日 - 東光サービス株式会社を設立[広報 3]
  • 1987年(昭和62年)8月1日 - 東証1部指定替え[広報 3]
  • 1988年(昭和63年)
    • 1月22日 - 株式会社東急フローラ(現・東光グリーン・フーズ)を設立[広報 3]
    • 5月 - 株式会社マインズを設立[広報 3]
  • 1997年平成9年)
    • 4月 - 宮の森店と北広島店の営業を東急ストアから定鉄商事(札幌東急ストア)へ譲受[24]
    • 11月13日 - 新業態店「プレッセ」の1号店・美しが丘店開店[25]
  • 1998年(平成10年)
    • 4月 - 東急グループの北見バスの経営再建策の一環として北見バス興産を整理し、同社の「北見東急ストア」9店舗のうち5店舗の営業を譲受し[26]、札幌東急ストア(現・東光ストア)とじょうてつ共同出資で(株)北見東急ストアを設立[27]
    • 4月1日 - (株)定鉄商事が(株)札幌東急ストアに社名変更[28]
  • 2003年(平成15年)1月31日 - 北見東急ストアを解散し、5店全店舗を閉鎖[14]
  • 2004年(平成16年)
    • 9月1日 - 神奈川県川崎市川崎区東扇島に常温加工食品用の自社物流センター「一般食品ディストリビューションセンター棟」を開設[29]
    • 10月14日 - 札幌東急ストア(現・東光ストア)と商品調達(仕入れ)や物流、人事、システムで業務提携すると発表[30]
  • 2005年(平成17年)
    • 3月1日 - 札幌東急ストア(現・東光ストア)との連携を強化するためSTSプロジェクトを設置[31]
    • 6月10日 - 札幌東急ストア社長に当社出身の加固正好が就任[32]
    • 11月 - じょうてつが保有する全株式の譲渡を受け、東京急行電鉄が札幌東急ストア(現・東光ストア)の持株比率を61%として子会社化[33]
  • 2006年(平成18年)
    • 2月 - 札幌東急ストア(現・東光ストア)の株式の50.2%を取得して連結子会社化[34]
    • 4月1日 - 東急ポイントカード「TOP&現金専用カード」の取り扱い開始。[要出典]
    • 8月 - サービス介助士を全店に配置。[要出典]
  • 2007年(平成19年)2月 - 東急百貨店運営の総合スーパー「東急バラエティストア」の営業権を取得。「市が尾東急ストア」として営業を開始。
  • 2008年(平成20年)
    • 4月10日 - 新業態「東急ストアフードステーション」の1号店・西小山店開店[35]
    • 6月25日 - 上場廃止。
    • 7月1日 - 簡易株式交換により東京急行電鉄の完全子会社となる[36][広報 1]
  • 2009年(平成21年)
    • 10月30日 - 札幌東急ストアが株式会社アークスの子会社となり、グループから離脱[16]
  • 2011年(平成23年)
    • 3月1日 - 東光ドラッグを合併。[要出典]
    • 5月20日 - 新業態「フレル」の1号店[23]・さぎ沼店開店[22]
    • 5月27日 - 新業態「フレル」の2号店・ウィズ自由が丘店開店。[要出典]
  • 2020年令和2年)
  • 2022年令和4年)
    • 3月1日 - 東急ステーションリテールサービスを合併[広報 7]

店舗業態

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食品スーパー

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東急ストア三鷹店
中山とうきゅう

以下の4種の業態を展開している。出店エリアは首都圏の1都3県(東京都神奈川県千葉県埼玉県)と静岡県(東急グループの1つである伊豆急行沿線地域のみ)。各業態とも東急グループ各線を中心としたレールサイド戦略による展開(グループ内の東急百貨店同様)が中心となっており、公式サイトの店舗検索にも「地域別検索」「五十音検索」のほか、「沿線別検索」がある。なお、千葉県と埼玉県はにはかつて複数店舗存在したが、現在は1店舗づつである。

各店舗の詳細については公式サイト「店舗のご案内」を参照。

東急ストア

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食料品日用雑貨がメインだが、衣料品を取り扱っている店舗も存在する。逆に日用雑貨を取り扱っていない店舗もある。
主に東急沿線の駅ナカ店舗や、東急グループをはじめとする商業施設のキーテナントとして出店する店舗も多い。
消費者の嗜好変化に対応し、後述の高級スーパー「プレッセ」から業態転換した店舗もある。

とうきゅう

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1号店は調布とうきゅう。

プレッセ (Precce)

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  • 「食の専門館」を標榜する高級志向の食品スーパー[25]
シェフが店内で調理する総菜売り場など、高品質な商品とサービスを提供する[25]
店舗名「Precce」の由来は、フランス語の「preceder」(先行する)からの造語で「先駆ける店」の意[広報 8]
4店舗のみ。

フレル (fullel)

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東急グループリテール戦略の一環で、2011年より展開開始した店舗ブランド。
東京急行電鉄との連携で、既存GMS業態「とうきゅう」からの業態転換により、東急ストアを核店舗とするショッピングセンターとしたもので2店舗のみ。
フレルさぎ沼と、ウィズ自由が丘がある。

東急ストアフードステーション

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2008年から展開する新業態。
単身世帯やDINKSの多い地域特性に合わせ、惣菜などの中食需要に対応したスーパーマーケット。
中延店からは公共料金収納代行などのコンビニエンスストアと同様のサービスも行っており、コンビニエンスストア等との競合を意識した店舗[39]
2022年4月現在、11店舗のみ[広報 9]

駅売店・コンビニエンスストア

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2022年3月に東急ステーションリテールサービスから運営を継承し、社内に設置されたステーションリテール事業室が運営する。

トークス(toks)

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東急線各駅に設置されている売店。東急電鉄の主要駅などに展開。

ローソン・トークス(LAWSON+toks)

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ローソンと東急電鉄の業務提携によって、ローソンのフランチャイジーとして営業。一部は「ナチュラルローソン+toks」として営業。

薬局・ドラッグストア

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東光ドラッグ
自社直営の調剤薬局。2011年2月までは子会社が運営していた。東林間店(東急ストア内)のみ現存。
マツモトキヨシ
旧東急ステーションリテールサービスがフランチャイジーとして運営していたものを継承。主に東急線の駅構内で営業し、全店が調剤薬局機能を持たない物販専門店。

無人販売店舗

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東急ストア無人決済店舗
無人決済システムを活用した東急ストアの小型無人店舗で、主に東急グループの従業員休憩室やオフィスビル内に、2022年2月から出店開始[広報 10]
2023年8月現在、2店舗を展開。商品供給は近隣の東急ストア店舗が行うため、供給元の店舗が休業の場合は、無人店舗も休業となる[広報 10]
Little
自動販売機集積型の無人店舗で、東急沿線の駅構内空き店舗に[広報 11]、2023年1月から出店開始[広報 12]
2023年8月現在、3店舗を展開[広報 11]

過去に存在した業態

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マインズ
半径500mを商圏とした売場面積250から500m2の小型スーパー。ドミナント戦略を強化するために展開された[広報 3]
生鮮食品を新設した加工センターで一括加工で店内での処理廃止して床面積の約80%を売り場とすることや短時間労働者(パート)の比率を高めることで正社員を減らすなどで経費を抑制すると共に、午前10時から午後9時までという当時としては長時間の営業をすることで採算確保を目指す業態であった[広報 3]
1987年(昭和62年)8月に第1号店桂台店(売場面積445m2)を開店したのを皮切りに多店化を進め、1988年(昭和63年)5月には株式会社マインズとして独立した[広報 3]
  • 桂台店(1987年(昭和62年)8月開店[広報 3] - 閉店)
    田園都市線青葉台駅西北1.5kmに位置する桂台に開設された第1号店[広報 3]。1988年(昭和63年)6月に当社から株式会社マインズへ営業譲渡[広報 3]
  • 矢口店(1987年(昭和62年)10月開店[広報 3] - 閉店)
    1988年(昭和63年)6月に当社から株式会社マインズへ営業譲渡[広報 3]
  • 田奈店(横浜市緑区田奈15-7[40]
    1988年(昭和63年)2月に全面改装してマインズへ業態転換[広報 3]。1988年(昭和63年)6月に当社から株式会社マインズへ営業譲渡[広報 3]
  • 二俣川店(旭区中沢2丁目1番8号[広報 3]
    1988年(昭和63年)2月に全面改装してマインズへ業態転換[広報 3]。1988年(昭和63年)6月に当社から株式会社マインズへ営業譲渡[広報 3]
  • 柿の木台店(1988年(昭和63年)5月開店[広報 3] - 閉店)
    株式会社マインズが開設[広報 3]
  • 荏田南店(1988年(昭和63年)5月開店[広報 3] - 閉店)
    株式会社マインズが開設[広報 3]

過去に存在した店舗

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北海道

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北海道東急ストア

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直営で店舗を運営していた時期もあったが、すべて当時子会社の札幌東急ストアに譲渡。 2009年(平成21年)10月30日付けで札幌東急ストアの全株式をアークスが取得して東急グループを離脱し、同年11月5日に商号を「東光ストア」へ変更した[広報 13]

  • 宮の森店(現・東光ストア宮の森店、札幌市中央区北5条西29丁目[広報 3]、1974年(昭和49年)10月13日開店[広報 3] - 閉店)
    北海道東急ストア1号店として開店した[広報 3]。1984年(昭和59年)6月に北海道東急ストアから譲り受けて開店[広報 3]。定鉄商事に譲渡され、1997年(平成9年)4月17日に札幌東急ストア宮の森店として新装開店した[24]。売場面積841m2[24]
    売場面積は約976m2[41] → 841m2[広報 14]
  • 北広島店(現・東光ストア北広島店、札幌郡広島町、1978年(昭和53年)10月9日開店[広報 3]
    1984年(昭和59年)6月に北海道東急ストアから譲り受けて開店[広報 3]。定鉄商事に譲渡され、1997年(平成9年)4月25日に札幌東急ストア北広島店として新装開店した[24]。売場面積4,026m2[24]
    売場面積は約4,461m2[41] → 4,026m2[広報 14]
  • 真駒内店(現・東光ストア自衛隊駅前店、札幌市南区澄川3-6[42]、1976年(昭和51年)1月14日開店[広報 3]
    売場面積は2,833m2[広報 14]
    なお「東光ストア真駒内店」はこれとは別の店舗である(地元百貨店「丸井今井」グループの丸井店舗開発から譲受した店舗で2001年(平成13年)4月17日に開業[43])。

北見東急ストア

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東急グループの北見バスの関連会社の北見バス興産が運営していたが、北見バスの経営再建策の一環として同社が整理された[26]。 その際に、9店舗のうち5店舗の営業は[26]、札幌東急ストア(現・東光ストア)とじょうてつ共同出資で設立された(株)北見東急ストアが継承した[27]。 しかし、業績低迷のため、2003年(平成15年)1月31日に北見東急ストアを解散し、5店全店舗が閉鎖となった[14]

  • 清見店(?開店 - 2003年(平成15年)1月31日閉店[14]
    店舗跡は2003年(平成15年)3月7日に「グリーンキャロット」が開店したが[44]、グリーンキャロットの破産により2006年(平成18年)10月2日に閉店した[45]
  • きたみ東急店(?開店 - 2003年(平成15年)1月31日閉店[14]
  • 高栄店(北見市高栄西町[46]、?開店 - 2003年(平成17年)1月31日閉店[14]
    店舗跡は「グリーンキャロット高栄店」が開店したが2003年(平成17年)11月30日に閉店した[47]
  • ピアソン通り店(?開店 - 2003年(平成15年)1月31日閉店[14]
  • わかば店(?開店 - 2003年(平成15年)1月31日閉店[14]
    店舗跡は2003年(平成15年)5月10日に「グリーンキャロットわかば店」が開店したが[48]、グリーンキャロットの破産により2006年(平成18年)10月2日に閉店した[45]

東京都

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渋谷区
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  • (初代)渋谷店(1957年(昭和32年)12月開店[広報 3] - 1962年(昭和37年)8月東横百貨店に返還[広報 3]
    ハチ公の銅像の真下辺りの渋谷地下街への出店で、売場面積は2,340m2で地下街全体の60%の面積であった[広報 3]
    百貨店が増床許可を得た際には百貨店に返還するという条件で契約が締結されていた[広報 3]ため、東急百貨店東横店食品売場の一部となった[広報 3]
  • 文化特選街(渋谷区渋谷2丁目21番12号[広報 3]、1961年(昭和36年)12月17日開店[広報 3] - 閉店)
    店舗面積902㎡[50]
    東急文化会館の商業施設の核として、地上階に銀座にある衣料品や雑貨の有名専門店を招致した専門店街形式の店舗「文化特選街」を出店していた[広報 3]
    元々は百貨店の出店が予定されていたが、映画館が大きな面積を占めて本格的な売場づくりが難しくなったため、百貨店法による規制を避けることも兼ねて当社が営業にあたった[広報 3]
    東急文化会館は解体されて地下4階・地上34階建ての渋谷ヒカリエが建設され、地下3階から地上5階に東急百貨店が運営するシンクス(ShinQs)が開設されることになった[51]
  • 文化店(渋谷区渋谷2丁目21番12号[52]、1961年(昭和36年)12月17日開店[広報 3] - 閉店)
    店舗面積588㎡[50] → 1,921m2[52]
    東急文化会館の商業施設の核として、地下に輸入食品や高級洋酒などを扱う文化スーパ—ストア、地上階に銀座にある衣料品や雑貨の有名専門店を招致した専門店街形式の店舗「文化特選街」を出店していた[広報 3]
港区
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  • 青山店(港区北青山3-3-7-B101[52][53]、1963年(昭和38年)4月27日開店[53] - 2010年(平成22年)2月期に閉店[17]
    売場面積1,249m2[53] → 833m2[52]
  • 白金台店(2004年(平成16年)9月30日開店[54] - 2014年(平成26年)8月25日閉店)
    白金台駅から約100mの場所にあるJR目黒駅東口約700mの地上8階建てのビルの1階に出店していた[54]
    売場面積は約740m2[54]
    店舗跡はドン・キホーテが、2015年(平成27年)5月29日にプラチナドン・キホーテ白金台店が売場面積約945m2で開業した[55]
中央区
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文京区
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  • 駕籠町店(文京区西丸町19[57][58]、1957年(昭和32年)9月開店[59] - 1964年(昭和39年)6月28日閉店[60]
    売場面積304m2[58]
    道路拡幅のために閉店となった[60]
目黒区
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  • 鷹番町店(目黒区鷹番2-16-18[61]、1958年(昭和33年)12月13日開店[広報 3][61] - 1970年(昭和45年)10月31日閉店[広報 3]
    東横線学芸大学駅東口の商店街の駅から100mほど入ったところに建設された日本住宅公団の鉄筋4階建てアパートの1階に、売場面積約462m2で出店し、当社としては初めて開業時からセルフサービス方式を導入した店舗だった[広報 3]。ただし全面的なセルフサービス方式導入は実現せず、一部で対面販売の売り場があった[広報 3]。高円寺店や三軒茶屋店と共に当社の果物販売直営化1号店となった[広報 3]
    学芸大学駅の東横線高架下に学芸大学店の開設が決定したのを機に閉店した[広報 3]
世田谷区
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  • (初代)三軒茶屋店(世田谷区太子堂2-16-5[64]、1964年(昭和39年)7月1日開店[65] - 1980年(昭和55年)1月閉店[広報 3]
    店舗面積701㎡[65]
    1964年(昭和39年)7月に改装。高円寺店や鷹番町店と共に当社の果物販売直営化1号店となった[広報 3]
    1996年(平成8年)11月20日に三軒茶屋・太子堂4丁目地区市街地再開発ビルキャロットタワーの核店舗として(2代目)「三軒茶屋とうきゅう」が開店[66]
品川区
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  • 武蔵小山店(品川区小山3-22-3[67]、1980年(昭和55年)8月開店[67] - 2014年(平成26年)2月3日閉店[要出典]
    売場面積927m2[67]
    跡地はオオゼキ(2015年3月開店)[要出典]
    2003年(平成15年)6月12日開業のパルム武蔵小山店[68]と2010年(平成22年)9月17日開業の武蔵小山駅ビル店[69]は存続。
  • 荏原店(品川区中延4-1420[58]、1960年(昭和35年)4月6日開店[70] - 1970年(昭和45年)9月閉店[広報 3]
    店舗面積532㎡[70]
大田区
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  • (初代)大森店(大田区大森北1-5-1-101[64]、1929年(昭和4年)2月開店[71] - 1984年(昭和59年)8月31日閉店[広報 3]
    店舗面積1,828㎡[72]
    白木屋大森分店として開店した店舗で、1956年(昭和31年)6月施行の第2次百貨店法による規制を避けるため白木興業として分離独立した後、1957年(昭和32年)4月1日に合併により当社の店舗となった[広報 3]
    1984年(昭和59年)9月14日に[73]大森駅ビルプリモ(後のアトレ)へ2代目大森店が開設されたため閉店した[広報 3]
    店舗跡は東京海上日動火災保険の事務所になった。[要出典]
  • 馬込店(大田区南馬込5-27-14[52]、1976年(昭和51年)6月開店[1] - 2013年(平成25年)8月31日閉店[要出典]
    売場面積628m2[52]
  • 矢口店(大田区矢口3-28-7[広報 15] 東急ドエルアルス多摩川1階、?開店 - 2014年(平成26年)3月27日閉店[要出典]
    売場面積537m2[広報 14]
  • 雑色店(大田区仲六郷3丁目8-9[74]、1993年(平成5年)10月開店[74] - 2003年(平成15年)閉店)
    「雑色石田ビル」に出店していた[74]
    売場面積は2,880m2[74]
    閉店後は「雑色石田ビル」にはオーケー仲六郷店が出店した[75]
中野区
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  • 中野店(中野区中野4丁目3番地1号[76]、1994年(平成6年)11月開店[75] - 2014年(平成26年)6月16日閉店[要出典]
    敷地面積8,158.74m2[76][77]、鉄骨鉄筋コンクリート造一部鉄骨造地下4階地上26階建て塔屋1階[76]、延べ床面積64,059.116m2[76](店舗11,185.64m2[76])、
    中野四丁目東地区第一種市街地再開発事業で建設されたなかのサンクオーレの核店舗として店舗部分の約9割を使って出店していた[77]
    店舗跡には食品館イトーヨーカドー中野店が[78]、2014年(平成26年)10月3日に開業した[79]2020年6月1日にヨークに譲渡され、「ヨークフーズ中野店」に屋号変更。[要出典]
杉並区
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  • 荻窪店(杉並区天沼3-2-7[80]、1959年(昭和34年)11月28日開店[72][81] - ?閉店)
    店舗面積1,445㎡[72]
    中央線沿線への多店舗展開の中核として位置づけられていた各階660m2の4階建ての店舗で、当社としては初めて全品セルフサービス方式を導入した店舗だった[広報 3]。3階の一部と4階全体を日本生命に賃貸して開業したが、1966年(昭和41年)11月に当社としては初めてのエス力レーターを荻窪店に設置して全館を売場とする形などの改装を行って増床した[広報 3]
  • 高井戸店(杉並区高井戸西2丁目3-45、1977年(昭和52年)11月開店[1] - 2000年(平成12年)3月閉店)
    売場面積は1,640m2[1]
    跡地はオオゼキ(2000年(平成12年)5月開店)[要出典]
  • (初代)阿佐谷店(杉並区阿佐谷1-836[58]、1961年(昭和36年)10月20日開店[58][82] - 1970年(昭和45年)8月閉店[広報 3]
    売場面積628m2[58]
    1966年(昭和41年)12月に当社で初めて果物を自社で販売した生鮮食料品直営化の第1号店であった[広報 3]
板橋区
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練馬区
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  • 練馬中村橋店(練馬区中村北2-3-3[83]、?開店 - ?閉店)
    店舗跡にはライフ練馬中村北店が[84]2012年(平成24年)6月20日に開店した[85]
墨田区
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江戸川区
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  • 一之江店 (江戸川区一之江6-9-47[広報 15]、1997年(平成9年)4月23日開店[88] - 2011年(平成23年)7月20日閉店)
    1階に約470坪の食品売場、2階に衣料品とドラッグストア的な売り場を配置した約970坪の店舗だった[88]
    店舗跡地はマンション「ザ・パークハウス一之江」。[要出典]
足立区
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  • 梅島店(足立区梅田7-34-12[89]、1976年(昭和51年)1月28日開店[広報 3] - 閉店)
    「山田ビル」に出店していた[74]
    売場面積2,092m2[89]
    閉店後は「山田ビル」にはココスナカムラ梅島店が出店した[75]
  • 竹の塚店(足立区竹の塚5-7[80]、1970年(昭和45年)6月開店[広報 3] - ?閉店)
    売場面積3,199m2[90]
    建物は地上5階地下3階建ての古庄ビルに出店していた[91]
    店舗跡は改装されて1996年(平成8年)にサンドラッグや肉のオオクボと青果のベスト、鮮魚の魚力で構成された「パワーズ生鮮館」、酒DSサリといった各分野のディスカウントストアを集めたパワーセンター型の商業施設「竹の塚ジョイプラザ」となった[91]
武蔵野市
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  • 武蔵境店(武蔵野市5-25-14[67][92]、1959年(昭和34年)3月27日開店[広報 3][92] - ?閉店)
    売場面積698m2[67]
    当社初の本格的なスーパーマーケットとして、日本住宅公団桜堤団地内に開店した鉄骨造り1階建ての店舗だった[広報 3]
    当店で展開された省力化などの近代化策は当社の経営合理化審議会で検討が重ねられて他の店舗へ展開された[広報 3]
  • (初代)三鷹店(武蔵野市中町1-3068[93]、1960年(昭和35年)4月27日開店[93] - 2023年(令和5年)6月9日閉店[広報 16]
    売場面積581m2[93]
    「シティハウス武蔵野」内の(2代目)三鷹店開店に伴って、移転する形で閉店となった[広報 16]
立川市
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八王子市
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町田市
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小金井市
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  • 唐木田店(多摩市唐木田1-1-7>『東急ストア第65期事業報告書』 東急ストア、2004年5月。1993年(平成5年)4月18日開店[103] - 2013年(平成25年)2月25日閉店[要出典]
    唐木田駅前のマンション「プラザ唐木田」1階に出店していた。売場面積は1,144m2[103]
    店舗跡の一部には2013年7月10日[広報 23]にファミリーマート唐木田駅前店[104]が開店し、残りの部分には[要出典]2015年(平成27年)7月23日にマルエツ唐木田駅前店(売場面積は748m2)が開店した[105][106]
青梅市
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河辺とうきゅう(河辺タウンビルA棟)

神奈川県

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横浜市
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鶴見区
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  • 鶴見店(佃野町23-35[115](旧・鶴見町字佃屋687[116])、1970年(昭和45年)12月11日開店[116] - ?閉店)
    売場面積2,117m2[116]
    長崎屋サンショッピングセンターへ出店していた[116]
  • 鶴見栄町店(鶴見区栄町通[117] 2丁目、2004年(平成16年)2月26日開店[117] - 2009年4月閉店)
    鶴見駅・京急鶴見駅から約1.3kmの工場や住宅が混在する郊外に立地していた[117]。売場面積約980m2の店舗であった[117]
緑区
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  • 元石川店(美しが丘3-35-1[52](旧・元石川町字金井塚2923[118][119])、1967年(昭和42年)5月19日開店[119] - 1979年(昭和54年)3月閉店[広報 3]
    売場面積268m2[118][119]
    開設時から鮮魚や青果の直営での販売が行われた[広報 3]
港北区
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  • (初代)綱島店 → 綱島駅前店[120]綱島西1-1-8[52](旧・南綱島町713[119])、1963年(昭和38年)1月29日開店[119] - 2016年(平成28年)1月8日閉店[121]
    売場面積約496m2[119] → 約384m2[52]
    東急東横線綱島駅南口に直結しており[120]、1977年(昭和52年)9月9日に改装して新装開店した[広報 3]
    2004年(平成16年)10月28日に(2代目)綱島店が綱島駅から北約200mの綱島街道沿いの綱島東に開店した[120]
    (2代目)綱島店の開店後は簡便食材や日用品に品揃えを集中すると共に24時間営業することで役割分担を目指した[120]
    閉店後の2016年(平成28年)1月12日に[122]綱島駅構内に東急ストアネットスーパー購入商品受取用冷蔵ロッカーを設置した[121]
港南区
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  • 上大岡店(港南区上大岡町266[123]、1969年(昭和44年)10月3日開店[123][124] - 1980年(昭和55年)1月31日閉店[125]
    敷地面積約2,780.9m2[123]、鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建て[123]、延べ床面積約16,010.14m2[123]、店舗面積約8,453.7m2[123](直営店舗面積約2,911.2m2[123])、駐車台数約40台[123]
売場面積2,295m2[124] → 3,199m2[90]
  • 上大岡駅前に建設された商業ビル「上大岡センター」の地下1階から地上2階までに核店舗として出店していた[126]
    店舗跡は1980年(昭和55年)5月1日に「上大岡三越サンプラザ」として新装開店し[125]三越エレガンスが核店舗として出店した[127]三越移転後、建物は解体され、跡地に再開発ビル「mioka」が建設された[要出典]
金沢区
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  • 金沢八景店(金沢区泥亀1-25-2-A[128]1968年(昭和43年)10月1日開店[128] - ?閉店)
    敷地面積約12,364m2[128]、鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建て塔屋2階[128]、延べ床面積約11,674m2[128]、店舗面積約6,123m2[128](直営約店舗面積1,662m2[128])、駐車台数約200台[128]

1968年に公団住宅の1,2階部分に開業した京急サニーマートB棟に出店。 現在は京急ストアとなっている[要出典]

  • 金沢シーサイド店(金沢区並木1丁目17番地[115]1982年(昭和57年)6月開店[115] - 2014年(平成26年)1月20日閉店[129]
    1970年代に埋立地に造成されたマンションが多数ある金沢シーサイドタウンのショッピングセンター「金沢センターシーサイド」内に出店していたが、近くに進出したビアレヨコハマなどとの競合や住民の高齢化による需要縮小などで客足が減り、ショッピングセンターに同居するセンターシーサイド名店会も物販系の小売店が減少するなどして環境が悪化したため閉店することになった[129]
    売場面積385m2[115] → 2,879m2[広報 3][41][1]
  • 金沢シーサイド店別館(金沢区、?開店 - ?閉店)[要出典]
磯子区
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  • 杉田店(磯子区杉田1-17-1[130]1993年(平成5年)4月開店[131]
    鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上12階建て塔屋1階[132]、延べ床面積約26,573m2[132]、店舗面積約5,500m2[133]
    杉田駅東口地区第一種市街地再開発事業で建設された「プララ杉田」の核店舗として出店していた[134]
青葉区
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  • 青葉台店(緑区青葉台1-9[135]、1966年(昭和41年)8月20日開店[広報 3] - 1967年(昭和42年)1月18日閉店[広報 3]
    青葉台駅前に建設された青葉台サービスセンター内の264m2を賃借して出店していたが、1967年(昭和42年)1月18日に閉店した[広報 3]。同年7月には東横百貨店(現・東急百貨店)との共同出資によって設立した東光ホームマートと東光フードマートが出店した[広報 3]
旭区
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  • 二俣川店(旭区中沢2丁目1番8号[広報 3]、1966年(昭和41年)9月21日開店[広報 3] - 2007年(平成19年)閉店)
    敷地面積694m2[136]、延べ床面積182m2[136]、売場面積139m2[136] → 220m2[広報 14]
    東急グループの不動産開発の一環で東光ストア二俣川ニュータウン店として開業した[136]
    1988年(昭和63年)2月に設備や什器を一新してミニスーパーマインズへの業態転換[広報 3]
戸塚区
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  • 東戸塚駅西口店 - 移転し、2009年(平成21年)3月31日にモレラ東戸塚店が開店した[137]
  • プレッセ美しが丘(横浜市青葉区美しが丘4丁目9-1[138]、1997年(平成9年)11月13日開店[25] - 2009年(平成21年)5月7日閉店)
    シェフが店内で調理する総菜売り場などこだわり商品に特化した高級スーパーとして開店した[139]
    売場面積は1,023m2[広報 14]
川崎市
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  • (2代目)溝の口店(高津区溝ノ口414[116]、1970年(昭和45年)10月31日開店[116] - 1979年(昭和54年)7月閉店[広報 3]
    売場面積1,572m2[116]
    長崎屋サンショッビングセンターへ出店していたが、長崎屋が食品売り場の直営化のため返還を求められたため閉店した[広報 3]
    1989年(平成元年)6月に (3代目)溝の口店が開店[広報 3]溝の口駅直結の店舗となり、24時間営業となった。
綾瀬市
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  • かしわ台店(綾瀬市寺尾北1丁目10番18号[40]、1975年(昭和50年)11月28日開店[広報 3] - 2002年(平成14年)6月閉店[95]
    売場面積1,147m2[52]
厚木市
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  • 厚木店(厚木市中町2-10-21[64]、1971年(昭和46年)5月2日開店[広報 3] - 1992年閉店[要出典]
    売場面積4,311m2[64]
    呉服店羽根澤屋が一番街通り商店街に建設した鉄骨鉄筋地下1階5階建てのビルの地下1階から地上5階まで5,387m2に出店していた[広報 3]
    20年の借地契約の延長を行わずに閉店し、店舗跡を改装して「厚木パルコ2」が開店した[140]
  • 毛利台店(厚木市毛利台1丁目25番1号[141]、1977年(昭和52年)6月3日開店[広報 3] - ?閉店)
    売場面積は685m2[1]
藤沢市
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  • 辻堂店(藤沢市辻堂1698[80]、住居表示実施後は辻堂二丁目7番1号。 1969年(昭和44年)11月開店[広報 3] - 1972年(昭和47年)増築 - 1978年(昭和53年)5月29日火災で閉店[広報 3]
    売場面積は2,487m2[90]
    1978年(昭和53年)5月29日に4階の日用雑貨玄関マット売場付近から火災が発生して顧客が死亡する火災事故が発生して同日閉店となった[広報 3]
  • 2018年8月取り壊しの後に再築し再開店。後に閉店し、店舗を取り壊し、湘南パールビルが建てられた。[要出典]
大和市
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  • 大和店(大和市大和東1丁目2番1号[142]、1971年(昭和46年)10月23日開店[142] - 1993年(平成5年)閉店[143]
    敷地面積約1,730m2[142]、鉄筋コンクリート造地下2階地上5階建て塔屋2階[142]、延べ床面積約8,491m2[142]、店舗面積約5,064m2[142]、駐車台数約32台[142]
    当社のショッビングセンター第4号店として大和駅前にあった地下1階から地上5階まで全館を利用して出店した店舗で売場面積4,099m2の店舗であった[広報 3]
  • つきみ野店(大和市つきみ野5丁目16番1号[40]、1979年(昭和54年)9月開店[141] - 2001年(平成13年)12月31日閉店)
    つきみ野駅前に出店していた店舗で、売場面積は923m2[1]
    店舗は取り壊され、跡地はマンション「リーデンススクエアつきみ野ソレイユコート」が建設された[144]
相模原市
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  • 橋本店(相模原市緑区橋本5丁目1番[広報 15]、2003年(平成15年)5月29日[145] - 2014年(平成26年)1月31日閉店[要出典]
    複合商業施設「ラ・フロール」の核店舗として出店していた総合スーパー[145]
伊勢原市
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  • 伊勢原店(伊勢原市桜台1丁目3番3号[40]、1976年(昭和51年)11月23日開店[広報 3] - 2016年(平成28年)1月31日閉店[要出典]
    売場面積は、開業時点では6,250m2で、1979年(昭和54年)11月に増床後は9,135m2[広報 3]
    伊勢原駅前に、地下1階・地上5階建て売場面積6,250m2で開業し、1979年(昭和54年)11月に隣接地を取得して売場面積9,135m2へ増床した[広報 3]
    店舗跡には、2016年(平成28年)6月29日に複合商業施設「いせはらcoma」が開業した[146][147]

埼玉県

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  • 狭山店(狭山市大字月見野571[148]、1966年(昭和41年)9月19日開店[広報 3][148] - 1978年(昭和53年)12月閉店[広報 3]
    敷地面積859m2[136]、延べ床面積182m2[136]、売場面積139m2[136] → 508m2[1]
    東急グループの不動産開発の一環で東光ストア狭山若葉台店として開業した[136]
  • こま武蔵台店(日高市武蔵台1丁目23番9号[広報 3]、1978年(昭和53年)4月開店[149] - 2008年(平成20年)4月閉店[150]
    こま武蔵台ニュータウン(閉店前後の人口は約2200戸、6000人)内唯一のスーパーだったが、車で5分ほどの場所にも競合店が出店するなどして不採算となったため閉店した[150]
  • 和光店(和光市本町31番1号[151]、1983年(昭和58年)4月15日開店[広報 3]- ?閉店)
    売場面積3,862m2[151]サミットとして営業[要出典]
  • 草加店(草加市、?開店 - ?閉店)[要出典]
    当時は、店舗2階建てで、イトーヨーカドー草加寮前に、店舗があったが、寮は、現在マンションとなっている。(草加市氷川町2141‐8)店舗閉店日2004年8月14日[要出典]

千葉県

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千葉市
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  • 土気駅前店(千葉市緑区あすみが丘1-20-4[広報 15](旧・千葉市土気町1758-18[152])、1989年(平成元年)4月25日開店[152] - 2011年(平成23年)8月31日閉店[要出典]
    売場面積は1,495m2[152]、駐車台数約214台[152]
    土気駅前に1989年(平成元年)に開業したショッビングセンター「バーズモール」へ出店していた[10]
  • 土気あすみが丘店(千葉市緑区あすみが丘7丁目1番地[13]、2000年(平成12年)10月6日開店[13] - 2011年(平成23年)7月31日閉店[要出典]
    延べ床面積約35,166m2[153]、売場面積12,355m2[広報 14]
  • あすみが丘ニュータウン中心部に2000年(平成12年)10月6日に開業した[13]ショッビングセンター「プランニューモール」[10]の核店舗として出店していた総合スーパーである[13]。売場面積12,355m2[13]東急レクリエーション運営のボウリング場やカルチャーセンターが併設されていた。ブランニューモール内の一部店舗(ビバホームなど)は営業を継続し、1階のとうきゅう跡にはカスミフードスクエアが2011年11月に開店[要出典]
市川市
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  • (初代)本八幡店(市川市、 - 1971年(昭和46年)12月閉店[広報 3]
    近くに開設された長崎屋サンショッビングセンターへの出店に伴い閉店[広報 3]
  • (2代目)本八幡店(市川市南八幡4丁目9番1号[116]、1970年(昭和45年)10月29日開店[116] - 1979年(昭和54年)7月閉店[広報 3]
    売場面積1,889m2[116]
    長崎屋サンショッビングセンターへ出店していたが、長崎屋が食品売り場の直営化のため返還を求められたため閉店した[広報 3]
松戸市
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柏市
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  • 南柏店(柏市新宿字堤下51[154]、1966年(昭和41年)9月23日開店[154] - 1979年(昭和54年)8月閉店[広報 3]
    敷地面積595m2[136]、延べ床面積182m2[136]、売場面積139m2[136] → 268m2[154]
    東急グループの不動産開発の一環で東光ストア南柏つくしが丘店として開業した[136]
  • 北柏店(柏市花野井字尾井戸1811[155]、1982年(昭和57年)11月開店[155] - ?閉店)
    売場面積799m2[155]
我孫子市
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茨城県

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  • 水戸店(水戸市南町3丁目6番33号[158]、1971年(昭和46年)5月30日開店[158] - 1980年(昭和55年)9月15日閉店[広報 3]
    敷地面積約4,516m2[158]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上8階建て塔屋2階[158]、延べ床面積約15,845m2[158]、店舗面積約10,087m2[158](当社店舗面積約1,387m2[158])。
    地下1階地上8階建ての全館を使って出店していた[広報 3]
  • 取手店(取手市新町1丁目9番1号[広報 3]、1985年(昭和60年)10月6日開店[159] - 2010年(平成22年)8月31日閉店[160]
    敷地面積約4,695.49m2[159]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上9階建て[159]、延べ床面積約27,567.11m2[159]、売り場面積約12,000m2[161]、駐車台数約1,000台[159]
    常磐線取手駅西口駅第1種市街地再開発事業で建設された取手駅西口再開発ビルの[159]ほぼ全館を使用し[広報 3]、売り場面積約12,000m2に食料品から服飾・雑貨まで幅広く扱う総合的な品ぞろえをして[161]、開業当初は年商100億円を突破していた大型店舗であった[広報 3]
    周辺の地域に競合する大型店舗の出店が相次いで競合が激化した上、つくばエクスプレスが開業して取手駅の利用客が減少するなど集客力が低下して収益の見通しが立たないとして閉店することになった[161]
    閉店に伴い専門店を含めて閉鎖されて一時期空きビルとなり、取手駅前の商業施設は駅ビルボックスヒルだけが残る形となったが、2012年12月6日に「リボンとりで」としてリニューアルした[160]。1階が西友、2階はダイソーなど、3階はドラッグストアやファッション関連店、4階は全フロアが宮脇書店である[160]
    かつて1980年代から1992年3月まで文化放送で放送されていた番組『とうきゅうサウンドパラダイス』は「ショッピングプラザ取手東急」名義での単独提供であり、本店内の特設会場で公開収録が行われていた[広報 25][162]

群馬県

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  • 太田店(太田市浜町4-1[80]、1969年(昭和44年)11月29日開店[163] - 1975年(昭和50年)12月31日閉店[広報 3]
    売場面積2,375m2[90]

愛知県

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  • 宮津店(知多郡阿久比町大字宮津字新海山5[164]、1969年(昭和44年)8月21日開店[広報 3] - ?閉店)
    売場面積718m2[52]
    東海東光ストア第1号店で、新日鉄の従業員向け団地として開発された宮津団地に出店していた[広報 3]
  • 知多店(知多市にしの台2丁目100番1号[165]、1980年(昭和55年)1月19日開店[166] - 2002年(平成14年)3月1日閉店[167]
    売場面積は3,488m2[広報 3][41]
    東急グループ(東急鯱バス)の住宅開発の関係などで出店していた[広報 3]
    近隣に1997年(平成9年)5月1日に大型商業施設(イトーヨーカドー知多店)が開業した[168]影響などで閉店。その後建替えられて、2003年(平成15年)5月23日にヤマナカ知多フランテ館が開店している[169]
  • 粕谷台店(かすやだい、知多市南粕谷町2-1-1[52]、1974年(昭和49年)3月15日開店[広報 3] - 2002年(平成14年)閉店[95]
    売場面積879m2[52]
    東急鯱バスが従業員輸送を行う新日鉄名古屋製鉄所の従業員向け団地として、東急建設によって開発された粕谷台団地(南粕谷)に出店していたが、東急ストアの愛知県撤退に伴い、知多店と同時期に閉店した。閉店後はヤマナカ粕谷台店が営業中。店の前には東急鯱バスの乗り場がある。
  • 上野台店(東海市富木島町東山田7番[164]、1970年(昭和45年)5月1日開店[170] - 2001年(平成13年)8月31日閉店[171]
    敷地面積約5,280m2[170]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[170]、延べ床面積約5,610m2[170]、売場面積約3,507m2[170](直営店舗面積約1,362m2[170])、駐車台数約150台[170]
    粕谷台と同じく、新日鉄の従業員向け団地として開発された上野台にも出店していた[広報 3]

福岡県

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  • 筑紫野店(筑紫野市美しが丘南1丁目12番1号[11][172]、1993年(平成5年)5月18日開店[12][172] - 2007年(平成19年)3月閉店[11]
    敷地面積約28,681m2[173]、地下2階地上3階建て[174]、延べ床面積約50,200m2[172]、売場面積17,937m2[広報 14]
    5フロアの大型店舗で[174]、地下2階に[174]メリーゴーランドやゲームなど、ビデオシアターなどを設置した娯楽施設を併設した郊外型大型ショッピングセンターであった[11]
    東急グループの住宅開発の関係で出店していたが、近隣に大型商業施設が相次いで開業した影響で赤字が続いたため閉店し、九州から撤退することになった[11]
    なお、施設自体は京都市の不動産会社に売却し[11]、2007年(平成19年)10月31日に商業施設「筑紫野ベレッサ」として再オープンし[175]九州を基盤とする大手スーパーサンリブが核店舗として出店していたが、[要出典]2018年現在はルミエールサンドラッグ等が出店している[広報 26]

ロゴマーク

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1970年6月、現行の赤いシンボルマークファミリーマーク」と店舗ロゴを制定[広報 27]。デザインはグラフィックデザイナー鳥越修治(東京都世田谷区代沢在住)[広報 28]

なお、鳥越は東急グループ関連のロゴデザインを多数手がけており、東急ストア系列の花屋「とうきゅうフローラ」、前述の「マインズ」店舗ロゴデザイン、東急ストアも加盟する八社会プライベートブランド「Vマーク バリュープラス」のロゴデザインや商品パッケージデザイン、渋谷ファッションビル109 (商業施設)」のネーミングとロゴデザイン、東急文化会館レストラン街「特選食堂街」、東急レストラン各店のロゴデザインなども担当している[広報 29]

関連会社

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  • 東光食品 - 食品の製造ならびに仕入販売(2012年3月に旧「東光食糧」と旧「東光食品」が合併。旧「東光食糧」を存続会社として、社名を「東光食品」に変更した。)
  • 東光フローラ - 生花・観葉植物等の仕入、販売、花の専門店「とうきゅうフローラ」、「FLEUR KAREN」の経営
  • 東光サービス - 警備、人材派遣業

過去の関連会社

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  • 東光ストア - 定鉄商事として設立されて札幌東光ストア(後の札幌東急ストア)を運営していたが[広報 3]、2009年(平成21年) 10月30日には札幌東急ストアが株式会社アークスの子会社となって東急グループから離脱した[15]
  • 北海道東急ストア - 北海道下で店舗展開を行っていたが、1984年(昭和59年)6月に当社へ店舗譲渡[広報 3]1997年4月に、定鉄商事へ移管された。それまでは札幌圏で2社が併存する形で営業していた[176]
  • 北見東急ストア - 北見市内で店舗展開を行っていた[26]
  • 東海東光ストア - 愛知県下で店舗展開を行っていた[広報 3]
  • 協同技術センター - 設備管理[広報 3]、リサイクル事業を行っていたが、2011年に東急ファシリティサービスの関連会社に変更された。

脚注

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出典

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  5. ^ a b 『白木屋三百年史』 白木屋、1957年3月18日。
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  13. ^ a b c d e f g “オープン情報=東急ストア”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2000年10月6日)
  14. ^ a b c d e f g h “北見東急ストア解散へ、大型店進出で経営悪化”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年10月28日)
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関連項目

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外部リンク

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